1. 西日本新聞 あな特 Podcast
  2. 03|あな特史上最遠征 ロシア..
2024-11-08 38:23

03|あな特史上最遠征 ロシアよりかごんま愛を込めて

"あなたの声が社会を変える。読者と記者がSNSでつながり、暮らしの疑問から地域の困り事、不正の告発まで徹底調査し、あなたの「知りたい」にこたえるオンデマンド調査報道「あなたの特命取材班」(あな特)。今回は、あな特史上最遠征となったロシアでの取材についてお話しします。 2018年1月以降、これまで1300本以上の記事を世に送り出してきた「あなたの特命取材班」。福岡・九州だけでなく各地に出張して、読者の「知りたい」にこたえてきました。最も遠い出張先はロシアの古都サンクトペテルブルク(帝政ロシアの首都)。彼の地で18世紀につくられた世界初の露日事典で、1万2000語を収録した「新スラブ・日本語辞典」の作者は、薩摩(鹿児島)出身の若者ゴンザでした。ゴンザの謎に迫るため、福間慎一記者が現地に飛びました。 ◆関連記事 あなたの特命取材班「薩摩からロシアへ、世界初の露日辞典の著者・少年ゴンザを捜して」 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/535565/ 福間 慎一記者の記事一覧 https://www.nishinippon.co.jp/writer/show/4/ ◆出演・スタッフ ・出演:坂本信博(報道センター総合デスク)、福間慎一(報道センターデスク兼記者)、梁京燮(MC) ・音声編集:中富一史 ・映像編集:井上知哉、三笘 真理子 ◆収録日 ・2024年9月27日 【西日本新聞Podcast情報】 ・Xの公式アカウントです。フォローをお願いします。メッセージは「#西ポキャ」をつけて投稿お願いします。→https://x.com/nishinippon_poc ・あな特LINEと特設サイトで調査依頼を募集中です。リスナーの方は調査依頼文の末尾に「#西ポキャ」をご記入ください。 ・メッセージ受付フォーム→https://x.gd/O5RFS ・収録スタジオ「N-Studio TENJIN」(福岡市)→https://n-studiotenjin.jp/ #西日本新聞 #西日本新聞me #西日本新聞ポッドキャスト #西ポキャ #西日本新聞あな特Podcast #あな特 #あなたの特命取材班"

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西日本新聞 あな特 Podcast
このポッドキャストは、暮らしの疑問や地域の困り事から不正の告発まで、
読者の調査依頼に応える西日本新聞の課題解決型調査報道
あなたの匿名取材班の果敢な挑戦を紹介し、リスナーの皆さんからの取材リクエストにも答えちゃおうという番組でございます。
本日は、西日本新聞社の梁教授です。
西日本新聞報道センター総合デスクの坂本信弘です。
いやー始まりましたね。始まりましたね。ついに第3回目。
タイトルコール難しかったっすね。いいですね。
梁さん声がいいですね。ありがとうございます。坂本さんには負けます。
いえいえ。ちょっと私も前回よりも半オクターブ高めで。半オクターブ?本当だ。
ちょっと声が高めですので。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。上げ上げでいきましょう。
坂本さんなんか本を出すとか聞いたんですか?
そうですね。私、去年の8月まで3年間、北京特派員として中国に行ってたんですけども、
その3年間に、今日登場していただく福間さんと連携しながら、三国志を歩く中国を知るという連載をやりました。
三国志の聖地を訪ね歩きながら、現代の中国の姿を伝えるという連載だったんですけども、
それをもとに三国志を歩く中国を知るという本をですね、西日本新聞社から11月11日に発売することになりました。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
ぜひここによろしくお願いします。
ということで、本題に入っていきたいと思うんですけども、今回は、
アナトク史上最遠征となったロシア素材の裏側をたっぷりとお届けしますということで。
今までアナトク各地に、いろんなところに取材に、とにかく現場に取材に行くというのが新聞記者で、やはりアナトクなので、
いろんな現場に行ってるんですけども、かつての、これまで1300本アナトクの記事が出たんですが、
その中で最も遠くに行った足を伸ばしたのが、今回のロシアですね。
めっちゃ遠いですね。
そうですね。
私、今まで行ったことないんですけど。
実際に行ってもらった福間記者を今日は呼んでますということで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。福間と申します。
よろしくお願いします。
簡単に自己紹介してもらっていいですか。
ありがとうございます。西日本新聞報道センターのデスク兼記者の福間新一と申します。
2001年、ずいぶん前ですけども、入社をしまして、いろんなところで外勤の記者をやったり、内勤で取材をしたり、内勤で編集をしたりしてきました。
今はですね、西日本新聞MEというアプリとウェブのサービスがあるんですけども、そころの編集であったり、
あとはあなたの匿名取材派のサブデスク、あとはいろんな地方誌との連携をするような取り組みをやっています。
よろしくお願いします。今日は。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。冒頭少し出ましたけど、ロシアに行かれたんですか。
今はロシアは外務省の渡航中止勧告が出ていて、お察しの状況でございますのでいけないんですけれども。
2年前のロシアによるウクレタ侵攻期に国際情勢が緊迫する中で、外務省が渡航中止勧告を出していると。
いかれんすわね、いかれんですね。
03:00
ですので私が行ったのが2019年。
穴読が始まった翌年ですね。2019年の7月の中旬にロシアに行きました。
なんでロシアに行かれたんですか。
これはですね、いろいろ新聞社も余裕があったというか、余裕がある時代だったというかですね。
ちょっとそういうところでよろしくお願いしますとしか言いようがないんですけども。
とにかく余裕がありましたということで、読者の疑問に答えるという趣旨で。
単純に読者の疑問に答えるためにロシアまで行ってきた、実はそういう。
今日お話が出るゴンザという方が、鹿児島ではですね、天文館という中心の日課のところでゴンザ通りというのもあったりして。
ありますっけ。
あるんですよね。
ゴンザが実はロシアで世界初のスラップ語、日本語辞典を作ったという話があって、そのゴンザのことを知りたいという声もあって、福間記者が現地に飛んだという。
なるほど。
で、行かれたわけですね。
はい、そういうことです。
ゴンザ、今出ましたけど、ゴンザってその鹿児島の人で老日辞典を書いたってことですか。
はい、実はこのゴンザという名前も本名であるかどうか、本名は定かではないんですね。
とにかく鹿児島での出身の人であるということです。
で、これがですね、1728年、随分昔ですけれども、この薩摩藩の船に乗ってですね、大阪に向かっていた途中にですね、これ嵐で6ヶ月間漂うということになって、そしてたどり着いたのがカムチャッカ半島だったと。
で、そこの現場で、いわゆるコサックの一隊に襲われてですね、その隊の人たちはゴンザとですね、もう一人商人のソウザ、この二人を残してみなさん殺害されてしまったと。
で、そこにはそのゴンザのお父さんも含まれていたというふうに言われています。
で、この後この二人はですね、ロシアの一番東の橋であるカムチャッカ半島からペテルブルクまで移送されることになります。
この中、かつてのロシアと日本のですね、歴史の本を読んでみたんですけども、やはり日本が鎖国をしていた時代ですね、徳川幕府時代ですね、かなりいろんな方が船で九州とか関西とか関東とかを行き来する中で、海流の流れとか嵐でですね、北の方とかに漂流した方がかなりいらっしゃったそうなんでしょうね。
一方でロシアの方は、オランダは東インド会社とかで日本との交易をしてましたけども、ロシアもなんとか当時黄金の国という日本に対するイメージもあったということもあって、日本との交易の道をずっと探している中で様々な漂流者の方が来たと。
そうした方たちに日本の事情を聞いたり、日本の言葉を教えてもらったりということで、日本語学校を作るという動きもあった。
ゴンザとソウザは、ともかくも東からペテルブルックまで4年かけて移動しました。
様いろいろ対流をしたりされながらというふうに本には書いてありますけれども、そこで女帝、皇帝ですね、アンナ・イワノバナに越見をします。
06:10
そこでアンナ・イワノバナは、この2人のロシア語の堪能さに大変感銘を受け、それでこの2人にさらにロシア語を回収をさせた上で、ロシア語を学ばせたということです。
その後、実は翌年ソウザの方は病気で亡くなってしまいます。
そこでゴンザはその後もずっと語学を、ロシア語を磨き続けて、そしてロシア語を研究すると同時に、ロシアの子供たちに日本語を教えるということを始めました。
ちなみに回収というのはロシア聖教に回収させるということですよね。
一説によると回収させることによって、日本人を日本に返させない狙いもあったという説もある。
そうですね。その時にゴンザはダミアン・ポモルツェフという名前に変わっていました。
ゴンザは仏教だったんですかね。
そうですね。神道なのか仏教なのか日本の宗教だったかもしれない可能性もありますけども、
様々な方が漂流してロシアに行ったという話をさっきしましたけども、そういった方たちもほとんどの人がやはり回収をさせられていて、
現地の方と結婚したりということで、ロシア側としてはなんとか貴重な日本の情報を持っている、日本語を話せる人を現地に留めさせたいという狙いもあったんじゃないかと。
しかし、よう生き残ってそこまで至りましたよね、まず。
そうですね。そして当時まだゴンザは10代の後半です。
そこでやっぱりロシア語を自分で身につけて、そして教えるまで。
すごいですね。
語学力なので、相当に瞬殺であったんじゃなかろうかということが想像できますね。
ロシア語、僕全然わかんないですけど、めっちゃむずいイメージしかないんですけど。
逆ですからね、アルファベットは。逆みたいに見えるんですけど。
逆、私は知らないので逆、なんて書いてるんだってわからないですけど。
ドラゴンボールでいうナメック語みたいになってますね。
言い過ぎ。
いやいや、そんな感じですよね。
英語のアルファベットのようで違う、やっぱりロシアの文字ですね。
当時いろんな方が漂流する中で、言葉で現地で知り合った人と話をする中で、タバコっていう言葉を日本人が発音したら、
タバコ。
現地の人も話して、タバコっていうのは元々ヨーロッパから来た言葉だったので、そういう言葉が通じる部分もあったみたいなんですけども、相当な苦労があったんじゃないかと思いますよね。
で、1705年にペテルブルクに生徒1人、生徒数名の日本語学校っていうのが誕生したそうなんですけども、
その最初の初代の先生は関西の人だったそうです。
なので関西弁でロシア語を翻訳して教えていたと。
それがやっと定着したと思ったら、フクマさんたちが来た時は今度は薩摩弁だと。
すごいですね、英才教育ですね。
ですから当時のロシアの方々は最初に関西弁を学んでもしかしたら次に薩摩弁を学ぶという経緯をたどったんじゃないかなと思います。
09:04
ちなみに今回フクマさんが、今回5年前行った場所はサンクトペテルブルクですよね。
サンクトペテルブルクでした。
モスクワで乗り換えてサンクトペテルブルクに行くと、大体どれくらいかかりましたかちょっと覚えていませんが、やっぱり10時間、12時間くらいはかかったかもしれません。
モスクワから?
はい、でした。
電車で?
いや、そこからまた飛行機乗り換えでした。
10時間?
成田から。
成田からね。
そこからまたサンクトペテルブルクまで。
全部で10時間。
はい、遠かったですね。
サンクトペテルブルクはロシアのこと、帝政ロシア時代の都ですよね。
そうですね、人口がだいたい500万人以上、すごく大きな街で。
めっちゃでかいですね。
渋滞も凄まじい渋滞、朝、夕はでした。
私が行ったのがちょうど7月の中旬でした。
なので、特に60度の街なもんですから、夕暮れも遅くてですね。
だいたい夜になるのが11時くらい。
朝になるのがやっぱりもう3時半とか。
3時半。
ぐらいから明るいんで、ほとんどずっと1日明るいみたいな。
太陽がずっと出てるんですね。
とにかく明るかっていう印象ですね。
気温は?
気温はすごく過ごしやすかったです。
もう20度前後、上がっても25度はいかないぐらいの記憶があります。
逆にこれ冬はどれだけ暗いんだろうというふうにも想像させられました。
サンクトペテルブルクちょっと調べてみたんですけども、
先ほど日本語学校を作ったという1705年に、ロシアのピョートル一世という皇帝で。
ピョートルなんてペテルなのかなと。
レーニングラードというとレーニンに由来したり、スタリングラードだとスターリンに由来するというのだったと思ったんですけど、
それはないらしくて、ピョートル一世の守護聖人が聖ペテロだということで、
聖なるペテロが守り保う町という意味でサンクトペテルブルクという名前になったそうです。
ちなみにエルミターズ美術館って世界的に有名な美術館も、
その皇帝たちが冬の時間を過ごすためにサンクトペテルブルクの中心部に作った宮殿だそうで。
山本さんも行ったんですか。
アナトクちゃんのぬいぐるみを、あなたの匿名取材派のマスコットのアナトクちゃんのぬいぐるみを連れて今回、
前回は行ってきたんですけれども、ちゃんとエルミターズ美術館にも美術品として持って行ってきましたね。
じゃあもう、うちのアナグマちゃんが。
いいですね。
なるほど。
で、そのサンクトペテルブルクでゴンザがその後、どうなっていくんですか。
彼はですね、それこそさっき申し上げたように、子供たちに日本語を教えます。
そしてですね、その傍ら辞書の編参に取り組みます。
そしてですね、数年かけて作った辞書がこの冒頭でちょっとご紹介をしてもらった。
現物があるんですね。
新スラブ日本語辞典というものです。
ちょっと現物を持ってきて。
これは後で日本の学者さんが改めて編参されたものですので。
新スラブ日本語辞典ですね。
12:00
全部で1万2千の単語、これを日本語に訳した辞典です。
ゴンザ編って書いてますね。
それがひょっとして鹿児島弁になってるんですか。
おっしゃる通りで。
これが中が本当に改めて見ると驚きというかですね、本当に感慨深いんですけども、
日本語訳は全部さつま弁で訳されています。
ロシアの人からすればそれが日本語だということですよね。
鹿児島弁の話ちょっとしていいですか。
鹿児島弁、僕の妻は鹿児島なんですけど、
じいちゃんばあちゃん本当何よくわからないんですよね。
私も実は福岡生まれなんですけど鹿児島育ちで幼稚園から中学校まで鹿児島で育ったんですけど、
もう10年以上住んでたのに鹿児島市電が走ってるんで路面電車が乗っててですね。
外国の人がいると思って振り返ったらネイティブな鹿児島のおばあちゃんたちが会話してたってことが忘れましたね。
鹿児島弁で行くと、佐藤さん知ってますか。
茶碗蒸しの歌。
うんだもんだ、いいけなもんだ、畑いがげんとですね。
マジ何よくわからんすよね。
鹿児島市小学校の時にですね、歌の本というのが配られるんですけども、そこに茶碗蒸しの歌って書いてあって、
当然日本中の人が知ってるものだと鹿児島学校は思ってたんですけども。
初めて聞きました。
中身があれですよね、茶碗蒸しが知らん人が茶碗蒸しっていう虫がいるもんだと思って、
勘違いするっていう感じですよね。
かわいいんですよ。
独特のフレーズですよね。
鹿児島弁はやはり薩摩の国が江戸幕府の中でですね、関ヶ原の戦いで負けて、
一部敵政国というか徳川県にとっては関ヶ原の戦いで戦った、
とざまの大名だということで、薩摩の国が監視対象になってたということもあって、
薩摩弁は徳川幕府のスパイに患者に言葉が分からないようにあえて難しくしたという説もあると。
ありますよね、僕もそう聞いてます。
ですよね。で、太平洋戦争の時には日本軍の暗号というのがほとんどもう、
連合軍、米軍に解読されていてことごとく作戦がばれていたということがあったので、
鹿児島弁の堪能な人同士が会話をして、米軍が何の言葉だこれはみたいな。
それを解析した頃にはもうその作戦が終わってたっていう話もあるぐらいで、
独特の言い回しがありますよね。
それぐらい分からん言葉ですよと。で、戻しましょう、露日時点。
露日時点。
本当にこれ実際は露札時点と言っていいぐらい薩摩弁でそれぞれの単語が書いてありまして、
本当に例えばですね、格闘闘技場、ロシア語で格闘闘技場のことはスモトリバ。
スモトリバ。
スモトリバ。
他人数家族。
他人数家族。
これは二次顔家、人数が多かというふうに書かれている。
で、燃やす。
燃やす。
燃やかす。
燃やかす。
火が入るんですね。で、労働で疲れること。
15:01
だること。
だるって言いますもんね。
だるって言いますね。
で、じゃあ次は馬のいななき。
馬のいななき。
なんだと思います。
馬のいななき?ひひんじゃなくて。
馬のいななきという。
言葉?
馬のね、ね、ね生き方、なんて言う?
馬をラブこと。
ああ、なるほどね。
オラブですね。オラブはね、福岡でもオラブです。
で、魂を持つもの。
魂。
生き物。これについては生きたもの。
いうようにですね。
いわゆる共通語ではない、本当に九州。
私は福岡なんですけども、私が見ても、
これは本当に九州の言葉だなというふうに本当に。
これを異国の地でずっと編集をして書き続けていったというのは、
どれだけの苦労と決意だっただろうかというのが、
この分厚い辞書を見て、辞典を見てると、
だんだん迫力に押されてくるような感じがしてですね。
なんかさっき見てみたら、悪魔という言葉はガラッパと。
ガラッパって鹿児島弁でカッパのことですね。
あとウォッカ。ウォッカのことは何と思います?
ウォッカ?
焼酎。
葵盛り。
葵盛りですね。
あとこの孤独。太いオルコト。一人いることっていう。
ああ、なるほど。
まさにこのボンザはロシアの地で太いオルコトだったわけですよね。
その渋滞で流されてきて。
多くの方がいろんな方がもう亡くなってしまって、
一人回収もして、ロシア語の翻訳に従事したと。
そしてこのゴンザですけど、この辞書を完成させた翌年。
よく本当にいろんなところ、ゴンザの研究本当にいろんな方がされてるので、
私なんか話すのはあれなんですけども、
やっぱりこの翌年にですね、やっぱり病気で溶接します。
若くして亡くなります。
21歳でゴンザは亡くなってしまった。
そこで残したのが本当この辞書であったり、
他にもいろいろその日本語会話入門であったりですね。
4冊か5冊か。
そんな若い時にそんなに残してるんですね。
特にこの日本語会話入門は18歳で書いたという本です。
ゴンザすげえ。
本当にすごくて、自分たちが18歳で外国語を勉強して、
これは簡単にいかんだろうね。
そうですね。
これは神村さんとおっしゃる方が書いた、
神村さんと研究者の方が書かれたですね、
さつまひょうりゅうせんとゴンザという本の中にですね、
そのゴンザが18歳で書いたですね、
日本語会話入門の序文というのがあって、
要はそこにゴンザが書いた序文があるんですけども、
要はけなげなわらべたちよ、来なさい習う人よ。
習いなさい日本の言葉に。
神仏はこのあたたちを快明になさろう。
師匠たちはこのあたたちを好かれよう。
18:01
別の人たちは褒めてくれよう。
自分自身は嬉しくあろう。
始まりは辛労であろう。
途中は軽くもあろう。
最後は仲良しもあり、面白くなろうというふうに、
勉強する苦労っていうのを書いていてですね、
それでもやっぱり言葉というのは面白いんだというふうに、
これを18歳でこんなことが書けるのかという、
ちょっと戦慄に近いものがありました。
自分の身で想像してみると、ある日突然旅行に行こうと、
仕事で出張に行こうとしたら、
すごい漂流してしまって、
全く言葉の通じないところに行って、
そこでいろんな経緯があって、
辞書を作れって言われて、
今の文章が生まれたわけですよね。
普通無理なん、あり程度無理なんじゃないかと。
自分自身も本当に父さん殺されたりしてるわけですし、
本当にもう普通に生活することもできない。
しかも気候も違う、食べ物も違うという中で、
なんでここまでのことができたのかというのは本当に、
一言で言うとすごいとしか言いようがないですね。
お父さんだってロシア人に殺されてるってことでしょ?
そうですね。何かの部族であったりですね、
ということだったとは思いますけど、
すごいと。
とにかくすごいと。
そんなゴンザさんを今、
鹿児島の人が追ってるって聞いてるんですけど。
そうですね。
ゴンザは鹿児島の出身ということで、
鹿児島にはですね。
神社もあるんですよね。
神社もあります。
それこそゴンザの検証をする、
ゴンザ検証会というグループがいまして、
そこの方々がゴンザについてずっと、
そもそも出身地はどこだったのかとかですね。
他にどういう小物を残しているのかとかですね。
実はゴンザが亡くなった時に顔の型を取るんですけど、
それがロシアのクンストカメラという場所に
収められていると言われているんですけども、
それが実は本物ではないのではないかという検証をされたり、
あとはロシアに行ったゴンザの墓を、
実際にロシアに行かれて探されたり、
そういったことをされて、
ゴンザの功績と鹿児島弁の大切さ、
薩摩弁の大切さというのを後に伝える、
活動されているグループですね。
そういう人たちはいるんですね。
やっぱり薩摩のどこなのかがわからないということでですね。
この種田さん、種田さんの方なんですけども、
このメンバーはですね、やっぱりこの露日時点、
このゴンザが編集したこの言葉をもとにですね、
いろいろ聞き取り調査を進めてですね、
どうもその市木久志木野市の薩摩地区。
なるほど、そのゴンザの残した鹿児島弁が、
鹿児島の中でもそこの地域のものだと。
なるほど。
その中で400近い単語がですね、
その薩摩の方言と一致して、
中でもそのカモメのことをゴンザはカグメと書いてたということで、
どうもやっぱりこの辺りではないかというふうに推量されていると。
もちろん確定的な証拠はないですけれども、
それだけ熱心にこのゴンザの出身地について調べています。
21:00
じゃあそのゴンザが一生懸命苦労して地点を作ったおかげで、
あれがどこのルーツがあったかというのが、
長い時を経て今は明らかになろうとしているという。
ですね。
で、今この橋間にはですね、
橋間崎神社という神社があるんですけれども、
そこに実はゴンザの経像が建っておりまして、
そこの本当、経像そのものは正念ですね。
今あの背景に映っています。
これが実は橋間崎神社のゴンザの経像です。
なるほど。
これがYouTubeのヒットは見えますよね。
デスマスクを元にしたというところなんですかね、この像。
これがデスマスクの元なのかちょっとそこは分からないんですけれども、
しっかり前を見据えてですね、
ちょっとこう、やっぱり君相カメラの表情とはちょっと違うというもので、
で、やっぱりここで学問の神様として祀ってある。
本当に海のとったんにあるところで、
すごい風が私が行った時も吹いていたんですけれども、
こういう中で出航して、
まさかそういう目に遭うとは思わなかっただろうなという、
もうとにかくなんか想像を、ひたすら想像をかきたてられる。
どういう人生なのかというね、本当に。
ロマンに溢れてますね。
本当に大変だったし、大変な中で本当にようこんなのを残したなと思う。
本当にすごいと思う。
すごいですよね。
いいようがない。
それこそこのゴンザの後継者たちというか、
そのロシアでも日本語学校とかあるところにあると思うんですけど、
今どんな感じなんですか?
あのですね、私が行った時もガイドの方、
当然ロシアで日本語学校を卒業して勉強された方。
一人は要はサンクトペテル大学の東洋学科で学んだとおっしゃってましたけど、
その方は本当に日本語が堪能でですね、
自分のことペテ大とおっしゃってました。
ペテ大。
ペテ大です私はとおっしゃって。
ペテ大ですかって。
そうですか。
まあそんなもんだと。
じゃあちょっといろいろ山話しますねとかいうくらいの日本語のものすごく堪能な方で、
バイオリニストの方。
才能が豊かすぎて。
優秀なんですね。
ついていけないくらい才能が豊かな方でした。
あと本当やっぱ皆さんやっぱアニメとかですね、
あとは本当のガイドの女性の方は国北道府から文学で入っていった。
なんかいろんなきっかけ。
若い方はやっぱアニメとか入ってた。
将来やっぱ日本とロシアをつなぐ仕事がしたいというふうにおっしゃっていました。
なるほど。
すごいですね。
その1705年からできた日本語学校の記憶を組むというかですね、
歴史がつながってるわけですね。
ちょうどですね、この記事を書いたときに2015年のデータとして、
日本語教師の数と日本語学習者の数というのを出していて、
それがだいたい日本語教師の方が確か480人いらっしゃって、
で、日本語学習者が、ちょっと待ってください、すいません。
見送ります。
歴史のつながりってすごいですね。
24:00
すごいですね。
なんか鹿児島の人が今もゴンザのことを思ってる。
そうですね。
それも嬉しいですよね。
僕もそうですよね。
出ましたか。
2015年度がですね、ロシアの日本語教師が約480人で、
学習者が約8500人。
そんなにいるんですね。
いう数字だったんですけれども、
さっきですね、最新の数字がもしかしたら出てるんじゃないかなと思いまして、
それを調べたものがありますが、またちょっと書かれます。
そうやって頑張って辞書を残したおかげでまたふるさとに
ゴンザが石像となって帰ってきてるっていう。
すごいですよね。
どんどん張り回っていくんですね。
出ましたか。
改めて申し上げます。
2015年が480人で約8500人と申しました。
日本語学習者だったんですけど、これが2023年度の数字が出ていてどうなってると思いますか。
どうだろう。
増えた。
少なくなってる。
正解はですね、教師の数が660人。
増えてる。
そして学習者が12000人。
すごく増えてる。
なのでロシアの中ではこのデータからだけを見ると、
日本語を勉強したいと思う方が増えてるというのはすごく嬉しい。
外交関係ではそれこそ東京、中西、韓国とかが出るぐらい冷え込んでるわけですけど、
日本語を学ぶとか日本に関心を持ってくださる方は増えてるっていうのは嬉しいですね。
すごいなと俺も思って。
本当ですね。
これが本当に300年近く前にこうやって2人行った人たち。
今本当にゴンザンとソーザから始まって今に花が咲いてる。
ガイドをしてくださった方、日本語学習者、日本語のガイドの方に、ロシアの方ですけど、
自身もサンクトペテルブルクの地元の人で、
もしここでロシアの日本語学習の歴史が始まったということを改めてどんなふうに思います?
本当に嬉しいし自分たちの誇りであるというふうにそれはもう淀みなくおっしゃってました。
ペテ大生たちのおりになって。
ペテ大ね。
ペテペテ大の。
その人はペテ大じゃなかったかもしれない。
ちなみにその方は何のこと日本語が好きですか?
カエルが好きだ。
なんでカエルなんですか?
カエルが好き、なんでカエル?
ヤグーシュカというらしくてですね。
ヤグーシュカ。
ヤグーシュカ。
ヤグーシュカ。
なんかお金のシンボルであると。
で、もう一言付け加えたのが日本にカエルにもなりますよねってことで、
埼玉大でその方は勉強されたらしくて、
いつか日本に帰りたいと。
なんでカエルが好きだというふうにおっしゃってました。
すごいと。
とにかくすごい視感で出なくて皆さん。
考えてみると今日本も福岡とかネパールとかベトナムの日本語学校、
日本語を学ぶ若者たちがすごく留学生来てますけども、
やっぱり彼らも中には若い20代とかですね、
若いゴンザとかソウザに年齢の近い若者もいますから、
そこら辺ともシンクロしますね。
27:01
本当ですね。
それこそゴンザを検証する種田さんの言葉なんですけど、
種田さん本当にまさに坂本さんおっしゃったような、
今本当に日本も技能実習であるとか留学生増えていて、
当然文化も何も風土も文化も違うところで暮らしていて、
一生懸命日本語を勉強してると。
それがやっぱりその姿を見るにつけてやっぱり本当ゴンザの、
ある意識のゴンザの、もちろん生目では見てないんですけども、
思いが重なって本当にみんな苦労してる、
なんとか応援できないかというふうにやっぱり見るたび思うんですね、
というふうなことをおっしゃってます。
ネパールとかベトナムの若者からすれば、
日本の文字とか発音とか、
めちゃむずいですからね。
難しいと思いますよ。
むずいですよね。
坂本さんもあれですよね、
中国に行かれてた時に、
ロシアの中国との国境も見に行かれたりしてたんでしょう。
ロシアによるウクラナ侵攻が来たのが、
2022年の2月だったんですかね。
それから1年後にですね、
行ってきました。
ロシアと中国の国境の街に、
国竜交渉の黒川という街が、
黒い荒岩の山髄の川ですね。
川という街があって、
その街の目の前に流れているのがアムール川という、
中国で言うと国竜交という川なんですけども、
その川の向こう側は、
ロシアのブラゴベイシチェンスクという街だからね。
行ってみると、やはり当時はウクラナ戦争で、
中国とロシアが結びついてるみたいな話もあって、
実際現場の感覚はどうなのかなということで、
取材に行ったんですけども、
行ってみると、結構ロシア人に対して中国の方たちは、
ロシアの国は信用できないみたいなことがあるっていうのが印象的だったんですよ。
なぜかというと、
帝政ロシアの時代に、
黒川に大量のロシア兵たちが攻めてきて、
虐殺をしたという記録があって、
その虐殺を記念する記念館みたいなのもあるんですよね。
あるんですね。
そんなのもあって、
ロシア人は何するか分かんない。
ロシア人個人というよりは、
ロシアという国に対して、
信用できないみたいな人たちもいたんですけども、
やっぱり街の中に行くと、
ロシア土産とか、
鳥取館とかもいっぱい売ってあってですね。
いろんな歴代の、
世界の偉人のマトリョーシカみたいなのも。
そんなのあるんですね。
サンクトペテルブルックはどうですか?
かなりやっぱり、
プーチン大統領グッズみたいなものが、
相当な種類売られていました。
やっぱりマトリョーシカ、
プーチンマトリョーシカ。
ありましたね。
なんでしょう、下敷きみたいなのとかですね。
とにかくコーヒーカップにプリントしてやるとかですね。
いろんな国民の人気なのか、
見上げで買うから外の人が買うんだろうけど。
買って帰るんでしょうね、プーチンのグッズを。
そうですね。
とにかくものすごい数売ってました。
サンクトペテルブルックはプーチンの出身地なんですね。
そうですね。
地元でもあると言うことかもしれませんね。
なるほど。
プーチンを開けたらゴルバチョフが出てきたりするんですかね。
いや、確かに。
面白いですね。
中国でもそういう見上げを見た記憶がありますね。
30:01
中開けてないですけど、なんかありましたね。
面白いですよね。
もしかしたらプーチンじゃなかったのかよもわからないですね。
とにかくお土産は本当にいろんな数売ってました。
すごいですね。
面白いですね。
面白いですね。
いやいや、今お話聞いてきましたけど、
ロシアの話もあるし、ウクライナ振興もまだ続いてます。
これも、なんと言いますか、早く仲良くなるのかなと思うんですけど。
そうですね。
言葉は本当に、そのとおりコミュニケーションの一番元だから、
本当に言葉を学ぶ人がいるっていうのがある限り、
何か関係が立たれることはありませんし、
学びたいっていうのは興味だし、知りたいと思う気持ちは好きになる、
本当の入り口でしょうからね。
外の言葉を学びたいっていうのは大事にせないといけないと思って、
こっちに来て、本当に日本に来てくれてる人たちが日本語を勉強したいという気持ちでも、
ちゃんと答えたりとか、やっぱり地元の人間としても、
福岡の人間としてもできたらいいねというふうに思いますね。
ロシアの中にも、やっぱりウクライナ振興に対して、
おかしいって思ってる方もたくさんいますし、
ロシアイコールロシア人みたいに大きくくくらないってすごく大事なことですよね。
そうですね。
日本語を勉強してる方がむしろ増えてるっていうのもすごく嬉しいことですし、
中国に行って私もすごく感じたんですけど、
中国人っていう大きな主語でくくると、ちょっと誤解多めな中国語がいろんな方がいて、
みんながみんな中国共産党を支持してるわけでもないので、
中国共産党と役人と中国の一般の市民っていうのを手分けて考える必要があるなっていうのをすごく感じてたんですけども、
今日の福間さんの話を伺っても、やっぱりロシアという国とロシア住んでる人っていうのは、
必ずしも大きな主語でくくらないようにしないと見上がるなっていうのを感じましたね。
さっきの中国の国境のロシアの人の話、中国の人の話もそうですけど、
会ってお互いを理解するっていう、それすごく大事だなと思ってて。
福間さんの話でいうと、さっきのツールに言葉があって、
言葉を覚えるってことは相手を理解するっていうことになるのかなと。
そうですね。あと印象深かったのが、スーパーマーケットがですね、面白くて。
いろんな旅先でスーパーは皆さんと一体楽しいと思うんですけど、向こうのスーパーもやっぱ楽しくてですね。
楽しいですよね、スーパーのとき。
ちゃんとやっぱお醤油とかご飯の醤油とか置いてあってですね。
あと一番印象深かったのが、ウォッカ。ウォッカがちっちゃいワンカップみたいなの。
ワンカップウォッカがたくさん、いろんな種類。ほんと日本のワンカップみたいな感じで。
いいっすね。
いろんな種類。
あの量であの度数なので、ちょっと飲む勇気は出ずに。
ワンカップは重いですね。
ゴンザに寄せばワンカップは重い。
いいなあ。
いいですね。
あれはさすがにこっちには売ってないからですね。ワンカップは重い。
重いですね。
いやいや、ここまで今日はふくまさんありがとうございました。
33:03
いやいや、ありがとうございます。
ふくまさんといえばあれなんですけど、言葉ということで言うとですね、ずっと取り組んでおられるプロジェクトが。
はいはい。
実はありがとうございます。
西日本新聞MEではですね、それこそ先ほど来申し上げたような、日本語を勉強する、日本に来て日本を勉強している外国の方、多文化の方に対してですね、福岡、ローカルのニュースを分かりやすく伝えようということで、
優しい日本語のニュースを平日一本を張ってでも翻訳して、翻訳、日本語の普通のうちの記事を優しい日本語に直してですね、日本語の先生の監修を受けて出すというのをずっと取り組んで、
ちょうど今年の夏でですね、初めて6年ちょっと経ったんですけど、1500本ぐらいの記事を訳して。
すげー。1500本。
はい、もうなんとか誰か呼んで、福岡の話を誰か呼んでもらえるだろうということで今ずっと続けていまして、
本当この人たちにどうやったら伝わるような言葉を選べるだろうかみたいなところを考えながら記事を訳すんですけど、
やっぱり自分のいつも気の利いた言い方とか、ついついこうして言語を書くときもしてしまうんですけど、
いや、そんなことじゃなくてちゃんとわかりやすく伝えなきゃいけないぞって毎回忌ましめられるような気持ちはすごく難しいです。
例えば優しい日本語言い換えだとどんなものが。
えっとですね、これは難しいんですよね。
記事を訳すっていうのがあるんですよね。わかりやすくしてる。優しい日本語にしてそれを発信してるってことですね。
なんで言い回しとかもやっぱり難しいからですね。ちょっとパッと思いつかないですね。
何だろう。あまりに日々やりすぎて出てこないぐらいになってしまう。
日本語を勉強した方にとってもわかりやすい。日本語の初心者の方にとってもわかりやすいような言い換えっていうとかあるでしょうね。
日本語の。
これが引いては子供とかですね、年寄りとかにもわかりやすく。
やっぱり日本語が難しい文章がパッとわからない方にも伝えられやすい伝え方なんじゃないかということでずっと取り進んでる。
それをゴンザの即席を訪ねた福間さんが言った後、5年前ですか。
またその言葉で外国と日本をつなぐっていうプロジェクトを福間さん自身がやってるっていうのも胸熱いですね。
神座ですね。福間神座。
すいません、じゃあ。
この優しい日本語をもう一回どこで聞けるか教えてもらえますか。
西日本新聞MEのですね、ウェブサイトとアプリですね。
あと実は平日はですね、昼のですね、11時25分ぐらい。ちょっと細かいんですけど。
ここからですね、ラブFMさんで実は今のところを流していただいております。
なので一日一本そこで読んでもらってるので、ぜひ耳でも聞ける優しい日本語です。
ジャストエリアですけど、なんかポッドキャストでずっと上げていったらいいんじゃないですか、アーカイブで。
本当ですね。
いいですね。
優しい日本語、いけると思う。
めっちゃいいと思います。
名前ゴンザにしてもいいですね。
ゴンザですか。
36:01
伝わらない。
ちょっと説明がですね、大変多い。
例えばこれですよね、その優しい日本語最近の記事ですと、海岸で砂の像の展覧会が開かれていると、
福岡県足羽町は砂像の展覧会で有名ですというので、水で固めた砂を掘って作った像のことを砂像と言います。
海岸にたくさんの作品が並んでいます。
今年のテーマは音楽です。
一番大きな作品は幅が11メートルもあります。
作品は歌う人の顔や楽器を使う手の動きなどが細かく作られています。
夜は綺麗な光で像を飾ります。
いわゆるライトアップと言えないので、綺麗な光で照らすというふうに言ったりですね。
文章が長くないですね。
なるべく短めに。
一文一文短くしないととかですね。
それでもやっぱりわかりにくい。
今回の砂像の少し難しい言葉はそれでも多かったのではないかということで、ちょっと反省をしています。
これ両方の西日本新聞のオリジナルの記事と優しい日本語の記事が両方、西日本新聞を見て読めるということですよね。
両方読むことができます。
ぜひ耳でも目でも見てくださいという楽しい時間なんですが、そろそろだいぶ撒いてまして。
ありがとうございます。
押してます。
ロシアの話聞きたいです。
聞きたいところですが、円丈なんですが、ここまでとなりません。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
今日はアナトク市場再演説となったロシア素材についてお話を伺いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
最後に一つだけお知らせをさせてください。
メッセージの受付フォームを作りました。
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番組の感想などなどぜひお寄せください。
そしてこれからもアナトクは読者の皆さんと一緒に成長していきます。
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文末にハッシュタグ西ポキャの記入をお願いいたします。
そして次回はですね。
甘くないトウモロコシを終え、懐かしの味、今はまさかの争奪戦ということで。
楽しみですね。
広島弁で言うとなんて言うんですか。
あんもない。
ごめんなさい。
広島を離れて長い。
広島に戻るとですね。パッと広島に戻るんですけど。
今喋るって言われると喋れないんですよね。不思議なもんですね。
ということで今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
38:23

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