1. Moms in Transition - ママトラ
  2. #010 - 色々なタイミングが重..
2025-05-14 40:40

#010 - 色々なタイミングが重なった - 2人の子供とワンオペ留学 に至るまで- ゲスト:今枝紘子さん

今回は今枝紘子さんをお迎えするゲスト回。妊娠に至るまでの期待と現実のギャップ。意志力ではどうにもならない、妊娠中の体のこと。ご自身のキャリアに対する願いとのバランスの取り方。そして、色々なタイミングが重なって「今しかない」と思い立ってからの行動力。ワンオペ留学中のボストンで「一度立ち止まって今後20年のことを考えるきっかけにしたい」とおっしゃっている紘子さんにお話をお伺いしました。文字起こしVersionは⁠⁠⁠⁠⁠⁠LISTENにて⁠⁠⁠


ゲストプロフィール
今枝紘子さん:中学から大学の9年間NYで過ごす。新卒で外資金融にて株式業務に従事した後、同業内で人事に転身。直近はプライベートエクイティのHRディレクター。現在はMIT Sloanにて1年間Mid-Careerプログラムに在籍のため、2人の小学生とワンオペ留学中。LinkedIn プロフィールはこちら

このポッドキャストは

  • ニューヨークに住む、
  • 仕事大好きバイリンガルの二人が
  • 「母になる」という人生のトランジション期について

ざっくばらんに話す番組です。


感想・リクエストなどは #ママトラ ハッシュタグでお願いします。

サマリー

このエピソードでは、今枝紘子さんが子供を持つことや自身のキャリアについての経験を話し、東海岸の大学院留学に至る経緯を振り返ります。妊娠中のつわりや仕事との両立に関する思いを共有し、親としての葛藤に焦点を当てています。今枝紘子さんは、2人の子どもを育てながらの留学経験や不妊治療について語ります。上司からの支援を受けながら仕事と家庭の両立を図り、環境の変化がもたらす心の余裕についても触れています。彼女のエピソードでは、留学に至るまでの過程や子どもたちの教育について考察されています。特に、アメリカの教育への憧れや子どもたちにその教育を受けさせたいという気持ちが中心テーマです。今枝紘子さんが自分の子供と共に留学を決意するまでの経緯や、育児と仕事の両立について話します。母親として子育てをしながら、自分のやりたいことを優先することの重要性を強調しています。

ゲストの紹介とキャリアの変遷
このポッドキャストは、ニューヨーク に住む、仕事大好き、バイリンガル
の2人が、母になるという人生の トランジション期について、ザック
バランに話す番組です。お送り するのは、東京で出会い、同じ職場
で切磋琢磨した経験を持つ、ニューヨーク 在住10年以上のA子とトモ子
です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はゲスト回です。
イエーイ!
イエーイ!
ゲストに、広子さんをお呼びしています。
簡単にお伝えすると、私が広子と 友達で、大昔、同じ職場にいた仲間。
ただ、一緒に働いたことも全然なくて、 実はその会社を離れてから、結構
似たフィールドで仕事をする仲間 として、大切な友人で、かつママの
先輩であり、最近、私たちが東海岸の 方に来たという、さらに近くなった
存在の広子をぜひお呼びしたいと思 って、今回ゲストに呼びました。
はい、広子から簡単な自己紹介をして いただければと思います。
はい、ありがとうございます。
トモ子とA子さん、今日はお呼び いただいてありがとうございます。
こんな感じで、一緒に話しできるのが すごく嬉しいです。
私はトモ子から今会ったように、 昔、トモ子と一緒の仕事をしていましたが、
その時は、私もトモ子も株の世界で 営業とか、措置系の仕事をしていましたが、
その後、人事の方にキャリアをシフト して、それから10年、今日ですかね、
人事の仕事でずっと来ています。
子供は、今もうすぐ11歳と8歳ですかね、 結構大きくなって、2人とも小学生に上がって、
保育員の時はすごい大変でしたけど、 今も大変ではありますが、
だいぶ手が離れてきて、自分の人生を 考える余裕ができたかなっていうタイミングが、
1、2年くらい前に来ました。
そういう時に、自分のキャリアとか 人生とか、いろいろ考える中で、
ずっと思っていた、大学に行きたいな っていう気持ちが大きくなって、
タイミングも、子供が少し手を離れた っていうのもあって、
受験とか考えられるようになったので、 去年ですね、受験をやって、
今、東海岸の大学院に来ているという 状況です。
友子と、えこさんこれ初ですけど、 近くなれて嬉しいなと思っています。
かなかなです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
子供を持つことの思い
大先輩すぎて、11歳、11歳。
本当、今、小5と小2。
小2か。小2の方がそんなに遠い世界 じゃない気がする。小5が。
小5が。
上が女の子で、下が男の子なんだけど、
性別であまり言うのはいいんだけど、
大人っぽいっていうか、小5の頃って こんなだったかなって思うぐらい、
焦ってるというか、大人の発言も出て、
私もいろいろ学ばされることが多い。
私も、上女の子、下男の子で、
もうちょっとで4歳と、あともうちょっとで 2歳っていう感じなんですけど、
大先輩、ママ大先輩ということで、
かつ、今、留学されてるってことは、
私も若い頃は、留学とか大学院に行くことは、
若干なんかもう、
not for me みたいな、もうそういう感じに決めてたんですけど、
今になって、すごく大学院とかに興味を持ち始めてる段階なので、
すごく今日のお話にいろいろ興味を持って聞きたいと思ってます。
嬉しい。ありがとうございます。
最初、いつもゲストの方に聞いてるのが、
それぞれのお子さんが生まれたとき、
前後どんな感じだったか、
それぞれ違うケースあったと思うんですけど、
教えていただければと。
子供を持つことに関して、いろんな価値観があると思うんですけど、
私の場合はなぜか、もう大学生の頃から、
子供3人欲しいっていうのがずっとあって、
自分が3人兄弟だからだと思うんだけれども、
子供がいる生活が自分の自然な、
逆に言うと想像力に欠けてたのか、
3人子供がいる家庭しか想像できなかったとも言えると思うんだけれども、
なんか欲しいっていう気持ちがあったので、
早いタイミングで産みたいなっていうのはありつつも、
当然、いろんな出会いとか仕事とかの関係で、
結局、結婚したのが29歳、28かな、29かな、そのくらいで、
もちろんすぐ子供を産みたいっていう気持ちと、
ただキャリアもね、多分皆さんもそうだと思うんですけど、
30前後って結構イケイケで、
私もともとずっと人事に行きたかったけれども、
ちょっと新卒で人事の仕事がなくて、
ちょうどこう年次的に氷河欠明っていう、
ただ言い訳かもしれないけれども、
人事の仕事が全然もなくて、
先輩のアドバイスとかを受けて、金融に行きたいんだったら、
ビジネスを理解できていれば、きっといつか人事に行く機会はあると思うよってアドバイスを受けて、
じゃあとりあえずビジネスを理解できる部門に行こうってことで、
最初の会社に入って、
ずっと睡眠家で人事に行く転職活動をしてたんだけど、
なかなかうまくいかなくて、
どうなのどうなの、結局行き着いた方の仕事面白かったから、
営業とかも面白かったからやってたけど、
やっぱり人事に行きたいっていう気持ちがすごく大きくて、
ようやくたまたま結婚のほぼ同じタイミングで、
人事の転職がうまくいったっていうのがあって、
なんで自分の中で子供が欲しいっていうのと、
人事せっかくこれからキャリア始められるっていうところで、
結構葛藤があったっていうのは、
実はもともと30前であったんですよね。
なんだけれども、結果的に自分は結婚して、
なかなか子供、なかなかっていうか半年ぐらいかな、できなくて、
私結構不確定要素が苦手なんですよ。
子供がいつできるのかっていう不確定要素に、
結構振り回されちゃってて、精神的に。
で、なんでもう結婚半年で29歳って、
普通不妊治療始めるタイミングじゃないと思うんですけど、
私はもう早々に病院に行って、
ちょっと残念ながら自然妊娠難しいっていうことがすぐに分かって、
どうなんだか確率はほぼゼロですって言われて。
半年で行ってよかった。
逆に行って、だからすぐ病院に通い始めて、
病院は治療法が私合わなかったみたいで、
で、変えたら幸いうまくいったので、
その後結構2年後ぐらいに妊娠してるんだけれども、
ただ直近の1年ぐらいは本当に人事の仕事をやりながらも、
不妊治療を始めてっていう感じで、
どっちつかずでなかなかアクセルを踏み切れなくて、
もやもやしたっていうのがあった。
で、不妊治療でようやく幸い1年ちょっとうまくいったので、
妊娠して、じゃあこれからちょっと一瞬、
ちょっと産経まで仕事に向けてアクセル踏むぞと思ってたら、
今度つわりがすごい重いのが来ちゃって、
なんか重症妊娠予想って言って、
妊婦さんの中でも多く見積もって1%しかならないっていう、
つわりはみんなって大変だと思うんだけども、
本当にすごく重くて、何も食べられない飲めないっていう感じで、
妊娠中の挑戦と葛藤
緊急入院になっちゃって、1ヶ月ぐらい入院しちゃって、
入院中も筋力とか落ちちゃうので、
退院後も1ヶ月ぐらい仕事にならなくって、
本当時短で復帰できたのが、
妊娠分かってから2、3ヶ月後。
そこからじゃあ、産経始まるまでの数ヶ月だけど、
どうするかって時に、
数ヶ月なのに新しい新規のプロジェクトとか始めるとか難しかったので、
産経までは申し訳ない気持ち合いながら、
チームの中で自分ができることをやりながら産経入るっていう感じ。
その間も定置大盤って呼ばれる、
これもすごい確率低いらしいんだけど、
本当は運動とかして体力つけたかったけど、
水泳もダメ、運動もダメって言われちゃって、
結構その妊娠、出産までは自分の中で結構仕事もそうだし、
自分の体というか母体もすごいもやもやしたまま、
出産に入ったっていう感じで。
出産してからは本当幸い、特に問題なく子どもも過ごすことあってって感じで、
2人目が欲しかったんで、またそれを2年後に出産して、
結構4,5年はもう自分が恨めしく感じるというか、
なんでこんな妊娠出産で仕事がやりたいのに、
こんな集中できないんだろうっていうもやもやの中で、
2人目の復旧まで過ごしてたっていう感じだったかな。
結構その時思い返すとすごいもがいてたなっていうのが記憶です。
自分の中では。
私もつわりはあったんですけど、普通のレベルだったので、
でも普通のレベルでも仕事とか生活するのがすごく難しかったので、
1%の人しかかからないようなつわりで、
そこでずっと一応仕事を持っているっていうポジションで、
かなりストレスフルだったんだろうなっていうふうに聞いてて、
すごいなと思いながら。
入院ってすごいよね。
入院は相当だった。
強制入院だった。
つわりってみんな来るから、自分が甘えてるのかなって気持ち、
多分女性そういうふうに思っちゃう方多いと思うし、
私もこんなんで大袈裟なのかなと思ってたんだけど、
ほんと食べられなくて、このままだと死んじゃうかなと思って。
ほんと。
2日何も飲めないし何も食べられないから水も塩分とかも全く取ってなくて、
で、病院に行ったら、
いやこれもうなんでもっと早く来なかったんですかって来られるぐらいの勢いで、
強制、緊急入院みたいな感じで。
で、点滴打ってっていう。
それから1ヶ月間絶縁で絶食続いてっていう感じで。
だからちょっと会社にも急に、つわりってやっぱり大変だと思うんだけど、
また収まったら仕事できるかなって思ってたけど、
もう完全にシャットアウトみたいになっちゃったから、
仕事も結構放り出すじゃないけど、そんなつもりなかったけど、
急になんか本当にもうパソコンも見ちゃダメですって、
そもそも見れませんみたいな。
だから本当に会社には不妊治療で、
不妊治療は上司には開示してたんで、
不妊治療が終わってこれから3級までの数ヶ月頑張りますって言った途端に、
急にまた入院で本当申し訳ありませんっていう感じで、
申し訳ない気持ちもあったし、もっとやりたいのにって、
けど体が言うこと聞かないっていう葛藤で、
結構なんかもやもやしてたなっていうのが記憶であります。
2人の家の時もそのつわりは?
つわりって1人目と2人目で軽い思いとかって、
いろんな都市伝説あると思うから、
私も2人目どうかなと思ったけど、
ただ子供が欲しいのは分かってたし、
つわりは頑張れば、私の場合数ヶ月だったから、
ちょっと今回また不妊治療をして、
つわりっていう流れを1、2年頑張ろうと思って、
ただ来ない可能性もあるって期待してたんだけど、
実は2人目の方が結局重くなっちゃって、
けとん体っていう数値?
で、ある程度、飢餓状態っていうのが分かるらしいんだけど、
2人目の時は緊急入院だった時に、
1人目の時は3だったのかな?
これ0とか1出ても結構危険らしいんだけど、
出ちゃいけない数字らしいんだけど、
1人目の時3だったのか、2人目の時は4だったのかな?
で、同じ先生だったから、もう分かってんだから、
早く来なさいよ、みたいな感じ。
怒らないで。
先生、怒らないでほしい。
愛のこもった怒り方でも、
もう早く来なさいよ、あなた、みたいな感じね。
そうできんぴぬになっちゃって、
子供にも会えなくなっちゃって、
急に2歳ぐらいの時だったのかな?
で、ママが急にいなくなった、みたいな感じで。
そうだよね。
それで思い出した。
だから退院して1ヶ月後に家に戻ったら、
娘がやっぱ、この人誰まではいかないけど、
すごい1日すかりよそよそしくって、
すごい切なかった。
悲惨だもんね。
急にママいなくなって、急に戻って。
会えなかったんだよね。
ガラス張りでは会えてたんだけど、
週に1回ぐらい。
家には入っちゃいけたけど、
子供は入っちゃいけないっていうルールがあって、
お互いに病原菌とか、そういう感じなのか分かんないけど。
だから、最初戻った時は、
私がハグしたくて、床にかがんで、
両手広げて待ってたんだけど、
すごい一瞬中傷されて、
寂しかったな、覚えて。
その後全然1日すかり元に戻る。
いろいろな思いがよみがえってくるね。
それは全部同じ会社だったの?
同じ上司、同じ会社だったの?
不妊治療の経験
飲食してるの、その間に。
上司違ったのか?
1回目と2回目。
1人目の時、私感動した経験、
これは別に隠すことじゃないし、
本当に感謝の気持ちが大きいから、
あえてこの場で言いたいのが、
1人目の時に、
上司って男性の方だったんだよね。
その頃、今よりもっと不妊治療って
そんなに語られてなかったから、
どこで開示するかとか、
そもそも開示すべきかってすごい心配で、
かつ男性だったから、
ものすごい不安だったんだけど、
でもさすがに、
私が通ってた病院って、
朝6時に並ぶと、
7時から見てもらえて、
8時か9時ぐらいには終わるから、
10時ぐらいには戻れる病院だったのね。
だから午前休を取れば大丈夫だし、
午前中のミーティングとか入れなければ、
そんなに業務支障がなかったけど、
さすがに毎朝そんなに遅れてくるのが、
やっぱり立て続けっていうのも良くない。
すごい不真面目に思われても嫌だなと思って、
さすがにいようと思って、
その上司の方に実はっていう感じで、
入社して2年目ぐらいかな。
1年目かちょっとぐらいで行ったんだよね。
そしたら予想外の、
すごいあったかい反応が返ってきて、
たまたまその方が、
どんな知人かどうかの関係で、
不妊治療を間近で見てたみたいで、
そうなんだ、不妊治療大変だよね。
病院とか帰るのも大変だけど、
精神的にも辛いよねみたいな話をされて、
私より10歳ぐらい、
10歳か20歳ぐらい上の方で、
その頃私まだ20代で、
だからそんな世代の男性の方から、
そんな言葉をもらえると思ってなかったから、
もう本当にその方と話した時、
涙出てきたような感じで、
この上司で本当に良かったと思って、
当然そういう上司じゃない方の人って、
多分いっぱいいると思うから、
すごくあれば私にとってありがたい経験で、
またつまりになっちゃった時も、
平田さんはすごい仕事に一生懸命なの分かってるけど、
もう仕事は忘れて、
まずはあなたの体とお子さんと家族のことだけに
集中してみたいなコメントももらって、
私はこういう上司になりたいっていうのね、
すごい思った気持ちがある、本当に。
おかげでそういう感じで、
無事出産までたどり着いて、
2人目の時に、
だからその後、
転職と環境の変化
転職して、
実は友子たちと一緒だった会社に戻ってるんだよね。
最初の会社は違う会社で、
その時に転職するの全くなかったんだけど、
私も元々板部署、
友子とかも板部署がビジネスサイドだったけど、
そこの部署を見る人事のポジションが空いたっていうのを、
その会社にまだいた子に聞いて、
で、浮けたらって言われて、
いや、これは浮けるしかないと思って、
浮けたら幸いオファーもらえたから、
転職するんだけど、
だから1人目の時の上司に、
本当に申し訳なかった気持ちがあったけど、
すごく前向きに見送り出してくれて、
前にいた会社の人事やりたいっていう気持ちはすごく分かるから、
応援するよって感じで送り出してくれて、
この方、本当に感謝の気持ちしかない。
で、2人目の時は、
元々私たちがいた会社で、
そっちの会社は外資、もっと外資だし、
結構不妊治療の方いっぱいいたんだよね。
で、ある時考えたら、数えてみたら、
その周りにいる女性の3分の1かもっとの割合が、
多分不妊治療で妊娠してる。
日本だけじゃなくて海外も含めてだけど、
やっぱり進んでるっていうか。
だから話しやすかったってなったけど、
伝えたら、もちろんサポートするよっていう感じで、
で、不妊治療で、でも当然産経・呼吸とかも、
本当に前向きに送り出してもらいたいという感じで、
私は多分ここら辺は、自分自身はすごく辛かったけど、
周りの環境としてはすごい恵まれてたと思う。
留学のタイミング
本当これはもう、絶対もうわがまま言えない。
いやー、そんなことが。
いつもママトラの今までのエピソードってさ、
ママになってどうでした?みたいな。
その後働き方すぐどうなりました?
なんかそっちの話を今のところは聞いているけれども、
なんかひろこはその生まれ生まれのところは。
本当バトルね、バトルというか、
本当いろんなもうウェイブと、
そういうのは私が経験してないので、
でもやっぱり自分が経験してなくても、
こういうストーリーとかこういう話を聞くのは、
本当重要だなと今思ってて、
将来的に上司の身で会った時に、
周りの人がそういう状況に置かれた時とか、
本当重要で、ひろこさんがいらっしゃった会社が、
外資系じゃなかったらどういう感じだったのかなとか、
外資系じゃないところで働いているママさんとか、
どういうサポートがあるのかなと、
今ずっと思ってました。
もうもう、なんか一つ私自分の中で決めたのが、
不妊治療とか、あとその妊娠放送と呼ばれる、
重症妊娠放送って言えばなんだとかって、
言いにくかったり、それこそつわりとかも、
つわりってね、ママたちって多分、
なんかみんななるものだし、わがまま言っちゃいけないとか、
甘えてるのかなって風になっちゃうと思うから、
自分なんかあんまりそういうのを発信するのを、
そんなに恥ずかしがらずにできてきちゃうから、
なるべく逆に言おうと思ってて、
なんか突然不妊治療の話をするとびっくりする人もいるけど、
でも言うことによって多分言えなかった人が、
この人だったら話せるって少しでも思ってもらえたらいいし、
私人事だし今。
だから人事の人がそういう人になれると、
裏で今実はこういうふうに、
大変でって話もしやすくなるかなと思って、
だからそこはなんか一つ、
私自身がそういう経験したから、
今は自分が思えてるし、
面白いのがMITに留学に来て、
アメリカだから不妊治療とかって、
もっと普通にみんな話すのかなと思ったら、
やっぱわたくしがいた会社が、
もしかしたら特殊だったのかもしれないのかなって、
今思ってて、
MITって当然アメリカ以外の人もいっぱいいるからだと思うんだけど、
不妊治療ってそんなにやっぱりまだ、
なんだろうな、
公に言うのに慣れてない方もいっぱいいることが、
実は分かってていうのも、
同級生と話してた時に、
私も実は不妊治療したよ、
みたいなことを言ったら、
それは大勢がいる場だったんだけど、
その場では特に反応しなかった人が、
裏で個人的にDMとか送ってきて、
私も実は言えなかったけど、
してたんだっていう方が、
実は結構いたことが分かって、
だからやっぱり言える人は言うって、
すごい大事なんだなって、
やっぱりそういうのって、
言いづらいっていうのも、
いまだにあるんだなっていうのも、
改めて感じてる。
不妊治療もそうだし、
ニューヨークタイムズで数年前に、
リュウザンの特集があって、
いろんな実際の体験談が
フューチャーされた特集があって、
あれ私見た時も、
アメリカでもやっぱり、
もっともっと話す場が求められてるんだな、
みたいな。
そっかそっか、そうだよね。
リュウザンで言うと、
3人目の関係するし、
いまだに友達に、
年齢的に3人目はって、
話せる間から
別に聞いてもらっていいし、
聞かれるし、
いけるんじゃないって思うんだけど、
3人目の不妊治療の時に、
まだ受精卵が残ってて、
戻したんだけど、
妊娠したんだけど、
早いタイミングだったけど、
話とかもたまにするけど、
3人目考える時とかに、
やっぱりそういう年齢と、
リュウザンのことだったり、
また不妊治療ってどうかなっていうのとか、
座りとかもあるし、
あと結局キャリアも、
またブレイク、
1人産む度に1年から2年ぐらい、
ブレイク踏んでる感覚があるから、
このタイミングでって考えた時の、
キャリアとのバランスで、
なかなか悩ましいなって思ったり、
リュウザンのリスクも上がったりもするし、
こういうのってやっぱり、
女性って年齢に言っても、
いつまでも気になるものなんだなって、
最近改めて考える。
国籍超えて話せるよね。
女性の同級生とかとね。
なんかしんびりしちゃった。
いやいやいや。
すごいなんかこう、
ヤヒョコのオープンにシェアしてくれてる、
姿勢に加盟を。
時間が経ってるからっていうのは、
全然あると思う。
直後とかやっぱりつらかったりもするし、
だからこそまた、
時間が経ってるからこそ、
話せる人が話すって言うので、
いいのかなって思ったり。
確かに確かに。
私は先輩ママなので、
お伺いしたいのは、
出産して子供が生まれて、
2人目も生まれて、
ちょっとキャリアのこと、
もうちょっと考えるようになった、
プラス留学のことも考えるようになった、
タイミングって、
どこら辺でした?
これはですね、
もう完全に私は、
下の子が小学校に上がってからですね。
おそらく多分、
世の中的に小1の壁ってものもあると思うし、
別に小学校に上がったからといって、
楽になるとは思わないんだけれども、
我が家の場合はたまたま、
小学校に上がって、
保育園のお迎えがなくなったっていうのが、
一つ大きくて、
学童に、これはちょっと、
お金で解決した部分もあるかもしれないけれども、
逆に学童に行くことによって、
6時半くらいまで、
彼ら学童にいるし、
その後バスで家まで連れてきてくれるので、
私たち、私とか主人とかって、
最悪、
6時過ぎくらいまでに、
なんとか家に帰っていれば大丈夫だし、
残業とか、ちょっと接待とかがあるときには、
もう9時くらいまで預かってもらえるところだったから、
最悪、
それが大丈夫だったとか、
いろいろな要因もあって、
小学校に上がってから、
我が家の場合には、だいぶ気持ち的に楽になったっていうのが、
大きいかなと思いますかね。
なるほど。
そうですよね。
やっぱり、まだ小さいって、
保育所とか幼稚園に行ってる間って、
戻りが早い。
まだちょっと早いし、
小さいから手間もかかるし、
そこから小学生か、
あとまだまだだな、
私のとこは。
それで、
そこで、
本当、留学ってすごいコミットメントだと思うんですね。
かつ、
お子様も一緒に
家に来てるってことは、
そこら辺の考え方とか、
そのコミットメントが
できたのは、
なぜなんですかっていう。
私は、そこまでできないなと、
正直思っていて、
もちろん大学院とかに興味があるけれども、
まず、
一人で、
2人の子供を連れてっていうところから、
大学院で、
かつ、MBAだったら、
年齢とか、
ちょっと年上すぎないんじゃないかなとか、
そういうこと考えてしまうので、
そこら辺ひっくるめて、
ひろこさんの考え方を
シェアしていただけると嬉しいです。
もちろんです。ありがとうございます。
多分、2つのアングルがあるかなと思っていて、
1つは、
私の中でのタイミング、
2つは、コミットできるエネルギーっていうところ。
さっき申し上げた下の子が、
小学校上がるまで、
上がってから余裕ができたっていうのを逆に言うと、
下の子が小学校上がるまでは、
本当に私も時間的な余裕だけじゃなくて、
心理的な余裕がやっぱりなかったし、
まだ子供が小っちゃいから、
逆に命を預かっている感が
留学へ至るまで
すごくて、
小学校なんかちょっとちょっとで、
大丈夫かなみたいな。
なので、全然、
大学に戻りたいなんて、
1ミリも多分思ってなかったと思います。
今、思い返してみると。
ただ、行きたいっていう気持ちはどっかにあって、
でも、もう年だしなとか、
今更なっていうので、
全然現実的じゃなかったっていうのが、
本当に正直なところですね。
なので、私から言うと、本当に小学校上がって、
あ、なんかちょっと余裕できたかもっていう、
なんかすごい、
自分の中でのマインドシフトが大きくて、
そっから、
私、やっぱりやりたいこといっぱいやった、
みたいな気持ちがすごく溢れてきて、
で、実はトモコが、
大学院とかに深い頃、
もっと若い時に行ってたのは、
実は私の中ではすごく刺激にもなってて、
私もいつか戻りたいなっていう気持ちが、
年々大きくはなってたのが、
なんかそれが多分タイミング的にあったっていうのも、
すごくあるのかなと。
子どもたちへの教育の考え
で、実はその、
2つ目のアングルにも関係するんだけれども、
このエネルギーって、
実は私だけではなくて、
子どもの教育を考えた時にも、
実はちょっとずっともやもやしてた部分があって、
私も子どもの時にアメリカに住んでた時があって、
アメリカの教育にすごく感銘を受けた部分があったので、
自分の子どももアメリカの教育をいつか受けてほしいなっていう気持ちが、
これはちょっとずっとどっかにあったんですよね。
ただ、
子どもが小さかった時は、
アメリカに移住するとかって、
全然現実的には考えてなかったり、
主人の仕事とか、
いろいろあったり、
あと、私自身が、
アメリカと日本で育ててた時に、
アイデンティティクライシスみたいなのを、
経験したので、
自分の子どもには、
まずどっちかのカルチャーで、
まず自分のアイデンティティを確立させて、
上で、
もう一つのカルチャーに触れてほしいなっていうのがあって、
これは、
いろんな考え方があるから、
別に何が正しいとかではなく、
あくまで私の場合なんだけれども、
なので、
うちの子どもは、
2人ともあえて、
日本の公立の保育園と、
公立の小学校に通ってるんですよね。
インターとかにも行かずに。
だけども、
どっかで、
海外のカルチャーに触れるっていう場を、
作らなきゃっていう気持ちがずっとあって、
タイミングを待ってた。
ただ、それがいつかわからなかったっていう中で、
小学校に上がって、
いろんなもののタイミングが合致して、
行くなら今しかないみたいな。
なので実は、
大学へ受けようと思ったのも、
本当にその年の、
ゴーデンウィーク明けだ。
ゴーデンウィークにいろいろ考えてて、
ハッといろんなものの点と点がつながって、
大学へ受けようと思って、
調べたら、
10月末が外所締め切りだった。
秋だなと思って。
もうこっからの5ヶ月は、
囚人にもごめんっていう感じで、
私ちょっとこれから5ヶ月忙しくなるからね。
今までも忙しくなかった。
今までも忙しくなかった。
だってフルタイムで働いてるもんね。
働きながら。
メイクアップするから絶対みたいな感じで、
お願いする感じで、
仕事も忙しかったけど、
週末も、
ちょっと今日一日どっか遊びに行っててくんない?
みたいな感じで、
5日も子供二人外連れてってもらって、
朝から晩までエッセイ書いてみたいな感じで、
本当に迷惑かけつつだけども、
そこで一気にガーっていう感じ。
それが結局、
子供をこちらに連れてくるという
2つ目のアングルで、
今回の私の留学って、
半分自分のやりたいことっていうのもあるんだけども、
半分は子供の教育を考えた上なので、
子どもたちの反応
やっぱりお金もかかるし、
っていうのもあって、
ここがエネルギーになって、
かつだから子供を連れてくるっていう選択肢以外
なかったっていうのがありますね。
主人どうするかっていうのは、
主人と私で話して、
主人がどうしたいかっていうのも
気持ちも重要なので、
いろいろ考えて結果的に、
主人は日本に残るっていうところですね。
それは、
知らなかったです。
教育面の理由も
あったっていうところは、
なるほど。
大学院もしかしたらアメリカに
わざわざ来るっていう選択してなかった
可能性もあるかもしれないです。
しかも地比で来てるわけだもんね。
このカフェでね。
全然違う。
ヒロコンのとき80円とかだったもんね。
たぶんね。
私のとき80円だったけど、
私30歳のときに大学院一回行って、
40歳のときの大学院行ってるから、
40歳のカフェは
145とか120円
でしたが、
けど、エコがさっき言ってた
年齢の話、他の周りの子が
若いんじゃないかって話も
ヒロコンにぜひ聞いてみたいんだけれども、
私はもう30のときに留学したときに、
周りが自分よりも
20上の人もいたけれども、
自分より
6、7、8下の人も結構いて、
で、今回40のときに
進学したときも、
自分より10下の人もいたし、
自分より15上の人も
いたから、
探そうと思えばやっぱ上もいる。
自分結構なんか真ん中よりは上っていうのが
確実にいつものポジションなんだけれども、
自分がなんかちょうどだわって
思ったことは今までなかった。
2回の留学のときに。
ヒロコンはどう?やっぱビジネススクールってちょっと分かる?
ビジネススクール、私もこれほんと知らなかったんだけど、
一般的な
皆さんが想像しているのは
2年生のMBAで、たぶん30代
今後で、たぶんその
キャリアピボットの方が多いと思うんだけど、
私実はね、結果的にMBAになっただけで、
もともとは
ミッドキャリア用の1年間プログラム
っていうので絞って考えてて、
MBAに1月考えてたのよね。
普通の修士の大学院になったりとか、
人事に入学した大学院とかもあって、
結構もうちょっと年齢の上の方が多い。
でもちょっといろいろ
リサーチしてるうちに、
ちょっとかぶくけども、
これは私は、人事系の大学院よりも
ビジネススクールだっていうように
シフトフォーカスを変えて
探してたときに、
MBAって3パターンあって、
私も知らなかったんだけど、
いわゆるエグゼクティブMBAと呼ばれる
パートタイムの仕事をしながら通う、
いわゆる管理職とかCスイートの方々が通うのと、
あと一般的な2年生MBA、
30代前後の方が行くのと、
間に40代前後ぐらいの方が行く
1年生MBAっていうのがあって、
で、これ私がやってるMITと、
あともう1個、
私のプログラムを立ち上げた人が
同じく今度西海岸でも立ち上げようと思って、
スタンフォーで立ち上げた
MSXっていうのがあって、
大体この2つが結構有名で、
あとハーバード・ケネディスクールに
多分トークもしてるけど、
パブリックサービス系の1年間プログラム。
大体この3つぐらいが
40代前半の人が考える
1年間プログラム。
なるほど。
一般的なイメージとはちょっと違う。
ただ、
この授業は似てるものもあるけれども、
どっちかというと視点が
もうちょっと管理職寄りだったり、
プログラムの内容としては
エグゼクティブプログラムに、
エグゼクティブMBAにすごい近い、
リーダーシップとかも管理職系の話とかなので、
世代的には、
私はどっちかっていうと、
大体30パーセント、
1クォータイルとか2クォータイルとか
そのぐらいな感じかな。
上も下もいるけれども、
ただ比較的みんな
30代後半から40代前半ぐらいに
なってる感じ。
そうなんです。
私も調べる前知らなかったです。
でもその点で言うと、
このタイミングでこの大学院とかビジネススクールに戻ったのは
本当に良かったなと思っていて、
30代前後に行くのすごくいいと思うんだけど、
今この40代前後で行くのは
それはそれですごく良くて、
来た目的として私は
人生、子育てして
仕事も始まっていて、
忙しい中で
一旦立ち止まって人生を振り返る瞬間が
欲しかったんだよね。
ただ、完全に無職になるって
勇気がいるし、
学びたいっていう気持ちもあったし、
子供のこととかもあって、
学びながら一旦立ち止まる、英語だと
ポーズって言ってるんだけど、
for a secondでreflectみたいな感じで、
その時間を今この
40のタイミングで撮れて
撮れてるっていうのは
すごく良くて、これからの
20年間をどう過ごしたいかっていうのに、
すごく自分の中で
大きな収穫があるなって
感じられてます。
素晴らしい。
素晴らしいし、
私もそういうルートもあるんだっていうのが
知らなかったので、
すごいアイオープニングだし。
ちなみに子供さんは
アメリカに行くよって伝えたとき、
どういうリアクションだったんですか?
すごく良い質問で、
自分の中で大事にしてる部分で、
絶対に私が行きたいからといって
無理やり連れていかないってことだけは決めていて、
これは主人とも話して、
もちろん世の中にも転勤とかで
一緒に行かなきゃいけない方がいると思うんだけど、
私の場合は自分が行きたいから
行くので、それで子供の人生を
私は良かれと思ってるけど、
無理やり連れていって
っていうのも、
私もアメリカに行ったときに結局すごく
こっちの生活が合わなくて、
辛い思いして帰っていってみたいな子が周りにいたので、
それで良いことだけじゃないと
思ってたから、
子供の年齢ではあるけれども、
年齢なりに
納得していってほしいなっていうのがあったんですよ。
それ考えると、下の子は
まだそのとき小1だったのかな。
私と結構性格に似てるのが、
私がやりたいことを
あ、僕もやるみたいな感じで。
だからこう、ママ、ボスも行くんだけど
って言ったら、あ、僕も行くみたいな感じで。
あ、ほんと一緒に行こうって言ってて、
その後、え、ボストンって東京?みたいな。
それ全部出たら
ボストンって東京のどこ?みたいな。
そういう感じだけは
彼も一緒に行く行く
って感じだったけど、
上の子は実はお話ししたとき、
ちょっと彼女のプライバシーとかも
いろいろ加味しながら
話してもいいかなって部分だけ話すと、
最初やっぱりすごい抵抗があったみたいで、
私が
大学に受かったことはすごい喜んでくれたんだけど、
その後、ちょっと私、
自分一緒に行くのはっていう感じで、
実は1、2ヶ月くらい
そっとしといたというか、
たまに話すけど、
無理してこなくていい、一緒に行かなくても
大丈夫だよ、でもママとはちょっと離ればらんで
なっちゃうけど、ごめんねっていう感じで
話してたんだよね。でもなんか
ご主人と3人で、ちょっとその
下の子はうちの両親に預けたり
とかして、上の子と
ラケット話す場とかをあえて
作って、ちょっと一応丁寧にアプローチして、
なんか行きたくない理由って
どういうのがあるんだっけみたいな感じで話してたら、
いくつか話してくれて、
それは一つがやっぱり友達と離れちゃうから
留学の決意
っていうのと、英語が不安だから
っていうとこだったんだよね。
友達に関しては、じゃあこっちで
日本人学校とか通って、日本の
友達ができる環境とか作ったら
どうかなとか、あとは
日本の友達とママがちゃんとママ同士で
つながって帰ってきたとき会えるように
するからみたいな感じで話したり、
英語の方はやっぱり私自身も
13歳でアメリカ最初来て
本当大変だったから、嘘は言わないよと
確かに大変だけど、
必要なサポートは
ママは現地で、パパは
日本からするからっていう感じで話して、
そういうサポートはちゃんとしたい
と思うって話を何回か
重ねたんだよね。ただ
とはいえ最終的に決めるのは
あなただからっていう風に話したら、
結局その半月後ぐらいに
急になんか、やっぱり私も
行きたいみたい風に言ってくれて、
ビザを取る、なんだろう
ほんと1、2ヶ月ぐらい前に彼女が行くことを
子育てと自己実現
決めたっていう感じかな。
あー、なんかそうか。
このエピソードからも
本当いろんなヒントが
ね、なんか
それぞれのヒントが詰まっていると思って
素敵すぎる。
いやー、本当話いっぱい聞きたいことは
あるんだけれども、私たちのね
こんなPodcast、私はそのMoms in Transition
って今まさにひよこは40代で
次の20年を見据えるトランジション中
っていう素敵なタイミングなんだけれども
いろんなフェーズで
みんなトランジションしているママさんたちが
これを聞いてくれている
と思うので
ひよこがそういう
それぞれ違うトランジションに
向き合っているママに
何か伝えたいこととか
何か
メッセージが最後あったら
それをぜひ教えてほしいな
あと
メッセージね
一つ、これは
現実的に難しい方もいるんだろうな
と思いつつ、あえて
私はどちらかというと
自分がやりたいことを
いろいろやらせてもらえるありがたい環境で
来たのは自覚はしていて
だからこそ
子育ても含めて仕事も含めて
生きていて楽しいって感じられる
瞬間があって本当にありがたいなって
思っていて、一方でそれがなかなか
難しいママの方とか
家庭的にもそうだったり
いろんな理由で育ったりすると思うんだけど
それを強制するつもりは
全くない一方で
とはいえ
自分を犠牲にして
頑張ってるママが本当に
多いなっていう
感じているので
一つは
もっと自分がやりたいことを
優先して
自分の幸せを優先して
考えて生きるのもいいんじゃないかなって
あくまで強制ではなくて
逆に言うと応援というか
寄り添うような
メッセージが一つ思いつきました
うまく言えないな
広子の
ストーリー全体からも伝わってくるかな
フレンズにまとめきれなくて
質問しながらも
広子もこの過去
30分以上メッセージ
伝え続けてたなって思いながら
下手だよね、声でまとめるの
でも本当に
一つ思うのは
こっちに来ても思うけど
すごく恵まれてる環境にいるなっていうのは
実感してて
一方でそうじゃない環境の方も
いっぱいいるんだなって思う中で
やっぱり私にできることがなんだろう
って考えた時に
さっきのフリンチロのこととかも
軽く捉えてるわけではないけれども
言える人が言うとか
できる人がやるっていうので
少しでも
他の人の気持ちが楽になる
できたらなみたいなのは
この歳になってようやく思い始めてるのかもしれないけれど
自分に余裕ができたり
少し俯瞰して
人生を見られるようになったりして
そういうのは最近すごく感じるなって
思います
ありがとうございます
話してみて、広子の体験
感想を一つ最後
教えていただけますか
でもこういう風にトモコスとか
えいこさんに聞いてもらえる
時間がすごくありがたいなって
思いました
ポッドキャストとか聞いてる時
私自身も聞くのが好きだから学べるし
むしろこっちが色んなもの
もらってる気がするんだけども
こうやってゲストとか呼んでいただいて
話すことによって私もすごく得られる
温かいものがあるなって
すごく感じました
なかなか話すのは難しいなって
思います
確かに普段
そんなに話すトピックではないので
色んな質問させてもらって
答えていただいて本当にありがとうございます
さっきおっしゃった
自分のやりたいことをやるっていうのは
テイクするけどギブも
ちゃんと考えてらっしゃるから
そういう考えで
テイクしてもいいし
でもギブしたらいいじゃんって
そこを悩んでいる人がいれば
そういう感じで
考えてもらえればなって思いました
いや、散々テイクできてからね
本当に今日はありがとうございます
想像以上に三つの
こういう話が聞けて本当にありがとうございます
ひろこはね、リンクトインとかでも
結構積極的に発信しているので
よければプロフィールのところに
後で情報を入れて
これを聞いてさらに
ひろこの発信しているものに興味がある人は
それを見てもらえればなと思います
ありがとうございました
今日はゲストのひろこさんを
呼んで英語と単語で
お送りしました。この番組
ママトラ Thumbs in Transitionが
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高評価お願いします。ハッシュタグは
カタカナでママトラで
呟いていただいても結構です
それではまた次回
Talk to you soon! Bye!
40:40

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