終わってないんですよね。
一旦遡りましょうか。
そうですね。
南又病って何ですかから、改めてちょっとお話した方がいいのかなと思ってます。
1956年の5月に公式確認っていう話だったんですけど、実際は1930年代から。
戦前からって言い方が。
戦前から。
現場は南又病で、熊本県の南の方には南又市が現場で。
そこにあったチッソっていう化学薬品のメーカーがあるんですけど。
そこが出していた工業排水によって、海に泳いでいる魚が汚染されて、それを食べた人たちが生涯をもってしまうというのが南又病なんですけど。
これが戦前からその製造自体は始まっていて、原因となるのが有機水銀って言われるもので。
ビニールを製造する過程で出てくるものなんですけど、当時高度経済成長期で、どんどんそれを作っていこうというので、やっていた時代に発覚した問題ですね。
これを食べてしまうと今ちょっと言ったみたいな震えが出るとか、立てなくなるとか、しゃべれなくなるとか。
水銀によっておのおの神経が傷つけられてしまって、視野が矯正、暑さを感じないと感覚障害とか。
いろいろなんです。
いろいろなんです症状が。本当に人によって多様で、当時はひどい方は数日数週間で亡くなってしまったりとか。
そうなんですね。
逆乱状態になったりとかしてっていう、そういうひどく症状が分かりやすいというとあれですけど、そういう方もいらっしゃるんですけど、今まだ戦っていらっしゃる方たちはそこまでではなかったり、軽い症状。
軽くはないんですけど、分かりにくい症状の方たち。目のまた病だというふうにはっきりと分かりにくいとされている人たちですね。
がまだいわゆる救済に至っていない。
取り残されている状況で。
救済に至った人っていうのもいるんですね。
いるんです。
これが。
被害が発覚してから、1956年に分かってからずっと原因が分からなくて、やっと水銀が原因だよって分かって1968年に排水が止まるんですよね。
1968年。
12年経ってるんですね。
ずっと流しっぱなしでやられてたんですけど、その後1974年に公害の被害者を救済するっていう公権法っていうのがあるんですけど、それによって患者認定してその認定された人には医療費を払いますという救済があります。
これでだいたい3000人ぐらいの方が対象に患者さんですねって認められて、窒素からお金をもらえるっていう。
窒素からお金をもらえる。
ですです。
原因授業から。
その制度自体は今も続いているんですけど、それでもかなり認定のハードルが高くて、みんなクリアできてなくてこれはおかしいというので裁判が繰り返し起こされてきて、政治決着というので。
法律によって政治によって救済された方たちが5万人ほどいらっしゃる。
3000人だったのが5万人認めても。
いやこれが難しいんですけど、その被害者とは認める、その医療保障の対象とは認めるんですけど、こういう三角形で考えてもらったらわかりやすくて、一番上がその3000人、患者とも認めるし医療保障もされる。
その下にいるのがその5万人の人たちで、この人たちは患者ではないんですけれども、救済の対象ではあるっていう認め方をして。
なので額とかも全然違うんですよ。
その認められる保障の手厚さも違うし、ハードルが違う分そこが難しいところなんですけど。
であって、ただこの3000人と5万人認めてもらったけど、さらにそこでも認めてもらえなかった人たちが、またそのピラミッドで言ったらおかしいけど、
まだ救えてない人たちがたくさんいらっしゃるという。
そこの争いがある種今も続いている。
今も続いてますね。
そういうことなんですね。
それこそ今年の春、4月ですかね。
南多に行かれて取材をされたんですけども、そのあたりの様子から今日は。
そうですね。
いわゆる歴史的な背景みたいな話は一旦、たぶんこのあたりまでは、そうそう僕も小学校か中学校で習ったってリスナーの方もね、たぶん各世代そう思ってらっしゃると思います。
そうですね。
そうだったよなって言って頭整理されたと思うんで。
じゃあ今年の春、ピラミッドさん取材に行かれて。
私も担当になって、今年の南多病は何かなと思ったときに、やっぱり去年、混乱の場で被害者の男性が話されている途中で時間切れですよって職員がマイクを切った問題があったんですよね。
大騒ぎになりましたよね。
ですよね。
あれで環境省の大臣が来て謝罪をしたり、再混乱の場を設けたりって結構過言が残ったと思うんですけど、実際テレビとか新聞とかで見てるような血も涙もない職員さんの、そういう冷たく聞き入れないみたいな立場のイメージが私もすごく強かったんで、
取材を始めてみると、国の職員さんですごく現場の方に慕われてるって言ったら変ですけど、食い込んでる方がいるなーって。
去年の夏ぐらいですかね、お会いすることがあってずっと気になってて、その方に今年の4月取材をして、職員さんもいろんな思いでやってるんだなっていうのがわかったので記事にしました。
なるほど、それこそyoutubeをご覧の方ならなんですけども、ちょうど4月に取材に行ったって時のお写真がこれで、環境省の職員さんが。
これ地蔵掘りっていう、源の山の奥で患者さんやその被害者の方とか任員のそれこそ石森美智子さんとか生きていらっしゃるとき関わられてる団体さんが地蔵掘りっていって、いろんな思いの祈りを捧げるために石をコンコンコンって杭で掘る。
地蔵掘りの。
文字通りお地蔵さんを掘る。
本当にお地蔵を掘る活動が毎月あっていて。
毎月されてるんですね。
ですですです。それに毎月参加されていたっていう職員さんがいらっしゃって、今この方福島の方に移動になっちゃって。
今後とは関係ないんですけど、いまだに定期的に通われてるっていうのでちょっと同行したときの写真。
なんかさっき平美音さんが言った話で、それが僕側に右側の写真の男性がそうで、平美音さんが左のジャンバ着てる方は。
支援者さんになりますね。
なるほど。
南田の方。
ここは南田でこの方のところでやっている。
ここはすごくこういろんな方が来られるんですよ。
本当に認定された患者さんもいらっしゃいますし、認定されてない被害者さんもいらっしゃいますし。
県の職員さんとか支援者の方とか本当に立場関係なくいろんな方がここに来て、ボソボソ喋りながらコツコツ掘って、ちょっと休憩しようかって言って、お茶飲んでお菓子食べて語らうっていうすごく穏やかな場所なんですけど。
確かにそんな感じですよね。
こんなところに敵じゃないですけど、国の職員さんが行ってるんだってことがまずびっくりだった。
少なくともこの写真を見る限り意外に会ってないでしょ。
英語の漢字じゃ全然ないんですよ。よく見る答えになってないじゃないかみたいな、ああいうやりとりとかじゃない、マイクを切るとかそんな感じじゃないのがまずびっくりして、そこでしかも結構込み入った話もするんですよね。ぶっちゃけ話じゃないですけど。
実際国はどう思ったんですかね。
そうです。
だから各々近々ですよと。
こういうとこもあって難しいとか、でもこういうところはせないかと思っとるとか、そういう話を結構砕けて、全部オフレコだと思うんですけど、その話をこの場ではしてて。
この清家さんという男性の職員さんなんですけど、マイク切りの現場に本当に大臣の後ろにいらっしゃった当事者の方でいらっしゃるので、こんな距離感で話してくれるんだじゃないですけど、周りの方も受け入れて話ができるんだっていうのがまずすごくギャップっていうか、
国に持ってたイメージとも被害者に持ってたイメージとも私が違う場を見たなって感じがしました。
その昨日今日じゃそうならないじゃないですか。
どう考えたって。
その方はそのなんですか。
すごい身体が。
ということは平美さんと一緒で今日初めて来ましたじゃないわけでしょ。
じゃないですじゃないです。
この方は何年からだったかな。
もうミナマタ病の担当になって2021年から担当になってるんです。
2021年。
そんなに前じゃないね。3年前4年前ぐらい。
去年の夏に移動されていて、その期間の間に80回以上ミナマタに通ってきて、家は東京なんです。
家は東京なんですね。
家は東京の霞ヶ関で仕事をされていて、ミナマタ病の担当ですってなってから80回以上訪問されてて。
仕事でミナマタ病当然来るでしょ。
出張でしょって聞いたら、市費も3分の1ぐらいは市費ですみたいな。
当然仕事から通うのが仕事ですけど、だけじゃない。
そうなんですよ。プライベートでも来てる。市費でも来てるし、もちろん出張でも来るし。
そういうふうに自発的に通ってるっていうので。
そして今も担当を離れて、環境省の職員さんですから、今度福島っていうのはいわゆる復興のためですか?東日本の。
福島原発の中間貯蔵施設とかに行って、地域とまた同じように山表に立つお仕事が多いですねって私も言ったんですけど。
本当にそういう仕事をしながらこの日も福島から東京博多と経由して、ミナマタに入られて地図を掘って帰られたんですけど。
すごいですね。すごいっていう言い方が正しいのが。
なんでそんなにできるんですかみたいなことを聞いていったのが結構面白くて。
そうなんですね。それこそ、じゃあどんな人なんですかって話しましょうか。
この方は環境省に第一希望で入られたので言って、もともと環境問題とか包外とか興味があって、将来に責任を押し付けたくないという。
思いから環境省にキャリアで入っている、ガツガツ出世していくのを目指される一般的に考える方なんですけど。
ミナマタ病の担当に2021年からなって、やっぱり自分に何ができるんだろうって最初は思ったらしいです。
今もそうやって混乱が続いている中で、でも国としてはそのできるできないのがスタンスってはっきりしているので、どこまでできるんだろうって。
最初はその官僚答弁だって言って、すごくきつく追求されたこともあったそうです。
例えば何か健康調査のことを求められていても、今は検討中ですって。
でもこうじゃないか、いやでも検討中です、検討中ですって何度も繰り返して、何も対応が深まらないし。
これじゃあ自分できることはこれでいいんだろうかというので、個人としての立場なら自分でも何かできるんじゃないか。
できることを探したいみたいな気持ちで通われ始めたって言ってました。
苦しい立場だろうなとは思いますよね。
いくら個人とはいえ、いわゆる環境省の職員さんですから、
寄り添ってあげたいけど、
無責任なことは言えない。
そういう時に尾形さんっていう認定患者のご家族であって、ご自身もいろいろ訴えとかを起こして来られた方がいるんですけど、
そういう方から責任っていう言葉の意味がわかるかみたいなことを問われたことがあって、
責任っていうのは英語の語源で言ったら応答なんですよ。
答え、アンサーの応答ですね。
日本だと保障とか救済とか、
金銭的なものや法的なものに捉えがちだけど、応答ってアンサーだから問いに対して何て答えるかっていうのが責任だから、
それは人それぞれであっていいんじゃないのかみたいなことを言われて、
そこで振り切れたじゃないですけど、自分なりにできること、職員としてできることと、人として、一人の人間としてできることを考えるようになったって言われてましたね。
プライベートでも友達を連れて水玉田に行ったりとか。
友達連れて行ったりとか。
ご家族連れて行ったりとかして、少しでも知ってもらおうみたいなことはされたって言ってました。
難しい。職員さんなので、とはいえ国の職員なので、できることあるだろうって言いたくなるんですけど、そこがすごく答えがないというか。
自分が逆の立場だったらどうするだろうなって思いました、その時は。
いや、思いますよね。
行きたくないじゃないけど逃げ出したくなるとかね。
そんなこと言っちゃダメだけど、そう思っちゃいますよね。
私は思ったので。
自分と行くだけでもある意味辛い出張だと思うんですよ。
また責められるって答えてあげられない、できないものはできないっていう苦しさがあるのかなと思っていたら、その中でも行動に移してる方だったので、
やっぱり被害者団体の方たちもそれは伝わるみたいで、毎月地蔵を掘りに来てるとか、ご飯食べる会とか会合があったりするのも結構顔を出して、顔を見せて、
表の場では言えなくても平場では現って話しましょうよっていうのをやってこられたからか、すごく最後は惜しまれながらという。
なるほど、なんで転機しちゃうのよと。
あなたは良かったみたいな感じで言ってもらった。私もその現場を見てたので、こんなに惜しまれる国の職員さんいるんだと思って。
そうですよね。
すごく。
言い方はあれですけど、敵味方みたいなもんですからね。
そうなんですよ、敵で肉たらしいのかなと思ってたんですけど、あなたが人としてなんとか良い方向に持っていこうとしてる姿勢は伝わるからみたいな風にある被害者団体、救済求めてる男性の方とか言われてましたし、
とはいえ、ただ怪獣してるだけだとか、いいくれ目をようとしてるだけだっていう風に見える方も中にはいらっしゃるので、そこは捉え方なんですけど。
いい格好してるだけじゃないかって言い方ですよね。