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2025-08-21 11:56

42|【戦後80年】駅にも戦争があった③熊本・大分編~駅に残る弾痕…銃撃されたローカル線

ご乗車ありがとうございます。この番組では西日本新聞の“乗り鉄”記者が鉄道旅の魅力について広く深くマニアックに語っていきます。

80年前の太平洋戦争では、鉄道の駅も戦禍に見舞われました。戦後80年企画として「駅にも戦争があった」と題して、当時の記憶が残る九州各地の駅をご紹介します。3回目は熊本県の鹿児島本線大野下駅と南阿蘇鉄道中松駅、大分県の豊肥本線朝地駅、久大本線豊後森駅近くにある豊後森機関庫が舞台です。

なおこの配信回は、過去に西日本新聞朝刊「もっと九州面」で連載した「鉄ガクの旅」の記事内容にオリジナル要素を加えたものです。連載記事も併せてご覧ください。

【動画あり】鉄道記者が訪ねる戦争遺構 駅舎に弾痕、九州各地に(2020年7月15日配信)
https://www.nishinippon.co.jp/item/626117/

【動画】ホームに弾痕、戦争刻む駅を訪ねる 第2章(2021年7月14日配信)
https://www.nishinippon.co.jp/item/769746/

長崎原爆の被爆者救援「311列車」を追体験【鉄道の戦争遺構第3弾】(2022年7月13日付)
https://www.nishinippon.co.jp/item/955418/

長崎線が伝える原爆禍…未来への活用法を思う【鉄道の戦争遺構第3弾】
https://www.nishinippon.co.jp/item/955966/

◆旅人=中原岳(筑豊総局記者)、車掌=宮下雅太郎(MC/お客さまセンター) /音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネスマーケティング部)

◆収録日:2025年6月13日

◆中原岳記者の記事一覧
https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/79/

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サマリー

このエピソードでは、戦後80年を迎える際に熊本県と大分県に残る戦争の痕跡を持つ駅を紹介しています。特に、大野下駅や南麻生鉄道の中松駅、麻地駅における米軍機の銃撃の歴史とその記録の保存について話されています。また、ぶんごもり駅の近くに残る米軍機による機銃操車の跡が取り上げられ、鉄道が軍事輸送において重要な役割を果たしていたことが示されています。

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西日本新聞Podcast 西日本新聞 鉄ガクの旅
ご乗車ありがとうございます。この番組では、西日本新聞のノリ鉄記者が、鉄道旅の魅力について広く深くマニアックに語っていきます。
お案内します車掌は宮下正太郎、旅人は中原角さんです。中原さん、今回もよろしくお願いします。はい、よろしくお願い致します。
戦争の痕跡を残す駅
中原さん、今回のテーマを教えてください。はい、今回はですね、今年の2025年が戦後80年の節目にあたるということで、九州各地にある戦争の意向が残っている駅を順次ご紹介しておりまして、
1回目は福岡佐賀編、2回目は長崎県の駅をご紹介しました。今回は熊本県と大分県にある戦争の意向がある駅をですね、いくつかご紹介したいと思っております。
ご紹介したい駅は4駅あります。熊本県内は鹿児島本線の大野下駅、あと南安鉄道の中松駅、大分県ではほうひ本線の浅地駅、あと旧大本線のぶんごもり駅ですね。
はい、この4駅、いずれもですね、都市部ではなく、まあ言い方はあるかもしれませんけど田舎の方にあるんですね。田園地帯の中だったり山間にあったりとか。
でもこういった、いわゆる都市部じゃない駅ですけど、いずれも共通するのが米軍機の銃撃を受けたことがあるという共通点があるんですよ。
その後もですね、残ってる駅もありますので、これからちょっとご紹介していこうと思います。
まず一つ目がですね、鹿児島本線の大野下駅ということで、熊本県の北部にあります。
この大野下駅はですね、今駅舎が新しく建て替わったんですけども、建て替わる前の木造駅舎にはですね、天井の板に米軍機の銃撃を受けた断根が残っていたということで、
実はこの駅は建て替わったんですけども、その断根が残っている天井板が今もこの駅舎の中で保管されております。
YouTubeをご覧の方にはちょっとガラスが反射してわかりづらいかと思うんですけども、
ガラスのケースの中に昔の駅舎から取り出した断根が残る天井板が保存されております。
やっぱり断根なので、鋭く裂けるような跡が残ってますね。
少し簡単な案内文がありまして、米軍機ロッキードP-38の銃撃を受けた駅舎ですというふうな案内も残っております。
本当はこういった大野下の駅っていうのは、先ほど繰り返しますけど、本当に都市部じゃないんですよ。
確かに鹿児島本線という九州を南北に結ぶ交通の大動脈ではあるんですけれども、
それほど都市部にもないですし、駅そのものもそんなに大きいわけでもない。
だけどもそういう駅でも戦争が終わる頃には狙われていたと、そういう歴史を物語るものだなと思います。
この駅舎が建て替わるときに、地元の住民の方がこの駅舎を、なんとか銃撃された歴史を後世に残したいということで、
地元の住民の方が活動されたそうなんですね。
残念ながら駅舎本体は解体されてしまったんですけども、住民の方の要望を受けて、この天井板だけは残すことになったということで、
だから結構そういった駅の周りの住民の方の意思がなければ、もしかするとこの天井板も残らなかったかもしれないですね。
だからやっぱり戦争の悲劇を後世に伝えていこうという動きっていうのは、別に行政とか企業が主体になるものじゃなくて、
やっぱりそういった住民の方の意思っていうのも結構大事になってくるんじゃないかなというのは、そういったエピソードかなと思ったりします。
中松駅と麻地駅の戦争の記憶
次に南麻生鉄道の中松駅っていうところをご紹介します。
この南麻生鉄道っていうのは名前の通り麻生山の南側を通っている路線で、以前は国鉄時代は国鉄高森線という路線でした。
それが国鉄が赤字路線ということで、国鉄の路線としてはなくなって、
後に第三セクターの鉄道として南麻生鉄道がその路線を引き継いだんですけども、
その途中にある中松駅ですね、今YouTubeをご覧の方には写真が載ってるんですけども、
トロッコ列車が止まるということで、観光で乗った方も多いんじゃないかなと思います。
この中松駅なんですけども、本当に麻生山の南側の麓にある駅で、
戦争とは無縁のような環境にある駅なんですけども、実はこのホームの縁にですね、ちょっとえぐれたところがあるんですよ。
そこが実はですね、米軍機の襲撃を受けた弾痕だというふうに言われてまして、
実際その周りはですね、わかるように白い線で囲われております。
駅舎の方にもですね、看板が設置されていて、
国鉄高森線列車空襲についてというタイトルでですね、紹介されています。
それを読みますと、昭和20年1945年5月13日、中松駅に停車中の列車が米関西機による機銃損傷を受け、乗客に死傷者が出ました。
中松駅では駅のホームに銃弾の弾痕が残っています。
南郷谷で起きた戦争の歴史を後世に語り継ぐために、駅ホーム西側の弾痕をモニュメントとして残していますというふうにありますね。
という形でですね、本当ここも決して狙われるような、私たちの感覚からすると狙われるような場所ではないけれども、
こういったところの田園風景、広がるようなところでも戦争があった、しかもその舞台が駅だったというのがこうやって残ってるわけですね。
またこういうところしっかり残そう、先ほどの駅もそうですけど、後世に残そうという形で保存という保管されているのはすごく大事なことだなというふうに思います。
そうですね、この看板は南阿蘇村という署名があるので、村として役場としてこういった看板モニュメントを作ったんでしょうけど、こういった解説があるとよりわかりやすいですよね。
ただそういう弾の跡が残ってるっていうだけではなかなかですね、どういう被害があったのかわからないんですけども、
こういった日付も具体的に書いてもらうとですね、すごく理解が助けられますよね。
次にですね、大分県の法比本線にある麻地駅というところをご紹介したいと思います。
今YouTubeをご覧の方にはですね、麻地駅の駅名の看板を載せてますけども、隣の駅が文後武田という有名な武田のお城があるところなんですけれども、
その隣の駅の麻地駅、実はここは本当に緑豊かな山合いの駅なんですけれども、この麻地駅も機銃操作を受けたそうなんですね。
この麻地駅、駅舎はですね、建て替わってるんですけど、駅舎のですね、両サイドに少しわかりづらいんですけど、
貝塚いぶきというですね、木が両サイドに立っていて、背景の樹木とちょっと色が重なってしまってわかりづらいんですけども、
この貝塚いぶきにも米軍機の弾が当たって、跡がしばらく残っていたというふうに言われてるんですね。
この貝塚いぶきの木は本当に駅舎の入り口の両サイドにあるんですけども、ただですね、私現地訪ねて行った時にどれかなと思ってみたんですけど、結局わからなくて、
この駅の中に観光案内所のようなとこがあって、職員の方にも聞いたんですけど、だんだん木が成長して風化していって、やっぱり弾の跡がわからなくなったんですよねっていうふうにですね。
言われて、結果的にちょっと目視では難しかったんですが、ただ駅前にはですね、こちらも地元の方や文豪の地元の自治体が建てたんだと思うんですけれども、
戦争を伝える三本の貝塚いぶきというタイトルでですね、案内版があって、こちらも読み上げますけども、昭和20年1945年7月31日正午頃、つまり終戦記念日の2週間くらい前の話ですよね。
朝日駅に停車中の列車にアメリカの戦闘機が銃撃し、死亡者12名、負傷者40名という惨劇がありました。
熊本と大分の駅の戦争の記憶
今それを知っているのは校内にある三本の貝塚いぶきの弾痕だけですというふうにあるんですけど、その弾痕がわからなかったんですよね。
だからそんな形でですね、少しずつ木も成長するからですね、ある意味それは仕方のないことですけど、そういった形で記憶が消えていってるのかなと思います。
ただですね、この現地を訪ねた時にホームに待っている地元の方にちょっと話を聞いたんですけども、
この駅前に広場があって、夏休みになったらこの駅舎の前でですね、ラジオ体操をやってるそうなんですね。
その時に地元のお年寄りが子供たちにこの戦争の朝日駅の悲劇をですね、語り継ぐようなことをされてるという形もあったので、
だからこういった木は成長して弾痕が消えてしまってもですね、やっぱり記憶として残す方法は他にもあるんだなというのはそういった話から思いましたね。
そして最後にですね、大分県楠町のぶんごもりですね。
ぶんごもりというのは旧大本線の駅なんですけども、そのぶんごもりの近くにぶんごもり機関庫という機関車の車庫の跡があるのは結構有名に知られてますよね。
ただですね、このぶんごもり駅の近くのこの機関庫なんですけども、有名なのはこの内側向くというかですね、
昔の機関車の向きをぐるっと変えるターンテーブルがある方の構図が有名なんですけど、実はこの裏側にですね、米軍機の機銃操車を受けたですね、跡が残ってるんですよ。
ちょっとわかりづらいんですけど、このコンクリートの壁が所々えぐれているのがわかりますでしょうか。
わかります。
少し拡大してますけど、不自然にですね、穴がポツポツと開いてますよね。これが機銃操車の跡だというふうに言われてます。
ガラスが割れてるのはおそらく懸念劣化だろうと思うんですけれども、ただあれほど硬いコンクリートの壁にこれほどの穴がポツポツと開くっていうのは、いかに弾の威力が強いのかっていうのがわかりますね。
これも繰り返しますけど、鉄道というのは軍事輸送だとかですね、そういった要になっているので、やっぱり機関車の基地を狙うというのはある意味、列車が走り出せられなくなることになるので、
やっぱりアメリカ軍としても、やっぱりそういった当時の鉄道施設で機関車の車庫とか駅を狙うっていうのはそうなのかなというふうには思います。
落とし物、こちらって取材で何度か来たことがあって、いわゆる表側とか列車と背景っていうところでは撮られたことがあったんですが、まさかその裏側に戦争の意向があるとは、ちょっと存じ上げなかったですね。
鉄道と軍事輸送の関係
そうですね。なので、やっぱりこういったものももう少しPRというかですね、いろんな人に知っていただくような機会があるといいかなと思います。
今回熊本と大分の駅、戦争にまつわる駅はこういった形で、機銃操作を受けた駅が多いですよっていう話を最初したんですけども、
やっぱりこう、以前ですね、ある本を読んでた時にハッと思ったのがですね、やっぱりパイロットからすると線路って上からわかりやすいですよね。
だから線路自体に狙っていくと、どっかに必ず駅があって、どっかに必ず止まってる列車があってっていうので、だから線路上を走るっていうのはやっぱり狙われやすかったっていうのもあるんですね。
だからこう、線路自体にどんどん駅を襲撃していくっていうのがあったんだろうというふうに思います。
ということで今回はですね、熊本と大分にある戦争にまつわる駅をですね、ご紹介しました。
次回はですね、南九州鹿児島の駅と、あとですね、番外編として九州以外の駅もいくつかご紹介しようと思ってますので、次回もご乗車お待ちしております。
ご視聴ありがとうございました。
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