中年の危機と妊活の話
みなさん今日の調子はいかがですか? 私たちは人間になろうとしているパーソナリティのみぃです。
この番組では、中年の危機を迎えた私が、ホルモンや無意識の支配から逃れ、人間として生きていけるようになる過程のお話をしています。
9月も中盤です。 9月らしく天気が乱れてるね。
風が強かったり、雨が降ったり、台風が来たり、寒かったり暑かったり、 まあこれが落ち着くと本格的に秋になって急に寒くなるのかなぁなんてね、思ったりしていますが、
まあ天気のね、こんだけ乱れてると、 体調が悪かったり、なんとなく気分が上がらなかったりするかなと思いますが、
みなさん自分のことを大事にしながら、ぼちぼち楽しくやっていってほしいなと思っています。 私は結構元気。
今日はですね、突如、 中年の危機特別編として
人活ですね、人活を終えて思うことについて話していきたいとおもいます。
私たちは人間になろうとしている。
今年もやってまいります。 9月30日のポッドキャストデイに合わせて、ポッドキャストでつながる特別な2日間。
ポッドキャスト配信リレー2025。 昨年大好評だったポッドキャスト配信リレーが今年も開催決定。
今年のテーマは、アンバランス、未来、
聞く。の3つ。 開催日は9月27日土曜日、28日日曜日の2日間。
配信枠はサクッと聞ける15分枠。 長ら劇のお供に30分枠。
1番組ずつ、そのどちらかで配信されます。 リレーの参加者、配信の順番など、詳しくは教会の公式サイト、またはXアカウントをご覧ください。
あなたに何かを語りたい。 語らずにはいられない。 そんなポッドキャスターたちのリレーをぜひお楽しみに。
ほんとそうなんですよね。 語らずにはいられない。
そんな衝動を持っている私が。 ポッドキャストを始めてもうちょっとで2年なんですけれども、
この2年間でね、 やっぱり前回も言ったんですけど、伝えるっていうことが
私はしたいことの一つなんだなぁっていうのがなんとなくわかってきまして。 かつ何を伝えたいのかって言うとですね、
私は自分が経験したことしか持っていないので、 自分が経験したことを伝えるっていうことをしたいっていう気持ちがね、
あるんだなっていうのがだんだん整理してわかるようになってきたんですけれども、 伝えたいっていうね、衝動を持っている私が
伝えたいなぁと思っていることは山ほどあるんですが、 そのうちの一つでありますのが、
今回特別編としてお話しする 妊活をテーマにしたお話です。
私はね、まああえて私たちというふうに言いますが、 私たち夫婦が妊活を
やめるっていうことを決めたのは、 それこそ約1年前ですね。
まあ夫婦で話し合って、 妊活はもうやめようというふうに去年、
この秋ですね、に決めました。 で、この妊活の期間って約私は10年ぐらいあったんですけれども、
まあ、あの結果としてはね、 子供には恵まれずに、
妊活をやめることにしたので、 あの夫婦2人で楽しく生きていこうということに
不妊治療の過程
決めたんですけれども、 まあこの経験本当にね、
私の人生の中では インパクトのね、ある出来事ではあったので、
まあこの体験、経験を話したいなっていう気持ちが ずっとあったんですが、
妊活をやめるって決めた時ですら、 やっぱりまだね、人にこの自分の気持ちを伝えるってことが
できるような気持ちになれなくって、 伝えたいって気持ちはあるんだけど、
まだできないっていう気持ちもあって、
いつか番組としてね、収録したいなぁと思っていた項目の一つでした。
で、妊活をやめるって決めてから1年ね、 あの、経つ、今。
なんかこう、やっとね、 ああ私妊活やめたんだなっていうことを、
理解できるような感覚になってきていまして、 まあその、妊活をしていて思ったこととか感じたこととかね、
まあそういうことが、 まあ私ちょっと会話が小さめなんで、
すっかりわからなくなってしまう前に、
うーん、 番組の中でね話しておきたいなぁというふうに思いまして、
今回ちょっと特別編として話してみようかなと思います。
で、この特別編はね、あの 不定期で時折話そうかなぁと思っています。
っていうのはやっぱりね、なんか ここから数週間に渡り、妊活についての話をするっていうと、
なんかちょっと重くなっちゃうなぁなんて気が、 やっぱりするんだよね、まだね。
うーん、だからそれだとちょっと私の番組のカラーに合わなくて、 自分もあんま面白くないので、
時折ね、あの 中年の危機特別編として、
妊活を終えて思うことということを話していこうかなぁなんて思っています。
で、まあ今日はね、 妊活をするに至った話とか、
妊活最中の話だとかを、 まあかいつまんでね、ちょっと話そうかなと思っていて、
まあ時間が許せば、妊活をやめるというふうに決めた背景なんかについても、 ちょっと話せたらなと思っておりまーす。
はい、今までもね、あの私が妊活をしていたっていう話はポチポチしてたので、ご存知の方もいるかと思いますが、
えー、そうそうそう、私はね、あの 結婚したのは30になるちょっと前ぐらいだったんですけれども、
30多分3歳ぐらいの頃に、 子供欲しいけどなかなかできないからっていうので、
不妊治療のためにね、 不妊科に行ったんですよね。もうその時はその、
なんていうの、不妊治療をする専門の婦人科みたいなところに行ったんですけれども、 まずね当時はまだ不妊治療が保険適用外だったんですね。
で、今は割とあるその会社の中で妊活に対する、なんていうの、
理解をね、しましょうみたいなのもあんまりない時代だったんですよ。
信じられないよね、ここ10年でこんなにも変わるのっていう、10年も経たないか5年ぐらいでね、そういう保険が適用になったりとか、
うーん、その不妊治療をしている人への理解っていうのをしっかりしましょうね、みたいなのが浸透してきて、
まさかあの頃はこんな風になるなんてね、正直思ってもみなかったんですけど、 そんなさ中で
不妊治療をね、始めました。 始めたのはね、なんでかっていうと、
まあ、そういった不妊治療をやるっていうのが明確になっているお医者さん、
まあ、大きい病院の不妊科に行ったわけじゃなかったんで、専門の病院に行ったんでね、
まずはこう、ご夫婦の各々の体の調子を調べましょうっていうので、検査をしたんですけれども、
そこで私のね卵巣に卵子の元となるものがね、細胞がそんなに多く残ってないってことがわかったんですね。
で、これはなぜそんな風になったのかは誰もわかりません。 生まれつきなのか、
まあ途中でこうストレスとかいろんなアクシデントがあっていきなりなくなっちゃったのか、そんなことはね、もうわからないんです。
だから考えないんだけど、とにかくそういう状況なので、タイミング法とか人工受精とかね、
してるのはもったいないですよということで、最初から対外受精をした方がいいということで、
何や何だかよくわからない、正直ね、状態のまま、でも子供が欲しいんだったら早い方がいいねっていうことで、
対外受精に臨むことにしました。 でまぁ、
対外受精ね、されたことある人、まあ身近にそういう方がいた人はわかりだと思うんですけれども、
本当にこう治療のタイミングもコントロールできないし、
あのまあとにかく、お金がね、保険が適用じゃなかったんでめっちゃかかったんですね。
それが大変だった記憶の一番最初に来るっていうのもなんなんですけど、
でもやっぱお金の負担がめちゃめちゃでかかったなっていうのを覚えておりまして、
まだ30前半のね、夫婦なんで収入も全然ない中で、
1回のね、初回の対外受精の治療100万超えぐらいだったんですよ。
で、もう、なけなしの貯金も
全部なくなったし、で2回目以降も、
検査とかがなかった分は安かったんですけど、でもやっぱり60万80万ぐらいかかってね、
やってたんで、もうほんとヒーコラ言ってましたね。お金がもうどんどんなくなっていくし、
でもやっぱりそれでもね、子供欲しいって気持ちがあるから、もう
とにかくやれることをやらなきゃみたいな感じだったんだと思うよね。
もう今思えば30代前半でね、そんな大金使うなんて本当頭おかしいなと思うけど、でも頭おかしかったんですよ。
マジで多分本当に欲しかったからね。
で、1回の診察とかでも、毎回6、7万払っていて、
で、まあ本当にほとんど毎日行ってたんだけど、
まあ変な言い方だけど、その時の状態が良くなければ、やろうとしていた治療ができないので、
まあ今日は2万円でいいですよみたいな日とかもあって、
なんかその時は今日2万円か安いなぁみたいなね気持ちで、結構感覚バグったりしてたなぁと思います。
まああとはね、やっぱりほとんど毎日ね、その期間は病院に行くんだけど、
病院にこう何時に行けばいいとか、あと診察もね結構かなり待つので、
何時に終わるとかもね、本当に読めない状態だったので、
仕事をしながらその不妊治療をすると結構本当に大変だったんですね。
やっぱ会社の理解って全然もらえなかったし、
なので私は最終的にはですね、正社員で働いてたのを、
まあ契約社員という形に雇用形態変えてもらって、
それでもね、やっぱりちょっと会社の中での風当たりが強くてですね、
まあ左遷というような形で、
自分が今までやってきた仕事と全く違う仕事を当てがわれて、
退職とその影響
退職に追い込まれたと、
まあその時の私はそのように感じましたが、
実際とかどうだったかわかんないけどね、
という形で、会社にはちょっともういられないなということで退職して、
まあ無職の期間になるっていうような経験もしました。
でまあそんな中だったんだけど、まあ夫もね30代前半だったんで、
結構会社の中でいろんな新しいチャレンジとか任されたりとかもしていたし、
その頃ほんと出張が多くって、
週に2,3回はもう出張行ってたりとかしてたから、
家にもあんまりいなかったし、ヘトヘトだったし、っていうんでね、
各々が結構本当に大変なフェーズにいまして、
で、その頃はさ、なんで?みたいなお互いに、
なんでわかってくれないの?みたいなのがあったと思うんだけど、
まあ今思えばね、各々本当に必死に生きていて、余裕がない状態だったので、
結構衝突もあったし、
プライベートでもあんまりそのうまくいかないなぁ、みたいなことが多かった時期でしたね。
不妊治療の苦悩
で、やっぱりそのホルモン治療を受けてるから、
私もね、本当に毎晩ね、泣いてたんですよ。
で、もう意味もなく毎晩涙がずっと出ててね。
で、もうある時ふと、これは普通じゃないなぁって思って、
ホルモンの影響なんだなぁって、なんか自分でも思ったっていうのを、
今でも覚えてますね。
何よりね、あの時の私はやっぱり、自分の原因で子供ができないっていう状態だったんで、
とにかくもう夫に対して申し訳ないって気持ちがすごい強くてですね。
もうそのことばっかり考えて、毎日泣いてたなぁって思いますね。
泣いてたのは、結局私というよりかはホルモンの影響だったと思うんだけど、
だから何度かね、夫にはその、私のせいでできないわけなんだから、
人生のね、その夫の大切な人生の中でどうしても子供を育てるって経験をしたいんだったら、
私じゃない人と結婚した方がいいと思うとか、
どうしてもその、
なんか自分の中で怖かったのは、子供がもしできなかったとして、
60歳とか70歳とかね、になった時に夫が急にね、子供欲しかったって言ったら、
どうしようっていうのがすごい怖かったんですよね。
なんか、人生ってもうたった1回しかないのに、
その人生でどうしても叶えたかったことを、
私のせいで叶えてあげられなかったなんて、
その年を取った時に知ったらもう、どうしようみたいな、
なんかすごいそれが、恐怖だったから、
何度かね、その手の話は夫にはして、
まあでも、夫も、なんていうのかな、
その時に判断はできないから、
そういうこともね、視点に入れて、
考えていくから、何かあったら相談するから、みたいな感じで、
まあ今はね、あの、
一緒に生きていこう、みたいな感じで、
優しく、私のね、なんていうのかな、いたたまれない気持ちとかも理解した上で、
受け答えしてくれていたなぁと、
今考えると、思いますね。
はしえたく、にんかむ。
まあそんな感じでね、あの、対外受精、頑張ってたんですけど、
私の場合はさっき言ったみたいに、卵子の元になる細胞が少なかったからね。
まあ、催卵をしても、まあその子宮、子宮じゃないよね、卵巣で、
卵子をね、こう育てるホルモンを打つんだけど、
本来だったら、月に1個とか2個とかポーンとかできるものをたくさん作って、
で、たくさん作ったのを直接卵巣から取ってね、でそれをこう、
なんていうの、外の世界で受精卵にしていくっていう作業をしてくれるはずの治療だったと思うんですけども、
私の場合はその卵がね、そんなに育たなかったので、
催卵の時に、まあ5個とか10個とか取れる方が結構いらっしゃると思うんですけど、
私は1個も取れない時も何回もあったし、1個取れた、みたいな時があったりとかで、
本当にね、もう催卵のタイミングでも全然うまくいってなかったんですね。
で、
あ、もうこれは結構厳しいのかなっていうふうにも考え始めていたし、
何よりもね、やっぱりお金が続かなかったんですよね。
その、
結婚してすぐから貯金をしたけど、
その貯金ももうそこをついたし、
自分たちの収入だけでどうにか不妊治療をね、
頑張ってやっていたけども、
さっき言ったように私の雇用形態が変わったり、無職になったりとかで、収入も激変してしまって、
生きていくっていうものだけでもう限界が来てしまって、
早期閉経の認識
毎回その、
なんていうかな、
毎回ね、対外受精をするっていうお金がやりくりできなくなってしまって、
なので、一旦そのスペースを、スペースじゃないね、スピードをね、緩めようということにならざるを得なくなったんですね。
私もそのホルモンの影響でもずっと泣いたりしてたし、
やっぱりこう、少しね、薬抜いたほうがいいなっていう感覚もあったんで、
一旦ちょっと、まあ仕事もね、
なくなっちゃったから、
休憩っていう感じで不妊治療から距離をとってね、
今度距離をとったら、もう一度対外受精をするっていう判断をね、
するのが結構できなくって、
で、夫もね、やっぱりこう、
ホルモン投与されてる私を見てるから、
子供は欲しいけど、そんなに無理して欲しくないって気持ちを、
やっぱり言ってくれるようになったっていうのもあって、
ここ近年はね、対外受精はしていなかったんですね。
って感じでした。
で、まああの細かい治療とかね、どんなだったのかっていうのはちょっと今日触れるのは、
やめておこうっていうふうに思うんですけど、
なぜね、あの、不妊治療をやめるっていうふうに判断したかっていうと、
一番大きかったのはね、
うーん、そうそう、本当はね考えてたんですよ。
あの、まあ経済状態も少しずつ戻ってきたこともあったし、
まあ自分がもう40にね、あの入ってた頃だったんで、
うーん、もう一回、あと何回かって決めて、
その対外受精やってみようかなって正直思っていたんですね。
なんだけど、やっぱりどうしてもね、
そう、前あったことの悪い印象がもう拭えなかったのと、
またそのすごいお金をね、もちろん保険が適用されるとは言うゆえ、
私ちょっとその対象ギリギリの年齢でもあったんで、
お金がどんどんなくなっていくとかね、
あと正直、この年齢で子供を、
その潤沢な経済状態があるわけでもない状態で、
子供を作るっていうことに対して、少し前向きになれないっていうのも正直あったし、
なんか、まあいろんなことを考えて、対外受精をやろうっていうふうに思う気持ちと、
やりたくないっていう気持ちとすごいあったんですよね。
で、夫はやっぱり対外受精はどうなんだろう、
体の負担がすごく気になるっていうのはすごい言っていて、
まあそんな中でずっと考えている中で、
早めにね、私が平形という状態に入っていったので、
その自分が平形の状態を認識したときに、
不妊治療やめようっていうのが、まあ覚悟ができたというか、
やめる覚悟っていうか、これがやめ時なんじゃないかなっていうふうに思うようになって、
そうなんだよね、だから結局私が早期平形になるっていうことを知ったのも、
妊活をしたからだし、
で、卵子の数がね、卵子の元になる細胞の数が少ないということは、平形も早くきますよって言われていたから、
知ってたけどやっぱり本当に来たときは、
あ、本当だったんだみたいな気持ち、でこれはね、なんか、
あなたは子供ができにくいですよって、
妊活の初めに言われたときの、
あの、え、そうなの?っていう、
なんていうか、言われたことはわかったんだけど、
本当に自分の体にそんなことが起きているの?っていうのは、
目に見えるわけじゃないから、
やっぱりこう、信じられなかったんだよね。
だけど、胎外受精をする中で、
まあいろいろ、その当時はなんかいろいろ雨風呂とかがあったんで、
そこで見る、その体験談と自分の治療の経過とかを見ると、本当に差があったので、
あ、私は本当に、あの、先生が言ってたみたいに、
子供ができにくいんだなっていうのを、治療をしながら理解したっていう感覚があったんですけど、
早期閉経についても同じような感覚で、
10年前から言われてたんでわかってたけど、
本当に来たんだみたいな感じだったんですけどね。
でもなんか、早期閉経、だからもう43ぐらいだよね、の時にはもう、
間違いなく私は閉経してるって自分で認識できてたから、
で、まあその後病院に行ってね、あの健康診断とかで早期閉経の数値だよって、
44ぐらいの時に言われたって感じな、44じゃない、43の時か、言われたっていう感じなので、
認識の方が早かったけど、
やっぱりその閉経状態の私が、私の感覚でだよ、なんかこれはそうだということではなくて、
私の感覚で、私のことだけを考えた時に、
自分の体の中で早期閉経の症状が出ているのに、
妊活を終える決断
体外受精をするのは、なんかやっぱちょっと違うんだなっていうか、違うっていう感覚になったんですよね。
で、まあそこで、
そう、あの妊娠に向けてのね、治療はやめるっていうことを、
個人的には決めて、
で、まあ夫とね、話をした時に、私は、
そう、自分の体の状態を考えても、
前向きに体外、
体外受精?
急に言わせた。
の治療を受けるっていう決断ができないっていう話をしたら、
夫もそれでいいと思うっていうふうに言ってくれたので、
去年かな。
体外受精は、というか、妊娠活動は終えようというふうに決めたっていうのが、
妊活を終えるまでの経緯でした。
感情の整理と今後の展望
はい、今日は、中年抜き期特別編で、妊活を終えて思うことについて話してみました。
今日はね、あの妊活を始める経緯とか、妊活をやめるっていうところまでざっくり話してみたんですけれども、
まあ後半はね、
妊活をやめるっていうことと結構、戦ってたなって気がしますね。
なんとなく、妊活、その体外受精の治療を、
もう一回やるぞー!みたいなね、
よしやるぞー!みたいに思う時もあるけど、
いやーって思う時の方が多かったんですよ、本当に正直言うとね。
でもね、治療をしないって決めることが本当にできなかったの。
これはね、治療中の方はわかるような気しません?
わかる方もいるんじゃないかなって思う。
やっぱりこう、治療しないっていうことはイコールね、
この先私たちは、
まあ、里親とかね、そういうのはあるけれども、制度としてあるけれども、
その自分たちの遺伝子を、
すごい難しいね、センシティブな問題だよね。
でも端的に言うとね、
もう私は子供を持たないっていうことを決めるっていうこととイコールなので、
そのね、決断ができなかったんですよ。
で、今ね、
あーって、
あーやっぱり私はこの問題については消化したんだなって今思ったんだけど、
やっぱりね、消化できてなかった時に治療をやめます。
それは私はもう子供を持たないということを決めたっていうことですっていう、
この言葉をね、口に出せなかったのとんでもない。
もう全然出せなかった。
けど今は出せるようになったんだなって、
なんか思って、
本当に妊活はね、あのちゃんと終止符を打てたんだなって、
改めて思っています。
まあね、この妊活についてはちょっと私の中では結構センシティブな話ではあったので、話すまでちょっと時間かかったんですけど、
まあ同じ境遇の方もいらっしゃるかもしれないしね、
いらっしゃらないかもしれない、それはわからないんですけれども、
一つのケースとしてね、あの残しておけたらいいなと思ってたので、
話し始めることができてよかったなと今思っています。
はい。
まあね、この妊活をやめるということから、
また中年の危機とかミッドエッジクライシスとね、
割と関係のある話にも進んでいくなというふうに思いますので、
これはたまにシリーズ化として、
ちょっと別の切り口で話すことも今後あるかなと思いますので、
今日は導入編としてお話しさせていただきました。
よかったらですね、この番組の感想など、
あとは応援のメッセージとか質問とかね、
フォームの方にフォームを作ってますので、
フォームのリンクに飛んでいただいて、
何かお手紙とかいただけたら嬉しいなと思います。
番組で紹介されたくないけど、
なんか私にね、言いたいことがあるよみたいな人は、
後悔しないでっていうのもあるので、
そういった感じでお手紙いただけてもとっても嬉しいです。
あとはSNSでですね、
ハッシュタグニンカムをつけてつぶやいたりしてくれたら、
私も披露に行ってコミュニケーション取りたいと思いますので、
よかったら感想などもお待ちしております。
それでは今日も聞いていただきましてありがとうございました。
バイバイ。