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2025-06-02 21:44

34|水俣病(前編)国と被害者の間で 環境省職員、果たすべき責任自問 公害救済、声聞いてこそ

西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。

4月中旬、熊本県水俣市の山中で行われていた「地蔵彫り」。水俣病の患者や被害者、支援者、行政関係者などが、お茶やお菓子を囲んで語らい、地蔵を彫りながら犠牲者に祈りをささげる活動です。平峰麻由記者は、そこに、ひとりの環境省職員が来ると聞いて同行しました。

◆出演:平峰麻由(報道センター)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年5月19日

◆水俣病、国と被害者の間で 環境省職員、果たすべき責任自問 公害救済、声聞いてこそ
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サマリー

水俣病について議論が行われており、歴史的背景や現状の救済問題が話されます。公害による被害が未解決の状態の中で、国と被害者の関係性が強調され、職員の責任感と被害者への理解が深まっています。環境省の職員は、水俣病をテーマに、自らの責任を考え、被害者と向き合う姿勢を示します。彼は国としての限界と個人としてできることを探しながら、被害者団体との接触を続け、新たな気づきを得ていきます。

水俣病の歴史
西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回は、前回、少し前の回になると思うんですけど、西鉄バスの計画運休の話をしてもらいました、平美音さんに来ていただいております。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はですね、話題はガラッと変わりました。
そうですね。
西鉄バスの取材をする同じ記者さんが、水俣病も取材を今されているという話で。
勉強しました。
勉強されました。
はい。
紙面としては、4月の末から5月に計画を認めて掲載されますよね。
はいはい。
これはどういった理由があって。
5月1日っていうのが、水俣病の大きな節目になるんですけど、水俣病が1956年の5月1日に初めて保健所に届け出があって、公式確認されたっていうのが5月1日。
公式確認、1956年。
だから来年70年。
来年70年。
来年70年になる。69年前の5月1日。
毎年その慰霊式典、慰霊者追悼慰霊式典っていうのが5月1日に水俣市で開催されていて、それを弊社でも毎年総力を挙げて取材をしているというのが5月1日。
なるほど、5月1日なんですね。
それにしても69年なんですね。
もう、だから学校で習う、こうね、痛い痛い病とか、四日市前足とかみたいな。
もうそれを言おうと思って。
僕49歳だけど。
当時、何年前の小学校で習う?
そうですよね。
40年前、小学校で習いました。
本当にその時は、ある意味、昔こういうことがありましたっていう。
多分、そう教えたかどうかは別としても、生きとる僕らとしては、戦後間もない頃、こういった後害がありました。
ありましたっていう習い方だったと。
そうですよね。
もう、白黒のこう、震えてる子どもとか。
写真がね、ちょっと社会の教科書に売ってたりして。
そういうイメージですよね。
これがまだ解決に至ってないと。
至ってないので、毎年こうやって式典をやってから、
本団っていうのを国の担当者と被害者団体とが場を設けて、訴えをして、回答があってっていうことを繰り返しているという。
なるほど。
被害者救済の現状
終わってないんですよね。
一旦遡りましょうか。
そうですね。
南又病って何ですかから、改めてちょっとお話した方がいいのかなと思ってます。
1956年の5月に公式確認っていう話だったんですけど、実際は1930年代から。
戦前からって言い方が。
戦前から。
現場は南又病で、熊本県の南の方には南又市が現場で。
そこにあったチッソっていう化学薬品のメーカーがあるんですけど。
そこが出していた工業排水によって、海に泳いでいる魚が汚染されて、それを食べた人たちが生涯をもってしまうというのが南又病なんですけど。
これが戦前からその製造自体は始まっていて、原因となるのが有機水銀って言われるもので。
ビニールを製造する過程で出てくるものなんですけど、当時高度経済成長期で、どんどんそれを作っていこうというので、やっていた時代に発覚した問題ですね。
これを食べてしまうと今ちょっと言ったみたいな震えが出るとか、立てなくなるとか、しゃべれなくなるとか。
水銀によっておのおの神経が傷つけられてしまって、視野が矯正、暑さを感じないと感覚障害とか。
いろいろなんです。
いろいろなんです症状が。本当に人によって多様で、当時はひどい方は数日数週間で亡くなってしまったりとか。
そうなんですね。
逆乱状態になったりとかしてっていう、そういうひどく症状が分かりやすいというとあれですけど、そういう方もいらっしゃるんですけど、今まだ戦っていらっしゃる方たちはそこまでではなかったり、軽い症状。
軽くはないんですけど、分かりにくい症状の方たち。目のまた病だというふうにはっきりと分かりにくいとされている人たちですね。
がまだいわゆる救済に至っていない。
取り残されている状況で。
救済に至った人っていうのもいるんですね。
いるんです。
これが。
被害が発覚してから、1956年に分かってからずっと原因が分からなくて、やっと水銀が原因だよって分かって1968年に排水が止まるんですよね。
1968年。
12年経ってるんですね。
ずっと流しっぱなしでやられてたんですけど、その後1974年に公害の被害者を救済するっていう公権法っていうのがあるんですけど、それによって患者認定してその認定された人には医療費を払いますという救済があります。
これでだいたい3000人ぐらいの方が対象に患者さんですねって認められて、窒素からお金をもらえるっていう。
窒素からお金をもらえる。
ですです。
原因授業から。
その制度自体は今も続いているんですけど、それでもかなり認定のハードルが高くて、みんなクリアできてなくてこれはおかしいというので裁判が繰り返し起こされてきて、政治決着というので。
法律によって政治によって救済された方たちが5万人ほどいらっしゃる。
3000人だったのが5万人認めても。
いやこれが難しいんですけど、その被害者とは認める、その医療保障の対象とは認めるんですけど、こういう三角形で考えてもらったらわかりやすくて、一番上がその3000人、患者とも認めるし医療保障もされる。
その下にいるのがその5万人の人たちで、この人たちは患者ではないんですけれども、救済の対象ではあるっていう認め方をして。
なので額とかも全然違うんですよ。
その認められる保障の手厚さも違うし、ハードルが違う分そこが難しいところなんですけど。
であって、ただこの3000人と5万人認めてもらったけど、さらにそこでも認めてもらえなかった人たちが、またそのピラミッドで言ったらおかしいけど、
職員の思いと被害者との関係
まだ救えてない人たちがたくさんいらっしゃるという。
そこの争いがある種今も続いている。
今も続いてますね。
そういうことなんですね。
それこそ今年の春、4月ですかね。
南多に行かれて取材をされたんですけども、そのあたりの様子から今日は。
そうですね。
いわゆる歴史的な背景みたいな話は一旦、たぶんこのあたりまでは、そうそう僕も小学校か中学校で習ったってリスナーの方もね、たぶん各世代そう思ってらっしゃると思います。
そうですね。
そうだったよなって言って頭整理されたと思うんで。
じゃあ今年の春、ピラミッドさん取材に行かれて。
私も担当になって、今年の南多病は何かなと思ったときに、やっぱり去年、混乱の場で被害者の男性が話されている途中で時間切れですよって職員がマイクを切った問題があったんですよね。
大騒ぎになりましたよね。
ですよね。
あれで環境省の大臣が来て謝罪をしたり、再混乱の場を設けたりって結構過言が残ったと思うんですけど、実際テレビとか新聞とかで見てるような血も涙もない職員さんの、そういう冷たく聞き入れないみたいな立場のイメージが私もすごく強かったんで、
取材を始めてみると、国の職員さんですごく現場の方に慕われてるって言ったら変ですけど、食い込んでる方がいるなーって。
去年の夏ぐらいですかね、お会いすることがあってずっと気になってて、その方に今年の4月取材をして、職員さんもいろんな思いでやってるんだなっていうのがわかったので記事にしました。
なるほど、それこそyoutubeをご覧の方ならなんですけども、ちょうど4月に取材に行ったって時のお写真がこれで、環境省の職員さんが。
これ地蔵掘りっていう、源の山の奥で患者さんやその被害者の方とか任員のそれこそ石森美智子さんとか生きていらっしゃるとき関わられてる団体さんが地蔵掘りっていって、いろんな思いの祈りを捧げるために石をコンコンコンって杭で掘る。
地蔵掘りの。
文字通りお地蔵さんを掘る。
本当にお地蔵を掘る活動が毎月あっていて。
毎月されてるんですね。
ですですです。それに毎月参加されていたっていう職員さんがいらっしゃって、今この方福島の方に移動になっちゃって。
今後とは関係ないんですけど、いまだに定期的に通われてるっていうのでちょっと同行したときの写真。
なんかさっき平美音さんが言った話で、それが僕側に右側の写真の男性がそうで、平美音さんが左のジャンバ着てる方は。
支援者さんになりますね。
なるほど。
南田の方。
ここは南田でこの方のところでやっている。
ここはすごくこういろんな方が来られるんですよ。
本当に認定された患者さんもいらっしゃいますし、認定されてない被害者さんもいらっしゃいますし。
県の職員さんとか支援者の方とか本当に立場関係なくいろんな方がここに来て、ボソボソ喋りながらコツコツ掘って、ちょっと休憩しようかって言って、お茶飲んでお菓子食べて語らうっていうすごく穏やかな場所なんですけど。
確かにそんな感じですよね。
こんなところに敵じゃないですけど、国の職員さんが行ってるんだってことがまずびっくりだった。
少なくともこの写真を見る限り意外に会ってないでしょ。
英語の漢字じゃ全然ないんですよ。よく見る答えになってないじゃないかみたいな、ああいうやりとりとかじゃない、マイクを切るとかそんな感じじゃないのがまずびっくりして、そこでしかも結構込み入った話もするんですよね。ぶっちゃけ話じゃないですけど。
実際国はどう思ったんですかね。
そうです。
だから各々近々ですよと。
こういうとこもあって難しいとか、でもこういうところはせないかと思っとるとか、そういう話を結構砕けて、全部オフレコだと思うんですけど、その話をこの場ではしてて。
この清家さんという男性の職員さんなんですけど、マイク切りの現場に本当に大臣の後ろにいらっしゃった当事者の方でいらっしゃるので、こんな距離感で話してくれるんだじゃないですけど、周りの方も受け入れて話ができるんだっていうのがまずすごくギャップっていうか、
国に持ってたイメージとも被害者に持ってたイメージとも私が違う場を見たなって感じがしました。
その昨日今日じゃそうならないじゃないですか。
どう考えたって。
その方はそのなんですか。
すごい身体が。
ということは平美さんと一緒で今日初めて来ましたじゃないわけでしょ。
じゃないですじゃないです。
この方は何年からだったかな。
もうミナマタ病の担当になって2021年から担当になってるんです。
2021年。
そんなに前じゃないね。3年前4年前ぐらい。
去年の夏に移動されていて、その期間の間に80回以上ミナマタに通ってきて、家は東京なんです。
家は東京なんですね。
家は東京の霞ヶ関で仕事をされていて、ミナマタ病の担当ですってなってから80回以上訪問されてて。
仕事でミナマタ病当然来るでしょ。
出張でしょって聞いたら、市費も3分の1ぐらいは市費ですみたいな。
当然仕事から通うのが仕事ですけど、だけじゃない。
そうなんですよ。プライベートでも来てる。市費でも来てるし、もちろん出張でも来るし。
そういうふうに自発的に通ってるっていうので。
そして今も担当を離れて、環境省の職員さんですから、今度福島っていうのはいわゆる復興のためですか?東日本の。
福島原発の中間貯蔵施設とかに行って、地域とまた同じように山表に立つお仕事が多いですねって私も言ったんですけど。
環境省職員の責任
本当にそういう仕事をしながらこの日も福島から東京博多と経由して、ミナマタに入られて地図を掘って帰られたんですけど。
すごいですね。すごいっていう言い方が正しいのが。
なんでそんなにできるんですかみたいなことを聞いていったのが結構面白くて。
そうなんですね。それこそ、じゃあどんな人なんですかって話しましょうか。
この方は環境省に第一希望で入られたので言って、もともと環境問題とか包外とか興味があって、将来に責任を押し付けたくないという。
思いから環境省にキャリアで入っている、ガツガツ出世していくのを目指される一般的に考える方なんですけど。
ミナマタ病の担当に2021年からなって、やっぱり自分に何ができるんだろうって最初は思ったらしいです。
今もそうやって混乱が続いている中で、でも国としてはそのできるできないのがスタンスってはっきりしているので、どこまでできるんだろうって。
最初はその官僚答弁だって言って、すごくきつく追求されたこともあったそうです。
例えば何か健康調査のことを求められていても、今は検討中ですって。
でもこうじゃないか、いやでも検討中です、検討中ですって何度も繰り返して、何も対応が深まらないし。
これじゃあ自分できることはこれでいいんだろうかというので、個人としての立場なら自分でも何かできるんじゃないか。
できることを探したいみたいな気持ちで通われ始めたって言ってました。
苦しい立場だろうなとは思いますよね。
いくら個人とはいえ、いわゆる環境省の職員さんですから、
寄り添ってあげたいけど、
無責任なことは言えない。
そういう時に尾形さんっていう認定患者のご家族であって、ご自身もいろいろ訴えとかを起こして来られた方がいるんですけど、
そういう方から責任っていう言葉の意味がわかるかみたいなことを問われたことがあって、
責任っていうのは英語の語源で言ったら応答なんですよ。
答え、アンサーの応答ですね。
日本だと保障とか救済とか、
金銭的なものや法的なものに捉えがちだけど、応答ってアンサーだから問いに対して何て答えるかっていうのが責任だから、
それは人それぞれであっていいんじゃないのかみたいなことを言われて、
そこで振り切れたじゃないですけど、自分なりにできること、職員としてできることと、人として、一人の人間としてできることを考えるようになったって言われてましたね。
プライベートでも友達を連れて水玉田に行ったりとか。
友達連れて行ったりとか。
ご家族連れて行ったりとかして、少しでも知ってもらおうみたいなことはされたって言ってました。
難しい。職員さんなので、とはいえ国の職員なので、できることあるだろうって言いたくなるんですけど、そこがすごく答えがないというか。
自分が逆の立場だったらどうするだろうなって思いました、その時は。
いや、思いますよね。
行きたくないじゃないけど逃げ出したくなるとかね。
そんなこと言っちゃダメだけど、そう思っちゃいますよね。
私は思ったので。
自分と行くだけでもある意味辛い出張だと思うんですよ。
また責められるって答えてあげられない、できないものはできないっていう苦しさがあるのかなと思っていたら、その中でも行動に移してる方だったので、
やっぱり被害者団体の方たちもそれは伝わるみたいで、毎月地蔵を掘りに来てるとか、ご飯食べる会とか会合があったりするのも結構顔を出して、顔を見せて、
表の場では言えなくても平場では現って話しましょうよっていうのをやってこられたからか、すごく最後は惜しまれながらという。
なるほど、なんで転機しちゃうのよと。
あなたは良かったみたいな感じで言ってもらった。私もその現場を見てたので、こんなに惜しまれる国の職員さんいるんだと思って。
そうですよね。
すごく。
言い方はあれですけど、敵味方みたいなもんですからね。
そうなんですよ、敵で肉たらしいのかなと思ってたんですけど、あなたが人としてなんとか良い方向に持っていこうとしてる姿勢は伝わるからみたいな風にある被害者団体、救済求めてる男性の方とか言われてましたし、
とはいえ、ただ怪獣してるだけだとか、いいくれ目をようとしてるだけだっていう風に見える方も中にはいらっしゃるので、そこは捉え方なんですけど。
いい格好してるだけじゃないかって言い方ですよね。
被害者との関係
怪獣してるだけじゃないかって言われてる方もいました。
そういう、なんていうか、普段混乱の場とかだけ見てるだけじゃわからない現場、地べたのやりとりがあるんだなっていうのが、あの前くぎりがあったから、ちょっと自分も知りたいなと思って。
そうですよね。あの前くぎりがあった時って、やっぱりその環境省には本当のこと伝わってないんだろうな。だからこんなことするんだろうなっていうのが印象でした。去年。
そうですよね。
その。
ひどいことするなって思いますよね。
ひどいことするなって。
実際聞きに来てるのに聞く気ないじゃないかっていうのが。
ところが、今回取材すると、だからその去年の前くぎりというのもその一面かもしれないけど、こういう方がいるっていうのもまた別の面としてあるってことですよね。
そうですね。生た病の問題の複雑さじゃないですけど、被害者の方たちもそうやって好意的に受け止める方と否定的に受け止める方の団体さんにもいろいろいらっしゃるので、僕そこは2,3年にかけて現地に足を運んだ生計さんだからできたこともあるんでしょうし。
ちょっとですね、続きを聞きたいところなんですが、実は時間がね、もうね、いい感じになって、そのみなまた病の難しさっていう部分をその次回ちょっと回して、もう少しお聞きしたいなというふうに思います。
歴史が長いですからね。
そうですもんね。
一旦じゃあ今週はここまでということでエンディング出します。ここまで聞いていただきありがとうございます。ひらみねさんの記事を読みたい、この番組を応援したいと思っていただけましたら、ぜひ西日本新聞もしくはスマホアプリの西日本新聞ミーのご購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
どうも、西日本新聞ミーです。このアプリではあなたの知りたい記事から福岡の経済、社会、子育て、教育、イベント情報、ライブカメラ、マップでわかる防犯情報に特集記事、調査を依頼できるあなたの特命取材班速報。
そう、福岡の味方西日本新聞ミー。今すぐダウンロード。西日本新聞。
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