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2025-08-28 24:40

159岡本綺堂「怪談一夜草紙」(朗読)

159岡本綺堂「怪談一夜草紙」(朗読)

モヤモヤする話しです。

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サマリー

岡本綺堂の「怪談一夜草紙」は、祟りの噂が広がる屋敷に住む浅井親子の日常を描いた怪異物語です。物語は、彼らの生活と周囲の人々の恐れから始まり、予想外の出来事へと展開します。また、ある晩、裏口と表口から姿を消した男女の謎が描かれています。町内で語られる不思議な噂が広まり、さらなる怪談とおかしな真相が明らかになります。このエピソードを通じて、怪談や心霊現象にまつわる謎が描かれています。

怪談の導入
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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そして最後に、まだというそこのあなた、ぜひ番組のフォローをよろしくお願いします。
さて、今日は
岡本喜童さんという方の
「階段一夜造詩」というのを
読もうかと思います。岡本喜童さんを初めて読みますね。
岡本喜童さん。
劇作家でもあり、小説家でもあり、翻訳家でもある岡本喜童。
古今東西、あらゆる題材を取り扱い、完成度の高い作品を数多く世に送り出した。
中でも江戸舞台にした反七取物帳シリーズが有名ということだそうです。
そのうち読みたいなと思いますが、結構ボリューム、このシリーズのね、
数が多そうなので、まぁいつか取り掛かるにしても、ちょっと先になりそうかなと思います。
まだまだ読んでない有名な作品が多いのでね。
夏目漱石の心も読んでないし、座財王様の遮陽も読んでないし、
猫が遠くで鳴いている。
今日読む怪談一話雑誌ですが、
住むとたたられると噂の屋敷で起こった怪事件、その真相は何か、推理しながら進めると面白い。
結果的に説明のつかない点は残るものの、それがまたいいし、後味が悪い点も個人的には良いというレビューがついています。
どうなんでしょうか。怖いのかしら。
気味が悪いのかしら。
気味が悪い感じで読んだ方がいいですか。
文字数は8600文字なので、30分はかかりますまい。
といったところですね。
結構古い人っぽいですね。
休暇の使いじゃないからなんとか読めるかな。
それではやっていこうと思います。
どうか寝落ちまでお付き合いください。
それでは参ります。
浅井家の伝説
怪談一話雑誌
1
おふくさんという老女は語る。
私のような年寄りに何か話せとおっしゃっても、今時のお若い方々のお耳に入れるような珍しい変わったお話もございません。
それでも長い間には自分だけには珍しいと思うようなことがないでもございません。
これもその一つでございます。
私が17の年。文休2年でございます。
その頃私の家は本郷の仙台坂下町、どなたもご存知のヒク人形で名高い団子坂の下で小さな酒屋を開いていました。
昔はあの坂に団子を焼いている茶店があったので団子坂という名が残っているのだそうでございます。
今日とは違いまして、その頃の根津や駒込あたりはずいぶん寂しいところで、私どもの住んでいる坂下町には小笠原様の大きいお屋敷と妙蓮寺というお寺と
おはた元屋敷が7、8軒ありまして、その墓は町屋でございましたが、団子坂の近所には植木屋もあれば百姓の畑地もあるというようなわけで、
今日の郊外よりも寂しいくらいでございました。
その妙蓮寺というお寺の前に浅井壮英門という浪人のおぶけが住んでいました。
何でも欧州の白川とか日本松とかの範疇であったそうですが、何かのことで浪人して7、8年前から江戸へ出てきて親子2人でここに棚刈りをしていました。
壮英門という人はその頃44後で、ご親像には千年死に別れたというので独身でした。
一人息子の与一郎というのは20歳ぐらいで色の白い大人しやかな人でした。
浪人ですからこれという商売もないのですが、近所の子供たちを集めて読み書きを教えたりして、いわば手習い師匠のようなことをしていました。
もちろんそれだけでは立つ気が立ちそうもないんですが、いくらかたくわいのある人と見えて無事に7、8年を送っていました。
お父さんは根酒のいちごぐらいを毎晩欠かさずに飲んでいました。
この親子の人たちが初めてここへ越したときは、私もまだ子供でしたから詳しいことはよく知りませんでしたが、近所の者はこんな噂をしていたそうです。
あの人たちも今に驚いて立ちのくだろう。
それには司祭のあることで、その家の住む人には何かの祟りがあるとかいうので、5、6年の間に10人ほども変わったそうです。
中には一月も経たないうちに早々立ちのえてしまった人もあるということでした。
一体どんな祟りがあるのか私もよく知りませんが、ともかくも5、6年の間にその家からお葬式が3度出たのは私も確かに知っています。
浅井さんの親子もそれを承知で借りたのです。そんなわけですから、家賃は無論安かったにそう言いありません。
家賃の安いのに掘り込んであんな化け物屋敷のような家へ住み込んでは、いくらおぶけても今に驚くだろうとみんなかげて噂をしていたんです。
世の中に物のたたりなどあろうはずがない、と曹縁門という人は笑っていたそうです。
もっともこの人は顔に黒アバターのある大柄な男で、見るからに強そうな浪人でしたから、全く物のたたりなど恐れなかったのかもしれません。
論より証拠で、今に何事か起こるだろうと噂されながら、浅井さんの親子は平気でここに住み通していたんですから、悪い噂も自然に消えてしまって、近所の人たちも安心して自分の子供を稽古にやるようになったものです。
7年も8年も無事に住んでいる以上、全く曹縁門さんの言う通り、世の中に物のたたりなどはないのかもしれない、と私の両親も時々に話していました。
宴の晩の不思議な出来事
そうすると、今までの人たちはなぜむやみに立ち退いたのでしょう。
大方近所の噂を聞いて、ただ何となく気味が悪くなって、目にも見えない影に驚かされて、早早に逃げ出したのかもしれません。
お葬式が3度出たのも自然の回り合わせなのかもしれません。今の人なら無論にそう考えるでしょう。
昔の人もまあそんな風に考えてしまったんでございます。 浅井さんも最初は手習いの師匠だけでしたが、後には剣術も教えるようになりました。
別に道場のようなものはないんですが、浦の空き地で野天稽古をするので、私どももたびたび見に行ったことがあります。
その頃は江戸ももう末で、世の中がだんだんに騒がしくなってきたもんですから、町人でも市内などを振り回す者もできて、浅井さんにお弟子入りをしている若い衆が10人ぐらいはありました。
さてこれからが本文のお話でございます。 最初に申し上げました文究2年。
この年はお正月の元日に大雪が降りまして、それから毎日風が吹き続けて方々に火事がありました。
正月のみそかには小石川さしがや町から火事が出て、私どもの近所まで焼けてきました。
その春から上野の中道が大衆禅の工事に取り掛かりましたので、お花見さしとめというわけでもありませんでしたが、大抵は遠慮して上野のお花見には出ませんでした。
向島にはおぶけの乱暴が流行りまして、酔った紛れにぬき身を振り回す者が多いので、ここへも女子どもは迂闊に出られません。
その上に辻斬りが流行り、押し込みは多い、誠に物騒な世の中で、私どものような若い者は何が何やら無我夢中で、ただただ嫌な世の中だと怯え切っていました。
ところがまたそういう時節がもっけの幸いで、 今日で申せば失業者の老人たちがいろいろな方面へ召し掛かえられてご縁にありつくことにもなりました。
浅井さんもその一人で、一旦老人した旧藩主のお屋敷へ帰参することになったので、お父さんも息子も大喜び、近所の人たちもおめでたいと言って祝いました。
続いては、長年お世話になったお礼も申し上げたく、心ばかりの宿縁も開きたいと存ずるから、ご迷惑でもお越しをお願いたい。
こう言って浅井さんは普段婚姻にしている近所の人たちを招待しました。 家が広くないので招待を二日に分けまして、最初の晩は近所の人たちを集め、次の晩は県術のお弟子たちを集めることにしたのです。
私の父も最初の晩に招かれまして、主人も満足、客も満足、みんながおめでたいを繰り返して機嫌よく帰ってきました。
さて、その次の晩に不思議な事件が出来したのでございます。
2. それは5月の若葉の暗い晩で、時々に細かい雨が降っていました。
一方は高台で、近所には森が多いので、若葉の茂っているこの頃は月夜でもずいぶん暗いもんですから、こんな晩はなおさらなことでございます。
浅井さんの家には住人ばかりの若い衆が集まりました。 何しろ親かお二人の男世帯で、女の手がないんですから、こんな時には応急事にも困ります。
そこで、近所のお豊さん、お住さんという娘二人が手伝いに頼まれまして、夕べも今夜も詰めていました。
お料理は近所の仕出し屋から取り寄せたんですが、それでも10人からのお客ですから、お座敷と台所等を掛け持ちで、お豊さんもお住さんもなかなか忙しかったんです。
若い人たちばかりが集まったんですから、今夜はなおさら賑やかで、だんだんお酒が回るにつれて陽気な笑い声が表までも聞こえました。
そのうちに、主人の浅井さんがこんなことを言い出しました。 月日は早いもので、私がここへ来てから足かけ8年になる。
世間の噂では、ここの家には何かのたたりがあるという、それを承知で引き移ってきたのであるが、その後に一度も怪しいことはなかった。
私もせがれも、これという病気にかかったこともなく、災難に出会ったこともなく、無事に年月を送ってきた上に、今度は計らずも元の主人の屋敷で寄贈が叶うようになった。
私にとってはこんなにめでたいことはない。 最初に誰が言い出したのか知らないが、ここの家にたたりがあるなどというのは嘘の川で、
たたりどころか、かえって福の神が宿っていると言ってもいいくらいだ。
不思議な失踪
浅井さんもめでたい席ではあり、今夜はいつもよりお酒を過ごしているので、自分の言ったことに間違いのなかったのを誇るように、声高々と笑いながら話しました。
聞いている人たちもみんな口を揃えて、大勢の通りと笑っていました。 これで無事に済めば全く大勢の通りですが、
主人も客も面白そうに飲み続けて、今夜もやがて四つ、午後十時に近いかと思うころに、
裏口の扉をトントンと軽く叩く音が聞こえてきたので、座敷にお休じをしていたお住みさんが台所の方へ出ていきました。
続いて裏の扉を同じようにトントンと軽く叩く音が聞こえたので、今度は息子の代一郎さんが出ていきました。
裏も表もひっそりして、その後は物音も聞こえません。 お住みさんも代一郎さんもそれぞれ帰ってこないので、他の人たちも不思議に思って、
二、三人がバラバラと立って表と裏へ出てみると、外は一寸先も見えないような真っ暗闇で、
そこらに人のいるような気配もないのです。 いよいよ不思議に思って、内から火をとって出てみましたが、やはりそこらに人の影は見えないのです。
はて、どうしたんだろう。 みんなも顔を見合わせました。
はじめに裏口から出た青住さん、次に表へ出た代一郎さん。 どっちもそのまま行方不明になってしまったのですから、みんなが不思議があるのも無理はありません。
一体裏と表の扉を叩いたのは誰でしょう。 二人はどこへ行ったのでしょう。
この場合、そんな詮疑をするよりもまず、その二人の行方を探す方が近道ですから、五、六人の若い衆が調鎮を照らして裏と表へ駆け出しました。
年の若い人たちは普段から剣術でも習おうという人たちですから、小雨の降る暗い中をみんな急いで出かけたのです。
出ては見たが見当がつかない。 思い思いに右と左に分かれて、あてもなしにそこらを呼んで歩きました。
お住みさん、お住みさん。 代一郎さん。
その声に驚かされて近所の人たちも出てきました。 私の店のものなども出て行って一緒になって探し歩きましたが、二人の行方はどうしても分からないので、
どの人もただ不思議だ不思議だというばかりで、なんだか夢のように狐にでもばかされたような、わけがわからないような心持ちになってしまったのでございます。
お住みさんは町内の左官屋の一人娘でした。 お父さんの陶吉というのは相当に腕のある職人で、弟子二人と小僧一人を使い回して、別に不自由もなく暮らしているのでした。
お住みさんは今年16で、浅井さんへ手習いの稽古に来ていた関係から、昨夜も今夜も手伝いに来ていたのです。
おっ母さんはおときと言って普段から秒針の人でした。 不思議とは言いながらも、こうなると誰の胸にもまず浮かぶのは代一郎さんとお住みさんとの関係です。
若い同士の間に何かの縁が結ばれていて、屋敷へ帰産がかなうことになれば二人は会うことができない。
毎日奥に詰めにみれもなれば一生の縁切れです。 そこで二人が相談して駆け落ちをした。
とまあ考えられるのですが、それならば今夜のような時を選ばずとも、もっと都合のいい折があったろうと思われます。
いかに年が若いと言っても二人とも子供ではなし、駆け落ちを決心した以上は相当の支度をして出るはずです。
この雨の降る晩に着替えの一枚も持たずにどこへ飛び出したんでしょう。
そう考えてくると、二人の駆け落ちも少しく理屈に合わないように思われます。
さりとてまさかに心中するほどのこともありますまい、二人の家では別々に考えていいのか、一緒に結びつけていいのか、それが第一の疑問です。
もう一つの疑問は裏口の戸を叩いたのは誰であるか、表の戸を叩いたのは誰であるか、それも一人の仕業か、別人の仕業か。
一個に見当がつかないのでございます。
怪談の広がり
夜が明けても二人は帰ってきませんので、騒ぎはよい大きくなるばかりです。
今日も細かい雨が時々に降り出して、なんだか薄暗い陰気な日でした。
その日の昼頃に、私の店の若い者がこんなことを聞き出してきました。
三崎町の大仙寺というお寺の那須書が、段下の法要に呼ばれて帰る途中、ちょうどその時刻に、咲かした街を通りかかると、
夜中の方角から10か11ぐらいの女の子が長い振袖を着て、織からの小さめにそぼ濡れながら歩いてくるのに出会いました。
この夜更けに小さな女の子がどこへ行くのかと振り返って見送っていると、その姿は浅井さんの家のあたりで見えなくなってしまったというのです。
もちろん前にも思う通りの暗い版ですから、その子の姿が消えてしまったのか、闇に隠されてしまったのか確かなことはわかりません。
那須書の方でもそれほど不思議にも思わないので、そのまま行き過ぎてしまったのですが、今朝になって浅井さんの一見を聞いて、
もしはその女の子が戸を叩いたのではないかと言い出したんです。 若い者の報告を聞いて、私の父は首をかしげていました。
坊さんなどというものは、都閣にそんな怪談めいたことを言いたがるものだからな。 本当か嘘かわからない。
しかしそれを聞いたのは私の店のものばかりではないと見えて、その噂がたちまちに近所に広がって、駆け落ちの噂が一種の怪談に変わりました。
やっぱりあの家にはたたりがあったんだ。今まで何事もなかったが、浅井さんがいよいよ立ち退くという間際になって不思議のたたりが起こったのだ。
息子の与一郎さんはともあれ他人のお住みさんまでがどうして巻き添えを食ったのでしょう。 お住みさんまでがなぜたたられたのでしょう。それが飲み込めない。と私の父はやはり強情を張っていました。
父がいくら強情を張ったところで、二人が行方不明になったのは争われない事実で、駆け落ちか怪談か、二つに一つと決めるより他にないのでございます。
前後の事情から考えると、一途に駆け落ちとも決められず去りとて怪談も疑わしく、みんなもその判断に迷ってしまったのです。
3 それについてお父さんの浅井さんの意見はと尋ねますと、最初は何もわからんと言っていましたが、姉妹にこんなことを打ち明けたそうです。
大戦時のナッショ画を見たという、年の頃は10か11で長い振袖を着た女の子。 実はそれについて少しく心当たりがないでもない。
私がここへ引き移った日の夕方に、それらしい女の子が裏口から家を覗いていたことがある。
大方近所の子供であろうと思っていたが、その後ここらにそんな子の姿を見かけたことはなかった。
私もそれぎりで忘れていたが、今度の話で思い出した。ナッショ画であったという怪しい女の子は、どうもそれであるらしい。
こうなると、確かに階段です。 尾住さんのお父さんの陶吉は、大事の一人娘が行方不明になったのですから、職人たちと手分けをして、
きちがいまなこで心当たりを探し歩いて、あくる日の夕方にがっかりして帰ってくると、右の階段です。
かわいそうに。お父さんはいよいよがっかりして、顔の色も真っ青になってしまいました。
真相の発覚
さなきらに病身のお母さんは、どっと床につくという始末です。 尾住さんと一緒に働いていた太陽さんも、その話を聞くと震え上がって、これもにわかに気分が悪くなって寝込んでしまいました。
雨の降る晩に、長い振袖を着た女の子が塔をたたきに来て、若い男と女とを誘い出していった。
寄れば触ればその噂で、何のたたりか知りませんけれども、朝日さんもとうとうたたられたということに決まってしまいました。
今まで近所の評判も良く、このさらに今度の帰産を祝っている最中にこんな騒ぎができましたものですから、町内の人たちも一層気の毒に思いましたが、こういう階段には何とも手のつけようがありません。
今まで高原を這いていただけに、近所の手前めんぼくないと思ったのかもしれません。朝日さんは誰にも無断で、その晩のうちにどこかへ立ち去りました。
家財はそのままに残してあって、机の上にこんな置き手紙がありました。
前略、この度は意外の境地でき、御町内中を騒がせ申候なり、何とも申し訳もなくこれなり候。
とりわけて、東吉殿にはお気の毒に存じ候。
ついては、その後の戦議捕まつりたく存じ候えども、何分にも帰産の日限切迫致しおり候まま、その意を得ず候こと至極残念に存じ候。
少々の課罪、そのままに捨て置き申候間、よろしくお取り計らい下さりましたく候。
曹操 麻衣 曹衛門 5月16日 御町内音中
今日と違いまして、その当時のことですから、お話はこれでおしまいです。
しかし、会談の噂はなかなか消えないで、
夕べも振袖を着た女の子を見たものがあったとか、どこの家の戸を叩かれたとか、いろいろなことを言いふらすものがあるので、
気の弱い私どもは日が暮れると外へも出られず、雨の振る場などは小さくなってすくんでいるくらいでございます。
その噂を聞き込んだのでしょう。
それから4、5日の間に、おかっぴきの親分が手先を連れてこの町内へ乗り込んできました。
町内の人たちから詳しい話を聞き取って、そのおかっぴきは舌打ちをしました。
ちくしょう、風邪をくらって鷹飛びしちゃった?
だんだん聞いてみると、なんとまあ驚いたことには浅井という人は浪人上がりの強盗だったのだそうです。
これにはみんなもあっけんにとられました。
そういえば、浅井はあまり人相の良くない人でしたが、
息子の代一郎という人は色白のおとなしそうな顔をしていながら、親子連れで切り取り強盗を働いていたのかと思うと、実に二度びっくりでございました。
まったく人は見かけによらないものです。
それでもよほど上手に立ち回っていたと見えて、その悪事が久しく知れずにいたのですが、
何かのことから足がついて、その頃は自分たちの体が危なくなってきたので、親子は相談の上で怪談を仕組んだらしいのです。
怪談の仕組み
元の屋敷へ帰参などはもちろん嘘で、夜逃げなどをしては人に怪しまれると思ったからでしょうが、なぜそんな怪談を仕組んだのでしょう。
お画壁の人たちの鑑定では、おそらく大住さんをかだわかす手段であったろうというのです。
大住さんと代一郎と関係があったかなかったかわかりませんが、
もし関係があったならば、誘い出す方法はいくらもありました頃から、
多分は無関係で、行きがけの妥賃に大住さんか太陽さんかを引っさらっていって、
どこかの宿場女郎にでも売り飛ばすつもりであったろうと言うんです。
裏口の戸を叩いたのはアサイの仲間か手下で、
何心なく出て行ったお住さんに猿靴はでもはめて担ぎ出したんでしょう。
太陽さんの方は運よく助かったわけです。
代一郎までがなぜ出て行ったかわかりませんが、
お住さんを遠いところへ連れて行くのに一人ではちっと手に余るので、その火星に行ったのかもしれません。
何しろただの家出では戦議がやかましいので、こんな怪談めいたことを仕組んで、世間の人たちを迷わせようとしたんでしょう。
大戦時のナッショがその晩に怪しい女の子を見たというので、
これも辞謝方の調べを受けましたが、ナッショがこんなことを言ったために、
いよいよ怪談と決められてしまったわけですが、
ナッショは確かに見たというだけのことで、
アサイの意見には何の関わり合いもないことがわかって、そのまま無事に返されました。
したがってその振袖の女の子の正体はわかりません。
アサイも振袖の女の子のことなどを最初から考えていなかったのでしょうが、
そんな噂が広まったのを幸いに、
とうざの思いつきで、実は引っ越しの日の夕方になぞと、
いよいよものすごく持ちかけたんでしょう。
今の人間ならば容易にその手に乗らないでしょうが、
何と言っても昔の人たちは正直であったと見えます。
かいすがいすも気の毒なのはオスミさんの親たちで、
おっかさんはそれから一年ほど寝ついたままでとうとう死んでしまいました。
アサイ親子はそれからどうしたか知りません。
欧州筋で飯取られたとかいう噂もありましたが、確かなことはわかりませんでした。
それから3、4年の後に、
オスミさんは日光近所の宿場所漏に売られているという噂を聞きましたが、
これも噂だけのことで、本当のことはわかりませんでした。
諸説や芝居ならば、アサイ親子の取り物や、
オスミさんの行く末や、いろいろな面白い場面があるんでしょうが、
実力は龍頭蛇人でも申しましょうか。
その結末がはっきりしないのが残念でございます。
どうもご退屈さまで。
謎の結末
2003年発行。川で処方針者、川で文庫。
軌道随筆。江戸の言葉。
より独了。読み終わりです。
誰が扉を叩いたんですかね。
気になりますね。
終わりにしよう。
無事に寝落ちできた方も、最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで、今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
24:40

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