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2025-04-01 16:33

13|日本文化は〝衰退〟している!?【前編】/こども記者質問箱 教えて!九博の学芸員さん④

西日本新聞のこども記者やその卒業生が身近な話題から専門家へのインタビューまでさまざまなトピックで番組をお届けします。こども記者とは、毎年8月から1年間の任期で取材・執筆活動をする公募の小学4年生から中学3年生です。

2025年で20周年を迎える九州国立博物館を見学したこども記者卒業生が、学芸員のみなさんに質問をするシリーズ「こども記者質問箱 教えて!九博の学芸員さん」。今回は、五つに分かれている九博の「文化交流展示室」の中でも特にテーマ5「丸くなった地球近づく西洋」にフォーカス。日朝関係の修復のために対馬藩が〝嘘の手紙〟を作成したこと、南蛮人の不思議な格好や日本文化〝衰退〟への思いなど、展示品をきっかけに広がる学芸員さんのトークをお楽しみください。歴史の勉強が楽しくなるヒントがきっと隠れています。

◆出演:一瀬智(九州国立博物館展示課主任研究員)/浪内ひまり(第11期こども記者)/八幡原万貴(第12期こども記者)/中野慧(MC/こどもタイムズ編集部)/音声編集:中富一史(販売部)/映像編集:井上知哉(ビジネス開発部)

◆収録日:2025年2月2日

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サマリー

このエピソードでは、九州国立博物館の展示や古文書の役割を通じて、津島藩が日本と朝鮮の国交回復に向けて尽力した様子が描かれています。また、古い手紙の特徴やサインについての解説もされています。さらに、日本文化が衰退しているかどうかについて深く考察されており、アイヌ民族と松前藩の交易における不平等な状況が両者に与えた影響についても言及されています。

九州国立博物館の展示
西日本新聞Podcast
西日本新聞子ども記者Podcast
この番組は、西日本新聞の子ども記者やその卒業生が中心になっておしゃべりをするPodcastです。
子ども記者とは、毎年8月から1年間の任期で活動する、高校の小学4年生から中学3年生の子どもたち、現在は15期74人が元気に活動中です。
子ども記者は年間を通して各地に取材に出向き、記事を書いて長官の子どもタイムズ面にその成果を掲載しています。
活動は今年で15年になり、卒業生は計837人になります。
こんにちは。西日本新聞子どもタイムズ編集部の中野圭衣です。
さて、今回も子ども記者質問箱 教えて九博の学芸員さんと題したシリーズをお届けします。
スタジオには九州国立博物館学芸員の市乃瀬智さんと子ども記者卒業生の2人に来ていただいています。
市乃瀬さんより自己紹介とご専門を教えていただけますか。
はい、市乃瀬です。よろしくお願いします。
私は古文書という、昔の人の手紙であったり、古文書とか、あとは昔の人の書いた日記のような記録とか、
そういったものから歴史の流れとか出来事を考えるような、そういったところを専門にしていて、
展示とかはそういう古文書とか記録とか、紙に書かれたものですね。そういったものを担当しています。
はい、ありがとうございます。並内さんお願いします。
第11期子ども記者の高校2年生、並内ひまりです。よろしくお願いします。
第12期子ども記者の八幡原真紀です。中学2年生です。よろしくお願いします。
はい、2人は旧博の常設展にあたる文化交流展示室を見学してきました。展示室は時代によって5つのテーマに分かれていて、
日本とアジアやヨーロッパとの交流にまつわるシナジナが展示されています。
これまでの番組では、テーマ1から4の展示について学芸員の皆さんに質問をしてきましたが、今回はテーマ5になります。
国交回復の努力
篠瀬さん、テーマ5はどういった時代のどんな展示物があるのでしょうか。
はい、日本史で言えばですね、室町時代の終わりから安土桃山時代、それから江戸時代のあたりが5のテーマになるんですけれども、
特にその安土桃山時代とかその前の室町時代の終わりから、そのあたりって要は戦国時代とか言われる時代と重なっていますし、
世界史で言えば大航海時代というようなところと重なるんですよね。
この時期にはヨーロッパの国々の船というのがアジアにも貿易とかにも進出してきて、そこで日本とヨーロッパとの交流も始まるという時代ですね。
それで5のテーマというのは、丸くなった地球、近づく西洋というテーマの名前になっているというところになります。
ナミウチさん、印象的だった展示物ありますか。
準教三聖人図という、キリスト教徒の方が処刑されている様子を描いた絵画なんですけど、
その処刑されている人の上にいる天使が、私が今まで想像していた白い服とか白い羽を身にまとった天使じゃなくて、
全体的に黒いオーラをまとった天使で、それが日本のキリスト教に対する考え方を奉仕しているようで興味深いなと思いました。
ありがとうございます。畑原さんは印象的なものありました。
世界地図がいくつか展示されたと思うんですけど、例えば半球ごとに分かれている大きい世界地図だったり、
現代と結構似ている大陸ごとになっているものだったり、
そういう使い方だったり、使う目的ですごく変わった世界地図が作られているのがすごく面白いなと思いました。
ありがとうございます。数百年前に作られた迫力のある今言ったような大きな世界地図とか、
きらびやかなイマリア紀のコレクションなど、インパクトのある展示品が特に多いコーナーだなと私も思います。
では質問、八幡原さんからお願いします。
文禄慶長の役によって断絶した日東関係を千島藩が修復したそうですが、どのような努力があったのでしょうか。
文禄慶長の役は豊臣秀吉が朝鮮を侵略した戦争ですね。
いいですか。
すごい質問されるなと思ってびっくりして、すごいいい質問だなと思いました。
旧博の展示ともすごく深く関わるところの着眼点だなと思いました。
秀吉とか文禄慶長の役の展示であるとか、あとは千島藩に関する、千島藩に伝来した作品、文化財というのを旧博も所蔵しているので、
そのあたりはよく取り上げて展示もしているところなんですけれども、ご質問お答えしますと、
今長崎県の津島市になりますけれども、大体場所わかります?地図見ると一見してわかるんですけれども、
九州とか福岡よりも朝鮮半島に近い場所なんですよね。
実際行ってみると山勝で非常に平地が少ないんですよ。
田んぼとか畑が少なくて、本当に昔から朝鮮と日本との間で貿易、交易をすることで人の生活が成り立ってきたということですね。
江戸時代とか文禄慶長が起こる前も貿易の仕事によって成り割りは成り立っていたと、収入源になったということですね。
というので、津島の人たちとしては文禄慶長の時期の戦争で途絶えてしまっていた貿易を何とか復活させたいというので、国交回復というのを図っていくことになります。
日本と朝鮮の両方の政府に国交回復を呼びかけて活動していきました。
ただ、侵略を受けた朝鮮という側というのは、まずは日本側から交和を結びたいと、有効関係を改めて築きたいという申し出がないと受けることができない。
そういう内容の国書、国王とか国の代表者が書いた手紙ですけれども、そういったものがないと受け入れることができない。
日本側からまず朝鮮に送ってこないといけないよというふうに主張するんですね。
一方で日本側というと、その当時は徳川家康が江戸幕府を立ち上げているんですけれども、家康の方は朝鮮への侵略というのは秀吉がやったことで自分は責任ないよ。
侵略にも加担していないので、朝鮮の要求に従って自分から国書を出すというのはちょっとできませんということを言うんですね。
どうしようかどうしようかというふうに津島にはなって、それをどうにかしようと、津島藩としては朝鮮を侵略して申し訳なかったというお詫びと仲直りをしてほしいという内容の手紙をあたかも家康が書いた国書のように偽造して、
津島で偽造して交渉の進展を図ったということをやります。
つまり日本側が下手に出て朝鮮にお願いしますというような嘘の手紙を作って送ったということになるんですね。
実は津島藩主の曹家というのは江戸時代の前の室町時代から日本と朝鮮の貿易とか外交の窓口を独占的にしていまして、国書とか外交文書とかそういったものを偽造することでその外交とか貿易を円滑に進めてきたというような歴史を持っているんですね。
実績があって、ESの国書を偽造するということも実はそのノウハウを利用して成し遂げることができたんですよね。
結果的に偽造の国書を持っていったことは朝鮮側に受け入れられて、それに対する海盗の施設というのがESの方に送られるというようになるんですよね。
国交の回復に向かうんですけれども、実はその海盗の施設が持ってきた、とこがES宛ての朝鮮国王からの国書もESが送ったことになっている嘘の国書と辻褄合わせをしなきゃいけない。
そうですよね。嘘をつくと嘘がまた。
俺ちょっと書上送ってないのにこれ返事って書いてあるぞみたいなことになっちゃうので、そこを辻褄合わせのためにその国書も偽造するっていうことにするんですね。
それは幕府にはバレずにうまく国交回復って繋がって朝鮮通信寺が送られるというようになるんですけれども、実はこの後2回朝鮮施設が来るんですけれども、それまで偽造を繰り返すということをしてますけれども、そういう努力というかがあって友好関係が修復されるということになりました。
古文書の特徴
ちなみに朝鮮通信寺関係の展示だとどんなものがありますかね。
朝鮮通信寺の絵巻であるとか、あと通信寺関係で津島藩と幕府がやり取りした書状とかですね、そういったものが旧博にはありますね。
その辺も見ることができるコーナーですね。
畑原さんいかがでしたか。
はい。津島藩が努力をしたというふうに書いてあったんですけど、それが全部偽造だということがすごくびっくりでしたし、もし徳川家康にばれてしまったらすごく大きい罰が下ると思うので、これをばれないように成し遂げた津島藩の方々が本当にすごいなというふうに思いました。
本当ですよね。はい。ありがとうございます。
では奈美内さん次の質問お願いします。
琉球王国の手紙の名前の下部分に筆書きのような感じで花のような模様が描かれていましたが、あれは何ですか。
はい。ありがとうございます。私、古文書専門にしているのでこの質問は嬉しいなと思ったんですけど、これですね。
こういうお手紙で、今もお手紙当然〇〇ちゃん家〇〇寄りって書きますよね。
昔のお手紙って結構本文があって、ここに差し出し者が名前を書いて宛先を書くという日付と書くっていうのが多くて、自分の名前を書くところにサインを書くんですね。
名前と一緒にとかサインだけの場合もあったりもするんですけれども、そのサインのことです。
こういうちょっと華やかなオシャレなデザインもあったり、なんだこのマークはみたいなものもあったりするんですけれども、なので今でいうサインというふうに考えてもらっていいと思います。
花にオス、お花、フラワーの花にオス、ブッシュのオスって書いて花王というふうに呼ぶんですけれども、もともとは署名をしゅるしゅるっと達筆に書いていったものが変化してサインになったというふうに考えられているものですね。
実は結構古くからあって、日本でも奈良時代、平安時代のものでも残っていますし、それから鎌倉時代より後になってくると、公文書であるとか、あるいはプライベートのお手紙とかでもですね、
日本文化の衰退についての考察
国家とか武士とかお坊さんとかも含めていろんな人たちが自分の花王というのを持っていたというのが実際に残っているもので確認できるんですね。
日本以外でも中国や朝鮮でも花王が使われているというのがやっぱり公文書で残っていて確認ができます。
琉球でもですね、江戸時代になってくると、日本でいう江戸時代になってくると、琉球というのは薩摩藩の支配を受けるようになると。
もともとは日本でいう室町時代に琉球王国という国ができてですね、日本とまた別に王様がいてというふうな国が成立するんですけれども、日本でいう江戸時代には薩摩藩の影響、支配を受けるようになってくるんですね。
そういった中でいろんなところで日本の影響というのが琉球の中にも及んでくる中で国王王位であるとか、それに仕えた氏族と言われる人たちも花王を使うようになったというのがわかってきているところです。
旧約の展示ではこの琉球のものだけじゃなくて、結構古文書の展示をですね、前回4テーマとかですね、5テーマではしているので、いろんな古文書で、日本の古文書でも花王というのは見ていただくことができます。
サインのような役割をするんだろうなと思っていたんですけど、花王の歴史的背景を知ることができてよかったです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。かわいらしい絵ですよね。
おしゃれですよね。
おしゃれですよね。
では次の質問、最後の質問になります。八幡原さんお願いします。
アイヌ民族と松前藩の交易はしばらく続いていたようですが、アイヌ民族にとって不利な交易だったはずなのに、どうして続けたんですか。
アイヌ民族は北海道や周辺のエリアに暮らしていた日本の先住民のことですね。
松前藩は今の北海道一部にあった藩ということで、アイヌ民族から見た松前などの人々を、アイヌの皆さんを和人と呼んでいたというような理解かなと思いますね。
ご質問のところですけれども、アイヌ民族とですね、松前って今の函館とかのあたりですね、北海道の南の一部なんですけれども、そこで生活とかあとは行き来をしていた和人との交易ではですね、
アイヌ民族の方は狩りで獲れる動物の毛皮であるとか和紙の羽ですね、あるいは弓矢の、日本では弓矢のところですね、羽に使われてたんですけれども、
それとかあとは鮭、サーモンの鮭とか昆布とか、これは今でも北海道でよく獲れますよね、そういったものですね。
それから和人の方はですね、武士とか商人たちが鉄製品、お鍋とかですね、漆の器とか、あとはお米とか、あとは木綿の服とか着れですね、そういったものを基本的にはこう、物々交換で交易をしていたようなんですよね。
で、毛皮とか和紙の羽とか昆布などはその北海道の特産品で、あまりその本州とか九州とかではあまり獲れないということですね。
で、松前のその和人たちはアイヌの人たちとの交易で独占的にそれを入手することができて、で、高いになんで本州の方で売ることができたんですよね。
一方でアイヌ民族の人々が入手した、和人との交易で入手した鉄製品とか漆器とか米とか木綿とかっていうのは、その北海道のアイヌ民族の社会では生産していないんですけれども、彼らにとっては生活出住品であると。
で、しかもですね、本州より南のその和人の社会ではもう流通が良くしていて入手しやすいものだったと。
安く入手したものを高いものと交換できるっていう、和人にとっては非常にメリットがあるんですよね。
で、そういう不平等な交易が長く続いた理由としては、まずはそのアイヌ民族の人々がにとっては生活出住品がその不足しない程度十分入手してできれば、それがまずは十分だったのかなというところがあるんですけれども。
大事なところはですね、やっぱりその一方でその毛皮とか和紙の葉とか昆布などが高値で取引されるという情報がアイヌの人たちには知らされてなかったのではないかなというところですね。
で、そのアイヌ民族との交易というのは松前の武士や商人たちと、あとはその管理する松前藩によって独占的にそういう管理をされていて、あの藩の許可を得ていない人が自由にその貿易に、交易に参加することができなかったんですよね。
で、そのために値段についての情報というのも情報の出入りとか制限されて、和人によって都合のいいように運営されていたというふうに考えられます。
なるほど。先ほどは琉球の話で、今はアイヌ民族の話ということで、本当に日本全国幅広いものの展示があるコーナーだなというふうに思いました。
はい、では今回はテーマ5について篠瀬さん、そして子供記者の波内ひまりさんと八幡原さんに質疑応答していただきました。
ありがとうございます。次回もこの3人でお届けいたします。
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