1. 「私たちは人間になろうとしている」
  2. #59 キャパシティは相対評価の..
2025-03-13 38:53

#59 キャパシティは相対評価の世界にしか存在できない概念でしょっ。障がい者採用のことなど。

キャパシティは相対評価の世界にしか存在できない概念よなぁ。


絶対評価の世界には知らねーよってことなんだよぉ!

※ライブの煽りのテンションで読んでください。


うぉーーー!

※皆さんの番です。拳突き上げて叫んでください。


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Summary

このエピソードでは、キャパシティの概念を深く掘り下げています。特に、キャパシティが狭いと認識している自身を理解し、他人との比較による評価を見直す過程が語られています。さらに、SNSとの関わりがキャパシティに与える影響についても考察されています。このエピソードでは、キャパシティの概念が相対評価に依存することが語られ、能力や状況に応じた比較の重要性が強調されています。また、障害者採用の経験を通じて、個々人の得意不得意を理解することの重要性が示されています。このエピソードでは、人それぞれの目標設定の重要さやそれに伴う継続の仕方が語られています。特に、小さな目標を積み重ねることが自己評価や健康的なライフスタイルの維持に繋がるというメッセージが伝えられています。

キャパシティの認識
みなさん、今日の調子はいかがですか。 私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
この番組では、10年の危機を迎えた私が、ホルモンや無意識の支配から逃れ、人間として生きていけるようになる過程をお話ししています。
みなさん、こんにちは。
今日は収録している、今日はね、3月12日なんですけど、
3月の2週目で中旬ということです。 3月と4月はあっという間にね、
もう一般的にもやっぱり過ぎ去っていく季節と思うんですよね。
私、なんだかバタバタしてですね、やっていますが、
1年くらい前だったら結構ね、義務的にやらなきゃいけないことを、どんなにね、楽しいことでも義務感を感じてやるっていうことになっていたような気がするんですけども、
なんか今年は今んとこ、 やることがね、たくさんあっても、
まあでもこれ、やりたいことだなとか、楽しもうなんていうふうに思いながら取り掛かることができているように思っています。
みなさんはね、どんな日々を過ごしているでしょうか。 えーと今日はですね、
キャパシティとか、なんかそういうことについて話していきたいなと思いますので、よかったら本編も聞いてください。
どうぞー。
私たちは人間になろうとしている。
よくキャパシティが広いとか狭いとか言われますけれども、
みなさんはキャパシティは広いですか? 狭いですか?
いらんこっちゃねーっていうね、感じがしますけど、 私の周りでは割とキャパシティについてね、
なんか、これも便利な言葉の一つだなと思うんですけどね、
言われることがあります。 私は
キャパシティがね、 あんまり広くないなーって最近
気がついたんです。 正しく言うと、
気がついてはいたんです、うっすーうっすーね。 私キャパ、狭め人材じゃないかって。
結構ね、それを認めるのに時間がかかったなと思っていて、
まあそれをちょっとね、考えてたんですけれども、 そもそもキャパシティが広いってどういう状況なのかなぁと思って、
他者との比較
まあ簡単にね、調べてみたんですけど、 要はね、AIさんによる概要ですよ。
キャパシティの広い狭いは能力や容量の代償を指して使われますということで、
キャパシティが広いというと、従業力がある。 店員が多い。従業力が多い。
これは人に対して使われない表現だけど、 本来そうだよね。なんか例えばライブハウスのキャパとか
いうのに使われるけど、人間に対しても使うからね。
まあそれを置き換えると、能力の容量が大きいっていうのが、
定義というか使われ方になるのかなと思います。
一方で、キャパシティが狭いとなると、 能力や容量っていうのが小さいというふうに認知されてしまうということなのかなぁと思っております。
私はね、
正直、ちょづいていた30代は、 自分のキャパが広い方だと思っていたし、
なんなら20代とかは、もうちょづきまくり上げていたので、 キャパとかもそういうのもなかったね。
何でもできる。私は何でもできるっていうのが、 なんか本気で思ってたなと。
なんていうかね、 認識しなくても無意識的にそう思ってたっていう感じです。
それはね、今でも思ってはいるんだけど、 ちょっと20代のそれとは違うかなという感じですかね。
なんか大人だと分かるかもしれない。 分からないかもしれない。
そんなちょづいてた私は、キャパが広いぜ、 余裕だぜと思ってたし、
なんならキャパが狭い人だなぁとかって、 人を評価するみたいなこともしてたんですけれども、
およ、私キャパ狭いんじゃんって 思い始めてから、さっきも言ったんだけど、キャパが狭いんだなって、
自分の中で思うようになるまで時間がかかった。 かかるということはですよ。
やっぱりそのさっきキャパが狭いと言って、 人を評価してたということからも、
自分の中でキャパの広いはいい、キャパの狭いは悪い、 みたいな感覚があったんじゃないかなと思うんです。
キャパが広いことはいいこと、狭いは悪い、
ダサい、サボってるんじゃないか、 みたいな気がしてたんだと思います。
私がキャパが狭いかもって思い始めたきっかけも、
きっかけは、人と比べてね、思ったんです。 あれって、
他の人がこれができているのに、 私はこんなことできれたり、嫌になったり、
これ器小さいのかな、私ってね。
まあ出たよね。他人との比較。
得意技でしたけど、今は知らないけどね。 ちょっと余談だけど、いいように、楽しいように人と比較するっていうスキルも使えたらいいなって思うんですけど、
まあ私の場合は、先週とか先々週ぐらいにお話したみたいに、 人と比較して私ダメみたいな、
私は人と比較して幸せとか、 相対評価で自分を見すぎてたから、
絶対的な評価で私は幸せっていう当たり前のことを、 ちゃんと自覚しながらいきたいなーって思ってるのが最近なんです。
SNSとの関係
先週かな? ちょっと忘れちゃったんですけど、
インスタグラムを今、携帯からアプリ自体をアンインストールしている状態なんですけれども、
まあそれももう1ヶ月ぐらい経つとね、 ないのが普通になるんで何とも思わなくなってきたんですけども、
まずその、インスタでコミュニケーションを取ってた仲のいい友達とかがいるんでね、
突然こう私がアプリを勝手にアンインストールして、 連絡をしてきてくれたのに音沙汰がないみたいなのもちょっと不義だなぁと思ったので、
アプリをアンインストールするときに、すごく仲のいい友達だけに、 私ちょっと携帯からインスタのアプリをアンインストールするわっていう話をしたんです。
その時に、え、インスタ辞めるの?ってびっくりされたりしたんですね。 このびっくりは仲のいい友達だからつまんなくなっちゃうっていう反応でもあったと思うんですけど、
びっくりするんだなぁって、 だから何?って感情は伴わずに思ったんですけど、
この他のね、ちょっと久しぶりにコミュニケーションを取る友人から、 まあそれはフェイスブック経由だったんですけど、なんかフェイスブックで全然連絡取れないけど、
生きてる?みたいな感じで、LINEに連絡が来たんです。 私からしてみると、知ってるからLINEで連絡くれればよかったのになぁと思ったけれども、
SNSをずっと使っていると、SNS経由でコミュニケーションを取るのが楽だったりするじゃないですか。 私もそうなので、
まあそれであのフェイスブックから連絡してくれてたのに全然私が反応ないから、 生きてるか?っていうのでLINEに連絡くれたんだろうなぁって思うんですけど、
今フェイスブックを全然更新してないし見てもない。 フェイスブックに関してはもう全然あの携帯のアプリにも入れてないし、
もともと自分のアカウントはもう削除を実際しちゃってて、 新たに作ったフェイスブックのアカウントで数人と繋がっているぐらいなんですよね。
でそのフェイスブックも見てないっていうところで、それを伝えたら、 えーすごいねーって結構びっくりされたんですよ。
なんか 覚悟
覚悟? 覚悟があるねみたいな、なんかそんな反応だったんですよ。
でその反応にちょっとねあのびっくり してたんだけど、
その友人もそんなにその sns のこと気にすることないのにっていう反応でもあって、
そう言われちゃそうなんだけど、私は結構気にしちゃうんだよなぁと思っていて、 その時にも私、
人間としてのキャパシティが狭くて器小さめなんだろうなぁと、 要は他の人が気にしないことを気にして、
自分の生活にその感情を持ち込んだりするっていうところが、
私の周り比べですけれども、 私は多いのかもしれないなぁっていうふうに思ってたけど改めて思ったと。
であとね、 さっき冒頭でも言ったようにちょっと3月に入って仕事もね、
プライベートのことにちょっとバタついてまして、 私は寝ることがねとても得意なんで、
毎日基本的には12時にはもう寝ているし、 23時ぐらいには
ベッドの中に入ってですね、 12時になる前にはもう安眠してるっていう状態にだいたいしてるんですけれども、
忙しいということもあって、 珍しくね1時ぐらいに寝る日っていうのが続いたんですね。
でも40代の大人でしたらそれぐらいは普通かなっていう気はするんですけども、 私にしてみればこの1時間は結構致命的というか、
次の日の朝とかもやっぱ大変だし、 頭があんまりこう動いてないなって感じの午前中だったりとかして、
まぁなんでやっぱり人より睡眠時間が長いっていうのも、 これまた私のコスパの悪さで、
これもキャパの狭さにつながっているんじゃないかなぁとか 思ったりもねしたし、
あと睡眠不足だとちょっとしたことで若干イラついたりもするんだよね。
で、睡眠不足って言っても7時間寝てるんですよ多分。 だけど、
一般的に寝不足と言えない時間寝ているのにも関わらず、 いつも睡眠時間が担保されている時に比較すると若干キレてるみたいなね。
これもあの、うつは狭って、なんかちょっと改めて思ったんですよね。
私ってこの、この番組でも結構ずっと言ってるように、 結構人に流されやすい性格なんですね。
これは良い面をとると共感をする、共感力があるっていうことにもなるし、
まあ心が敏感で感受性があるみたいなようにも言えるかな。 だから人が気がつけないことに気がつけたりとかするみたいなところがあるなぁって思うんだけど、
一方で、まあ悪く言えば人に流されやすくて自我を見失いやちっていうところがあると。
で、自我を見失いがちな割に自我が強くて、 まあ要はこだわりが強くて、
あとは私の場合は人に指図されるのがめちゃめちゃ嫌いなんですよ。 自由が好きすぎて、
私の自由にやらせてみたいなのはすごい強いので、 流されやすいんだけど自由を与えてくれなかったらキレるみたいなね。
ちょっと本当に困ったじゃんなんですけども。
まあそれもあって、だからインスタ見てたりするとあれやっぱ視覚的情報が多いんで、 まあ人が悲しんでいたりとか喜んでいたりとか、
自分より立派なことをしていたりとか、自分より素敵なものだったりとか、 そういうものだったり、一方で広告とかで私の劣等感を
仰ぐ、仰るようなものとかが視覚的情報で入ってきたりすると、 それに流されちゃって
自分の元気がなくなっていくとか、イラついたりとかするとか、 本来しようと思っていたすべきことに時間と心のエネルギーを避けなくなっていくみたいなね。
そういうことが起きるから、まあインスタグラムは一旦私には合わないっていうので、 アンインストールしている状態なんですよね。
それに対してはすごい納得感があって、 いいんだけど
そういうことに気にならなくなる自分にもなりたいなって思うと、 このキャパの狭さっていうのは何?みたいなのはね、なんかちょっと思ったりも。
ハッシュタグ リンカム
キャパシティの相対評価
さっき、AIさんにね、キャパシティの広い狭いについて 概要を教えてもらった時に
結局そのキャパシティの広い狭いって、 もう全世界共通のここまでできなかったらキャパ狭め、キャパ広ね、これ以上はキャパ広ねみたいな
軸って何もないですよね。例えばライブ会場だって、 例えばアリーナホールって言われたら、それキャパ広いわって思うんだよ。
でもそれって日本でそのアリーナという存在がいくつかしか、 アリーナっていうかまあ
アリーナとかドームとかねっていうそのいくつかしかなくって、 圧倒的なその収容力がある中、
あるからっていうのと、その圧倒的な収容力がない存在があるっていうことがあるからそれと比較してキャパが広いって言われるんだろうし
あとはその、催し物の内容によってキャパの広い狭いもやっぱ変わると思うんだよね。
例えば超有名な来日アーティストの公演を
例えばその 新宿のロフトでやるとかなったら
新宿のロフト知らない方もいると思うんで、 新宿のロフトって多分数百人しか入らない?
でも海外の超メジャーの アーティストが来たら
それは狭いじゃんってなると思うんだけど 例えば本当に100人200人ぐらいの規模のファンを持っているアーティストの人が
新宿のロフトでやるってなったら、いやすごいねー っていうあのロフトでやるんだみたいになると思うし、それはキャパが狭いってならないと思うんですよね
っていう感じでキャパの広い狭いって これは収容力じゃなくて能力についてもそうだと思うんですけど
比較対象がないと 表現できないものなんじゃないかなって思うようになって
だからキャパの広い狭いは絶対評価っていう世界の中には
存在できない言葉なんだって思うようになったんですよ
それを思うようになったら私のキャパが
相対的評価の世界の中で私のキャパが狭かったとしてもですよ
絶対的評価の世界では その概念は存在しない
存在することはできないわけだから あんまり意味のないことなんだなぁと思うようにもなって
事実、人と比較した時に睡眠時間が長いイコール 稼働時間が短いわけで
かつその睡眠時間に影響があると 稼働している時間の中のクオリティが明らかに落ちているんですね
っていう事実から私はキャパが狭いと言われても仕方がないなって思うようになったんです
あとは SNSを見て私が何かに影響されて
現実世界にまでその感情を持ち込んでしまうとかね そういった事象が
私の周りの人よりも頻発しているっていうのも私比の中ではあるので
それが頻発していない人を見ると比較すると やっぱりキャパ狭いんだろうなって思うようにもなって
今はそのキャパシティが狭いっていうことに対する ネガティブな印象が若干払拭されてですね
私ちょっとこういうとこできないし そういう能力ちょっとそんなわけないみたいっていうのが
人に対しても言いやすくなったので なんかちょっと良くなったなぁって
思います
障害者採用の成功
そこからねちょっと思い出す話があって 私ずっと人事の仕事をしていますが
最近はねあのちょっと人事 事業部、事業会社の人事じゃなくて
人事のコンサルト側のね 仕事をしているので自社の人事業務をやるというよりかは
他社の人事業務をお手伝いするみたいな仕事をしているんですけれども かつて自分が事業会社の人事だった頃にですね
障害者採用を担当することになったんですね それまではの障害者の雇用っていうのは
してない会社で
ゴリッゴリのドベンチャーだったんで
誰もやったことないけどとりあえずお前やれや みたいな感じでやることになったんです
障害者の人を採用するっていうことをしたことのない会社だったので やっぱりこういろんな仕組みだったりとか
あとは理解を していただきながらそれを遂行するっていうことに結構時間を割いたんですが
まあその会社は工場を持っていたので まず工場で障害者の方を採用しようということで
まずやったんです 障害者の方をその工場に採用する前は
正直工場の方たちからすごいバッシングというか ネガティブな言葉があって
なぜこう本社で採用しないんだと なぜ工場なんだと
いつでもそうやって工場とかに嫌なことを押し付けてくる みたいなことを直接ね言われたりとか
することが結構ありまして なんか言われると悪いことをしているような気もしてきたし
これうまくいくかなぁとかってすごい心配になったんですけれども 結局その工場では障害者採用がものすごいうまくいって
まあ今障害者の雇用というのを国でも推進しているので ある一定の規模感の会社さんには障害者の
障害者手帳をお持ちの方の雇用をですね 一定数やりましょうという義務を課せられているんですけれども
障害者採用を始めた頃は障害者の人を採用していなかったので0人だったところから
法定雇用率と言われるそのパーセンテージを クリアできるまでの数を採用するということをまず目標にあったんですが
結果としてすごくうまくいってですね もっと数多くの方を採用しようということで
あの当時としては珍しく法定雇用率をしっかりと担保できる 雇用がねできたっていうことがあって
工場長の人にどうですかっていう話を聞いた時に 障害者の方を雇用してその後どうですかっていうのを聞いた時に
いやもうすごくいいと彼らとってもいいよっていうことでものすごいポジティブな フィードバックをくれて何がいいんですかって言ったら
これから結構ずっと覚えてるんだけど いや彼らは自分ができることとできないことをちゃんとわかってるんだと
なので 例えばそれが日によって違うこともわかっているから
今日これできるって聞いた時に今日はちょっとこれはできそうにないって言ったりとか そもそもこれ私できないっていうことをちゃんとわかってくれてるし
支援者の人もねあの方もいるので 支援側の人たちからもこの方にこの作業はできないよみたいなことも言われているから
仕事の1日の生産量とかは決まっているのでに対して あっこの人はこれはできないでもこれはできるっていうことで業務の住み分けが正確に
できるので 1日のその生産量のコントロールがしやすくなったんだよねと
一方で健常者の方 は全員じゃないよの一部数名の方はできないくせにできるって言ったりとか
これをやってねって言ってもやらないで破ってしまったりとか そういうイレギュラーが結構頻発すると
なので そういう方だったらもう
俺は障害者の方の採用の方がいいって思ってるっていう風に言ってくださったんですよ で
その受け入れてくださる工場所以外の従業員の方にも事前にコミュニケーションをとっていたので その後どうですかっていうフィードバックをもらいに行った時も
ものすごい あの可愛がってくれてた
っていう動画あってそのケアが必要なんだなど いうことを経営が必要な部分っていうのを事前にお伝えしていた
本人ね了承を得ていったところもあったので それを前提で
できることを一緒にやろうとかできにくいところを フォローしてやろうみたいなことを織り込んで仕事をやるようにしてくれていたので
ものすごいね可愛がられる存在になったというか でその障害者手帳を持ちの方たちも全員はもちろんないですけども
やっぱ数名の方は 能力は向上していくっていうこともあったりして
実際賃金を上げていくみたいなことまでできた経験があって
なんかねそのことをちょっと思い出したりしたんですよね 要は私がキャパが広いってことに対して良い印象がありすぎて
キャパが狭い自分の状態 これも本当に細かいこと言ったらいいですけど
キャパがもう総括して狭いってことはないんですよどの人においても この領域例えば私だったらね
なんだろうね例えば人の 仕事に対して仕事の何かの領域に対してキャパが広いと人から見えているかもしれないし
でも こういうとこはちょっと狭いみたいなところがあると思うんですよね
だから人それぞれここはすごいできるけどここはできないそれはキャパとかじゃなくても あると思うんですよね
なんで 何言うか忘れちゃったんだけどそういうことあるよねなんか集中して話せると急に話
なんだけこれって思っちゃうことこれね年齢じゃなくて私若い時からあるんですよ 私の会話の問題かな
よりわかんなくなるからやましょうなんでまぁ 総括してそのこの人は絶対的にキャパが狭いみたいなことはもちろんないんだけど
まあキャパが広いってことを良いこととし見すぎて自分はキャパが狭いという状態 このことについてキャパが狭いんですということを認める時間がかかってたけど
でも結局それって 周りにもあんまりいい
効果を生んでなかった だろうし劣等感として表現されてたと思うから
でも今私この領域についてはちょっとキャパスティ狭いんですよねっていうのが ネガティブじゃなくてすごいフラットに辞任できていると周りの人にもネガティブな
エネルギーを発散しないし 周りの人もあ
まあみーちゃんちょっとこの状況については苦手ジャンルだよねーみたいな 認識をしてくれたりするので補ってくれる人もやっぱり出てくるそのやっぱり私が
キャパシティが広いんだもんみたいな絶対広いみたいにしてると助け舟を出してくれないというか これをじゃあ私やろうかみたいに助け舟を出してくれる余剰
事実を受け入れた時にやっぱできるようになるんだと思うんですよね そうなると関係性もすごく良くなるし
そう だからその障害者採用の時に工場長が言ってくださった
できることとできないことを本人が知ってる あと周りの人が知ってるってことの効果ってすごい大きいんだなっていうのを
あの時聞いてはそうなんだって思ったことがまあ自分の中でも起きて 本当にそうなんだって思うように
個人の能力とSNS
うん なったっていう話をしたかったと
いうことでございます 私は人間になろうとしている
今日はキャパシティの話から自分ができることとできないことを 知っている状態みたいな話をしたんですけれども
なんでこんな話をしたのかというとですね まあ今 sns とかもすごいやっぱりみんな普通に使われるし
私だけじゃなくてやっぱりインスタグラムとかね facebook とか 写真および文字付きで人の良いところとかハッピーな状態とかを共有されたりとか
あとは逆にすごい 何ていうのかな 劣等感を煽られるような広告に触れる機会ってやっぱり多いと思っていまして
例えば私が劣等感を感じているところ ができる人も私ができる
ところに対して劣等感を感じる人もいると思う このポッドキャストの内容でも
割と私はできないことを 率直に話をしているつもりなんだけどでもそれを聞いても
いやみーさん言うてもできるじゃんって思う人もいると思うんですよね
なんか人間 って自分もそうですけどやっぱり人生のタイミングって本当に全然違って人格が変わるぐらい違うと思って
いて 例えば今ちょっと病気とかでね
家族のサポートが必要だったり 社会的に必要とされる例えば労働とかね
ができない状態の人がいたとしても
うーん その人なりの適切な目標設定が
例えば急に労働するみたいなことにしてしまうと 疲れちゃうと思うし自分に対しての評価が低くなっちゃうと思うん
なんですよね その人なりの目標設定例えば私で言えば先月お水を飲むようにする
こんな水なんて自動的に飲めやーって思う人いると思うし でも
お水を今まで例えば1日 1リットルぐらいしか飲めてなかったのが2リットル飲めるようにするって
他がお水を飲む量を増やすだけだけど結構大変なんですよ でもその先に健康な状態でいるっていう目標
が理想があるわけなので 私は何と言われようがお水を飲む量を増やせ
ていくことが大事だと思っているんですね それと同じように
じゃなくて例えばそれで私が健康になるっていう理想のためにお水を飲むっていう フェーズをすっ飛ばしてすげー1日3時間運動するみたいな極端な目標を立てたとする
そうなると多分病気になったりするんですよ怪我したりとか そういうことはもう今まで散々やってきたんですね
その極端な目標を立ててとにかくやるみたいなことは散々やってきた でも結局それで続かないしネガティブな結果を見やすいし
結局目標としている健康な状態に近づけない 一瞬近づくけど
結局近づかないみたいなことが起きている それはほんと散々やってきたので
今私は まあお水を飲む量を増やそうみたいなところからやってそれができたらちゃんと喜んで
で次それができたそれがちゃんと中間になったら次に行こうってことを 今やっているんですよ
なので 聞いてくださっている方も
自分なりの目標もそれは小さければ小さいほどいいんだと思う 正直あの人にそんなことぐらいできて当たり前だとか言われてもそれはもう
心の中でその人の音声をミュートにして 自分にとって必要な小さい小さいも小さきゃ小さいほどいい
目標を踏んでいくと 継続できるし
あとはねその小さい目標ができたらちゃんと喜ぶってことが大事だと思うんですよ
で 小さい目標できたらちゃんと喜んで
それを習慣にできたら次に行くっていうね 時間がかかるけど絶対着実にそうだと思う
それを 人とね比較しないで
やり続けられたら いいねって自分に対しても思ってるし
そういうやり方もあると思うっていうのをこの番組で話したいんだなって 最近すごい思ってたりします
自己表現と聴取者への感謝
この番組聞き直してね自分でもね つまんないなって思うときめっちゃあるんですよ
もっとわかりやすく楽しい話の方が楽しいと思うんだけど でもどうしてもやっぱりそれをこの一人語りでやらないのは何でかなって思うと
少ない規模でも やっぱり一番一番聞いてくれる人たちがいて
それに最近すごい感謝をしていて かつ自分は物書きになりたいとか
そういう夢があって 私はこの番組で聞いてくれる人たちに何を伝えたいんだろうって思った時に
自分が 自分の理想を叶えていく
これはね自分を楽しみ尽くすみたいな人生のコンセプトに近いものなんだけど
その実験を自分でして感じたことを 言葉にして伝える
それを
絶対だよじゃなくてそういう工夫の仕方もありますよみたいなことを
伝えられたらいいなって思ってるんだなと思ったので なんか今日は作るしくそんな話を
しました 改めてね
話すって難しいなって思っている どんなに台本を書いても
言葉にして伝えるってやっぱ難しいっていうのは 徐々に
思っているね ずっと思ってんだけど最近もっと難しいし
この話もちゃんと話せたかなっていうのはちょっとわからないんですが まあそれも含めてね私のことを人間になっていく過程の
実力ではありますのでご勘弁いただきまして まあよかったらねこの番組の感想なんか
sns とか いただけたら嬉しいなと思います
フォームもあるのでね sns 割ってないみたいな人がいたらそちらから あとあのポッドキャストの中コメントとかもあるので
そちらでいただけたら嬉しいなと思います それでは今日も長々と聞いてくださってありがとうございました
それでは また次週
聞いてください ありがとうございましたバイバーイ
38:53

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