1. てみたーずの #だれかに言いたい
  2. #268 「誰かの役に立とう」だ..
2022-02-27 15:00

#268 「誰かの役に立とう」だけでは動けなくなってしまう。

音声で紹介した記事はこちら

「誰かの役に立とう」では、何も書けなくなってしまう|中村洋太

https://note.com/yota_nakamura/n/na882cbef3164


やりたいことをただやる、って別に悪いことではないのでは?と思う今日この頃。

誰かのためになろうなんて考えず、自分の欲求で、自分を満たすために、やるのもたまにはいいかもしれません。

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今日も一日、お疲れ様でした。どうも、よざっちです。
さあ今日は、2022年2月26日土曜日、ただいまの時刻は、23時45分、夜の11時45分でございます。
さあ、2日連続での配信となったんですけれども、本音はね、この音声配信が身内にバレて、ものすごくいじられてるんで、
ちょっと感覚開けたいなと思ったんですけれども、素敵なブログ記事を見つけまして、
これはぜひ聞いてる方がいらっしゃるのであれば、お裾分けしたいなと思って、今回この録音をしています。
ライターの中村陽太さんっていう、僕の本当に大好きなライターさんがいらっしゃいまして、この方の書く文章っていうのが、まあ素敵なんですよ。
エッセイのように、物語のように、読みやすくスルスル入ってくるんですけど、ただ面白い、楽しいだけではなくて、
その中心に、いろいろと人生の役に立つような、自分の暮らしを豊かにしてくれるような気づきや学びがあるっていう、本当に素敵な文章を書く方で、
この方のことすごいなと、ずっとブログで追ったりしてるんですけど、この方が書かれた、タイトル、
誰かの役に立とうでは何も書けなくなってしまうっていう、この記事がすごく素敵で、ちょっとこの記事についてお裾分けしたいなと思って、今おしゃべりしてます。
概要欄にこの記事のタイトルとURLを載せようと思うので、興味がある方はぜひ読んでみてほしいんですけど、
この誰かの役に立とうでは何も書けなくなってしまうっていう、このタイトルにも全てが集約されてるなと思って、
最近このタイトル通りのことを、僕は自分の人生だったり普段の生活、仕事をひっくるめて感じているので、本当にこの記事がグサッと刺さったというか。
この誰かの役に立つ、仕事で言えばクライアントの役に立つとか、さらに先にいる実際の、例えばサービスのユーザー、お客さんの役に立つっていうことは、
仕事をする上でとか、社会で生きていく上で本当に重要な考え方だと思うんですよ。
だけどこればかりでは自分の身動きが取れなくなってしまうっていうことなのかなっていうのを、この記事を読みながら考えていてですね。
でも実際にこの誰かの役に立つとか役に立たなきゃいけないっていうのは大事なことなんだけど、
でも自分ごときがすることなんて大したことじゃないから好きなことやればいいじゃないって、この記事はざっくりまとめると言ってくれてるんですね。
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これがすごく自分の心をスッと楽にしてくれたというか、好きなことやっていいんだ。
自分が欲求、自分がこういうふうなことをやりたいでやってみるっていうシンプルなことでいいんだなっていう、
一種自分の凝り固まった考え方を晴らしてくれるすごく素敵な文章だったんで、今回おしゃべりしてるんですけども。
本当にでもこの誰かの役に立とうっていうのは大事な考えだし、本当に言ってしまえば今生きていく上での核となる考えだと思うんですよ。
こういう個人で仕事をしたりとか、いろんな多種多様になっている中で、会社とかそういったものにとらわれずちゃんとお客さんの役に立つ。
しっかりとそのための価値を提供する。困りごとを解決する。他人の困りごとを解決するって大事な考えなんですけど、これだけに縛られるといろんな弊害出てくるなっていうことに、
ここ数年でじわじわと自分の実感というか体験、体感をもってして感じている次第でですね。っていうのも本当に、まだ見ぬ?何も言われてないんだけれども、これ出したらどうかな?
人の役に立つかな?ひいては今自分がやっている仕事とかそういったものに紐づくかな?とか、これでこの程度のクオリティで出したらダメかな?ちゃんとしたものを出さなきゃいけないかな?とか、
やるからには、人様の時間を取るからには、ちゃんとしたものを作らなければいけないっていうことで、がんじがらめになって、自分の生活からそういったものに繋がらないものっていうものを、どんどんどんどん排除してた自分に気づかされたんですよ。
結果、そういったものを排除していくと、もう何もなくなって、自分の人生が無色というか色がなくなっちゃったんですよね。それで一回、参ってしまったときがあってですね。
それにさらに仕事の忙しさとかもプラスされて、うわーってなったときがいくあったんですけど、そういうときに今ここに書かれてる通り、誰かの役に立とうで動けなくなってしまっていたなっていうことをすごく実感していて。
もちろんこうあろうとすることは大事だし、これを追い求めることも大事なんですけど、それとは別に自分がやりたいからやるっていう軸っていうのも一つやっぱり持たなきゃいけないんだなっていうことをすごく実感したんですよね。
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で、ちょっと前に、「死ぬこと以外はかすり傷」っていう本を書かれている、原党社の編集者の美濃はこうすけさんっていう有名な方がいらっしゃって、多分知ってる方も多いと思うんですけど、この方の講演というかトークセッションみたいなイベントに参加する機会がありまして、そこで話されてたもので、
全てはもう自己満足だよと。何でも価値なんて自分で考えて、自分で定義して、俺はこういう人生を歩むんだって決めてやるだけだっていうことをおっしゃってて。
あれだけ、それこそ僕から見たら社会に価値を提供しまくってて、そういった誰かの役に立つっていう考え方の権限みたいな、勝手に思ってた人が、実は自分のやりたいことっていうのをやった上でその先があるって、もちろん好き勝手やってるだけでは全然そういった成績とか成果は出ないだろうから、もちろんそういう考え方はあるんだろうけれども。
でも、自分で考えて自分で価値を定義するっていうのは一つ大事なところだなと思って。もちろん、自分と他人ひいては社会との円が重なる最大公約数、公倍数、共通項というか、円が重なる部分のそこに価値を提供する。
要は誰かの役に立つ、困っている人を助ける、人の困りごとを解消するっていう、いわゆる社会に価値を提供するっていう正解ではないですけど、そういうポイントはあるにせよ。それとは別に、いいんだよ、俺はやりたいからやるんだよっていう、もうこれで結果というかどうなろうが俺はこれやるって決めたんだからやるんだよ。
いいじゃん、やりたいことやるだけでっていう、社会に対して価値を提供するっていう相対的な価値と、俺がやりたいからやるんだよっていう自分の中の絶対的な価値。
この二本柱で生きたほうが人生楽しいよなっていうことを最近いろいろと思い出してきて、今までの僕の人生ってどっちか二極化だったんですよ。自分のやりたいことやる、社会に価値を提供する人のために尽くしますみたいな。
そういう意味ではないですけど、そのために勉強して、いろいろと価値を提供できることに前振りしますみたいなことをやってたんですけど、この二本でもいいんじゃねえか。なんで今まで一本でいこうと思ってたんだろうっていうことを最近思い出しまして。
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スイッチ切り替えられる人だったら全然いいと思うんですけど、俺それができないんで、上手く二本の道、二本の柱でやっていこうかななんてことを思い始めて、ちょっと今年ですね、いろいろと少しずつ自分なりにいろいろと行動を起こしているわけなんですけれども。
本当にでも聞こえはいいけど、誰かの役に立つっていうことに凝り固まってるって結局それ思考停止なんだなっていうことを改めて思ったというか。
本当にまず一つ、そういったものを切り離していくと、自分の判断基準で誰かの役に立つっていうのにはまらないものはすべて切り捨てていっちゃうんで、何もできなくなってしまうっていうデメリットが一つと。
実はそうやって切り捨てていったものの中に、生活の余白じゃないですけど、誰かの役に立たなくてもいいじゃん、自分がやりたいからやるんだよってやったことの中に意外と最終的に誰かの役に立つためのヒントって隠れてたりするなって、最近になって過去のことを思い出してみるとあったりしたなって思い始めてきたんですよね。
だからこう、巡り巡って結果的にそういった誰かの役に立つことに繋がってると。
だから自分のこの判断基準だけで、こうしたらダメかな、あしたらダメかな、これって役に立たないかなっていうことを考えずに、いまいちど自分がやりたい、誰かのためになろうと思ってやってるわけじゃなくて、自分の欲求でやってみるっていうことも必要なのかなっていうことをちょっといろいろと考え始めてですね。
昨日のTwitterのスペース、もちろん雑談、聞いてる人からしたらどうなんだろうなって思ったりもしたんですけど、でも振り返ってみると楽しかったし、そこから見えた発見でなんかこう別のものに応用できたりとか、なんか音声配信としてなんか違った形でできないかなって考えるきっかけにもなったし、っていう点で言うとやっぱ役に立ってるんですよね。
だから2022年の目標として、もうちょっと自分のやりたいっていう気持ちに素直になって、とりあえずやってみようっていうことをですね、合同の主人として取り入れていきたいななんてことを思ったりしました。
本当に素敵な記事なんで、ぜひこの先ほど紹介した中村陽太さんの記事、タイトルですね。
誰かの役に多等では何も書けなくなってしまう。これぜひですね、本当にすぐ読めちゃうぐらい、すっきり読みやすいけれどもすごく学びのある、気づきのある素敵な記事なので、読んでみてほしいなと思います。
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本当にこう、やりたいことを結局自分の目なんですけどね。こう思われるんじゃないかって結局出してみると意外と人は思ってなくて、自分だけで思ってるんだけど意外とその自分に向けた目って取りにくいですよね。
だからこそ昨日のツイッターのスペースとかでも二の足踏んだりしたんですけど、ただその中で15分一人で喋れるってすごいじゃないですかって誰かが言ってて、そういう見方もあんのか、それは自分の中にはなかなかなかった視点だったりするんで、そうなのかっていう気づきがあったりもしてね。
だからまあ、塩梅なんですかね。今までやりたいことだけやってた人は、そういったそこの中で誰かの役に立つっていう視点というか要素を取り入れてもいいし、そっちに偏ってた人はたまには全くもう人のやりたい、目を気にしないやりたいことをただやる、自分の欲求のままにっていう視点の両方を持ってもいいんだろうなっていうことをちょっと思ったりします。
なんかこう、僕の大好きなエッセイストの松田美里さんっていう方がいらっしゃるんですけど、その方が何かの記事で書いていた、面白いは自分と読み手の間に生まれるっていうことを書いていて、結局なんかこう、出したものに対して、これって役に立つ、面白い、あ、欲しいって思ってくれる価値って感じるのって、やっぱり出したものに対して、
やっぱり出したものに対して、これって役に立つ、面白い、あ、欲しいって思ってくれる価値って感じるのって、やっぱり出してみないとわからないですよね、きっと。で、相手と自分の間に価値が生まれるので、これはもう自分で判断だけしてたらダメだなと思って、ちょっとずつこう、なんかね、出していこうかなと思います。
このボイスブログもね、最初ら辺はなんかこう、役立ち情報とか喋ろうと思ってたんですけど、だんだんだんだんこう、疲れてきて、今こういうふうにただ自分の思ったこととか、体験したことを喋っているだけなんですけど、それでも最低15ぐらいは1回の再生回数あるんですよ、自分の除いて。
そうやってなると、誰かの何かのお役に立っているのかななんてことを思っているので、まあまあこういう場があってもいいのかなと。だからちょっと恥ずかしいですけど、身内に惹かれているかもしれないんですけど、まあこのボイスブログでは好きなことを喋っていきたいと思っております。
それでは最後までお付き合いいただきありがとうございました。よざちでした。それではまた。
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