行くところまで行かなければならないと、ひそかに上京の心自宅を始めた途端に、お母様の御様子がおかしくなったのである。
一夜ひどいお咳が出て、お熱を測ってみたら三十九度あった。
今日寒かったからでしょ、明日になれば治ります、とお母様はせき込みながら小声でおっしゃったが、私にはどうもただのお咳ではないように思われて、明日はとにかく下野村のお医者に来てもらおうと心に決めた。
あくる朝、お熱は三十七度に下がり、お咳もあまり出なくなっていたが、それでも私は村の先生のところへ行って、お母様がこのごろにわかにおよわりになったこと。
夕べからまた熱が出て、お咳もただの風邪のお咳と違うような気がすることなどを申し上げて、御診察をお願いした。
先生は、では後ほど伺いましょう。これは頂き物でございますが、とおっしゃって、大節間の隅の戸棚から梨を三つ取り出して私にくださった。
そして、お昼少し過ぎ、白ガソリンに夏バオリをお飯になって診察にいらした。例のごとく丁寧に長いこと、聴診や打診をなさって、それから私の方に真正面に向き直り、
ご心配はございません。お薬をお飲みになれば治ります。とおっしゃる。
私は妙におかしく笑いをこらえて、お注射はいかがでしょうか。とお尋ねすると、真面目に、
その必要はございませんでしょう。お風邪でございますから、静かにしていらっしゃると間もなくお風邪が抜けますでしょう。とおっしゃった。
けれども、お母様のお熱はそれから一週間経っても下がらなかった。
咳は治まったけれども、お熱の方は朝は七度七分くらいで、夕方になると苦動になった。
お医者は、あの翌日からお腹を壊したとかで休んでいらして、私がお薬をいただきに行って、
お母様のご容態の思わしくないことを看護婦さんに告げて、先生に伝えていただいても普通のお風邪で心配はありませんというお返事で、水薬と産薬を下さる。
直寺は相変わらずの東京出張で、もう十日余り帰らない。
私一人で心細さの余り、和田のおじさまへ、お母様のご様子の変わったことを歯垣にしたためてく知らせであった。
発熱して、かれこれ十日目に村野先生がやっと腹具合がよろしくなりましたと言って診察しにいらした。
先生はお母様のお胸を注意深そうな表情で打診なさりながら、「わかりました、わかりました。」とお叫びになり、それからまた私の方に真正面に向き直られて、
お熱の原因がわかりましてございます。左肺に心順を起こしています。でもご心配はいりません。
お熱は当分続くでしょうけれども、お静かにしていらっしゃったらご心配はございません。」とおっしゃる。
そうかしら、と思いながらも溺れるものの藁にすがる気持ちもあって、村野先生のその診断に私は少しほっとしたところもあった。
お医者がお帰りになってから、「よかったわね、お母様。ほんの少しの心順なんて大抵の人にあるものよ。
お気持ちを丈夫にお持ちになっていさえしたら、わけなく治ってしまいますわ。今年の夏の気候不順がいけなかったのよ。夏は嫌い。家族は夏の花も嫌い。」
お母様は尾目をつぶりながらお笑いになり、「夏の花の好きな人は夏に死ぬっていうから、私も今年の夏あたり死ぬのかと思っていたら、
直寺が帰ってきたので秋まで生きてしまった。 あんな直寺でもやはりお母様の生きる頼みの柱になっているのかと思ったら、つらかった。
それでも、もう夏が過ぎてしまったのですから、お母様の危険期も峠を越したってわけなのね。
お母様、お庭の萩が咲いていますわ。それからお見ないし、われもこう、ききょう、かるかや、すすき。
お庭がすっかり秋のお庭になりましたわ。10月になったらきっとお熱も下がるでしょう。」 私はそれを祈っていた。早くこの9月の蒸し暑い、いわば残暑の季節が過ぎるといい。
そして菊が咲いて、うららかな小春日和が続くようになると、きっとお母様のお熱も下がってお丈夫になり、私もあの人と会えるようになって、
私の計画も大輪の菊の花のように見事に咲き誇ることができるかもしれないのだ。
ああ、早く10月になって、そしてお母様のお熱が下がると良い。 和田のおじさまにおはがきを差し上げてから1週間ばかりして、和田のおじさまのお取り計らいで、以前寺院などしていらした
三宅様の老先生が看護婦さんを連れて東京から御診察にいらしてくださった。 老先生は私どもの亡くなったお父上ともご交際のあった方なので、
お母様は大変お喜びの御様子だった。 それに老先生は昔からお行儀が悪く、言葉遣いも存在で、それがまたお母様のお気に召しているらしく、
その日は御診察などそっちのけで、何かとお二人で打ち解けた世間話に興じていらっしゃった。 私がお勝手でプリンをこしらえて、それをお座敷に持っていったら、もうその間に御診察もお済みの御様子で、
老先生は長審記をだらしなく首飾りみたいに肩に引っ掛けたまま、お座敷の廊下の等椅子に腰をかけ、
「僕などもね、屋台に入って、うどんの立ち食いでさ、うまいもんまずいもんありゃしません。」とおのぎそうに世間話を続けていらっしゃる。
お母様も何気ない表情で天井を見ながらそのお話を聞いていらっしゃる。 何でもなかったんだと私はほっとした。
いかがでございました? この村の先生は胸の左の方に心順があるとかおっしゃっていましたけど?
と私も急に元気が出て三宅様にお尋ねしたら、老先生は事もなげに、 「なに、大丈夫だ。」と軽くおっしゃる。
「まあよかったわね、お母様。」と私は心から微笑してお母様に呼びかけ、 大丈夫なんですって。
その時三宅様は等椅子からつと立ち上がって品間の方へいらっしゃった。 何か私に用事がありげんに見えたので私はそっとその後を追った。
老先生は品間の壁掛けの陰に立って立ち止まって、 「ばりばり音が聞こえているぞ。」とおっしゃった。
「新巡ではございませんの?」 「ちがう。」
「機関仕方るでは?」私はもはや涙ぐんでお尋ねした。 「ちがう。」
「結核、定備。」 私はそれだと思いたくなかった。
肺炎や新巡や機関仕方るだったら、必ず私の力で直してあげる。 けれども結核だったら、ああもうだめかもしれない。
私は足元が崩れていくような思いをした。 「音とても悪いの?ばりばり聞こえているの?」
心細さに私はすすり泣きになった。 「右も左も全部だ。」
「だってお母様はまだお元気なのよ。 ご飯だっておいしいおいしいとおっしゃって。」
「仕方がない。」 「嘘だわ。ねえそんなことないんでしょ?バターやお卵や牛乳をたくさん召し上がったら治るんでしょ?
お体に抵抗力さえついたら熱だって下がるんでしょ?」 「うん。何でもたくさん食べることだ。」
「ねえそうでしょ?トマトも毎日5つぐらいは召し上がっているのよ?」 「うん。トマトはいい。」
「じゃあ大丈夫ね。治るわね。」 しかし今度の病気はイノシチョイになるかもしれない。そのつもりでいた方がいい。
人の力でどうしてもできないことがこの世の中にたくさんあるのだという絶望の壁の存在を 生まれて初めて知ったような気がした。
2年? 3年?
私は震えながら小声で尋ねた。 「わからない。とにかくもう手のつけようがない。」
そうして三宅様はその日は伊豆の長岡温泉に宿を予約していらっしゃるとかで 看護婦さんと一緒にお帰りになった。
門の外までお見送りしてそれから夢中で引き返してお座敷のお母様の枕元に座り 何事もなかったように笑いかけるとお母様は
「先生は何とおっしゃっていたの?」とお尋ねになった。 「熱さえ下がればいいんですって。」
「胸の方は?」 「大したこともないらしいわ。ほら、いつかのご病気の時みたいなのよ、きっと。今に涼しくなったらどんどんお丈夫になりますわ。」
私は自分の嘘を信じようと思った。 イノシシャリなどという恐ろしい言葉は忘れようと思った。
私にはこのお母様が亡くなるということはそれは私の肉体も共に消失してしまうような感じで とても事実として考えられないことだった。
これからは何も忘れてこのお母様にたくさんたくさん御馳走をおこしらえて差し上げよう。 お魚、スープ、缶詰、レバー、肉汁、トマト、卵、牛乳、おすまし、お豆腐があればいいのに。
お豆腐のお味噌汁、白いご飯、お餅。 美味しそうなものは何でも私の持ち物を見直って、そしてお母様に御馳走してあげよう。
私は立って品川へ行った。 そして品川の寝椅子をお座敷の縁側近くに移して、お母様のお顔が見えるように腰掛けた。
休んでいらっしゃるお母様のお顔はちっとも無様人らしくなかった。 目は美しく澄んでいるし、お顔色も生き生きしていらっしゃる。
毎朝規則正しく起床なさって洗面所へいらして、それからお風呂場の山上でご自分の髪をゆって身じまいをきちんとなさって、それから男に帰って男にお座りのままお食事を済まし、
それから男に寝たり起きたり、午前中はずっと新聞や誤本を読んでいらして、熱の出るのは午後だけである。
ああ、お母様お元気なのだ。きっと大丈夫なのだ。と私は心の中で三宅様の御神談を強く打ち消した。
十月になって、そして菊の花の咲く頃になれば、などと考えているうちに私はうどうどと歌たねを始めた。
現実には私はいつも見たこともない風景なのに、それでも夢では時々その風景を見て、ああ、またここへ来たなと思うなじみの森の中の湖のほとりに私は出た。
私は和服の青年と足音もなく一緒に歩いていた。 風景全体が緑色の霧のかかっているような感じであった。
そして湖の底に白い華奢な橋が沈んでいた。
ああ、橋が沈んでいる。今日はどこへも行けない。 ここのホテルで休みましょう。確か空いた部屋があったはずだ。
湖のほとりに石のホテルがあった。そのホテルの石は緑色の霧でしっとり濡れていた。 石の門の上に金文字で細く、ホテルスイッツアランドと彫り込まれていた。
スイッと読んでいるうちに不意にお母様のことを思い出した。 お母様はどうなさるのだろう。お母様もこのホテルへいらっしゃるのかしらと不審になった。
そして青年と一緒に石の門をくぐり、前庭へ入った。 霧の庭にアジサイに似た赤い大きい花が燃えるように咲いていた。
子供の頃、お布団の模様に真っ赤なアジサイの花が散らされてあるのを見て変に悲しかったが、 やっぱり赤いアジサイの花って本当にあるものなんだと思った。
寒くない? ええ、少し霧でお耳が濡れてお耳の裏が冷たい。と言って笑いながら、
お母様はどうなさるのかしらと尋ねた。すると青年はとても悲しく慈愛深く微笑んで、 あのお方はお墓の下です。と答えた。
あ、と私は小さく叫んだ。そうだったのだ。 お母様はもういらっしゃらなかったのだ。お母様のお弔いもとっくに済ましていたのじゃないか。
ああ、お母様はもうお亡くなりになったのだと意識したら、 言い知れぬ寂しさに身震いして目が覚めた。
ベランダはすでに黄昏だった。雨が降っていた。 緑色の寂しさは夢のままあたり一面に漂っていた。
お母様、と私は呼んだ。静かなお声で、
何しているの?というご返事があった。 私は嬉しさに飛び上がってお座敷へ行き、
今ね、私眠っていたのよ。 そう、何をしているのかしらと思っていたの。
長いお昼寝ね、と面白そうにお笑いになった。 私はお母様のこうして優雅に息づいていらっしゃることがあまり嬉しくて、ありがたくて涙ぐんでしまった。
ご夕飯のおこんだては?ご希望がございます? 私は少しはしゃいだ口調でそう言った。
いいの、何にもいらない。今日はクドゴブにあがったの。 にわかに私はぺちゃんこにしょけた。
そして途方に暮れて、薄暗い部屋の中をぼんやり見回し、ふと死にたくなった。
どうしたんでしょう、クドゴブなんて。 何でもないの。ただ熱の出る前が嫌なのよ。頭がちょっと痛くなって寒気がして、それから熱が出るの。
外はもう暗くなっていて雨は止んだようだが、風が吹き出していた。 明かりをつけて食堂へ行こうとするとお母様が、
眩しいからつけないで、とおっしゃった。 暗いところでじっと寝ていらっしゃるのお嫌でしょう?と立ったままお尋ねすると、
目をつぶって寝ているのだから同じことよ。ちょっとも寂しくない。 かえって眩しいのが嫌なの。これからずっとお座敷の明かりはつけないでね、とおっしゃった。
私にはそれもまた不吉な感じで、黙ってお座敷の明かりを消して隣の間へ行き、 隣の間のスタンドに明かりをつけ、たまらなく眩しくなって急いで食堂へ行き、
缶詰の鮭を冷たいご飯の上に乗せて食べたらポロポロと涙が出た。 風は夜になっていよいよ強く吹き、九時頃から雨も混じり本当の嵐になった。
2、3日前に沸き上げた塩酒のすだれがバタンバタンと音を立てて、私はお座敷の隣の間でローザルク・センブルグの経済学入文を奇妙な興奮を覚えながら読んでいた。
これは私がこないだ御二階の直子の部屋から持ってきたものだが、その時これと一緒にレニン選集、それからカウツキーの社会改革なども無断で拝借してきて、
その会の間の私の机の上に乗せておいたら、お母様が朝、お顔を洗いにいらした帰りに私の机のそばを通り、ふとその三冊の本に目をとどめ、
いちいちお手にとって眺めて、それから小さいため息をついて、そっとまた机の上に置き、淋しいお顔で私の方をちらと見た。
けれどもその目つきは深い悲しみに満ちていながら、決して拒否や嫌悪のそれではなかった。
お母様のお読みになる本はユーゴー、デュマ親子、ミュッセ、ドーデイなどであるが、私はそのような甘美な物語の本にだって革命の匂いがあるのを知っている。
お母様のように天性の教養という言葉も変だが、そんなものをお持ちのお方は案外何でもなく、当然のこととして革命を迎えることができるのかもしれない。
私だってこうしてローザルクセンブルグの本など読んで、自分が刻ったらしく思われることもないではないが、けれどもまたやはり、私は私なりに深い興味を覚えるのだ。
ここに書かれてあるのは経済学ということになっているのだが、経済学として読むと誠につまらない。実に単純でわかりきったことばかりだ。
いや、あるいは私には経済学というものが全く理解できないのかもしれない。
とにかく私には少しも面白くない。
人間というものはケチなもので、そうして永遠にケチなものだという前提がないと全く成り立たない学問で、ケチでない人にとっては分配の問題でも何でもまるで興味のないことだ。
それでも私はこの本を読み、別なところで奇妙な興奮を覚えるのだ。
それはこの本の著者が何の躊躇もなく片っ端から旧来の思想を破壊していくがむしゃらな勇気である。
どのように道徳に反しても恋する人のところへ涼しくさっさと走り寄る一妻の姿さえ思い浮かぶ。
破壊思想。破壊は哀れで悲しくて、そうして美しいものだ。
破壊して立て直して完成しようという夢。
そうして一旦破壊すれば永遠に完成の日が来ないかもしれんのに、それでも慕う恋ゆえに破壊しなければならんのだ。革命を起こさなければならんのだ。
ローザはマルキシズムに悲しくひたむきの恋をしている。あれは十二年前の冬だった。
あなたはサラッシュな日記の少女なのね。もう何を言っても仕方がない。
そう言って私から離れて行ったお友達。あのお友達に会うとき、私はレニンの本を読まないで返したのだ。
読んだ?
あ、ごめんね。読まなかったの。ニコライドーの見える橋の上だった。
なぜ?どうして?
そのお友達は私よりさらにちょっとぐらい性が高くて語学がとてもよくできて、赤いベレー帽がよく似合ってお顔もジョコンダみたいだという評判の美しい人だった。
表紙の色が嫌だったの。
変な人。そうじゃないんでしょ。本当は私は怖くなったのでしょ。
怖くはないわ。私、表紙の色がたまらなかったの。
そう。
と寂しそうに、それから私をサラッシュな日記だと言い、そうして何を言っても仕方がないと決めてしまった。
私たちはしばらく黙って冬の川を見下ろしていた。
ご無事で。
もしこれが永遠の別れなら、永遠にご無事で。
バイロン。
と言い、それからそのバイロンの飼育を原文で口早に称して、私の体を軽く抱いた。
私は恥ずかしく、「ごめんなさいね。」と小声でわびて、お茶の水駅の方に歩いて振り向いてみると、そのお友達はやはり橋の上に立ったまま動かないで、じっと私を見つめていた。
それっきりそのお友達と会わない。
同じ外人教師の家へ通っていたのだけれども、学校が違っていたのである。
あれから十二年たったけれども、私はやっぱりサラッシュな日記から一歩も進んでいなかった。
一体まあ私はその間何をしていたのだろう。革命を憧れたこともなかったし、声さえ知らなかった。
今まで世間の大人たちはこの革命と声の二つを最も愚かしく忌まわしいものとして私たちに教え、戦争の前も戦争中も私たちはその通りに思い込んでいたのだが、
敗戦後、私たちは世間の大人を信頼しなくなって、何でもあの人たちの言うことの反対の方に本当の生きる道があるような気がしてきて、
革命も恋も実はこの世で最も良くて美味しいことで、あまり良いことだから大人の人たちは意地悪く私たちに青いブドウだと嘘ついて教えていたのに違いないと思うようになったのだ。
私は確信したい。人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。
すっと襖が開いて、お母様が笑いながら顔をお出しになって、
「まだ起きていらっしゃる。眠くないの?」とおっしゃった。机の上の時計を見たら十二時だった。
「ええ、ちっとも眠くないの。社会主義の誤本を読んでいたら興奮しちゃいましたわ。」
「そう、お酒ないの?そんな時にはお酒を飲んで休むとよく眠れるんですけどね。」
とからかうような口調でおっしゃったが、その態度にはどこやらデカダンと神人への生めかしさがあった。
やがて十月になったが、
カラリとした秋晴れの空にはならず、梅雨時のようなジメジメして蒸しやすい日が続いた。
そしてお母様のお熱はやはり毎日夕方になると三十八度と九度の間を上下した。
そしてある朝、恐ろしいものを私は見た。
お母様のお手がぬくんでいるのだ。
朝ごはんが一番おいしいと言っていらしたお母様も、この頃は男に育ってほんの少しお粥を軽く一晩、
おかずも匂いの強いものはだめで、その日は松茸のおすましを差し上げたのに、やっぱり松茸の香りさえ嫌になっていらっしゃる様子で、
お椀をお口元まで持って行って、それっきりまたそっとお膳の上にお返しになって、
その時私はお母様の手を見てびっくりした。
右の手が膨らんで丸くなっていたのだ。
お母様、手なんともないの?
お顔さえ少し青くむくんでいるように見えた。
なんでもないの、これくらい。なんでもないの。
いつから腫れたの?
お母様はまぶしそうなお顔をなさって黙っていらした。
私は声を上げて泣きたくなった。
こんな手はお母様の手じゃない。
よそのおばさんの手だ。
私のお母様のお手はもっと細くて小さいお手だ。
私のよく知っている手。優しい手。かわいい手。
あの手は永遠に消えてしまったのだろうか。
左の手はまだそんなに腫れていなかったけれども、
とにかく痛ましく、見ていることができなくて私は目をそらし、
とこの間の花かごを睨んでいた。
涙が出そうでたまらなくなって、そたって食堂へ行ったら、
直樹が一人で半熟卵を食べていた。
たまに伊豆の子の家にいることがあっても、夜は決まって
小崎さんのところへ行って焼酎を飲み、朝は不機嫌な顔でご飯を食べずに
半熟の卵を四つ買いせず食べるだけで、それからまた二階へ行って
寝たり起きたりなのである。
お母様の手が腫れて、と直樹に話しかけうつむいた。
言葉を続けることができず、私はうつむいたまま肩で泣いた。
直樹は黙っていた。
私は顔を上げて、
もうだめなの。あなた、気がつかなかった?
あんなに腫れたらもうだめなの、とテーブルの端をつかんで行った。
直樹も暗い顔になって、
近いぞ、そりゃ。
ちっ、つまらないことになりやがった。
私、もう一度直したいの。どうかして直したいの。
と右手で左手を絞りながら行ったら、突然直樹がめさめさと泣き出して、
何にもいいことがねえじゃねえか。
僕たちには何にもいいことがねえじゃねえか。
と言いながらめちゃくちゃに拳で目をこすった。
その日、直樹は和田のおじさまにお母さまの要題を報告し、
今後のことの指図を受けに上京し、
私はお母さまのおそばにいない間、朝から晩までほとんど泣いていた。
朝切りの中を牛乳をとりに行くときも、
鏡に向かって髪を撫でつけながらも、
口紅を塗りながらも、いつも私は泣いていた。
お母さまと過ごした幸せな日のあのこと、このことが絵のように浮かんできて、
いくらでも泣けてしようがなかった。
夕方、暗くなってから品山のベランダへ出て、長いことすすり泣いた。
秋の空に星が光っていて、足元によその猫がうずくまって動かなかった。
翌日、手の腫れは昨日よりもまた一層ひどくなっていた。
お食事は何も召し上がらなかった。
おみかんのジュースも口が荒れてしみて飲めないとおっしゃった。
「お母さま、また直樹のあのマスクをなさったら?」と笑いながら言うつもりであったら、
言っているうちにつらくなってわっと声を上げて泣いてしまった。
「毎日忙しくて疲れるでしょう。看護婦さんを雇ってちょうだい。」と静かにおっしゃったが、
ご自分のお体よりも数個の身を心配していらっしゃることがよくわかって、
直のこと悲しく立って走ってお風呂場の山上に行って、思いのたけ泣いた。
お昼少し過ぎ、直が三宅様の老先生と、それから看護婦さん二人をお連れしてきた。
いつも冗談ばかりおっしゃる老先生も、そのときはお怒りになっていらっしゃるような素振りで、
どしどし病室へ入ってこられてすぐにご診察をおはじめになった。
そして誰に言うともなく、
「お弱りになりましたね。」と一言低くおっしゃってカンフルを注射してくださった。
「先生のお宿は?」とお母さまは上言のようにおっしゃる。
「また長岡です。予約してありますからご心配は無用。」
「このご病院は人のことなど心配なすらず、もっとわがままに、
召し上がりたいものは何でもたくさん召し上がるようにしなければいけませんね。
栄養をとったらよくなります。明日また参ります。看護婦を一人置いていきますから、使ってみてください。」
と老先生は病床のお母さまに向かって大きな声で言い、それから直にめくばせして立ち上がった。
私には涙が出た。
私には行くところがあるの。
縁談?決まってんの?
いいえ。
自活か。働く夫人。
よせよせ。
自活でもないの。私ね、革命家になるの。
へえ。
なおじは変な顔をして私を見た。
そのとき、三宅先生の連れていらした付き添いの看護婦さんが私を呼びに来た。
奥様が何か御用のようでございます。
急いで病室に行ってお布団のそばに座り、
何?と顔を寄せて尋ねた。
けれどもお母様は何か言いたげにして黙っていらっしゃる。
お水?とたたずねた。
かすかに首を振る。お水でもないらしかった。
しばらくして小さいお声で、
夢を見たの。とおっしゃった。
そう?どんな夢?
蛇の夢。
私はぎょっとした。
お縁側のくつぬぎ石の上に赤い縞のある女の蛇がいるでしょう?
見てごらん。
私は体の寒くなるような気持ちでつと立ってお縁側に出てガラス戸越しに見ると、
くつぬぎ石の上に蛇が秋の日を浴びて長く伸びていた。
私はクラクラとめまいした。
私はお前を知っている。
お前はあの時から見ると少し大きくなって老けているけど、
でも私のために卵を焼かれたあの女蛇なのね。
お前の復讐はもう私よく思い知ったからあちらへお行き、
ささと向こうへ行っておくれ。
と心の中で念じてその蛇を見つめていたが、一家の蛇は動こうとしなかった。
私はなぜだか看護婦さんにその蛇を見られたくなかった。
とんと強く足踏みして、
「見ませんわ、お母様。夢なんて当てになりませんわよ。」
とわざと必要以上の大声で言ってちらとくつぬぎ石の方を見ると、
蛇はやっと体を動かしだらだらと石から垂れ落ちていった。
もうだめだ。
だめなのだとその蛇を見て諦めが初めて私の心の底に湧いて出た。
お父上のお亡くなりになる時も枕元に黒い小さい蛇がいたというし、
またあの時にお庭の木という木に蛇が絡みついていたのを私は見た。
お母様は男の上に起き直る元気もなくなったようで、
いつもうつらうつらしていらして、
もうお体をすっかり月曽根の看護婦さんに任せて、
そしてお食事はもうほとんど喉を通らない様子であった。
蛇を見てから私は悲しみの底を突き抜けた心の平安とでも言ったらいいのかしら。
そのような幸福感にも似た心の謳えりが出てきて、
もうこの上はできるだけただお母様のおそばにいようと思った。
そしてそのあくる日から、
お母様の枕元にぴったり寄り添って座って編み物などをした。
私は編み物でもお針でも人よりずっと早いけれども、しかし下手だった。
それでいつもお母様はその下手なところをいちいち手を取って教えてくださったものである。
その日も私は別に編みたい気持ちもなかったのだが、
お母様のそばにべったりくっついていても不自然でないように、
格好をつけるために毛糸の箱を持ち出して四年投げに編み物を始めたのだ。
お母様は私の手元をじっと見つめて、
「あなたの靴下を編むんでしょう。
それならもう八つ増やさなければ、
履くとき旧靴よ。」とおっしゃった。
私は子供のころ、いくら教えていただいてもどうもうまく編めなかったが、
そのときのようにまごつき、そして恥ずかしく懐かしく、
ああもう、こうしてお母様に教えていただくこともこれでおしまいと思うと、
つい涙であみ目が見えなくなった。
お母様はこうして寝ていらっしゃるとちっともお苦しそうでなかった。
お食事はもう今朝から全然通らず、
ガーゼにお茶をひたしてときどきお口を示してあげるだけなのだが、
しかし意識ははっきりしていて、ときどき私に穏やかに話しかける。
新聞に陛下のお写真が出ていたようだけど、もう一度見せて。
私は新聞のその箇所をお母様のお顔の上にかざしてあげた。
おふけになった。
いいえ、これは写真が悪いのよ。
こないだのお写真なんかとてもお若くてはしゃいでいらしたわ。
かえってこんな時代をお喜びになっていらっしゃるんでしょう。
なぜ?
だって陛下も今度解放されたんですもの。
お母様はさびしそうにお笑いになった。
それからしばらくして、
泣きたくてももう涙が出なくなったのよ、
とおっしゃった。
私は、お母様は今幸福なのではないかしらとふと思った。
幸福感というものは被愛の川の底に沈んでかすかに光っている砂金のようなものではなかろうか。
悲しみの限りを通り過ぎて不思議な薄明かりの気持ち、
あれが幸福感というものならば、陛下もお母様もそれから私も、
確かに今幸福なのである。
静かな秋の午前。
日差しの柔らかな秋の庭。
私は編み物をやめて、胸の高さに光っている海を眺め。
お母様、私今までずいぶん世間知らずだったのね。
と言い、それからもっと言いたいことがあったけれども、
お座敷の隅で定脈注射の支度などをしている看護婦さんに聞かれるのが恥ずかしくて言うのをやめた。
今までって?
とお母様は薄くお笑いになって聞きとがめて。
それでは今は世間を知っているの?
私はなぜだか顔が真っ赤になった。
世間はわからない。
とお母様はお顔を向こう向きにして一人ごとのように小さい声でおっしゃる。
私にはわからない。わかっている人なんかないんじゃないの?
いつまでたってもみんな子供です。何もわかってはしないのです。
けれども私は生きていかなければならないのだ。
子供かもしれないけれども、しかし甘えてばかりもおられなくなった。
私はこれから世間と争っていかなければならないのだ。
ああ、お母様のように人と争わず、憎まず恨まず、美しく悲しく生涯を終わることのできる人はもうお母様が最後で、
これからの世の中には存在しえないのではなかろうか。
死んでいく人は美しい。生きるということ、生き残るということ。
それは大変醜くて血の匂いのする汚らしいことのような気もする。
私は身ごもって穴を掘る蛇の姿を畳の上に思い描いてみた。
けれども私にはあきらめきれないものがあるのだ。
浅ましくてもよい。私は生き残って思うことをしとげるために世間と争っていこう。
お母様のいよいよ亡くなるということが決まると、私のロマンチシズムや感傷が次第に消えて、
何か自分が油断のならぬ悪賢い生き物に変わっていくような気分になった。
その日のお昼過ぎ、私がお母様のそばでお口を潤してあげていると、門の前に自動車が止まった。
和田のおじさまが、おばさまと一緒に東京から自動車で走りつけて来てくださったのだ。
おじさまが病室に入っていらして、お母様の枕元に黙ってお座りになったら、
お母様は半ケチでご自分のお顔の下半分を隠し、おじさまのお顔を見つめたままお泣きになった。
けれども泣き顔になっただけで涙は出なかった。お人形のような感じだった。
なおじはどこ?としばらくしてお母様は私の方を見ておっしゃった。
私は二階へ行って、妖魔のソファーに寝そべって新刊の雑誌を読んでいるなおじに、
「お母様がお呼びですよ。」と言うと、
「ああ、また終端場か。なんじらはよく我慢してあそこに頑張っておれるね。神経が太いんだね。白状なんだね。
我らは何とも苦しくて、げに心は熱するでも肉体弱く、とてもママのそばにいる気力はない。」
などと言いながら上着を着て私と一緒に二階から降りてきた。
二人並んでお母様の枕元に座ると、
お母様は急にお布団の下から手をお出しになって、
そして黙ってなおじの方を指さし、それから私を指さし、
それからおじ様の方へお顔を向けになって、両方の手のひらをひたとお合わせになった。
おじ様は大きくうなずいて、
「ああ、わかりましたよ。わかりましたよ。」とおっしゃった。
お母様はご安心なさったように目を軽くつぶって、
手を布団の中へそっとお入れになった。
私も泣き、なおじもうつむいておえつした。
そこへ三宅様の老先生が長岡からいらして、とりあえず注射した。
お母様もおじ様にあえてもう心残りがないと大思いになったか。
「先生、早く楽にしてくださいな。」とおっしゃった。
老先生とおじ様は顔を見合わせて黙って、そしてお二人の目に涙がきらと光った。
私は立って食堂へ行き、おじ様のお好きなきつねうどんをこしらえて先生となおじとおば様と四人分品前へ持って行き、
それからおじ様のお土産の丸の内ホテルのサンドウィッチをお母様にお見せしてお母様の枕元に置くと、
「忙しいでしょう。」とお母様は小声でおっしゃった。
品前で皆さんがしばらく雑談をして、
おじ様、おば様はどうしても今夜東京へ帰らなければならぬ用事があるとかで、
私に二枚のお金包みを手渡し、三宅様も看護婦さんと一緒にお帰りになることになり、
月背負いの看護婦さんにいろいろな手当の仕方を言いつけ、
とにかくまだ意識はしっかりしているし、心臓の方もそんなに参っていないから、
注射だけでももう四、五日は大丈夫だろうということで、
その日一旦皆さんが自動車で東京へ引き上げたのである。
皆さんをお送りしてお座敷へ行くと、
お母様が私にだけ笑う親しげな笑い方をなさって、
忙しかったでしょう、とまた囁くような小さいお声でおっしゃった。
そのお顔は生き生きとして、むしろ輝いているように見えた。
おじ様にお会いできて嬉しかったのだろうと私は思った。
いいえ、私も少しウキウキした気分になってにっこり笑った。
そしてこれがお母様との最後のお話であった。
それから三時間ばかりしてお母様は亡くなったのだ。
秋の静かな黄昏、看護婦さんに迷惑を取られて、
直じた私とたった二人の肉親に見守られて、
日本で最後の岐阜人だった美しいお母様が。
なぜ恋が悪くて愛がいいのか、私にはわからない。
同じもののような気がしてならない。
何だかわからぬ愛のために、恋のために、その悲しさのために、身と魂とゲヘナに滅ぼし得る者。
ああ、私は自分こそそれだと言い張りたいのだ。
叔父様たちのお世話で、お母様の密葬を伊豆で行い、本葬は東京で済まして、
それからまた直子と私は伊豆の山荘で、お互い顔を合わせても口を聞かぬような理由のわからぬ気まずい生活をして、
直子は出版業の資本金図書をして、お母様の宝石類を全部持ち出し、
東京で飲み疲れると伊豆の山荘へ大病人のような真っ青の顔をしてフラフラ帰ってきて、
寝て、ある時若いダンサー風の人を連れてきて、さすがに直子も少し間が悪そうにしているので、
今日、私、東京へ行ってもいい?
友達のところへ久しぶりで遊びに行ってみたいの。
二晩か三晩、泊まってきますから。
あなた、留守番しててね。
お掃除はあの方に頼むといいわ。
直子の弱みにすかさずつけ込み、いわば蛇のごとく悟く、
私はバッグにお化粧品やパンなどを詰め込んで、極めて自然にあの人に会いに上京することができた。
東京郊外
商船、小木久保駅の北口に下車すると、そこから二十分くらいで、
あの人の退戦後の新しいお住まいに行き着けるらしいということは、直子から前にそれとなく聞いていたのである。
小枯らしの強く吹いている日だった。
小木久保駅に降りたころには、もう辺りが薄暗く、
私は往来の人を捕まえては、あの人の所番地を告げて、その方角を教えてもらって、
一時間近く暗い郊外の路地をうろついて、
あまり心細くて涙が出て、そのうちに砂利道の石につまずいて、
下駄の花尾がプツンと切れて、どうしようかと立ちつくんで、
ふと右手の二軒長屋のうちの一軒の家の標札が、
四面にも白くぼんやり浮かんで、それに上原と書かれているような気がして、
片足はたび裸足のまま、その家の玄関に走り寄って、
なおよく標札を見ると、確かに上原二郎としたためられていたが、家の中は暗かった。
どうしようかとまた瞬時立ちつくみ、
それから身を投げる気持ちで玄関の交渉に倒れかかるようにひたと寄り添い、
「ごめんくださいまし。」と言い、両手の指先で交渉を撫でながら、
「上原さん。」と小声で囁いてみた。
返事はあった。しかしそれは女の人の声であった。
玄関の戸が内からあいて細表の古風な匂いのする、私より三つ四つ年上のような女の人が、
玄関の暗い目の中でちらと笑い、
「なちら様でしょうか。」と尋ねるその言葉の調子には、何の悪意も警戒もなかった。
「あ、いえ、あの…。」けれども私は自分の名を言いそびれてしまった。
この人にだけは私の声も奇妙に後ろめたく思われた。
おどおどとほとんど卑屈に、
「先生はいらっしゃいません?」
「はあ。」と答えて気の毒そうに私の顔を見て、
「でも行き先は大抵…。」
「あ、遠くへ?」
「いえ。」とおかしそうに片手をお口に当てられて、
「荻窪ですの。駅の前の白石というおでん屋さんへおいでになれば、大抵行き先がお分かりかと思います。」
私は飛び立つ思いで、
「あ、そうですか。」
「あら、お履物が…。」
すすめられて私は玄関の内へ入り、
敷台に座らせてもらい奥様から、
軽便花音でもいうのかしら。
花音切れたときに手軽に作ろうことのできる顔の仕掛け紐をいただいて、
下駄を直してその間に奥様はロウソクを灯して玄関に持ってきてくださったりしながら、
「あいにく電球が二つも切れてしまいまして、
この頃の電球は馬鹿高い上に切れやすくていけませんわね。
主人がいると買ってもらえるんですけど、
昨夜も一昨日の晩も帰って参りませんので、
私どもはこれで身場無一物の早寝ですのよ。」
などと真から呑気そうに笑っておっしゃる。
奥様の後ろには十二三歳の目の大きな、
めったに人になつかないような感じの細いした女のお子さんが立っている。
敵
私はそうは思わないけれども、
しかしこの奥様とお子さんはいつか私を敵と思って憎むことがあるに違いないのだ。
それを考えたら私の恋も、
一時に冷め果てたような気持ちになって、
下駄のお花をすげかえ、
立ってはたはたと手を打ち合わせて
両手の汚れをはらいようとしながら、
わびしさが茂然と身の回りに押し寄せてくる気配に絶えかね。
お座敷に駆け上がって、
真っ暗闇の中で奥様のお手をつかんで泣こうかしらと
ぐらぐら激しく動揺したけれども、
ふとその後の自分の白々しい何とも形のつかぬ味気ない姿を考え、
嫌になり。
「ありがとうございました。」と馬鹿丁寧なお辞儀をして外へ出て、
小枯らしに吹かれ、戦闘開始。
恋する。好き。
焦がれる。本当に恋する。
本当に好き。本当に焦がれる。
恋しいのだからしようがない。
好きなのだからしようがない。
焦がれているのだからしようがない。
あの奥様は確かに珍しくいいお方。
あのお嬢さんもお綺麗だ。
けれども私は神の審判の台に立たされたって
少しも自分をやましいとは思わん。
人間は恋と革命のために生まれてきたのだ。
神も罵詞賜おはずがない。
私はミジンも悪くない。
本当に好きなのだから大威張り。
あの人に一目お会いするまで
二晩でも未晩でも野宿しても必ず。
駅前の白石というおでん屋はすぐに見つかった。
けれどもあの人はいらっしゃらない。
朝柄ですよきっと。朝柿駅の北口をまっすぐにいらして、
そうですね、一丁半かな。
金物屋さんがありますからね。
そこから右へ入って半丁かな。
柳屋という小料理屋がありますからね。
先生、この頃は柳屋のお捨てさんと大圧々で入りびたりだ。
かなあね。
駅へ行ききっぽう買い、東京駅の商船に乗り、
朝柿で降りて北口、約一丁半。
金物屋さんのところから右へ曲がって半丁。
柳屋はひっそりしていた。
ああ、たった今おかえりになりましたが、
大勢さんね、これから西尾城の千鳥のおばさんのところへ行って
夜明かしで飲むんだとかおっしゃっていましたよ。
私よりも年が若くて落ち着いて上品で親切そうな
これがあのお捨てさんとかいうあの人と大圧々の人なのかしら。
千鳥?西尾城のどのへん?
心細くて涙が出そうになった。
自分が今気が狂っているのではないかしらとふと思った。
ああ、よくご存知ませんのですけどね。
何でも西尾城の駅を降りて南口の左に入ったところだとか、
とにかく交番でお聞きになったらわかるんじゃないでしょうか。
何せ一見では収まらない人で、
千鳥に行く前にまたどっかに引っかかっているかもしれませんですよ。
うん、千鳥へ行ってみます。さようなら。
また逆戻り。
阿佐ヶ谷から商船で立川駅に乗り、尾城窪、西尾城窪、
駅の南口で降りて小枯らしに吹かれてうろつき、
交番を見つけて千鳥の方角を尋ねて、
それから教えられた通りの夜道を走るようにして行って、
千鳥の青い灯籠を見つけてためらわず高手堂を開けた。
土間があって、それからすぐ六畳間くらいの部屋があって、
煙草の煙で猛々として十人ばかりの人間が部屋の大きな宅を囲んで、
わーわーっとひどく騒がしいお酒盛りをしていた。
私より若いくらいのお嬢さんも三人まじって煙草を吸い、お酒を飲んでいた。
私は土間に立って見渡し見つけた。
そして夢見るような気持ちになった。
違うのだ。
六年。
まるっきりもう違った人になっているのだ。
これがあの私の虹。
mc。
私の生きがいのあの人であろうか。
六年。
頬髪は昔のままだけれども哀れに赤ちゃけて薄くなっており、
顔は黄色くむくんで目の縁が赤くだれて前歯が抜け落ち絶えず口をもぐもぐさせて
一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に座っている感じだった。
お嬢さんの一人が私を見とこめ、目で植原さんに私の来ていることを知らせた。
あの人は座ったまま細長い首を伸ばして私の方を見て何の表情もなく顎であがれという合図をした。
一座は私に何の関心もなさそうにワイワイの大騒ぎを続け、
それでも少しずつ席を詰めて植原さんのすぐ右隣に私の席を作ってくれた。
私は黙って座った。
植原さんは私のコップにお酒をなみなみと一杯に注いでくれて、
それからご自分のコップにもお酒を継ぎ足して
乾杯としゃがれた声で低く言った。
二つのコップが力弱く触れ合ってカチと悲しい音がした。
ギロチンギロチンシュルシュルシュ
と誰かが言ってそれに応じてまた一人がギロチンギロチンシュルシュルシュと言い、
カチンと音高くコップを打ち合わせてグイと飲む。
ギロチンギロチンシュルシュルシュ
ギロチンギロチンシュルシュルシュ
とあちこちからそのデタラメみたいな歌が起こって盛んにコップを打ち合わせて乾杯をしている。
そんなふざけきったリズムで盛って弾みをつけて無理にお酒を喉に流し込んでいる様子であった。
「じゃあ、失敬。」と言ってよろめきながら帰る人があるかと思うと、
また新客がのっそり入ってきて上原さんにちょっと営釈しただけで一座に割り込む。
「上原さん、あそこのね。上原さん、あそこのね。ああああというところですがね。あれはどんな具合に行ったらいいんですか?」
「うんうん。うん。ですか?ああああですか。」と乗り出して尋ねている人は確かに私もその舞台顔に見覚えのある進撃俳優の藤田である。
「ああああ。ああだ。ああああ。千鳥の酒は安くねえと言ったような塩梅だね。」と上原さん。
「お金のことばっかり。」とお嬢さん。
二羽の雀は一銭。とは、あれは高いんですか?安いんですか?と若い紳士。
一輪の残りもなく通わなあわずばという言葉もあるし、あるものには五タラント、あるものには二タラント、あるものには一チャラントなんてひどくややこしい例え話もあるし、
気立つとも感情はなかなか細かいんだ。と別の紳士。
それにあいつは酒飲みだったや。妙にバイブルには酒の例え話が多いと思っていたら、果たせるかなだ。
いいよ。酒を好む人。と非難されたとバイブルに指図されてある。酒を飲む人でなくて酒を好む人というんだから、相当な飲み手だったに違いねえのさ。
まず一生飲みかね。ともう一人の紳士。
「よせよせ。ああ、ああ、なんじらは道徳に怯えてイエスを出しに使わんとす。
ちーちゃん飲もう。ギロチンギロチンシュルシュルシュ。」
と上原さん。一番若くて美しいお嬢さんと、かちんと強くゴップを打ち合わせてグッと飲んで、お酒が口角から滴り落ちて、
顎が濡れて、それをやけくそみたいに乱暴に手のひらでぬぐって、それから大きいくしゃみを五つも六つも続けてなさった。
私はそっと立って大空いの部屋へ行き、病身らしく青白く痩せたおかみさんにお手洗いを訪ね、また帰りにその部屋を通ると、
さっきの一番きれいで若いちーちゃんとかいうお嬢さんが私を待っていたような格好で立っていて、
ギロチンギロチンシュルシュルシュの乾杯の歌がその間も一座において絶えることなく続いている。
「直さんは。」とおかみさんはまじめな顔をして知恵ちゃんにたずねる。私はどきりとした。
「知らないわ。直さんの番人じゃあるまいし。」と知恵ちゃんはうろたえて顔をかれんに赤くなさった。
「このごろ何か上原さんと混ぜることでもあったんじゃないの。いつも必ず一緒だったのに。」とおかみさんは落ち着いて言う。
「ダンスのほうが好きになったんですって。ダンサーの恋人でもできたんでしょうよ。」
「直さんたらまあ、お酒の上にまた女だから始末が悪いね。」
「先生の押し込みですもの。」
「でも直さんのほうが立ちが悪いよ。あんなおごっちゃん崩れは。」
「あの、私はほほえんで口をはさんだ。だまっていてはかえってこのお二人に失礼なことになりそうだと思ったのだ。私直樹の姉なんですの。」
おかみさんは驚いたらしく私の顔を見直したが知恵ちゃんは平気で
「ああ、お顔がよく似ていらっしゃいますもの。あのドマの暗いところにお立ちになっていたのを見て私はっと思ったわ。直さんかと。」
「さようでございますか。」とおかみさんは誤聴をあらためて
「こんなむさ苦しいところへよくまあ。それであの上原さんとは前から?」
「ええ、六年前にお会いして。」
いいよど見うつむき涙が出そうになった。
「お待ちどうさま。」
女中さんがおうどんを持ってきた。
「召し上がれ。熱いうちに。」とおかみさんはすすめる。
「いただきます。」
おうどんの湯気に顔をつっこみ、するするとおうどんをすすって私は今こそ生きていることの和ぴしさの極限を味わっているような気がした。
ギロチンギロチンシュルシュルシュ、ギロチンギロチンシュルシュルシュ、と低く口ずさみながら上原さんが私たちの部屋へ入ってきて
私のそばにどかりとあぐらをかき、無言でおかみさんに大きい封筒を手渡した。
「これだけで後をごまかせちゃだめですよ。」
おかみさんは封筒の中を見もせずに、それを長干鉢の引き出しにしまいこんで笑いながら言う。
「持ってくるよ。後の支払いは来年だ。」
「あんなことを。」
一万円。それだけあれば電球がいくつかあるだろう。私だってそれだけあれば一年楽に暮らせるのだ。
ああ、何かこの人たちは間違っている。
しかしこの人たちも私の恋の場合と同じようにこうでもしなければ生きていかれないのかもしれない。
人はこの世の中に生まれてきた以上はどうしても生き切らなければいけないものならば、
この人たちのこの生き切るための姿も憎むべきではないのかもしれん。
生きていること。生きていること。
ああ、それは何というやりきれない息も絶え絶えの大事業であろうか。
「とにかくね。」と隣室の紳士がおっしゃる。
これから東京で生活していくにはだね。
こんにちはという軽薄極まる挨拶が平気でできるようでなければとてもだめだね。
今の我らに重厚だの誠実だのそんな美徳を要求するのは首くくりの足を引っ張るようなものだ。
重厚?誠実?
って、プッだ。
生きていきやしねえじゃねえか。
もしまだねえ、こんにちはを軽く言えなかったら、あとは道が三つしかねえんだ。
一つは機能だ。一つは自殺。もう一つは女の紐さ。
その一つもできやしねえかわいそうな野郎にはせめて最後の唯一の手段。
と別の紳士が。
上原二郎にたかって通院。
ギロチンギロチンシュルシュルシュ。ギロチンギロチンシュルシュルシュ。
止まるところがねえんだろ?と上原さんは低い声で独り言のようにおっしゃった。
私?
私は自身に鎌首を持たげた蛇を意識した。
敵意。それに近い感情で私は自分の体を固くしたのである。
雑骨ができるか?寒いぜ。
上原さんは私の怒りにとんちゃくなくつぶやく。
無理でしょ?と丘美さんは口をはさみ。
おかわいそうよ。
チェッと上原さんは舌打ちして。
そんならこんなところへ来なければいいんだ。
私は黙っていた。
この人は確かに私のあの手紙を読んだ。
そして誰よりも私を愛していると私はその人の言葉の雰囲気から素早く察した。
しょうがねえな。福井さんのところへでも頼んでみようかな。
チェーちゃん、ついて行ってくれないか?
いや女だけだと途中が危険か。厄介だな。
母さん、この人の履物をこっそりお勝手の方に回しておいてくれ。
僕は送り届けてくるから。
外は深夜の気配だった。
風はいく分おさまり空にいっぱい星が光っていた。
私たちは並んで歩きながら。
私、雑骨でもなんでもできますのに。
上原さんは眠そうな声で、
うん、とだけ言った。
二人っきりになりたかったんでしょ?
そうでしょ?
私がそう言って笑ったら上原さんは、
これだからいいやさ。
と口を曲げて苦笑いなさった。
私は自分がとても可愛がられていることを身にしみて意識した。
ずいぶんお酒を召し上がりますのね。毎晩ですの?
そう、毎日朝からだ。
おいしいのお酒が?
まずいよ。
そういう上原さんの声に私はなぜだかゾッとした。
お仕事は?
ダメです。何を書いてもバカバカしくって、
そしてただもう悲しくってしようがないんだ。
命の黄昏、芸術の黄昏、人類の黄昏。
それもキザだね。
ゆとりろ。
私はほとんど無意識にそれを言った。
ああ、ゆとりろ。まだ生きていやがるらしいね、アルコールの亡者。
死骸だね。
最近10年間のあいつの絵は変に俗っぽくてみんなダメ。
ゆとりろだけじゃないんでしょ?他のマイスター達も全部。
そう、衰弱。
しかし新しい目も目のままで衰弱してるんです。
霜、フロスト。
世界中に時ならぬ霜が降りたみたいなんです。
上原さんは私の肩を軽く抱いて、
私の体は上原さんの二重回しの袖で包まれたような形になったが、
私は拒否せず、かえってぴったり寄り添ってゆっくり歩いた。
露棒の樹木の枝。
葉の一枚もついてない枝。細く鋭く夜空を突き刺していて、
木の枝って美しいものですわね。
と思わず独り言のように言ったら、
うん。花と真っ黒い枝の調和が、と少しうろたれたようにおっしゃった。
いいえ。
私、花も葉も芽も何もついてないこんな枝が好き。
これでもちゃんと生きているのでしょ?枯れ枝と違いますわ。
自然だけは衰弱せずか。
そう言ってまた激しいくしゃみをして、いくつもいくつも続けてなさった。
お風邪じゃございませんの?
いやいや、さにあらず。
実はね、これは僕の気癖でね。
お酒の酔いが飽和天に達すると、たちまちこんな具合のくしゃみが出るんです。
酔いのバロメーターみたいなもんだね。
恋は?
え?
どなたがございますの?飽和天くらいに住んでいるお方が。
なんだ、冷やかしちゃいけない。
女はみんな同じさ。ややこしくていけねえ。
ギロチンギロチンシュルシュルシュ。実は一人、いや、犯人くらいいる。
私の手紙、ご覧になって。
うん、見た。
ご返事は?
僕は貴族が嫌いなんだ。どうしてもどこかに鼻持ちならない傲慢なところがある。
あなたの弟の直さんも貴族としては大出来の男なんだが、時々ふっととても付き合いきれない小生意気なところを見せる。
僕は田舎の百姓の息子でね。
こんな小川の相話を取ると必ず子供の頃、故郷の小川で船を釣ったことや、目高をすくったことを思い出してたまらない気持ちになる。
暗闇の底でかすかに音を立てて流れている小川に沿った道を私たちは歩いていた。
けれども君たち貴族はそんな僕たちの干渉を絶対に理解できないばかりか軽蔑している。
ツルゲーネフは?
あいつは貴族だ。だから嫌なんだ。
でも両陣日記。
うん、あれだけはちょっと上手いね。
あれは農村生活の干渉。
あの野郎は田舎貴族というところで妥協しようか。
私も今では田舎者ですわ。畑を作っていますのよ、田舎の貧乏人。
今でも僕を好きなのかい?
乱暴な口調であった。
僕の赤ちゃんが欲しいのかい?
私は答えなかった。
岩が落ちてくるような勢いでその人の顔が近づき、車任務に私はキスされた。性欲の匂いのするキスだった。
私はそれを受けながら涙を流した。屈辱の悔しい涙に似ている苦い涙であった。
涙はいくらでも目からあふれ出て流れた。また二人並んで歩きながら、
「しくじった。惚れちゃった。」とその人は言って笑った。
けれども私は笑うことができなかった。眉をひそめて口をすぼめた。仕方がない。
言葉で言い表すならそんな感じのものだった。私は自分が下駄を引きずって荒んだ歩き方をしているのに気がついた。
「しくじった。」とその男はまた言った。
「行くところまで行くか。」
「ピザですわ。」
「ふん、この野郎。」
上原さんは私の肩をとんと拳で叩いてまた大きいくしゃみをなさった。
福井さんとかいうお方のお宅では皆さんがもうお休みになっていらっしゃる様子であった。
「電報、電報。福井さん、電報ですよ。」と大声で言って上原さんは玄関の扉を叩いた。
「上原か。」と家の中で男の人の声がした。
「その通り、プリンスとプリンセスの一夜の宿を頼みに来たんだ。どうもこうも寒いとくしゃみばかり出て、せっかくの恋の道行きもコメディになってしまう。」
玄関の扉が内から開かれた。もうかなりの五十歳を越したぐらいの頭の剥げた小柄なおじさんが派手なパジャマを着て、変なはにかむ様な笑顔で私たちを迎えた。
「頼む。」と上原さんは一言言ってマントも脱がずにさっさと家の中へ入って。
「アトリエは寒くていけねえ。二階を借りるぜ。」
「おいで。」
私の手を取って廊下を通り、月あたりの階段を登って暗いお座敷に入り、部屋の隅のスイッチをパチッとひねった。
「お料理屋のお部屋みたいね。」
「うーん、ありきに趣味さ。でもあんなへぼい絵描きにはもったいない。悪運が強くて理財もしやがらね。利用せざるべからずさ。さあ、寝よ寝よ。」
ご自分のお家みたいに勝手に押し入れを開けてお布団を出して敷いて、
「ここへ寝たまえ。僕は帰る。明日の朝迎えに来ます。便所は階段を降りてすぐ右だ。」
ダダダダッと階段から転げ落ちるように騒々しく下へ降りて行って、それっきり死んとなった。
私はまたスイッチをひねって電灯を消し、お父上の外国土産の生地で作ったビロードのコートを脱ぎ、帯だけほどいて着物のままで男へ入った。
疲れている上にお酒を飲んだせいか、体がだるくすぐにうとうとうまどろんだ。
いつの間にかあの人が私のそばに寝ていらして、私は一時間近く必死の無言の抵抗をした。
ふとかわいそうになって放棄した。
「こうしなければご安心ができないのでしょう?」
「まあ、そんなところだ。あなた、お体を悪くしていらっしゃるんじゃない?滑血なさったでしょう?」
「どうしてわかんの。実はこないだかなりひどいのをやったけど、誰にも知らせてないんだ。」
お母様のお亡くなりになる前と同じにおいがするんですもの。
死ぬ気で飲んでるんだ。生きてるのが悲しくてしようがないんだよ。
寂しさだの寂しさだの。そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ。
陰気臭い嘆きのため息が四方の壁から聞こえているとき、自分たちだけの幸福なんてあるはずはないじゃないか。
自分の幸福も光栄も、生きてるうちには決してないとわかったとき、人はどんな気持ちになるものかね。
努力。そんなものはただ飢餓の野獣の餌食になるだけだ。みじめな人が多すぎるよ。気ざかね。
「いいえ。」
「恋だけだね。おめえの手紙のお説のとおりだよ。」
「そう。」
私のその恋は消えていた。
夜が明けた。
部屋が薄明るくなって私はそばで眠っているその人の寝顔をつくづく眺めた。近く死ぬ人のような顔をしていた。疲れ果てているお顔だった。犠牲者の顔。尊い犠牲者。
私の人。私の虹。マイチャイルド。憎い人。ずるい人。
このように全くないくらいにとてもとても美しい顔のように思われ、声が新たによみがえってきたようで胸がときめき、その人の髪をなでながら私の方からキスをした。
悲しい、悲しい恋の成就。
上原さんは目をつぶりながら私をお抱きになって、
悲願でいたのさ。僕は百姓の子だから。
もうこの人から離れない。
私、今幸福よ。四方の壁から嘆きの声が聞こえてきても、私の今の幸福感は飽和天よ。くしゃみが出るくらい幸福だわ。
上原さんはふふとお笑いになって、
でももう遅いな。黄昏だ。
朝ですわ。
弟の直二はその朝に自殺していた。
7.直二の遺書
姉さん、だめだ。先に行くよ。
僕は自分がなぜ生きていかなければならないのか、それが全然わからないのです。
生きていたい人だけは飽きるがよい。
人間には生きる権利があると同様に死ぬ権利もあるはずです。
僕のこんな考え方は少しも新しいものでもなんでもなく、こんな当たり前の、それこそプリミチブなことを人は変に怖がって、あからさまに口に出して言わないだけなんです。
生きていきたい人はどんなことをしても必ず強く生き抜くべきであり、それは見事で人間の栄冠とでもいうものもきっとその辺にあるのでしょうが、しかし死ぬことだって罪ではないと思うんです。
僕は、僕という草はこの世の空気と火の中に生きにくいんです。生きていくのにどこか一つ欠けているんです。足りないんです。
今まで生きてきたのもこれでも精一杯だったんです。
僕は高等学校へ入って、僕の育ってきた階級と全く違う階級に育ってきた強くたくましい草の友人と初めて付き合い、その勢いに押され、負けまいとして魔薬を持ち、半狂乱になって抵抗しました。
それから兵隊になって、やはりそこでも生きる最後の手段としてアヘンを用いました。姉さんには僕のこんな気持ちわからないだろうな。
僕は下品になりたかった。強く。いや、凶暴になりたかった。そしてそれがいわゆる民衆の友になり得る唯一の道だと思ったんです。お酒くらいではとてもダメだったんです。
いつもクラクラ目眩をしていなければならなかったんです。そのためには魔薬以外になかったんです。僕は家を忘れなければならない。
父の血に反抗しなければならない。母の優しさを拒否しなければならない。姉に冷たくしなければならない。
そうでなければあの民衆の部屋に入る入場券が得られないと思っていたんです。
僕は下品になりました。下品な言葉遣いをするようになりました。けれどもそれは半分は、いや60%は哀れなつけ焼き歯でした。下手な小細工でした。
民衆にとって僕はやはり気ざったらしく、おつにすました気づまりの男でした。
彼らは僕と真から打ち解けて遊んでくれはしないのです。しかしまた今さら捨てたサロンに帰ることもできません。
今では僕の下品は、たとえ60%は人工のつけ焼き歯でも、しかしあとの40%は本物の下品になっているんです。
僕はあのいわゆる上流サロンの葉の持ちならないお上品さがゲロが出そうで、一刻も我慢できなくなっていますし、
またあのお偉方とかお歴々とか称せられている人たちも、僕のお行儀の悪さに呆れてすぐさま放置するでしょう。
捨てた世界に帰ることもできず、民衆からは悪意に満ちたクソ丁寧の傍聴席を与えられているだけなんです。
いつの世でも、僕のような、いわば生活力が弱くて欠陥のある草は、思想もクソもないただ自ら消滅するだけの運命のものなのかもしれませんが、
しかし僕にも少しは良い分があるんです。とても僕には生きにくい事情を感じているんです。
人間は皆同じもんだ。これは一体思想でしょうか。
僕はこの不思議な言葉を発明した人は宗教家でも哲学者でも芸術家でもないように思います。
民衆の酒場から湧いて出た言葉です。
渦が沸くようにいつの間にやら、誰が言い出したともなく黙々湧いて出て、全世界を覆い、世界を気まずいものにしました。
この不思議な言葉は民主主義とも、またマルキシズムとも全然無関係なものなのです。
それは必ず酒場において、ぶ男が美男子に向かって投げつけた言葉です。
ただのイライラです。嫉妬です。思想でも何でもありゃしないんです。
けれども、その酒場のヤキモチの女性が変に思想めいた顔つきをして民衆の間を練り歩き、
民主主義ともマルキシズムとも全然無関係の言葉のはずなのに、
いつの間にやらその政治思想や経済思想に絡みつき、奇妙に下劣の塩梅にしてしまったんです。
メフィストだってこんな無茶な方言を思想とすり替えるなんて芸当は、さすがに良心に恥じて躊躇したかもしれません。
人間は皆同じものだ。何という卑屈な言葉であろう。
人を癒やしめると同時に自らをも癒やしめ、何のプライドもなくあらゆる努力を放棄ししめるような言葉。
マルキシズムは働く者の優位を主張する。同じものだ、などとは言わん。
民主主義は個人の尊厳を主張する。同じものだ、などとは言わん。
ただ、牛太郎だけがそれを言う。
ふふふ。いくら気取ったって同じ人間じゃねえか。
なぜ同じだと言うのか。優れていると言えないのか。奴隷根性の復讐。
けれどもこの言葉は実に歪説で不気味で、人はお互いに怯え、あらゆる思想が感せられ、努力が嘲笑せられ、
幸福は否定せられ、美貌は怪我され、栄光は引きずり下ろされ、
いわゆる正規の不安はこの不思議な一語から発していると僕は思っているんです。
嫌な言葉だと思いながら、僕もやはりこの言葉に脅迫せられ、怯えて震えて、
何をしようとしても照れくさく、絶えず不安で、ドキドキして身の置きどころがなく、
いっそ酒や麻薬のめまいによって束の間の落ち着きを得たくて、そうしてめちゃくちゃになりました。
弱いのでしょう。どこが一つ重大な欠陥のある草なのでしょう。
また、何かとそんな小理屈を並べたって、何、もともと遊びが好きなのさ。
怠げ者のすけべえの身勝手な快楽児なのさ、と、例の牛太郎がせせら笑って言うかもしれません。
そうして僕はそう言われても、今まではただ照れて曖昧に肯定していましたが、しかし僕も死ぬにあたって一言、こうぎめいたことを言っておきたい。
姉さん、信じてください。僕は遊んでも少しも楽しくなかったんです。
快楽のインポテンツなのかもしれません。僕はただ貴族という自身の影法師から離れたくて狂い、遊び、すさんでいました。
姉さん、一体僕たちに罪があるんでしょうか。貴族に生まれたのは僕たちの罪でしょうか。
ただその家に生まれただけに、僕たちは永遠に、例えば牛太郎身内の者みたいに恐縮し、謝罪し、はにかんで生きていかなければならない。
僕はもっと早く死ぬべきだった。しかしたった一つ、ママの愛情、それを思うと死ねなかった。
人間は自由に生きる権利を持っていると同時に、いつでも勝手に死ねる権利を持っているのだけれども、しかし母の生きている間はその死の権利は流放されなければならないと僕は考えているんです。
姉さん、この上僕はなぜ生きていかなければならねえのかね。もうだめなんだ。
僕は死にます。楽に死ねる薬があるんです。
兵隊のときに手に入れておいたんです。
姉さんは美しく、僕は美しい母と姉を誇りにしていました。
そして賢明だから、僕は姉さんのことについては何も心配していません。
心配などする資格さえ僕にはありません。
泥棒が被害者の身の上を思いやるみたいなもんで責めんするばかりです。
きっと姉さんは結婚なさって子供ができて、夫に頼って生き抜いていくのではないかと僕は思っているんです。
姉さん、僕に一つ秘密があるんです。
長いこと秘めに秘めて、戦地にいてもその人のことを思い詰めて、
その人の夢を見て目が覚めて泣きべそを書いたことも幾度あったか知れません。
その人の名は、とても誰にも口が腐っても言われないんです。
僕は今死ぬのだから、せめて姉さんにだけでもはっきり言っておこうかと思いましたが、
やっぱりどうにも恐ろしくてその名を言うことができません。
でも僕はその秘密を、絶対秘密のまま、とうとうこの世で誰にも打ち明けず、
胸の奥に像して死んだならば、僕の体が火葬にされても、
胸の裏だけが生臭く焼け残るような気がして不安でたまらないので、
姉さんにだけ友足に、ぼんやりフィクションみたいにして教えておきます。
フィクションと言っても、しかし姉さんはきっとすぐその相手の人は誰だかお気づきになるはずです。
フィクションというよりはただ仮名を用いる程度のごまかしなのですから。
姉さんはご存知かな。
姉さんはその人をご存知のはずですが、しかしおそらく会ったことはないでしょう。
その人は姉さんよりも少し年上です。
一重まぶたで目尻がつり上がって、髪にパーマネントなどかけたことがなく、
いつも強くひっつめ髪とでも言うのかしら、そんな地味な髪型で、
そしてとても貧しい服装で、けれどもだらしない格好ではなくて、
いつもきちんと着付けて清潔です。
その人は戦後新しいタッチの絵を次々と発表して、
急に有名になったある中年の洋画家の奥さんで、
その洋画家の行いは大変乱暴で荒んだものなのに、
その奥さんは平気を装って、いつも優しく微笑んで暮らしているのです。
僕は立ち上がって、
それでは、おいとまいだします。
その人も立ち上がって何の警戒もなく、僕の側に歩み寄って、
僕の顔を見上げ、
なぜ?と普通の音声でいい。
本当に不審のように少し骨髄をかしげて、しばらく僕の目を見続けていました。
そしてその人の目に何の邪心も虚色もなく、
僕は女の人と視線が合えば、うろたれて視線を外してしまうタッチなんですが、
その時だけはみじんもはにかみを感じないで、
2人の顔が一尺くらいの間隔で、60秒もそれ以上もとてもいい気持ちで、
その人の瞳を見つめてそれから次微笑んでしまって、
でも、
すぐ帰りますわよ。
とやはり真面目な顔をして言います。
正直とはこんな感じの表情を言うのではないかしらとふと思いました。
それは終身教科職さえいかめしい徳ではなくて、
正直という言葉で表現された本来の徳は、
こんな可愛らしいものではなかったのかしらと考えました。
また参ります。
嘘?
はじめから終わりまで全て皆何でもない会話です。
僕がある夏の日の午後、
その洋画家のアパートを訪ねて行って、洋画家は不在で、
けれどもすぐ帰るはずですから、お上がりになってお待ちになったら?
という奥さんの言葉に従って部屋に上がって、
30分ばかり雑誌などを読んで帰ってきそうもなかったから立ち上がって置いとました。
それだけのことだったのですが、
僕はその日のその時のその人の瞳に苦しい恋をしちゃったんです。
好奇とでも言ったらいいのかしら。
僕の周囲の貴族の中には、
まあまあとにかく、あんな無警戒な正直な目の表情のできる人は、
一人もいなかったことだけは断言できます。
それから、僕はある冬の夕方、
その人のプロフィールに打たれたことがあります。
やはりその洋画家のアパートで洋画家の相手をさせられて、
こたつに入って朝から酒を飲み、洋画家とともに、
日本のいわゆる文化人たちをクソ味噌に言い合って笑いころげ、
やがて洋画家は倒れて大挽きを吐いて眠り、
僕も横になってうとうとしていたら、ふわっと毛布がかかり、
僕は薄目を開けてみたら、東京の冬の夕空は水色に澄んで、
奥さんはお嬢さんを抱いてアパートの草原に、
何事もなさそうにして腰をかけ、
姉さんは東京のお友達のところへ出かけ、
その時ふと、僕は死ぬなら今だと思ったんです。
僕は昔から西方町のあの家の奥の座敷で死にたいと思っていました。
ガエルやハラッパで死んで、
西方町のあの家は人手に渡り、
今ではやはりこの山荘で死ぬより他なかろうと思っていたんですが、
でも僕の自殺を最初に発見するのは姉さんで、
そして姉さんはその時どんなに驚愕し、恐怖するだろうと思えば、
姉さんと二人きりのように自殺するのは気が重くて、
とてもできそうもなかったんです。
それがまあなんというチャンス。
姉さんがいなくて、その代わりすこべる動物のダンサーが
僕の自殺の発見者になってくれる。
その人を二階の洋間に寝かせ、
僕一人、ママの亡くなった下のお座敷に布団を敷いて、
そうしてこのみじめな手記に取り掛かりました。
姉さん、僕には希望の地盤がないんです。さようなら。
結局僕の死は自然死です。
人は思想だけでは死ねるものではないんですから。
それから一つ、とても照れくさいお願いがあります。
ママの片身の麻の着物。
あれを姉さんが直次が来年の夏に着るようにと縫い直してくださったでしょう。
これを僕の棺に入れてください。僕、着たかったんです。
夜が明けてきました。
長いこと苦労をおかけしました。さようなら。
昨夜のお酒の酔いはすっかり冷めています。僕はシラフで死ぬんです。
もう一度、さようなら。
姉さん、僕は貴族です。
8. 夢
みんなが私から離れていく。
直次の死の後始末をして、それから一ヶ月間、
そうして私は、
あの人におそらくはこれが最後の手紙を水のような気持ちで書いて差し上げた。
どうやらあなたも私をお捨てにやったようでございます。
いいえ、だんだんお忘れになるらしいございます。
けれども私は幸福なんですの。
私の望み通りに赤ちゃんができたようでございますの。
私は今、一切失ったような気がしていますけど、
でも、お腹の小さい生命が、
私の孤独の微笑の種になっています。
穢らわしい失策などとはどうしても私には思われません。
この世の中に戦争だの、平和だの、
貿易だの、組合だの、政治などがあるのは何のためだか。
この頃私にも分かってきました。
あなたはご存じないでしょう。
だからいつまでも不幸なんですわ。
それはね、教えてあげますわ。
女が良い子を産むためです。
私には初めからあなたの人格とか責任とかを
あなたの恋の冒険の成就だけが問題でした。
そして私のその思いが完成せられて、
もう今では私の胸の内は森の中の沼のように静かでございます。
私は勝ったと思っています。
マリアがたとえ夫の子でない子を産んでも、
マリアに輝く誇りがあったら、
それは聖母子になるのでございます。
私には古い道徳を平気で無視して、
良い子を得たという満足があるのでございます。
あなたもやはりギロチンギロチンと言って、
紳士やお嬢さんたちとお酒を飲んで
デカ男生活とやらをお続けになっていらっしゃるのでしょう。
でも私はそれをやめようとは申しません。
それもまたあなたの最後の闘争の形式なのでしょうから。
お酒をやめて、ご病気を治して、長生きをなさって、
立派なお仕事を、など、
そんな白々しいおざなりみたいなことは、
もう私は言いたくないのでございます。
そういう悪徳生活をし通すことの方が、
後の世の人たちからかえってお礼を言われるようになるかもしれません。
犠牲者。道徳の敵の犠牲者。
あたかも私もきっとそれなのでございましょう。
革命は一体どこで行われているのでしょう。
少なくとも私たちの身の回りにおいては、
古い道徳はやっぱりそのまま未人も変わらず、
私たちの育てを遮っています。
海の表面の波は何やら騒いでいても、
あたかはみじろぎもせず狸寝入りで寝そべっているんですもの。
けれども私はこれまでの第一回戦では、
古い道徳をわずかながらおしのけ得たと思っています。
そして今度は生まれることとともに、
第二回戦、第三回戦を戦うつもりでいるのです。
恋した人の子を産み、育てることが、
私の道徳革命の完成なのでございます。
あなたが私をお忘れになっても、
またあなたがお酒で命をおなくしになっても、
私の革命の完成のために丈夫で生きていけそうです。
あなたの人格のくだらなさを、
私はこの間もある人からさまざま受けたまわりましたが、
でも私にこんな強さを与えてくださったのはあなたです。
私の胸に革命の虹をかけてくださったのはあなたです。
生きる目標を与えてくださったのはあなたです。
私はあなたを誇りにしていますし、
また生まれる子供にもあなたを誇りにさせようと思っています。
死生時とその母
けれども私たちは古い道徳とどこまでも争い、
太陽のように生きるつもりです。
どうかあなたも、あなたの戦いを戦い続けてくださいまし。
革命はまだちっとも何も行われていないんです。
もっともっといくつもの惜しい尊い犠牲が必要のようでございます。
今、世の中で一番美しいのは犠牲者です。
小さい犠牲者がもう一人いました。
上原さん
私はあなたに何もお頼みする気はございませんが、
けれどもその小さい犠牲者のために一つだけお許しをお願いしたいことがあるのです。
それは私の生まれた子を
たった一度でよろしゅうございますから、
あなたの奥様に抱かせていただきたいのです。
そしてその時、私にこう言わせていただきます。
これは直子がある女の人に内緒で生ませた子ですの。
なぜそうするのか、
それだけはどなたにも申し上げられません。
私自身にもなぜそうさせていただきたいのかよくわかっていないのです。
でも私はどうしても
そうさせていただかなければならないのです。
直子というあの小さい犠牲者のために
どうしてもそうさせていただかなければならないのです。
ご不快でしょうか。ご不快でもしのんでいただきます。
これが捨てられ、罰でかけられた女の唯一のかすかな嫌がらせとお示し、
ぜひお聞き依頼のほど願います。
MC MY COMEDIAN
昭和22年、2月7日
1950年発行
新調冊、新調文庫
社用、より独領読み終わりです。
はい。
社用族って言葉が流行ったそうですよ。
その貴族が落ちぶれていく感じの。
あと直子が結局
上原さんの奥さんに惚れてたとはね。
そして私が産んだ子を