このポッドキャストは、ニューヨーク に住む、仕事大好き、バイリンガル
の2人が、母になるという人生の トランジション期について、ザック
バランに話す番組です。お送り するのは、東京で出会い、同じ職場
で切磋琢磨した経験を持つ、ニューヨーク 在住10年以上のA子とトモ子
です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はゲスト回です。
イエーイ!
イエーイ!
ゲストに、広子さんをお呼びしています。
簡単にお伝えすると、私が広子と 友達で、大昔、同じ職場にいた仲間。
ただ、一緒に働いたことも全然なくて、 実はその会社を離れてから、結構
似たフィールドで仕事をする仲間 として、大切な友人で、かつママの
先輩であり、最近、私たちが東海岸の 方に来たという、さらに近くなった
存在の広子をぜひお呼びしたいと思 って、今回ゲストに呼びました。
はい、広子から簡単な自己紹介をして いただければと思います。
はい、ありがとうございます。
トモ子とA子さん、今日はお呼び いただいてありがとうございます。
こんな感じで、一緒に話しできるのが すごく嬉しいです。
私はトモ子から今会ったように、 昔、トモ子と一緒の仕事をしていましたが、
その時は、私もトモ子も株の世界で 営業とか、措置系の仕事をしていましたが、
その後、人事の方にキャリアをシフト して、それから10年、今日ですかね、
人事の仕事でずっと来ています。
子供は、今もうすぐ11歳と8歳ですかね、 結構大きくなって、2人とも小学生に上がって、
保育員の時はすごい大変でしたけど、 今も大変ではありますが、
だいぶ手が離れてきて、自分の人生を 考える余裕ができたかなっていうタイミングが、
1、2年くらい前に来ました。
そういう時に、自分のキャリアとか 人生とか、いろいろ考える中で、
ずっと思っていた、大学に行きたいな っていう気持ちが大きくなって、
タイミングも、子供が少し手を離れた っていうのもあって、
受験とか考えられるようになったので、 去年ですね、受験をやって、
今、東海岸の大学院に来ているという 状況です。
友子と、えこさんこれ初ですけど、 近くなれて嬉しいなと思っています。
かなかなです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
大先輩すぎて、11歳、11歳。
本当、今、小5と小2。
小2か。小2の方がそんなに遠い世界 じゃない気がする。小5が。
小5が。
上が女の子で、下が男の子なんだけど、
性別であまり言うのはいいんだけど、
大人っぽいっていうか、小5の頃って こんなだったかなって思うぐらい、
焦ってるというか、大人の発言も出て、
私もいろいろ学ばされることが多い。
私も、上女の子、下男の子で、
もうちょっとで4歳と、あともうちょっとで 2歳っていう感じなんですけど、
大先輩、ママ大先輩ということで、
かつ、今、留学されてるってことは、
私も若い頃は、留学とか大学院に行くことは、
若干なんかもう、
not for me みたいな、もうそういう感じに決めてたんですけど、
今になって、すごく大学院とかに興味を持ち始めてる段階なので、
すごく今日のお話にいろいろ興味を持って聞きたいと思ってます。
嬉しい。ありがとうございます。
最初、いつもゲストの方に聞いてるのが、
それぞれのお子さんが生まれたとき、
前後どんな感じだったか、
それぞれ違うケースあったと思うんですけど、
教えていただければと。
子供を持つことに関して、いろんな価値観があると思うんですけど、
私の場合はなぜか、もう大学生の頃から、
子供3人欲しいっていうのがずっとあって、
自分が3人兄弟だからだと思うんだけれども、
子供がいる生活が自分の自然な、
逆に言うと想像力に欠けてたのか、
3人子供がいる家庭しか想像できなかったとも言えると思うんだけれども、
なんか欲しいっていう気持ちがあったので、
早いタイミングで産みたいなっていうのはありつつも、
当然、いろんな出会いとか仕事とかの関係で、
結局、結婚したのが29歳、28かな、29かな、そのくらいで、
もちろんすぐ子供を産みたいっていう気持ちと、
ただキャリアもね、多分皆さんもそうだと思うんですけど、
30前後って結構イケイケで、
私もともとずっと人事に行きたかったけれども、
ちょっと新卒で人事の仕事がなくて、
ちょうどこう年次的に氷河欠明っていう、
ただ言い訳かもしれないけれども、
人事の仕事が全然もなくて、
先輩のアドバイスとかを受けて、金融に行きたいんだったら、
ビジネスを理解できていれば、きっといつか人事に行く機会はあると思うよってアドバイスを受けて、
じゃあとりあえずビジネスを理解できる部門に行こうってことで、
最初の会社に入って、
ずっと睡眠家で人事に行く転職活動をしてたんだけど、
なかなかうまくいかなくて、
どうなのどうなの、結局行き着いた方の仕事面白かったから、
営業とかも面白かったからやってたけど、
やっぱり人事に行きたいっていう気持ちがすごく大きくて、
ようやくたまたま結婚のほぼ同じタイミングで、
人事の転職がうまくいったっていうのがあって、
なんで自分の中で子供が欲しいっていうのと、
人事せっかくこれからキャリア始められるっていうところで、
結構葛藤があったっていうのは、
実はもともと30前であったんですよね。
なんだけれども、結果的に自分は結婚して、
なかなか子供、なかなかっていうか半年ぐらいかな、できなくて、
私結構不確定要素が苦手なんですよ。
子供がいつできるのかっていう不確定要素に、
結構振り回されちゃってて、精神的に。
で、なんでもう結婚半年で29歳って、
普通不妊治療始めるタイミングじゃないと思うんですけど、
私はもう早々に病院に行って、
ちょっと残念ながら自然妊娠難しいっていうことがすぐに分かって、
どうなんだか確率はほぼゼロですって言われて。
半年で行ってよかった。
逆に行って、だからすぐ病院に通い始めて、
病院は治療法が私合わなかったみたいで、
で、変えたら幸いうまくいったので、
その後結構2年後ぐらいに妊娠してるんだけれども、
ただ直近の1年ぐらいは本当に人事の仕事をやりながらも、
不妊治療を始めてっていう感じで、
どっちつかずでなかなかアクセルを踏み切れなくて、
もやもやしたっていうのがあった。
で、不妊治療でようやく幸い1年ちょっとうまくいったので、
妊娠して、じゃあこれからちょっと一瞬、
ちょっと産経まで仕事に向けてアクセル踏むぞと思ってたら、
今度つわりがすごい重いのが来ちゃって、
なんか重症妊娠予想って言って、
妊婦さんの中でも多く見積もって1%しかならないっていう、
つわりはみんなって大変だと思うんだけども、
本当にすごく重くて、何も食べられない飲めないっていう感じで、
緊急入院になっちゃって、1ヶ月ぐらい入院しちゃって、
入院中も筋力とか落ちちゃうので、
退院後も1ヶ月ぐらい仕事にならなくって、
本当時短で復帰できたのが、
妊娠分かってから2、3ヶ月後。
そこからじゃあ、産経始まるまでの数ヶ月だけど、
どうするかって時に、
数ヶ月なのに新しい新規のプロジェクトとか始めるとか難しかったので、
産経までは申し訳ない気持ち合いながら、
チームの中で自分ができることをやりながら産経入るっていう感じ。
その間も定置大盤って呼ばれる、
これもすごい確率低いらしいんだけど、
本当は運動とかして体力つけたかったけど、
水泳もダメ、運動もダメって言われちゃって、
結構その妊娠、出産までは自分の中で結構仕事もそうだし、
自分の体というか母体もすごいもやもやしたまま、
出産に入ったっていう感じで。
出産してからは本当幸い、特に問題なく子どもも過ごすことあってって感じで、
2人目が欲しかったんで、またそれを2年後に出産して、
結構4,5年はもう自分が恨めしく感じるというか、
なんでこんな妊娠出産で仕事がやりたいのに、
こんな集中できないんだろうっていうもやもやの中で、
2人目の復旧まで過ごしてたっていう感じだったかな。
結構その時思い返すとすごいもがいてたなっていうのが記憶です。
自分の中では。
私もつわりはあったんですけど、普通のレベルだったので、
でも普通のレベルでも仕事とか生活するのがすごく難しかったので、
1%の人しかかからないようなつわりで、
そこでずっと一応仕事を持っているっていうポジションで、
かなりストレスフルだったんだろうなっていうふうに聞いてて、
すごいなと思いながら。
入院ってすごいよね。
入院は相当だった。
強制入院だった。
つわりってみんな来るから、自分が甘えてるのかなって気持ち、
多分女性そういうふうに思っちゃう方多いと思うし、
私もこんなんで大袈裟なのかなと思ってたんだけど、
ほんと食べられなくて、このままだと死んじゃうかなと思って。
ほんと。
2日何も飲めないし何も食べられないから水も塩分とかも全く取ってなくて、
で、病院に行ったら、
いやこれもうなんでもっと早く来なかったんですかって来られるぐらいの勢いで、
強制、緊急入院みたいな感じで。
で、点滴打ってっていう。
それから1ヶ月間絶縁で絶食続いてっていう感じで。
だからちょっと会社にも急に、つわりってやっぱり大変だと思うんだけど、
また収まったら仕事できるかなって思ってたけど、
もう完全にシャットアウトみたいになっちゃったから、
仕事も結構放り出すじゃないけど、そんなつもりなかったけど、
急になんか本当にもうパソコンも見ちゃダメですって、
そもそも見れませんみたいな。
だから本当に会社には不妊治療で、
不妊治療は上司には開示してたんで、
不妊治療が終わってこれから3級までの数ヶ月頑張りますって言った途端に、
急にまた入院で本当申し訳ありませんっていう感じで、
申し訳ない気持ちもあったし、もっとやりたいのにって、
けど体が言うこと聞かないっていう葛藤で、
結構なんかもやもやしてたなっていうのが記憶であります。
2人の家の時もそのつわりは?
つわりって1人目と2人目で軽い思いとかって、
いろんな都市伝説あると思うから、
私も2人目どうかなと思ったけど、
ただ子供が欲しいのは分かってたし、
つわりは頑張れば、私の場合数ヶ月だったから、
ちょっと今回また不妊治療をして、
つわりっていう流れを1、2年頑張ろうと思って、
ただ来ない可能性もあるって期待してたんだけど、
実は2人目の方が結局重くなっちゃって、
けとん体っていう数値?
で、ある程度、飢餓状態っていうのが分かるらしいんだけど、
2人目の時は緊急入院だった時に、
1人目の時は3だったのかな?
これ0とか1出ても結構危険らしいんだけど、
出ちゃいけない数字らしいんだけど、
1人目の時3だったのか、2人目の時は4だったのかな?
で、同じ先生だったから、もう分かってんだから、
早く来なさいよ、みたいな感じ。
怒らないで。
先生、怒らないでほしい。
愛のこもった怒り方でも、
もう早く来なさいよ、あなた、みたいな感じね。
そうできんぴぬになっちゃって、
子供にも会えなくなっちゃって、
急に2歳ぐらいの時だったのかな?
で、ママが急にいなくなった、みたいな感じで。
そうだよね。
それで思い出した。
だから退院して1ヶ月後に家に戻ったら、
娘がやっぱ、この人誰まではいかないけど、
すごい1日すかりよそよそしくって、
すごい切なかった。
悲惨だもんね。
急にママいなくなって、急に戻って。
会えなかったんだよね。
ガラス張りでは会えてたんだけど、
週に1回ぐらい。
家には入っちゃいけたけど、
子供は入っちゃいけないっていうルールがあって、
お互いに病原菌とか、そういう感じなのか分かんないけど。
だから、最初戻った時は、
私がハグしたくて、床にかがんで、
両手広げて待ってたんだけど、
すごい一瞬中傷されて、
寂しかったな、覚えて。
その後全然1日すかり元に戻る。
いろいろな思いがよみがえってくるね。
それは全部同じ会社だったの?
同じ上司、同じ会社だったの?