平和活動に尽力された方ということですね。
裏上天守堂というキリスト教の教会になるんですかね、建物が爆心地の
500メートルという非常に近い距離にあったため、建物のほとんどが倒壊、消失。
数字のぶれは結構あるんですけど、 キリスト教徒の人、12,000人から15,000人のうち、
およそ3分の2の8,000人から1万人の方が一瞬で亡くなったということだそうです。
で、ポッドキャスト上でこの長崎の鐘を読んでいる人が一人もいなさそうなので、 オーディブルでもなさそうでしたね。
ということで、この1580年の節目に このテキストを音声化していくことに意義があるのではないかと思い、
今回長いですが、7万字、どれくらいですかね。
2時間40分と見積もりますが、それぐらいになろうかと思いますが、読んでいこうと思います。 どうかお付き合いください。
それでは参ります。 長崎の鐘
その直前。 昭和20年8月9日の太陽が、いつもの通り平凡にコンピュラさんから顔を出し、
美しい裏紙はその最後の朝を迎えたのであった。 川沿いの平地を埋める各種兵器工場の煙突は白煙を吐き、
街道を挟む商店街のイラカは紫の波と連なり、 他の住宅地は家族の惑いを知らす朝露の煙を上げ、
三匹の団団畑はよく茂った芋の上に梅雨を輝かせている。 東洋一の天守堂では白いベールをかむった信者の群れが人の世の罪を懺悔していた。
長崎医科大学は今日も8時からきちんと講義を始めた。 国民義勇軍の命令の「勝戦い、勝学ぶ」という方針のもとに、
どの学級も研究室も病舎もそれぞれ専門の任務を持った医療救護隊に改変され、 防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が講義に研究に治療に従事しているのだった。
いざという時にはすぐさま配置について空襲傷者の収容に当たることになっており、 事実これまで何回もそうした経験がある。
ことに、つい一週間前大学が被爆した時など、学生には3名の即死、十数名の負傷者を出したけれども、 学生看護婦の勇敢な活動によって入院外来患者には一人の犠牲者も出さなかったほどである。
この大学はもう戦になれていた。警戒警報が鳴り渡った。 病院の大廊下へ行動から学生の群れが流れ出し、幾組かの塊になってそれぞれの持ち場へ散っていった。
本部伝令がいち早くメガホンで情報を叫びながら廊下を走り去った。 相変わらず今日も南九州に大規模な空襲があるらしい。
引き続いて空襲警報が鳴り出した。 空を仰ぐと澄み切った朝空にチカチカ目を射る高層雲が光り、どうやら敵機の来そうな気配がする。
目に見えぬ音波が薄気味悪く、後から後からあちこちのサイレンが唸り出す。 もうわかっているよ。そんな不吉な音はもうまっぴらだと耳を押さえたくなるまで唸っては休み、唸っては休む。
これは少なくとも勇気を奮い起こす音ではない。 サルスベリの花が真っ赤だ。
キヨチク島の花も真っ赤だ。 カンナはまったく血の色だ。
病院の玄関を待機所に定められている単価隊の一戦一年生たちがこの赤い花の影の防空壕に潜んで、いざという時を待ち構えている。
一体全体、戦況はどうなんだろう。 鹿児島中学から来たのが言う。
オラが同級生もずいぶんたくさんヨーカレンで行っとるばって。 遊軍機はどないしとるんやろう。
大阪弁が豪雨の中から聞こえる。 つまらへんな。こんなこっちゃなんぼ頑張ってもあかんで。
誰も返事をしない。 この大阪の考えていることにうすうす気づいていないでもないのだが、しかし祖国日本は今生死の関東に立っているのではないか。
戦争は勝つために始めたに違いない。 まさか負けるつもりで政府がこんな悲劇の幕を開けたのではなかろう。
しかし裁判疾患以来、大訪営発表の用語に何か臭い陰影を帯びていることが敏感な学生にいつとはなく、ある不安を起こさせていたのは事実である。
おい、級長、どう思う?この戦争はどうなる? 大阪弁の男が豪雨の狭い口から赤い顔を出した。
ロイドメガネをかけている。なるほど、これはタコツボだ。 級長藤本はさっきから聖堂の下に腕組みをしたまま突っ立ってじーっと空を睨み続けていた。
小柄ながら着物そばった男で、鉄かぼとから黒巻き家班のきりりとしまった足の先まで隙もない厳重な身固め。
これまで何回となく血の中から負傷者を担ぎ出した体験は、よく救援の予防を集めてこの子男が銭湯を切って飛び込む煙の中へ、救援は一つの弾になって突っ込んだものだった。
親父の望遠鏡を持ち出して腰につけている。 鉄騎が頭上に来るとそれをおもむろに取り出し、首をぐるぐる回しながら鉄騎の行動を報告するのがこの男の趣味である。
「警長、どうなるんやろ、戦争は。」 大阪がしつこく繰り返した。
「戦争をどうするかだ。」 藤本が押さえつけるように言った。
「戦争によって僕たちの運命が決められるんじゃない。僕たちによって戦争の運命が決められるんだ。僕たち、相戦う若い者。
アメリカの学生と日本の学生との力比べによって勝利がどちらへ転ぶかが決まるんだ。」
「でもなあ、あまりやないか。 近頃のざまは物量の差がひどすぎるさかい。僕らのちっぽけな努力なんざ変にもならん。」
「それはそうかもしれんたい。しかしだ。とにかく今この下の街へ爆弾が落ちたら理屈も議論もなか。すぐ飛び出していって血の目をせにはならん。僕は最後まで僕の本分を尽くすばえ。」
藤本が決然と言い放った。 大阪は納得しなかった。
そこへ大きな角材を担いで副級長がやってきた。 副級長は小倉中学出身で黙々と仕事をする男。
今も監視号の補強工事のため一人で汗を流しているのだった。 「敵がほんまにここへ上陸してきよったらどないするん。おい、副級長。」
「姿勢名あり。」 小倉の男は腰からセンスを取って汗を仰ぐ。
「生きるも死するも人に笑われんごと。」 ひっそりと立った。
猿すべりも教築塔も神馬もよどんだ地のように動かない。 その中を脈打つような蝉の声が向こうの三能神社のオークスから流れてくる。
この日は防空登板教科にあたっていた私が病院の玄関から入って大廊下を裏門まで見回る。 どの病室の入り口もかいがいしく服装を整えた看護婦、学生が身構えしている。
バケツは水でいっぱいだ。水道ホースも伸びている。 ひたたき、飛び口、スコップ、桑。
いざといえば焼夷弾ぐらいはとばかり揃っている。 入院患者は防空壕の中へ静かに運ばれていく。
ラジウム室の前で2003年の上野君に会う。 この男はなかなか勇敢だ。
この間の空襲で不人火から発火した時は隣の皮膚科の屋上に一人いて監視の住人を果たしたのだった。
私らが不人火の炎にバケツを持って駆けつけた時、 まだ敵機は続いて急降下爆撃をしていたが、上野はその弾の落ちてくる中で
「おい、敵機頭上通過。大丈夫出てこい。燃えよっぞ。」とか、
「また来たぞ。落としたぞ。退避。危ないぞ。」 とかいちいち叫んで指導した。
頑張れよと私は礼を返しながら言った。 上野ははにかんで頭をかいた。
この間はおふくろから叱られましたたい。 人様の目につくことをしてよか気になるもんじゃなか。もう子供じゃなかけん。と。
裏門には手押しポンプ隊がたむろしていた。 すべては焼夷弾と爆弾とに対してはまずまず大丈夫であった。
私は満足して今度は病棟の東側を通ってみた。 この間の爆弾にやられた下火、不人火、地火の後は人の体のけがよりも無駄らしかった。
その片側にはここにもまた教築塔が血の色に咲いていて、 ひっそりと石炭酸が匂っている。
私はふっと不吉な予感を覚えた。 警報解除のサイレンが体中の疑いを解いてくれるためのようになり渡った。
教室へ帰ってくるとみんなガヤガヤ言いながら鉄かぶとの紐をほどくところであった。 情報係の井上看護婦がくりっとした目をなおさらくるくるさせてちょっと骨髀をかしげながら
九州管内鉄器なしとラジオの言った通りの報告した。 赤らんだ頬に軽く汗が浮いて髪の毛がみすじくっついている。
直ちに授業を始め。 本部伝令がまた叫んで通った。
学生はそれぞれ教室に入り、大学が再びひっそりした心理研究の造下の塔となった。 病院の臨床学科の方は患者が受付に押し寄せて余診をとる学生の箱衣がその間を縫うて動いている。
私の教室と廊下を隔てた向かい側の内科では、 学長、門王教授の臨床講義の心よいく口調が扉から漏れてきている。
原子爆弾。 千本さんは川平岳で草を刈っていた。
ここからは裏上が西南三キロのやや斜め下に見下ろされる。 裏上の美しい町と丘の上に真夏の太陽はこともなげに輝いている。
千本さんは突然妙なかすかな爆音を耳に聞き止めた。 窯を持ったまま腰を伸ばして上を仰いだ。
空はだいたい晴れていたが、 ちょうど頭の上には手のひら型をした大きい雲が一つ浮いている。
爆音はその雲の上だ。 しばらく見ていると出た。B29だ。
手のひら雲の中指に当たるそのとったんからぽつり銀色に光る小さな木へ。 高度8000メートルくらいかなと思って見ていたら、
あ、落とした。 黒い一つの細長いもの。爆弾、爆弾。
千本さんはそのままそこへひれ伏した。 5秒、10秒、20秒、1分。
時間は息をつめているうちにだいぶん経過した。 ピカリ、いきなり光った。
たいした明るさだった。 音は何もしない。
千本さんはこわこわ首を持たげた。 やった、裏紙だ。裏紙の天守堂の上あたりに、つい今までなかった大きな白円の塊が浮かんでいて、それがぐんぐん膨張する。
それにもまして千本さんが肝をつぶしたことには、その白円の下の裏紙の丘を、山原をこちらを向けて猛烈な勢いで寄せてくる一つの波があるのだ。
丘の上の家といわず、ありとあらゆるものを将棋倒しに押し倒し粉砕し、吹き飛ばしつつ、あ、あ、
あっという間に、はや目の前の小山の上の林をなり倒し、この川平岳の山腹を駆け上がってくる。 これは何だ。まるで目に見えぬ大きなローラーが地ならしをして転がってくるとしか思われない。
今度こそは潰されると、千本さんは両手を合わせ、神様神様と祈りながら、またも地面に顔を押し付けた。
ガガガッと凄まじい響きに耳が鳴ったのと、ひれ伏したままの格好でふわりと吹き飛ばされたのとが同時だった。
5メートルばかり離れた畑の石垣に、いやというほど叩きつけられ、千本さんは目を開けて見回した。
辺りの立木がみんな目通りの高さからポキポキ降り倒され、木といわず草といわず、葉はみんなどこへ消えたのやら、
さむざむと松柳が匂うばかり。ふるえさんは道の尾から浦上へ帰ると出会った。
ちょうど兵器工場の前を自転車で走っているとき、妙な爆音を聞いたような気がした。
ひょいと頭をあげたら松山町の上あたり、だいたい稲瀬山の高さぐらいの青空に一点の赤い火の玉を見た。
目を射るほどの高気はなく、ストロンチウムを大きな鎮の中で燃やしているような真っ赤な火の玉だった。
それがスーッと地面に近づく。
何だろうと眼鏡に片手をかけて見直す瞬間、すぐ目の前にマグネシウムを爆発させたと思われるばかりの閃光が起こり、体が宙に浮いた。
水田の中に、これもまた吹き飛ばされた自転車の下敷きとなっている自分にふるえさんが気づいたのは何時間か後であり、一方の目はすっかり盲目になっているのを知った。
浦上から7キロ離れた五角羅国民学校の職員室で、田川先生は暴空日誌に今朝の警報記事を書き込んでいたが、ちょっと顔を上げて窓の外へ目を休めた。
目の前に小さな山裾があって、その上に長崎港の空が青かった。
その青空が瞬間サッと輝いたのである。その光は鋭く目を射た。
真夏の真昼間の太陽の明るさがその次の瞬間にひどく暗いものに感じられたのだったから、その光度は太陽の何倍かであったに違いない。
昼間に照明弾とはこれいかに、と呟いて田川先生は腰を浮かしたが、突然異様なものを見止めた。
「あれ、あれ、あれ、何だろう。」
田川先生の叫びに職員室中の先生方は窓へ走り寄った。
長崎の裏上辺りの上空に一点の白雲が現れ、それが横の方へも上の方へも、ものすごい勢いでムクムクムクと膨張していくではないか。
「あんだ、あんだ。」と騒いでいるうちに直径1キロ以上の膨れた満塁ができた。
その時、ダーンと爆風が到達し、職員室は侵害し、皆はバラバラとガラス片を引きかむった。
爆弾投下。校舎に命中。退避。
田川先生はこう叫んで、そのまま裏山の防空壕へ飛び込んでしまった。
そしてちょうどこの時刻に裏上の自宅では、妻と子供たちが自分の名を呼びながら息絶えつつ歩くことを神ならぬ身の知る余地もなく、田川先生はぽつねんと冷たい土の中に座っていた。
大山という地区は長崎港の南八郎岳の山腹にあって裏上から8キロ離れている。
ここから望むと裏上の盆地は長崎港のさらに向こうにうっすら霞んで見える。
加藤君は牛を連れて草原に出ていた。光を見たのは、緑の中に草いちごの光るのを見つけて一つ二つ頬張ったところだった。
びっくりして牛も首をあげた。
裏上の空に白い濃い濃い綿のような雲が生まれ、ぐいぐいと大きくなる。
その色はちょうど長鎮を綿に包んだようで、外の方は白かったが、中には燃える赤い火を含んでいた。
その白い雲の中にはその他にチカチカチカチカと美しい放電がひっきりなしに起こっていた。
その小さな稲妻の色は赤や黄や紫や様々な美しさだった。
この新しい雲はまんじゅう形になり、やがてそのまま上へ上へと登って松竹みたいな形になった。
その頃今度はその白雲の真下の裏上の谷一面から黒い土煙がむくむくと吸い上げられて登った。
上の松竹雲は高く高く青空高く登り、その上で崩れて東に向かって流れ始めた。
下の土煙も山より高く登って、その一部は下へまた散り落ち始め、一部は東の方へ流れた。
どこもよく晴れて太陽の光は山と海と照らしていたが、この雲の真下の裏上だけは大きな雲の影となり、真っ黒に見えた。
やがてドンッと轟いて着物が煽られ、この葉が吹き飛ばされたが、爆風もここまで来るとよほど弱くなっていて、牛が暴れ出すほどではなかった。
しかし加藤くんもまたもう一発の爆弾がすぐ近くに落ちたに違いないと思った。
高見さんは牛を引いて牙へ帰ろうと裏上から2キロの踊り勢の道を歩いていて、ピカにやられたのであった。
ピカと光ったときに火鉢に当たるほどの暑さを感じたのだったが、牛も自分も熱心を受けた。
その後へシューと唸って火の玉の雨が降ってきた。その一つは足に当たった。そこで白煙を上げて消えたが、
パラフィンロウソクを吹き消した後のような匂いがした。この火の玉であちらこちらに火事が起こった。
爆撃直後の情景 大学は爆弾破裂戦から300メートル内し700メートルの範囲に建物を並べていた。
まず爆心圏内にあるとみてよい。 基礎医学教室は爆弾にも近かったし木沢だったから瞬間に押しつぶされ吹き飛ばされ燃やされて教授も学生も皆死んだ。
臨床医学教室の方は少し遠かったのとコンクリート建てだったために運良く生き残った者もいくらかはいた。
時計は11時を少し過ぎていた。 病院本館外来診察室の2階の自分の部屋で、私は学生の外来患者診察の指導をすべくレントゲンフィルムをより分けていた。
目の前がピカッと閃いた。 全く晴天の霹靂であった。
爆弾が玄関に落ちた。 私はすぐ防ごうとした。その時すでに窓はスポンと破られ猛烈な爆風が私の体をふわり途中に吹き飛ばした。
私は大きく目を見開いたまま飛ばされていった。 窓ガラスの破片が嵐に巻かれた木の葉みたいに襲いかかる。
切られるわいと見ているうちにチャリチャリと右半身が切られてしまった。 右の目の上と耳あたりが特別大きずらしく、生温かい血が吹いては首へ流れ伝わる。
痛くはない。目に見えぬ大きな原骨が空中を暴れまわる。 寝台も椅子も土棚も鉄かぶとも靴も服も何もかも叩き壊され投げ飛ばされ
かき回されガラガラと音を立てて床に転がされている私の体の上に積み重なってくる。
ほこりっぽい風がいきなり鼻の奥へ突っ込んできて息が詰まる。 私は目をかっと見開いてやはり窓を見ていた。
外はみるみる薄暗くなっていく。 ゾウゾウと潮鳴りのごとく、ゴウゴウと嵐のごとく、空は一面に騒ぎ回り
板切れ、着物、土壇屋根、いろんなものが灰色の空中をぐるぐる舞っている。 辺りはやがてひんやりと野脇吹く秋の末のように
不思議な作爆さに閉ざされてきた。これはただ事ではないらしい。 私は爆弾
少なくとも1トンぐらいの大型が病院の玄関付近に落ちたとさらに判断を新たにした。 怪我人は約100名だ。これをどこへ送ってどう処置するか。
とにかく教室員を集めなければならぬ。 その教室員もおそらく半数はやられているだろう。
とにかくこの埋没から抜け出せばならぬと、膝を動かし腰を突っ張って屈伸しているうち、スーッと暗くなって両目ともすっかり見えなくなってしまったのである。
これには弱った。 初めは目のあたりに怪我しているのだから眼底付近に出血でもしたのかなと思ったが、目玉を動かしてみると動く。
目が見えなくなったのではないと決まったら初めて立然とした。 すっかりこの建物が倒壊して生き埋めになったのに違いない。
生き埋めとはまた張り合いのないだらしない死に方を与えられたものだ。 とにかくできるだけやってみようと、物の破片の底でごそりもそりと命懸けのもがきを続ける。
しかしせんべい焼きに挟まれたせんべいのように角もびっしり押し引き剥がれていると、 体のどこを支点にどう動こうかと考えることもできない。
顔もうっかり動かされない。 そこら一面ガラス破片のペーパーだ。
その上、真っ暗闇で自分の上にどんなものがどんな風に平行を保って乗っているのやらわからない。 ちょっと右肩を動かしたらなんだか知らんがガラガラと崩れ落ちた。
私は、「おい、おい!」と呼んでみた。 その声は全くわれながら情けない響きを闇の中へ伝えていった。
都内のレントゲン撮影室には橋本看護婦がいた。 運良く図書棚の間にいたので、かすり傷ひとつ負わなかった。
万物が魔法によって生物となったかのようにガラガラとものすごく跳ね回る恐ろしい時間は、 壁に寄り添ってじっと隠れているうちに10秒20秒と経過して、
あたり一面埃と土煙とが陰光を塞ぐほどに立ち込めてはいたが、 大きな品物は大体また床の上か地の上へ落ち着いたらしかった。
橋本くんは、さて救護だと崩れた図書棚の裏から這い出してあっとたまげてしまった。 何もかもめちゃくちゃだ。
ガラクタを踏み越え窓から顔を出してみてさらにドキッと胸を疲れた。 これは一体どうしたというのだ。
つい今の今、先までこの窓の下に紫の波と連なっていた坂本町、岩川町、浜口町はどこへ消えたのか。
白く輝く煙を上げていた工場はないではないか。 あの湧き上がる青葉に埋まっていた稲妻山は赤ちゃげた岩山と変わっているではないか。
夏の緑という緑は木の葉、草の葉一枚残らず姿を消しているではないか。 ああ地球は裸になってしまった。
玄関車寄せに群がっていた人々は、と見下ろす広場は所狭いまでに大小の植木が投げ倒され、それに混ざって幾人とも数え切れぬ裸型の死人。
橋本君は思わず両手で目を覆った。 地獄だ、地獄だ。
植木越え一つ立てるものもなく全く死後の世界である。 目を押さえているうちにすっかり暗くなってしまった。
目を開けて首を回してみるけれども物音一つせず、糸一筋も見えぬ真の闇。
この世の中にただ一人生き残ったと思った途端、背筋がズーンとして足がすくんでしまった。 死神の爪はやがて私の経験を捕まえるだろう。
ふるさとの家がぼうと見えた。母の顔が見えた。 橋本君はわっと声を上げて泣き出そうとした。
まだ十七歳の女の子だった。 と、その時、
おーい、おーいと呼ぶ声が聞こえてきた。 すぐ近くの足元らしくもあり、何枚か壁を隔てた向こうらしくもある。
おーい、おーい、また叫んだ。 部長先生の声だ。 部長先生が生きている。
先生と二人生き残っているのなら、あれだけの玄関の死人の処置もやれるに違いない。
橋本君はたちまちベスをかく小娘から勇敢な看護婦に立ち帰った。 そして声を頼りに隣の部屋へ行こうとすると、レントゲン撮影台らしいものやら電流工でやら、
闇の中の行く手を阻んで足をはかぶことができない。 スコップを置いてあった隅へ手探りで行ってみると、どこへ飛ばされたのかなくなっていて、
その代わりにメガホンが手に触れた。 階下の透視室にはクワもあり、
部長さんたちもいるのを思い出し、これはみんなの加勢を受ける方が良いと判断して、 撮影室を出て行った。
毎晩10日間制で歩き慣れた廊下ではあったが、2、3歩歩くとグニャリとしたものにつまずいた。 しゃがんで撫でてみると人間。
べっとりと血らしいものが手のひらについた。 腕を伝わって手首を握ってみると脈はない。
かわいそうに。 橋本君は合掌をして、そこからまた2、3歩行くと、またも倒れている人につまずいた。
髪がぬらりと手首にねばりつく。 まだ辺りは真っ暗だ。この闇の私の周りに一体何人死んでいるのだろう。
橋本君は脈を探りながら見えぬ目を開いて辺りを見回した。 突然ぽーっと赤くなった。
窓の外で火が燃え出したのだった。 チロチロと炎は次第に大きくなる。
その薄赤い火に照らし出された目の前の光景は、 橋本君は思わず死人の脈を手放して突っ立った。
広い病院の廊下に赤い逆光線を受けて転がっている人の肉体。 鬱物、横ざま、仰向け、膝を曲げているのもあり、
呼吸をつかんでいるのもあり、立とうともがいているのもある。 橋本君はこれは独力では手がつかぬ。
まず救護隊が集まり組織的な団体活動でなければダメだと悟った。 それではとにかく皆を部長先生の埋まっているところへ集めよう。
ごめんねごめんねと断りを言いながら死人を飛び越えて階段を投資室へと下って行った。 投資室の連中はレントゲン投資台を組み立てている最中だった。
ビューンと奇妙に感高い爆音を聞いた。 看護婦生徒の椿山が、「あれ何でしょう?」と言う。
「あれはB-29の爆音だい。」 せっせとペンチを動かしながら義手の志郎が言う。
「爆弾落としたぜ。」 この間の爆撃で桃をやられた経験のある長老義手が言う。
「隠れようか?」 「うん。」
「部長さん退避退避。」 三人は大きなテーブルの下へ潜り込んだ。
ピカッ、ドンッと来た。
また落ちたばい。 志郎の声もガチャガチャ部屋中を暴れ回る爆風に揉み消されてしまう。
みんなじっと静まるのを待った。椿山が呼吸をしない。
「おい、言われたかい?」 「いや、あなたは?」
どこも言いたくねえ。 「おい、部長さん。」
大声で呼んでみる。 「はーい。」とすぐ隣の部屋からいつもの通りの愛嬌のいい返事が返ってきた。
「ちょっと待ってくださいよ。なんやかんや私の上にのかってるんですもの。」 そのうちに汽車がトンネルに入る時のように辺りはゴーゴー唸っていながら真っ暗になってしまった。
向かい合っている椿山の白い顔がだちまちいなくなった。 「これは一体なんだい?」
長老の声。 「新型爆弾だぞ。れいの広島の。」
四郎の声。 「いや、太陽が爆発したんじゃないかな?」
長老。 「うーん、そうかもしれん。急に気温が下がったことある。」
四郎が感慨感慨言う。 「太陽が爆発したら世界はどうなります?」
椿山看護婦がオロオロ声で尋ねた。 「地球も終わりさ。」
長老がぼっさり答えた。 みんな黙って待っているがやっぱり明るくならない。
一分経った。 闇の中で時計の秒を刻む音が印象深い。
「それで昼飯はどうする?」 四郎。
「さっき食っちまったさ。お前持っとるか?」 長老がこの世の名残に一口食いたそうに言う。
「うん。死なぬうちに分けてこうや。」 すると汽車がトンネルを出る時のように辺りが静かになりながら、すると明るくなって長老の白い歯が見え、
四郎の長い鼻が見え椿山のちっちゃいエクボも見えてきて。 「ああ、太陽は大丈夫だったんだな。」
と四郎が言い、「しかし昼飯は分けておくれよ。」と長老が言って、三人は窮屈なテーブルの下からガラスの粉、機械の断片、椅子の残骸、電線の網の中へ這い出してきた。
一体どこへ落ちたんだろう。これだけ壊すにはこの部屋に命中しなきゃならんはずだが、天井に穴も開いとらん。
部長先生が意気揚々。 みんな顔を見合わせる。
まあ、あんげんふとかとば、どんげんずるえ、 と小さいツバキヤマが漏らした。
大丈夫、よかよか、 長老がそう言いざま走り出した。
橋本の後から五人は木を越え机を越え、手を引き、 轢かれつつ撮影室へと駆け上がる。
正常の通路はつぶれ、ふさがれ、通れないので窓を乗り越えパイプにつかまり、 回り回って親父救出に走っていく。
薬局の高窓を乗り越えるには一バシゴをつくなればならなかった。 長老がガスメーターをつかんで台になり、その上に四郎君が重なり、その膝、背、肩と伝って、
部長さんも橋本君もツバキヤマ君もよじ登って高窓を越えた。 それから四郎が飛び上がり、最後にみんなで長老の長い手長指みたいな両手を引っ張ったら、
おっこらしょといつもの苦戦の掛け声を出して飛び上がってきた。 現像室では伏瀬先生が灰のレントゲン写真をちょうど現像タンクから引き出すところだった。
羨まいたっている対空艦種の学生が、 怪しい飛行機が頭上に侵入します。退避退避と突然となるのを聞いた。
妙に甲高い爆音をその次に聞いた。 急降下爆撃だと考えてその場に伏せたが、写真がダメになってはならんと水洗いして定着タンクに静かに入れた。
それから伏せようとするのとドカンと潰されたのとが同時だった。 気がついた時にはピッシャリ胸を何か材木で挟まれて床に伸びていた。
どうにかこうにか動いてみると腰が自由になり、両腕が我が物となり、それを使って順々に自分の上に積み重なった木材を取り除けて抜け出すことができた。
定着タンクの中の写真はどうなったろうと見回すが、眼鏡が飛んでしまってあたり一切はピントがぼけている。
そばで一緒に仕事をしていた森内君はどうしたろう。 何遍も呼んでみるが返事がない。
そこらの木材の下を探しても手もなく足も見えない。 うまく這い出したものらしい。
からくたの山を越え廊下に出てみてびっくりした。 まるで知らぬ家へ初めて来たようだ。何もかも様子が変わっている。
眼鏡がなくなったせいかしらと二度も三度も目をこすって見回した。 これまでの話はコンクリート建築物の中にいて放射線の直射を受けなかった
幸運の仲間についてである。 屋外にいたものはどうであったろうか。
清木先生は薬学専門部の裏の防空壕を学生と一緒にせっせと掘っていた。 先生が掘り薬で学生はその土を外に運び出していた。
ちょうどその瞬間、壕の外へ出ていたものは死のくじを引き、中へ入っていたものが生のくじに当たろうとは誰が予知していたであろう。
みんなパンズ一枚の姿でせっせと土に挑んでいた。 ここは爆心点から400メートル。
ピカッと壕の奥の土が輝いた。 どうとなった。
壕の入り口にざるを持っていた富田君がプーッと壕の奥へ吹き込まれ、 そこにしゃがんでクワを振っている清木先生の背にドシンとぶつかった。
「何だ、何事だ。」 清木先生は怒ったように叫んで振り向いた。
富田君の後ろから木片や布や瓦がガチャガチャと飛び込んでくる。 大きな角材が先生の背中にドシンと当たり、先生はそのままぱったり泥の上に倒れた。
幾分か経過したらしい。 炎と煙とか渦巻いている壕の中に倒れている自分を清木先生ははっと意識した。
熱い空気がごうごうと壕の中へ吹き込む。 先生はよろめく足を踏みしめ、死に物狂いでその炎を突破した。
一気に壕口に届いて、「やれやれ、助かった。」と目を見張って口をあんぐり開けたまま、 さっきから握りしめていたクワが手から落ちるのも知らず、その場に呆然と立ちつくんでしまった。
薬学専門部の大きな幾十かの校舎がない。 生化学の教室がない。薬理教室もない。
柵もない。 柵の外の民家はこれもない。
何もかもなくなってしまって一面の火の林。 原子を専攻していた理学博士の清木先生もこの瞬間にこれは原子爆弾だとは気がつかなかった。
まさか米国の化学人が今日ここまで成功していようとは想像していなかったのである。 学生は?
清木先生は足元へ目を転じ、いきなり氷水をぶっかけられたかのように全身が凍るのを感じた。 この物体のように転がされているのが私の学生なのか?
いや私はさっき豪雨の中で背中をやられたっきりまだ意識を回復していないのだ。 悪夢だ。悪夢だ。
こんな悲惨な事実が、たとえ戦争とはいえあり得るはずがない。 先生は桃をつねってみた。自分の脈を握ってみた。
どうしても自分の肉体は目覚めているらしかった。これが悪夢でないとしたら一体何だろう。 悪夢以上に悪い夢に違いない。
先生はまず足元の黒変した肉体に飛びついた。 「おい、おい。」
返事がない。 両肩に両手をかけて引き起こそうとしたら皮がペロリと精密そうのように剥げた。
岡本くんは死んでいた。 その隣のがうーんとうめいて反転した。
「村山くん、村山くん、しっかりしろ。」 先生はベロベロに皮の剥げた学生を膝に抱いた。
「先生、ああ先生。」 そう言ったきり村山くんがガクッとなった。
先生は深いため息をつき、村山くんの冷えゆく裸身を土の上に横たえ合掌して次の荒木くんの上にしゃがんだ。
荒木くんはカボチャのようにブクブク膨れ上がり、 ところどころ皮の剥げた顔の中に細い白い目を見開いて、
先生、やられました。」 と静かに言った。
もうダメらしいです。 お世話になりました。
耳と鼻から血の流れ出ているのがある。 当該亭をやられて即死だし、よほど強く地面に叩きつけられたのだろう。
口から血泡を吹いているのもある。 留田くんがその間を水を飲ませ言葉をかけつつ臨床に立ち回っている。
自分の力で動ける者は一人もいない。 まだ埋めいているからこの学生の次に行ってみてやろうと思っているうち、急に黙ったと思って
きょいと見ると、もう目玉を白くひっくり返してしまう。 こうして二十人ばかり次々と行き絶えていった。
二人ではとても救護はできん。 誰か加勢をしてくれないだろうかと清木先生は、
「おい、誰か来てくれ!」と、北を向いて叫び、東を向いて叫び、 西に向かって呼んでみた。
じっと耳を澄ましていると、大気は未だ安定を回復していないものと見えて、 方向の定まらぬ突風が時の間を置いてゴーッと吹き回り、
その風の音にまじってそこらの押しつぶされた屋根の下から、 声を限りに助けを求めているのが聞こえる。
「助けてください!」
「うるしいよ。」
「誰か来て!」
「暑いよ。ああ、焼けるよ。水かけて。」
「お母さん!お母さん!」 先生は目眩を感じてまた倒れた。
しばらくして目を開けてみると、空一面、個体のように濃厚な真雲に埋められ、 太陽は光を失い、赤じゃけた円盤に見える。
辺りは日暮れのように薄暗く、ひやりと寒かった。
耳を澄まして聞くと、助けを求める声はいくつか減って、 お母さんを呼ぶ幼児はもうやけ死んだらしかった。
一年の学生は静かにノートを取っていた。 まだ耳慣れぬ、ラテン語の解剖学の講義を受けている自分が、
なんだかもう一年前の医者になったような気がして、 自分の書いた横文字を自ら誇りたげに見送りながら、 教授の言葉を追って電話を走らせていた。
カッと光り、ドッと潰れた。
教授の声がまだ途切れていなかった。 頭を上げて辺りを見る暇もなかった。
教室にきちんと並んで座ったまま、その位置で、思いやれの下に埋められてしまったのである。
級長藤本くんは、腰を針か何かで軽く挟まれている自分を見出した。 しかし、真っ暗だ。
塵と土煙等を吸い込んではむせて、咳をした。 机と机との底の狭い空間で、ようやく我が身の自由を取り戻した。
すぐ横で、うんうんうめいている。 「おいおい!」と呼ぶのもいる。
しかし、八十名の旧友のうち、声をかざえるといくらも生き残っていないらしい。 そのうちに、狭い木材の隙間から吸うと、ものの焼ける匂いが流れ込んできた。
やがて根津っぽい、いがらっぽい煙が流れ込んできた。 火が燃え始めたらしい。
まごまごできぬと焦り始めた。 上へ抜け出そうと押してはみるが、針やら桁やら樽木やら、瓦やら土やら積み重なっていることとて一家の動きそうにもない。
パチパチ近くで火の燃え上がる音がする。 正尾の急途はまさにこの状態であったのか。押してみる、ついてみる。
頭と肩と背等を当てて、半身の力で伸びようとするがビクとも動かない。 力学を考えてやってみる。重力の大きさを虚しく計算してみる。
ガラクタの隙間から吸い取る空気は次第に熱くなって、チロリチロリ赤い炎の反射が漏れる。
突然、海床場を歌い出したものがある。 精一杯大声でゆっくり歌い続けていく。
藤本くんは全身の力を失い、そのままころりと転がって友の最後の歌に耳を澄ましていた。
帰り身はせじ。 歌は終わった。
諸君、さよなら。 僕は足から燃え出した。
あと2分したら僕も燃え出す。 藤本くんは運命を知った。
合唱してじっとしていると父の顔が見えた。 ジタバタするなと言った。
母の笑顔が見えた。 弟のマサオが浮かんだ。
マサオが僕の代わりに医者になってくれるだろう。 レントゲン室の仲間が一人一人思い出された。
覚悟をかむる日までレントゲン技術員として勉強していた教室。 ああ、一緒に入学試験を受け、同じく覚悟の栄冠を得た親友タコちゃんはどうなったろう。
レントゲン仲間で朝夕投げ合っていた短い言葉が次々頭に浮かんだ。 慌てるな。
この狭いガラクタの空間に一切の自由を奪われ、 無抵抗力に燃やされ、淡化され、灰になろうとして何を慌てる必要があろう。
ひょうびょう。 ここにおいて肉体は寸尺の活動の余地を許しないが、精神は天地宇宙の間にひょうびょうと流れていくのだ。
あと一分の不自由だ。 肉の焼ける匂いがする。
若い肉体の燃焼する心よい匂いだ。 僕の匂いもよいだろう。
一大事とはただいまのことなり。 まさに叱り。
これまた、ほうにょうきっぱん、だっぷん、これ、耳のいたずら。
藤本くんは思わずくそりと笑った。 どうしても問題が解けぬときはまるで反対を考えてみるんだ。
試験勉強の最終日に瀬先生がよく教えた言葉。まるで反対のことを。 あとそうだ、藤本くんはもしやと思い床を撫でてみた。
床枝の継ぎ目に指先がかかった。 力を入れて引いてみた。
伏瀬先生と志郎君が現蔵室でガラクタを引き上げ引き上げ、下を覗いて、「おーいおーい。」と呼んでは耳を傾けている。反応はない。
志郎が、「森内県、死んどるのか?」と怒鳴った。
レントゲン治療室の機器の間から長老が重傷の梅津君を救い出してきた。 ぐったりとなって鮮血にまみれた梅津君は廊下へべたりと座って、「目の中ばえ。」と言った。
長老が、「何言うか、目はあるばい。」と言いながら傷を改めている。 目の上がざくりと割られ、その他大小一面の傷だ。
府長さんが、「大丈夫よ、大丈夫よ。」と励ましながら手際よく用鎮を塗り、ガーゼを当て三角巾を巻いて行く。
私は梅津君の脈を調べ、次々と手当てを指すぞする。 「先生、助けてください。
薬をつけてください。傷を見てください。 先生、寒いです。着物をください。」
口々に言いながら、私らの周囲に異様な羅刑が群がってきた。 そこら一面投げ飛ばされた患者のうち、息の根の未だ止まらぬ人たちである。
ちょうど外来患者の診療最中だったから、この辺りの廊下や室内に倒れている数はおびただしく、それが一応に着物を剥ぎ取られ、皮をむしられ、切られ、
すし煙をかむって灰色になっているのだから、まるでこの世のものとは思われん。 死んで、動かぬ人の間をじりり、じりりとにじり寄り、私の足首にしがみついて、
「先生、助けてください。」と泣く。 血を拭く手首を差し出す。
「お母さん、お母さん。」と泣きまわる女の子。 子供の名を呼び続けて、のた打ちまわる母親。
「出口はどこだ。」とどなって走る大男。
「タンカ、タンカ。」と呼んでうろうろする学生。 辺りはようやく壮然となってきた。
私たちはそこで直ちに応急手当を始めた。 三角巾も包帯もまもなく使い果たし、今度はシャツを切り裂いては傷に湧いていった。
十人、二十人。 処置を終われば後から後から助けてくださいと叫んで、新しい傷者が現れ、いつまでもきりがない。
私は片手で自分の傷を抑えておらねばならず、仕事がしにくいが、つい患者の傷につられて手を離して手当をしていると、
まるで水鉄砲で赤いインクを飛ばすように、私の傷口から血が吹いて、横の壁と言わず、府長さんの肩と言わず、赤く染めてしまう。
米紙の動脈が起きられているのだ。 しかしこの動脈は小さいから、まああと3時間は私の体も持てるだろうと計算しながら、
時々自分の脈の強さを確かめつつ、患者の処置を続ける。
友を探しに行った橋本君と椿山君とが帰ってきた。
いません。運動場の畑へ行ったと思います。 運動場へ行こうとしましたが、もう途中は田植木と火と市街とで通れません。
基礎教室の建物はみんな見えません。一面火です。 病院の中央は大火事で、裏門との連絡はつきません。
負傷者の数は検討つきません。 こういう報告である。
山下、井上、浜、大柳、吉田。 5人の看護婦の顔が次々目の前に浮かぶ。
死んだのだろうか。今、息の絶えるところだろうか。 重い傷を受けて、この目の前の患者のようにのた打ち回っているのではなかろうか。
それとも何かの陰に無事に退避しているのかしら。 生きてさえいれば必ずここへ帰ってくる。
それにしてもこれは戦争の常識に無い一大事である。 予想だにされなかった大規模な惨害である。
おそらくは歴史的な事件に数えられるものに違いない。 腰を据えてかからねばならぬ。
私は撮影室にどっかりアグラを書いた。 父生先生と父長さんとが私の傷に薬をつけ、ガーゼを押し込んで圧迫止血をしてくれ、
その上から三角筋でギリギリと締め付けた。 しかし同明血血だから三角筋はみるみる真っ赤になり、顎のあたりからポタリポタリと血を垂らす。
みんなで機械を調べておいで。 一同はまた私の周囲からさっと散って部屋部屋へ別れて入った。
その間、私はじっと考えた。 ここはまさしく血がの戦場と化した。
我々は衛生隊であり、その活躍はこれからだ。 断然踏みとどまらねばならぬ。
敵はさらに引き続きこの爆弾を落とすであろう。 そして一周回に合いに上陸戦闘を展開するであろう。
浮き足だったらおしまいだ。混乱に陥ったら何もできなくなってしまう。 まず隊の集結、編成、衛生材料の確保、食料の調達、
野営の準備、それができてから上下左右の連絡、 野戦病院の位置選定だ。
いずれここは艦砲射撃の断層になるだろう。 患者を大急ぎで近郊の谷前集めねばならぬ。
どの窓を見ても炎の林だ。 周囲はすっかり大火になってしまった。
この建物の一角にも火は燃え移ったらしく、 パチパチ音がし始めた。
機械を調べていた仲間が次々に帰ってきた。 もうめちゃくちゃです。
換気売類は全部破損。 電卵は断線、変圧器は通路を塞がれて引き出せません。
標本は吹き飛んで手がつけられません。 報告はすべて惨、また酷。
みんなが私の口を開くのを待ってじっと私を見つめている。 他の他の先生や看護婦や生徒が血まみれになって二人三人手を繋ぎながら
物も言わずにそばを走り去る。 強盗、火炎の鳴るのが聞こえ、窓から火の粉が吹き込んでくる。
どうしたらよいか。私もみんなの顔をじろじろ見回すばかり。 こんな時には慌ててはダメだ。落ち着いていたら焼き殺される。
当たり前にしているわけにもゆかん。 そう考えて私は思わずにやりと笑った。
あまり唐突に笑ったので、みなもついぷっと吹き出した。
一度声を立ててひとしきり笑った。 お互いのざまを見ろ。それじゃ戦場へ出られんぞ。
さあ、きちんと身支度をして玄関前へ集まろ。 お弁当忘れるな。腹が減っては戦できんぞ。
よいしょ、よいしょ。 みんな元気な掛け声を出して自分自分の部屋へ帰っていった。
その後ろ姿をいちいち見送りながら、私はみんなが平常心を取り戻しているのを知った。
伏瀬先生が靴を探してくれ、府長さんが鉄カーボンや上着を見つけてきてくれた。 私はのろのろと玄関の方へ出ていった。
夫人家の前の廊下を看護婦が一人、目をうつろにしてくるくる歩き回っている。 背中を強く叩いて、
「おい、しっかりしろ。」と言うけれども気がつかうのらしく、そのまま同じ運動を続けている。
衝動が激しかったので一時的精神異常を期待したのらしい。 玄関前、車寄せにはおびただしい死傷者だ。
しかも下の町から次々と傷を抑えた負傷者が、救護所はどこ、受付は?と尋ねつつ上がってくる。
病院の各病棟からも負傷者を背負い、あるいは肩にかけ、335号ここへ出てくる。 一体どう処理したらいいのだろう。
一人一人の生命は尊ぶべきものである。 どの人も自分の体が大切であり、
大小に関わらず傷には全て関心を持っており、そして良い医者に見てもらいたいのである。 私はこれを見ねばならぬ。
しかしこのおびただしい負傷者と、亡くなった薬と迫りくる炎と、少ない私たちの手と。
私は3人手当てをしてから、これは対局に目をつけねば、せっかく包帯を巻いた怪我人者とも火炎の中に巻き込まれんとする騎士にあることを知った。
すでに被爆後20分。 裏髪一体は火の森林と化した。
病院も中央から燃え広がりつつある。 僅かに火の見えないのは東側の丘のみ。
ポンプ、バケツ、水槽、元気な人間。 召喚必要なものは一瞬になくなっているのだから、ただ火の燃え広がるのに任せるばかり。
生き残った者も強力な放射線に貫かれ、着物は剥ぎ取られてすっぱだかのまま。 下の町から炎を逃れてよろめきつつ山へ登ってくる。
子供が2人で死んだ父親を引きずって通る。 首のない赤ん坊を抱きしめた若い女が走る。
年寄り夫婦が手をつないであいぎあいぎ登って行く。 走りながら門辺がパッと燃え上がって、そのまま火の玉となって転がる者もいる。
火に取り巻かれた屋根の上でしきりに歌いながら踊っている人が見える。 木が触れてしまったのだろう。
後ろを振り返り振り返り走るのもあり、頭も振らず突っ走る者もある。 姉は遅れる妹を叱り、妹は姉に待ってとせがむ。
後ろへすぐ炎は迫っている。 こうして炎の中から運よく逃れ得た者は10人に1人くらいの者だろう。
あとは今、目の前で家の下敷きとなった者は焼かれつつある。 剛と火が唸って風向きが変わり、遠く近く救いを求める声が相続く。
私は腕組みをして行禅として立っていた。 この時ほど自分という者の無力を悟ったことはない。
この目の前に苦しみつつ死にゆく人を助ける術はどうしてもないものか。
先生、不動明王の御太郎ですばえ。 2003年の永井君と津泉君とがやってきた。
蓮托弦家の仲間もきちんと身支度を整えて集まってきた。 郷の中へ飛び込んでいた森内君も無事な顔を見せた。
そこへ転げるように走ってきて府長さんに抱きついた者がある。 婦人家蓮托弦の小笹義手だった。
髪の毛が焼け縮れて臭い。 門辺も破れている。
火の中から看護婦二人を救い出し、炎をくぐって無我夢中でここまで駆けつけたという。 あとは皮膚科、外科の蓮托弦義手の佐吉田君と金子君だけだ。
機会は後回し、人間を救い出そう。 私はこう決めた。
二人ずつ組みになって燃える病棟の中から患者を担ぎ出すのである。 小笹君と森内君は佐吉田と金子を探しに火炎の中へ入っていった。
長老が梅津君を背負って裏山へ登っていく。 まるで日露戦争の絵のようだ。
私たちが再び入っていく建物からはようやく者の下敷きから抜け出した人々が全く命からからといった 風でメロ色を変えて走り出してくる。
言葉をかけても返事もせず振り返りもしない。 おそらくは無我夢中なのだろう。
大学病院から離れて一体どこで誰に見てもらうつもりなのか。 私は一人一人に慌てるなと声を浴びせかけた。
地下室の手術場へ入ってみると水道管が破裂して大洪水だ。 都内の衛生材料置き場に入ってみたらさらに安全となった。
タンカすらバラバラにちぎれ飛んでいる。 手術機械はそこら一面にばらまかれ、水薬と粉薬と注射液といずれも容器が壊れて内容が入り混じり、
その上に惜しげもなく水道管から水をふり注いでいる。 ああ、今日のためにこその材料を集めたのではなかったか。
今日のためにこそタンカの演習や救護の抗議を繰り返したのではなかったか。 何もかも大失敗だ。足を曲がれた蚊のように、ハサミを取られたカニにもて、私たちはこれから
都市空犬、この幾万とも知れぬ負傷者の前に立たされる。 全くの原子医学だ。 この知識とこの愛とこの腕とで、ただそれだけで生命を救わねばならぬのである。
私は正前と階段を上り、再び玄関前の広場に突っ立って全般の指揮を取ることにした。 それでも私の周りに委員と学生と看護婦と二十人ばかり踏みとどまって最後の救出作業に従った。
二人組は次から次へと部屋に倒れている患者を手運びで救い出してきた。 それは皆玄関横のコークス置き場に並べられた。
火の粉落ちるのは今ここだけだった。 私はその真ん中にただのっそりと立っていた。火星はいよいよ激しく、空は黒煙渦をまき、また例の真雲も火の色を反映して赤く怪しく輝いている。
なんだか心細い情景である。 学長先生をお救いいたしました。
トモキオ君の声に振り返ると玄関に真っ赤な風呂敷をおんぶしている。 駆けつけてみると真っ赤なものは加藤先生だった。
白髪から顔から、白衣からズボン、毛ハンマーですっかり血で染まっていらっしゃる。 眼鏡はない。
ああ長井君、大変だね。ご苦労だね。と申された。 私は脈を拝見したが格別弱くもなく不正でもなかった。
裏の丘が安全だから、ここから200メートルほど登って適当なところに休んでもらうよう、トモキオ君に言いつけた。
伏瀬先生が注射の用意を持ってついて行った。 学長先生は外来患者の診察最中にやられたのだった。
大先生も住所を追っていたが、学長を助けて廊下まで出たものの、自らは出血のため立つあたわず、そこへトモキオ君が探しに行って救い出してきたものだった。
しばらくして内科の前田副長が病棟から飛び出してきて私を見るなり、 学長先生は、と聞いた。
裏の丘200メートル、伏瀬先生もついてる。 大丈夫、と私は答えた。
副長は眉の上から血を垂らして真っ青だ。 いきなり裏の丘へ走り去った。
あんな太っちょの副長さんがこんなにすばしこく岩山を這い登り、坂を駆け上がるのを私はポカンと後姿を見送った。
橋本君は十七歳、椿山君は十六歳。 どちらも体の縦ということのつり合いが返調をきたし、相性を松ちゃんといい豆ちゃんと呼ぶ。
このずんぐりの松ちゃんと豆ちゃんが吉西室へ入ってみると、患者と学生と入り混じって七人唸っている。
二人は入口の大きな男を引き起こし、縦抱きの容量で静かに抱き上げ、そのまま階段を下ってコークスを牙へ運んだ。
すぐ引き返して同じように次の学生を運ぶ。三人四人。 一部屋が住むと次の検査室。ここには顔見知りの看護婦さんがいた。
それを題で階段を下りながら松ちゃんは生まれて初めて知る歓喜の念を覚えた。 それは何とも言えぬ崇高な幸福、歓喜だった。
この濱崎さんは私に抱かれて火の中から出ようとしていることも知らず、かすかに憂いている。
まめちゃんも私のことを後悔しないなら、浜崎さんは永久に私たちから救われたことを知らないだろう。
もし万一助かることがあったら、廊下などで会った時、何も知らずに通り一遍の営釈をして行き過ぎるだろう。
そう思うと知らず知らずに頬の肉がゆるんでいくのを感じた。 幼い日に赤いグミの実をクリームの空き瓶に塩漬けにし、
私一人知っている名屋の隅の味噌桶の裏に隠して姉にも知らせず、弟の目もはばかり、朝よりこっそりその味を試しに入って、
艶々しいグミの実をまるでルビーか何かの宝石のように見つめた、あの純粋なほのかな歓喜を連想した。
まめちゃんはまた違ったことを考えていた。 今日の大人の人はなぜこんなに軽いのだろう。
かねて、負傷者運搬演習や診察室で輸送車から投資台に患者さんを移すときなど3人がかりでもあんなに重かったのに、と不思議だった。
おそらく出血のため体重が減っているのだろう。 それにしても永井先生の防空演習はあまりに激しかった。
実戦がこのくらいの恐ろしさ苦しさ難しさであるのなら、 演習をあんなに恐ろしく苦しく難しくやらなくてもよかったろうもの。
看護婦養成所へ入学すると間もなく肝試しをやらされた。 暗室のほの暗い明かりの中に義手の方たちや上級生の看護婦さんが、
死人や重傷者を真似てうめいているところへ一人一人まだ解剖さえならばの1年生を行かせて脈を調べさせられた。
あの時のぞっとした感じだと、今日本物の死人と負傷者を抱えたってちっとも怒りはしない。
運搬演習だってあの穴工房の岩山の目のくらむ散布をお互いの体をロープで縛ったりして患者運びをやらされたものだ。
消防にしたところでいきなりエレクトロンの診断を窓からビュービュー火花の吹くまま投げ込んで、 そらそら消さねば本当の火事になるぞと度疑問を抜かれたっけ。
それにつけてもこの1年間一緒に泣いたり笑ったりして演習や実の空襲に働いた 小柳さんや吉田さんがここにいないのが寂しくてしようがない。
どこにいるのやら。炎に隔てられて生死も不明だから、なんだか今そこらで帰ってきているような気もする。
豆ちゃんは窓から顔を出して、吉田さん、吉田さんと叫んでみた。 マスちゃんも並んで顔を出して、井上さん、みっちゃんと叫んだ。
火炎がまたゴーゴーと唸ってこっちへ崩れる。 二人が次の負傷者を救いに上がってくるたびに、一部屋一部屋と火炎の占領する部屋は増していた。
しかし、火と煙の渦巻いている部屋に手拭いでしっかり鼻と口とを抑えて這い込み、 負傷者を引きずり出すのが今は何よりも楽しく嬉しかった。
出てきて熱い熱いと思うと袖口に火がついていた。 二人は本当に看護婦であることの幸福を悟った。
気絶している患者はむしろ楽だったが、意識のある患者は傷が痛いとか苦しいからゆっくり運べとか、忘れ物を取ってきてくれとか
散れ髪を探せとか、苦情を並べて手間取らせ、思わず時間を浪費してしまった。 その上、この爆撃の第三害を知らず、この病棟に火の回っていることも悟らずにいるものだから、
腹の立つほど軟気なわがままを言い立てて困らせた。 内科の病棟には全身の急性関節リューマチスの患者がいて、大倉先生と山田君とが抱いて出ようとすると、
痛い痛いと喚き出し、そんなに痛い目に合わすのなら、このまま置いておいてくれと言った。 仕方なく他の患者から運び出して、とうとう最後にこのリューマチスだけになった。
もう一度抱き抱えると、単価でなければ嫌だとダダをこねる。 二人はあちこち探し回るけれども、役に立つ単価は一つもない。
だいぶん時間を費やして、仕方がないからとさらに病室へ行ってみたら、そこにはもう火炎がまいていた。 大倉先生は私のところに駆けつけて、
一人だけどうしても出ませんと訴える。 私は、
それだけ尽くしたらもういいです。その患者の責任は私が負いましょうと言った。 しかし大倉先生と山田君とは人殺しをしたような顔をして、炎の下の舞うあの病室を見上げている。
腕時計はすでに2時を回っていた。 いつの間に3時間も経ったのだろう。火炎は今が最も盛んである。
風はさっきから西風だった。 何十メートルの炎が見上げるばかりの大空に、お互いに高さを競い、風に押されては東へ崩れかかる。
大学は町の風下になっているので、この高屈を置き場も危険になった。 私は患者をさらに丘の上の畑に移す決心をした。これはなかなか難しい作業だった。
何しろ道が狭い上に家屋の破壊物で塞がれているので、岩畑や石垣をよじ登って瀕死の傷者を次から次と運び上げるのである。
私も二人背負って這い上がったが、三人目にはもう力が抜けてしまっているのを自分で知った。 コミカミ動脈の出血が依然止まらず、あれから三度三角筋を取り替えたほどである。
府長さんが顔色が青いと注意してくれた。 なるほど脈もよほど細くなっている。
マスちゃんマメちゃんとか軽々と大きな男を背負ってあがる。 赤ん坊の泣き声がする。母親は重傷で意識がない。
2ヶ月ぐらいの赤ちゃんがデブ巣を膨らまして横で泣き立てている。 もう日は近いので、私はせめて子供なりと助けようと抱き上げて上の畑へ登り、
浜崎君の隣に寝かせた。 その時浜崎君が突然ウーッと唸ってぐったりと鳴った。
私は、ああ、ダメだと思い、ハサミを出して彼女の前髪を切り取りポケットに納めた。 山田君と府長さんとか親と子を話してはかわいそうだと言い、下から母親を抱き上げてきた。
赤ん坊を胸のところに添えて寝かせると激しく泣き立てた。 意識のない母親の手が赤ん坊のところへ動いた。大粒の雨がボタボタ降り出した。
指頭台の黒い雨で、くっついたところは重油か何かのように色がついた。 これは上のマウンから落ちてくるようだった。
情景はいよいよ精算を極める。 空気中の酸素が燃焼に費やされたのと、酸化炭素の発生が著しいのとで、この火炎の谷の中では呼吸が重くるし、
誰も犬みたいにハーハー息づいて働いている。 その時に時計を見たら四時だった。
患者はすっかり安全な丘の畑に並べて寝せた。 どこか屋根のあるところを通う、学生の石膏は四方に走ったが、どこも火ばかり。
ここより他に適当な箇所はなかった。 私たちはそこに座って飯を食った。
胸がいっぱいでという看護婦たちにも、これから何日何ヶ月こんなことが続くかわからんぞと言って、 とにかく皆がかねての非常食を食べた。
腹ができると自然に落ち着いてきた。 それから一人一人患者の訴えを聞いて丁寧な手当てをやり始めた。
止血帯を締め直す。傷の縫い合わせをする。 三角筋を巻き直す。標珍を塗る。水を飲ませる。
布団やむしろを見つけてきてかぶせる。そえぎを当てる。 あー標本室が火を吐く。
長屋くんが叫ぶ。 あー十数年苦心して集めた学術標本。
再び手に入れられぬ貴重な奨励写真が今一陣の煙と化しつつある。 あー撮影室が燃える。
治療機械もさようならか。 患者の救出に時間を取られて、ついに機械と標本を取り出すことができなかった。
私たちの日々の知識の糧であった文献も、学術進歩の記念だった標本も、 我が子のように、我が腕のごとく愛し親しんだ諸々の機械も、今すべて赤い炎と変わって天に昇っていく。
すべての希望、数々の思い出が今、この目の前に黒い煙となって消えていく。 私たちはただ呆然とそれを見つめて立っていた。
火星はいよいよ猛烈で、ついにフィルム倉庫に引火したとみえ、どす黒い煙と炎とがどっと吹き出し、堂々と炎が鳴り始めた。
私は膝の力が抜けるのを感じ、おしまいだと呟くと、ぐたぐたと畑の上へへたばった。 府長さんをはじめ看護婦たちがしくしく泣き出した。
大学は完全に一回の火となった。今は最後である。 大学長、加藤教授はあの通り、重傷である。
病院長、内藤教授の姿を見かけた者はいないから、おそろくは病院と運命を共にされたのであろう。 連絡学生の報告では、元気なのは古魚の
張良教授のみ。 他はほとんどみな姿を見ず、ただ北村、長谷川良教授が血まみれになって委員から助けられつつ、
浦の山へ登られたのを見かけたのみだという。 学生看護婦の8割は死んだらしい。
生きている者も勝者が多く、今この上の丘で活躍している下科を中心とする一団と、浦門付近で働いている皮膚科、小児科を中心とする一団を合わせても、元気な者は50名くらいだろうという。
基礎医学教室は全員絶望との話だから、大学は人的にも物的にも全滅したと認むべきである。
丘の上に立って燃える大学の最後の姿を見下ろしている私たちは、まさに昭和の白虎隊だった。
大倉先生が病室から白い大きなシーツを取り出してきた。 私は自分の顎から垂れ下がっている血兵をむしり取って、それで大きな火の丸を染めつけた。
竹澤にこの一粒あまりの火の丸をくくりつけて押し立てると、熱風が吹きつけてはたはたと大きくなった。
腕まくり白ハチマキの永井くんがそれに両手を掲げた。 黒煙のなびく大顔、血染めの火の丸が上がる。
私らは粛々としてそれに従った。時に午後の5時。 格の如くにして我が長崎医科大学は戦に敗れ、灰燼に帰したのである。
その夜、私たち教室員は打ち揃って学章の寝ておられる畑へ行った。
芋畑の隅に街灯をかぶり、丸くなって雨に濡れておられるのを見てつい涙が出た。
長教授を中心とする委員学生の一団が駆け回って手当に忙しい。 私は学長に報告を終わり、二十歩ばかり行くとめまいを感じ、足のよろめくのを覚えた。
ちょうどそこに長老から解放されながら梅津くんが寝ていた。 これも雨に濡れている。
私はその脈を握ってみたが案外強かったので安心をした。 上衣を脱いで梅津くんにかけてやり、五六歩行き畑を一段下りると、同時にくらりとして私はそっと押した。
「毛頭脈を抑えろ。」 長教授が叫んでいる。
ケーキンをぐっと抑えられた。 目を開けて仰ぐと、赤い雲の下に長教授と副長さんと豆ちゃんとどうしたかと心配していた金子義手の顔が覗いていた。
「血殺糸、コッヘル、ガーゼ、ガーゼ。」 慌たしく先生が怒鳴って私の耳のあたりの傷の中へ何か痛いものを突っ込む。
冷たい金属のフレアーを音がして時々どっとあったかい血が頬へあふれる。 「抑えて、拭いて、ガーゼ。」
先生がしきりに怒鳴る。 時々コッヘルの先で神経繊維を挟むものと見え全身の痛覚が一挙に目覚めて足のつま先がピンと突っ張る。
私は思わず手に触れた草を握りしめた。
長教授が駆けつけてくださった。 先生が何かボソボソ言っている。脈が握られた。私は観念の目を閉じた。
同脈の団体が骨の陰に引っ込んでるんだねと教授は言われた。 またも何回か私の足先がピンと突っ張り、手は草の根を握りしめなければならなかった。
けれども手術は手際よく成功した。 「長屋君、大丈夫だ。血は止まったよ。」
そう言って教授は立ち上がられた。 私はお礼を申し上げた。そして全身が急にだるくなり、気が遠くなっていった。
日は落ちた。 地上は延々と未だ燃え盛り、空一面に広がったマウンは赤く怪しく輝いている。
西の方、稲妻山の上のみわずかに空を透かせて、三日月が細く鋭く覗いている。 江南病棟の上の谷間に男組は板を拾い藁を集めて狩小屋を作り、
女組は鉄かぼとでかぼちゃを煮て湯気の支度を整えた。 長屋君と田島君とか県庁まで非常食料をもらいに出かけていった。
畑の中にかぼちゃの煮える火を囲んで私たちは小さな輪を作っていた。 わずかに生き残ったもののこの小さな輪よ。
お互いに顔を見合わせてこの輪を作るこのわずかな人間同士こそ、そこ知れぬ因縁の絆に結ばれていたに違いないという気がした。
私たちはお互いに手を取って固く握り合ってじっとしていた。 もう暗くなった上の森から、
「タンカー来てください。誰か駐車に来てください。」と哀れに叫んでいる。 友の名を呼ぶ声。
親を求める声。聞き覚えのある声。大勢声を合わせての叫び。 しかし私たちはもう7人の仲間を死んだものと諦めていた。
ヒフカの佐吉田君は大体骨折で身動きもかなわず、今ゴールの中に寝せてあるという。 藤本君は行動の床下から急死に一生得て杖を突きつき、
さっきここを過ぎたので自宅へ帰らせた。 あとは辻田君と片岡のタコちゃんと山下君ら5人の看護婦である。
彼らは生命さえ残っておればどんなにしてでも教室へ帰ってくる人々であった。 たとい霊魂がまさに肉体を離れんとして、
ただ髪の毛の先で繋がっているほどの瀕死の重傷でも、必ず私たちのところまで這ってきて、それから死ぬはずの仲間であり、それほど固い私たちの団結だった。
もう8時間も経過して姿を見せぬがゆえに、あの人々は即死したに違いないのである。 私たちはじっと黙祷を捧げていた。
のっそりと裸の大男が現れた。 おっ、永井先生、見つけたぞ。
あら、清水先生、生きていましたか。 わし一人じゃ。
のたりと尻餅をついた。 手をついてきた焼け残りの角材がカラカラ音を立てて倒れた。
ふうふう肩で息をしている像はまさに傷つける闘牛か。 すぐ来てください。学生たちが死にかけたら、もう半分以上は死んじもうた。
注射しに来てくださいよ。見殺しじゃけん。 薬船の豪者。
すぐ行きます。さあ、まあカボチャでもお別れなさいよ。 いや、カボチャどころじゃなか。カボチャを何百食ったって学生は助からん。
すぐ行きましょうや。 伏瀬先生、府長、橋本くん、小笹くんが医療袋を持って立ち上がった。
清木先生は士郎から手を引いてもらってやっと立ち上がることができた。 大学はなくなってしもうた。とにかくえらいこっちゃ。みんな死んじしもうた。
途中はひどいんだぜ。たった300メートルしかないのに1時間かかった。 それじゃ、また来ます。
ああ、よかった。学生が助かります。 先生は府長さんの肩につかまり、ヨイロヨイロしながら再び燃える大学の中へ入って行った。
この一帯はこの夜おきそ医学教室の裏丘を中心に、残りの大倉先生、山田くんらの一帯はここの狩小屋を中心に夜間の救護を続けるのである。
私と梅津くんとは狩小屋の藁の中に似せられた。 虫も死に絶えたものと見えて、あたりは若幕としている。
地に満ち空を焦がす大火の繁栄の明かりを頼りに梅木郷に惹かれて勝者に近づき、傷を巻き注射をし、これを抱いて引き上げてくれ。
道は思いがけなく炎の屏風に遮られ、転ずれば倒木、縦横に混じりて骨によしなし。ある時は吹き崩された石垣を用地登り、ある時は板橋の吹き飛ばされたものも知らず患者諸共溝にはまる。
足の裏はすでに幾度か釘踏み抜いて一歩ごとに痛みを覚え、膝頭はガラスに擦り切られてもんぺとくっついている。
救護隊は医学専門部の高木部長を発見して収容する。
生垣女教授、松尾教授を相次いで担ぎ込む。狩小屋もようやく梅木郷に満ちてきた。
他に薬局長の礼状も渋滞だ。通りかかった保険の就勤人が転がり込む。二人の囚人も宿を求めた。
鉄騎は二回来た。ビラ弾のはじける鈍い音がした。
夜半、火星はようやく衰え始めた。死に果てたのか諦めたのか、疲れて眠ったのか、叫びは全く絶えて天地弱として声なく、誠に厳粛な一時である。
下に差もありぬべし。まさにこの時、東京大本営において天皇陛下は終戦の声談を下したもたのであった。
地球の陸と海とを余すところなく舞台として展開された第二次世界大戦は次第に好調し、さらにいかなる波乱を巻き起こすやと気遣われていたが、
突如原子爆弾の登場によってクライマックスに達し、ここににわかに終幕となったのである。
確かに厳粛な一瞬である。私は放射能雲の怪しく輝いて低迷する空を胸の詰まる思いで眺めていた。
この放射能原子雲の流れゆく果てはどこか。
善とは凶か鬼畜か。正かはたまた邪か。この一瞬、この空から新しい原子時代は開幕せられるのである。
原子爆弾の力。8月10日の太陽はいつものように平凡にコンピュラさんから顔を出したが、その光を迎えたのは美しい裏紙ではなくて灰の村紙だった。
生ける町ではなくて死の丘であった。 工場は無造作に押し引き剥がれて煙突は折れ、商店街は瓦礫の浜となり、
住宅地はただ石垣の段ばかり。畑はハゲ、林は燃え、森の巨木は抹茶を並べたように倒され、
まんもく荒涼、犬一匹生きて動くものはない。夜半、突然火を発した天守堂が紅蓮の炎をあげて最後のピリオドを打っている。
私たちは創業、薬船の号に移動して基礎医学教室の9号にあたる。 運動場の片隅にトタンをかむって寝ている者がいるので、行ってみると細菌教室の山田先生だった。
辻田くん最後の模様を初めて知る。 そこで細菌教室へ行ってみると、実験室の焼け跡の灰の中に先生方であろういくつかの黒焦げの骨がある。
四度読むとまた気が変わって、これは最もなことだと考えた。 五度読み終わって、これは宣伝ビラではなく、冷静に事実を述べているのを知った。
私は右手に竹刃をつき、左手にビラを握り、防空壕のところの清木博士のもとへ帰って行った。
清木大臣はううむと唸って土の上にひっくり返った。 そして虚空を睨みつけたまま、51時間ものを言わなかった。
原子が爆発したらそれから何が出てくるか。 私は清木博士の裸体の隣に寝転んでいて考える。
巨大な原子力、微粒子、電磁波、熱。 この4種類がまず頭に浮かぶ。
原子力、すなわち原子が創造された瞬間から原子内ことに原子核内に潜在していた力。 原子の形態を維持し、その作用の厳選となっていた力。
それは原子の体積に比べて著しく莫大なエネルギーであり、実に万象露天の原動力たるものである。
一部の学者は、太陽より昼夜不断に発せられる巨大なエネルギーは、実に太陽の原子が時々刻々に爆発しつつ発する原子力であるとさえ言っている。
したがって、原子爆弾は人工太陽とでも称していいかもしれない。 この巨大な原子力は、原子の破裂と同時に解放せられ、一挙に万物を圧する。
進行中、空気中、土中、水中でその起こる現象は異なるであろう。 この度は空気中で破裂した。
放出された体力が、まず空気分子を発砲へ押しやるので、偉大な風圧が地球上に発砲に進行する。 その内側には真空を生じるであろう。
そして偉大な風圧の後から偉大な陰圧が従うであろう。 さて、地形が裏紙のような谷であれば、
球面波がこれに衝突し反射する際、複雑な干渉を起こすであろう。 こうして、地面ではまず主圧が来て物体を押し倒し、押し潰し、粉砕し、吹き飛ばす。
ついで、陰圧が来てこれを逆に引き、吸い上げ、軽いものは空高く土煙として巻き上がっていく。 その後に複雑な風圧が入り乱れて、惨事、荒れ狂うであろう。
その結果、なぜこのような方向に動かされたのか検討のつかぬ状態に、しばしば遭遇するに違いないのである。
この爆発の速度はだいたい音波の速度と同じくらいと考えられる。 微粒子として飛び散るものは原子構成粒子たる中性子、陽子、α粒子、
インデンシーや原子核の分割によってできた新原子及び割れないもとの原子である。 このうち最も大きな作用を示すのは中性子であろう。
中性子は電気的に中性な小粒子だから、ある初速で原子核を飛び出すと途中で電波・磁場の影響を受けず、そのまま直進してよく物体を貫通する。
その速度はおそらく1秒間に約3万キロを突進するだろう。 ただ水素原子に衝突すると停止する性質があるので、水・湿った土・ファラピンでは遮られる。
α粒子・陽子は、陽・帯電波・磁場の影響を受け、その速度を変じ、あるいは引力を合体したり空中放電を起こしたりして、地上にはあまり多くは到達せず空中に浮遊し終わるであろう。
原子核の分割によって新たにできた元のものよりも小さい原子は、一定時実不安定であって放射線を出し続けるが、このものは体積も大きいので進行途中で受ける抵抗も大きく、いつしか速度を失って同じく空中に浮遊するであろう。
このものは、放射能塵となって次第に地面に降下・沈積し、もって今後かなり長い月日の間、爆心地帯より当時の片島方向に渡り、残留放射能の源となるであろう。
さて、これらの微粒子群は爆発と同時にまず球体に拡散し、速度と重力と浮力と気圧その他の条件の支配を受けてある形をとるであろう。
その微粒子を中心に水蒸気の凝結も起こるであろう。
かの爆発直後に生じた真雲の本体はこれであり、かの大きな黒い雨もこうしてできたものであろう。
かかる大変化が瞬間に起こるのだから、もちろん大なる熱エネルギーを生じる。
爆心最近距離のものは黒焦げとなる。
例えば薬学専門部入口の標柱はきれいに爆心に向いていた反面だけ黒焦げになって立っている。
ことに熱を吸収する黒色の物体はひどく焼かれる。
井上くんの眼球の黒目の部分だけ線香していたことや、
黒瓦の表面の泡立っていることや、
浴衣の黒い模様の通り熱傷を受けていた患者がいることや、
石の黒い部分がボロボロになっていることなど、この事情を裏書きするものである。
原子内で帯電粒子の急激な位置移動が起こる結果として、
電波・磁場の歪みを生じ、これが電磁波として輻射される。
それを波長の短いものから並べてみれば、
γ線、x線、近外線、交線、赤外線であろう。
さらに波長の長い電波も出るかもしれん。
その速度はいずれも1秒間に29万9790キロという素晴らしいものである。
交線がピカッと目を射たあの時刻が原子爆裂の時刻であり、
同時に恐ろしいγ線は体を貫いており、赤外線は露出部に熱傷を与えたのである。
清木先生を中心に長老たちが仕切りに論じている。
一体全体これを完成したのは誰だろう。
コンプトンだろうか、ローレンスだろうか。
アインシュタインも大きな役割を持っているに違いない。
それからボーアやフェルミなど、欧州から米国へ追われた科学者たち。
中世史を発見したイギリスのチャドイックやフランスのジョリオ・キュリー・フサイア。
もう何年も学術作国で重要な文献が発表されないからわからないが、
きっと心身大化がいるに違いない。
そしておそらくはアメリカのことだから数千人の科学者を動員し、
研究の分担を定め、能力的に年々仕事を進めていったものだ。
これは実験室だけの仕事じゃないから、材料の採掘、精錬、分析、
人材分離というだけでも大した興行力がいるんだぜ。
きっと後で発表になってみれば、日本の兵器研究所なんて向こうの規模に比べたら、
まるで丸ビルの横丁に落ちているマッチ箱みたいなものだろう。
多分何十万という労働者の力がこの一発の原子爆弾にこもっているよ。
何十人か何百人かの上学生がこっそりと紙と糊とで作った日本の秘密兵器とは桁が違うよ。
材料といえば一体何原子だろう。やっぱりウラニウムか。
さあ、もしかしたらアルミニウムのような軽い原子じゃなかろうか。
でもそんな小さな原子じゃ解放される力も小さいだろう。
しかしウラニウム原稿は地上には少ないよ。
これだけ大戦争に集中するためには容易に手に入る元素がないと思う。
何、ウランコはカナダからいくらでも出るんだ。
材料と関係のある話なんだが、一体どういう方法で希望の瞬間に大量一時に原子爆裂を起こさせたものだろう。
ああ、さあそれだ。それが各国物理学者の知恵比べの焦点だったんだ。
さっきローレンスの名が出たね、例のサイクロトロンで原子核破壊の第一人者だが。
まさかあの爆弾の中にサイクロトロンを入れることはできない。
理科学研究所のを見てきたことがあるが、大きな建物一つほどのでっかいもんだぜ。
それをなんとか小型にしてさ。
いやー高圧絶縁とか電磁石とかを考えればちょっと小さくはされないね。
あ、ラジウムか何かを使ってアルファ線のようなものを利用したら?
それとも宇宙船の中間子なんかは利用できんか。
あ、思い出した。そうだ、フィッションだ。
な、なんだなんだフィッションとは。
フィッションだ。核分割だ。マイトナー女子が見つけたあの現象だ。
マイトナー女子。あまり聞いたことのない名だな。どこ、どこ人だ?
オーストリア人。うん。
研究したのはコペンハーゲンでだ。やっぱりヒトラーから追われた学者の一人だ。
ハン博士の直修だったが、今は60歳をよほど越したおばあさんのはずだ。
イタリアのフェルミ教授の仕事に関連しているのだがね。
ウラニウムの原子核に遅く飛ぶ中性子を当てるとウラニウム原子がポッカリ二つに割れるのを見出したんだ。
あまり早い中性子だと原子核をファンに貫通してしまって何もならないんだ。
のっそり飛んできた中性子が原子核の中へ潜り込むともごもごしていて突然核が二つに割れて離れる。
そして核内に潜在していた巨大な原子力が解放されて紛失する。
ほう、便利だね。中性子がありさえすればいいじゃないか。
この時面白いことは、二つに割れた部分の質量が元の質量より減っているという事実なんだ。
これはもう以前にアインシュタインが発表したエネルギーと質量の同等性という理論を事実において証明したもので、
物理学の革命とも称すべき、科学界における細菌の最も重大な開拓であったわけなんだね。
つまり核が二つに割れる際にその一部の質量が、言い換えれば物質が突然として消滅し、
それと同時に一定の同等量のエネルギーが発生するんだ。つまり原子爆弾のエネルギーがそれなんだ。
物質がエネルギーに突然として変わるんだ。
そうだ。物質の質量に光の速度の事情を生じた積がその質量のエネルギーなんだ。
光の速度が約300億毎秒センチだからその事情とは素晴らしく大きい数だが、
1グラムの質量がエネルギーに変わるとすると一体どのくらいになるだろう。
まあ外力の計算をすれば1グラムの物質がエネルギーに変わると、
1万トンのものを100万キロ運ぶだけの力となるね。
ああ。
この裏紙を潰した原子爆弾にしたところで、そりゃ原子もかなり大量に使ったろうし、
いろいろな機械で弾体は魚雷くらいの大きさはあったかもしれないが、
正真正銘消費された原子の質量はおそらくは何グラムという小さいもんだろう。
すごいなあ。
だがたくさんの原子核を一時に分割するには中性子をどうして発射する?
うーん。
それがまた都合のいいことにはウラニウム原子核がフィッションを起こすと
γ線モデルが大体2個の中性子を飛び出すんだ。
そしてこの2個の中性子が近くの核にぶつかって、さらに2箇所でフィッションを起こす。
それから2個ずつ中性子が出て、今度は4個の核を割る。
次は8個、16個、32個、64個、128個、256個、512個、1024個、2048個。
うーん。
こうして最初は少し割れるが、短い時間後におびただしい数の原子が同時に爆裂する。
これを連鎖作用と呼んだ。
それじゃあまず最初に少なくとも1個の核を割れば、
あとは1人でそこにあるだけの原子が割れるわけだね。
しかし厳密な意味では同時でなく、ある時間を要するわけだ。
そういえば爆発の来たのが1瞬間ではなくて、幾秒間が続いたようだった。
最初少し弱いのが来て、急に強くなったと覚えている。
その後に続いたのは反射、干渉の結果の圧力だったろうけども。
日本ではこんなことを知らなかったのかい?
知ってたさ。僕だったらこうして知ってるんだもん。
じゃあなぜやらなかったんだい?
前とのあのこの実験は戦争の始まりよりずっと前なんだ。
だからどこの国もやりかけたんだが、フィッションを起こすのはウラニウムで。
そのウラニウムには同位元素のウラニウム235と238とがあるが、
235の方がよく割れるんだね。
もしウラニウムの中に他の元素が混入しているとそれは割れないから、
中性子が飛んできても、もうそこで連鎖作用は中断されてしまう。
したがって連鎖作用を完成するためには純粋ウラニウム235だけの集まりを得なければならない。
これがなかなか難事業だ。
日本ではこのウラニウム235の純粋分離をやりかけたんだが、
軍部からそんな夢物語みたいな研究に莫大な費用を使ってもらっては困ると叱られて、
おじゃれになったと漏れ聞いている。
惜しかったなあ。
済んだことは仕方がないさ。
愚者を指導者にいただいた賢者の嘆きさ。
それからね、核が分割して中性子が出るんだが、
ウラニウムの塊があまりに小さいと、
外へ、すなわち空気中へ飛び出してしまって、
これまた連鎖作用の終末となる。
だからウラニウムの塊は十分大きくなければならない。
純粋のウラニウム235を十分大量に得るというのは容易な工業じゃないぞ。
米国はモテる国とはいえずいぶん苦労したろうなあ。
防空壕の中に倒れておるということ、
身をもってその実験台上に乗せられて
親しくその状態を観測し得たということ、
そして今後の変化を観察し続けるということは
誠の敬うのことでなければならん。
私たちは、やられたという悲嘆、憤慨、
焚害、無念の胸の底から
新たなる心理探求の本能が怠惰を始めたのを覚えた。
没前として新鮮なる興味が香料たる原子矢に沸き上がる。
原子爆弾症
先生、ガスを吸ったんでしょうか。
体中なんとなく具合が悪くてフラフラして倒れそうです。
先生、爆風を吸ったからでしょうね。
なんだかムカムカして吐きそうで頭が上がりません。
私は息を呑めになりましたばってん。
傷一つ受けなかったのに今日はもう死にそうな気がします。
石垣の影や崩れた建物の隅まで逃げてきたなり
動きたくなくなった人々が私に尋ねる。
私自身がそうなのである。
まるで忘年会にそこ抜け騒ぎをした
翌朝の二日酔いみたいな不愉快な状態である。
酒を飲まぬ人にこの気持ちがわからんのなら
船酔いの時を思い出してもらえばよい。
全身倦怠、頭痛、おしん、おうと、めまい、脱力などという嫌な気持ちだ。
これはしかし、私は以前にラジウムの実験に凝っていた頃
よく体験したガンマ線照射後の宿水状態とそっくりだ。
これはガスを吸ったのでもなく爆風とも関係はない。
ガンマ線の作用なんだ。
ピカッと光を見た時に同時にガンマ線が体中に突き刺さったんだ。
しかもガンマ線は木造の日本の家屋なんかは兵器で貫通するし
コンクリート壁だって相当厚いものを突き抜けるから
家の中にいたものもみんなやられたのだ。
中性子もやってきたのだからこの障害も起こるはずだ。
これは文献で読んだことがあるけれども
私自身の実験はないから今のところこれが中性子宿水か否かはわからん。
しかも必ず強烈な中性子障害が起こる。
なんといってもここはガンマ線なんかより生物学的作用が強いから大変だ。
しかもその症状が発現するまでに臓器によってそれぞれ異なるが
一定の潜伏期間があるのだから今後いつどんな症状が出てくるか
まことに気味が悪い。
私は原子爆弾、中性子、原子病と考えてきて何か戦慄を感じた。
今日は患者の収容に暮れる。
空はカラリと晴れて満雲は東方に去り
灼熱の太陽は血を埋める熱媒のホテリットの間に私たちを挟んで
裏髪はまるで天下のかまどである。
昨日炎を流れ死の手を出し
無我夢中で突っ走った人々はやれ安心と腰を下ろしたところが最後の血となって
そのままそこの岩陰、木陰に倒れたきり身動きもできなくなって
ある者はいつのまにか生き絶え
ある者は待つ後の水を求め
ある者はただ梅いている。
途方もなく目当てもなくむちゃくちゃに走っているので
いつどこに倒れているのやら探す方も方針が立たない。
おい、おいと呼んでみては声のする方へ行く。
コンピラさんだけでも何百人といいあるいは何千人とも言う。
まあ大した数の患者だ。
県や市の衛生課、医師会、警察
みんなかねての計画通り手際よく救護陣を敷いた。
近郊の警防団が盛んに活躍している。
大村の海軍病院も安山院長の指揮でいち早く救護隊を送り出した。
久留米の陸軍病院も到着した。
救護の本家と自称していた我々大学が非救護者となり
哀れとも残念とも何ともかんとも感慨無量である。
それでも家を焼かれ家族も重傷の小屋の教授が
代理学長として活動の中心をなして終わられる。
霊息を二人まで失われた張教授が
おこつも帰れみず生者の間を立ち回っておられる。
そのほか大部分の職員学生が家族、家財を失いながら踏みとどまって
救護と行方不明者の捜索と学内整理に懸命だ。
門尾学長、高木伊泉部長は水の滴る防空壕の中に寝せられて
それでもやはり意識をとっておられる。
病台は次第に悪化する様子だ。
山根教授も重傷の身を発見されて壕の中に寝ておられる。
負傷者を次々防空壕内に収める。
敵機は相次いで来襲する。
ピカッと来ればおしまいだから爆音が聞こえさえすれば
遠くても神経質にみんな壕の中へ隠れてしまう。
私たちは多くの死者を葬り、多くの傷者を診療した。
そして原子爆弾症に関する考察をだんだんまとめることができるようになった。
障害の原因は原子爆弾に直接よるものと
その爆発の現象に伴う間接のものとがある。
直接障害は爆発、熱、ガンマ線、中性子、
飛散弾大変、火の玉によるものであり、
間接障害は東海火屋、飛散物片によるもの、火災によるもの、
放射線によって変質された物質によるものである。
また衝撃によって生じた精神異常も後者に属する。
この原子爆弾が普通の火薬爆弾と著しく異なる点は、
爆弾破片層がないことと、放射線障害を発すること、
多くはすでに可能して、こびりついた布をひきはぐと同時に腐敗臭のある海がどろりと出る。
傷も周囲も少し手荒くクレゾールで洗い付きをめて、
傷の中を探ると大きなガラス片が入っている。
障子の産が刺さっている。コンクリートのかけらが隠れている。
慣れた私たちではあったがゾッとする。
一人でこんな傷を十も二十も持っているのだから大変だ。
一人で一番たくさんあったのは百十傷であった。
傷を洗い異物を取り除き、整形縫合し薬をつけて包帯を巻き上げるまでには
一人の患者にずいぶん時間をとられる。
熱傷も無残な姿だ。
皮膚が大きくベロリと剥げて赤い皮下組織が痛々しく現れている。
多くは顔と胸と腕とである。
顔などは化け物のように腫れ上がり、物言うのも難しい。
傷に油を塗っているのは救護演習で教えられた通りで経過も良いが、
バレーショーを吸って塗ったのや、かぼちゃを貼ったのや、粘土をかぶせたのも多くて無言らしい。
傷を消毒して六枚板の光線で御安保を命じた。
一見を済ませて畑道自体に隣へ行けば、もう蚊帳を摺っているのが見えて、ここにも怪我人がいるわいと潔たつ。
夜十時。
犬継地区を全部見て回り、間無性を戒めながら山道を藤の丘の本部へ帰る。
草はすでに梅雨に湿り、チンチロ林が茎を隔てて鳴きあっている。
北斗はいつしか傾き、三つ山の上に大きくサソリ星が伸び上がっている。
昨夜、焼け跡の防空壕から仰いだアンタレスは、
不吉な赤さで白頭していたが、今夜この平静な景観から臨めば何か下に沁みたい気を起こさせる。
誰もが黙って歩いている。死んだ友も一人一人懐かしい。
生き残ってこうして一本の畑道を行く友も一人一人愛しい。
私は再び首を上げて、遥かに低い乙女星を探した。
青い澄んだそのつつましい光に向かって、美しく死んだ看護婦たちの冥福を祈りたかったから。
13日、今日もカラリと晴れて暑い。
6時、下の軽利に降りて顔を洗い、そのまま六間板地区に行く。
この日、六間板、赤水、トッポ水、踊り瀬の四地区。
工程8キロの予定だから、朝飯前に一地区を済まそうと思って行ったのだったが、来てみると怪我人は意外に多く。
救護班の北の夫妻機、次から次と集まってきてとうとう10時までかかる。
徳之丘の松下さんの家では、いつの間にか朝ごはんの支度を整えてくださっていて、私たちが手を洗い終わったらどうぞこちらへと言われて、驚いたり恐縮したりだった。
畳の上に座り、お経事されて白く有形の立つご飯を手にしたら、思わず涙がこぼれた。
生きてあればこそ、生きてあればこそ。
さあさあ、元気を出して村中を助けてもらわねばなりませんから、うんとお上がりくださいよ。
朝飯と昼飯と二度分詰めておいてなさい。上手に勧められ、一度しみじみ美味しくいただいてここを落ちす。
明水地区を終わって出ようとするとすごい爆音だ。じっと湯掛けにくっついている。
ピカッと光ったらおしまいだ。光るなよ、光るなよ、と祈っている。
これまでの爆弾や機械操作なら油断さえしておらなければまず大丈夫だが、今度のピカドンだけは全く対策がないのだ。
いつどこでピカッとやるか予想ができない。
光ったら最後、幾キロ平方内の生きとし生ける者はやられてしまう。神経質にならざるを得ない。
爆音遠ざかる。
一度路上に現れる。警戒口群一律になって道の一側、路上に影を落とさぬ方を通る。
私たちは皆家を焼かれ寄宿舎を焼かれ、住むところも着るものも背負うしてくれる憎しみをも失った者ばかり。
廃墟から出てきたままのみじめな姿で巡回診療をしているのである。
知らぬ人が見て、どうしてこれが教授、女教授以下、大学の一教室と認めるであろうか。
包帯をぐるぐる頭に巻いて、それに今日、新しい血の滲んでいる者、足の怪我で苦労しながら歩いている者、胸を打たれてまだ呼吸の深くされない者、
放射線障害で走白な者、眼鏡を失って足元のおぼつかない者、
竹杖をついている。
友の肩に支えられている。
手を引いてもらっている。
ゾリを履いている。
杉下駄を引っ掛けている。
ゴム長靴をダブダブ鳴らしている。
血のついた紋兵、裂けたシャツ、着られたズボン、蜂巻き、ほっかむり、鉄かぶと、それに偽装の青草を刺して。
哀れじゃのう。
長老が唸る。
世が世であれば。
長井君がため息をつく。
これはまさしく灰山の兵である。
しかしながら以前大学の一地教室である。
あくまでも森林探究の一念に燃え、
初人久後の悲願を立ててかかる肉体をもって灼熱の中、爆音の下。
長者を探して歩み行く私たちは以前大学の一教室である。
森林探究こそは我が生命。
これさえ熱烈ならば外観のみじみさなどは問題ではない。
原子は初めて人類の頭上に破裂した。
いかなる症状を弱気するか。
今私たちが診察している患者こそは
医学史における全く新しい資料なのである。
これを見逃すことは単に事故の怠慢に留まらず
貴重な研究を放棄することになり
科学者として許すべからずあるところである。
私たち自身もまたすでに原子病発生の兆候を自ら感じているから
安静をたまらずこうして歩き回れば
あるいは症状を増大して死に至るか。
至らぬまでも奇特に陥るかもしれないが
しかもなお学問的良心は私の身体を交付し
患者を見よう。正確に観察し実態を把握せよ。
そして良き療法を考察せよと激励してやまない。
実験機械はなく検査用具もない。
紙も持たねば鉛筆も失っている。
わずかにメスとピンセットと包合割れと
幾百箱の消毒薬と包帯材料が
足の刃で編んだ買い出し箱に入っているばかり。
しかし我に頭の上がり目があり手が備わっている。
私たちは何者かを取るであろう。
爆音ちかし伏せろ。
がばと伏せる鈴木の中むっとする臭い息で
蟻が慌ただしく目の前の鈴木の葉を登って行く。
頭上通過。出発。
ヨロヨロと路上に立ち入れて急ぐ。
火はカンカン煮たたきを照らしつける。
また爆弾。戦闘機。向こうの岩陰まで走れ。
薬瓶は割るな。後がないぞ。
退避したり走ったり疲れて木陰に休んだり
時計を見てこうしてはおられぬと立ち上がって
豆のため踏みつけるたびに痛い足跡にひやひやして
小石路を歩いたり
一つの地区から次の地区へ移るのにも意外に暇取って
体も疲れるが気力も疲れた。
患者は予想の5倍もいた。どの家にもいた。
どこの人かわからぬが走り込んで倒れたなりなので
解放していますというのもある。
家のない竹矢部の中にむしろを張って転がっているものもある。
包帯材料はなくなった。
府長さんと椿山君とかニリのやけ道を大学まで補給に行く。
今度ピカドンが来たら永遠のお別れだね。
と冗談とも真剣ともつかぬ挨拶を交わして谷を下って行ったが
夕方元気な姿とふくれた買い出しかご等を
首を長くして待っている私たちの前に現した。
大石看護婦も来た。
大石君は兄戦死の広報が来てちょうど8月9日に郷里へ帰っていたのだが
大学壊滅の悲報を聞くや
教室員を救護しようと北松浦から駆けつけてくれたのだった。
せめて先生方のお骨にでも会いたくてと言いかけ
ぼろぼろと涙を流した。
元気いっぱいな大石君が加わったので仕事は活気づいて
夜の10時まで予定の地区を終わり
富士の帰りについて色に火を焚き
バレーショとカボチャを煮る。
囲炉裏を囲んで今日見た患者の病状を検討する。
もうすでに奇特な放射線障害がまず消化器に現れたように思われる。
口の周囲に脳方針ができ
困難炎を起こしてきた患者がどうも今までに見たことのない初見である。
活発アルロン栓が囲炉裏にホタを織りくべながら展開されているうちに
いつしかカボチャとバレーショは美味しそうな湯気を吹き始めていた。
14日 阿勢別島 河床 富田 小谷の初地区 高低9キロ
道は幼鳥の小道とまで行かないが
山腹を登り谷間に下り点々と存在する家を繋ぐ。
あんな高い山の上の一軒家へと足を思わずためらうが
しかしあの家に貴重な奨励がもしあるとしたら見逃すことが許されるものかと
杖を持つ手に力を込めて一歩一歩登って行く。
行けば喜ぶ家族の騒ぎ
怪我人は
ああ、お医者様が見てくださるからきっと助かる
と自分で不自由な手を動かして包帯を解き始める。
台所のレア早速トントントンとキュウリを刻む音がする。
手当が済んだらお茶のご馳走が出るだろう。
大事な学問のために患者を助けるために
家族の喜ぶ様が嬉しさに
地区から地区への巡礼のように歩いたが
さすがに夕日の赤く差す頃には
空腹と疲労と頭痛とで皆はすっかり下手張ってしまった。
二人ずつ手を繋いでもう口を聞くものもなく
黄昏の山路を帰る。
ブーッといきなり長老が一発発射した。
府長さんが
アハハハハと笑って走り出した。
まあひどいわ、と桃雨ちゃんが言う。
我慢我慢、ロケット推進機体
と長老が子供投げに片付け
この勢いで前進するんだとまた発射した。
今度はあまり音が良くない。
火酸化水素が不純だな
長居くんが冷やかした。
製造機はまだ大丈夫なんだが原料不足だから。
応酬ごとに一笑いして道はいつしかはかとっていた。
夕月が淡くかかっている。
日暮れて道遠く。
清木教授が独り言を言った。
その時、さっきから具合の悪かった私の右足が痙攣を起こした。
私はどたりと道の上にひっくり返った。
皆集まって盛んにマッサージをやってくれる。
月は次第に傾き
あたりはいよいよ暗くなった。
人は通らない。
藤の尾まであと3キロ。
30分もしたら筋肉は柔らかくほぐれた。
私は豆ちゃんの肩に支えられて
コトリコトリと帆を運ぶ。
1キロ行ったら豆ちゃんが弱り込んでしまった。
そこで豆ちゃんを松ちゃんと大石くんが腕組みして助け
私は長老におぶさった。
高見さんの家まで一度やっとたどり着いて一息入れる。
おばさんが
まあまあ今夜遅くまでと言いながらすぐに夕飯を並べてくださった。
もう遠慮などできる犬婦ではなかった。
むせたりせき込んだりまるで子犬のように
ご飯とかばちゃとバレーショと梅干しと口の中に投げ込んだ。
15日
聖母飛翔天の祝日で
騎馬天守と現在の三山教会では創業のミサが立てられていたが
爆音がすでに空をかすめていたので式は途中で中止となり
あくまで本土決戦だと怒鳴ったりわけがわからんのです。
戦争が済んだと話をして
片側にいた青年から叩かれた人も相当多いようです。
みんな不機嫌になって黙り込んで傷に向かう。
本当だろう?いや嘘だろう?
デマに違いない?いやひょっとしたら真実だ。
頭の中を車が回るようだ。
治療終わった手を洗ったが今日もまた10時。
長老が担いできた缶詰で簡単な夕飯をしたためる。
腹は空いていたがうまくない。
16日。
次元原子爆弾が落ちてきた。
小さなウラニウム弾だった。
時計仕掛けになっていたのでカッチカッチとなっている。
あと5分経ったら爆発するんだ。
しかもここに落ちていることを誰も知らない。
私は焦った。これを退治せねばならん。
幸い手に竹槍を持っていた。
これで私はえいと叫んでついてみた。
竹槍は何の手応えもなくぐにゃりと折れた。
横に竹槍が並べてある。
それを取ってはつき取ってはつくが原子爆弾は頑固なやつでぐにゃぐにゃと竹槍を曲げてしまう。
私はいよいよイライラしてえいやえいやとつく。
呼吸が苦しくなり汗がじっとりしてきた。
爆弾はまさに爆発戦とする。
私はもう恐怖のどん底に突き落とされた。
ガラガラっと轟音がした。
ピカッと光った。
カッと顔に光線が当たった。
私はやられたと叫んだ。
部長先生、部長先生、どうなされました?
部長さんの顔が私の見開いた目の前にあった。
まめちゃんがいま雨戸を開けたところで私の顔に朝日がさしている。
まあ、熱がある。
部長さんが私の額に手を当ててみて、手ぬぐいで汗をふいてくれた。
起きようとして私はめまいを感じ、さらに右足が痛んで動かせぬのに気づいた。
部長さんは足を調べていたが、
まあ、傷がみんな可能しています。
なぜこんなになるまで黙っていらっしゃいました?
と責めた。
戦争だものと私もおまけずに答えはしたものの、
今日は起きることもできん。
みんなは私の傷の手当てをしたり、注射をしてくれたりして川平の方へ出て行った。
椿山君が正確な情報を得るために支柱へ下った。
私は一人唸りながらウトウトと留守役。
部長先生。
椿山君が帰ってきていた。
暗い顔をして一枚の新聞紙を私に渡す。
私は受け取りながらちらっと見てしまった。
見るべからざれし文字を。
この数年この文字を見ることなかれと戦い続けてきた文字を。
終戦の声談下る。
日本破れたり。
わっと声を立てて私は泣き出していた。
涙はあふれて耳をふさいだ。
二十分三十分私は子供のように泣き続ける。
涙は枯れたがやっぱりむせび泣きをしていた。
椿山君も畳にすっぽしたまま肩を震わして泣いている。
夕方早く救護に出た仲間が帰ってきた。
その顔を見たらまたわっと私は泣き出してしまった。
みんな手と手を取り合って泣く。
いつまでもいつまでも。
日が落ち月が射しても泣き止まない。
そのまま飯も炊かず茶も飲まず何も考えず何も言わず。
牛乳のように白く濁った頭を涙の海に沈めて泣き続けた果てに
昼の疲れがどっと出て眠りに落ちてしまっていた。
十七日
苦に破れて惨があり。
障子を開けて山に向かう。
椿山は大全としてもとのごとく白雲巨大するのさえ気にせぬ。
冷庫清水また一片の雲か。
深刻不滅の不動の信念は一瞬に崩れ去って
夏晴れの朝、空欲しいままに米国旗の徴領に委ねるのみ。
グラマンが来る。ロッキードが来る。
みんな低空低速ゆゆゆと見物して回っている。
B29のあっと玉蹴るほどの図体が椿山それぞれに飛び去った。
もう戦争は済んだのだ。
私たちは負けたのだ。
今日は何もせず寝て暮らそうやと朝飯を終わると
みんなはゴロゴロ転がって雲を見森を見飛行機を見ていた。
全く何をする気にもなれん。
茶碗も皿もそのままいろいろの旗に並んでいる。
患者から迎えが来た。
国敗れて何の患者ぞや。
今日は一億が泣いているのだ。
一人や二人の患者の生死が問題になるものか。
そんな患者を助けたところで今更日本が立ち上がるものじゃなし。
断れ断れとばかり過ぎなく断ってしまう。
今日はみんなムカムカして何かあれば喧嘩を吹きかけたくなっている。
使いの者はああそうですかと力なく言い過ごすこと帰って行った。
私は寝転んだままそのさむざむとした後ろ姿が
明河畑の中を遠ざかっていくのをじっと見送っていた。
私はむっくり起き直り
まめちゃんに今の使いの人を呼び返してくるように頼んだ。
心機は一転した。
一人の尊い生命をこそ片付けねばならん。
国は敗れた。しかし勝者は生きている。
戦争は済んだ。
しかし医療救護班の仕事は残っている。
日本は滅んだ。しかし医学は存在している。
私たちの仕事はこれからではないか。
国家の攻防とは関係のない個人の政治こそ私たちの本務である。
敵味方の区別は本来石十字にはないのである。
日本が個人の生命をあまりに簡単に粗末に取り扱ったからこんなみじめな目にあったのではないか。
個人の生命を尊重しここに私の立場をつくる一つの組織があるのではあるまいか。
勝つために負傷したはずだったのに今は負けるために負傷したことになっているこの人々こそ
最も残酷な悲惨の淵に投げ込まれたのである。
これを慰め、救い上げる者は我々を置いて他にない。
皆ただざんばと言いながら私はヨロヨロと立ち上がる。
さらば、我もと皆立ち上がる。
敵は再び私たちの間に満ちてきて顔面皮膚の自ら緊張する。
戦争だ。何が何でも理屈なしに頑張れと仕入れられて働くのではない。
この一人の生命を救う者は我の他にあらずと自ら進んで出てきたのである。
後退はもちろん疲れた上に疲れ、手当は怠らぬとは言うものの傷の痛みは一歩ごとに応える。
青い星のマークも鮮やかに戦闘機が頭上をかすめる。
しかし今日は何のことも起こらぬ。
私たちは大きな塊となって道を行きながら、
米国機の通るたびに一種の張り合い抜けを感じた。
18日には連合軍上陸。
扶助士避難のデマが飛び、火災を持った日本人が狼狽して走る。
哀れとも滑稽とも形容のしようのない状態を見せた。
その後幾週間、降伏後の混乱はいろいろな形をとって私たちの周囲に渦を巻いた。
しかし私たちは天外無一物、奪われるべき何ものをも持たず、
ただ救うべき多くの傷病人を抱えていたのであったから、
一途に巡回侵略を続けていた。
東海より朝日差すところ、朝雲高くそびゆる富岳をもって象徴すられた日本は滅亡した。
大和民族は最低の奈落に突き落とされた。
私たちは生きて恥をかくばかりである。
原子爆弾にこの世を去った友らこそ幸いになるかな。