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2023-05-10 16:27

キコアベ二周年記念リレー朗読 「ヴィヨンの妻」第一夜 #126

126回目のキコアベは…Jさんの朗読回!

「ヴィヨンの妻」 あらすじ
詩人で極度の放蕩者の夫を持つ妻が、
世間に揉まれながらも些細な幸せを享受し生きていく。

時折、家に泥酔して帰ってきたかと思えば
何かにひどく怯えている夫の繊細さや孤独を知る妻。
その反動か表では酒に不倫に、
挙句は料理屋で窃盗まで働く愚かな夫の後始末をするため、
彼女は動きだします。 ≪ara-suji.comより≫


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00:04
リオンの妻 田沢陽さん
慌たたしく玄関を開ける音が聞こえて、私はその音で目を覚ましたが、それは泥水の夫の深夜の帰宅に決まっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。
夫は隣の部屋に電気を点け、「はぁ、はぁ。」と凄まじく粗い呼吸をしながら、机の引き出しや本箱の引き出しを開けてかき回し、何やら探している様子でしたが、やがてどたりと畳に腰を下ろして座ったような物音が聞こえまして、後はただ、「はぁ、はぁ。」という粗い呼吸ばかりで何をしていることやら、私が寝たまま、
お帰りなさいまし、ご飯はお済みですか。音棚におむすびがございますけど。」と申しますと、「いや、ありがとう。」と、いつになく優しい返事をいたしまして、「坊やはどうです。熱はまだありますか。」と尋ねます。
これも珍しいことでございました。坊やは来年四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足元さえおぼつかなく、言葉もうまうまとか、いやいやとかを言えるくらいがせきの山で、脳が悪いのではないかとも思われ、
私はこの子を銭湯に連れて行き、裸にして抱きあげて、あんまり小さく醜く痩せているので、さみしくなって大勢の人の前で泣いてしまったことさえございました。
そうしてこの子はしょっちゅうお腹をこわしたり熱を出したり、夫はほとんど家に落ち着いていることはなく、子供のことなど何と思っているのなら、坊やが熱を出しまして、と私が言っても、
あ、そう、お医者に連れて行ったらいいでしょう、と言って忙しげにふたえまわしをはおってどこかへ出かけてしまいます。お医者に連れて行きたくても、お金も何もないのですから、私は坊やに添い寝して、坊やの頭を黙って撫でてやっているより他はないのでございます。
けれどもその夜はどういうわけか、嫌に優しく、坊やの熱はどうだ、など珍しく尋ねてくださって、私はうれしいよりも、なんだか恐ろしい予感で背筋が寒くなりました。
何とも返事のしようがなく黙っていますと、それからしばらくは、ただ夫の激しい呼吸ばかり聞こえていましたが、「ごめんください。」と女の細い声が玄関でいたします。私はそう見に冷水を浴びせられたようにぞっとしました。
「ごめんください。大谷さん。」今度はちょっと鋭い誤調でした。同時に玄関の開く音がして、「大谷さん、いらっしゃるんでしょう。」とはっきり怒っている声で言うのが聞こえました。
夫はその時やっと玄関に出た様子で、「なんだい。」とひどくおどおどしているような間の抜けた返事をいたしました。
03:07
「なんだいではありませんよ。」と女は声をひそめていい。
「こんなちゃんとしたお家もあるくせに、泥棒をはたらくなんてどういうことです。人の悪い冗談をよして、あれを返してください。でなければ、私はこれからすぐ警察に訴えます。」
「何を言うんだ。しっけいなことを言うな。ここはお前たちの来るところではない。帰れ。帰らなければ、僕の方からお前たちを訴えてやる。」その時もう一人の男の声が出ました。
「先生、いい度胸だね。お前たちの来るところではないとはでかした。あきれてものが言えねえや。他のこととはちがう。よその家のお金をあんたは、冗談にも程度がありますよ。今までだって、あたしたち夫婦はあんたのためにどれだけ苦労をさせられてきたかわからねえんだ。
それなのにこんな今夜のような情けねえことをしでかしてくれる。先生、あたしは見損なえましたよ。」
「言うすりだ。」と夫はいたけだかに言うのですが、その声はふるえていました。
「強かつだ。帰れ。文句があるなら、あした聞く。」
「たいへんなことを言いやがるな先生。すっかりもう一人前の悪党だ。それではもう警察へお願いするより手がねえぜ。」
その言葉の響きには、あたしの全身、とり肌たったほどのすごい憎悪がこもっていました。
「勝手にしろ。」と叫ぶ夫の声はすでに言わずって空虚な感じのものでした。
あたしは起きて寝まきの上に羽織をひっかけ、玄関に出て二人のお客に、
「いらっしゃいまし。」とあいさつしました。
「やあ、これは奥さんですか。」
ひざきりの短い街灯を着た五十すぎくらいの丸顔の男の人が、少しも笑わずにあたしに向かって、ちょっとうなずくようにえしゃくしました。
女のほうは四十前後のやせて小さい、みなりのきちんとした人でした。
「こんな夜中にあがりまして。」とその女の人は、やはり少しも笑わずにショールをはずして、わたしにおじぎを返しました。
そのとき、屋庭に夫は下駄をつっかけて外に飛び出ようとしました。
「おっと、そいつはいけない。」
男の人はその夫の片腕をとらえ、二人は瞬時もみ合いました。
「はなせ、さすぞ。」
夫の右手にジャックナイフが光っていました。
そのナイフは夫の愛憎のものでございまして、たしか夫の机の引き出しの中にあったので、
それではさっき夫が家へ帰るなり、なんだか引き出しをかきまわしていたようですが、かねてこんなことになるのを予期して、
ナイフをさがし、ふところに入れていたのにちがいありません。
男の人は身をひきました。
そのすきに夫は大きいカラスのようにふたえまわしの袖をひるがえして外に飛び出しました。
「どろぼう。」
男の人は大声をあげ、つづいて外に飛び出そうとしましたが、
私は裸足でどまにおりて男をだいてひきとめ、
「およしなさいまし、どちらにもおけがあってはなりません。
あとの始末は私がいたします。」
06:02
と申しますと、はたから四十の女の人も、
「そうですね、父さん、きちがいにはものです。
何をするかわかりません。」と言いました。
「ちきしょう、警察だ。もうしょうちできねえ。」
ぼんやり外の暗闇を見ながら、ひとりごとのようにそうつぶやき、
けれどもその男の人のそうみの力はすでにぬけてしまっていました。
「すみません。どうぞおあがりになって、おはなしをきかせてくださいまし。」
といって私はしき台にやがってしゃがみ、
「私でもあとの始末はできるかもしれませんから、
どうぞおあがりになって、どうぞ、きたないところですけど。」
ふたりの客は顔をみあわせ、かすかにうなずきあって、
それから男の人は様子をあらため、
「なんとおっしゃっても、あたしどものきもちはもうきまっています。
しかし、これまでのいきさつは一応、お夫さんに申しあげておきます。
はあ、どうぞ、おあがりになって、そしてゆっくり。」
「いや、そんなゆっくりもしておられませんが。」
といい男の人はがいとうをぬにかけました。
「そのままでどうぞ。おさむいんですから、ほんとうにそのままでお願いします。
いえのなかにはひのけがひとつもないのでございますから。
では、このままで失礼します。
どうぞ、そちらのおかたもどうぞそのままで。」
男の人が先に、それから女の人が、
夫の部屋の六畳間に入り、
くさりかけているような畳、
やぶれ放題の障子、
落ちかけている壁、
紙がはがれて中の骨が露出しているふすま、
かたすみに机と本箱、それもからっぽの本箱、
そのような香料たる部屋の風景にせして、
お二人とも息をのんだような様子でした。
「やぶれて綿のはみ出ている座布団を私はお二人にすすめて、
畳がきたのをございますから、
どうぞ、こんなものでもおあてになって。」
と言い、それからあらためてお二人にごあいさつを申しました。
初めてお目にかかります。
主人がこれまでたいへんなごめやくばかりおかけしてまいりましたようで、
また、今夜は何をどういたしましたことやら、
あのような恐ろしいまねなどして、
おあびの申し上げようもございません。
何せ、あのようなかわった貴重な人なので、
と言いかけて、言葉がつまり、らくるいしました。
「奥さん、まことに失礼ですが、いくつにおなりで。」
と、男の人は、やぶれた座布団に、わるびれず大あぐらをかいて、
ひじをそのひざの上に立て、
こぶちであごをささえ、上半身をのりだすようにして、私に尋ねます。
「あの、私でございますか。」
「ええ、たしか、旦那は三十でしたね。」
「はあ、私は、あの、四つ下です。」
「すると、二十六。」
「いやあ、これはひどい。まだそんなですか。」
「いや、そのはずだ。旦那は三十ならば、それはそのはずだけど、おどろいたな。」
09:04
「私も、さきほどから。」
と、女の人は、男の人の背中のかげから顔を出すようにして、かんしんしておりました。
こんなりっぱな奥さんがあるのに、どうして大谷さんはあんなに、
「ねえ、びょうきだ。びょうきなんだよ。
いぜんは、あれほどでもなかったんだが、だんだんわるくなりやがった。」
といって、大きなため息をつき、
実は奥さんと、あらたまった口調になり、
「あたくしども夫婦は、中野駅の近くに小さい料理屋を経営していまして、
あたしもこれも上州の生まれで、
あたしはこれでも片木の脇人だったのでございますが、
堂楽家が強いというのでございましょうか。
田舎の百姓相手のけちな商売にも嫌気がさして、
かれこれ二十年前、この女房を連れて東京へ出てきまして、
浅草のある料理屋に、夫婦ともに住み込みの方向をはじめまして、
まあ人並みに浮き沈みの苦労をして、少しの蓄えもできましたので、
いまのあの中野駅の近くに、昭和十一年でしたか、
六畳一間に狭い土間付きのまことにむさ苦しい小さい家を借りまして、
一度の有供費がせいぜい一円か二円の客を相手の心細い飲食店を開業いたしまして、
それでもまあ夫婦が贅沢もせず地道に働いてきたつもりで、
その間にか焼酎やら陣やらを割にどっさり仕入れておくことができまして、
その後の酒不足の時代になりましてからも、
よその飲食店のように転業などせずに、どうやら頑張って商売を続けてまいりまして、
またそうなると、悲喜のお客もムキになって応援をしてくださって、
いわゆるあの軍艦の酒魚がこちらへも少しずつ流れてくるような道を開いてくださるお方もあり、
対米営戦がはじまって、だんだん空襲が激しくなってきてからも、
あたくしどもには足でまというの子供はなし、
故郷へ疎開などする気も起こらず、
まあこの家が焼けるまではと思ってこの商売ひとつにかじりついてきて、
まあどうやら理済もせず終戦になりましたのでほっとして、
今度は大ピラに闇酒を仕入れて売っているという、
手短に語るとそんな身の上の人間なのでございます。
それでもこうして手短に語ると、さして大きな難儀もなく、
それに運がよく暮らしてきた人間のように大物になるかもしれませんが、
人の一生は地獄でございまして、
寸前釈磨とは全く本当のことでございますね。
一寸の幸せには一釈の魔物が必ずくっついてまいります。
人間365日、何の心配もない日が一日、いや半日あったら、
そりゃ幸せな人間です。
あなたの旦那の大谷さんがはじめてあたくしどもの店に来ましたのは、
昭和19年の春でしたか。
とにかくその頃はまだ、
対米営戦もそんなに薪戦ではなく、いや、
そろそろもう薪戦になっていたんでしょうが、
あたしたちにはそんな実態ですか、真相ですか、そんなものはわからず、
ここに3年頑張れば、どうにかこうにか台頭の資格で和牧ができるくらいに考えていまして、
12:05
大谷さんがはじめてあたしどもの店に現れた時にも、
確かクルメガスリの着流しに二重回しをひっかけていたはずで、
けれどもそれは大谷さんだけでなく、
まだその頃は東京でも防空服装で身を固めて歩いている人は少なく、
大抵普通の服装でのんきに外出できた頃でしたけど、
あたくしどももその時の大谷さんの身なりを別段だらしないとも何とも感じませんでした。
大谷さんはその時お一人ではございませんでした。
奥さんの前ですけども、いや、もう何も詰み隠しなくあらいざらい申し上げましょう。
旦那はある戸島女に連れられて店の勝手口からこっそり入ってまいりましたのです。
もっとももうその頃は、あたしどもの店も毎日表の戸は閉め切りで、
その頃の流行り言葉でいうと閉店開業というやつで、
ほんの少数の馴染み客だけ勝手口からこっそり入り、
そしてお店のドマの一席でお酒を飲むということはなく、
奥の六畳まで電気を暗くして大きい声を立てずにこっそり酔っぱろうという仕組みになってまして、
またその戸島女というのは、その少し前まで新宿のバーで女急さんをしていた人で、
その女急時代に筋のいいお客をあたしの店に連れてきて飲まして、
あたしの家の馴染みにしてくれるという、
まあ邪の道は蛇という具合の付き合いをしておりまして、
その人のアパートはすぐ近くでしたので、
新宿のバーが閉鎖になって女急を酔しましてからも、
ちょいちょい知り合いの男の人を連れてまいりまして、
あたしどもの店にもだんだん酒が少なくなり、
どんなに筋のいいお客でも、
飲み手が増えるというのは以前ほどありがたくないばかりか迷惑にさえ思われたんですが、
しかしその前の4、5年間、
ずいぶん派手な金遣いをするお客ばかりたくさん連れてきてくれたんでございますから、
その義理もあって、その戸島の人から紹介された客には、
あたしどもも嫌な顔をせずお酒を差し上げることにしていたんでした。
だから旦那はその時、その戸島の人を秋ちゃんと言いますが、
その人に連れられて裏の勝手口からこっそり入ってきても、
別にあたしどもも怪しむことなく、
例の通り奥の六畳間にあげて承知を出しました。
大谷さんはその晩はおとなしく飲んで、
お感情は秋ちゃんに払わせて、
また裏口から二人一緒に帰っていきましたが、
あたしには奇妙にあの晩の、
大谷さんの変に静かで上品な素振りが忘れられません。
魔物が人の家に初めて現れる時には、
あんなひっそりした、うゆゆしいみたいな姿をしているものなのでしょうか。
その夜から、あたしどもの店は大谷さんに見込まれてしまったのでした。
それから十日後とたって、今度は大谷さんが一人で裏口から参りまして、
いきなり百円紙幣を一枚出して、
いや、その頃はまだ百円といえば大金でした。
今の二三千円にも、それ以上にも当たる大金でした。
それを無理やりあたしの手に握り出して、
弱そうに笑うんです。
もうすでにだいぶ召し上がっている様子でしたが、
15:02
とにかく奥さんもご存知でしょう。
あんな酒の強い人はありません。
酔ったのかと思うと、急に真面目な、ちゃんと筋の通った話をするし、
いくら飲んでも足元がふらつくことなど、
ついぞい一度もあたしどもに見せたことはないんですからね。
人間三十前後はいわば血気の盛りで、酒にも強い年頃なんですが、
しかしあんなのは珍しい。
その晩も、どこかよそでかなりやってきた様子なのに、
それからあたしの家で焼酎をたて続けに十杯を飲み、
まるでほとんど無口で、あたしども夫婦が何かと話しかけても、
ただはにかむように笑って、うんうんと、あいまいにうなずき、
突然、「何時ですか?」と、時間もたちねえ立ち上がり、
「あ、お釣りよ。」とあたしが言いますと、
「いや、いい。」と言い、
「それは困ります。」とあたしが強く言いましたら、
にやっと笑って、
「それでは、この次まで預かっておいてください。」
「また来ます。」と言って帰りましたが、
奥さん、あたしどもがあの人からお金をいただいたのは、
あとにも先にもただこの時一度きり、
それからはもうなんだかんだとごまかして三年間、
一銭のお金も払わずに、
あたしどものお酒をほとんど一人で飲みほしてしまったのだから、
あきれるじゃありませんか。
16:27

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