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2025-01-17 20:59

13|ノーベル平和賞 オスロでの取材を終えて(前編)

西日本新聞の記者たちが、取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しする「西日本新聞me Podcast」。




今回は、ノーベル平和賞の授賞式を、現地のノルウェー・オスロで取材した報道センターの坪井映里香つぼいえりか)さんに来てもらいました。現地では日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の授賞は、どう受け止められたのでしょうか。




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◆出演:坪井映里香(報道センター)、平峰麻由(同)、横山智徳(MC/メディア戦略局)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)




◆収録日:2024年12月24日




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西日本新聞Podcast
西日本新聞me Podcast
この番組は、西日本新聞の記者たちが取材の裏側やニュース解説、福岡の街のあれやこれやをお話しします。
こんにちは、福岡のニュースアプリ、西日本新聞meの横山智則です。
今回は、ノーベル平和賞の受賞式を現地、ノルウェー、オスロで取材してこられた報道センターの坪井えりかさんに来てもらいました。
今日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
それと今日は、坪井さんの二つ上の先輩の平美音、まゆさんにも一緒に来てもらってます。どうぞよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
二人仲良しなんですね。
なんかもう、ずっと喋ってますね。
そうです。
社内に呆れられるぐらいですね。
仕事にならないように気をつけないといけないです。
2級違い?
2級違い、はい。
お二人とも、お若いですけど、僕と比べて。入社歴は何年すつなんですか?
入社、私が8年目で。
8年と?
私6年目です。
そうなんですね。ありがとうございます。
ちなみに、おスローの話しましょうかね。
はい。
おスローは寒かったんじゃないですか?
そうですね。
基本はマイナスの5度6度、寒い日でマイナス10度近くまで下がったという感じですね。
日照時間がかなり短いので、もうずっと夜みたいな感じで。
そうか。
そうなんです。
いわゆる北の方だからね。
そうですそうです。
冬だから。
そうですそうです。
何時間ぐらい日出てるんですか?
だから、10時とかに日が昇って。
朝10時?
3時とかに日が落ちるっていうイメージでした。
なかなか日が落ちそうになりますね。
その分、夏になったら全く反対になるってことでしょ?
そうみたいです。そうみたいです。だからずっと明るいままみたいで。
でもそれで身体壊しそうですけどね。
そうですよね。
でも、現地の人は普通って言ってましたね。
ずっと夜なんですね。いつだって。
おいしいものは?
おいしいものは、そうですね。
ぼちぼち、お酒はそんなに飲まなかったんですけれども、1日だけ休息の時間があって、現地のクリスマスマーケットでホットワインを一口だけ飲みました。
そうなんですよ。
もう気が張ってた。
真面目になったから?頑張って取材してたから?
時間が単純になくてですね、きつきつで取材の日程がですね、最終日半日だけ自由時間が取れて、その日にマーケットブラブラしてたら、なんかお姉さんが。
クリスマスマーケットで飲んだ?
そうですね。
キノコ屋みたいなやつのところで。
福岡でも結構あちこちクリスマスマーケットで、やっぱり本場は違うんですよ。
やっぱり観覧車があったりとか、アイススケートがあったりとか、ちっちゃいベンチがあちこちにあって、みんな焚き木に温まりながら、ご飯おいしいものを食べながら、ちょっとこう、えーってなにかしてるみたいな。
03:11
福岡は違うんだね、やっぱ。
キラキラしてました。
キラキラしてました。
なるほど、そうなんですね。
つぼみさんというと、入社の時は、話を進めますね。
どうぞ。
お案内呼びかけがしたんで。
つぼみさんは入社の頃、長崎総局にもおられたと聞いたんですけど、これまでどんな取材をされておられたんですか?
2019年の4月入社で、その年の9月から2022年の8月まで長崎総局で勤務しました。
2021年の8月から1年間原爆の主担当におりまして、被爆者の方にお話を聞くのはもちろんなんですけれども、被爆地の平和行政の取り組みだったりとか、被爆体験を語り継いでいる次世代の方の取り組みだったりとか、そういったことを中心に取材をしてました。
その頃ウィーンにも行ったって書いてある、ウィーンにも行ったんですか?
その年に核兵器禁止条約ってご存知ですかね?
僕は知ってるんですけど、念のため知らない人が多いんですか?
核兵器を国際法上で禁止する、核兵器の使用だったり製造だったり、そういった一連の営みっていうのを国際的に禁止するっていうような条約が最近成立しまして、
それの初めての定約国会議というのが2022年の6月にウィーンでありまして、その時にも被爆者の方何人か行ってらして、合わせて同行して取材をしたというようなことはしました。
へー、そうなんですね。じゃあ、今回受賞された被爆者の方にもその時もお会いしてるし、
そうなんですね。
不思議な縁がつながっているというか、こうあったみたいな考え深さもありましたね。
関係が長いからやっぱり感動も等しようで。
そうですね、感動はちょっとあったかもしれません。
そうですよね。その時初めてノーベル賞ですって言って取材始めたってことでないってことですよね。
そうですね。これまで取材してた人たちが受賞したっていうことでもあるのかなというのは、じんわり時間をかけて実感していった感じで、少し感慨深かったです。
早速なんですけども、日本原水爆被害者団体協議会、新聞とかテレビでは略して被弾協っていう言い方をすることもありますけどに、平和賞が贈られたということになったんですけども、いわゆる受賞の理由はというと、どういった理由で受賞したことになるんですか?
そうですね。日本被弾協というのは、広島と長崎の被爆者による唯一の全国組織なんですけれども、彼らが様々な苦難だったりとか偏見だったりとかを乗り越えて、自分たちの体験、苦しかった体験というのを国内外で証言して反核を訴え続けてきた。
06:15
そういった草の根活動が核兵器を使わせてはならないという核のタブー、国際的な規範の確立につながったという点が、ノーベル賞委員会に評価されたということだったみたいです。
核のタブーって確かに僕にもわかります。いわゆる核兵器使っちゃダメよねっていうことを確立したというか。
そうですね。いかに核兵器というのが非人道的なものなのか残酷なものなのかっていうのを、彼らが自身の体験を通して伝え続けてきたというところが評価につながったんだと思います。
なるほど。そうですよね。いわゆる僕らは核兵器がタブーだって普通に思ってますけど、その普通を作った人たちってことですよね。
おっしゃる通りだと思います。はい、おっしゃる通りです。
一方で世界にはですね、今14000発もの核兵器が存在しています。
14000発って言えば改めてすごいですね。
そういった中でウクライナの侵攻があったりとか中東戦争が今起きている状況で、当時国の指導者というのは核兵器の使用をちらつかせたり脅迫に使ったりということをしています。
いつ使われてもおかしくない状況ということで、ノーベル委員会はあえて飛談協に受賞をしたということも指摘をしていて、手放しで喜べるような情勢じゃないと言いますか、今だからこそ飛談協の受賞という、そういう警鐘を鳴らすという意味合いもあったみたいです。
それを言われたら確かに受賞おめでとうはおめでとうなんですが、一方でってことですね。
そうですね。やっぱりこの情勢を重く受け止めているんだな、世界はという、そういうような感覚はありますね。
そうか、そうですよね。いわゆる核がない世の中であれば、わざわざ変な話受賞もしなくてもいいし、訴えなくてもいいし、なんかちょっと略説的な話になりますけど。
ひにくだなと思いました。
受賞することで言うと核のタブーを改めて世界にアピールする、そういった目的も今回のノーベル委員会の選考の中にはあったと。
そうですね。国内でもやっぱり飛談協という言葉がかなり下半期飛び立ったと思うし、関心もかなり高まったと思うんですけど、
それっていうのはやっぱり改めて被爆者とは核兵器の非人道性は何かということをノーベル賞委員会の受賞のニュースで思い起こすきっかけになったんじゃないかなというふうに外では見てます。
それこそYouTubeご覧の方はわかるんですけど、今回の壁紙はそれこそこの受賞式の様子ということなんですよね。
09:05
私が2階席から撮ったやつですね。
これ坪井さんがそらそうかって撮ったやつなんですね。
そうです。この横山さん側にいる若い男性っていうのがノーベル賞委員会の委員長のフリドネスさんっていう方で、
平峰さんの上のこの方、彼ら3人、恒例の男性3人いらっしゃると思うんですけど、彼らが日本飛談協の代表員3人です。
真ん中の方が長崎の飛談協の代表員で田中茂水さんという方ですね。
すごいなぁ。どんな空気なの、ここって。
いや、なんか、なんて言うんでしょうね。
すごい華やかな。
そうですね。やっぱりアンファーレの音から始まって、みんな立ち上がって拍手して、彼らが入場するので迎えて、ここから進行していくっていう形でですね。
非常に華やかでおごそかで格式が高いような、そういったイメージでしたね。
そもそもここはどこなんですか?
確かに、オスロの市役所、市長舎と呼ばれるところで、毎年ノベル平和賞の受賞式はこちらでやってるみたいですね。
確かにね。市長舎前って言ってたけど、これ市役所か。
だから普通に平日とかは入れますし、ただやっぱり古い建物なのでチェックとか監視が厳しくてですね。
床が大理石で傷つけちゃならないっていうことで、我々も結構絶対にカメラ落とせないように、絶対にここに物を置くなよみたいな圧がありました。
ちょっと痺れるかも。
本当に本当に。
それこそオスロでは毎年受賞式で合わせてイベントだったり、フォーラムみたいなのがあってるんですかね?
そうみたいですね。私ももちろん毎年ではないので。
親知の方に聞いたところですけど、ノーベル賞の受賞式の期間中、前後っていうのはノーベルピースプライズウィークって言って、
平和賞に関する、今年の平和賞に関する講演会だったりとかイベントだったりとか、平和を祈るパレードだったりとか合唱があったりとか、
そういった形でちょっと平和への機運が高まる期間みたいで、かなり街の雰囲気も上りが立ってたりとか。
日本被弾協はオリズルが一つシンボルマークなんですけど、
例えばそのオリズルがクリスマスツリーに飾られてたりとか、ポスターに飾られてたりとか、そういった雰囲気、街の雰囲気っていうのがありましたね。
そのあたりも取材されたんですか?
そうですね。結構見て分かったみたいなところがあったので、ちょっと準備してなかったので難しかったんですけど、
やっぱり被爆者の方に話聞いたりとか、一緒に行ったアメリカン大学の先生と話してた時に、やっぱり街全体が被弾協への受賞を喜んでくれているなっていう感じがすごくあって、
12:08
被爆者の方にも市民の方がたくさん声をかけてくれて嬉しかったっていうような声はすごい受けました。
なるほど。街頭インタビューされたって聞きました?
そうですね。通訳の方を引き連れて、それこそ講演会、核兵器廃絶に関する講演会を終わった人たちに話を聞きに行ったりだとか、クリスマスマーケットに来てるご家族とか、めちゃめちゃ寒かったんですけど、
そういった人たちにも突撃で核について話を聞いたりとかをしましたね。
ノルウェーっていう国は核保有国ではないんですけれども、日本と同様に核の傘の下に守られているんですね。
ナトウの傘の核。
ナトウの核の傘の下。
そうです。ナトウの核の傘の下ですね。
そうですよね。
ウクライナ侵攻してるロシアって実は国境を接していてですね。
そうなんですね。
ロシア大きいんで。
ノルウェーって一番、左って言ったらおかしいけど西ですよね。
西ですね。
なるほど。
一番裏側と言ったら東側。
東側ですね。
核開発をロシアが、ロシアというか旧ソ連がしていた頃に、国境付近で核実験をしていたりだとか、
結構その核の脅威っていうのは歴史的にずっとノルウェーの市民の人たちっていうのは思っている国で、
今回のウクライナ侵攻で核の脅迫っていうのがなされた時はかなり身近に脅威っていうのを感じていたというのは、
今回街頭で話を聞いてみて感じたところです。
実際にもちろん海外の人って被爆者の話を直接聞く機会って少ないんですけれども、
日本では結構当たり前に日本ではいるんですけどやっぱり海外ではそうではないので、
初めて被爆者の話を聞いたっていう人もたくさんいらっしゃって、
そういった人たちの中にはやっぱり核兵器がどれだけ残酷なものかわかったというふうに話す人もいれば、
一方で核の悲惨さっていうのはわかるんだけれども、今の国際情勢からするとやっぱり核兵器の廃絶っていうのは難しいよねっていうような、
そういうふうな話をする人もいて、やっぱり意見ってまちまちだなというふうに感じました。
意識がやっぱり高そうよね。考える。日本じゃあんまり考えたりどうしたいかとか話したりする機会あんまりない。
ないですよね。そうですね。
いやもう全然わからないよっていう方がいるかなって思ってたんですけど、意外とみんなすごく話が。
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いやそれすごいと思う。
というか、実は非断経の取材でこっち日本から来てます。核についてどう思いますかといったらみんななんかそれぞれの意見を持って話してくれるっていうのは印象的でしたね。
日本でも同じことを京都公園でやろうと思ってもできないです。あるいはわかんないですって多分。
なりますよね。
そうかもしれません。
そうね。普段から考えてるかって言ったらそうでなかったりするからですね。
それだけ身近に核兵器があるんだなという感じなんでしょうね。
そうかそうですよね。
それこそ一連の取材を通じて坪井さん今回の受賞どう受け止めたっていう感想みたいな話になるとどう思われました。
そうですね。最初10月の頭でしたかね、受賞の決定がニュースで流れたときは、私泊まり明けだったんですけれども。
夕方の末でファッと見て、それでデスクから連絡が来て、取材というか原稿を書く中で徐々に実感を強めていったのが本音なんですけれども、
すごく最初は複雑な、先ほども申し上げた通り喜べないと言いますか、嬉しいんだけど難しいみたいな、そこまで危ないのか危ういのかっていうような、
これまで被爆者が培ってきたタブーっていうのがそれまで危うくなっているのかっていう気持ちになってすごく恐ろしさと言いますか、
感じたのは正直なところなんですけれども、ただいざ受賞式となって、あの場に行かせていただいて、
あの雰囲気を感じ取って、田中てるみさんっていう代表委員がスピーチをされて、それを出席者の方たちがじっと聞いて、
時に顔をしかめたりとか涙を流されたりとか、そういう風な様子を見ていると少し良かったなと言いますか、
彼らのゴールっていうのは核兵器の廃絶であって、ノベル平和賞は通過点に過ぎないんですけれども、
ただ一つずっと彼らが続けてこられた活動取り組みっていうのが世界に認めてもらったんだなという風には思いました。
そういった意味ではちょっと嬉しかったですね。
時間かけてやっと噛み締めできた感じやね。
そうですね。最初は多分、姉さんも分かってたかな。
ネスネ先輩も結構いろいろ話を当初からしていて、むちゃくちゃもぞもぞしたような顔をしていたと思うんですけど。
他の先輩たちはすごい喜びを爆発する人もいるんですけど、やっぱり今の情勢がそうさせてくれないというか。
18:03
確かにそうですよね。
キレイごとになってしまうあまり、そこがこう辛そうな感じ。
もぞもぞして。
本当に喜んでもいいのにって感じじゃないんだっていうのがリアルだなって感じ。
側で見ててですね。
そうですよね。今まで取材されてきて、ある意味取材をして応援してきたようなもんじゃないですか。
一緒にしてきたつもりでとは思ってます。
そういう人たちがまあというところで、嬉しい。
嬉しいけどね。
なんかすごい、翌日から辻さんとか長崎総局のみんなが取材に入ったんですけど、私は長崎不認したことがないので。
こうやってノーベル賞になったからみんな注目してるけど、取材した場面とかもう毎週やってる語り部の活動とかを取材してるんですよ。
だから全然何事も変わらない日常の営みをただただ続けてきたってことが、全然私とかは知らずに被爆者の方が来て講演会するとかいうのも聞いてきたって分かったつもりでいたような気がしてたなっていうのを彼女を見ててすごい思ったりして。
福岡も実は3番目に多いんですよ、被爆者って。
長崎、清島長崎について。
すごく活動も長くされてあるんですけど、知らなかったなとか。
今更なんか新しいことでもないので、それ自分ちょっと変えりみました。
そうですよね。
そういった日常的な草の根の活動、運動、被爆地の営みっていうのが一つ評価されたのが嬉しかったですね。
そうやろうね。
ずっと長年、被爆者もそうなんですけれども、被爆者に留まらず学校だったり、行政だったりとか、さまざまな被爆地の人たちっていうのが原爆を引き継ごう、語り継ごうという取り組みがずっとなされてきたわけですからね。
それもそれこそさっき平美さんが言ったように、派手な話ばっかりじゃなくて、日常の中に何人か集まってお話をするとか、そういったことの積み重ねみたいな話ですよね。
そうです。
ありがとうございます。続きは次回といたしましょうか。
それではエンディングです。ここまで聞いていただきありがとうございます。
坪井さんや平美さんの記事が読みたい、西日本新聞やこの番組を応援したいと思っていただける方、ぜひ西日本新聞、もしくはスマホアプリの西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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