西日本新聞 あな特 Podcast
このポッドキャストは、暮らしの疑問や地域の困り事から不正の告発まで、
読者の調査依頼に応える西日本新聞の課題解決型調査報道
あなたの特命取材班の果敢な挑戦を紹介し、
リスナーの皆さんからの取材リクエストにも応えちゃおうという番組です。
こんにちは、西日本新聞社の梁教授です。
西日本新聞報道センター総合デスクの坂本信弘です。
西日本新聞報道センターデスク研究者の福間慎一です。
今回は前編引き続きということで、坂本さんが大変だった中国の取材、
そのことについてお話を伺っていこうと思います。
坂本さんよろしくお願いします。
改めて連載で強く思ったのは、日本でももちろんいろんなお城であるとか、
いろんな史跡を訪ねる観光客たくさんいらっしゃるんですけども、
とにかく三国市はいろんな史跡がとにかくよく保存されていて、
そしてそこにものすごい数の観光客が来ている。
坂本さんが行ったときだけ増えたわけでは決してないだろうと。
まねぎ坂本ではない。
そうでもないはずなんですけど、とにかくどこもすごいにぎわいを見せているというのは、
送られてくる写真で一番驚いたの一つでした。
そうです。意外だったのが、やっぱり三国市、中国でも根強い人気なので、
各地方政府とかが観光政策、観光振興を打ち出しているんですよ。
その中の一つで三国市の一つ名称はそれを前面出しているところがあって、
例えば先ほどこの映像にもあります、この決議亭、
三兄弟が兄弟の千切りを結んだところですけども、
そこに劉備のふるさとがここだみたいな石碑もあるんですけども、
その石碑の案内版とかも私が訪れた年の1年前とかに出てきたものだったり、
あと先ほど聴覚の墓の話もあるんですけども、
聴覚の墓も今コンクリートとかで固められているんですけども、
それも2021年とかって書いてあったりとかして。
きれいでしょ。
そうですね。
で、三国市の史跡って全国にたくさんあったんですけども、中国各地で。
文化大革命というオタク党が起こした政治運動とかで破壊されたりとか、
あと日中戦争で破壊されたりとかで結構失われたものがあるんですよね。
それをまた再整備しようみたいなところもありますね。
なるほど。
すごいですね。
未だに三国市人気がね、あるっていうのは。
先ほどの朝鮮の墓もそうですけども、フィクションではあるんですけども、
とはいえ三国市演技ができた頃っていうのは、
織田信長の頃なんですよね。
その時代にできた物語の史跡なんで立派な史跡というか、
ゆかりの人物、朝鮮の墓がここにあったみたいなのをかつての人が作ったとしても、
言ったら日本の戦国時代の人が作った建物って立派な史跡ですね。
そうですね。
なんでそういう意味では中国のこの歴史の長さとか、
それも史跡と認める懐の深さとか。
そうですよね。
しかも演技ってあれですよね、三国市が終わって結構後にできたものですよね。
そうですね。
中国の歴史で言うと、元とか明の時代に編まれたものだと言われてる。
そうですよね。
で、すぐできたのがその史実の生死が秦の時代にできたんでしょうか。
そうですね。
そうですね。
精神を統一した後にできたんですかね。
そうですね。
官僚の陳述という人が歴史書を編纂したと。
で、陳述は元のルーツでたどると蜀の国にゆかりがある人だったんで。
なるほど。
蜀に結構この。
なるほどね。
で、後の国が一番最初は最後まで残ったんですよ。
貧困蜀の中で。
でも順番で言うと、順番と言いますか、このボリュームというか熱量で言うと義と。
義はやっぱり蜀の前の国なのですごくしっかり書いてあって。
で、蜀についても結構書いていると言われてます。
なるほど。面白いですね。
やっぱね、この三国志の話はちょっと尽きないんで。
ちょっと坂本さんの話にも話を戻して。
中国取材大変やったと思うんですよ。
今楽しくお話ししてますけど。
その辺いかがですか。
そうですね。振り返ってみると7回くらいですね。
当局に一時拘束されたりとか、乱憑されたり。
今さらっと言ったけど、すごいこと言ったですね。
しばらく帰ってきて、今1年くらいになるんですけども。
やっぱり夢でちょっと見る時もあってますね。
うなされて起きるみたいな。
お巡りさんが部屋に踏み込んできた時とかもあったので。
こわー。
自分の思ってた以上に、やっぱり自分なりにダメージを受けたのかなというところはあります。
いやー、怖いですよ。だって。
とはいえ、中国という国自体は私大好きで、国というか地域とか、そこで暮らす人とかですね、
食とか文化とか、歴史はすごく大好きで。
今の統治体制はまた別ですけども。
なので、中国にはまた行けるもんならまた行きたいとは思ってるんですけども。
現地で、新疆およぐる自治区、アフガニスタントの国境にある、
あの地域で少数民族が抑圧されてるという疑惑があって、
それを当局の統計をもとに明らかにしていく調査報道というのを取り組んだこともあって、
ちょっと中国当局からは幼虫喫茶みたいな感じでやったこともあってですね。
でも、もう二度と中国で大きな政権が変わらない限りは中国来ない方がいいと言われている人もいて、
もしかしたらもう今回の人生では中国に行けないかもしれないという思いで、
それが逆にエネルギーになってひたすらあちこち出張しまくった、
現地を訪ね合って歩くエネルギーにはなりましたよね。
危ないところに突っ込みまくっていったみたいな感じですか?
そうですね。冒頭申し上げたみたいに、
ローカルメディアとして北京に特勤を置いているというのが四川新聞の新庄なので、
中央メディアとか他のメディアがなかなかやらないようなこと、
やりたくてもやらないようなところに足を踏み込んでいく。
人権の日日本ということで、人権報道に立ちに取り組んできたのが日日本新聞の伝統なので、
少数民族の抑圧とか問題を特に心がけて取材してきたというのはありましたね。
なるほど。すごいことですよね。
本社でみんな原稿待っているときも、この原稿が出るのかというような驚きもやっぱりありましたし、
やっぱりすごく反響が大きかったですね。
中国でも勝手に私の記事が転載されたこともあって、
中国は転伝と言いまして、どこどこが報じたみたいなことを書くことが多いんですけども、
西日本新聞って名前が日本の半分をカバーしているみたいな、
実際は九州・福岡のローカルメディアですけども。
確かに。西日本といえばもうね。
日本の半分をカバーしているみたいな印象があるので、
中国のSNSとかウェブメディアでも結構大きく取り上げられたことがあって、
それによって良い部分と悪い部分があって、目立ってしまうという感じですね。
また西日本の坂本が書いているみたいなのはあったんですね。
そんなこんなで目立っちゃって、
なんて言ったらいいんですか、ブラックリストに乗ったというか。
三国志の楽しい取材で奇襲賞というところがあるんですけども、
そこの内陸部のどこに、そこに孔明の南蛮口と言いまして、
昭和領が義都の決戦の前にですね、
南の方の異民族を制圧する戦いがあったんですけども、
それの場所が残っているということで取材に行こうとしたんですけど、
現地にも入って、アポとかも取って行こうとした時に、
その時中国の友達と一緒に現地を訪ねていたんですけども、
友達に連絡があって、前が一緒に来ている坂本伸尾は、
要注意記者リストに乗っていると。
で、もう明日の朝一番の飛行機で北京に戻れと。
戻らないと拘束されても誰も責任を持たないみたいなことに
言われたりとかもあったんですよね。
なんか我々の一番記者として嫌なのは、自分自身が拘束されるのは
自分の巻いた種なんで仕方ないんですけど、一緒に取材に協力してくれた方とかが
危険な目に遭うというのはやっぱり辛いので、わざわざ私じゃなくてその
友人に連絡してきたというのも、向こうは向こうで勘どころを得ているという。
なるほど。
どうすれば人間、特に嫌がるかと。
そうですね、嫌がるかというのが分かっているんじゃないかなと思ったことがありました。
命を狙われてたんですね。
まあ命というか、取材の妨害されるというかですね。
命は当たらないかもしれない。
死にたいですけど。
実際ただ、
危ない目にもね。
そうですね、部屋に踏み込んできて、それから2時間半ぐらい尋問されたんですけども、
その間に部屋に戻ってカバンを開けるとですね、
普段入れてるとこと違うところにパソコンが入っていまして、
で、会社に連絡して、会社が記者がパソコンでどんなことしたかって
その記録を残るようにしているので、その解析してもらったところ、
私が軟禁拘束されて10分後から30分間にパソコンの