感想が返ってこない悩み
こんばんは、二次創作メンタルアドバイザーのほうりです。よろしくお願いいたします。
今日は、この放送でも何度も言っている、感想や反応が思うように入ってこなくて、やきもきしている人に向けて、聞いてほしい私の気づきについてお話ししていこうと思います。
昔の私もそうだったんですけども、例えば、テキシブやサイトやSNSで、誰かの作品を見て、すごくズカーンって感じで魂を潜られるような感動するお話を読んで、素敵でしたっていう風に感想を送ったりしますよね。
ものすごい情熱込めて書いた感想で、その時は送った相手から何の見返りも求めないで、とにかくこの思いを届け、みたいな感じで送った感想って、なんか書き終わって送った後って勇気を出すけども、勇気を出した分だけ、清々しい気持ちになると思うんですけども、
逆に、こっちが感想を送ってあったんだから、あなたも感想をよこしなさいよっていうような、下心を込めた感想を送るとね、自分の作品に感想って、なかなか来ないもんなんですよね。
私、これ20年以上前のジャンルで体感してるんですけども、サイトがまだ前世紀だった頃に、最初の方っていうか、最初の4,5年、3,4年ぐらいかな、サイト開設からそこから3年か4年ぐらいは、掲示板も毎日盛り上がってたし、私も総合リンクさんの方とのサイトに行って、掲示板で感想書き込んだりとか、キーバンリクエストとかも受け付けたり、
書かせてもらったり、私はちょっと切り板はやってはいなかったんですよね。どうしてもそれ強制的になっちゃって、自分の書きたいものが溢れてるのに、人様のリクエストまで手回んないのよっていうのが本当のことだったんですけども、その代わりにその人の作品に対してインスパイアを受けて、いわゆる三次創作はすごくやってたんですよね。書かせてくださいって感じで。
そんな感じのやり取りがすごく楽しかったんですけども、だんだん年月が経つにつれて、自分の推しのカップリングから人が離れていくにつれて、賑わっていた掲示板もどんどん火が消えたように観光取りが泣き出して寂しくなっていったんですけども、その頃の賑わいを取り戻したいと思って、私が感想が欲しいから、同じようにジャンルの方のちょっとした良いところを見つけて膨らませて感想を書くっていうようなことをやったんですけども、
そういうことをやってても、こっちの作品にはね、あのその時は誰からも感想は来なかったんですよ。その感想を来ないだけならまだしも、何度も送っても感想いただきましてありがとうございますの一言もなくて、あのすっごく私も心が荒んでしちゃったんですよね。
本当になんで感想来ないんだって感じで怒りすら覚えてた状態だし、しかも間が悪いことに、ちょうどその時に私の時代の逆カップが盛り返し始めて、もう無形ってなっちゃって、本当にね、あの頃は思い出すだけでもすごく暗黒時代だったなーって感じで、それが仕事にも影響出ちゃったし、人間関係とかもすごくもうボロボロだったしでね。
そこからあんまりちょっと生きることに意味とかそういうふうにもう生きてきても仕方がないなって思った時期もあって、まあそれが結構長いこと続いたのかなーって感じなんですよね。
そのジャンルは今こういうふうに話せるほどいい思い出にはなってるんですけども、そのジャンルからまた新しいジャンルにはまってそっちの方にメインに活動するってなった時に、ほっとしたぐらいなんですよ。
こんなふうにドロドロとしたヘドロみたいな気持ちとかもこのジャンルに全部置いていって、次のジャンルへは新しいまっさらな気持ちで萌えを描き続けていこうって思ったんですけども、やっぱり感想を送るってなると、そうした下心とかそういうのってどうしてもね入り混じってたんですよね、私の場合はね。
マインドコーチングをしてからした心があって感想を送ると、ある程度やっぱり伝わっちゃうものなんだなっていうことは実感はしてたんですけども、私をご機嫌にする仏陀の教えっていう本を読んでた時に、気づかされたことがあるってことで、昨日放送でも話したんですけども、さらに気づいたことがあって、良い言葉は自分に戻ってくるっていう項目を読んで、そういうことなのかなっていうふうに気がついたんですよ。
何がそういうことなのかなっていうと、優しく穏やかな言葉選びを続けていれば、その言葉はブーメランのように、いずれ自分自身に帰ってくるのですっていう一言だったんですよ。
それを聞いた時に、私があの時に感想をいくら送っても、かんばしい反応をもらえなかったのは、そうした自分の感想って言っても口頭で伝えるんじゃなくて、ネットで打ち込む文章だけども、その文章に乗って、そうした波動が自分に帰ってきただけだったんだなっていうふうに思ったんですよね。
必死に他人の作品を褒めていた頃は、そういうふうに求めても求めても、思ったように反応が返せなくて、すごくイライラしたりヤキモキしたりとかっていうふうにしてたんですけども、今紹介した、そのいずれブーメランのように自分に帰ってくるっていうそのいずれの部分なんですよ。
私たちってどうしたって、即感想を送ったら即が入ってくるっていう即レスみたいな感じで、送ったらポンポンポンポンボールが返ってくるように返ってきた当たり前だって思いがちなんですけども、いい行いをしたらいい行動が返ってくるのって別に時期って決まってないわけなんですよね。
私はそのコーチングの方でメンターさんとかのチャンネルとかも聞かせてもらってるんですけども、ものすごくメンターさんたちは情報発信とかに力を入れてて、それがすぐに返ってくるっていうことを期待してないんですよ。
普通に10年20年かかった当たり前だろうとかそんな感じなんですよね。
心理的なメカニズム
例えばこういうふうにスタンドFMの配信にしても、正答え感じるのって1000回くらい放送してようやく感じるんだろうみたいな、そういうスタンスでいるわけですから、そうだよなって。他人って別に自分の思い通りに動かせる存在じゃないから、自分がすぐによこせって言ったって、そんなこと言われてもっていう感じじゃないですか。
だからそうだよなって。いずれ戻ってくることが分かってんだったら、どっしり構えてればいいじゃないって感じで、そういうスタンスに徐々になってきて。
西宗作に関して逆カプとか気にならなくなったのっていうのは、本当に2、3年前ぐらいのことだから、30年間続けてたとしたら本当にもうつい最近のことなんですけども。
今、私の推しのジャンルが映画化の影響なのかな。2、3年前に投稿したピクシブに投稿した作品とかホエピクに投稿した作品が、反応が徐々につくようになってきて、マイピクシンセとかもすごく受けるようになってて、結構びっくりしてるんですけども。
これって自分が今まで、そうしたらダサンとか下心の感想ばっかりじゃなくて、純粋にいや本当にこれすごく良かったんですよねって感じで、ピクシブのダイレクトメール使って、もうコメントじゃ収まりきらないから、もう初めましてこんにちは突然の長文メール失礼しますっていう風な前置きをして、それでもう感想もガンガンガンガン出してた状態なんですよね。
これは、今この時になってようやくなんか芽吹いた、種からその芽が出たような状態だなっていう風に思うんですよ。私が送っていた感想っていうのは、相手に思いを伝えるだけじゃなくて、自分に対して返ってくる花を咲かせるための言葉の種だったのかなっていう風にそういう風に思えてきたんですよね。
良い言葉が巡ってくるっていうそうしたメカニズムを、心理的な仕組みでざっくりと説明すると、まず偏方性の法則っていうのが働いているわけなんですよね。これは、人は何かをしてもらったお返しをしたくなるっていう心理なんですよ。
日常生活でもちょっと例えてみるなら、お土産をもらったらお土産を返したくなるような心理とか、仕事を忙しい人を手伝ってあげたら、今度何かしてあげなきゃっていう風にしてあげたいなっていう風に思うような心理ですね。
それって別にすぐに返せなくても、自分が貸した時間とかっていうのは相手の心に残って、ふとしたタイミングで返ってくることがあるんですけども、いずれにせよ時期っていうのはこちらが選べないから、最初からすぐに戻ってくるはずっていうような執着っていうのは捨てちゃったほうがいいのかなっていう風に私はちょっと思うんですよね。
こういう遠方性の法則を知った時に。
次に、心理的リアクタンスっていうやつで、これはあれしなきゃこれしなきゃって感じた瞬間に、逆にやりたくなくなる心理のことなんですよね。
よくこれ例えに出されるのが、子供に勉強しなさいって言ったら、今やろうと思ったところなのにっていう風に言われるじゃないですか。
これって、その子供が生意気なわけじゃなくて、反抗期でもなくて、心理的リアクタンスが働いている可能性がすごく高いんですよ。
感想の心理的リアクタンス
本当に宿題をしなきゃならないっていう風に強制されたら、結果として、なんでやらなきゃならないんだ、このボケとかっていう風になっちゃうんですけども。
それを言うんだったら、勉強させたいんだったら、ほっときゃいいんですよね。
やりたきゃ勝手にやるだろうしさっていう感じで、私はそういう話題を聞いてていつも思うんですけども。
勉強しなさいって言ったら、今やろうと思ったことなのにっていう風に言われたら、なんかうんたらかんたらって言ってるんだけど、いや、それ心理的リアクタンスが働いてるだけだからとしか言いようがなくて、勉強させたかったら黙ってるよっていう風に思っちゃうんですけども。
つまり話戻すと、感想をね、ちょっと私の方が送ったんだから返してちょうだいねっていう風に思いがね、文章の端々にやっぱりね、出ちゃってるもんなんですよね。
第六感とか波動とかっていう風に、スピリチュアル的な話をちょっとうさんくさいと思う方もいるかもしれないんですけども。
それってね、実際にあるんだなって私は今だったら思うんですよね。
パソコンやスマホで打った文章だけで、波動とかオーラなんてさ、感じられるわけないじゃないって私も思ってたんですけども。
文明がこう発達したとはいえ、言葉がそうしたメールに変わっただけだったら、そのメールの端々から伝わる心理的リアクタンスの強制力とか圧とか、やっぱりね、第六感で感じるんじゃないかなっていう風に思うんですよね。
じゃなかったら説明つかないもん。
で、私が学んだというのは、感想っていうのは取引じゃなくて、あくまで贈り物なんだなってこと。
贈り物をあげた相手に大事に使ってくれたら嬉しいとか、美味しく食べてくれたら嬉しいですみたいなこと言うかもしれないんですけども。
自分の手から離れたものを相手がどうこうしようというのは相手の自由なわけだから、それを強制する言われはないわけですし。
欲しい言葉はまず自分に使ってあげることが一番手っ取り早いから、見返りを求めて感想を送るんじゃなくて、欲しい言葉を思う存分使って、まず自分に感想を送ることが大事だなというふうに思うんですよ。
で、戻ってくるのは今すぐじゃなくて、いずれですから時間ってのは誰にもわからないわけなんですよね。
しかもそれが当時送った本人からじゃなくて、私みたいに20年以上経って別ジャンルの方から当時もらえなかった感想のように嬉しい言葉とか申請とかもあげることができるから、ルートとか時間とかにこだわらないほうがね、やっぱり穏やかに二次創作ってね、できるんじゃないかなってふうに思ったんですよね。
良い言葉というか、自分が心を砕いて送った感想に対して何かしらのレスポンスがなかったり、私はあなたに感想を送ったのに、あなたは私から感想がないねっていうふうに落ち込んでしまう人に言いたいのは、良い言葉っていうのはすぐに帰ってこなくてもちゃんと種はまかれている状態なので、安心してほしいなというふうに思います。
自分自身への言葉の贈り物
例えば、鉢植えに種を植えたからといって、すぐに芽が出ないからというふうに土の中を掘り起こす人っていないじゃないですか。だから気軽にね、気長に芽が出るのを待ちましょうやっていうことなんですよね。
だから感想を送るメリットっていうのは、いっぱいありますよ。感想を返してもらえるかもしれないって思うかにも、自分の語彙力を磨くことができたりとか、自分が欲しいことは惜しげもなく使って相手に送ることで、自分自身にも言葉っていうのがメールとかで打ったら目にするわけだから、自分の脳にも刻み込まれているわけですから。
だから、辞める理由がないなら続けるんでもいいですし、今はどうしてもしんどいから辞めたいんだって言うんだったら、自分の気の積みまで辞めて大丈夫ですので、何事も自分の心が資本なのでね、あまり無理しないでほしいなということで、今回こうして放送を撮らせていただきました。
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今日もどうもありがとうございました。最後まで聞いた方は、記憶の代わりにいいねボタンを押してください。うちはそういうルールですので。ではまた。