ポッドキャストの紹介
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、別途投稿フォームもご用意しました。
リクエストなどをお寄せください。
そして、まだしてないよというそこのあた、
ぜひ番組フォローをどうぞよろしくお願いします。
そして最後に、おひねりという名前のメンバーシップに入っていただけると、
とても嬉しいです。
概要欄のリンクよりご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。
小説のあらすじ
さて、今日は夏目漱石さんの手紙です。
最後に手書きの手紙をもらったのはいつですか?
そして最後に手書きの手紙を出したのはいつですか?
メールやLINEが発達しまして、手書きの手紙を書く機会はほとんどなくなりましたが、
いざもらうとなるといいもんですよね。
僕も最後にもらったのは、
かつて飲み友だったおじさんがもう亡くなってしまって、
しかしそのお母さんがご存命で、
息子が行っていたお店に私も行ってみたいというので来るようになった、
そのお母様からいただいた脳のお誘い、
狂言と脳のお誘いに直沢さんこちらへいらっしゃいますし、
今回やる演目はこんな感じですよみたいな資料を一緒にもらった手紙が最後かな。
僕は出したやつだと元カノちゃんへ送ったのが最後ですね。ずいぶん前です。
5年以上6年、すごい前ですね。
あなたは最後に手紙を出したのはいつですか?
インターネットで完結する時代だからこそ、
アナログの手紙の持つ重みみたいなのはあると思いますよ。
ちょっと今度出してみたらいかがでしょうか。
さて、じゃあ読んでいきますかね。
あらすじです。
夏目漱石の短編小説「手紙」は、
主人公の私とその妻が交換を持っている青年、
重吉の結婚相手を世話する中で起こる出来事を描いています。
重吉は真面目で誠実な人物とみられていましたが、
旅館で偶然見つけたある手紙から彼に裏の一面があるかもしれないと分かり、
夫婦の青年への見方が変わっていく物語です。
主人公の思索
文字数は1万2千字。
30分かかるかな。
3、40分ですかね。
40分くらいかもしれません。
どうかお付き合いください。
それでは参ります。
手紙1
モーパさんの書いた25日間と題する商品には、
ある温泉場への宿屋へ落ち着いて、
着物や白シャツを衣装棚へしまおうとする時に、
その引き出しを開けてみたら、中から巻いた紙が出たので、
何気なく引き伸ばして読むと、
私の25日メバサンジュールという兄弟が目に触れたという冒頭が置いてあって、
その先にこの無名識のいわゆる25日間が
一時も変えぬものの姿で転載された体になっている。
プレボーの不在という刃物の書き出しには、
パリのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、
ドイツのサル秘書地へ下りて、
そこの宿屋の机か何かの上でしきりに構想に悩みながら、
何か種はないかというふうに、
机の引き出しをいちいち開けてみると、
最終の底から思いがけなく手紙が出てきたとあって、
これにもその手紙がそっくりそのまま出してある。
二つともよく似た趣向なので、
あるいは新しい方が古い人のやった跡を踏襲したのではなかろうかという
疑いさえ差し挟めるくらいだが、
それは自分にはどうでもよろしい。
ただ、自分もつい近頃これと同様の経験をしたことがある。
そのせいか今まではなるほど小説家だけあって
うまくこしらえるなとばかり感心していたのだが、
それ以後実際世の中にはずいぶん似たことがたくさんあるものだという気になって、
むしろ偶然の重複に永短するような心持ちが幾分かあるので、
つい二人の作をここに並べてあげたくなったのである。
もっともモーパさんのは表題の示すごとく、
東流25日間の印象記という種類に属すべきもので、
プレボーノは滞在中の女客にあてた生めかしい男の文だから、
双方とも無名詞の文字それ自身が興味の館目である。
自分の経験もやはりふとした場所で意外な手紙の発見をしたということにはなるが、
それが導火線になって思いがけなくある実際上の効果を収め得たのであるから、
手紙そのものにはそれほど興味がない。
少なくとも小説的な情緒のもとに、
それを読み得なかった自分にはそういう興味はなかった。
そこが前に挙げたフランスの二作家と違うところで、
そこがまた彼らよりも三分的な自分をして、
彼らの例に倣ってその手紙をこの話の中心として、
一時残らず写さしめなかった原因になる。
手紙は疑いもなく宿屋で発見されたのである。
場所もほとんどフランスの作家の筆にしたところのほとんど変わりはない。
けれどもどうしてどんな手紙かという問いに答えるためには、
それを発見した当時から約一週間ほど前に遡って説明する必要がある。
いよいよ警視へ立つという前の晩になって、
サイがちょうど入り着いていたから、
帰りに重吉さんのところへ寄っていらっしゃい。
そして重吉さんに会って、あのことはもっとはっきり決めていらっしゃい。
なんだかタコが木の枝へ引っかかっていながら、
途中で上がっているような気がしていけませんから、と言った。
重吉のことは自分も同感であった。
それにしても、サイによくこんな気の利いた言葉が使えると思って、
お前、誰かに教わったのかい?と何も答えない先に、
まず冗談半分の疑いをほのめかしてみた。
するとサイは存外真面目切った顔つきで、
何をです?と問い返した。
開き直ったというほどでもないが、
こっちの意味が通じなかったことだけは確かなように見えたから、
自分はタコの話はそれぎりにして、直接重吉のことを談合した。
重吉というのは自分の身内とも厄介者とも肩のつかない一種の青年であった。
一時は自分の家に寝起きをして学校へ通ったくらい関係は深いのであるが、
大学へ行って以来下宿をしたぎり、
四年の家庭を終わるまでとうとう家へは帰らなかった。
もっとも別に疎遠になったというわけではない。
日曜や土曜、もしくは平日でさえ気が向いたときにはやってきて長く遊んでいった。
元来が王様たちで素直に男らしく内くつろいでいるように見えるのがもっと生まれたこの人の徳であった。
それで自分も妻もはなはだ重吉を好いていた。
重吉の方でも自分らをおじさん、おばさんと呼んでいた。
2. 重吉は学校を出たばかりである。
そして出るやいないやすぐ田舎へ行ってしまった。
なぜそんなところへ行くのかと聞いたら別にたいした意味もないが、
ただ口を頼んでおいた先輩が行ったらどうだと進めるかはその気になったのだと答えた。
それにしても栄一はあんまりじゃないか。
せめて大阪とか名古屋とかなら地方でも仕方がないけれども、
と自分は当人がすでに決めたというにもかかわらず一応彼の栄一行きに反対してみた。
そのとき重吉はただにやにや笑っていた。
そして今急にあそこに決意ができて困っているというから当分の約束で行くのです。
じきまた帰ってきます。と後がもう未来が自分の勝手になるようなものの言い方をした。
自分はその場で重吉のまた帰ってきますを帰ってくるつもりですに訂正してやりたかったけれども、
そう思い込んでいる者の心を無益にざわつかせる必要もないからそれはそれなりにしておいて。
じゃああのことはどうするつもりだと尋ねた。
あのことは今までの行き係上重吉の立つ前にぜひとも聞いておかなければならない問題だったからである。
すると重吉は別に気にかける様子もなく、
万事はあなたにお任せするからよろしくお願いしますと言ったなり平気でいた。
刺激に対して急激な反応を示さないのはこの男の天分であるが、
そうにしても彼の年齢とこの問題の立ちから一般的に見たところで、
重吉の態度はあまり冷静すぎて定量未満の興味しか持ち得ないという風に思われた。
自分は少し不信を抱いた。
元来、自分と斉藤重吉との間にただあのこととして一種の不調のように通用しているのは、
実を言うと彼の演談に関する件であった。
卒業の少し前から話が続いているので、
自分たちだけには単なるあのことで一切の経過が明らかに頭に浮かぶせいか、
別段改まって相手の名前などは口へ出さないで済ますことが多かったのである。
女は妻の当縁に当たる者の事情であった。
その関係で時々自分の家に出入るところから自然重吉とも知り合いになって
あやば互いに挨拶するくらいの交際が成立した。
けれども二人の関係はそれ以上に接近する機会もくわだてもなく、
ほとんど同じ距離で進行するのみに見えた。
そして二人ともそれ以上に何者をも求める景色がなかった。
要するに二人の間は年長者の監督の下に立つある少女と、
まだ修行中の身分を自覚するある青年とが一種の社会的な事情から、
互いと顔を見合わせて礼儀に戻らないだけの応対をするに過ぎなかった。
だから自分は驚いたのである。
重吉が上がらず迫らず常と少しも違わない平面な調子で、
あの人をサイにもらいたい。
話をしてくれませんかと言ったときには、
君本当かと実際聞き返したくらいであった。
自分はすぐ重吉の挙手動作が普段に大抵真面目であることと、
この問題に対してもまた真面目であるのを発見した。
そして過時の日本社会道徳に背いて私の歩みを相互に進めることなしに、
意思の重みを始めから監督者たる父母に寄せかけた彼の行いぶりを心よく感じた。
そこで彼の依頼を引き受けた。
早速妻をやって先方へ話をさせてみると、
妻は女の母の挨拶だと言って妙な返事をもたらした。
金はなくても構わないから、
増楽をしない保証のついた人でなければやらないというのである。
そしてなぜそんな注文を出すのか、
言われが説明としてその返事に伴っていた。
女には一人の姉があって、
その姉は二、三年前既にある資産館のところへ嫁に行った。
今でも言っている。
世間並みの夫婦として別に人の注意を引くほどの波乱もなくまず平穏に収まっているから、
人目にはそれで差し支えないように見えるけれども、
姉娘の父母はこの二、三年の間に苦々しい思いを絶えず影で舐めさせられていたのである。
その全ては娘の片付いた先の夫の文持から起こったのだといえばそれまでであるが、
父母の懸念
父母だって娘の定所を業務上必要の付き合いから追い出してまで、
娘の権利と幸福を庇護しようと試みるほど裁けない人たちではなかった。
3
実を言うと父母は初めからそれを承知の上で娘を嫁にやったのである。
それのみか腕利きの腕を最も敏括に働かすという意味に解釈した酒と女は、
仕事の上にかくべからざる高妻社会の必要条件とまで認めていた。
それなのに彼らはやがて眉をひそめなければならなくなってきた。
かねて丈夫であった娘の健康が嫁に行ってしばらくすると目につくように衰え出したときに、
彼らはもう相応に胸を痛めた。
娘に会うたびに母親はどこか悪くはないかと聞いた。
娘はただ微笑して別段何ともないとばかり答えていた。
けれどもその血色は次第に青くなるだけであった。
そうして姉妹にはとうとう病気だということがわかった。
しかもその病気があまり太刀の良いものではなかったということがわかった。
なおよく探求すると、
公に言いにくい夫の病がいつの間にか妻に感染したのだということまでわかった。
父母の懸念が道徳上の着色を帯びて、
好悪の意味で娘の夫に反射するようになったのはこの時からである。
彼らは気の毒な長女を見るにつけて、
これから嫁にやる次女の夫として、
姉のそれと同系の増落者を想像するに絶えなくなった。
それで金はなくても構わないから、
どうしても増落をしない保険付きの固い人にもらってもらおうと、
夫婦の間に相談がまとまったのである。
自分の際は先方から聞いてきた通りにこういうふうに詳しく繰り返して自分に話したのち、
重吉さんなら間違いはないかろうと思うんですがどうでしょうと言った。
自分はただそうさと答えたまま畳の上を見つめていた。
すると妻はやや疑ったような調子で重吉さんでも増落をするんでしょうかと聞いた。
まあ、大丈夫だろうよ。
まあじゃ困るわ。本当に大丈夫でなくっちゃ。
だってもしか嘘でもついたら私すまないんですもの。
重吉の心情
私ばかじゃない。あなただって責任が終わりじゃありませんか。
こう言われてみるとなるほど先方はいい加減な返事をするのもいかがなものである。
と言ってあの重吉が遊ぶとはどうしても考えられない。
むろん彼の様子には地味さえとか無骨すぎるとかすべて息の裏へ回るものは一つもなかった。
けれども全面が平たく尋常に出来上がっているせいか、
どことさしてここが増落臭いという点もまたまるで見当たらなかった。
自分は妻といろいろ話した末、こう言った。
まあ大抵よかろうじゃないか。増落の方は受け合いますと言っといてよ。
増落の方ってしない方多いでしょ。
当たり前さ。する方を受け負っちゃ大変だ。
妻はまた先方へ行って決して増落をするような男じゃございませんと受け合った。
話はそれから発展し始めたのである。
重吉が地方へ行くと言い出した時にはそれがずっと進行して、もう10の9まではまとまっていた。
自分は重吉のHへ立つ前にわざわざ先方へ出かけて行って父母の同意を求めた上で重吉を立たせた。
重吉とおしずさんとの関係はそこまで行ってぴったりと止まったなり今日に至ってまだ動かずにいる。
もっとも自分はそれほど気にもかからない。今にどっちからか動き出すだろう。
万事はその時のことと覚悟を決めていたが。
妻は女だけに心配してこの間も長い手紙を重吉にやって一体あのことはどうなさるおつもりですかと尋ねたら、
重吉は万事よろしく願いますと例の通りの返事をよこした。
その前聞き合わせた時には私はまだ道楽を始めませんから大丈夫ですというはがきがきた。
妻はそのはがきを自分のところへ持ってきて、
重吉さんもずいぶん呑気ね。まだ始めませんって今に始められた日には大丈夫でもなんでもないじゃありませんか冗談じゃるまいしと少し怒ったような動きを漏らした。
自分にも重吉の用いたこのまだという字がいかにもおかしく思われた。
結婚の行方
妻に当人本気なのかなと言ったくらいである。
妻が表したごとくこういうふうにいつまでもタコが木の枝に引っかかって中途から上がっているようなありさまで
押してゆかれては間に入った自分たちの責任としても姉妹には放ってゆかれなくなるのは明らかだから
今度の旅行を幸い帰りに栄一へ寄って、いわゆるあのことをもっとはっきり片付けてきたらよかろうという妻の意見に従うことに決めて家を出た。
④
汽車中では重吉の地方生活をいろいろに想像する暇もあったが、目的地へ降りるや否やすぐ登用のために暴殺されて、あのことなどはほとんど考えもしなかった。
ようよ四五日かかって一段落がついたとき、自分はまた汽車に揺られながらまだ見ない栄一の町やその町の中にある重吉の下宿している旅館などを頭の奥に漂う絵のように眺めた。
もとより物好きのさせる技だから煙草のけぶりに似て取り留めることのできないうちにまた煙草のけぶりに似た淡い愉快があった。
とかくするうちに汽車はとうとう栄一へ着いた。
自分はすぐ車を雇って重吉のいる宿屋の玄関へ乗りつけた。
番頭にここに佐野という人が下宿しているはずだがと聞くと、番頭はお辞儀を二つばかりして、佐野さんは先立ってまでお入りになりましたが、ついこの間お引き移りになりましたという。
けしからんことだと思いながらもなお引っ越し先の模様を尋ねてみると、到底自分などの行って一晩でも二晩でも厄介になりそうなところではないらしい。
いっそここへ泊まる方が楽だろうと思って、
じゃあ居た部屋へ案内してくれと言うと、番頭はまたお辞儀を一つして、まことにお気の毒様ではございますが、小婚祭でどの部屋も塞がっておりますので、と丁寧に断った。
自分は傘をついたまましばらく玄関の前に立っていた。
正式に言うとあらかじめ重吉に通知をした上、なお栄一尺の時間を電報で言ってやるべきであるが、なるべくお互いの面倒を省いて簡略にことを済ますのが当数だと思って、
わざと前触れなしに重吉を襲ったのであるが、いよいよ来てみると、自分のやり口はただの不注意から出る不都合な結果を自分の上に投げかけたと同じことになってしまった。
自分は栄一にどんな宿屋が何軒あるかまるで知らなかったが、この旅館がそのうちで一番良いのだということだけはかねて受け取った重吉の手紙によって心得ていた。
なるほど、奥を覗いてみると廊下が折れ曲がったり、長庭の先に新しい棟が見えたりして、さんも広そうでかつ物切れであった。
自分は番頭に、どこか都合ができるだろうと言った。
番頭は陶悪したような顔をして、しばらく考えていたが、はなはな見苦しいところで一夜泊まりのお客様にはお気の毒でございますが、さんのさんのいらっしゃったお座敷ならどうかいたしましょうと答えた。
その口ぶりから察すると何でもよほど汚いところらしいので、また少し躊躇しかけたが、
もとよりこの地に来て体裁を変えりみる必要もない身だから、一晩や二晩はどんな部屋で明かしたって構わないという気になって、この間まで重吉のいたというその部屋へ案内してもらった。
部屋は大地の廊下を右へ折れて、そこの縁側から庭下駄を履いて、二三足たたきの上を渡らなければいれない代わりに、どことも続いていないところが、まるで一見立ちの感を与えた。
天井の低いのや柱の細いのが、さんも茶がかった空気を作るとともに、いかにも締めっぽい陰気な感じがした。
そして畳と言わず襖と言わず、はなはだしく古びていた。
向こうの藤棚の陰に見える少し出張った新築の中二階などと比べると、まるで比較にならないほど趣が違っていた。
こんなところに入っていたのか、と思いながら自分は茶を飲んでしばらく座敷を見回していたが、やがてスズリを借りて重吉のところへやる手紙を書いた。
ただ簡単に、軽紙へ用があって来たついでにここへ寄ったから、すぐ来いというだけに留めた。
それから湯に入って出ると、もう食事の時間になった。
自分はなるべく重吉と一緒に晩飯を食おうと思って、煙草を何本も吹かしながら彼の来るのを心待ちに待っているうちに、向こうの中二階に電気軌道がついてにぎやかな人声が聞こえ出した。
自分はとうとう待ちきれず、一人前に向かった。
9時に出た女が、小婚祭でどこの宿屋でもこみ合っているとか、町ではいろいろな催しがあるとか、佐野さんも今晩はきっとどこかへ追えばれなさったんでしょうとかいうのを聞きながらビールを一、二杯飲んだ。
下女は重吉のことを、おとなしい良い方だと言った。
女に惚れられるかと聞いたら、えへへと笑っていた。
どうな顔するだろうと聞いたら、下を向いて小さな声をして、いいえと答えた。
5
食事が済んで下女が善を避けたのは、もう九時近くであった。
それでも重吉はまだ顔を見せなかった。
自分は一人で縁端なエザボトンを運んで手すりにもたれながら、向こう座敷の明るい電気灯や派手な笑い声をしめっぽい空気の中から遠くうかがってつまらない心持ちをつまらないなりに引きずるような態度で煙草ばかり吹かしていた。
そこへ、さっきの下女が襖を開けて、やっといらっしゃいましたと案内をした。
その後から重吉が赤い顔をして入ってきた。
自分は重吉の赤い顔をこの時初めて見た。
けれども席について挨拶をする彼の様子と言い、言葉数と言い、上げ下げの調子と言い、すべてが平成の重吉そのままであった。
自分は彼の言語動作のいずれの点にも、手記に駆られて動くのだと表して叱るべき際立った何者をも認めなかったので、異常な彼の顔色については別に言うところもなく済ました。
しばらくして彼は茶器を買いに来た下女の名を呼んで、コップに水を一杯くれと頼んだ。
そして自分の方を見ながら、どうも喉が渇いてと間接な展開をした。
大分飲んだんだね。
ええ、お祭りで少し飲まされました。
赤い顔のことは簡単にこれで済んでしまった。
それからどこをどう話が通ったか覚えていないが、三十分ばかり経つうちに、自分も重吉もいつのまにかいわゆるあのことの件内で受け答えするようになった。
一体どうする気なんだい?
どうする気だって、むろんもらいたいんですがね。
真剣のところは白状しなくちゃいけないよ。いい加減なことを言って引っ張るくらいなら、いっそ引っ張り今のうちに断る方が得策だから。
今さら断るなんて僕はごめんだな。実際、おじさん、僕はあの人が好きなんだから。
重吉の様子にどこと言って嘘らしいところは見えなかった。
じゃあ、もっと早くどしどし片付けるがいいじゃないか。いつまで経ってもグズグズで。旗から見ると、いかにも逃げ切らないよ。
重吉は小さな声で、そうかなと言ってしばらく休んでいたが、やがて元の調子に戻ってこう聞いた。
だって、もらってこんな田舎へ連れてくるんですか?
自分は、田舎でもなんでも変わらないはずだと答えた。重吉は先方がそれを承知なのかとっき聞き返した。自分はそのときちょっと困った。
手紙の発見
実はそんな細かなことまで先方の意見を確かめた上で、ダンパンに来たわけではなかったからである。けれどもギガ狩上をやむを得ないので、
そう話したら承知するだろうじゃないか。と勢いよく言ってのけた。
すると、重吉は問題の方向を変えて、もっかの経済事情が到底暖かい家庭を物質的に形作るほどの余裕を持っていないから、しばらくの間一人で辛抱するつもりでいたのだという弁解をした上、
最初の約束によれば今年の暮れには月休があがって東京へ帰れるはずだから、そのときは先さえ承知ならどんな小さな家でも構えて、おしずさんを迎える考えだと話した。
もしことが約束通りに運ばないため月休もあがらず、東京へも帰れなかった暁には、そのときこそ先方さえ遺存がなければ、自分の言ったようにする気だから何分よろしく頼むということも付け加えた。自分は一応最もだと思った。
「そう。お前の腹が決まっているのはそれでいい。お坊さんも安心するだろう。おしずさんの方へもよくそう話しておこう。」
「ええ、どうぞ。しかし僕の腹は大抵あなた方にはわかっているはずですがね。」
「そんならあんな返事をよこさないがいいよ。ただよろしく願いますだけじゃ、いっこうわからないじゃないか。そしてあの歯垣なんだい。私はまだ堂楽を始めませんから大丈夫ですって。本気だか冗談だかまるで見当がつかない。」
「ああ、どうもすみません。しかし全く本気なんです。」と言いながら、重吉は苦笑して頭をかいた。
あのことはそれで切り上げて、あとはまとまらないヨモヤモの話に夜を吹かした。
せっかくだから二三日逗留してゆっくりしていらっしゃいと勧めてくれるのを断って、やはり明る日立つことにしたので、
重吉は、「そんならお疲れでしょう。早くおやすみなさい。」と挨拶して帰って行った。
手紙の内容を読む
明る朝、顔を洗って部屋へ帰ると棚の上の兄弟がれいれいと少女の前に据え直してある。
自分は何気なくその前に座るとともに鏡の下の櫛を取り上げた。
そしてその櫛を拭くつもりか何かで兄弟の引き出しを力任せに開けてみた。
すると浅い霧の底に奥の方で何か引っかかるような手応えがしたのだが、
たちまち軽くなってスルスルと抜けてきた途端に、巻き収めてねじれたような手紙の端が筋替えに見えた。
自分はひったくりようにその手紙を取って、すぐ五六寸破いて櫛を拭こうとしてみると、
細かい女の字で白紙の闇をたどるといったように細長くひょろひょろと何か書いてあるのに気がついた。
自分はちょっと一二行読んでみる気になった。
しかしこのひょろひょろした文字が原文一致で綴られているのを発見したとき、
自分の好奇心は最初の一二行では満足することができなくなった。
自分は知らず知らず先に破った五六寸を一息に読み尽くした。
そうして先残しの文絵までもどんどん進んでいった。
こう進んでゆくうちにも自分は絶えず微笑を禁じえなかった。
実を言うと手紙はある女から男にあてた縁書なのである。
縁書だけに一方から言うとはなはだチンプには相違ないが、
それがまた形式の決まらない原文一致で勝手に書き流してあるので、
ずいぶん奇抜だと思う文句がひょいひょい出てきた。
ことに字違いやカナ違いが目についた。
それから感情の表し方がいかにも露骨でありながら一種のカタに入っているという意味で、
誠がかえって出ていないようにも見えた。
最も恐るべく下手な声のドドイツなども遠慮なく引用しちゃった。
すべてを総合して書き手の苦労とであることが、
誰の目にも何より先にまず映る手紙であった。
どうせ無関係な第三者が人の縁書の盗み読みをするときに、
滑稽の興味が配らないはずはないわけであるが、
書き手が説奏上の特技を負担しないで済む苦労とのような場合には、
この興味が他の厳粛な社会的観念に妨げられる恐れがないだけに、
読み手ははなはだ気楽なものである。
そういうわけで、自分は多大の興味をもって、
この長い手紙をくすくす笑いながら読んだ。
そうして読みながら、こんなに女から思われている異霊男は一体何者だろうかとの好奇心を、
最後の一行が尽きて、名当の名が自分の目の前に現れるまで引きずっていた。
重吉との関係
ところがこの好奇心が遺憾なく満足されべき、
画量転生の名前までいよいよ読み進んだとき、自分は突然驚いた。
名当には、重吉の生と名がはっきり書いてあった。
自分は少しの間ぼんやり庭の方を見ていた。
それから手に取った手紙をさらさらと巻いて浴衣のふところへ入れた。
そうして鏡の前で紙を分けた。
時計を見るとまだ7時である。
しかし自分は十時何分かの汽車で立つはずになっていた。
手を叩いて下嬢を呼んで、すぐ重吉を車で迎えにやるように命じた。
その間に飯を食うことにした。
なんだかおかしいという気分も幾分か混じっていた。
けれども相対にあの野郎という心持ちの方が勝っていた。
そしてあの野郎として重吉を眺めると、宿を変えて、
いつまでも知らせなかったり散々人を待たせて気の毒そうな顔もしなかったり、
やっと入ってきたかと思うと一面アルコールに彩られていたり、
全て不都合だらけである。
が、平成どの角度に見ても尋常一式のあの男が、
いつの間に女から手紙などをもらってすましかえているのだろうと考えると、
当たり前すぎる普段の重吉と、
異路男として別に通用する特性の重吉との矛盾がすこぶる滑稽に見えた。
したがって自分はどっちの感じで重吉に対して良いか分からなかった。
けれどもどっちかに決めて、
これを根本調として改憲しなければならないということに気がついた。
自分は食後の茶を飲んで幼児をお使いながら、
ここへ重吉が来たらどう取り扱ったものだろうと考えた。
そこへ宿から迎えに行った車に乗って、彼はすぐに駆けつけてきた。
彼に対する態度をまだよく定めていない自分には、
彼の来方がむしろ早すぎるくらい現れようが今度は迅速であった。
彼は簡単に早いじゃありませんか、
今朝起きたらすぐ上がるつもりでいたところをお迎えで、
と言ったままそこへ座って自分の顔を静止した。
この時旗から二人の様子を虚心に観察したら、
重吉の方が自分よりはるかに無邪気に見えたに違いない。
自分は黙っていた。
彼は白帯に角を帯びで、
一重の下からネズミ色の羽布帯をかけた序盤の衿を出していた。
今日はだいぶ洒落てるじゃないか。
え、夕べもこのなりですよ。夜だからわからなかったんでしょう。
自分はまた黙った。
それからまたこんな会話を二、三度取り交わしたが、
いつでもその間に妙な穴ができた。
自分はこの穴を恋にこしらえているような感じがした。
けれども重吉にはそんなわだかまりがないから、
いくら口数を減らしてもその態度が自ら天然であった。
しまいに自分は真面目になってこう言った。
実は昨夕もあんなに話したあのことだがね。
どうだ、いっそのことをきっぱり断ってしまっちゃ。
重吉はちょっと腑に落ちないという顔つきをしたが、
それでもいつものようなおっとりした調子で、
なぜですかと聞き返した。
なぜって、君のような堂楽者は向こうの夫になる資格がないからさ。
今度は重吉が黙った。
自分は重ねて言った。
俺はちゃんと知ってるよ。
お前の遊ぶことは天下に隠れもない事実だ。
こう言った自分は、急に自分の言葉がおかしくなった。
けれども重吉が苦笑いさえせずに控えていてくれたので、
こっちも真面目に進行することができた。
元来男らしくないぜ。
人をごもかして自分のとこばかり考えるなんて、
まるで詐欺だ。
だっておじさん、僕は病気なんかにまでかかれやしませんよ。
と重吉が割り込むように弁解したので自分はまたおかしくなった。
そんなことが人にわかるもんか。
いいえ、全くです。
とにかく遊ぶのがすでに条件違反だ。
お前はとてもおしずさんをもらうわけにいかないよ。
うーん、困るな。
重吉は本当に困ったような顔をしていろいろ泣きついた。
自分はガンとして破壇を主張したが、最後にそうならば、
彼が女を迎えるまでの間、近親と後悔を表する証拠として、
月々法給のうちから10円ずつ自分の手元へ送って、
それを結婚費用の一端とするなら、
この事件は内裁にして勘弁してやろうと言い出した。
重吉は10円を5円に負けてくれと言ったが、
自分は聞き入れないでとうとうこっちの言い筋通り
10円ずつ送らせることに取り決めた。
間もなく時間が来たので自分は早速立って着物を着替えた。
そして車を命じてステーションへ急がした。
重吉は、むろんついてきた。
けれども、カバン膝掛けその他一切の手荷物はすでに
宿屋の番頭が始末をしてちゃんと列車内に運び込んであったので、
彼はただ手持ち無沙汰にプラットフォームの上に立っていた。
自分は窓から首を出して、
重吉の歯舞台の襟と可動部としろたびを得意気に眺めていた。
いよいよ発車の時刻になって、
車の輪が回り始めたと思う際どい瞬間をわざと見計らって、
自分は隠しの中から今朝読んだ手紙を出して、
おい、お土産をやろうと言いながら、
できるだけ長く手を重吉の方に伸ばした。
重吉がそれを受け取る自分には汽車はもう動き出していた。
自分はそれぎり首を列車内に引っ込めたまま、
ステーションを外れるまで決してプラットフォームを見返らなかった。
家へ帰っても手紙のことは妻には話さなかった。
旅行後。
1ヶ月目に重吉から10円届いた時、
妻は、でも関心ね、と言った。
2ヶ月目に10円届いた時には、
全く関心だわ、と言った。
3ヶ月目には7円しか来なかった。
すると妻は、
重吉さんも苦しいんでしょう、と言った。
自分から見ると、
重吉のおしずさんに対する敬意は、
この過去3ヶ月間において、
すでに3円型欠乏していると言わなければならない。
将来の敬意に至っては、
むろん疑問である。
1954年発行。
門川書店。
門川文庫。
ガラス戸の中。
より独了。
読み終わりです。
うーん。
今で言うと、
LINEが見つかっちゃった、
みたいな感じでしょうね。
なるほど。
あの人とくっつけさせてくださいよ、
って言って、
お願いしておいて、
遊んでたっていうことね。
なるほど。
病気って何のことですかね。
性病のことかな。
うーん。
わかんないですね。
その、
おしずさんのお姉さんが、
デジタルとアナログの対比
旦那が遊びすぎるから、
かかって、
もらってしまった病気って、
ま、性病かな。
はい。
いつの間にも、
まめな連絡は取れる人が、
持てるようですね。
僕はね、
全然ダメなんですよね。
LINEも、
メールも全然。
うーん。
なんか、
取り違えちゃうし、
トーンが伝わってこないから。
僕のトーンも伝わってないだろうし。
だからもう、
ボイスメッセージを送りつけちゃいますね。
それか電話しちゃいますね。
その方が早いです。
こっちのテンションも、
こっちのトーンも伝わると思うし。
うーん。
LINEやメールにすると、
ボタンの掛け違いとかも絶対あるだろうし。
ね。
まぁでもたまには、
手書きの手紙とかもいいですね。
まぁそんな書く機会もないけど。
デジタルが行き来って、
メールやLINEや電話もあるのに、
あえての、
昔ながらのアナログな手紙。
まぁ呪いをかけるには十分でしょうね。
両方容量を守って、
正しくお使いいただければと思います。
ふふふふ。
よし。
終わりにしよう。
無事寝落ちできた方も、
最後までお付き合いいただけた方も、
大変にお疲れ様でした。
といったところで、
今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。