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2025-04-08 17:23

14|日本文化は〝衰退〟している!?【後編】/こども記者質問箱 教えて!九博の学芸員さん④

西日本新聞のこども記者やその卒業生が身近な話題から専門家へのインタビューまでさまざまなトピックで番組をお届けします。こども記者とは、毎年8月から1年間の任期で取材・執筆活動をする公募の小学4年生から中学3年生です。

2025年で20周年を迎える九州国立博物館を見学したこども記者卒業生が、学芸員のみなさんに質問をするシリーズ「こども記者質問箱 教えて!九博の学芸員さん」。今回は、五つに分かれている九博の「文化交流展示室」の中でも特にテーマ5「丸くなった地球近づく西洋」にフォーカス。日朝関係の修復のために対馬藩が〝嘘の手紙〟を作成したこと、南蛮人の不思議な格好や日本文化〝衰退〟への思いなど、展示品をきっかけに広がる学芸員さんのトークをお楽しみください。歴史の勉強が楽しくなるヒントがきっと隠れています。

◆出演:一瀬智(九州国立博物館展示課主任研究員)/浪内ひまり(第11期こども記者)/八幡原万貴(第12期こども記者)/中野慧(MC/こどもタイムズ編集部)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年2月2日

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サマリー

日本文化が外来の文化と交流しながらどのように発展してきたかを特に江戸時代や西洋化の影響に焦点を当てて議論しています。また、日本独自の文化が外部からの影響を受けつつも生き残り続ける過程について説明しています。日本文化の衰退についても議論され、特にキリスト教とその禁止に関する背景が探求されています。学芸員との対話を通じて、日本におけるキリスト教の影響や歴史的事象について学ぶことができます。

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西日本新聞Podcast
西日本新聞子ども記者Podcast
この番組は、西日本新聞の子ども記者や、その卒業生が中心になっておしゃべりをするPodcastです。
子ども記者とは、毎年8月から1年間の任期で活動する、高校の小学4年生から中学3年生の子どもたち、現在は15期74人が元気に活動中です。
子ども記者は年間を通して各市に取材に出向き、記事を書いて長官の子どもタイムズ名にその成果を掲載しています。
活動は今年で15年になり、卒業生は計837人になります。
こんにちは。西日本新聞子どもタイムズ編集部の中野恵です。
さて、今回も子ども記者質問箱 教えて九博の学芸員さんと題したシリーズをお届けします。
スタジオには前回に引き続き、九州国立博物館学芸員の一ノ瀬智さん、子ども記者卒業生の2人に来ていただいています。
奈美内さん、八田丸さん、今回もよろしくお願いします。
では、今回最初の質問は奈美内さんからいきたいと思います。お願いします。
日本の歴史における輸出
いろいろな展示物を見て、この時代の日本はヨーロッパの様々な国へ物を輸出していたことが分かりました。
特にどの国へ多く輸出していましたか?
はい、江戸時代ですね。
輸出品としては、例えば金、銀、銅の鉱物とかですね、
陶磁器とか漆器というのが日本からの代表的な輸出品でした。
西洋の国々との関係でいうと、戦国時代から江戸時代の初めぐらいにかけては、最初はポルトガルとかスペインかな。
その後はですね、やがてイギリスとかオランダとも貿易をしていきましたけれども、
1639年に要は鎖国制度というのが成り立ってくると、西洋の国々ではオランダのみが貿易を許可されるということになります。
今言ったどの国も西洋の国ですけれども、ちょっと注意点がありまして、
基本的にはですね、どの国もヨーロッパの本国というよりもインドとか東南アジアに植民地とか貿易の拠点というのを持っていまして、
そこの拠点として日本を含むアジア貿易に参加していたというような形になって、
直接その貿易というのは日本と中国と東南アジアインドというのを結ぶもの、そういった貿易ネットワークに参加していたという形になります。
なのでヨーロッパと日本を直接結んだ貿易というのはちょっとイメージが違うところになるんですね、実態としてはですね。
日本からポルトガル船とかオランダ船で輸出された銀や銅とかですね、そういったものは主に中国や東南アジア、インドに運ばれていくということになります。
一方でですね、ちょっと続きがあって、その当時期や漆期とかですね、そういったものの中にはやっぱりヨーロッパの王公貴族に好まれてヨーロッパに運ばれたもの、オランダもそうです。
その周辺のドイツ、ベルギーとかフランスとかイギリスとかそういったところまで運ばれて、好まれたものというのもありました。
ヨーロッパと直接貿易をしていたと思っていたので、アジアを通じて間接的に貿易していたとしてびっくりしました。
はい、私もびっくりしました。
日本文化の変容
はい、ありがとうございます。では続いては畑原さんお願いします。
はい、今の時代は服装や音楽など日常のいろいろな場面で西洋化が進んでいると感じます。
ヨーロッパにも輸出された素晴らしい日本文化を多く知っている学芸員さんとして、日本文化の衰退をどのように捉えていますか。
面白い、なんか興味深い質問だなというふうに思いました。
日本文化というのが、旧白文、日本文化というのがどういうふうに外国との交流を重ねながら形作られていったかということを紹介するという博物館なんですけれども、
それとまさにそういうことなんですけれども、日本文化というのは古くから外来の文化を取り入れて混ざり合って、また変化してというようなこと。
そういうことを繰り返して形作られていったというようなものというふうに考えています。
例えば具体的な弥生時代には稲作とか金属器の文化というのも外国から来たものですし、でももう稲作って日本にはお米というのがなくてはならないようなものになっていますよね。
古本時代から須賀時代の馬縄馬とか、馬を飼ったりとか縄馬する文化とか、あとは漢字とか仏教が伝わって、馬は農業であるとか、あとは輸送にも使われますよね。
軍事の武士が乗ったりというようなものにも使われていきますし、漢字は今も使われていますし、あとは金も漢字から生まれたものですよね。
仏教もさまざまな展開を見せて、今も日本の社会とか文化とは切り離せないような関係にあります。
西洋の文化でも、安土桃山時代の桃山文化というのがありますけれども、そこに大きく影響をしていますし、それがまた江戸時代の文化にまた形を変えてつながっていくというのがあります。
明治時代とか大正時代ですね。また時代がちょっと新しい話だけど、建造物、建物とか、ファッションとか、一般の人の生活文化にも西洋と東洋の要素が混じり合ったものというのが今も残っていたりとか、そういうのが多く見られるかなというふうに思うんですね。
なるほど。そうすると今の時代に伝統的とか日本文化と思われているものも、日本の中だけで形作られたのではないということですよね。外国からの影響を受けているものがたくさんあるということになりますね。
そうですね。私個人的な考えというか思っているのは、西洋化というのも衰退というふうに捉えるのではなくて、日本文化がまた変化していっている過程の一つかなというふうにも捉えられるかなと思うんですね。
一方でですね、長い歴史の中でも、そういう変化に対して、やっぱり古くからのあり方が、古くからの日本が違かったんじゃないかとか、大事じゃないかというような考えとか動きというのも、その時代その時代でやっぱり生まれてきているので、今の時代にやっぱり西洋化についてどういうふうに思うかというのも、またそういった考え方と似ているのかなというふうには思っているところです。
そういう考えを持つ思われる方もいて、当然のことかなというふうに思っています。
西洋化が進んでいるっていうのは、昔で言うとお米とか漢字とか、今私たちが生活に欠かせないものっていうのもたくさんあると思うので、プラス面がたくさんあるっていうことも考えて、でも西洋のものをずっと取り入れていくんじゃなくて、今の日本のものを残しながら、また西洋のプラス面の部分を取り入れられたら、すごくいい日本になっていくんじゃないかなというふうに思いました。
はい、ありがとうございます。
ではナウミニウチさん、次の質問をお願いします。
スペイン人やポルトガル人を描いた南蛮変風も展示されていて、面白かったです。
屏風ですね。
はい、屏風です。
南蛮人の人はみんなあのような服を着ていたのですか?見慣れない服で不思議だなと思いました。
はい、あのひだがついた大きな襟とポンチョのような上着とふんわりしたズボンって、あの典型的なと私たちが思っている服装ですよね。
こういう南蛮屏風、いっぱいヨーロッパ人が描かれていて、こういうやつですよね。
私もですね、染色、そういうお洋服については専門ではないんですけれども、でも知っているところで言うと、その大きなひだ襟っていうらしいんですけど、それとかそのポンチョとか、
ズボンの上の方がぼわってきてしているものとかっていうのは、もう本当にこの当時、大航海時代の当時にヨーロッパで流行したスペイン風のファッションらしくて、スペインが世界を接近していた時代なんですけれども、
そういったファッションっていうのが流行っていてですね、当時の流行だったそうです。
で、みんながみんなそうだったかというと、やっぱり貴族とかお金持ちとか、そういった人たちの間で流行したファッションだったそうですね。
日本に来る時もそのファッションが来ていたということです。
みんなで、教科書とかでは見たことあるけど、やっぱり最初に見た時に不思議な格好だなと思ったので、詳細を知ることができてよかったです。
ありがとうございます。
お金ないとやっぱり無駄にたくさん年度を使ったら難しいんだろうなと思いましたね。
ではもう一つ、波打さんからお願いします。
江戸時代の外国人商人
展示の解説文に江戸時代に来日した商人が行動を厳しく制限されたと書いてありました。
具体的にどのように制限されていたのですか。
江戸時代だと基本的に外国人の商人といった長崎ですね。長崎に来てたんですけれども、
来日していた外国人商人としては中国の商人と、あとはオランダ商館の商館員が滞在していました。
オランダ商館員はご存知のデジマーですね。
中国商人はそのすぐ近くにあった東人屋敷というところに滞在していましたけれども、
どちらも日本人が生活している外の世界とは空間的にも確実されていたところですね。
そこへの出入りも厳しく取り締まられていました。
日本人が出入りするのもそうなんですけれども、
そこにいた中国人とかオランダ人がデジマーとか東人屋敷の外に出て長崎の街を歩いたりとか、
そういったことも基本的には厳しく制限されて、長崎を管理していた長崎武行の許可が必要になりました。
ただですね、病気の治療とか、あとはその街の中に今も中国人が混流したお寺があるんですよね、長崎の街の中に。
そういったところに行事に参加するときとか、そういったときにはちゃんと正当な理由がある場合ですね、
事前に届けられた場合は許可が出るということもあったので、そういうような制限ですね。
制限はあったけれども、ちゃんとした理由があると許可はされるという状態だったということです。
ちなみにそういった今お話しいただいたような状況は、屏風をじっと見ていると浮かんで見えてきたりもするんですか?
屏風というかですね、旧アクリも所蔵品の中で、当館乱館絵巻というのが、当館乱館絵巻といって、当人屋敷の絵と出島の様子を描いた絵巻があるんですよね。
特に当人屋敷だと出入りしているところにボディチェックを受けている様子が描かれていて、
出入りの横には万人がいるんですね、日本人の役人が座っててというようなところが浮かびますね。
じーっと改めて見てみたいなと。
この人は何してるんだろうね。
本当ですね。
今の回答いかがでしたか、波打さん。
キリスト教禁止の背景
就学旅行で出島には訪れたことがあるんですけど、
出島とか決められた制限から外出するときに厳しい許可を通過しないといけないって知って大変だなと思いました。
ありがとうございます。
ここまででお二人何か追加で聞きたいこととかありますか。
波打さんお願いします。
キリスト教が、ノフ教が禁止された理由は諸説あると思うんですけど、どういった理由だと思いますか。
そうですね。やはりキリスト教って神のもとに平等だっていうような、いろんな人がですね、いう考えなので、
やっぱり日本の支配者層にとっては、ちょっと相入れないところがあるのかなっていうのが一つですね。
やっぱり庶民の支配する立場から言うと、そういった考えというのはちょっと危ないかなっていうことが思われたのが一つと、
あとは当時そのキリスト教、ノフ教に熱心だったスペインとかポルトガルっていうのは、
キリスト教ノフ教だけじゃなくて、それとともにその軍事的にですね、例えばその世界史で言うと、
メキシコの方とか南米の方とかでは軍隊を繰り込んで支配したりということも行ってますので、
そういったことが日本で起こることっていうのも危機感を感じて、キリスト教を認めないという方針になっていったのかなというふうに考えられます。
ありがとうございます。冒頭で印象に残った展示物で、
ナミレジさんが処刑の場面で上に浮かんでる天使が黒っぽいんじゃないかって、
日本のキリスト教に対するイメージを反映してるんじゃないかっていうことを想像してるんですが、それについてはいかがですか?
あの絵自体がですね、結構全体が暗いんですよね。
確かに実際にあった事件を遠く離れたヨーロッパの人たちが想像して描いてる絵なので、
結構日本におけるひどい出来事っていうふうなことで全体的な雰囲気としては描かれてるんですけれども、
天使の部分に言いますと、よく見るとどちらかと言えば羽とか服が黒く描いてるっていうよりも、
どちらかと言えば天使のイメージよりも実際の鳥の羽のような感じでリアルにちょっと描いてたりとか、
服も真っ白じゃなくて、いくつかのパターンがあって色のですね。
なので実際の服をイメージして描いたのかなっていうので、
今の私たちが想像する白い天使とはイメージ違うんですけれども、
案外その天使について今、当時ああいう描かれ方をするのが普通だったのかもしれないです。
ただ絵としてはおっしゃったようにちょっと日本で仕立てられているキリスト教っていうのをイメージした雰囲気では描かれているのは間違いないですね。
もう一度見たくなりますね。
はい、ありがとうございます。
ここまで一ノ瀬さんに色々とお答えいただきました。
ナムンチさんいかがでしたか?
学校の歴史の授業で習って気になってたことを直接学芸員さんに聞けてよかったのと、
あと実際に展示物を見て気になってた絵画についての見解を本人に聞くことができてよかったです。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
渡原さんはシリーズの前の方でもですね、学芸員さんに対して質問してもらいましたけど、
学芸員というお仕事についてどんなふうに思ったとかありますか?
はい、今回テーマゴマであってすごく長い時代を一気に展示物を公開されたと思うんですけど、
その一つ一つの展示をするにあたってすごく時間がかかると思うし、
それの一つを展示するためにもたくさんの学芸員の方々が関わっていると思うので、
本当に体力も頭も使うし、本当に絶対大変な仕事だろうなとは思うんですけど、
でも私たちが実際に訪れて歴史を知ることで、学芸員さんもすごく喜ぶと思うので、
学芸員さんの努力を私たちがしっかり受け止めて。
感想とか書き残せるんですかね、博物館で。
そうですね、アンケートとかあるのでそこに書いていただくことです。
学芸員さんありがとうございます、お疲れ様ですみたいな。
励みになります。
学びをアンケートに残せるといいですね。
はい、ありがとうございます。
特別展のPR
では最後に千野瀬さんより、夏休みの期間にある羽庭展の次の特別展についてPRいただけますでしょうか。
はい、ありがとうございます。
今開催しているのかな、放送の時には分からないですけど、羽庭展の次の特別展というのが夏休みの期間ですね。
期間でいうと2025年の7月5日から、だから夏休みの前からですけども、7月5日から8月31日までの期間ですね。
特別展で九州の国宝、九白の宝という特別展を開催します。
タイトルにもあるように九州ゆかりの国宝が製造りするというのが一つの見どころと、
またですね、あとは九白所蔵品の中からエリスグリの名品というのを選び出しまして、ちょっと斬新な紹介の仕方をします。
ちょっとそれは黙っておきますけども、あるとかそういうことと、
あとですね、実は来ていただいた皆さんに推しのスターを選んでいただくという企画もですね、ちょっと今考えているところで、
ちょっと面白いことを考えていますので、ぜひ会場に足を運んでいただければというふうに思っております。
はい、ありがとうございます。
ここまで九州国立博物館学芸員の一ノ瀬さん、子供記者卒業生の奈美内さん、八幡さんにご出演いただきました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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