サマリー
書籍『パレスチナ戦争: 入植者植民地主義と抵抗の百年史』では、パレスチナにおける入植者植民地主義の歴史と、それに対抗する人々の抵抗が詳細に描かれています。著者のラシード・ハリーリーは、家族の経験や歴史的な文脈を交えつつ、パレスチナの苦悩とその背後にある国際政治を考察しています。また、イスラエルの植民地主義的アプローチが批判され、歴史的な文脈の中でその影響が考察されています。特に、植民地主義が21世紀の現代においても続いていることが強調され、入植者の行動がもたらす現実についても触れられています。
パレスチナと入植者植民地主義
こんにちは、ninjinkunです。
今日は、パレスチナ戦争、入植者植民地主義と抵抗の百年史、ラシード・ハリーリー著という本を読んだので、その話をしたいと思います。
まさにガザで進行中のジェノサイド、そしてさらに食糧供給も止められていて、ガシが発生しそうしている、多分しているんですけど、おそらく確認がまだ取れていない状態ですが、
とにかく恐ろしい事態がどんどん更新されているという状況ですけど、
前から私もこのパレスチナの状況がどういうことかを理解したかったので、ちょこちょこ本を読んだんですけど、これはかなりすごいですね。
もうちょっとね、日本の人が書いた概略というか問題をいろいろ、法助さんが引いてくれるような本は読んでたんですけど、ガザとは何かとかね。
これはパレスチナにルーツを持つ人がまさに当事者として、それこそ自分の祖父から父から、そういう人たちが当事者として和平交渉とかに関わっていたり、実際に祖父が家を追われていたり、
このラシエード・ハリリーさん自体はニューヨークで生まれていて、パレスチナ系のルーツを持っているんですけど、この人自身もパレスチナの和平交渉団にオブザーバーとして参加したりという、非常に当事者である人が書いているんで、
めちゃめちゃいろんなディティールが細かく書かれていて、300ページちょっとあるんですけど、すごい詳細な資料になっています。
かつ、今の視点から当時のパレスチナの人たちのとか、指導者の動きを検証していて、非常に俯瞰的な視点で書かれている、もちろんパレスチナサイドから見た視点ではあるんですけど、
その時に実際にアメリカとか世界ではこう考えられていたとか、そういう視点もあって、とても読み応えがある一冊でした。
この人はラシード・ハイリーケというのは非常にパレスチナの名門の一族で、ずっと知識階級とか裕福な階級に所属していたんですけど、
パレスチナにイスラエルが建国されて、非常にその後チリジリになって、この人もお父さんがアメリカに留学して、アメリカの方で生まれた子供という感じで、
コロンビア大学の先生なんですけど、ベイルートアメリカン大学という、ベイルートはレバノンか、の大学で先生をしたこともあるという、そういう経歴の人が書いています。
この本を読んでいると何度も目を覚えたくなるようなことの連続で、
この本は歴史の教科書的なものを最初にある程度頭に入れておかないと、一応時系列中に書かれているんですけど、教科書的なことをある程度知った上で書かれている感じがしていて、
例えば第一中東戦争から二次三次四次みたいなのって、歴史の世界史では習うと思うんですけど、
そういうものはですね、これは第一中東戦争と呼ぶとか書かれていなくて、年代付き合わせるとああそうだ、これは第一中東戦争だみたいな、
この本の中ではまさにそのナクバが起こった時代のこととして書かれているんですけど、
その時に他国がどう動いていたかとか、どう負けたかとか、そういうことはパレスチナに関係ないことはほとんど書いていないんで、
俯瞰で見るんだったら一回何かwikipediaとかそういうのを見てからこの本を読むといいんじゃないかなと思いますね。
読んで思ったのは、まさに初手からこのパレスチナの人々、シオニズムがヨーロッパで起こって、
実際にシオニストたちが、パレスチナ人が住んでいたところにやってきて入植を始めると。
最初はめちゃめちゃ少数から始まるんですけど、第二次大戦のホロコース時にすごく人口を増やして、
その人たちを使って軍事を、軍備をどんどんイスラエルになる国、シオニスト側はどんどん整えていって、
結果的には中東戦争の前にイスラエルの建国がついに宣言されると。
これは確か国際連盟の朝廷の結果だったかなと思うんですけど、
そこまでいくんですけど、それが1947年か。
ここまでに実際に3,40年ぐらいの時間はあるんですよね、そのシオニストたちがやってきてから。
でもこの間に私が思ったのは、
シオニストの人たちは非常にもともとヨーロッパから来ているし、知識階級に所属した人も多いエリートの場合もあるし、
インテリの人もいるし、つまりヨーロッパ側のルールを知っている状態で来ているんですよね。
なので列強がどういうふうに考えるかというのが実際的にはこの国家間の関係を決めていくわけですけど、
列強側を味方に据えられるかとか、列強側から国家として認められるにはこういうことを揃えた方がいいということを
シオニスト側は分かっていて、なので軍備を整えたり、さまざまな政治的な工作をヨーロッパで行ったりしているんですけど、
この党のパラリチナ側の人っていうのは、そういう列強側の考えを全然分かっていないまま巻き込まれていくっていう、
そういう遺産差があって、なのでゲームのルールがどんどん書き換わっていく。
もともとはどちらかというとイスラムの国の、当時は多分イスラム国みたいな概念もまだ薄くてと思うんですけど、
国にもそうなっていないような、それは西洋的な主観から見た意味での国って意味ですけど、
だけど普通に暮らしていたところにいきなりその西洋的な国の概念が持ち込まれて、
そこにその概念に乗ったイスラエルというのが台頭してくると。
本当はパラリチナ側もここで団結して国を立ち上げなくちゃいけなかった、おそらくはずなんですけど今から考えると、
それが全然できなくて、しかもなかなか民族的にも結構バラバラなんですよね、ここに住んでいる人たちは。
イスラムっていう宗教でつながっているところはある。
実際はもともとユダヤだった人もいるし、エキスト教の人たちもいるんですけど、
エルサリもありますからね、いろんな宗教の人ももちろんいるのは当然なんですけど、
まとまれないというところで、結局民族的にもまとまれないから、
民族自決という流れにも乗れないし、統一的な指導部みたいなのを作るのにもすごく宿泊して、
内紛みたいなのをいっぱい繰り返してお互いに暗殺し合ったりとか、
非常にそういう内部対立がどんどん何回も起こることによって、全然交渉相手にすら立てられないんですよね。
そういう、まず世界のルールがどんどん列挙を提示したものに書き換わっているっていうのに、
気づいていない、分かっていないのと、自分たちもまとまれないっていう、その2つの悲劇というか、
辛さがあって、ついにはイスラエルが建国されたり、
その時には彼らは非常に震災を舐めると、
ナクバと呼ばれるいろんなところを元の住んでいた人たちが追い出されて難民化したり、
もう自分の家に帰れなくなった人たちもいっぱいいると。
なので、そういう、この書いているラシード・ハイウィディはもちろんインテリなので、
当時のパルシチナの状況を思って慣れている様子が、
あんまりその文章からは、文章自体が普通に資料として読めるように中立的に書かれているんですけど、
でも業間から非常に彼が当時の状況を嘆いているというのは伝わってくるので、
これは、そういうある種の辛い運命、辛い歴史としてそれが記されているというのは、
結構自分的にはリアリティを持って読めたところでしたね。
その後もいろんな、結構この人、自分のおじいさんとか親戚のこともちょこちょこ書いていて、
当時はこういう立場でだったけど、それをどんどん追われていって、
祖父は家にいることに固執したけど、ついには連れ出されて二度とその日に戻れなかったとか、
そういうことが書かれたりします。
この人自身も、ベイルートのアメリカン、AUB、アメリカンユニバーシティのベイルート、ベイルートアメリカン大学かな、
先生をした時に、イスラエル軍がPLO、パルシナ解放機構の本部を潰しにベイルートに侵攻してくるというふうに巻き込まれて、
あわや救死に一生を得るという、非常に実際にイスラエル軍の暴力に直面しているという、なかなか辛い状況もあって、
まさに歴史に非常に当事者として巻き込まれた人、経験もかなり豊富という、
パレスチナの指導とアメリカの関与
最終的にはこの人自身はアメリカ人なんで、国外にいることができたのかな。
そんな感じで、非常に当事者性が高く書かれている章も多くて、それもとても読み応えがありますね。
あと、PLOというのが1900年代の後半の方は、パルシナの代表的な扱いをされていくんですけど、
この人はかなりPLO、特にアラファド議長には批判的で、
この人の主張によると、アラファド議長はそれを含め、PLOとかパルシナの代表たちは、
全然アメリカの世論みたいなものを気にしていなくて、実際はそれがめちゃくちゃ大事だったっていう。
なのでアラブのいろんな国の支援を取り捨てたりすることは得意なんだけど、
もっと西洋の方を向いた外交とか、
やっぱりアメリカでの活動っていうのが、
イスラエルは決定的に上手くて、
もともとはイギリスと非常に密接で、
でも第二次大戦後にイギリスの権威がどんどん落ちていって、
アメリカとソ連が対等してっていう時代になると、
完全にイスラエルはそこをスッとアメリカに乗り換えて、
それ以降はずっとアメリカと密接なわけですけど、
そういう状況を全然パルシチナの指導部は理解できてなくて、
なので今から思うと完全にその時にアメリカでもっとロビー活動とか、
いろんなチャンネルを作って、
アメリカの世論をパルシチナの方に向けることをもっとしておかないと本来はできなかったのに、
それを怠ったっていうのがこの人の非常に印しているところですね。
あとその有名なオスロ合意というのがありますけど、
それもこの人はかなり否定的で、
オスロ合意自体は教科書とかで多分自分も見たことあるんですけど、
有名なクリントンが後ろにいて、
アラファトリ長とイスラエルの首相が握手しているっていう写真ありますけど、
あれも結局のところは、
PLOとかにパルシチナの領土の中の警察権を任せると、
将来的には両政権も任せる、両政権は持っているところもあるんですけど、
という内容になっているんですけど、結局のところは、
まずパルシチナの領土って言っているところは、
お前らで警備しろと、警察権を持てなんですけど、
それっていうのはお前らでテロを抑え込めっていうことでもあるんですよね。
なんでイスラエル側は、本来は防衛に予算を割いたところに、
その予算を削ってパルシチナ側でお前ら、
俺たちに迷惑をかけないようにしろっていうふうに代替させるっていう。
もちろんイスラエル側の良いことは聞いてもらうという、
非常にイスラエルの傀儡というか、
代替としてパルシチナ人たちを占めつけるという役割を
パレスチナ戦争の歴史的背景
パルシチナ側に負わせるという、非常に不平等というか、
めちゃくちゃな論理を失せられて、それをまんま頼んでしまったっていうのが、
この人が書いてるオスロ合意感で起こったことだとして書いてて、
なるほどなという、本当に自分はあまりどういう合意だったか詳細に知らなかったんで、
多分他にもいろんな見方があるんでしょうけど、
結局そこから何も進展していないというのは本当に事実なんで、
しかも、むしろ悪化したということがいっぱいあるらしく、
そういうことが起こってたんだというのが知れて、これはとても勉強になりました。
という感じで、本当にこの人の目を通してみると、
本当にこの世界の全体の状況がわかってないまま、
どんどんルールが変わっていく中で、
ゲームのルールがわからずにゲームをプレイさせられているっていうのが、
パルチツナの人たちっていうのがひしひしと感じられて、
とてもつらい気持ちになりますね。
自分たちも西洋側、列強側、もともと列強でもあったし、
今も列強側の同盟国になっている側なんで、
例えば民主主義とか民族自決とか、
そういう原則みたいなものを前提として交渉っていうのが起こるっていうことを
たぶん当たり前に感じると思うんですけど、
それも結局のところ、西洋が押しつけてきたものだし、
もともと私たちにはまずは関係なかった。
けど、どんどん力のね、金庫の差が変わっていって、
そのレイムの中でプレイしなくちゃいけなくなった。
でもそれが縁になかなかついていけなかったっていうね、
そういうのがあって、
いやぁつれぇなって、
これは同じ立場だったらどうすればいいのかって、
当然後からこうしておけばよかったとは言えるけど、
その当事者の時にね、
特にやっぱりアメリカ側に留学した人がすごい少なかったとか、
力のパワーバランスがアメリカに移ったのが分かってなかったとか、
この人はアメリカ生まれなんで、
そういうことを思うんでしょうけど、
っていうのは結構徹底的なのかなって思いますね。
そう思うとね、
これはちょっと別の話になっちゃいますけど、
日本の歴史を考えると、
日本の明治時代の作り変えってやっぱりすげぇんだなというのも感じて、
やっぱり黒船だとか、
元々傍京を通じてヨーロッパとかの事情に通じた人たちはいたはずなんですけど、
それでもこれは国のOSを書き換えないと、
列強に植民地にされるっていう風に危機感を抱いた人が多分相当数いたんでしょうね。
そうじゃないとあれだけ大きな政府も作り直すし、
軍隊も作り直すし、プロジェクトも作り直すし、
教育の内容も全部輸入したものを自分たちで翻訳し直してっていう、
異常なスピードで全てが作り直されたっていうのが明治時代からの数十年なんですけど、
あれってめちゃくちゃなエネルギーだよなっていう。
それと一緒に帝国主義というものがインストールされて、
それ自体は非常に悲惨な結果を生んでるっていう側面はもちろんあるんですけど、
にしても国家ってものを成立させる、
その西洋のルールの中でそのルールが変わっていることを理解して、
そのルールの中に適応しようとした人がめちゃくちゃいたっていうのは、
なんというかすごいことだなって思いますね。
結果的には国を西洋の列強のルールの中で、
国としてプレイすることには成功したと言えると思うんですよね、日本の場合は。
それはやっぱりすごいなと思いますね。
そして残念ながらプラレスチナはそれができなかったと。
現代における植民地政策の影響
日本の方が多分もうちょっと早い時代に、
などなど思うところがありましたね。
あと本がずっと一貫して主張しているのは、
基本的にこのプラレスチナに対するイスラエルというのは、
植民地としての植民地政策をずっと植民地政策に対して、
植民地政策に対して植民地政策に対して、
植民地政策に対するイスラエルというのは植民地としての植民地政策をずっと、
21世紀になってもやっているんだと。
植民地とか帝国主義とかコロニアリズムというのは、
一旦第二次大戦後に否定されたというか、
転換されていっていろんな国が独立していった。
もちろんうまくいっていないところはいっぱいあるはずなんですけど、
イスラエル自身は未だにこのプラレスチナというのは、
全部俺たちが植民地にしないことには安心できないという、
非常に第二次大戦前の価値観でずっと動き続けているというところを非常に強く批判していて、
これはまさに今ニュースでどんどん流れてくること。
岡田のこともそうだし、この前にアカデミー賞を取ったノーアザランドで、
どんどん入植者が自分たちの家を破壊しに来るみたいな、
ああいう現実を見せられると、まさにそのことが起こっているというのを、
いろんなメディアを通して知ることができるので、
とても恐ろしいことだし、
非常に批判されるべきことだと思いますね。
はい、という感じでめちゃ喋ってしまった。
まあ300ページ分あるからな。
でもね、すごい暗い気持ちになる本なんで誰にでも勧めるわけじゃないですけど、
読むと非常に胸に来るものがあります。
なので、バレ地な問題に興味を持っている人は是非、
これは非常に当事者が書いた本というのは貴重だと思うし、
しかもそれはちゃんと丁寧に翻訳されて、翻訳も読みやすいですし、
というのはとても重要な本だと思うので、興味を持った人にはお勧めだと思いますね。
残念ながら電子版はなくて紙しかないんですけど、
しかも結構分厚いんで、持ち歩いて読むのも大変なんですけど、
しかも注釈がめちゃめちゃあるんですよね。80ページ分注釈だ。
という、あ、違うな。注釈は60ページ分ぐらいの注釈で、
あとは作品か。という、普通に専門賞ですよね。
歴史の専門家の、近代史の専門家の人が書いた歴史専門賞なんで、そういう感じです。
それでは今日は、パレスチナ戦争、入植者植民地主義と抵抗の百年史についてお話ししました。
ありがとうございました。
24:19
コメント
勉強した方が良いんだろうなと思いつつ、手がつけられていないトピックだったので非常に興味深く聞かせてもらいました。 私が読んだ本の中では、高校の世界史の教科書を国際交流の観点から焼き直したグローバル・ヒストリーというタイトルの北村厚さんの著書が非常に面白かったです。世界史版と20世紀版があります。 もしご興味があればぜひ。
ありがとうごさいます。グローバルヒストリーも面白そうですね。リストに入れておきます。
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