1. 西日本新聞スポーツ余聞
  2. 12|元タカ戦士・松田宣浩さん..
2025-01-15 17:28

12|元タカ戦士・松田宣浩さん 「寒男」が「熱男」に変わるまで

西日本新聞で記者生活の大半をスポーツ取材で過ごしてきた大窪正一記者が、アスリートの素顔や裏話、スポーツの可能性についてお話しする「西日本新聞スポーツ余聞」。




ホークスの黄金期を支え、最後は巨人で2023年に引退した松田宣浩さんが昨年11月に自叙伝「燃え尽きるまで」を発売。出版に合わせて単独取材をした大窪記者が、松田さんの素顔を語ります。




◆出演:大窪正一(スポーツ記者/宗像支局長)、中富一史(販売部)、横山智徳(MC/メディア戦略局) 、音声編集:中富一史、映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)




◆収録日:2024年12月19日




◆元ホークス 松田宣浩さんの自叙伝「燃えつきるまで」のサイン本を2名様にプレゼント




◆演じきった「熱男」と冷静な「寒男」を確信した日(関連記事)




◆大窪正一記者の記事一覧




◆西日本新聞me(無料ダウンロード)




◆西日本新聞(紙)購読申込はこちら




◆西日本新聞Podcast番組一覧




◆X公式アカウント:「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。




◆メッセージ受付フォーム




◆収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)




#西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #西日本新聞スポーツ余聞 #福岡ソフトバンクホークス #ホークス #福岡ソフトバンクホークス #野球 #MLB #松田宣浩

サマリー

元ホークスの松田信弘選手は、キャリアの中で多くの怪我に苦しみながらも、復帰後には絶え間ない努力と成長を重ね、黄金期を迎えています。彼の人生や野球への情熱に関するさまざまなエピソードが語られています。松田信弘選手のエピソードでは、彼の人間性や過去のエピソードが紹介され、プロ野球界で果たした役割について深く考察されています。特に、「寒男」から「熱男」へと変わる過程が描かれています。

松田信弘のキャリアの始まり
西日本新聞ポッドキャスト
西日本新聞スポーツ余聞
この番組は、記者生活の大半をスポーツの現場で取材をしてきた
大久保翔一さんが、アスリートの素顔やスポーツの可能性についてお話しするポッドキャストです。
こんにちは。高価なニュースアプリ、西日本新聞MEの横山智則です。
今日も販売部の中富和文さんと一緒に、大久保さんの話を聞いていこうと思います。
お二人ともよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さて、今日はなんですけども、
昨年、大久保さんが西日本新聞として単独インタビューだったんですね。
そうなんです。
された元ホークスの松田信弘さんの話なんですかね。
今日は松田さんのお話をさせていただこうと思うんですが、
松田さんホークスの黄金期を支えて、最後は1年間巨人でプレーなさって、
2023年に引退なさったんですけども、
松田さんが去年、2024年の11月28日に地上伝、燃え尽きるまでを出版なさいました。
その出版のイベントがあったもので、その合間にということで取材を申し込んだところを応じてくださいまして、
すごく有意義というか、私が高番時代以来じっくり話を聞く機会だったもので、
当時の思い出なんかがよみがえってきましたし、
松田さん自身もなんか懐かしそうな感じの話になってですね。
非常によかったです。
本自体は今お伝えしたように地上伝という形で、
幼少期からプロに入って、
で、プロで活躍して、あと巨人になぜ移籍したのかとか、そのあたりとか。
幼少期の部分は、松田さんって双子なんですけど、
それはファンだったら有名なのかもしれないですけど。
で、そういう家族会議なんか開いて、当時の思い出を引っ張り出して、
それを本に詰め込んで、興味深い本なのでしたですね。
僕もですね、松田さんは現役時代大好きなファンの一人でしたけども、選手の一人でしたけど中富さんは?
苦しみと復帰の道
僕はですね、もちろん好きなんですけど、自分と同い年なんですよね。
同い年?
1983年の、今年41歳。
41歳。
すごい親近感ありますね。
それこそ、さすがにわざわざ説明しなくてもいいと思うんですが、松田選手というのは厚緒の松田選手ですね。
そうですね。
念のためね。
はいはいはい。
ということですね。
で、早速、そうなんですけど大久保さんに、ムードメーカーの厚緒の僕らイメージあるんですけども、
松田さんってどんな人?という話からいきますか。
そうですね。今おっしゃったように横山さん、中富さんがおっしゃったように、明るい、ムードメーカーのイメージ。
当然その姿でホークスを引っ張ってきた方なんですが、
僕自身の印象というのはですね、最初のファーストコンタクトと一緒に、その部分がちょっと強烈だったもので、真逆というぐらいのイメージなんです。
どちらかと言ったら、投手を中に秘めて、自分の思いを黙々とこなしていくというようなタイプの選手のように思っていてですね。
その答え合わせも昨年のですね、インタビューのところで答え合わせができて、穴がち間違ってはなかったなということを思いました。
それはやっぱりファンが思う、すごいムードメーカー明るいっていう一方で、やっぱりそういうもの静かなっていうことなんですか?裏側の変わっていくと。
そうですね。まず僕最初に、まず松田さんと取材に関わるようになったのが、僕が高番になった2009年のシティーズンなんですけど、
一番まず1月から2月に向けて、春季キャンプ、宮崎のキャンプがあるんですけど、そこから取材が僕は松田さんと触れる機会ができたんですけど。
もちろん練習中すごい元気なんですけど、そのオンオフがちょっとはっきりしてるというか、そこまで今のような、ああそうという感じではなくて。
で、覚えてるのが休日に、キャンプ休日があるんですけど、その時に映画館に一人で行かれたりしていたんですね。
なんかこうちょっと意外なイメージだったのが、そこの最初のファーストであって、でシーズンということなんですけど。
このシーズンも前年にサンルイシのレギュラーを獲得してですね、なおかつこの2009年から秋山さんが監督になられる年でですね。
秋山さんに松田さんは指導を受けて二軍時代、秋山さんが二軍監督もされたんですね。
そうだったんですね。一軍の監督の前に二軍監督だったんですかね。
そうなんです。で、そういう恩師が監督にもなるし、前年レギュラーを獲得しているし、もうこれは今年もう大飛躍を遂げるんだという意欲をすごいキャンプ中から感じさせていて。
で、実際開幕戦も首脳寺も期待して、ダジュン3番ということで起用されて、3番サンルイシでレギュラーで出場したんですけども。
そこで松田さんが初回なんですけど、ヒットで出て一塁ランナーになるんですけど。
なんか投類を考えてリードがちょっと大きかった感じで、それで向こうのピッチャーが牽制球を投げたんですね。
それに慌てて着類する際に右手甲を痛めてしまったんです。いきなり。
で、いきなり開幕戦に。
開幕戦なんですね。
そう、開幕戦だったんです、これ4月。
で、いきなり骨折ということになって、いきなりシズン離脱をすることになって。
そんなことあったんやね。
で、当時というか注目の若手の一人だったので、当然西日本スポーツというものがありまして、当時ですね。
で、もうフォークスの選手を追いかけるもので、私も当時の2軍の本拠地だったガンノス球場だったり、
斎藤崎合宿所ってそこにもリハビリの道具があって、そこに通うようになったんです。
で、松田さんも当時そこに行って、トレーニングというか治療、リハビリに専念することになるんですけど、
そこの印象が僕の中で強くて、とにかくまず腐ってない、腐らず。
で、何したら早く治せるんですかね。
もう2週間で治したいですけど、全治8週間という診断を2ヶ月。
だけど、僕2週間で治したいんで何かできないですかねみたいな話をされてたり、
で、小魚を食べたり、サルシウムのサプリメントを飲んだり、酸素カプセルですね、回復がよくない、そういうのを入ったりとか、
もう非常にこう、
一日も早く。
一日も早くて黙々と、とにかく前を向いている印象が強いんですけど、黙々と何をやればいいかを常に考えていて、冷静で。
そういう印象が非常に強くて、そこを見ていると、あっそうムードメーカーで元気印だ、もちろんその側面はあるんでしょうけども、
いや、それはどっちかというと仮面で、実はふつふつと自分の思いを成し遂げるためにはどうしたらいいのかを常に考えるような選手という印象でした。
そうですか、全然違いますね。
このシーズン、残念なことに復帰を6月に果たすんですけど、また7月にデッドボールを受けて、今度は右手首を骨折しちゃうんですよ。
この怪我で結局このシーズンはもう棒に振るような形になるんですけどですね、実際先ほど申しましたように恩師が秋山さんで、
秋山さんの1年目だからとにかくどう挙げするんだ、そういう意気込みもあったもので、
自分の怪我、自分がプレーできないというもちろんそこのもどかしさもあるんですけど、
それとともに恩師に恩返しができないという焦りとか苛立ちとか、その辺りの言葉もちょっと口にしたりしていたのがすごく覚えていますね。
松田さんのイメージって怪我しないって晩年がそうかもしれないですけど、あんまり怪我しないイメージですけどね。
そうなんですね。だから多分昨年のインタビューの時におっしゃってましたけど、5回松田さんは結局骨折してるんですけど、
そのうちの3回がこの2009年の2回、翌2010年の1回とこの辺りに重なっていて、
そこでどうしたら骨折しないかというか、パッティングの打席での立ち位置だとかフォームとかその辺りも見直すきっかけになったっていうふうにおっしゃっていますね。
なのでその後フル出場とかどんどん続いていくかと思うんですけど、多分この悔しさとか挫折、これが多分松田さんのパワーの見事の一つによって。
松田の成長と人柄
えー、そうだったんですね。
ずっと試合に出続けてるイメージだよね、フル出場みたいな。
気分する感じないからね、意外でしたね。
そこを終えてから苦折というか苦労してからそこを乗り換えた後、黄金期というか、そういうのが松田さんにやってくるようなイメージですよね。
で、先ほど言ったように松田さんは双子でいらっしゃって、お兄さんと二人野球少年ですね。
で、高校も同じ高校に行って修士園に行ったりとかするぐらい野球少年じゃないですか。
どちらかといえばお兄さんの方が目立っていて、松田さんはどっちかというと控えめな方だったらしいんですね、本質的には控えめ。
なんか双子で野球でかっこよくて欲しいパンチですね。
本当です。
すいません、余計に。
そうですね、だから控えめだったというのをインタビューでも聞いて、なるほどなと思ったのはやっぱりそういう感じる部分があったし、
これすごく人を見ているというかよく配慮するようなところもありまして、松田さんって僕の個人的な体験でいけばですね、宮崎キャンプあったんですけど、宮崎キャンプ休日がある。
我々も休日というか練習日がない日はちょっと時間ができるので、僕は宮崎の釜揚げうどんが有名なんですね。
松田宣浩の人間性
しげのいというところがあるんです。大さんとかですね、長島さんも巨人の選手時代に通ったような社員がすごいいっぱいあるんですけど、
そこで僕一人で食べていたらですね、松田さんのは家族だったと思うんですけど、松田さんもいらっしゃってて、
挨拶だけ僕したんですけど、そういうプライベートの時間は邪魔しないでおこうと思いますので、普通に食べて、
で、松田さんの方が先に出て行ったんですけど、で、僕も食べ終わって、お会計のところに行ったら、松田さんがお会計済ませてますからって言って、
僕の分で学んでくれていてですね、年齢からいけば僕のが10歳ぐらい年を取ってるんですけど、すごくそういう配慮があったり、
あと、非常にプライベートなことなんですけど、私が結婚式の時にですね、サプライズでビデオメッセージを送ってくださってですね。
めちゃめちゃ嬉しいですね。
すごいもう来賓の方もすごい驚いていたんです。
すごいですね。
その時は確かまだ圧をではなくて、1,2,3マッチの時だったかと。
1,2,3マッチか。
だった記憶があるんですけど、そういうような非常に配慮とか聞くばりとかこういうところもある側面がある選手だなっていうのは、僕の中の印象です。
とにかく松田さんってバットをくっついたりしてホームですけど、
あれも秋山さんと1年目に王さんに起用してもらって1軍で出場したんですけど、なかなか結果が出なくて結局2軍に落ちたんですね。
その時の監督が先ほど言った秋山さんで、その時秋山さんがホームを安定させるためにとかいういろんな目的で、
バットを肩の上に担ぐそういうのを伝授して、それを覚えてもらって一緒にやったっていうようなそんなこともすごいおっしゃってました。
あとそういうふうな思い出をインタビューで聞いたんですけど、そのインタビューの終わりの方にですね、
要は今自分がそういうムードメーカーみたいなのやって、自分のそういう思いを受け継いでくれてると思う選手の名前もあげて、
それが柳田選手であり今宮選手であり中村昭選手でしたですね。
自分とはタイプが近いのは柳田選手かもしれないけども、今宮選手は今宮選手、中村昭選手は中村昭さん選手で、
ちゃんと自分の考え、自分はどうやったらプロの世界で生き残れるか、そういうのを考えてやってくれている3人なんで、
まだまだ現役で頑張ってもらいたいなということをおっしゃってました。
プロ野球界での役割
それこそある意味セカンドキャリアみたいなことに話はなると思うんですね、松田さんとしては。
そうですね、そういうお話になって松田さんも昨年2024年は野球開設とか新たなステージで頑張られたんですけど、今後の思いみたいなものを聞きました。
するとやっぱりそのユニフォームを着たチームというかユニフォームを着たところに対しての恩返しの思いが非常に強いということで、
もちろん17年プレイしたフォークス、そして最後の1年プレイした巨人、そしてサムライジャパンですね、原記印で入っていた。
この3つに対してはとにかく貢献したいという思いをおっしゃって、だからユニフォームをまた着るということも十分あるんじゃないかなというところをすごい期待させてもらいました。
で、それはファン望んでますよみたいなことをお伝えしたら、そうですかみたいなすごい熱い思いは、やっぱりそのアツオという思いはまだずっと秘めてるんだなというふうに感じました。
ありがとうございました中富さん、今日はどうでしたか。
今日の奥羽さんの話を聞いて、松田さんがそもそもアツオではないというところを聞いてですね、もともとあれですよね、川崎船取選手がすごいムードメーカーでチームを盛り上げていて、
松田さんがその後にムードメーカーになったんですけど、アツオというスローガンのタイミングでムードメーカーになった感じがしてます。
まさにその川崎選手から松田選手に託されたんだらしいんですね。
そのムードメーカーやそのエピソードが本に触れられているので、ぜひご興味いただけたら本の宣伝になってしまいました。
そっかそっか、その前の世代は川崎がね、そうやね、ムネリンニャモンね。
ありがとうございました。最後にですね、今日は番組からお願いとですね、プレゼントのお知らせですと。
今お聞きのスマホアプリでぜひ番組の評価をお願いします。
Apple Podcastの場合は番組の画面を少し下にスクロールするとタップして評価と出てきます。
Spotifyの場合、これは番組の画面ですね。
エピソードの画面じゃなくて番組の画面の右上あたりに3つ点々ってありますので、そこをタップすると番組の評価と出てきますので、
よかったら高評価いただければと思います。よろしくお願いします。
もう一つは、今回は番組として初めてとなります。リスナープレゼントです。
今回紹介しました松田さんの自助伝、燃え尽きるまでのなんとサイン本を2名様にプレゼントいたします。
大久保さんがゲットしてくれました。ありがとうございました。
みんなに読んでいただければと。
応募はですね、スマホアプリの西日本新聞MEの登録が必要となりますので、よかったらダウンロードをお願いいたします。
概要欄からダウンロードできるようにしておきます。
それではエンディングです。ここまで聞いていただきありがとうございました。
大久保さんの記事が読みたい西日本新聞やこの番組を応援したいと思っていただける方、
ぜひ西日本新聞もしくは西日本新聞MEのご購読をお願いいたします。
本日はありがとうございました。ありがとうございました。
17:28

コメント

スクロール