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2025-06-09 20:37

35|水俣病(後編) 「マイク切り」から1年、環境相と水俣病患者・被害者団体が懇談

西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。

5月1日に開催される水俣病犠牲者慰霊式を前に、浅尾慶一郎環境相と患者・被害者6団体との懇談が開かれました。現地を取材した平峰麻由記者から話を聞きます。


◆出演:平峰麻由(報道センター)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)◆収録日:2025年5月19日◆水俣病、国と被害者の間で 環境省職員、果たすべき責任自問 公害救済、声聞いてこそhttps://www.nishinippon.co.jp/item/1345929/◆平峰麻由記者の記事一覧https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/296/◆西日本新聞me(無料ダウンロード)https://nnp.link/3B8F9X1◆西日本新聞(紙)購読申込はこちらhttps://f.msgs.jp/webapp/form/16701_jsy_1/index.do◆西日本新聞Podcast番組一覧https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1294904/◆X公式アカウント:「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。https://x.com/nishinippon_poc◆番組はYouTubeでも配信してますhttps://www.youtube.com/@N-StudioTENJIN/featured◆メッセージ受付フォームhttps://x.gd/O5RFS◆収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)https://n-studiotenjin.jp/#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞mePodcast #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #水俣病


サマリー

水俣病の患者認定のハードルの高さや救済法の問題が議論されており、被害者の苦しみが伝えられています。懇談を通じて、政府の姿勢や対応の不十分さが浮き彫りになり、被害者たちの声が聞き入れられることに対する期待と失望が交錯しています。水俣病問題に関する懇談が行われ、環境相と患者・被害者団体との対話の重要性が強調されています。記録の重要性や政治家の理解が求められる中、70年目を迎える水俣病への関心を持つことの大切さが伝えられています。

水俣病の理解
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この番組では、西日本新聞の記者が、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれをお話ししています。
こんにちは。福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回は前回に引き続き、平美根記者に来ていただいています。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
引き続き、水俣病の…
水俣病、生家さんの回は難しかったですね。話をするのが。
伝えたいのは、生家さんといういい人がいるんですよ。
じゃないんですよね。
じゃないんですもんね。
やっぱり国の職員さんであって、彼がやったことはそうなんですけど、国が今までやってきたことと、今回の懇談でやったことっていうのを見ると、やっぱりちょっと何とかならんのかっていうふうに思う。
難しいんですよね。
難しさっていうのを本当。
ただそんな中でも、いわゆる去年の前区切りじゃないけども、やっぱり職員さんの中でも思いがあって仕事をされている方もいるっていうことを伝えたいですよね。
そうなんですよね。私、被害者も追求しますけど、みんな人間としてちゃんと交流しながら、腹割って話したりしながら、歩み寄ろうと何とかっていうふうにやり続けているっていうのを。
そういうことですね。
オフの場面を知ってほしかったっていうことですよね。
記事だったんですけど。
で、さっきのとおりで、ミナマタ病が難しいというのは。
難しい。
今なお解決できない。
これは大きくは2つあると思うんですけど、まず患者認定って前回も言ったんですけど、すごくハードルが高くて。
今、お元気でとか生きていらっしゃる方たちの中に、あの患者認定基準をクリアできる方っていらっしゃらないんですよね。
ハードルがすごく高くて、感覚障害とか視野共作とか、代表的な症状を複数ないとっていうような国が旧環境省が出しているので、そういったルールをですね。
それはまず難しいだろう。
今言われているその2点目っていうのが、なぜ救済法の対象にならないのかっていうところなんですけど、救済法って2004年に最高裁の判決で、国と企業に責任があった、加害責任があったっていうのを認められて始まった救済法律で被害者を認めて医療費補助をするっていう制度が始まったんですけど、
まずこれ2年10ヶ月、3年弱で打ち切られてるんですよ。申請自体がまず。
じゃあ今から申請してください。
できません。
3年弱で申請期間が終了です。
終了しました。この期間に早くやってくださいって言って呼びかけて、まだできなかった。今なので訴え起こしている方たちは、まず差別や偏見を恐れて申請ができなかった方。
そういうことになるんですか。
はい、いらっしゃるんです。
3年もあれば、今日の明日知ってくださいって言われてるわけじゃないわけで、3年もあればある種の十分な期間があったとは言えなかったんです。
言えないんですね。当時はまだそういう。
ですし、ご自身がミナマタ病であるということを自覚して受け止めて申請するって結構何フェーズかあって、まず症状があることとミナマタ病を結びつけることであるとか、その後受け入れて他者に言うっていうところ、ハードルがある。こういう期間のハードルがあったこと。
そうか。差別か。そうですよね。自分がミナマタ病だということになってしまうと、そこから先言いませんけど、やっぱりそのいろんなことを考えちゃうってことですよね。
歴史的にとてもミナマタもんだって言われたりとか、いろんな目にあってきてるので、ミナマタ病にまつわる方たちは。そういうのを恐れて言い出せなかったりとか、そもそも基準で弾かれる方も、やっと申請できても弾かれる方もたくさんいらっしゃって。
症状がミナマタ病って震えであるとか、麻痺であるとか、過励とか他の病気の症状と重なる部分が多い病気なんですよね。なので、ミナマタ病であるっていうことを証明するためには、その時代にその地域でその魚を食べましたっていうことを証明しなきゃいけなくって。
救済法の問題点
それがその対象のエリアに住んでましたとか、対象の年代にいましたとかいう基準があるんですけど、それを満たせなかった方っていうのは、食べたっていうこと、レシートなんか取んねえ、何十年前のものとか取ってるはずがないですし、地域、エリアっていうのは魚を泳ぐので、かなりそれより広範囲なんですよね。
そりゃそうですよね。
普通に考えたらわかることなんですけど。
そりゃそうですよね。
地域が絞られてあるんですけど、ちょうどその色がついてないこの町に住んで魚を食べた、子供の頃食べた。
いわゆる隣町だったとか。
そういう方もたくさんいらっしゃいますし。
食べて、証明はまずできない。当時だから勇気を持って申請をしてもそれではじかれてしまって、今だから患者とも認められていないし、救済の対象でもないし、だけれども長らく震えとか、痺れとか、小村帰りとか、夜中何回も足つるとか、きつくて家事ができない日があるとか、
そういうとてもとても大きいものではないかもしれないですけど、生活の質を著しく落とすというか、治るものじゃないからですね、これが。
すごく苦しまれている方が今もたくさんいらっしゃって、訴訟を起こしているという状況なんですよね。
なるほど。
千引きは必要なんでしょうけど。
その千引きが必要だっていうのは、わからん話じゃない。
手を挙げればみんなですってわけない。
もちろんなんですけど、そういったふうに国はこれまで救済を締め切るであるとか、訴訟が起きて司法の判断が出ないと法律もできないしっていうふうな、かなり後ろ向きな、救ってあげようという姿勢が全く見て取れない対応を、
ずっとこの69年続けてきているっていうわけなんですよ。
その裁判で言われたから、言い方は悪いですけど、その範囲、そうですよね。
積極的に救おうというよりも、ちょっと消極的なんですね。
国がルールを決めて踏み込んだ救済をということではなく、司法が判決で、このラインの人は皆また病と認めますよって物差しを提示してくれたから、それに沿った千引きをするっていうのが今までの国のやり方で。
決めたくない。
決めたいように。
だからそれはその欠税を使った施策であって、税金なんだから無駄遣いでいけないっていう理屈はわかるんですけど。
とはいえ、これだけの被害を、しかも裁判を起こしてまで訴えている方の話を疑ったりとか、無限にしたりっていうのは、やっぱり許されないと私は思っていて。
現に今裁判を起こしている方たちが、1700人ほど原告がいらっしゃるんですけど、
去年までの熊本地裁と大阪地裁と新潟地裁と三地裁で判決が出て、179人の方が司法では皆また病というふうに認められています。
なるほど、それでも千数百人のうちの百…
懇談の新たな試み
そう、でもまだ段階的に判決が出ている状態なんですけど。
残りの人がダメと言われているわけではなくて。
ダメと言われているわけではなくて。
今裁判が続けられているということ。
まだ終わった歴史ではなくて、まだ新たな歴史を作ろうと動いている方たちがいるっていうのが今の状況。
なかなかだから、やっぱりこの前の懇談とか見ていても、聖家さんみたいな方もいるんですけど、やっぱりちょっと平行線というか、踏み込まないという。
1日は結構報道もみんなそんな感じでしたよね。
そうですね。
時間が。
その話に移りましょうか。
いいですか。
いい、そうしましょうか。
すいません。
それこそそうなんですよね。
その話としては聖家さんのように、ある種熱心に地元の声を聞いていただく方もいるけども、国としてなかなかこれまで動いてくれなかったというのもある。
今もう69年、新聞は不死身不死身と言うけども、被害者にとっては不死身も減ったくらいはもちろんないんでしょうけども。
もう間もなく来年70年を迎えに来ているという中での、今年の5月1日、懇談が、いわゆる去年の枚区切りと言われた例が1年経ってまたありましたと。
その時の様子っていうのを、山根さん取材に。
そうですよね。
今年は去年の枚区切りがあったので、2日間に分けて懇談を実施しますと言って。
普段は1日だけなんですね。
1日だけでしかも去年は3分で、1団体3分ずつですよって言ってマイクを切ることがあったんですけど、今年は2団体と6団体に分けて2時間半時間をとって行いました。
なんですけど、時間が長いからといって質が高まったわけでは全くなくて、これまで通り救済の幅を広げる要求をしますけど、これは個別に総合的に判断しているものなので、
そういう応弁の許されるラインっていうのを時間がかけて議論をしても全く踏み込むことはなく、動かない回答は決まってるっていうような印象を受けました。
やっぱりそれだけ時間が長いと、皆さんも言葉を尽くしてなんとかっていうふうにされるんですけど、そこでも回答自体は去年とほとんど内容変わっていないような印象でしたね。
これまでと変わらない。
これまで作ってるルールの根拠、最高裁がその基準を否定していないであるとか、裁判の中で和解して成立したものであるとか、そういう回答を繰り返すだけであって、でも正義があるように見せようとしてるのはわかるんです、時間をとっていますし。
ですけど、その良くしていこうとか、聞き入れました、前に進めようっていう風な姿勢は全く見て取れない。逆にこう、私は聞いてて辛かったですね。
新聞読んでて辛かったですね。
4月の下旬に聖家さんの記事が載ってて、ちょうど前回の収録の後に出張されて、その前くらいですね、そんな感じだったんで、みんなまた今通ってるって話も聞いてたんで、より一層僕、熱心に読んだんですよ。
ありがとうございます。
で、こんな方もいるんだって正直思ったし、言い間違えてもしょうがないんだけど、こんな方もいるんだってちょっと温かい気持ちにもなったしね。
そうですよね。
で、期待しちゃいけないと思いながら、5月の1日、2日、3日くらいか何の紙面なのかをまた見ると、まあ何というか、今おっしゃった通りで、ある意味どうなったわけでもないという記事ですもんね。
なんか聖家さんの取材の時もそうなんですけど、ある男性が、被害者側の男性が、聖家さんに言っても環境省に言っても仕方がないと思うこともあるって言われてることがあって、
それってここで施策を遂行する、進行していくこの行政職員の人たちに、拡大しますとかいう回答が得られるとか、みんな思ってないんだって言われてて、
水俣病と懇談の重要性
で、じゃあどうして続けるんですかっていうと、自分たちがこれだけ苦しんで、時間をかけて命を削って、被害を訴えているという記録を残すためである、証拠を残すためだって言われて、だからマスコミが来てもらうのも絶対必要だし、
こうやって懇談の場で聞くだけだった、救済ゼロ回答だったっていうことを残していくっていうことが大事だって言われてて、私すごい言葉を失っちゃってそれを聞いて、ああそうかと思って、そんなにいろんな思いで、あの場で本当にそれを話した男性も懇談の場では声を荒げて休談してたんですけど、
そんな思いでやられてたんだと思うと、なんかも切なくてですね、ちゃんと報道しなきゃって思いました。
そうですね。
いやだってそんな、救済してほしいと思って訴えてるんですよね。
もちろんそうなんですけど。
そうなんですよね。
現実は本当にこんなに厳しいんだなっていうのを。
これって政権さんが男気出したからといって当然どうなるわけでなくて、もうちょっと偉い人がどうにかしてくれっていう話になっちゃう。
どうすればいいんですか。
政治の話になってきます。
それこそ議員さんたちとか、以前も救済につながったのも議員立法でできた救済法なんですよね。
なるほど。
なので政治家の方たちが、今のこの振り残されてる方たちがもうご高齢で時間がなくて、今起こっている裁判がきっといい判決が出ても国に上告しますよね。
そうすると最高裁まで行って、何年かかるかわからないんですよね。
そういうのを待ってられなくて、今すぐ目の前の人だけでもっていうふうな政治家の立場である方たちが、そこを理解して動いていってもらわないと、とってもじゃないけど間に合わない。
2回、ある種のルール通りを積み上げても間に合わないし、割れないものもあるというところでの政治決着。
政治家の方たちに届くためには報道であるとか世論であるとかっていうのを盛り上げることがその機動力になるので、そういう働きをしなきゃいけないんだなと改めて思わせてもらったというか、今回は。
政治家への理解と関心
みなまた病ってもう70年になりますけど、同じ構造でいろんな問題がこんなふうに被害者が取り残されて、1,000匹から生まれた人たちが、それこそもっと古いですけど原爆の被爆者の。
同じことを浮かびました。そういうことを平美音さんと。
スマイル坪井さんですかね。
坪井さんと出てもらったノーベル平和賞。
一方でおめでたいけど、そういう話でもないって坪井さんもおっしゃってたけど。
被爆者も認定されるとか、探検者と言われて認定はされないとかって1,000匹がありますし、他にもたくさんあるんですよね。こういうアネミューションであるとかいろんなものが国の1,000匹と争っていて。
みなまた病はすごい普遍性がある問題で、今もしかも司法判断が揺れている。第3次の政治決着が起こらなくはないことだと思ってるので、すごく関心持ってほしいなって私も全然知らなかったんですけど。
そうだと思います。まずは関心を持つとこからって。
何か感想を言ってもしょうがないんだけど、ただ今日聞いていただいた方は多分何かしら受け止めていただけるものはあったと僕も思うんで。
自分が全然関心がないところから取材をして、すごく面白いと思った。これは大変だと思えたので、それが少しでも。
構図がいろんな場面でっていうのは確かにそうなんですよね。被害が起こる、それがそういうことだと分かる、1,000匹がっていう話。それはそれでそうなんでしょう。
最後どっちともつかないといったときに、それこそ政治の力で救済する、納得を得るみたいな。まさにそこじゃないとできないですよね。
記事を夫に読ませたら、どれくらいきついん?今の人って言われて。分からないんですよ、しびれがどうとか。
おじいちゃんおばあちゃんだったりすると、あるんじゃない?それぐらいみたいな。
症状がどれくらいしんどくて、長くきつくて、どうして裁判起こすほどなのかっていうのが分からないよなと思ったので。
そういう今争ってる、しかも生きて、訴える力がある方たちの声だけでも伝えていかないといけないなと、まだまだ全然足りてないなって思わされました。
夫さんの言うこともね、一つあるんですよね。
すごい盲点だったなと思って、自分はすごく分かって当たり前じゃないですけど、国がおかしいでしょって伝えたつもりが、割と足元から問われたので、全然盲点だったと思って。
逆切れしそうになりましたけど、そこはグッとこらえて、丁寧に説明しました。
いやいや、ありがとうございました。
大丈夫ですか?
いやいや、大丈夫です。
ちょっと話し出したら、いろいろ広がりすぎるので。
いや、なんかなと思いながら。
来年70年になるし、今も裁判も続いているので、ちょっとでも関心を持って見てもらえたらいいなと思いますし。
本当に初歩の初歩ですけど、小学校の頃に習った、歴史の授業とまでは言い過ぎかもしれないけども、まだ実際解決できてないっていうのを知ってもらいたいですね。
そうですね。
どう思うかはまたちょっとその後として。
裁判はまだ続いてるんです。
こんなに長引いた理由が、政治的な国の不作為なのか、実は市民の差別の問題なのかっていろんな切り口、いろんな問題が絡み合ってるので、
見る人によって金銭に触れるポイントが違うのが南又病なんて、そう思います。
今日は以上でございます。
すいません。ありがとうございました。
いやいや、そんなことないです。
普段は原稿べた張りの台本ですけど、今日は書き直していただいて。
いやいや、でも確かにちょっと難しい話だったんで良かったと思います。
整理して話していただけたと思って。
私も頑張ります。
ここまで聞いていただきありがとうございます。
平美音さんの記事を読みたい、この番組を応援したいと思っていただけましたら、ぜひ西日本新聞、もしくはスマホアプリ西日本新聞民のご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。
20:37

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