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YUKI's Room、忙しいワンママ専門、片付けアドバイザーのYUKIです。
このチャンネルでは、40代で5歳の息子を育てる私が、忙しいママでも簡単に実践できる片付けのコツをお届けしています。
こんにちは。
今日は、タイトルにある通り、自分の過去、経験してきたこと、現在進行形のこともあるんですけれども、それをお話ししていきたいと思います。
今日、すごい寒いんですよね。
晴れてるんですけど、昨日よりさらにぐっと寒く感じている、私のいるところはそんな感じなんですけど、
本題に入る前に、息子が結構風邪をこじらせてしまいました。
させちゃったなぁとは思ったんですけれども、
昨日、1日病院に行ってて、結構しっかりいろんなものを検査してもらったんですよ。
まず、長引いている咳とか、いろんなところ、熱がガンガンと下がるんですけど、
ちょっと出るっていうのがあって、40度とか出ちゃうので、
それもあって、1回調べてもらっていいですかっていうのをお願いしたんですよ。
それで、まず、インフルエンザとコロナウイルスの検査はしてもらって、
陰性で、次はレントゲンとなって、
胸だけかと思ったら顔も取るっていうことになって、
結果、ようやくわかったのが、背は白いとか言われてなくて、
見た感じ、気管支援っていうところですよね。
真ん中の縦にずっとぼんやり白かったりして、
うん、気管支援だねっていうことと、
あと、何より顔の写真がですね、
肩側半分、鼻の横が真っ白。
何にも骨見えないっていう感じだったんですよ。
で、その反対側も、なんかぼんやり白い影あるけどって思ったんですけど、
これは別に普通の状態って言われて、
反対側が完全に複鼻空炎になっているということでした。
ということで、複鼻空炎プラス気管支援ということに、
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こじらせた結果、こうなっているので、
そこからしっかり厚生剤、
薬局行って分かったんですけど、
先生の指示は、高容量、
普通の体重に対する量より多めに高容量と指示が出てますって言われてですね、
その通り、まだ子供って粉なので、
重くて、
あれ、こんなに、この体重でこんなだったっけって思うくらい重くてですね、
しっかり抑え込もうっていうことだったみたいですね。
それで、それがまた色が、
ドピンク、もう本当にショッキングピンク、
今、サムネにあるんですけど、
背景にある私のクローゼットの中のカーディガンの色みたいな、
本当にその通りの色していて、
匂いは、よくある子供用のシロップとかそういうのにあるような、
甘い感じの匂いでした。
なので、ちょっと飲んだ後、歩いてるだけでもね、
息がすごいその匂いで、
充満するぐらいなんですけど、
それを糖炭出しの薬と、
あとその成長剤も出ました。
やっぱり抗生剤がね、お腹を緩くさせるっていうことで、
なので、それをねっていうことで出されました。
はい、で、とりあえず10日分、
ということで、10日間まず飲み切りましょうということになりました。
はい、なので幼稚園は、
熱が下がらない、安定してね、下がっていかない限り、
行けないねっていう、もちろんそうなので、
で、言っていた夜咲き、
昨日帰ってきてね、併熱でいたんですけど、
夕方になったら、はい、バッチリ上がりましたね。
40℃とはいかなかったけれども、
8℃後半ぐらいまで行きました。
うーん、やっぱりね、
そう、なかなかとはね、っていう感じなんですけど、
そう、ね、ちょっとかわいそうなところでもありますが、
で、あと今ね、舌、ベロの両サイドをね、
本当にね、絶妙に、あの、もう本当に対象に両サイドに、
あの、口内炎ができていて、
うん、あと、前歯の、上の前歯の裏側の歯茎が、
死肉炎?
なんか、子供にね、5歳の子に死肉炎ですって言われるのもあれだったんですけど、
まあ、まあまあ、要は免疫下がっててね、
そういうのができやすいってことなんですけど、
そう、それなので、しゃべりづらい、食べづらい、
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そう、っていうので、いろんなところがね、掛け合わさっている感じです。
はい、なので、ちょっとこれは一回ガッツリ直して、
立て直していこうかっていう感じですね、幼稚園にね。
うん、なんかこう、ちょっとね、あの、夫なんかは、
え、そんなに休むの?って言ってたんですよ。
うん、で、あの、そう、行けるなら行けよっていう感じだったんですけど、
そう、それをね、繰り返した結果、ちょっと今この状態になっているので、
はい、少しね、これは、あの、そうとは言って、気持ちもわかるんですよ。
そう、でも、結局ね、行って食べることもなかなか、
あの、何でも食べられるわけでもないので、今ね、口が痛くて。
うーん、なので、そういうのだったり、お腹もね、
抗生剤でゆるくなっていると、っていうのとか、いろんなの考えると、
まあ、病院の先生も、今そんなに、こう、根性論というかね、
あの、そんなに行かせないで、あの、やっぱりそこはしっかり、
あの、言ってるより、ちょっとね、重めなので、
しっかり治しましょうっていうことで、元気はあるんですよね。
そう、だからちょっと余計そう見えちゃうんですけど、
うーん、はい、そういうことで、ひとまず、
まず目安として、その出てる薬分は休むかな、っていうところでいます。
はい、まあね、2学期がね、2学期になってから、
まあ、あの、バタバタガタガタしてるなとは思うんですけれども、
でもね、やっぱりそれでも、あの、頑張っていっていったりするのが、
うーん、去年より圧倒的に体力はついてるんだろうな、って思ってはいました。
はい、ちょっとね、前置きだいぶ長くなっちゃった、前置きというかね、
あの、そう、今の現状のお話、ちょっと長くなっちゃったんですけれども、
ね、本当に、あの、働いているママ達、ね、皆さんわかってくださると思うんですが、
ね、まあでも、自分がね、そのママのほうが体調を崩すほうが、
ね、大変なことになるのはわかっているんですが、
それでもね、やっぱり、あの、自分に、これもね、
あの、子供が体調を崩すのも、やっぱり支障きますから、
ね、いろいろなものがリズム回りにくくなったりして、
うーん、いかに、あの、平穏な日々がね、
あの、いかに貴重なことかっていうのを、もう本当につくづく思いますね。
私、早く、一刻も早く、平穏な日々が来るようにと思っていますね。
うーん、まあなんだかわかったのでね、
これはあと直していくだけ、
あとは本人の体力の回復を待つっていうところで、
はい、やっていくしかないんですけれどもね、
わかっちゃいるけどっていう感じです。
はい、はい、長ったらしく話しましたが、そんな感じで、
はい、えーと、まずそのタイトルですね、ある通り、
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ちょっとその辺話していきたいなと思いますね。
過去のアーカイブにも若干あるんですが、
そこを聞いてくださった方は改めてになりますが、
お話しさせてください。
えー、ちょっと自分がね、
不妊治療プラスパニック症イコール買い物依存症って書いたのは、
要は買い物依存症になった経緯というところで、
うん、自分の大きなポイントとしては、
不妊治療とパニック症っていうのの掛け合わせが、
あの、うん、まあそれでね、
その原因があっていうところだったんですけど、
もちろんそれ以外にも、あの、いろんな要素あったんですよ。
うん、ただね、今振り返ってちょっと考えたときには、
やっぱりこの2大要素で、で、えー、不妊治療、
まず1つね、不妊治療としていくと、
えー、始まったのは、不妊治療というもので始まったのは、
もうね、結婚したとき、
したときにはもう、あの、始まっていたんだろうなーって、
今考えると思う、思い出すとね、思い返すとそうだなーと思ってます。
えー、不妊治療はでもね、結婚したのが、えーと、
私は20、えー、とか言って、
わかんなくなっちゃったんですけど、28のときですね、
なる日、みたいな感じなので、ちょっと、
あの、えー、27だっけ、28だっけと思ったんですけど、
うん、そう、そうだったんですね。
で、あの、まだまだその年齢とかだと、
あの、あんまりそういう不妊治療とか考えてなかったんですよね。
たぶん考え、まあ考える人はいるかもしれないけど、
そんなに多くはないかもしれない。
っていうときに、あの、なぜ、自分もね、
全然、あの、子供は、あの、結婚してから2年ぐらいはいらないな、
なんていう言い方をしていたのは、覚えてます。
はい、周りにね、そう、でも、
そのときの職場の、えー、同僚っていうのかな、が、
えーとね、えー、7つ、8つぐらい上だったんですよ。
で、その人が、あの、ちょこちょこ、こう、お休みをね、
出すようになったんですよね。
お休みというか、遅刻しますとか、はい。
で、それが、何なんだろうっていうのは分かってなくて、
でも、あの、本当に2人はもう、私とその人は、
あの、同じ仕事をほぼ一緒にやるっていうところにいたので、
で、私の方が時間は長い方、なんて言うんだろう、うん。
で、その人は完全にバイトっていう感じだったんですね。
で、あの、やっぱりちょっと一時、そうなるのが増えてきたので、
やっぱりちゃんと話しておきたいって言われて、話されたときに、
そう、不妊治療の、をすることになって、要は高度な、
うん、治療っていうのを受けることになったからっていうので、
迷惑かけるかもしれないけど、なんて言われたんですね。
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そう、で、もういろいろね、そのときから、もう、
どんどんどんどん、いろんな治療をすることになったりして、
で、そこからその、なんて言うんでしょうね、
休憩中とかに、いろいろ聞くようになるんですね。
うん、あの、こんなふうなのをやって、
今日今、だからちょっとお腹痛いんだ、なんていうのを聞いたりするようになったんですよ。
で、まだね、まだ全然、こう、一言って言ったら失礼なんだけど、
やっぱり当時の自分には、ピンときてなくて。
で、そんなときに、矢先に、そのとき住んでいた地元の、
で、できた友人が、やっぱり年齢が、同じぐらい上だったんですね。
そう、そしたら、あの、実は私も不妊治療してるんだっていうのを、
もう結構、ほんとに同じタイミングぐらいで、
全然その二人には共通点は何もないんですけど、
そう、そこでね、話を、カミングアウトって言ったらいいのかな、されたんですね。
うん、で、そのときに、
ああ、なんかこう、そういうのって改めて、検査みたいなのしたことないなって思ってですね。
うん、近くの不妊科に、あの、いわゆるブライダルチェックってやつですよね。
うん、それを受けてみたんです。
そう、まあ、そしたら、あの、
特にそんなに何か、特にというか、何、これだっていうのは何も出てこなくて、
やっぱり、ほっとしたんですね。うん。
で、まあ、あの、タイミングとか、で、あの、
まあ、とってみてっていうのが、これぐらい続いて、
あの、子供ができなかったらこうだよ、みたいな話をそこでね、始めて、
まあ、なんとなくはもちろん知っていたけれども、
具体的に、あの、年齢とか、いろんなのを言われて、
そう、病院で言われたんですよね。
そう、今何も問題ないけれども、っていうところで言われて、はい。
で、そこからちょっとね、夫と話したりして、うん、行ったんですね。
で、その中で、えっと、ただ一応全部その、検査して問題ないってなったけれども、
そこからもうプラス一踏み込んだ、一つ踏み込んだっていうんですかね。
そう、そういう検査をちょっとすることに、まあ、やってみようかっていうので、
さらに安心を得るためにやってみようって言われて、
なんかね、あの、数水検査っていう、うん、たぶんやってる方はね、わかると思うんですけど、あるんですね。
そう、それをね、お水っていうのかな、それを通しては詰まってないかみたいな検査をするんですね。
で、それをしたら、まあ、激痛でですね、はい、あの、ものすごい痛くて、
ということで、そこで初めてなんかこう、癒着がどっかにあるとか、うん、あの、卵管とかね、そういうところに癒着があるんじゃないかとか、
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いろんなことが、ちょっとずつ垣間見えてきて、で、まあ、垣間見えたけれども、まあ、それぐらい。
で、じゃあ次、旦那さんチェックしましょうっていう話が出て、びっくりしたんですね。
そう、もう、すっかりそういうのは全て女性側だけだと、そこはね、お恥ずかしながらそう思ってたんだし、知らなかったんですよ。
そう、そしたら、まあ、夫はね、やっぱり、あの、ピンとこない上に嫌ですよね、婦人科に行くなんて。
うん、っていうところで、でも、こうこうこうだからっていうので、行って、いろいろ検査することになったんですよ。
そう、でもね、あの、幸いにも何も問題なく、お互い、そこからね、うん、いたんです。
で、まあ、だから、そんなのも含めて、ちょこちょこやってたのは、含めると、やっぱり、結婚した当初からもやってたんですよね。
ごめんなさい。
そう、それで、あの、そのまま日が、こう、経つにつれて、今度はね、あの、まあ、定期的に婦人科にそういうので、まあ、何かしらで通ってはいたんですけど、
ちょっと気になるのが、あの、子宮菌種が、私の中にはあったんですけど、
えーと、それが、ただ、その、子宮の外にあるので、そんなに、そんなにね、問題はないって言ってたんだけども、
ただ単純に、大きさが、すごい大きい、あの、手のね、まあ、人によりけりですけど、
手をぐうにした、軽くぐうに握った時の大きさは、有にあると。
で、それが、一個じゃなくて、複数あるって言われてですね、
はい、なので、婦人治療をとかって言う前に、まずそっちを、あの、切除することが優先だって言われて、
はい、いろいろ説明を受けて、やっと納得をして、えー、先にね、そう、治療することになる、治療とかね、そう、切除することになるんですけど、
そう、それの時に、えーとね、それを決める時と、ほぼ同じくして、パニック症を発症するんですね。
はい、ね、ややこしいんですよ。まあ、いろいろね、同タイミングでやってくるもんだなぁと思ってるんですけど、
なので、一旦、その、禁止の手術のことは分かったけど、パニックの方が、初めてね、もちろん初めてやってきたことだから、なんだか分からないんですよね。
これ、なんなんだろうっていうので、あの、やっぱ気合い足りないんじゃないかとかね、どうしてもなんか、根性論になっちゃって、そうやってたんですけど、どうも、どうにもうまく回らないと、うん、なって、
まあ、結果それも、あの、病院にかかって、あ、こういうことなんだっていうのを理解しだすんですね。
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そう、でも、ただ、自分は、たぶんすぐ治るんじゃないかとかね、そう、なんか、けっこうね、あらがったんですよね、そっから、うん。
で、あの、いろんなとこ病院行ったり、いろんなこと試したりっていうのを、さんざんしてたんですけど、そうしたら、あの、あっという間にまた、禁止はちょっと成長していまして、
はい、そのときにですね、あの、ちょっともう、そこのパニック症も出ちゃったので、あの、実家の近くに、私の自分の実家の近くに、ちょっと引っ越しをしようとなったんですね。
で、引っ越しをして、で、またそこの近くにある病院にかかり直すっていうことになったんですね、婦人科と、と、全部ね。
で、そうしたら、あの、いやいやいや、パニック症もわかるけど、禁止切らないとダメだよってやっぱり言われてですね、もうそこで、えっと、そのときに、もうあっという間に手術の日を決められました。
はい、で、あの、あっという間に3か月後ぐらいに切ることになったんですね。
はい、もうそれで、あのね、そう、そんなこともあって、うん、そのときにはもう、今思えば、買い物依存始まってますね。
うん、あの、合間にやっぱり、あの、例えば病院行った帰りにはなんか買ってるとか、そうそう、あと休みの日には必ず、まあ、夫婦2人ともね、買い物好きだったので、もともとね。
うん、なんだ、アウトレットに行ったりとか、そう、そういうのはしてました。
うん、で、そのようなのがずっと積み重なっていて、いましたね。
で、あの、不妊治療としては、結局ずっとね、いったんお休みしますよね。もちろん、ちょっとあの、禁止の手術をするので。
で、しかも手術してもらって、その後、やっぱりもうね、病院に1回、婦人科に行くのは嫌になっちゃうんですよね。
そう、もういったんちょっと休ませてくれ、みたいな感じで、あの、しばらくお休みしてしまったんですよね。
うん、まあ、年齢もまだ、あの、30前半だし、みたいな感じもありました。
そう、で、その間はやっぱりパニック症はもう受け入れるというか、まあ、わからないけれども、模索していたけれども、まあ、しょうがないっていうところとか。
で、結局仕事とかなんかしながらも、まあ、あの、そうそう、ちょっとね、なんか、必死になって、あの、いましたけれども、
そう、でもね、やっぱりその時の不安感、うん、まあ、まずパニック症、その時はパニック症に対して不安感と、
あと、やっぱりね、禁酒の手術を終わって、あの、よく頑張った、みたいな、あの、あるあるだと思うんですけど、ご褒美感ですよね。
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そう、そんなので、1時ずっと買い物、その辺はしてました。うん、婦人治療するとかしないとかじゃなくて、買ってました。
そう、で、あの、まあ、その時の仕事は、通いとかではなかったので、そうそう、幸いにも、まあ、パニック症と、あの、を持ちながらも、やれる状況にいたんですけれども、
そう、でも、それでも、やっぱり頑張ってるからっていう感じで、買ってました。
で、結局、どれぐらいだったかな?
ちょっとね、年単位で間は空いて、で、まあ、経過観察で病院、婦人科にね、かかる時に、もういよいよ先生に、はい、どうする?って言われてですね、
あの、やっぱり年齢もだんだん差し掛かってきて、中盤差し掛かってきて、はい、やっぱり何年か放置してたのが、そこで分かりだと思うんですけれども、
はい、そうなんですよ、放置してしまって、で、先生も、やるならっていうところで、うん、言われて、そうだなと、うん、もうちょっとそこも腹をくくらなければと思ってですね、
そこから、タイミング法というのに、まず入っていって、で、まあ、見事に玉砕するわけですね、はい、回数がだいたい決まってるんですけど、何回だっけな?
5回だったかな?そう、なんか、あの、統計上、それ以上やっても無理っていうのがあって、まあ、玉砕をしてですね、で、あの、じゃあ、次にって言ったら、あの、自分の、で、自己注射、
そう、家でお腹とかにね、注射をパチンって打つみたいのをして、要はホルモン調整したりして、っていうのをやっていこうかっていう風にやってたんです。
はい、ちょっとそれは踏み込んだんですけど、その途中に、えーと、えー、残卵子数っていう、あ、残りの卵子、自分の中に卵子がどれぐらいあるかっていうのを調べられる血液検査があるんですけど、
そう、その検査をしたんです。私ちょっとわかってなくて、採血しますよってなって、それを受けたら、なんとその結果の表が、あのですね、実年齢プラス10歳オーバーって書いてあったんですよ。
イコール何を示しているかと言いますと、ほぼ残りがないぞっていうことを言ってる。
うん、っていうので、その結果をもちろん噛み砕いて先生は言ってくださって、なので自己注射とかしてる場合じゃなくてっていうところがわかったんですよね。
そう、まああの完全なその結果じゃないとしても、ほぼ結構あのもうまあまあ指標として的にはなるというところで、そう、それでそこから治療に、もういきなり高度治療に、もうそんな自己注射が云々なんていうのを切り、もう切ってですね、はい、あの人工受精か、そう、それを切ってですね、はい、もうステップアップすることになりました。
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うーん、もうちょっと考える余地なかったので、私ももうはいって言って、言ったのが、えっとね、35歳、6歳になるかっていうところらへんだったかなと思ってます。ごめんなさい、曖昧なんですけど、そう、それぐらいで、で、えっと、もういきなりもう最高治療、顕微受精とかに行きました。
うん、で、そこで実際、あの、じゃあいざ、再覧ですってやってもらったら、えー、まあ、まあまあ、ほんとに取れない、1個とか、まあ、要は、あの、うん、なんて言うんだろう、こう、悪いですよね、か、可能性としては1回に1個なので、うん、で、それがうまく、こう、受精断っていうのにならなかったときには、って言うと、
もう回数、数々、重ねていくしかない、イコール、それだけ痛い思いもしなきゃいけないし、まあ、お財布も痛い思いをしなきゃいけないし、って言うことで、で、いたんですよね、うん、だったので、えっとね、すっごいもう、とにかく、とにかく、あの、再覧する日々でした。
で、1回ももう休まずに、あの、要は、えーと、その月経が来るたびにずっと行ってたので、で、それを、えーとですね、2年、くらいかな、たしか、ちょっとごめんなさい、このはっきりな年、年数があれなんですけど、それぐらい、えーと、もう駆け抜け続けました。
で、途中、1回かな、1回だけ、えー、戻したりしたんです。凍結していたものをお腹に戻すっていうことをしたんですが、うまくいかずっていう感じで、でも、とにかく、とにかく卵をためよう、みたいな感じでいたんですね。
で、ある日、えーとね、37歳の夏ぐらいにやったときに、えーと、家で、あの、自己注射まだしなきゃ、それもプラスアルファでね、あの、治療の中で、それも、あの、家でもやってね、っていうのがあったんですけど、あの、実家にいるときに、その時間が決められているので、時間が来ちゃったので、
あ、ちょっと、それやろうと思って、あの、まあ、みんなのいる場所から離れてやったら、あの、ふーっと、こう、なんていうんだっけ、瞑想神経反射っていうやつで、ちょっと倒れちゃったんですね。
うん、倒れたっていうか、こう、気、なんか、こう、気が遠くなるというか、冷や汗出たりしちゃって、で、一瞬パニックが出たり、ちょっとね、似てるんですよ、その感じが。
そう、それで、ああ、どうしよう、どうしよう、みたいに言っていて、もう、あの、心が一旦そこで、もうポキッとね、本当に音がするように折れちゃったんですよね。
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そう、それでもうダメだなって思って、うん、あの、次、病院行くときにって決めて、もう先生に、もうやめますって、言おうと思ってたんですよ。
そう、で、最初のね、掲げてたのは、不妊治療は自分の中では、あの、40までやりますって決めてたんです。
そう、35ぐらいから、その辺りからでね、5年ぐらいやるって意気込みはあったんです、最初ね。
だけども、あっけなく、37、2年ぐらい、20日ぐらいのところで、そう、折れちゃって、もうダメで、そう、ポキッとね、来て、で、先生がそのとき、えーとね、なんかその、受精卵っていうのは、グレードっていうのがあるんですね。
要は、良質なものと、まあ一応できてるけど、あんまり良くないとかね、まあ詳しくはいろいろあるんですけど、
それを、一番、一番いいというか、まあ自分の中でね、できてる中で一番いいのがあるんだけど、
要するに、それを使ってダメだったとき、もう、次ない可能性が高いわけですよね。
うん、で、それは何、いつだったかっていうと、若い一番最初に取ったやつだったんです、やっぱり。
うん、の方がやっぱりグレードが高かったんですね。
そう、でも、自分の中でもう、心続かないから、確かにそれがね、戻してダメだったときの心の、あの、反動というか、そのつらさも、考えると、もう、考えられないぐらい怖いんですけど、
でももう、お願いしますと、分かった、じゃあ、一旦、再乱をやめて、じゃあ戻そうって言ってくださって、で、戻したんですよね。
そう、ただ、まあ、本当に幸いなことに、ありがたいことに、それが今の息子っていうところなんです。
なんですが、この不妊治療中、約2年ぐらい、うん、もう本当にその毎月、えっと、そのときちょっと月経が、ね、ちょっと詳しくて申し訳ないんですけど、
あの、すごい早いサイクルだったので、月初と月末には、あの、治療するみたいな大きなものがあるみたいな感じ、再乱するっていう感じで、あの、12回とかじゃなくてですね、すごい回数で回ってたんですね。
うーん、なので、あの、もう毎日毎日、正直毎日病院っていう感じで、そう、注射打ってもらったりとか、何か、何かしら毎日、えっとね、正確に言ったら、まあ、20日ぐらいは病院行ってるよねっていう感じで、
そう、あの、時間としては短いにしても行くっていう、そう、仕事してあいまい行ってみたいな、そう、それをやっていたんですよ。
だからね、もうそれと仕事で、そのあいまい、あいまとか休みの日はもう必ず何か買ってる。あともうその頃はネットで買ってました。
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うん、そう、あの、病院の待ち時間とかに何か買ってるっていう、本来なら不妊治療にすごい莫大なお金がかかるので、まあ実際かかったので、あの、ためるべき、そう、セーブすべきなところなんですけれども、
まあね、ちょっと、あの、もう精神を安定させるためにっていう感じで、そっちをもう買って優先していましたね。
というか、そんなこと考える余地なかったです。そう、で、やっていました。
で、そこにですね、括弧プラスアルファのところにパニック症が入っているので、あの、その恐怖、まあ、災難とかもやっぱり怖いわけですよね。
うん、で、いろんなことが恐怖だったりするのも乗り越えて頑張ってるっていう自分に、もう、超超超ご褒美っていう感じですよね。
なので、もう本当に買うに走り続けるんですよね。
で、それがお洋服とかもちろんその辺なんですけど、日常も買い物にやっぱりあまり行けない時、その普段買い物、洋服とかね、そんなにずっとってわけじゃないので、
そうするとですね、あの、主人とお休みが一緒になれば、うん、そうすると、あの、当時はコストコにはまりまして、はい、皆さんお分かりになっていただけるかなと思うんですが、
はい、コストコが流行り、流行ったブームがあったみたいな、うーん、今もね、大人気ですけど、そう、それでね、そこの会員になって買い物をしてたんですよね。
でも、二人ですよ。夫婦二人なので、そこに行ったとて、好きっていうか、何ヶ月に一回で十分というぐらい、そう、日用品に至ってはね、
まあ、パンとかもそうなんですけど、あの、行ったことある方はご存知かもしれないんですが、すごい量、一個っていう一つのケースっていうのがすごい量入ってるので、
そう、もちろん食べきれなくて、あの、小分けにして冷凍したりとか、まあ、そんな感じなんですけど、それをね、行けるときはもう、当時はね、はまったときはもうすごい頻度で行ってたんですよ。
で、行っちゃ、何かしら絶対買って帰るので、そう、何も買わないなんてないので、うーん、だからね、もう、本当に日用品しかも大きさが、
あの、通常サイズじゃなくて、何でも、あの、ビッグサイズ、もちろん、日本サイズじゃないっていうかね、そういうお得用って言われるようなサイズが通常であるので、
そう、尋常じゃない量買ってたんですよね。うーん、でもそれでも買い物なので、そう、それでも満たされてたんですけど、
ティッシュペーパーと、あ、ティッシュペーパー、トイレットペーパーとキッチンペーパー、まあ、有名どころなんですけどね、コストコの。
それが、ケースっていうか、何て言うんだろう、ビニールなんですけど、それにすごい入ってるのを、そう、一回行ったら一つは買うっていう感じで買っているので、
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いや、そんなのね、うん、もちろん、入るわけもなく、ね、入るっていうか、使い切るわけもなく一回でね、次行くときまでにはまだまだ全然あるっていうのに買って、
でもね、本当にそれを上手に上手にしまうのはね、好きだったんで、そう、あの、当時住んでたところが、あの、押入れの上の天袋っていうのかな、
一発で登るようなとこなんですけど、ギューギューギューギュー詰めてるわけですよね、
そう、洗剤もそこのを買って、そう、毎回毎回買って詰めていくんですよ、うーん、やってましたね、だからもうね、この期間は本当にずっと買い続けてて、
そう、なので、で、えーと、ま、結果ね、ずーっと何年もそこを買い続けて、な、なんだろうね、あの、手放すもないので、そう、手放すしないからずっと買い続けて蓄積されていくっていう感じで、
で、じゃあ妊娠、いざ妊娠したら、って言ったら、なんか買わなくなりそうなイメージあると思うんですよ、なんかね、不安なくなったし、不妊治療の不安とかね、つらさないしと思ったら、
いやいやいやと、今度妊娠したら、あの、いや、今度、もうママっていうかね、妊娠どんどんお腹大きくなったら動けなくなったら、とかね、そう、ママになったら動けないしとかね、わけのわからない先を考えてですね、
そう、じゃあ今買っとこうみたいな、もうね、もう何でも理由づけなんですよね、そうもう理由づけの達人になってて、うーん、それでね、あの、買ってました。
うーん、なんかね、あの、なので、結局、出産する時までっていうかね、そう、買えるものはずっと買ってたし、なんならその時体型が変わるじゃないですか、
だからその時に着れる服を買おうと思って、そう、そこでね、あの、また違うパターンで買い物をするっていう感じですよね。
そう、妊婦用の服とか、妊婦用のなんか、うーんっていうのを買ったりしてました。
うーん、なので、そう、こんな感じでちょっとね、不妊治療を細かく具体的に話しましたけれども、そう、そんな感じで不妊治療とパニック症が掛け合わさって、そう、そんな感じの30代がもう大半というかね、全部がもう不妊治療プラスパニック症っていうので、イコール買い物依存症になってたっていう感じですね。
はい、まあ、全部って言ったら最後ね、でもまあ、幸い38の時に産んで、うーん、そこでは、あの、片付け用にね、目覚めてくれたというか、きっかけをね、そんな経緯でたどってきて出てきてくれた息子がね、あの、くれたと思って、その機会をね、そう、それで片付けられたので、うーん、あの、まあね、そこで一旦、一旦というかストップかけてくれたから、
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いいんですけれども、はい、そんな感じでした。
ねー、なので、なんか、不妊治療のところまでもね、結構やっぱり長いこといろいろあったなぁと思っていて、うーん、なんかこう、ね、自分はやっぱり、自分は違うと思いたかったんだろうし、
そう、パニック症も同じですね。自分はやっぱり、うん、パッと治ることもあるかもしれないとかね、そんなふうに思っていたかった。
うーん、だからなんかこう、安定を保ちたいっていうために、そんな感じだったのかなって思います。
はい、今考えると、そんな感じだなと思いましたね。
だからね、そう、ちょっと、不妊治療の期間っていうのは、まあ、今考えてみたら、そう、まあまあ、28で結婚した時から、まあ、37、そう、終わりぐらいっていうところかな、そこまでね、あの、かかっていて、うーん、っていうところですね。
はい、まあ、もっともっと長いことされていたりっていう方もいらっしゃるし、もう本当に、あの、結果がね、あの、残念だけども、伴わないっていうこともある。
ね、あの、私は、それはね、幸いなことだったって思いますし、うーん、あとはね、その、まあ、お金に関してはですね、はい、いましめと言いますか、現状ね、あの、その、なんていうの、不妊治療の領収書ですね。
それは、あの、しっかりと、あの、携帯のスマホの中に、はい、あの、スキャンして、そう、すべてスキャンしてとってございますので、えー、足し算をすれば、おいくらかかったかはわかりますが、恐ろしくてやっておりません。
はい、でも一応それは、やっぱり入れておいてですね、自分の中で、あの、まあ、あの、もうね、落ち着いた頃に、計算しようかなと思ったりはしてますけれど、うーん、えー、だったから、やっぱり、全部がね、まあ、まあまあ、重なるときは重なるなと思うけれども、うーん、それでね、あの、全部が不安。
うん、今に対しても不安、将来に対しても不安っていう感じで、もうとにかく不安を払拭するためが、買い物っていう手段、端的にそれしかなかったって感じです。
はい、ね、だから、あの、うん、買い物依存症、あとは、あったのは、孤独感かな、うん、あの、仕事をしていて、何してても、やっぱり一人の戦いって思ってましたね。
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パニック、もちろん、自分だけの話だから、自分の戦いだし、で、あとは、不妊治療も、夫婦でとかね、そういうのかって思ったとしても、やっぱり、女性の比率は大きいので、そう、9割、9分、まあ、9分って言ったらあれだから、9割ぐらいかな、うん、女性がね、まあ、やることっていうところで治療が痛いとかね、そう、大変だっていうので言ったら、まあ、9割もっとか、言っていいのかな、そう、そう思うと、やっぱり、
精神面は、やっぱり、それはね、あの、男性にもあったと思うんですよ。
ただし、ただし、肉体的なとかね、現実的な毎日、日々の大変さっていうので考えたら、そう、それがね、圧倒的だったので、やっぱり、なんで私だけ?ってふうに思いました。
うーん、それをね、当時の、その最初に、ちょっと話させていただいた、職場のっていう、ね、同僚たちっていう、同僚たちじゃないか、同僚と、あの、その時、あの、住んでたとこの友人が、っていうのを思い返すと、そう、ちょうどその人たち、お二方とかが、やっていた年齢で、やっぱり、自分が同じぐらいの年齢かな、うーん、同じぐらいの時に、
自分がそう、そういうふうに経験することとなって、いかにその時、大変だったかを、あの、本当に、やっぱり、経験しないとわからないな、っていうのは思いました。
で、その時にね、あの、自分が発してた言葉、いかにね、その、お二人ともに、あの、いかにというか、まあ、そうは言わ、口には出されなかったけれども、うーん、すごい失礼なこと言ったな、と思いましたね。
そう、まだ別に、今、いらないしとか、うーん、なんかすごいこと言っちゃったな、と思って、あの、別に、特にそれをね、触れることは、あの、連絡取れるけど、言うことはなかったですけども、そう、思いましたね。
うーん、でも、まあ、すべて経験してみないと、わからないことであって、で、なんかね、そう、だから、あの、その、両方、パニック症と不妊治療があって、買い物依存症になっちゃったけれども、そう、でも、どれもね、なりたくてなってないんですよね。
そう、不妊治療だって、しないで、自然にできたら、お金もだし、なんだ、体もそうだし、やっぱり、ね、あの、それが一番ベストな自然な方法なんですけれども、で、パニック症だって、なりたくてなってるわけじゃないけど、なんかね、脳の誤作動だって言われちゃったら、それまでだし、うーん、で、あとは、あの、買い物依存症だって、もちろん嫌ですよね。
で、自分がそうだとはずっと思ってなかったんですけどね、そう、それがまた、ね、恥ずかしいし、あの、でも、本当にそうだし、うーん、なので、で、別に、周りにね、あの、買い物依存症だよって言われることもなかったんですよね。
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うん、あの、ファッションが好きな夫婦って言われてましたね。うん、別に、あの、いいと思っているというか、うんうん、そうだったんですよね。
だから、なんか、あの、でも、どれもね、決してどれ一つとっても、経験したくて、自分で踏み込んでいくものじゃないと思うんですよね。
そう、なので、本当にこれは、あの、今となれば、もう本当に今となったから言えることだけど、あの、特殊な経験をさせてもらったと思っていて、
パニック症、現在進行形ではあるんですけれども、本当にね、あの、なんだろうな、やった人にしかわからなくて、もしこれから、まあ、もちろんパニック症とかはちょっとわからないね、先のことっていうか、この、なる計画上とかにはないものだと思うんですけど、
もし、なんか不妊治療とか、ね、考えていらっしゃる方だったり、そう、まあ、あとは今、同じような経験をしている、だったりされた方っていうのが、ね、だったら、あの、ぜひぜひね、わかるところあったりすると思いますし、そう、そういうのが何かあるという方が、あ、なんていうの、こういうふうにして、自分は、なんか切り抜けていたとか、そう、買い物、私は買い物っていうので解消していたけれども、
こういうので、やってたよっていうのがあったら、ぜひね、コメントなり、レター、メッセージなどでね、あの、教えていただきたいなって思います。はい、もう自分もね、なんか今考えたら、なんか別の方法なかったのかなって思うんですよね。
うーん、思うんですけど、まあ、でも、やっぱり手っ取り早いし、あと、何よりね、2人とも車乗って、あの、もともと、別に、あの、不妊治療とかパニック症なる前に、もともとそれが好きだったんですよね。買い物っていうか、その服が好き、鞄好き、靴好き、そういうのが好きで、アウトレットに行ったり、そういうの巡るの好きだったので、そう、自然な成り行きですよね、言ってみれば。
うーん、そう、だから、それが延長っていう感じでしたね。はい、ね、それなものがいっぱい山積みになって、ね、あの、そんな生活をしていたけれども、まあ、それがね、あの、一時は、あの、片付けに目覚めた頃とかはね、もう、なんて嫌な、なんだろう、そんなことしてたんだろうと思ったんですけれども、でもね、でもね、今は、あの、
その経験が、ありがとうって思ってます。はい、もう本当にね、結果として、ありがとうと思えるようになったっていうだけなんですけども、そう、うん、今となっては本当に、それをしてくれたから、あの、じゃなきゃ今の自分いないので、そう、全部本当にね、あの、感謝だなって思っています。
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はい、ね、結果がこうなってくれて、本当にありがとう。そんな感じです。はい、長くなりましたが、私のね、ちょっと過去の部分、少し掘ってみましたが、はい、聞いてくださった方、本当にありがとうございます。またね、ちょっと、あの、違う角度とかもあったら、あの、話してみたいと思いますので、聞いてみてください。はい、今日もね、いい1日を、午後ね、お過ごしください。ありがとうございました。