西日本新聞 あな特 Podcast
このポッドキャストは、暮らしの疑問や地域の困り事から不正の告発まで、
読者の調査依頼に応える西日本新聞の課題解決型調査報道
あなたの匿名取材班の果敢な挑戦を紹介し、リスナーの皆さんからの取材リクエストにも答えちゃおうという番組でございます。
本日は、西日本新聞社の梁教授です。
西日本新聞報道センター総合デスクの坂本信弘です。
いやー始まりましたね。始まりましたね。ついに第3回目。
タイトルコール難しかったっすね。いいですね。
梁さん声がいいですね。ありがとうございます。坂本さんには負けます。
いえいえ。ちょっと私も前回よりも半オクターブ高めで。半オクターブ?本当だ。
ちょっと声が高めですので。よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。上げ上げでいきましょう。
坂本さんなんか本を出すとか聞いたんですか?
そうですね。私、去年の8月まで3年間、北京特派員として中国に行ってたんですけども、
その3年間に、今日登場していただく福間さんと連携しながら、三国志を歩く中国を知るという連載をやりました。
三国志の聖地を訪ね歩きながら、現代の中国の姿を伝えるという連載だったんですけども、
それをもとに三国志を歩く中国を知るという本をですね、西日本新聞社から11月11日に発売することになりました。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
ぜひここによろしくお願いします。
ということで、本題に入っていきたいと思うんですけども、今回は、
アナトク史上最遠征となったロシア素材の裏側をたっぷりとお届けしますということで。
今までアナトク各地に、いろんなところに取材に、とにかく現場に取材に行くというのが新聞記者で、やはりアナトクなので、
いろんな現場に行ってるんですけども、かつての、これまで1300本アナトクの記事が出たんですが、
その中で最も遠くに行った足を伸ばしたのが、今回のロシアですね。
めっちゃ遠いですね。
そうですね。
私、今まで行ったことないんですけど。
実際に行ってもらった福間記者を今日は呼んでますということで、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。福間と申します。
よろしくお願いします。
簡単に自己紹介してもらっていいですか。
ありがとうございます。西日本新聞報道センターのデスク兼記者の福間新一と申します。
2001年、ずいぶん前ですけども、入社をしまして、いろんなところで外勤の記者をやったり、内勤で取材をしたり、内勤で編集をしたりしてきました。
今はですね、西日本新聞MEというアプリとウェブのサービスがあるんですけども、そころの編集であったり、
あとはあなたの匿名取材派のサブデスク、あとはいろんな地方誌との連携をするような取り組みをやっています。
よろしくお願いします。今日は。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。冒頭少し出ましたけど、ロシアに行かれたんですか。
今はロシアは外務省の渡航中止勧告が出ていて、お察しの状況でございますのでいけないんですけれども。
2年前のロシアによるウクレタ侵攻期に国際情勢が緊迫する中で、外務省が渡航中止勧告を出していると。
いかれんすわね、いかれんですね。
そこでアンナ・イワノバナは、この2人のロシア語の堪能さに大変感銘を受け、それでこの2人にさらにロシア語を回収をさせた上で、ロシア語を学ばせたということです。
その後、実は翌年ソウザの方は病気で亡くなってしまいます。
そこでゴンザはその後もずっと語学を、ロシア語を磨き続けて、そしてロシア語を研究すると同時に、ロシアの子供たちに日本語を教えるということを始めました。
ちなみに回収というのはロシア聖教に回収させるということですよね。
一説によると回収させることによって、日本人を日本に返させない狙いもあったという説もある。
そうですね。その時にゴンザはダミアン・ポモルツェフという名前に変わっていました。
ゴンザは仏教だったんですかね。
そうですね。神道なのか仏教なのか日本の宗教だったかもしれない可能性もありますけども、
様々な方が漂流してロシアに行ったという話をさっきしましたけども、そういった方たちもほとんどの人がやはり回収をさせられていて、
現地の方と結婚したりということで、ロシア側としてはなんとか貴重な日本の情報を持っている、日本語を話せる人を現地に留めさせたいという狙いもあったんじゃないかと。
しかし、よう生き残ってそこまで至りましたよね、まず。
そうですね。そして当時まだゴンザは10代の後半です。
そこでやっぱりロシア語を自分で身につけて、そして教えるまで。
すごいですね。
語学力なので、相当に瞬殺であったんじゃなかろうかということが想像できますね。
ロシア語、僕全然わかんないですけど、めっちゃむずいイメージしかないんですけど。
逆ですからね、アルファベットは。逆みたいに見えるんですけど。
逆、私は知らないので逆、なんて書いてるんだってわからないですけど。
ドラゴンボールでいうナメック語みたいになってますね。
言い過ぎ。
いやいや、そんな感じですよね。
英語のアルファベットのようで違う、やっぱりロシアの文字ですね。
当時いろんな方が漂流する中で、言葉で現地で知り合った人と話をする中で、タバコっていう言葉を日本人が発音したら、
タバコ。
現地の人も話して、タバコっていうのは元々ヨーロッパから来た言葉だったので、そういう言葉が通じる部分もあったみたいなんですけども、相当な苦労があったんじゃないかと思いますよね。
で、1705年にペテルブルクに生徒1人、生徒数名の日本語学校っていうのが誕生したそうなんですけども、
その最初の初代の先生は関西の人だったそうです。
なので関西弁でロシア語を翻訳して教えていたと。
それがやっと定着したと思ったら、フクマさんたちが来た時は今度は薩摩弁だと。
すごいですね、英才教育ですね。
ですから当時のロシアの方々は最初に関西弁を学んでもしかしたら次に薩摩弁を学ぶという経緯をたどったんじゃないかなと思います。
ちなみに今回フクマさんが、今回5年前行った場所はサンクトペテルブルクですよね。
サンクトペテルブルクでした。
モスクワで乗り換えてサンクトペテルブルクに行くと、大体どれくらいかかりましたかちょっと覚えていませんが、やっぱり10時間、12時間くらいはかかったかもしれません。
モスクワから?
はい、でした。
電車で?
いや、そこからまた飛行機乗り換えでした。
10時間?
成田から。
成田からね。
そこからまたサンクトペテルブルクまで。
全部で10時間。
はい、遠かったですね。
サンクトペテルブルクはロシアのこと、帝政ロシア時代の都ですよね。
そうですね、人口がだいたい500万人以上、すごく大きな街で。
めっちゃでかいですね。
渋滞も凄まじい渋滞、朝、夕はでした。
私が行ったのがちょうど7月の中旬でした。
なので、特に60度の街なもんですから、夕暮れも遅くてですね。
だいたい夜になるのが11時くらい。
朝になるのがやっぱりもう3時半とか。
3時半。
ぐらいから明るいんで、ほとんどずっと1日明るいみたいな。
太陽がずっと出てるんですね。
とにかく明るかっていう印象ですね。
気温は?
気温はすごく過ごしやすかったです。
もう20度前後、上がっても25度はいかないぐらいの記憶があります。
逆にこれ冬はどれだけ暗いんだろうというふうにも想像させられました。
サンクトペテルブルクちょっと調べてみたんですけども、
先ほど日本語学校を作ったという1705年に、ロシアのピョートル一世という皇帝で。
ピョートルなんてペテルなのかなと。
レーニングラードというとレーニンに由来したり、スタリングラードだとスターリンに由来するというのだったと思ったんですけど、
それはないらしくて、ピョートル一世の守護聖人が聖ペテロだということで、
聖なるペテロが守り保う町という意味でサンクトペテルブルクという名前になったそうです。
ちなみにエルミターズ美術館って世界的に有名な美術館も、
その皇帝たちが冬の時間を過ごすためにサンクトペテルブルクの中心部に作った宮殿だそうで。
山本さんも行ったんですか。
アナトクちゃんのぬいぐるみを、あなたの匿名取材派のマスコットのアナトクちゃんのぬいぐるみを連れて今回、
前回は行ってきたんですけれども、ちゃんとエルミターズ美術館にも美術品として持って行ってきましたね。
じゃあもう、うちのアナグマちゃんが。
いいですね。
なるほど。
で、そのサンクトペテルブルクでゴンザがその後、どうなっていくんですか。
彼はですね、それこそさっき申し上げたように、子供たちに日本語を教えます。
そしてですね、その傍ら辞書の編参に取り組みます。
そしてですね、数年かけて作った辞書がこの冒頭でちょっとご紹介をしてもらった。
現物があるんですね。
新スラブ日本語辞典というものです。
ちょっと現物を持ってきて。
これは後で日本の学者さんが改めて編参されたものですので。
新スラブ日本語辞典ですね。
全部で1万2千の単語、これを日本語に訳した辞典です。
ゴンザ編って書いてますね。
それがひょっとして鹿児島弁になってるんですか。
おっしゃる通りで。
これが中が本当に改めて見ると驚きというかですね、本当に感慨深いんですけども、
日本語訳は全部さつま弁で訳されています。
ロシアの人からすればそれが日本語だということですよね。
鹿児島弁の話ちょっとしていいですか。
鹿児島弁、僕の妻は鹿児島なんですけど、
じいちゃんばあちゃん本当何よくわからないんですよね。
私も実は福岡生まれなんですけど鹿児島育ちで幼稚園から中学校まで鹿児島で育ったんですけど、
もう10年以上住んでたのに鹿児島市電が走ってるんで路面電車が乗っててですね。
外国の人がいると思って振り返ったらネイティブな鹿児島のおばあちゃんたちが会話してたってことが忘れましたね。
鹿児島弁で行くと、佐藤さん知ってますか。
茶碗蒸しの歌。
うんだもんだ、いいけなもんだ、畑いがげんとですね。
マジ何よくわからんすよね。
鹿児島市小学校の時にですね、歌の本というのが配られるんですけども、そこに茶碗蒸しの歌って書いてあって、
当然日本中の人が知ってるものだと鹿児島学校は思ってたんですけども。
初めて聞きました。
中身があれですよね、茶碗蒸しが知らん人が茶碗蒸しっていう虫がいるもんだと思って、
勘違いするっていう感じですよね。
かわいいんですよ。
独特のフレーズですよね。
鹿児島弁はやはり薩摩の国が江戸幕府の中でですね、関ヶ原の戦いで負けて、
一部敵政国というか徳川県にとっては関ヶ原の戦いで戦った、
とざまの大名だということで、薩摩の国が監視対象になってたということもあって、
薩摩弁は徳川幕府のスパイに患者に言葉が分からないようにあえて難しくしたという説もあると。
ありますよね、僕もそう聞いてます。
ですよね。で、太平洋戦争の時には日本軍の暗号というのがほとんどもう、
連合軍、米軍に解読されていてことごとく作戦がばれていたということがあったので、
鹿児島弁の堪能な人同士が会話をして、米軍が何の言葉だこれはみたいな。
それを解析した頃にはもうその作戦が終わってたっていう話もあるぐらいで、
独特の言い回しがありますよね。
それぐらい分からん言葉ですよと。で、戻しましょう、露日時点。
露日時点。
本当にこれ実際は露札時点と言っていいぐらい薩摩弁でそれぞれの単語が書いてありまして、
本当に例えばですね、格闘闘技場、ロシア語で格闘闘技場のことはスモトリバ。
スモトリバ。
スモトリバ。
他人数家族。
他人数家族。
これは二次顔家、人数が多かというふうに書かれている。
で、燃やす。
燃やす。
燃やかす。
燃やかす。
火が入るんですね。で、労働で疲れること。
中開けてないですけど、なんかありましたね。
面白いですよね。
もしかしたらプーチンじゃなかったのかよもわからないですね。
とにかくお土産は本当にいろんな数売ってました。
すごいですね。
面白いですね。
面白いですね。
いやいや、今お話聞いてきましたけど、
ロシアの話もあるし、ウクライナ振興もまだ続いてます。
これも、なんと言いますか、早く仲良くなるのかなと思うんですけど。
そうですね。
言葉は本当に、そのとおりコミュニケーションの一番元だから、
本当に言葉を学ぶ人がいるっていうのがある限り、
何か関係が立たれることはありませんし、
学びたいっていうのは興味だし、知りたいと思う気持ちは好きになる、
本当の入り口でしょうからね。
外の言葉を学びたいっていうのは大事にせないといけないと思って、
こっちに来て、本当に日本に来てくれてる人たちが日本語を勉強したいという気持ちでも、
ちゃんと答えたりとか、やっぱり地元の人間としても、
福岡の人間としてもできたらいいねというふうに思いますね。
ロシアの中にも、やっぱりウクライナ振興に対して、
おかしいって思ってる方もたくさんいますし、
ロシアイコールロシア人みたいに大きくくくらないってすごく大事なことですよね。
そうですね。
日本語を勉強してる方がむしろ増えてるっていうのもすごく嬉しいことですし、
中国に行って私もすごく感じたんですけど、
中国人っていう大きな主語でくくると、ちょっと誤解多めな中国語がいろんな方がいて、
みんながみんな中国共産党を支持してるわけでもないので、
中国共産党と役人と中国の一般の市民っていうのを手分けて考える必要があるなっていうのをすごく感じてたんですけども、
今日の福間さんの話を伺っても、やっぱりロシアという国とロシア住んでる人っていうのは、
必ずしも大きな主語でくくらないようにしないと見上がるなっていうのを感じましたね。
さっきの中国の国境のロシアの人の話、中国の人の話もそうですけど、
会ってお互いを理解するっていう、それすごく大事だなと思ってて。
福間さんの話でいうと、さっきのツールに言葉があって、
言葉を覚えるってことは相手を理解するっていうことになるのかなと。
そうですね。あと印象深かったのが、スーパーマーケットがですね、面白くて。
いろんな旅先でスーパーは皆さんと一体楽しいと思うんですけど、向こうのスーパーもやっぱ楽しくてですね。
楽しいですよね、スーパーのとき。
ちゃんとやっぱお醤油とかご飯の醤油とか置いてあってですね。
あと一番印象深かったのが、ウォッカ。ウォッカがちっちゃいワンカップみたいなの。
ワンカップウォッカがたくさん、いろんな種類。ほんと日本のワンカップみたいな感じで。
いいっすね。
いろんな種類。
あの量であの度数なので、ちょっと飲む勇気は出ずに。
ワンカップは重いですね。
ゴンザに寄せばワンカップは重い。
いいなあ。
いいですね。
あれはさすがにこっちには売ってないからですね。ワンカップは重い。
重いですね。
いやいや、ここまで今日はふくまさんありがとうございました。
いやいや、ありがとうございます。
ふくまさんといえばあれなんですけど、言葉ということで言うとですね、ずっと取り組んでおられるプロジェクトが。
はいはい。
実はありがとうございます。
西日本新聞MEではですね、それこそ先ほど来申し上げたような、日本語を勉強する、日本に来て日本を勉強している外国の方、多文化の方に対してですね、福岡、ローカルのニュースを分かりやすく伝えようということで、
優しい日本語のニュースを平日一本を張ってでも翻訳して、翻訳、日本語の普通のうちの記事を優しい日本語に直してですね、日本語の先生の監修を受けて出すというのをずっと取り組んで、
ちょうど今年の夏でですね、初めて6年ちょっと経ったんですけど、1500本ぐらいの記事を訳して。
すげー。1500本。
はい、もうなんとか誰か呼んで、福岡の話を誰か呼んでもらえるだろうということで今ずっと続けていまして、
本当この人たちにどうやったら伝わるような言葉を選べるだろうかみたいなところを考えながら記事を訳すんですけど、
やっぱり自分のいつも気の利いた言い方とか、ついついこうして言語を書くときもしてしまうんですけど、
いや、そんなことじゃなくてちゃんとわかりやすく伝えなきゃいけないぞって毎回忌ましめられるような気持ちはすごく難しいです。
例えば優しい日本語言い換えだとどんなものが。
えっとですね、これは難しいんですよね。
記事を訳すっていうのがあるんですよね。わかりやすくしてる。優しい日本語にしてそれを発信してるってことですね。
なんで言い回しとかもやっぱり難しいからですね。ちょっとパッと思いつかないですね。
何だろう。あまりに日々やりすぎて出てこないぐらいになってしまう。
日本語を勉強した方にとってもわかりやすい。日本語の初心者の方にとってもわかりやすいような言い換えっていうとかあるでしょうね。
日本語の。
これが引いては子供とかですね、年寄りとかにもわかりやすく。
やっぱり日本語が難しい文章がパッとわからない方にも伝えられやすい伝え方なんじゃないかということでずっと取り進んでる。
それをゴンザの即席を訪ねた福間さんが言った後、5年前ですか。
またその言葉で外国と日本をつなぐっていうプロジェクトを福間さん自身がやってるっていうのも胸熱いですね。
神座ですね。福間神座。
すいません、じゃあ。
この優しい日本語をもう一回どこで聞けるか教えてもらえますか。
西日本新聞MEのですね、ウェブサイトとアプリですね。
あと実は平日はですね、昼のですね、11時25分ぐらい。ちょっと細かいんですけど。
ここからですね、ラブFMさんで実は今のところを流していただいております。
なので一日一本そこで読んでもらってるので、ぜひ耳でも聞ける優しい日本語です。
ジャストエリアですけど、なんかポッドキャストでずっと上げていったらいいんじゃないですか、アーカイブで。
本当ですね。
いいですね。
優しい日本語、いけると思う。
めっちゃいいと思います。
名前ゴンザにしてもいいですね。
ゴンザですか。