宮崎の時間と青島アパートメント
宮崎の時間、ゆるっとやっていきたいなと思います。
この番組は、宮崎で活躍する方にお越しいただいて、
その方の話を聞いたり、どんな感じで今まで来たのか、みたいなものを聞く番組となっています。
今日のゲストは、青島ですね。
青島の方で、青島アパートメントを主催されている、みやきさんに来ていただいております。
こんにちは。
みやきさん、アウトプットの量が、僕のことを全部言語化してくれるおじさんという設定を持っているので、
いつも僕がモヤモヤーっとしているやつを、それは田島さんがちゃんと言語化してくれるので、
非常にいつもいつもお世話になっておるんですけども、青島アパートメントが何なんやっていうところと、
あと、みやきさんが宮崎に来た家庭とか、知らん人もいてるやろうなーっていうので、
ちょっと自己紹介がてら、その辺のこんな返力でこんな感じだった、みたいなところから話しいけたらなと思うんですけど、
地元は東京ですね。
そうですね。生まれた東京なんですけど、中学高校が埼玉にいたんで、埼玉と東京のハイブリッド。
なるほど。広くしとけ。
大学まで向こうで。
働き始めても向こうです。宮崎に来たのは6年前ですね。
いきなり来ましたね。大学出て、宮崎さんの今に至る前のところで言うと、仕事は広く何関係ですか。
ざっくり言うと、最初の3年間三住っていう専門商社にいまして。
商社。
そうです。
何してたんですか。商社って何してたんですか。僕その情報そうかになりましたけど。
一応、四季報的に言えば、金型標準部品の専門商社という形の三住っていう会社なんですけど、
当時、いわゆるベンチャー界隈というか新規事業づくり界隈では非常に有名な会社だったんですね。
新規事業大好きな社長がいまして、そういうことに対してめちゃめちゃ金も使うし、ヘッドハンティングもしまふるし。
ですから三住の従業員半分ぐらいがヘッドハンティング組なんですけど、
そのヘッドハンティングの半分ぐらいは大手コンサル、コスコンだとかそういうところから来てる人たち。
社内にそういう人たちがうろうろしてるっていう不思議な会社でした。
新卒で入って、何してたんですか。
新規事業市場に入って、まだ2年目、3年目のチームに最初いまして、
1年目が切削工具っていう、B2Bの世界ですから、エンドミルとかそういう工具の流通に関する新規事業のチームにいて、
2年目、3年目がマルチビッツっていって、DTP、いわゆるプリプレスの部分に流通するっていうカタログ通販のビジネスのチームにいたという。
半分ぐらい何言ってるか分からないけど、広くは新規事業のところに関わっていたから、
僕の知ってる三宅さんはどこで出てくるんですかね。
それでいろいろ考えることがあってですね。
辞めて。
3年間辞めて辞めて、その後3年間司法浪人やるんですよ。
司法浪人っていうか、正確に言うと最初2年はずっと学校通って、
専門というかそういう特殊な。
弁護士なろう的なので、司法浪人ですね。
そうです。
で、中田と松井君は自分には結構合わないなっていうのがだんだん分かってきまして。
そうなんですね。
で、どうしようっていう時に誘われて、半分まだ諦めてなかった時もかぶるんですけど、
インターネットのちょっと怪しい世界に入っていった。
そこからが三宅さんの開幕ですね。
そうですね。
そこまでは結構自分探ししてた感じなんですね。
そうですね。
インターネット業界への転身
初めてしっくり噛み合った。世の中としっくり噛み合ったっていうのはありますね。
生まれて初めて。
アンダークランチなインターネットの世界で、世の中と初めてガッと。
しっくり噛み合った。
やることなすことをちゃんとうまく噛み合っていくなって。
ちなみに昔から三宅さんは物事を俯瞰で見てとか、自分がやってることとか、
人がやってることを見て、あれこうだな、あれこうだなみたいな言語化というか、
そういうのは小さい時というか、学生の時からそうやったんですか?
親父がフリーの映画監督、教育映画の映画監督だったんですけど。
それ知らないです。
そうなんですか。
別に仕事上転勤とかないんですよ。フリーですから。自営業なんで。
映画監督?
映画監督。ただし教育映画ですけどね。教育映画。例えば交通安全とか。
教習所で見てるヒアリーハットキーみたいな。
ああいうやつとか。国連の会議のドキュメンタリーとかそういう記録映画みたいな。
今でいう映像クリエイター的な感じってことですか?
そうですね。ただ文科省とかの予算にぶら下がる感じの映像クリエイターなんで。
ちょっとクリエイティブかな?みたいなところなんですけど。
それはお父さん。初めて聞きましたね。
にも関わらず彼はちょっと変わった人間で、飽きると引っ越すタイプだったんですよ。
結果2年に1回ぐらい無駄に引っ越してたんですね。僕の中でも無駄に引っ越してたんです。
なので小学校も6年あるわけですけど、途中に2回引っ越ししてるんで3ヶ所行ってるんですよね。
転校?
転校。ひたすら転校、その小学校上がる前も引っ越し繰り返してましたし。
その頻繁に周りに誰も知らない人の世界に入っていくっていうのは。
繰り返されて。
繰り返される。
だんだん形成されていくってことですか?
そういう転校ばっかり暮らしている人間って何かの能力を伸ばすことで環境対応しようというパターンが多いんですよ。
人によっては非常に社交的になったり、ものすごく自分の世界を堅い殻を噛めるようにですね。
防御のパターンですね。
僕はどういう形で乗り切ったかというと、その置かれている状況を洞察して、俯瞰して、洞察して、状況を把握して。
どこに行ったら一番最適なのかを身につけたってことですか?
そうですね。この村におけるルールはこうだってことを見切ってそれに沿って立ち回るみたいな。
それを幼少期に鍛えられた?
幼少期に鍛えられた。
大人になり、学生から大人になるタイミングで、自分はなかなか見つからなかったが、老人が終わったタイミングで門絶自分に合うフィールドが見つかったと。
たまたまですけどね。
それは誰に誘われたんですか?
大学時代の同級生ですね。
彼を何で誘ってきたんですか?
彼は、ある韓国の方が始めた小さなホームページを作りますみたいな会社があったんですよ。
そこに、そのリーさんに対して、僕の大学時代の友人が、共同事業で、当時の怪しいインターネット界隈の事業としてのライブチャットというところに
共同出資で新しい事業を作るという動きをしたんですよね。
その時にそのライブチャット。
何年前ですか?
今でいう投げ銭みたいな、ああいうアイドルのライブチャットで投げ銭ポチッありがとうみたいなあの世界ってことですよね。
それの前進ですね。
前進。
当時はまだADSLですね。
そういう細い回線。
ピーヒョロールぐらい。
それの次なんですよ。
ライブチャットそのものは映像も絡むんで、ピーヒョロールじゃ無理だったんですけど
でも光通…光回線まで行かないADSLっていうのは結構
ADSLで動画って行ける?
ギリ行けたんですよ。
行けたんですか。
ちょっとカクカクするんですよ。
はいはいはい。
で、なのでそのインフラがちょっと弱いんで、今のライバービジネス、いちななライブとかポコチャとかありますけど
あれがやれるほどのインフラではなかったんですよね。
で、マンツーマンの会議室タイプの
そういう。
ですから今のいちななライブとかポコチャが言ってみればステージ型、もしくはスナック型だとするとですね
当時のライブチャットっていうのはキャバクラ型だった。
一対一。
一対一。
なのでちょっとビジネススタイルが違ったっていう。
ただ、そういうライブチャットのビジネスサービスがあって、その先にいちななライブ的なものが発展したっていう
歴史的な経緯はあるんですけど。
その走りですね。
走りです。
で、それを。
で、それの運営プレイヤーというか、店長みたいな役が欲しかったんですよ。彼らとしては。
で、僕が。
三宅さん店長で、当時的に。
なんでそのクレース、そこ三宅さんにいったんですかね。
なんでですかね。
仲良かったんですか。
そうですね。悪いことはないけど。
何を。
うーん。
資質が結果でもあったってことですよね。
そうですね。ただ結果としては、その時のその事業そのものは一旦ポシャるんですよ。
ポシャるんですけど、それでこの李社長との関係が生まれて。
で、李社長が三宅さんもう少し手伝ってみたいな話になって。
もう半分その会社の従業員みたいな感じになって動き始めたんですよね。
で、それでその会社、エンジニアとかデザイナーは韓国人なんですけど。
日本人は開設部門だったりとか営業だったり。
3、4人いたんですけど。
ただそのエンジニア、デザイナーは韓国人たちはみんな超優秀なんですけど。
日本人サイドっていうのは、その李社長がゲーセン行ってガンダムのプラプラして兄ちゃん呼んできてちょっと手伝ってみたいな感じで始めてるんで。
まともな法人営業ができないわけですよね。
そうすると、結局外から仕事を持ってくれる人間っていうのが、実質ほとんど僕だけみたいな状況だったんです。
で、そのライブチャットビジネスそのものは、サービスそのものは一旦ポシャったわけですけど。
ライブチャットシステムを構築するリソースっていうのは残ってるわけですよね。
当時その会社が置かれている状況的にですね、開発力はかなり高い。
当時日本と韓国比べると、日本の方が当然経済的には全然上ですけど。
いわゆるウェブエンジニアのレベルでいくと、韓国の方が全然上だったんです。
だから給料、韓国人エンジニアに関して言うと給料安いけど、パフォーマンスはめっちゃ高い。
これをうまく活かしたかった。
ところがその会社って、ブランドも何もないわけですよね。
高いエンジニアリング力を活かす術がないっていうか。
その活かして、潜在的に活かせそうな会社っていうのは、そのうちみたいな会社を相手してくれないわけですよ。
でも肌で困りまして、その高いエンジニアリングに対してちゃんと金を払ってくれる存在。
そのクライアントは、こちらの会社がブランドないってことに対して一切気にしない。
そんなクライアントはどこにいるのかってことをガーッと見渡しているわけですよね。
そうすると、やっぱりQ2とか、出会い系とか、そういう連中っていうのがちょうどそうだったんですよ。
まだ潜るんですね、そこから。
ラビチョットっていうのがそっちに属する世界。
ラビチョットってサービスとしては海外中心に出始めてましたけど、
国内はまだちゃんとしたプレイヤー、運営会社がいなかったんですよね。
出会い系はもうすでにいろいろな方にあったんで、出会い系やってたんだけど、
でも出会い系の次はもしかしたらラビチョット人じゃないかっていう空気感が、
いわゆるQ2とかやってるような連中の業界の中でなんとなくあったわけですよ。
そこに目をつけたんですね。
アングラ業界の経験と変遷
彼らだと、金を持った高いエンジニアリング。
ターゲット見つかりました。
見つかりました。
機能する営業マンが僕だけですから、僕がそういう発注だけを取りまくるわけですよ。
そうすると勝手に僕が勤めてる会社っていうのは、
ライブチャットシステム開発専門会社に切り替わってくるわけですよ。
っていう形で、20歳と25歳くらいやりましたかね。
何歳くらいの話ですか?
当時、2003年、4年くらい。
23年前。
そうですね。
ほんで?
どこに全職に行き着くんですか?
全職ってどれのことですかね。
結構右翼折が激しいんで。
お墓の…
そこはね、まだ行き着かないんです。
まだ行き着かないんですか。
まだ行き着かない。
そうしたら、アンダーグラウンジな領域をずっとそういうことをやりながら、
だいぶ宮崎、遠いなと思って。
ああ、そう。
ここ、このお墓のところは宮崎の前ぐらいですよね。
そうです。宮崎の前がお墓ですね。
ここのグラデーションはどういう…
アンダーグラウンジから…
ネットビジネスですよね、広く。
そうそうそう。
ちょっと端折って説明すると、
いわゆるネット系アングラ業界っていう世界が
正式に世の中にそういう言葉があるかというと、よく分からないんですけど、
でもなんとなく存在しているわけですよ。
IKEA Q2、その系の連中。
そこの世界では結構有名人になったわけですよね。
ライブチャット、ビジネス、サービスに関して言えば宮城に聞けみたいな。
面白い。
だけど、いつまでもその世界にいたくないわけで。
望んでたわけではないんですかね。
何点ですかね、すごい魅力もあったんですね。
何かというと、
例えば普通の会社って、何を言うかよりも誰が言うかが大事にされるわけですよね。
ペイペイが怠きなことを言っても潰されるわけですよ。
仕方されるわけですよ。
だけどアングラ業界っていうのは、そこの活動としてがめちゃめちゃいいんですよ。
例えば、ライブチャットシステムのいわゆる営業マンだった時代に、
クライアントになりそうな人と話し、ライブチャットビジネスの市場とか、
競合関係とか、サービスの特性とか、事業としての特性とか、いろいろ話ししてくるわけですよね。
盛り上がるわけですよ。
この後警戒なんだけど、宮城さんも出てくれる?とか言われるわけですよね。
行くわけですよ。ずらっと20人くらいいて、ガンガンやるわけですけど、
そこに好き勝手なこと言うわけですよね。
普通は、デイリーの営業マン、まだ稽古してない営業マンがやってきて、
そこにいるってのも変だし、そいつがガンガン言うってのも変だし、
そのガンガン言った意見が取り入れられてるのも変じゃないですか。
全然あるわけですよ。
その活動してくださいが、すごく新鮮だったんですよね。
なるほど。
これは面白い。それでその業界にハマっていったっていうのはあるんです。
ただ、理由があってですね、要は外部資本市場っていうのがありえない世界なんですよね。
例えば、出会い系の会社が資金調達しました。
ああ、なるほど。
当初は一部、上場しました。ないじゃないですか。
なるほど。
だから、要するにどっかの金持ちなり、どっかの怪しいハングレー集団みたいなのとか、
こういうのの人たちが、そういう資本を使って。
人間となっていることが多い。
そうです。なので、向こうの世界では金主って言うんですけど、
スポンサー本人、もしくはスポンサー本人に極めて近い人間が、その会議にいるわけですよね。
そいつからしてみれば、別にデイリーというか、
今日初めてやってきた営業マンの意見だろうが、
10年一緒にやってきた重役の意見だろうが、関係ないわけですよね。
俺の金を増やしてくれる奴の意見がいい奴だって話に過ぎないわけですよ。
だから、そこの仮説がいいんです。
なるほど。
カラクルとしてはですね。
そこまでくりしめられてきた若手の人間としては、すごく爽快感があったんですよ。
こんな話が通じる世界があるんだ。
どんどんハマっちゃった。
だけど、その世界にいて何年もやっていくうちにですね。
何年というと、2,3年ですけど。
やっぱり常に野球肌ビジネスなんですよね。
常にある意味、社会全体を悪くしながら、自社だけが儲ける。
外部不経済を最大化して、内部経済を最大にするみたいな。
そういうやり方のビジネスから抜けないんですよ。
それは理由があって、世の中を良くしながら儲けるっていうのは、長期戦なんですよね。
だんだんブランドが確立していって、だんだん収益性が上がっていくっていうモデルなんですよ。
ところが、アングラビジネスの世界って、
例えばそのビジネスが派手になっていくと、
例えばパパ活だとか、それもそうですけど、世の中が騒ぎ始めるわけですよ。
いろいろルールが変わって、同じビジネスができなくなるわけですよね。
だったら、この2,3年のうちにどんだけ稼ぎにいけるかっていう。
だとなると、その短期勝負なんですね。
そうすると、長期でじっくり世の中を良くするビジネスを作るよりも、
世の中を悪くしながら、パーッと野球肌で儲ける方が合理的なわけですよ。
なので、常に発想はそっちにいくわけですよ。
それがやっぱりやっていくうちに、だんだん虚しくなっている。
一時の興奮が冷めてきて、毎回これかっていうのが、ちょっと嫌になってきたんですよね。
それで、そういう世界からは距離を置こうということで、普通のIT業界に転職した。
そこからIT企業が何個か来て、最後が一番跳ねたのが、
お墓ビジネスへの転職
お墓ビジネス。
お墓ビジネスって、具体的にはお墓のマッチングサイト?
スーモとかホームズとかあるじゃないですか。
あれのお墓領域、もしくは葬儀領域、仏壇領域、そういう感じですね。
そこで何やったんですか?
そこで、チームが小さかったので、サービス全体の設計もやれば何でもやれますよね。
あれってユーザーを集めるのと、それから業者を集めるのと両方ですけど、どっちも営業的な。
こっちはマーケティング的、こっちは営業的ですけど、それもやりましたし。
やっぱり特に自分が中心的にやってたのは、システムの設計ですね。
それはエンジニア的な知識をある程度なんとなく持ったシステムの構築じゃなくて、
いわゆるアウトラインのこうあった方がシステムええんちゃうかのアイデアだし。
大工ではなくて設計士の方ですね。
それは前職のライブチャットの時代に培ってきたので、それを使ってやっています。
その会社が上場までいった?
そうです。
その時にちょっと感じになったってことですよね?
そうですね。
その資金を持ってようやく宮崎に行き着く?
青島アパートメントの設立
そうです。やっと来た。
やっと宮崎に。
そうなかなかです。
作ったのが青島アパートメント。
青アパートメントは何をやる施設ですか?
リモートワークしながらちょいちょいサーフィンするっていう滞在施設です。
なるほど。宮崎だけに。
なんで宮崎なんですか?
市場でもあったし、四国でもいいし、いろいろサーフィンできるところあるんですけど。
もともと自分のビジネスとしてこのビジネスを企画したわけじゃないんですよ。
もともと昔まだアングラネット業界にいた頃に知り合った人、
常吉さんという方がいて、宮崎の餃子王子って知られてますけど。
彼からある時連絡があって、僕が東京にいる時ですけど。
実は今俺宮崎にいるんだよねと。
宮崎で下田くんっていう若い事業家をサポートしていて、
その下田くんが宮崎にいながらにして東京のマーケットを取れるようなビジネスを作ろうとしてるんで、
三宅さんマーケットサイドいるから手伝ってって言われたんですよね。
それは面白いなと思って、テイメントで協力しました。
協力した時って上場した後の打息というか打勢をやっている時ってことですかね。
打勢と言い切ると当時の社長とかに申し訳ないんで。
思い出があまりない仕事をプリをしている期間みたいな感じですかね。
正直言うと自分の中でのモチベーションは結構冷めてきちゃってて。
次どうしようかなーを考えてるタイミングに。
はっきり言うとちょっと退屈してたっていうか。だからちょうどいいなと。
つよさんから連絡。つよさんはアングラ時代の知り合いなんですね。
そうです。
僕もうちょっと後のITの方へと思ってました。
その後も付き合い続けたんで、そっちでもいいです。
スタートはそっち。
スタートはそっちでした。
下から始まってるんですね。
下から始まってますけど、でも僕ほどアングラじゃなくて。
ソフトアングラぐらいですか。
ソフトアングラですね。
僕らは当時の付き合っていたクライアントの中でもっとも光の世界に近いところの会社に絡んでる。
だからクライアントと営業マンっていう立ち位置で知り合ってるんですね。
正直言うと僕は営業マン。で、クライアントの顧問だったんですよ。
だから相談役みたいな。コンサルみたいな。
そういう話は後で詳しく聞きます。
で、東京と宮崎をつなぐビジネスのそれを手伝い編で宮崎に関わる。
それが何年くらい前ですか?
それが7年前くらいですね。
それがちょっとアオアパ構想みたいな感じになっていった?
そうです。最初は下田くんの会社のビジネスとしてアオアパ的なものを考えた。
下田さんは今宮崎にいてあるんですか?
いるはずですね。僕もたまにですけどちょいちょいやり取りはしない。
で、それはやらなくなったんですか?
運ばなかったんですよね。運ばなくて。
なるほど。タイミングが。
どっちから買って、ゼロから買ってよくかみたいな。
そうすると、正式計算すると初期当社の回収コストが100年くらいかかるわけですよ。
これはちょっと事業者ないねと。
なので下田さんの事業としてはないなと。
一旦諦めようという話になったんですけど。
よく考えたら自分が半分社会実験的にやるには面白いサイズだなということで
じゃあ僕やりますと言って始まった。
なるほど。それが青島アパートネット。
僕はその青島アパートネットがもうできていた、出た何年くらいですかね?
2年?1年だったかな?ぐらいの時に多分移住センターに当時勤めていた黒木さんに紹介してもらって
三宅さんのところに行ったら、で行って三宅さんです。
だいぶ衝撃だったですけどね。初手三宅は結構衝撃だった。
今思えばアンクラーの領域とか奥行き深いなと思う。
そういう三宅さんですよね。現在地に来るまでで大方30分。
いやーちょっと僕も嫌な気がしてるんですけど。
いろいろあったんで。
なるほどね。じゃあちょっとこれ来週のテーマとしては
リモートワークの影響
もうちょっと今関わっている三宅をどんな感じにしたらいい感じになるかなみたいな話ができたらなと思うんですけど
作ってみて青島アパートネット。思ってた感じ通りなのか、思ってたのと違ってチューニングしていっていいのか。
もちろん細かいチューニングがたくさんあると思うんですけど、大きいところでズレとか、あーちゃうかったなとかってあったですか?
プランニングの段階ではターゲットをエンジニア、ウェブエンジニアにしてたんですよ。
それは理由があって、当時企画してた時コロナ前だったんで
リモートワークで金稼ぐって言ったらウェブエンジニアしかいないだろうみたいなところがあったんですよね。層としては。
ところが結果としてですけど、コロナ禍になってから会を開始してるんで、リモートワークで稼げる層が職種的にワーッと広がったんですよ。
マネージャー層とか。会議はオンラインで良くない?みたいな感じですよね。
ちょっと尖ってる系の大手IT系とか、そういう先進的な会社が割とそういう感じになって
そういう人たちは当然金も持ってるわけですよね。まだ結婚してない。そうだったりとか。
社務所とか結構あって、そういう中でも自分のライフ、ワークバランスじゃないけど
ライフの部分を実施させる。仕事も実施してるけどライフも実施させるぞみたいな人が来てくれる場所になったんですよね。
サーファー率って何パーぐらいですか?
8割ぐらいでしたね。
8割がやっぱりサーファーなんですよ。
ゴリゴリサーファーじゃないですよ。
朝一入って、あとは仕事前にサーフィンちょっとやりたいなみたいなぐらいの。
それこそ東松に勤めてます。コンサルやってます。年収は1,000万くらい。800万くらいあります。
という時に、ワークの部分はバリバリやるけど、ライフの部分も今まで我慢してたことをどんどんちょっと金かけててもやろうよっていう人たちですよね。
そういう人たちからしてみると、バリバリだったっていいし、サーフィンもやってみたかったからやるみたいな感じで、最初からコーチもつけてやるみたいな感じなわけですよね。
ゼロイチ体験からぐらいの人もいてるんですか?
そうそう。だから過去10何年やってきたとかじゃなくて、そういう状況になったからいろいろなことに対してダイナミックにチャレンジしようよっていう人たちですね。
サーファー以外の人は何で?
あとは例えばリモートワークができるんで、実家である例えば佐渡原とか宮古町とかに親の面倒を見なきゃいけないから最初帰ってみたんだけど、
意外と実家とリモートワークしにくいなってことに気づいて、スープの冷めない距離に属地の場所を作りたいみたいな感じですね。
なるほど。そういうその需要をね。
まあ思ってた大きい違いってそこが、それは思ってた違いというかコロナが操作した的な要素で、広がったんですよね。
そうですね。ただ。
マーケットが広がったみたいな感じで。
結果オーライみたいなところがあって。
そうですね。
ぶっちゃけ言うと当初想定していたエンジニアはやっぱり全然少なかったんですよ。マーケットとして。限りの中少なかったんですよ。びっくりするくらい。
地域活性化の取り組み
エンジニアとサーフィンっていう結構あの返りがあるイメージですね。
あるある。僕もあったんですけど、ただエンジニアの世界が大工の世界と一緒で、だんだんそのライブラリーみたいなのが出てきて、
いってみれば通売方向本みたいなのがバンバン出てきたわけですよ。
そうすると昔みたいなのを釘一本で家建てたるみたいなエンジニアがどんどん減って、
パタパタパタッとデザイナーとエンジニアの区別があんまつかないぞみたいな、そういう感じの人たちが増えてきてたんで、
こっちの層だったらサーフィンありかなって思ったんですよね。
で、それのトライをいきなり本番でやっちゃったみたいな感じですね。
だけど意外とやっぱりエンジニアはエンジニアだったっていう結論が出てきたって感じですね。
なんとなく現在地点のアオアパまではやってこれたんで、
僕は宮城さんを冒頭でも話しましたけど、
もやもやしているものを言語化したり、考えたりするのも好きなんだろうなと。
その考えた結果、仮説がこうだろう。
それが合ってるかどうかの検証をしたいから、今アオアパをやっているみたいな。
多分アオアパ規模がでかいですし、答え時間もかかると思うんですよ。
だけど、仮説考えて言語化して、仮説でやってみて修正みたいな、
そういうのを結構得意としている人なんだろうなって思ってるんですよね。
僕は宮城さんにいつも聞くのは、どうやったら楽しく生きれますかとか、
ひらたくと上司はどうやったらあれやねんみたいな話をいつも聞いているわけなんですけど、
今僕も宮崎に関わって、
僕は空き家活用とか空きビルとか、不動産と建築を絡めながら、
よくなっていったらいいよね、マネタリングしながらという立ち位置でやっています。
宮崎さんもとはいえ、宮崎よくなったらいいよねっていうことを考えているって話だったので、
来週はそこらへんの宮崎を、こんな打ち手があるんじゃないの?みたいなところを聞けたらなと。
ぜひぜひ。
今日は一旦終わりたいと思います。
ありがとうございました。