申し訳ないです。
いえいえ、とんでもないです。
よろしくお願いします。
福岡の勉強会のコミュニティに長くいらっしゃる方だったら、ムラジュンさんのこと知らない人いないんじゃないかなって思うんですけど。
いえいえ、そんなそんな、もう過去の人間ですよ、本当に。
でもコロナが経て、最近オフラインの勉強会とか含めてるじゃないですか。
そんな中で、エンジニアカフェで開催されてるイベントとかに最近行き始めた方もいらっしゃると思うんですよ。
会場に行ったら、ムラジュンさんがいることも多いと思うんですけど、一際目立つロン毛の怪しい兄ちゃんみたいな感じで。
本当ですよ。
あの人一体誰だろうみたいな人いると思うんですよ、きっと。
いや多いと思います。多いと思うというか、みんなそう思ってると思うので。
いや、絶対そうですよ。
だから今日はムラジュンさんってどんな人なんだろうねって聞いていこうかなって思ってます。
伝わるかな。
でも話した後、結果何者なんだろう、あのロン毛のおじちゃんってなりそうな感じがしますけど。
絶対分かってない人いますよ、たくさん。
いっぱいいますよね。いやいや、本当もう過去の人間なんでですね。
なんで過去の人間とか言うんですよ。
いやいや、本当に久々にこうやって呼んでいただいてお話をさせていただきます。
そうですね、話すの久しぶりですね。
いやこういう表っていうか、こういう場にもですね、久々。
なんかちょっとすいません、緊張してたら。
緊張するんですか、今さら。
しますよ、本当に。こう見えて。
なんか割と前に出て喋るとか、いろんな人と喋るみたいなイメージしかないので。
もう誰もいないから喋るっていう。
自分しかいない。
そういう人いないから。
もう誰かに任せられるんだったら、お願いできたらいいですけど。
だいたいそんなもんじゃないですか、コミュニティって。
まあね、確かに確かに。
今日こう話すにあたって、最初にあったのはいつかなって考えたんですよ。
そうそう。
めっちゃ前だろうな、きっとって思うんですけど。
そうですよね。
おそらくこれじゃないかなって思ったのが、勉強会が一つあって。
それが里県っていう勉強会があって、継続してると思うんですけど。
すごいですよね、これ。
たぶんその時に、ヌーラボさんが今のオフィスじゃなくて、移転する前のオフィスに開催されたと思うんですよね。
その時僕が一番最初に、里県っていう勉強会に一番最初に行ったときなんですよ。
その時のさんもいらっしゃって、そこで最初に会ってるはず。
そうですね、アテンドのURLを送っていただいたじゃないですか。
そもそもアテンド自体がめちゃめちゃ久々に僕とアクセスしたような。
アテンドってもうなくて、サービスクローズしてるんで、Webアーカイブで引っ張ってきたんですけど。
そういうことなんですね。
そう、見つけ出して。
すごいな、すごいですよ。もう記憶に正直ってないですよ。
だって2010年ですよ。
申し訳ないですけども、その間にもどれだけなんかいろいろやったかっていうあれで。
そうですよね。
ごっちゃになっちゃってて。すみません。でもたぶんそれぐらいだと思います。
これぐらいだと思いますよ。だから14年とかそんなもんだろうなと思って。
なりますね。いやほら、もうその14年っていう数字自体でもう過去の人。
やたら過去の人っていう。
14年ってすごいな。でもいやあっという間でしたけどもね。
でもたぶんその時にはこういうコミュニティのお仕事としてたぶんそういうことをやられたと思うんですよ。
そういうことをやる前に何をやってたかっていう感じなんですけど。
僕ですよね。
最初エンジニアなんですか。なんかそのあたりがちょっとわかってなくて。
そうですね。
会社に所属してたことは知ってるんですよ。プログラミングをやってたのは知ってるんですよ。
ただその時には会ってないんで、どんな感じだったのかなって思って。
そうですね。大学のときの就活のときが超氷河期って言われる時期だったんですよね。
僕とたぶん同じぐらいの世代だと思うんで。僕もたぶんに漏れず超氷河期で。
そうなんですよ。でも超氷河期っていうのを理由に就活をしなかったっていうだけなんですけども。
それは鼻からですか。
もう鼻からしてなかったですね。
凶心像だ。
いや、なんとかなるかなって。若いから。
あの時はまだ過去の人じゃなかったんで。
現役バリバリだって思ってたんで。何のかはわかんないけど、もう現役がありましたって思ってたんで。
でもなんとかなってるからな、今。
いや本当、皆さんのおかげですよ。本当に。
運だけは本当に負けないと思ってるんで、本当に。
そうですね、そのまま卒業して、プー太郎をやってましたね。
アルパイト、フリーター、今で言う。
そうですね、1年ぐらい本当にやってて。
でも1年なんですか。
1年で済んだのはラッキーですよね。
ただ漠然となんですけども、就職活動はしなかったんですけども、手に職は持ちたいなっていうのはあったんですよね。
ヤマスタ証券会社が本当になくなるっていう、本当に前代未聞のことが起きた時代だったんで、
手に職持って一人でも何か食べていけるっていうのが漠然とですよ。
別にその時にプログラミングとかITとか全然決まってたわけじゃなくて。
で、それだけを漠然と抱えてアルバイトをした時に、バイトの後輩の子が心配してくれて、
村上さん、その時はまだ村上さんだったんですけどね。
まだ村上さんだったんですけど。
村上さんこれからどうするんですかって心配してくれて。
で、僕も何も考えてなかったんで、どうしようかみたいな話をしたら、
その子がデジハリに行くって言ってたんですよね。
デジハリは知ってたんですよ。できた時から情報として。
あと幼馴染が実はちょっと先に入ってて、デジハリには入ってて。
ただ、自分が行くきっかけみたいなのが特になくて、
でもその後輩の子は心配してくれて。
心配してくれたから僕が相談したら、
僕行くんですけど村上さんどうしますって言われて、
じゃあ行ってみようかなと思って。
体験会行ったら目玉が飛び出るぐらい事故量が高くて。
僕はそんなイメージなんですよね。
そうなんです。全然無駄に高いわけじゃなくて、
ちゃんと質もあって高いっていうのは分かるんですけど、
大学卒業したてで働いていない時だったんで、特にそうなんですよ。
それで悩んだんですけども、手に職を持ちたいっていうのはあったんで、
これが一番いいんじゃないかなっていう、本当勘ですよね。
勘と運ですね。誘ってくれた。
あと幼馴染行ってたとか、いろんなものが重なってたんで、
じゃあお金はなんとかなるかなと思って、思い切って入ったっていうのがちょうどそうですね。
本当に就職してない時期でいうとその後のデジハレ期間中もやっぱりできてないんで、
正確に言うと数年してるかもしれないですね、その状態として。
ただそこで入ったのがまず僕の一つの大きなターニングポイントだったなって思ってますね。
そこからどんなことを学んだんですか?
まずですね、なんかウェブですね。ウェブというウェブサイト、ホームページを作るとか。
本当にCGIの世界ですよ。掲示板の世界で。
わかりますよね、懐かしい。
CGIで552とか書き込み権限を取ろうとしないと動かないとか。
はいはい。何とか言ってるかと思ったら、なるほどね。
それでウェブサイトのホームページを作るっていうのを学べるということで半年ぐらい。
正確に言うと5ヶ月ぐらいですかね、通ったのが本当にきっかけで。
その時に、ちょっと細かい話になっちゃうんですけど、ここ結構大きくて。
終わると卒業政策を作って、一応ちゃんと作って発表して。
終わると、デジタルって今もちょっとわからないんですけど、
当時はアシスタントティーチャーっていうTAっていう、
講師の方が教える、僕の時もいたんですけども、追いつかないんで手を動かさなきゃいけないからですね。
アシスタントさんがいてサポートしてくれるんですよね。
その募集を必ず終わると募集するんですよ、デジタル側が。
それをするのは、そうすることで卒業してもう一回学べるとか、
教えることで学ぶとかみたいなことができるような仕組みになってて。
それでダメ元で応募してみたら、
その時のデジタルのジムのスタッフさんが、
ありがたいことに僕を気に入ってくださった。
そこがもう一つのターニングポイントで、
多分そこで落ちてたら、僕全然まだスキルなかったから、
挫折してたと思うんですけども、
そこでもう一回アシスタントということで、
もう一回横に一緒に参加できるので、
もう一回学び直したりするんですよね。
それで結構良かったんですよね。
なんでかというと、僕デジ入られる時、
パソコンの電源の入れ方も分からなくて、
特にApple、Macとか分からなくて、
モニターの電源入れてしばらく待ってたんですよ。
そしたらさっきのアシスタントの方が、
これこっちの本体入れるとつかないよって言われたぐらいだったんで。
そうそう、それがすごいきっかけで、
そこからですね、いろいろとデジハリでも、
PHPとかプログラミング系も増え始めて、
それに参加させてもらって、
お金をもらいながら、働きながら学ぶっていうのをやらせてもらったっていうところが、
本当に業界の入り口でしたね。
もう20何年前、30年近いかもしれないですけども。
そんな前?
ベースがないんですよね。
だから不安になりますね。
だから、
大学でしっかり学んだとか、
どこかで学んだってことじゃないんで。
そのセットアップっていうか、
システム管理みたいなのをやって、
で、プログラマーの期間がありますよね。
はい。
それはその後ですか?
プログラマー、
システム管理の時代も、
プログラマーというか、
エンジニアとして入れられるんだったら、
その期間から、
31、2までやってた感じですかね。
そうですね。
あそこと違うとこにいた記憶があるんですけど。
あ、で、
システムエンジニアというのは、
システム管理をしてたんですけども、
やっぱりエンジニアとして、
やってみたいっていうのがあったので、
28とかだったかな。
28の時に、
デジハリを辞めて、
福岡の地元のエンジニアの会社に、
エンジニアを辞めて、
エンジニアを辞めて、
福岡の地元のエンジニアの会社に、
入ったっていうのが。
その時は普通のプログラマーとしてやってたんですね。
普通のプログラマーとしてやってたんですね。
そうですね。
そうですね。
身の丈に合わないような、
本当に当時は、
その会社さんは、
海外で有名だったところで、
入らせてもらったんですけども、
やっぱり立ち打ちできないですよね。
ポットレガみたいな。
それは当時の社長とかも、
分かってたみたいで。
分かってたみたいで。
ありがたいことに、
入社してすぐ東京に行かせてもらったんですよね。
28時くらいに入って、東京みたいな形で。
お客さんのもとで、
仕様の要件定義だったりとか、
SE的なこととかっていうのを、
直接僕がってわけじゃないですけども、
先輩についてやらせてもらったっていうのは、
本当に
大きな影響を受けたんですよね。
大きな影響を受けたんですよね。
やっぱりその後のコミュニティとか、
福岡の話にもなってくると思うんですけども、
やっぱり東京を
その時に行ったから、
地域の
地元の
地元愛じゃないですけども、
地域の
地元の
地元愛じゃないですけども、
そういうのも分かってきたり見えてきたり。
年齢的には30になると、
地元が
思い出に返されるみたいな感じなのもあって、
あのタイミングはすごく
ありがたいなって思っていますね。
お客さんのもとで
好きなことを
なかなか
やっぱりおぺいぺいができることではないので。
うん。
ただその時にもう一つ、
デスマッチにもあって、
これがきつかったんですよね。
一年ぐらいだったかな。
リリースしたのがなかなか
回らなくて
しかも、お客さんのもとに行ってたんで、朝から深夜というか、大変なことをしてて。
多分、今にして思えばですよ。その当時は別にそこまでひどいとは思ってなかったんですけど、ちょっと鬱になりかけてたんじゃないかなと思ってて。
本当に、井田橋、神楽坂、神楽坂の辺りから、これ言ったら大変かも。結構そこそこ大きい級なんですけど、バレるかもしれないです。
当時、上野の近くに会社が寮みたいに部屋を借りてくれてて、神楽坂から上野まで皇居を回って、歩いて帰ったりしてたんですよ。
もうなんか、真っ直ぐ帰りたくないみたいな。
でも、それがすごい。ずっとその後、今僕が自分で会社をやってるときにも、会社のメンバーとかスタッフさんにも言えることの一つとして、
そのときの経験がものすごく大きかったりして。あれがあったから、言えるようになった。思ってること、考えてることをきちんと言えるようになった。
言わないと本当に大変になるんだなって。それはお互いにですね。僕も言うけども相手も言ってもらうみたいな。その関係とかコミュニケーションがすごく大事なんだなっていうのは。
なるほど。大変な時期もあったんですね。
そうなんですよ。今見るとただのロン毛のおじさんにしか見えないんですけど、当時は本当にそういうこともいっぱいあってて。
そうですね。でもエンジニアとしての仕事とか、iPhoneも当時出たばっかりの、本当に。iPhoneの開発とかも、iPhoneを買いに秋葉原の淀橋に徹夜して並んだりした記憶も今にして思えばすごい良い思い出になってるんですけども。
会社で買うからみんな、買えるかわかんないからみんなで買いに行って。
開発用のiPhoneを確保するためにとかっていうような、全然エンジニアリングの話全くできてないんですけども、そういう形で。
31、2ぐらいまでそんなことをやってました。
それで東京から帰ってきて所属されてたところを辞められて、急に方向が違うことをやるんですか。
いや、そこら辺がまた説明すると長くなっちゃうんですけども、急にっていうわけじゃないんですよね。
4、5年行かせてもらって東京ですね。案件が一旦落ち着いたので、落ち着いたというか、僕に対するあれがなくなったのかわからないですけども、記憶がちょっとあれですけども。
福岡に戻ってこいっていうような形で福岡に帰ってきたんですよね。
その時に初めてコミュニティに触れるんですよ。東京の時には一切触れてなくて、福岡に行った時に、アイプカフェっていうスペースにみんなが集まってるみたいな話を聞いて、
たぶん金内さんとかが言ってるみたいな噂を聞いたかなんかで、誰かが言ってるっていう、集まってるみたいなのを聞いたんで、たぶん行ったんだと思うんですよね。ちょっと記憶が曖昧なんで。
そこに行った時にまたターニングポイントで、それまで他の人が知らないスキルを持つことが僕の給与の価値を上げるものだと思ってたんですよね、当時は。
だからわざわざスキルを共有するとかっていうのは頭になかった。なんでそんな不利益なことをするんだろうぐらいな感じ。当時それを考えた時に。その時は不利益とか思ってなかったんですけども。
でもコミュニティに参加した時に、みんな仕事忙しいのに徹夜して調べてきて、それを全然無料で別にお資源もなくみんなに共有して、そのあとガハハハって言って酒飲んでつまんで楽しそうにしてるっていう世界がここにあって、そこにものすごく衝撃を受けて、こんな世界があるんだって思って。
それで、そこの場とかそういったコミュニティに興味を持ち始めて、関係していくうちに、そこをやっているNPOAIPっていうところで、そこがITの教育をやってると。
まずそっちのほうがあったのかな。ごめんなさい、順序が逆になっちゃうかもしれないですけども。当時、日本もそれになってて。
それを受けて、それを僕のほうで担当になって、まだ雇用を目指した方、いわゆる職業訓練的な役割を持っていた人たちが、
それで思い出しました。ちょっとギャグだった。あいつがAIPカフェっていうのをやってるっていうのを聞いて、そこから僕の会社を受けて、
そこに行ったら、本当に価値観を変えるような世界があって、それをやっている場所がAIPっていう場所だっていう話で、
それがきっかけで転職したっていうのが。で、転職して、「じゃあ何する?」ってなった時に、僕の担当が、教育っていうよりも知識というか、
ITとコミュニティを掛け合わせた地域活性化だったんですよね。それを国の実証実験として提案して、国から実証実験の予算をいただいて、
そこにITと地域、コミュニティとかっていうのが全部重なって、急にツイッターですね、今ツイッターをやってるんですけど、
で、それからいろいろと今に繋がるような自治体サービスとか、いろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろ
急にっていうより、ITがまず一つ駆け足をなって、テクノロジーのエンジニアがひとつになって、そこからいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろいろ
運が良くて、本当に。たまたまそういう流れになって、そしたらSNSもさっき言ったように、
ツイッターXとかも流行ったりとか。
ちょうどそういう時期ですもんね。
あと、コミュニティとかっていうものが注目されて、コミュニティに集まる場所があるみたいなので、
すべてが追い風になって、僕は特にやってたわけじゃないですけども、わーい!みたいな感じで。
楽しいんですよ。仕事運転よりも、知らない人と出会うとか、知ってる人と出会うとか、
仕事に結びつくかなんて誰も言われてましたもん。コミュニティ何の役に立つの?って。
最初、場所やってて何の役に立つの?NPOやってて何の役に立つの?食べていけるの?とかっていうのは、
親戚一同どころか、もう誰にも言われてなかったんですよ。
でもそれも、さっきのデスマーチとか、
親戚一同どころか、もう誰からも心配されてましたもんね。
でも言う人はいたでしょうね。
はい、めちゃめちゃいて。
でもそれは、心配もしてくれてっていうのはわかってて。
でもそれも、さっきのネスマーチの件もそうですけど、
めちゃめちゃいい経験で。
でも僕は、これがすごいわけわかんないけど、このパワーがすごいある世界というか、
きっと何かにつながるだろうと思ってたら、それが少しずつ少しずつ仕事にもなっていったっていうのが、
本当に誰も彼もから言われてたことで、
でもちゃんとこうやってたら、信じてとか、やりたいことをやってるっていうのもあるんですけども、
それが本当に、社会が時代がっていうと偉そうになっちゃうんですけども、
まあ全部本当に、社会も時代も僕についてきたぜみたいなことは言えないんですけども、
でも本当に、信じれるようになったんですね。
自分のやってることっていうのは。それはすごく大きかったなと思いますね。
それぐらいみんなから心配されました。
だって僕も、ラジオさんと会って話とかしてたけど、
普段何やってるんだろうな、みたいな。
そうそう。
こういう活動をやってるのはわかるけど、
普段本当にこれでうまくいってるんだろうか、みたいなのは言わなかったけど、当時。
そうそう。大丈夫。心配しないでください。今もそう思われてます。
今も難しい。説明も難しいですけども。
今も思われてるんで、でもあんまりそこら辺は昔から変わんないんで。
いつも会ったら、割と元気そうだし、大丈夫なのか、みたいな。
そうですよね。しかも何かに忙しそうです。
そうそう。
何してるかわかんないのに何かに忙しそうっていう。
いけないですよね。本当そこは能力的なあれなんですけど、ちゃんとさぼけないと思うんですけど。
でも大丈夫です。元気に生きていってます。
さっき地域とITとみたいな話をされてて、前所属されてた会社から、さっき自分の会社みたいな話されてましたけど、
自分の会社を作って引き続き同じようなことをやってるんですかね、今は。
なんかですね、僕会社作りたいとか社長になりたいとかないっていうの一切なかったんですよね。
今でも特にあんまないです。
やってることきっと同じなんですよね。そんな変わってないんですよね。
えっとですね、ベースは変わってないんですけども、やっぱりNPOも僕が立ち上げたものではないんで、
僕の動きに合わせて変えられるっていうものでもなかったですし、
IT人材の育成っていうのが理念だったんで、
お仕事になってきた分野がそこに入らないっていうこともあって、
直接できないよねっていう話も出てきたのと、
あと、ここにも出られてる橋本さんとかと話してるうちに、
法人格を持たないと、お仕事もそうなんですけど関係性も築けないっていうことがあるから、
なんか一つ法人格を作ろうかみたいな話になって、
でもみんなメンバーは役職についてて、僕だけが役職なかったんです。ヒラーだったので。
じゃあとりあえずみたいな形でなったっていうわけで。
だから会社名も、特に僕全然思いがあったわけじゃないから、会社名とかも僕がつけたんじゃなくて、
橋本さんが、才能と最高どっちがいい?みたいに言われて。
そんなノリなの?
そんなノリですよ。当時LINEだったかFacebookだったかメッセンジャーのノリで、才能と最高どっちがいい?みたいに。
最高って面白いよねって。銀行で株式会社さんは最高様、最高様って言われたらおもろいよねって話になったんですけども、
でもそれって多分数回でまた飽きるよねって話になって。
才能っていう名前のほうが、人の関係性のほうが多いんで、いいんじゃないかっていう話になって、
じゃあ才能にしましょうっていうことになったっていうのが、名前と会社を起こした遊園というかですね。
当時の僕の上司の方がすごくありがたくて、会社を起こすのにやっぱり辞めないといけないなって思ってたら、
その当時の上司が別に辞めなくていいんじゃないかって言ってくださって、
今でいうと兼業副業的な。認めてくださったと思うんですけども、
ひょっとしたら当時の上司の方に聞いたら、別に認めてないけど勝手にやってただけだろって言われそうだけども。
でもその話はした記憶あるから、多分。
で、二足の藁じゃないですけども、やらせてもらってたっていうのは本当に最初の。
そうやって会社を作ったんですかね。
で、やってたことが、最初は別に案件があったわけじゃなくて、徐々にやってたことに近しいことが自治体さんがやり始めたっていうので、
スタートアップですよね。スタートアップの部分がすごく福岡市さんが取り組まれるっていうことで、
そこに縁があった僕たちがうまく、また追い風に。運だけは本当にいいんで。
それでお仕事がいただけるようになって、っていうような形で今に至る。
今話に出た福岡市さんの件ですけど、エンジニアフレンドリーシティ福岡っていうのがあるじゃないですか。
これは一体何っていうか、めちゃめちゃふわふわしたもののイメージがあるんですけど。
これがっつり関わってるんですか。
そうですね。関わらせてもらってますね。
スタートアップ支援をやってたときに、さなかにエンジニアの支援も福岡市さんがされるっていう話になって、
やっぱり元のルーツはエンジニアだし、エンジニアコミュニティが好きだし、エンジニアが好きだしっていうことで、
関わりたいと思って、がっつりと絡ませてもらえるようになってるっていうんですけども。
エンジニアフレンドリーシティ福岡はテーマに、
エンジニアが集まる活躍する成長する町福岡ってついてて、
このテーマってすごくわかりやすくてすごくいいテーマだなと思うんですけども、
本当に言葉通り、エンジニアが優しい町づくりをしていこうっていうのは大きな取り組みの根源にあって、
それに連なるものであれば、何でもしていきましょうっていうのが、
エンジニアフレンドリーシティ福岡っていうものになります。
具体的にやってるものとしては何があるんですっけ。
そうですね。
エンジニアフレンドリーシティ福岡で立ち上がった後に、
エンジニアさんと福岡市さんで話し合いをして、
希望が一番立ったのが今関わらせてもらっているエンジニアカフェという場所ですね。
作業したりイベントしたり勉強会したり、いろんなことができる場所があるということで、
福岡市さんがそういった場所を一緒に。
勉強会とかそういうイベントをやろうとしたら場所が難しいので確保するのが。
そうですね。
一緒にコミュニティーやってる知り合いのエンジニアの会社さんを借りる、
みたいなことしかなかったわけじゃないですか。
そうなんですよね。
なかなかいつも借りれるわけじゃないし、いつもいつも借りるのは申し訳ないし、
そこは非常に難しいところがあったと思うんですよね。
あともう一つは本当に大人な事情で、
やっぱりあの会社の場所には行きにくいとか、大手を振って行きにくいとか。
どうしても個人は別にみんな何も関係ないんですけども、
なかなか凶悍するようなところの技術とかを行きにくいとかいうのもあって、
でも行政がすると、僕はすごくいいなと思ってるのは、
行政がすると無色透明で公平に平等になるんで、
誰が何を基本、鋭利なものは難しいんですけども、
逆に言うとそこに対しての色がないんで、
誰もがやりやすいっていうところはすごくいい特色だなと思っててですね。
エンジニアカフェの話はしたいんですが、
エンジニアカフェ以外でやってることって何かあるんですか。
今は福岡市さんだけじゃなくて、長崎県さんとも関わらせてもらっていて、
長崎県さんのスタートアップ支援ですね。
スタートアップエコシステムの構築とか拡大とかみたいなことができたらっていうところでお声掛けいただいて、
今年で4年目になるので、
もうそんな長くやってるんですね。
なりますね。コロナ禍で始まらせてもらっていて。
ってことですよね、4年だと。
はい。本当にしょっちゅう長崎の方にも行かせてもらっていて、
そっちはスタートアップがメインになってるんですけども、
エンジニアではなくてスタートアップがメインになってるんですけども、
そういったこととかを主に会社としてはやらせていただいているというところですね。
こういう行政と一緒にどこかの会社が、
こういったITを軸にしたエンジニア活性とか地域活性みたいなことをやってる取り組みって、
福岡市のほかに今長崎県の話もありましたけど、
他の地域ってこういうのってあるんですか、広がってるんですか。
なかなかないんですよね。
本当にスタートアップの時は一気にできていったんです、広がっていったんですよ。
本当に一気にですね。
でもエンジニアは本当に支援というのがなくて、
ただ最近ですね、去年あたりから札幌市さんがエンジニアの支援の取り組みを始められていて、
そこら辺がですね、やってないことはないと思うんですよ。
他にもね。
エンジニア支援をされてることはされてると思うんですけど、
エンジニアフレンドリシティ福岡、
エンジニアカフェのような動きっていうところは、
最近で言いますと、札幌市さんは去年から取り組まれてるっていうのはお聞きしています。
それでこのBotCastの97回と102回に出てもらった、
札幌エンジニアベースの運営をされてる西村さんが話されたのが、
福岡市さんを参考にしてまして、みたいなことを言われてて、
結構勉強をされてたみたいですよ。
ありがたいですね。
勉強ってないじゃないですか。
コミュニティ感でさっきの話じゃないですけど、
僕はすごくいいのがオープンマインドですね。
オープンソースっていうのが本当に先ほどの一番衝撃を受けた世界だったので、
そう言ってくださるのはありがたい、嬉しいんですけども、
オープンマインド、オープンソースでお互いに一緒にできればなーっていうのは、
僕たちも思っています。
嬉しかったですね、僕は本当に。
僕も嬉しくて、
北海道に縁あってイベントで行って、西岡さんとお会いして、
そしたらそういう話が出てきたので、
エンジニアフレンドリーシティ福岡の話が出てきて、
ブラジルさんっていうのがいまして、みたいな話があったら、
そうそう、会いに行くんですよ、みたいな話をされてて、
そこで繋がるってすごいなと思って。
そうなんですよね。
だからもっともっと他にも一緒できるところがあると、
今みたいな嬉しいことがいっぱい起こるので、
本当はもっともっと一緒できるというのは思っているんですけど、
今のところは札幌さんぐらいかな。
話をちょっと戻しまして、
エンジニアカフェなんですけど、
エンジニアカフェとはっていうところをまず、
どんな場所?
エンジニアフレンドリーシティを、
さっき言ったテーマを具現化するというか、
実現するリアルな場所っていうところで、
掲げてるのはエンジニアの聖地にしたいっていうところで、
エンジニアやエンジニアコミュニティを主にサポート、
支援する施設っていうところが目的と位置づけとなっています。
何というかすごい特徴的な場所ですよね。
そうですね。
主にソフト面とハード面でサポートをさせていただいていて、
ハード面が作業ができる環境であったり、
イベント勉強会ができる環境とかになって、
ソフト面がレガシーなものから最先端なものまで、
そういった環境ができる環境であったり、
そういった環境ができる環境であったり、
実際にサポートしていただくところから、
多くの社会の人のエキスコミュニティの人材を使っていただくというのが、
実際のセンターとかの環境になってくるというところで、
持ち込みでいろんなエンジニアさんやエンジニアコミュニティさんたちが 勉強会イベントをしているっていう
一般のIT勉強会コミュニティが利用する場合って 何をどうしたらいいんですか
普通にエンジニアカフェで調べてもらって エンジニアカフェのウェブサイトから
問い合わせていただければ あとは我々スタッフ
あとそのコミュニティマネージャーとかがいますのでが 全てこう
じゃあどういう使い方だったらできますよとか あとその
なんていうんですかね やっぱり先ほど言ったように公共性が高いので
エイリーなことは難しいんですけども でもエイリーなことだからといって断るというわけでもなくて
いきなり無動産に断るだけじゃなくて うまく公共性を持ってるような形にできないかっていうことを
こちらから相談させてもらったりとか そうすることでより幅の広く
使ってもらえるようなことに努めてるつもりですので
なんかやりたいなとかやってみたいなっていう方はですね まずは問い合わせてもらえるといいのかなと思っています
今ちらっと出たんですけど コミュニティマネージャーってどういう立場の人なんですか
コミュニティマネージャーはですね 基本的に 全員なんですけども
基本的にエンジニアリングが分かるスタッフさんで 体制を組ませてもらってるんですけども
その中でもコミュニティマネージャーは その分野に経験者であったりとか
たけている方であったりとかっていう方が 並べているんですけども
それはなぜかというと 今言った対応だけじゃなくて 相談もですね
例えばエンジニアになるためにはどうしたらいいかとか 何をしたらいいかとか
あとはエンジニアリングそのものの相談ですね 自分がこういったものを作りたい 作っていて
どういったスキル 今こういうプログラム ソースを変えていて
なんかちょっと詰まってるとか エラーが出てるとかあると そのサポートも
そこのサポートまでもしていて 先ほど言ったイベントのサポートとか
あらゆることのサポートができるスキルを持った方たちが コミュニティマネージャーとして
場の運営 そのエンジニアカフェそのものの運営だけじゃなくて
そういったサポートもしてくださっているのが コミュニティマネージャーという方たちの
普段やってされていることになります