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2025-08-06 29:25

♯80「風化する流れの中で記すということ」

7月26日、いしだまは太宰府市にある「IWASI labo」さんで「言と音」というイベントを開催した。長崎の被爆者を撮影し続ける写真家・松村明さんを囲み、イノウエエミさんと共に言葉と音を紡ぐ時間。そこでは世代や地域によって戦争の捉え方に違いがあることが見えてきた。その断片を持ち寄り、再び記憶に留める。\お便り募集/SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。https://studiohiccho.com/Instagram@gap.and.match

サマリー

このエピソードでは、石玉さんとカズネさんが夏の暑さについて話しつつ、日常生活から得た体験や記憶の風化について考えています。また、戦争や被爆の記憶を残すための展示会の企画にも触れています。風化の現象と記憶についての探求が行われ、特に戦争の記憶をどのように継承するかが話題となっています。聞き手と話し手の対話を通じて、風化する事実と記憶という異なる側面の重要性が強調される場面が描かれています。戦後の教育における原爆についての認識の違いや、地域や年代による教育内容の差が浮き彫りになっており、これにより風化していく記憶とその重要性が強調されています。

夏の体験
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉とカズネの2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
さて。
ね。もう本当に真夏。
はい、8月になりました。
もう本当に8月ってこんな暑い。まあ暑いけど、こんな暑かったっけぐらい暑い今年。
なんか汗って、足の膝の裏に流れません?
足の膝。あ、分かる。流れるよね。
流れますよね。
でもあれきっとね、足の膝の裏が感受性が高いだけで、他のとこも流れてる。
なのかな。
だと思う、私は。
感受性高いんや、あそこ。
高い高い。足の膝の裏とか、このあの、何?
分かる。肘辺とかも。
このの、何?内側?
うん、たぶん。
あの、何だっけ、人間のさ、その神経の感知する能力が高いところに大きくする人体のホムンクルスみたいな絵を描くと、
なんか唇とか指先とかそういうところだけがすごく大きくなって、
体としては表面積大きいはずのところが小さくなったりとかみたいな絵とかもあるんだけど、
ホムンクルスね、知ってますよ。
たぶん、そういう感じで膝の裏とかもあるんじゃないかな、感覚が。
おへその横を通る汗よりも、足の膝の裏の汗の方が感じるのかもしれない。
うん、おそらくおそらく。
もうさ、今日さ、収録前にさ、ちょっとかずねがさ、しゃべってるみたいな感じの時間があるって聞いたからさ、
だったらもう私ここに来る前に、ご飯食べちゃおうみたいな感じで食べに行って、
今日めちゃくちゃおいしいカレーを食べました。
どんなカレーだったんですか?
それがね、私ご存知の通りめちゃめちゃ食いしん坊じゃないですか、
めちゃめちゃ食いしん坊なんですけど、行ったカレー屋さんで、
なんぞそのカレー聞いたことないっていうカレーの名前がファッと流れたんですよ。
流れた。
隣のお席の方のカレープレートをお店の方が提供するときに、隣のお席の方がお店の方となじみの方だったんですね、近所に住んでる。
で、なんかすごいいろいろしゃべってるときに、このカレー何?みたいな話から、これはねーっていう話が出て、
なんぞその名前聞いたことありませんけどっていうところからの、
そのカレーファッと覗き込んだらとんでもなく美味しそうで、むちゃくちゃ気になり、
3分ぐらいずっと熟行したんですよね。
一休さんで言うとこのポークのところが3分ぐらい。
隣に座ってずっと腕組んでうーんって考えてたんですけど、
勇気を出して、もし大丈夫だったら本当にいいんですけど、
さっき隣の方が食べてたカレー、牛のって言ってた、あれちょっと食べたりとかできます?っていう相談をして、
そしたらOKが出たので食べたんですよ。
あれですね、石玉さんはもうすでに自分のカレーを食べ終わってて、
そうそう、もう一杯全部食べ終わってて結構お腹いっぱいだったの。
後に追加で頼んだってことですよね。
そう、あまりに美味しそうだったので、ただあまりに美味しくて、別腹が発動するぐらい美味しかったんですよ。
何カレーなんですか?
インドネシアとかそっちの方のカレーって言ってて、トンセンっていうカレーだったんですよ。
トンセン、初めて聞きます。
そうでしょ、もうめちゃくちゃハチャメチャに美味しかったんで、
今日自分が忘れないようにSNSにちゃんと写真撮ってあげておこうと思って。
再現しようとしてるかと思った。
いやでも再現もできるように、一応どんな感じのものが入ってるって食べながら考えておいた。
牛ですか?
牛。やっぱそうやって食べるんですね、何が入ってるんだろうとか思いながら。
で、ここに来るまでの間にちょっと時間があったなっていうか、
最寄りに信頼してる八百屋さんがあって、そこにもフラッと立ち寄ったら、
そこの八百屋さんめちゃくちゃ言ってることが信用できるんですよ。
で、今日はスイカがうまいと。
めちゃでかいスイカをそこの八百屋さんカットして売ってくれるんですよね。
でも4分の1カットでもとんでもない、さっき見せたぐらいのとんでもないでかさなんですけど。
で、それも買ってここに来て、なんで今日はもう2回もちょっと、
仕事はもう1時間ぐらいいいやって思ったおかげで、その1時間で2回もいいことがすごくあったっていうところからのスタート。
もういかにも夏っていう。
いいですよね、おいしい夏。
そうよ、スイカとカレーなんて夏以外のなんだよっていう話。
これはみ出したいの皆さんは、どこのカレー屋さんなんだとか気にならないですかね。
風化する記憶
大丈夫?
それは秘密?
おいおい。
秘密だそうで。
ちっちゃいお店だから、知りたい人はむしろメールアドレスとか添えてメッセージ送ってください、そっと教えますんで。
そうしよう。ギャプトマの放送で聞いたんですけどってカレー屋さんに来る人がいたらすごくないですか。
それすごいですよね。
でもお店の人ギャプトマ?ってあてなあてなあてなですよね。
でも夏っていえばですよ、こうやってカレーとかスイカとかもあるんですけど、
今日放送日が何日かおわかりですか?
8月6日。
ですよね。
8月6日っていうと、やっぱり西日本に住む民にとってはっていう。
夏休みのとき出向日でした?
出向日だった。
小学生のとき学校行ってましたよね、夏休みの間にね。
出向日に行くとね、だいたい裸足のゲンとか、戦争の映像を見せられてましたね。
それもカズネの世代もそうなんだ。
そうですね。確か6日、9日だったかもしれない。どっちか。
多分福岡6日なんじゃないかな。
9日かな、6日かな。どっちか。
あ、わかんない。世代でそれ違うかもしれないけど、うちのエリアは6日で、
だからテレビ、8月6日はほら、NHKが必ず指揮店の映像を流すから、それを見てたイメージ。
石澤さんは最近、戦争関連の展示会に関わってましたね。
そうですね。
戦争とか原爆とかっていうと、結構ハードとか重いとかみたいな感じで思ったりとか、
あとやっぱり80年戦後経ってるのもあって、どんどん風化してってるよねっていう事実がやっぱあるから、
風化することを悪いとかって言いたいとも思っていなくて、
ただ事実として風化していってるってことと、記憶するっていうことについて、
なんだろうな、
ダザイフにあるイワシラボさんっていう、すごくちょうどいいサイズのめちゃくちゃいい温度感のギャラリーさんがあって、
そこのオーナーさんがずっと教えてもらってる写真家の先生がいて、
その写真家の先生がずっとポートレートを撮られてるのとかもあって、
それは被爆体験をされてる方の写真をずっとライフワークとして撮られてる感じなんですけど、
そういうのもあって、1年ぐらい前からそういうことを来年したい先生の写真の展示とかもっていうことを言ってて、
そこから発展していって、でもやっぱり風化したりすることは実際起きるし、
それってもう仕組み上私たちどうしようもない部分もあるし、
でも記憶するみたいなこともできるし、とりあえずあるっていうところから始めたいねっていうことで、
思いからとかハードだからとかみたいな点の置き方だけじゃなくて、
いろんな接し方とか関係の仕方ができるような状態が作れないかなっていうことがあって、
風と木っていうシルスの記憶の記念イベントで、
いろんな人がいろんな接し方ができるようにいろんな点を作家さんも3人ぐらい、
作品をアート作品を作る作家さんとか、
あと私と、あともう一人ライターの方と一緒に今回は組んで、
コンバーセーションピースっていう企画とかもされてらっしゃる素敵なライターさんなんだけど、
組んでその写真家の先生松村さんっておっしゃるんですけど、
展示の日に音と言葉と対話とみたいな感じの場をやりました。
展示会の試み
なんかその場に来ると、戦争のこととか被爆のこととかも考えるし感じるし、
とにかく来るとちょっとなんか今まで見たことないような感じのことが起きてたり、
思ってることを口に出せなくてもそこにいてもよかったりとか、
思ってることを誰かが書いた言葉を自分が口に出してみるとか、
なんかいろんな接し方をそこに配置しておくことで、
今の自分がそのことと戦争とか被爆とかと関係してみれたり、
できるような場にしたいなっていうことでちょっといろいろ時間のデザインをしてみたって感じでしたね。
その場にいる方は戦争を体験した方ではなく、
戦争を体験した方の写真を撮っている方がいたり、
あとは何ですか、何か戦争について知っている人たちが集まって、
今について語ったみたいな感じなんですか。
いえ、どちらかというと、戦争の時間にいた人もいるんですけど、
そうなんですね。
そうじゃない人の方がもうやっぱり全然多くて、
やっぱりもうね、戦争の時にきちんと自意識がある程度あってっていう人ってもう、
85歳とかそんな感じ、
5歳、4歳、最低3歳とかじゃないと思う。
記憶全然ないと思うので、
なので結構ご高齢になるしねっていうのもあって。
なんか私今意外だったのが、風化させてはいけないってわけでもないしねみたいな、
風化と記憶の対話
普通に風化は起こって自然だよねっていうこの感覚って、
私が小学生の時は忘れてはいけないみたいな、語り繋がねばならないみたいな、
そういう風に語られているイメージだったので、
まずそこの、まあ風化はするよねみたいなところが意外だったんですけど、
現地はどういう雰囲気だったんですか、イベント中。
そうだね、やっぱりその、
私は風化をしてしまうっていうことと忘れないってことは別のことだと思っていて、
なんて言うんだろう、だって言って私も、
5歳の時のことめちゃくちゃ覚えてますかって言われたら、やっぱ全然覚えてません。
覚えてることもちょっとはあるけどぐらいの感じ。
これもまあ言っちゃえば風化みたいなもんだと思うんだけど、
そういうその、生きていく上で起きていくこと、
そうなるよねっていうことが起こることはもうどうしようもないというか、
何にだって起きますよね、戦争に限らず。
そうそう、戦争に限らずって思っていて、
なんだけどその風化したり、その記憶に強く残ってたり上の方に、
記憶の何とも触ったり思い出したりとかしやすい上の方にあるってわけじゃなくても、
新しく考えたりとか、今自分の中にインプットすることで、
かつての何かが浮かび上がってきたりとかすることとかはあるじゃないですか。
だし、子供の時とかに聞いたおじいちゃんおばあちゃんの話とか聞いててもさっぱり意味わからんとか思っとったけど、
大人になって誰かの話聞いて、
あの時言っとった話っていうのが、ああってなる時とかもそれとすごい似てると思うし、
それこそこの間、かずねがカンタティモールの話してくれたでしょ。
ああいうのだって、知らないけど知って自分の一部になるわけじゃない。
だから忘れないっていうことと風化はイコールじゃないんだと私は思ってるんだよね。
そういうスタンスと今回、いわしらぼさんと、あともう一人うつつさんっていう方がね、
イベントの企画を二人でされてるような感じだったんだけど、
その風と木っていうコンセプトを今回聞いた時に、
もうまさに私もそのように思いますっていうのもあって、
すごいでも逆を言うと、すごく淡いにあるような表し方になる、
何かと何かの間にある名前をすごいつけにくいような表現になっていくのは、
もうその段階である程度見えてるなと思ってたから、
こりゃ大変だなとは思いつつも、考えろって言われなくても私やっぱ考えちゃうんだよね。
どうしてもその忘れてしまっていいかと言われると、
これはいけないことかって言われたら、まあそうですよねみたいな感じで思ったりするし。
その風と木っていうタイトルを見た時、聞いた時に石沢さんが、
私もそう思いますって思ったっていうのはどういうところなんですか?
だ風化することと記憶。
そういうことですね。
忘れてはいけないっていうことが、ずっと持っておきなさいではないと思うんだよね私は。
だからその、何だろうね、物事は何でも点滅したり、現れたり消えたり、浮かんだり沈んだりみたいなことを、
いつも状態として揺れてしてると思ってて。
だから風化っていう事実と記憶っていう私たちがする作業というか、私たちに起こるそれも一つの現象だけど、
それらを連続した上の何かじゃなくて別々に扱うっていうのはすごい自分的にはしっくりくるっていうか。
そんなイベントに集まった皆さんとはどんな対話が起きたんですか?
イベントの実施
良いこと聞きますね。
すごく良かったんですよ。
ポートレートを撮ってらっしゃる松村さんが、
まず当日会いらして、松村さんに井上恵美さんっていうライターの方がインタビューしてくれて、
まず話が始まるんですよね。
私はこれ、いわしラボさんから同日にインタビューと石玉さんの音楽の時間を一緒にやりたいっていう話があって、
ほうほうみたいな。
だから枠が先に決まって、そっから中身を詰めていったような感じにはなってるんだけど、
そこで話をしてくれた後に、私が現れて、ちょっと3人でお話しして、
音とかも含んだり、今回は折り鶴に、
折り鶴用の紙に来てくれた人が言葉を書いて、
壁に貼るとかそういうのはしないで、
その紙を置いてってるところからまた来た別の人が、
1枚紙を取って鶴を折る、みたいなこととかもして、
だからそういう言葉とかも散りばめさせてもらいながら、
私がちょっと言葉に歌で返したり、
言葉に自分も自分の言葉で返したりとかをしたりしつつ、
その場にいる人たちにも折り鶴に書いてる言葉とかを渡して、
発語というか声に出して読んでもらったりとかしたり、
あとそのライターのえみさんが皆さんにこうちょっと問いかけてくれて、場を開いてくれたりとか、
そういうのを繰り返しながら40分くらいの予定だったのに、
結局7時に終わる予定が8時くらいまでいっちゃって、
おー盛り上がった。
なんか静かにね、皆さんちゃんとなんか、
私がよく言うほら、たった今お互いがここにせっかくいるんだから、
今ここの上にお互いをちゃんと広げ合うみたいな感じのことが起きてて、
やっぱりその、なんだろう、みんな結構それぞれやっぱり言ってくれることの温度感とか違ってて、
面白かったです、なんか。
勉強になった。
松村さん自身はどういうことを話してくださるんですか?
その被写体の方のエピソードとか?
どういう思いでシーンを撮ってるかとかですか?
そうだね、なんで写真を撮ることにしたのか、
撮ってる写真っていうのは、原爆以降、
要するに原爆を受けて残ってる建物とか物体、木とかも、
そういうものとかの写真も撮ってるんだけど、
人間以外も?
人間以外も撮ってたんだけど、でもやっぱりそれだけだと片手落ちなのではないかっていうことで、
やっぱりそこにいた人間っていうのがなければって思ったと。
で、彼らの顔を見ていると、
もうただそこにあるだけで、やっぱりもうちょっと、なんて言うんだろう、
そういうことがあったことが含まれている顔だって思ったらしくて、
ちょっとごめんなさいね、言い方がこういう言い方で、
松村さんが言ってることとピッタリ合うかどうかちょっとあれなんだけど、
私の解釈だと。
で、結局もうポートレートをずっと撮り続けて来られてる。
もうこの15年、20年ぐらいって感じ。
石玉さん自身はやってみてどうでしたか?
やっぱり、私はホスト側でもあるから、
この場にいかに安全な気持ちで来てもらえるか、
安全な気持ちで佇んでもらえるかっていうことをむちゃくちゃ考えた、本当に。
もうこの1ヶ月何してたかって。
めっちゃ考えてたって書いてましたよね、インスタに。
この1ヶ月考えてたことは、この風と木のイベントで自分が何できるのか、
どういうふうにやればそういう場が作れるのかっていうことと、
参議院選挙の投票とAIのことを。
書いてたね。
もうこればっかり考えてました。
実際どうだったんですか?
8時まで続いたっていうのは、みんながそこにいて心地よかったから、
8時までイベントが続いたんじゃないですか?
私に言えることは、8時ぐらいまでいてくれる人がかなりいる場ではあったんだろうっていう、
新しい発見
結果論のところしかわかんないんだけど、
それは本当にいろんな人のいろんな、やっぱり口に出してもらわないとわからないこともたくさんあるから、
口に出さなくてもそこにいてくれる、居方でもわかる部分もいっぱいあるし、
でもやっぱり大きな意味で私はね、自分の体とか感覚で関係を取れるもののことしかわかんないんだよね。
だからそういうことをいろんな方がしてくださる場にはなってたなと思ってて、
だから本当にすごくいい時間でした。
そうですよね。
本当にいろんな人がいろんなこと喋ってくれてね。
気になる。
本当に今回やって、やっぱりみんな思ってることはたくさんあるけど、
口に出す機会がないっていうこともやっぱり来られた方もおっしゃられてたり、
何だろうな、そうですよね。
なんか一個ぐらい聞いてもいいですか?具体的にどんな発言があったとか言える範囲で。
でもやっぱり発言者にこれ言っていいかって受け取れてないから、
関係者も、でも私たち作る側もね、今回の企画で初めて知ったこととか考えたこと、出会ったことがいっぱいあって、
そういった意味合いで私たちも企画に訪れた人間ではある。訪れて初めて思ったこととか感じたことがあって、
そういったメンバーたちからやっぱり話が出たのは、
実際にいろいろな接し方をしている人たちの作品越しに、
自分たちも新しく戦争とか原爆とかそういうものと出会い直すことができたりっていうことが本当に起きたねってことと、
やっぱりその、イエス!ノー!放しろ!これはダメ!の間にあるところに私たちの思いがあるねっていうことですね。
でも確かに出会い直してありましたけど、
原爆教育の違い
下手したら小学校とか中学校の時に夏休みに出向日出てって、なんかつらい映像を見て、
戦争はダメ!絶対!みたいな。それで終わっちゃってる人も多いじゃないですか。
やっぱね、結構ハードなことだと思うんだよね。
ガイドとか、出会い方とかが、あの頃ってやっぱりそんなに設計されてない出会い方をすることも多かったと思うから、
なんか怖かったとかで止まってることとかもあると思うし、
今回企画をやってみて、やっぱりすごくこれは伝えれたら伝えたいなって明確に思ったことっていうのがやっぱりあって、
それは、実はその戦後の教育で原爆とかそういったものに対する教育っていうのが地域で実は全然違っているんだってこと?
私たちは今福岡にいるし、私もかずねも福岡育ちじゃん。
だから福岡は8月6日が投稿日っていうところが多分多くて、
で投稿したらその戦争の話とか原爆の話とか、広島の記念平和の式典のやつとかを見たりとかしてたと思うんだけど、
私に調べたからまだもっと正確なデータがあるんだと思うんだけど、
私の今のところの感覚だとやっぱり関西、大阪とかより伊東、名古屋とかあっちから東側の方は投稿日も別に8月6日とか9日とかの原爆の日と関連してないっぽいし、
その修学旅行先が原爆資料館じゃないっていう人たちもすごく多くて、
どっちかっていうとそっちの方が日本全体で見るとボリュームが多いわけよ、人口の。
とかみたいなこととかをね、やっぱり改めて感じるし、
あ、そんなの知りませんでしたっていう人がすごく多いってこととかもやっぱり知るし、私も知らなかったし、
みんなこの原爆とかの教育を受けてるんだと思ってたからさ。
たしかにね。
そう、そういうことと、あとやっぱり年代でもそれが変わっていっていて、
私が受けた教育と同じエリアで生まれて育った子たちが受けてる教育の中身もやっぱり変わっていて、
だからその辺が結構やっぱり体感覚的に違ってるから、
その辺はみんな実は知らないかもしれんけどこういうことがあってねっていうところはあることにしてていいのかもなっては思った。
風化と記憶
なんか良いとか悪いとかの話じゃないじゃん。
単純に本当に実際にそうで、インプットされてる情報が違うから考えるときの前提がみんな結構違っちゃってるんだよね。
生まれて育ったエリアで。
今思うのは戦争について多分いかに命が落とされたかを語られるじゃないですか。
命の話ですよね。命の話でもあるし、科学の発展の話でもあるし、政治的な話でもある。
多分いろんな切り口があるんだけど、命が落とされたっていうところだけが扱われてて、
もっと多面的に見れるけど、そこ実は知らないまま大人になっちゃったなとか。
日本の中でもどの県かによって違うし、年代も違うし、国越えたらどうなんかとか、また全然違う語られ方をしているから、
本当は語り尽くせないいろんな話があるんだけど、その機会は確かに少ないですよね。
だからやっぱりとにかくあることにしておくだけでも十分価値があると思うんだよね。ないことにじゃなくて。
だから風化もするし、記憶もできるから、それは風化してるっていうのに気づくことも、記憶していくってこともあるってところから始まるからね。
あるっていう認識から。
本当に素敵なタイトルだと思う。
また、いつでも実際に石玉に会った時とかに話しかけてください。何度でも話します。
というわけではみ出したいの皆さんは、カレーの話から始まったと思いきや、全然違うテーマで終わっていきますが。
でも夏ってところが共通項だからね。
この番組ではお便りも募集しておりまして、配送ってくださる方はこの番組を運営しているスタジオヒッチョのウェブサイト、番組のお便りはこちらからお寄せください。
人間って本当にどんだけ見てもやっぱ人間ですよね。
ギャップとマッチ。お届けしたのは石玉とカズネでした。
聞くほどに心がほぐれ、何かとの境界線が解けて、ちょっと豊かな気持ちになりますように。
29:25

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