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こんにちは、ほうりです。 今日はですね、同人活動において、やっぱりちょっとあのもらいたいと思う感想について、
仕事中にふっと思ったことについてお話ししていきます。 感想ってね、やっぱりすごいもらえると嬉しいものですよね。
一生懸命書いた、自分の推しジャンルとか、推しキャラとか、推しカップについての小説とか漫画なりね、
やっぱりその熱情を込めて書いた作品の感想っていうのは、やっぱりちょっとすぐね、たくさんもらいたいとか、
なんかすぐに来ないかなってちょっとワクワクするっていう気持ちってすごいあると思うんですよね。私もそうだったんですけども。
でもね、感想ってやっぱりさ、他の人からやっぱり来る感想っていうのをやっぱり期待して待ってると、
いやー来ないなー来ないなーってなっちゃって、いやー今回ちょっとせっかく熱情を込めて書いたのになー、ちょっと外しちゃったかなーみたいな感じで、
なんかその1日にもう何回も何回もキクシブとかね、ツイッターとかのね、いいね確認とかブックマ確認とかなんかあの、
あと匿名で、あのマシュマロとかウェーブとか置いてる方は、それをちょっと何回もマイページ見ちゃったりとかってすると思うんですけども、
そういうことを踏まえるとやっぱりその感想って、あのなんていうのかな、人任せじゃなくて、自分で書いた方がいろんな指でコスパがいいんじゃないかってことをちょっと今日思っちゃったんですよね。
でこれね、あのなんでそんな風に思ったかっていうと、あのやっぱり他人から感想が来るのを待ってるっていうと、やっぱり思い通りに自分がねこれ今すぐ欲しいんだっていう風に思ってても、
他の人の考え方とか行動って、あの、予測できないじゃないですか、矯正もできないですし、あのね、やっぱりそのサイトの時とかもそうなんですけども、
あのサイトってやっぱりその誰誰がどの時間に訪れるっていうタイミングって、アクセス解析とか見ればわかるんですけども、やっぱりその訪れてねってこっちから言わない限り言ってもちょっとそれどうかと思うけども、
やっぱりその人その人のペースっていうのがあるから、やっぱりね、あの操るってことも難しいですし、ましてや感想っていうのは本当にあの心が動いた時にもうほとばしの思いを伝えてくれるプレゼントだと思ってるので、そういうのって矯正ってやっぱりできないじゃないですか。
なので、徹はついうちに打てっていう言葉通りに、言葉通りに乗っ取って感想を待っても、自分の思った通りに来ないと、やっぱりどんどんどんどんちょっと落ち込んでってしまうんですよね。
それでもやっぱり書きたいとか作品を生み出したいという気持ちがあれば、まああの感想は脇に置いといて、どんどんどんどんやっぱりちょっと書いていくっていう風にモチベーションを上げられるとはいいんですけども、
やっぱりその感想に対して重きを置いている人の場合って、私もそうだったんですけども、やっぱり他人から感想来ないとやる気でねーってなっちゃって、結局なんていうのかな、もうダウナー状態になっちゃうわけなんですよね。
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で、他人任せの感想って、まあそういった思い通りにも連絡をもいった通り自分が欲しいと思った時に、まあ来ないというのは本当仕方がないんですけども、そういうのもあるんですけども、
例えばね、個人サイトとか、サーバー借りっぱなしのまま置いておいて、ウェブハクションとか、あとDM送れるようなマシュマロとか、ウェブボックスとかね、そういうの置きっぱなしでいたりしたりとか、
あとPIXIVとかで、一つのアカウントにジャンル分けしないでどんどん作品とかを積み重ねていけば、下手したら10年20年のタイムラグで感想が届くことってあるんですよね。
私この前、PIXIV始めた頃にやってたジャンルの作品の感想をもらって、続きものだったんですけども、ちょっと熱量を失せてそのままほかしてたやつなんですけども、
これすごい良かったです、続きありますかってすごい恐れ多いメッセージというか感想をもらったんですけども、
この時もジャンルがとっくの通り全然違う方向に行ってて、嬉しいな、もらえたんだ、10年以上前の話なんだけども、もらえたんだって感じで、すごい嬉しかったんですけども、
やっぱりね、当時の頃と比べたらテンションが違うんですよ、熱量っていうのかな。嬉しいんだけども、10年以上前の話に対して感想をくれるのってすごい嬉しいんですよ。
嬉しいんだけども、でもこれが当時ハマれた私だったらもっとすごい嬉しい、やっぱりありがとうございます、ありがとうございますって感じで返せたかなというふうな、
そういったちょっと複雑な気持ちっていうのがあったりするんですよね。
感想ってやっぱりちょっと人から思うようにもらえなくて、ちょっと承認欲求こじらしちゃったっていう人の場合、ココナラとかネットとかツイッターとかで調べれば感想を送りますよっていうサービスとかっていうのがあるんですよね。
私も感想ですか、感想がもらえなくて、ちょっとこじれてた時があって、感想を送ってくださいって感じのサービスを利用したんですよね。
やっぱりお金払ってるだけあってすごいボリュームたっぷりのサービスだったから、ボリュームたっぷりの感想が来たんですけども、やっぱりその感想を提供してるサービスの人っていうのは、やっぱりお金もらうだけあってプロなんですけども、プロとはいえども、私と違う一個人の人間じゃないですか。
私以外っていうか、その人にはやっぱりその人の生活があって、学んできた環境があって、そういった価値観があってね、私は私で学んできた教育とか育ってきた環境とか価値観が、やっぱり全く同じ方向向いてる人のサービスを頼めるか頼めないかっていうのは、この時点ではある程度しか分からないわけなんですよ。
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もちろんサービスっていうか、感想を送りますっていう方のサービスの台本は、こういうサンプルがあってね、こんな感じで送るんですけどっていう風に、やっぱり求めやすく商品の提示っていうか、商品提示のためのサンプルとかって置いてあるので、それを見た上でこっちもちょっと購入はしてるんですよね。
だけども、ほんのちょっとのやっぱりズレがあって、そこでん?って思っちゃうことって、実は私あったりするんですよね。本当にそれってどっちも悪くないんですよ。私も悪くないし、もちろんプロの感想のサービス提供してることも悪くないんですけども、そういったね、ズレがあって、うーんってなっちゃう時ってのもちょっと実はあったりしたんで。
たとえば、私がこのシーンは、とある攻めがやらかしたことに対して、攻めがちょっと謝ってるところを受けのキャラクターが、まあいいやって許すよって感じで解脱しますよね。
私このシーンは、攻めがもう積もり積もってやらかしたことっていうのがすごいたくさんあって、それをやっぱりそれでも、こっちもね、攻めも頑張ってるし、まあこっちもちょっと受けの方も、やっぱり僕っていうかBLなんですけども、まあ僕の方も悪いところあるから許すよって感じで、許すなんていうのかな、ちょっとあの例えなんですけど、平和的な要素を盛り込んでこっちは描写したはずなんですよ。
だけども、あの感想の方から見れば、これはあの受けがあざとかわいいとかちょろかわいいっていう風に受け止めちゃったわけで、感想でそれを描かれてると、いやちょっと待って、ちょっとそれあの、あのちょっと描写したいのと、うんちょっと違うんだみたいな感じの、まあ特化かりとかもあったりするんですよね。
逆にね、私がその感想を送る立場、その感想の、感想を送るサービスを提供する立場になって、受けのここはすごい聖母的な描写ですよねって言った時に、たぶん私のサービス受け取った人が、その聖母的ってところに対して、え?っていう風になる感性の、感性がある場合、やっぱりその、なんかちょっと待って、ちょっとちょっと待って、ちょっとちょっとニュアンス的なあれがあるんだよねみたいな感じで、ちょっともやってくるところがあると思うんですよね。
なのでそういったね、ズレをね、あのなくすために、やっぱりそのサービスを提供する前に、やっぱりそのメッセージとかも受けてる場合があるので、何回かそのやり取りをした上で、吟味した上で、提供すると思う、購入したり提供したりすると思うんですけども、やっぱりそういったなんていうのかな、あの感想のそのニュアンス的な部分まで、細かく指示を出したりしてるんだったら、だったら私はこれ自分で描いた方が早いんじゃないか、ちょっと今日思ったんですよね。
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あの、そういったタイム、さっきも言った、あのやっぱりその10年20年経ってから、全然前前前前前ジャンルぐらいの、あの作品の感想が来たりとか、あとそういった感性の違いで、ちょっとあのちょっとあの少しだけのニュアンスの違いがあって、そこがせっかくもらったんだけどな、ありがたいんだけどなっていうふうにもやっとするぐらいだったら、私はやっぱりその鉄は熱いうちに打てじゃないんですけども、自分で書いた話に対して、今すぐ感想が欲しいんですよね。
なーって場合は自分でも書いちゃった方が私早いなと思うんですよ。で、こうやって聞くと、えーって感想ってやっぱりその他の人からもらってこそ価値があるんじゃないのとか、自分で書くのでなんかナルシストっぽくてやだなーって思う人は、まあ昔の私もそうだったんですけどすごいいると思いますよね。
思えると思うんですよ。でもね、ちょっと考えてみたいっていうか、ちょっとあのよくよく冷静になって考えてみると、感想って別に他人からあのもらうだけが、もらう感想こそしか価値がないんでしょうかね。
だってこの世の中ってね、今ね、他人塾で生きてて、他人任せの承認欲求に満たされてるっていうか、その他人任せの、他人塾の承認欲求で、まあやっぱりその身とか心身ともに持ち崩す人が多いわけで、とにかく自分を褒めて自分塾で生きたほうがすごい生きやすいっていう風に、本当あの称賛、なんていうかな、すごい勧められてるじゃないですか。
やっぱりその今の学校の教育とかも、もうなんでお前こんなこともできないんだっていうよりも、できることの方からやっぱり伸ばしていって褒めていく方の教育の方が伸びてるっていう結果も出てるわけなんですよ。
だったらね、同人活動だってね、自分で書いて会心の出来だと思ったら、その感想は自分で書いても全然いいじゃないかなって思うんですよね。
それに、あの私はその、ジャンルはすごいものすごく転々として、今も本当にあの30年以上かな、同人活動に身を置いてやってるんですけども、ジャンルの数もそれなりに変わってきてるわけなんですけども、過去ジャンルの話をね、自分の書いた話を見ると、面白いんですよ。
やっぱり、面白いって、何これ天才と思ったら私じゃんみたいな感じで、すっごい面白いなと思って。
でもできることなら、タイムマシンがあればね、まあこの頃に戻って、今の私があの頃に戻って、そのジャンルで活動してる私に対して感想を送りたいなってぐらい、面白いなって思うんですよね。
でもやっぱり考えてみたら、自分で書きたいと思って心を動かされたっていう、熱量があって生み出した話だから、過去、自分、今の時間が経って自分の作品を読んで面白いなって思うのって、すごい当然だと思うんですよ。
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あの人っていうのは、考え方とか言葉っていうのが、やっぱりその現実化するようにできてるわけで、やっぱりそれって、脳みその特性によるもので、こんな話ね、なんかそんな面白くない、てへみたいなゴミみたいな話って自分で言ってれば、本当にそれしかならないんですよね。
こんなゴミ話、誰が感想くれるんだったら本当にゴミ話しか書けないし、感想だってもらえないしってなるわけなんですけども。
感想ってやっぱりその、なんていうのかな、それだけじゃなくて、送る人の気持ちっていうのかな、勇気っていうのかな、やっぱりその心の持ち寄っているところもあるから、一概に自分が思ったから感想くれない、自分がそう思ってしまったから感想がくれないとこないんだとかっていうのは当てはまらないんですけども、やっぱりそういうところってあると思うんですよ。
だったら、やっぱりいつ来るか、自分以外の人からの感想に頼って待ちわびて待ちわびて待ちわびて枯渇するっていうか、やる気とかモチベーションとか枯渇するぐらいだったら、私はやっぱりその自分褒めの一環で、自分で完璧なっていうか、すごい頑張った、もうこれ以上ない傑作作品だって思うんだったら、自分で感想書いちゃっていいんじゃないかなってことを今日改めて思ったっていう話でした。
その感想を書くにしても、そうですね、やっぱりちょっと自分自身で手紙をしたためる感じで、やっぱりあの便箋とか買ってきて本格的に書いてもいいですし、あとパソコンとかであのドキュメント、Googleドキュメントとかテキストメモ帳とかで、こっそりちょっと自分のペンネームとか書いて〇〇さんへって匿名希望ですみたいな感じのノリで、すごいなんかこの良かったところとかもこと細かに、
もう自分だったらここ褒めてほしいとか、ここ認めてほしいってところを徹底的に重点的にもう自分で自分を褒めるって感じで、そういった感想の書き方も私はこれからの同人活動ではね、あるじゃないかなって今回思ったわけなんですよね。
なので、やっぱりこのラジオを聞いてくださる方は、やっぱりその感想に対して貪欲に待ち続けるのもいいんですけども、今すぐどうにかしたいってなったらやっぱり自分で書いた方がいいよっていうお話でした。
では皆様良い同人活動をお送りくださいませ。ではでは。