1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 153永井隆「長崎の鐘」(朗読)
2025-08-05 3:08:01

153永井隆「長崎の鐘」(朗読)

153永井隆「長崎の鐘」(朗読)

爆発を受けても鐘が残ったそうです。

※ずっとウラガミと読んでますが正しくは浦上(うらかみ)だそうです。

今回も寝落ちしてくれたら幸いです


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サマリー

このエピソードでは、永井隆の著作『長崎の鐘』が朗読されており、原爆投下による長崎の惨状とその後の影響が描かれています。戦争の悲劇や平和への思いが強く表現され、登場人物たちの心の葛藤や勇気が表現されています。具体的には、田川先生や加藤くんなどの人物を通じて、戦時中の緊迫した状況と人々の選択が詳細に語られています。また、物語は、混乱の中での生存や助け合いの試みを通じて、戦争の悲惨さや人間の絆について描写しています。 永井隆が語る長崎における原爆の悲劇では、爆風の中で命を落とした人々や生き残った者の苦悶が描かれ、戦争による惨害が人々に与えた影響が伝えられます。医療と人々の苦しみについても触れられ、長崎の惨事の中で感じた無力感や助け合いの重要性が強調されています。 さらに、科学と戦争、そして人間の尊厳について深い考察がなされ、原子爆弾の影響や原子力の解放についての議論も展開されます。放射線が体に及ぼす悪影響や被爆者の症状に関する具体的な説明も含まれています。特に、長崎で治療を受けた患者たちの経過や新しい療法、自家血液刺激療法の成功についても紹介されています。 彼の戦争体験や終戦後の混乱が描写され、個人の生命の尊重と医療救護の重要性が強調されています。最終的に、彼は戦争の残酷さと人間の正義について深く考察し、敗戦後の日本人がどのように悔い改め、再生の道を歩むべきかを伝えています。

戦争の影響と登場人物
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見、ご感想、ご依頼は、公式エックスまでどうぞ。 寝落ちの本で検索してください。
また別透行フォームもご用意しました。リクエストなどをお寄せください。 そして最後に番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて今日はですね、永井隆さんという方の長崎の鐘というテキストを
読もうと思います。 今年は戦後80年ということで、第二次世界大戦から終結1945年から数えて80年ということで、
ちょっと戦争関連のも読もうかなと思って色々調べてたら、このテキストが出てきた次第です。 8月6日に広島に、そして9日に長崎に原爆が投下されました。
僕自身広島の方のお話としては、子供の頃に図書室にあった裸足の原を漫画で読んで、いかに悲惨かとか、
大変な惨状であったとか、 そして実、なんとか生き残った人たちのその
なんて言うんですかね、たくましい感じとか。 子供の頃受けておりましたが、長崎側はどんと知らないなということで、
今回はこれを読もうと思います。 永井隆さんは、
医学博士でもあり作家でもあった人で、長崎への原爆投下で被爆し、自身も白血病をお患いながら被爆者の救護活動や原子病の研究、
長崎の鐘の朗読
平和活動に尽力された方ということですね。
裏上天守堂というキリスト教の教会になるんですかね、建物が爆心地の
500メートルという非常に近い距離にあったため、建物のほとんどが倒壊、消失。
数字のぶれは結構あるんですけど、 キリスト教徒の人、12,000人から15,000人のうち、
およそ3分の2の8,000人から1万人の方が一瞬で亡くなったということだそうです。
で、ポッドキャスト上でこの長崎の鐘を読んでいる人が一人もいなさそうなので、 オーディブルでもなさそうでしたね。
ということで、この1580年の節目に このテキストを音声化していくことに意義があるのではないかと思い、
今回長いですが、7万字、どれくらいですかね。
2時間40分と見積もりますが、それぐらいになろうかと思いますが、読んでいこうと思います。 どうかお付き合いください。
それでは参ります。 長崎の鐘
その直前。 昭和20年8月9日の太陽が、いつもの通り平凡にコンピュラさんから顔を出し、
美しい裏紙はその最後の朝を迎えたのであった。 川沿いの平地を埋める各種兵器工場の煙突は白煙を吐き、
街道を挟む商店街のイラカは紫の波と連なり、 他の住宅地は家族の惑いを知らす朝露の煙を上げ、
三匹の団団畑はよく茂った芋の上に梅雨を輝かせている。 東洋一の天守堂では白いベールをかむった信者の群れが人の世の罪を懺悔していた。
長崎医科大学は今日も8時からきちんと講義を始めた。 国民義勇軍の命令の「勝戦い、勝学ぶ」という方針のもとに、
どの学級も研究室も病舎もそれぞれ専門の任務を持った医療救護隊に改変され、 防空服に身を固め、救護材料を腰につけた職員、学徒が講義に研究に治療に従事しているのだった。
いざという時にはすぐさま配置について空襲傷者の収容に当たることになっており、 事実これまで何回もそうした経験がある。
ことに、つい一週間前大学が被爆した時など、学生には3名の即死、十数名の負傷者を出したけれども、 学生看護婦の勇敢な活動によって入院外来患者には一人の犠牲者も出さなかったほどである。
この大学はもう戦になれていた。警戒警報が鳴り渡った。 病院の大廊下へ行動から学生の群れが流れ出し、幾組かの塊になってそれぞれの持ち場へ散っていった。
本部伝令がいち早くメガホンで情報を叫びながら廊下を走り去った。 相変わらず今日も南九州に大規模な空襲があるらしい。
引き続いて空襲警報が鳴り出した。 空を仰ぐと澄み切った朝空にチカチカ目を射る高層雲が光り、どうやら敵機の来そうな気配がする。
目に見えぬ音波が薄気味悪く、後から後からあちこちのサイレンが唸り出す。 もうわかっているよ。そんな不吉な音はもうまっぴらだと耳を押さえたくなるまで唸っては休み、唸っては休む。
これは少なくとも勇気を奮い起こす音ではない。 サルスベリの花が真っ赤だ。
キヨチク島の花も真っ赤だ。 カンナはまったく血の色だ。
病院の玄関を待機所に定められている単価隊の一戦一年生たちがこの赤い花の影の防空壕に潜んで、いざという時を待ち構えている。
一体全体、戦況はどうなんだろう。 鹿児島中学から来たのが言う。
オラが同級生もずいぶんたくさんヨーカレンで行っとるばって。 遊軍機はどないしとるんやろう。
大阪弁が豪雨の中から聞こえる。 つまらへんな。こんなこっちゃなんぼ頑張ってもあかんで。
誰も返事をしない。 この大阪の考えていることにうすうす気づいていないでもないのだが、しかし祖国日本は今生死の関東に立っているのではないか。
戦争は勝つために始めたに違いない。 まさか負けるつもりで政府がこんな悲劇の幕を開けたのではなかろう。
しかし裁判疾患以来、大訪営発表の用語に何か臭い陰影を帯びていることが敏感な学生にいつとはなく、ある不安を起こさせていたのは事実である。
戦争の悲劇
おい、級長、どう思う?この戦争はどうなる? 大阪弁の男が豪雨の狭い口から赤い顔を出した。
ロイドメガネをかけている。なるほど、これはタコツボだ。 級長藤本はさっきから聖堂の下に腕組みをしたまま突っ立ってじーっと空を睨み続けていた。
小柄ながら着物そばった男で、鉄かぼとから黒巻き家班のきりりとしまった足の先まで隙もない厳重な身固め。
これまで何回となく血の中から負傷者を担ぎ出した体験は、よく救援の予防を集めてこの子男が銭湯を切って飛び込む煙の中へ、救援は一つの弾になって突っ込んだものだった。
親父の望遠鏡を持ち出して腰につけている。 鉄騎が頭上に来るとそれをおもむろに取り出し、首をぐるぐる回しながら鉄騎の行動を報告するのがこの男の趣味である。
「警長、どうなるんやろ、戦争は。」 大阪がしつこく繰り返した。
「戦争をどうするかだ。」 藤本が押さえつけるように言った。
「戦争によって僕たちの運命が決められるんじゃない。僕たちによって戦争の運命が決められるんだ。僕たち、相戦う若い者。
アメリカの学生と日本の学生との力比べによって勝利がどちらへ転ぶかが決まるんだ。」
「でもなあ、あまりやないか。 近頃のざまは物量の差がひどすぎるさかい。僕らのちっぽけな努力なんざ変にもならん。」
「それはそうかもしれんたい。しかしだ。とにかく今この下の街へ爆弾が落ちたら理屈も議論もなか。すぐ飛び出していって血の目をせにはならん。僕は最後まで僕の本分を尽くすばえ。」
藤本が決然と言い放った。 大阪は納得しなかった。
そこへ大きな角材を担いで副級長がやってきた。 副級長は小倉中学出身で黙々と仕事をする男。
今も監視号の補強工事のため一人で汗を流しているのだった。 「敵がほんまにここへ上陸してきよったらどないするん。おい、副級長。」
「姿勢名あり。」 小倉の男は腰からセンスを取って汗を仰ぐ。
「生きるも死するも人に笑われんごと。」 ひっそりと立った。
猿すべりも教築塔も神馬もよどんだ地のように動かない。 その中を脈打つような蝉の声が向こうの三能神社のオークスから流れてくる。
この日は防空登板教科にあたっていた私が病院の玄関から入って大廊下を裏門まで見回る。 どの病室の入り口もかいがいしく服装を整えた看護婦、学生が身構えしている。
バケツは水でいっぱいだ。水道ホースも伸びている。 ひたたき、飛び口、スコップ、桑。
いざといえば焼夷弾ぐらいはとばかり揃っている。 入院患者は防空壕の中へ静かに運ばれていく。
ラジウム室の前で2003年の上野君に会う。 この男はなかなか勇敢だ。
この間の空襲で不人火から発火した時は隣の皮膚科の屋上に一人いて監視の住人を果たしたのだった。
私らが不人火の炎にバケツを持って駆けつけた時、 まだ敵機は続いて急降下爆撃をしていたが、上野はその弾の落ちてくる中で
「おい、敵機頭上通過。大丈夫出てこい。燃えよっぞ。」とか、
「また来たぞ。落としたぞ。退避。危ないぞ。」 とかいちいち叫んで指導した。
頑張れよと私は礼を返しながら言った。 上野ははにかんで頭をかいた。
この間はおふくろから叱られましたたい。 人様の目につくことをしてよか気になるもんじゃなか。もう子供じゃなかけん。と。
裏門には手押しポンプ隊がたむろしていた。 すべては焼夷弾と爆弾とに対してはまずまず大丈夫であった。
私は満足して今度は病棟の東側を通ってみた。 この間の爆弾にやられた下火、不人火、地火の後は人の体のけがよりも無駄らしかった。
その片側にはここにもまた教築塔が血の色に咲いていて、 ひっそりと石炭酸が匂っている。
私はふっと不吉な予感を覚えた。 警報解除のサイレンが体中の疑いを解いてくれるためのようになり渡った。
教室へ帰ってくるとみんなガヤガヤ言いながら鉄かぶとの紐をほどくところであった。 情報係の井上看護婦がくりっとした目をなおさらくるくるさせてちょっと骨髀をかしげながら
九州管内鉄器なしとラジオの言った通りの報告した。 赤らんだ頬に軽く汗が浮いて髪の毛がみすじくっついている。
直ちに授業を始め。 本部伝令がまた叫んで通った。
学生はそれぞれ教室に入り、大学が再びひっそりした心理研究の造下の塔となった。 病院の臨床学科の方は患者が受付に押し寄せて余診をとる学生の箱衣がその間を縫うて動いている。
私の教室と廊下を隔てた向かい側の内科では、 学長、門王教授の臨床講義の心よいく口調が扉から漏れてきている。
原子爆弾。 千本さんは川平岳で草を刈っていた。
ここからは裏上が西南三キロのやや斜め下に見下ろされる。 裏上の美しい町と丘の上に真夏の太陽はこともなげに輝いている。
千本さんは突然妙なかすかな爆音を耳に聞き止めた。 窯を持ったまま腰を伸ばして上を仰いだ。
空はだいたい晴れていたが、 ちょうど頭の上には手のひら型をした大きい雲が一つ浮いている。
爆音はその雲の上だ。 しばらく見ていると出た。B29だ。
手のひら雲の中指に当たるそのとったんからぽつり銀色に光る小さな木へ。 高度8000メートルくらいかなと思って見ていたら、
あ、落とした。 黒い一つの細長いもの。爆弾、爆弾。
千本さんはそのままそこへひれ伏した。 5秒、10秒、20秒、1分。
時間は息をつめているうちにだいぶん経過した。 ピカリ、いきなり光った。
たいした明るさだった。 音は何もしない。
千本さんはこわこわ首を持たげた。 やった、裏紙だ。裏紙の天守堂の上あたりに、つい今までなかった大きな白円の塊が浮かんでいて、それがぐんぐん膨張する。
それにもまして千本さんが肝をつぶしたことには、その白円の下の裏紙の丘を、山原をこちらを向けて猛烈な勢いで寄せてくる一つの波があるのだ。
丘の上の家といわず、ありとあらゆるものを将棋倒しに押し倒し粉砕し、吹き飛ばしつつ、あ、あ、
あっという間に、はや目の前の小山の上の林をなり倒し、この川平岳の山腹を駆け上がってくる。 これは何だ。まるで目に見えぬ大きなローラーが地ならしをして転がってくるとしか思われない。
今度こそは潰されると、千本さんは両手を合わせ、神様神様と祈りながら、またも地面に顔を押し付けた。
ガガガッと凄まじい響きに耳が鳴ったのと、ひれ伏したままの格好でふわりと吹き飛ばされたのとが同時だった。
5メートルばかり離れた畑の石垣に、いやというほど叩きつけられ、千本さんは目を開けて見回した。
辺りの立木がみんな目通りの高さからポキポキ降り倒され、木といわず草といわず、葉はみんなどこへ消えたのやら、
さむざむと松柳が匂うばかり。ふるえさんは道の尾から浦上へ帰ると出会った。
ちょうど兵器工場の前を自転車で走っているとき、妙な爆音を聞いたような気がした。
ひょいと頭をあげたら松山町の上あたり、だいたい稲瀬山の高さぐらいの青空に一点の赤い火の玉を見た。
目を射るほどの高気はなく、ストロンチウムを大きな鎮の中で燃やしているような真っ赤な火の玉だった。
それがスーッと地面に近づく。
何だろうと眼鏡に片手をかけて見直す瞬間、すぐ目の前にマグネシウムを爆発させたと思われるばかりの閃光が起こり、体が宙に浮いた。
水田の中に、これもまた吹き飛ばされた自転車の下敷きとなっている自分にふるえさんが気づいたのは何時間か後であり、一方の目はすっかり盲目になっているのを知った。
浦上から7キロ離れた五角羅国民学校の職員室で、田川先生は暴空日誌に今朝の警報記事を書き込んでいたが、ちょっと顔を上げて窓の外へ目を休めた。
目の前に小さな山裾があって、その上に長崎港の空が青かった。
爆撃の始まり
その青空が瞬間サッと輝いたのである。その光は鋭く目を射た。
真夏の真昼間の太陽の明るさがその次の瞬間にひどく暗いものに感じられたのだったから、その光度は太陽の何倍かであったに違いない。
昼間に照明弾とはこれいかに、と呟いて田川先生は腰を浮かしたが、突然異様なものを見止めた。
「あれ、あれ、あれ、何だろう。」
田川先生の叫びに職員室中の先生方は窓へ走り寄った。
長崎の裏上辺りの上空に一点の白雲が現れ、それが横の方へも上の方へも、ものすごい勢いでムクムクムクと膨張していくではないか。
「あんだ、あんだ。」と騒いでいるうちに直径1キロ以上の膨れた満塁ができた。
その時、ダーンと爆風が到達し、職員室は侵害し、皆はバラバラとガラス片を引きかむった。
爆弾投下。校舎に命中。退避。
田川先生はこう叫んで、そのまま裏山の防空壕へ飛び込んでしまった。
そしてちょうどこの時刻に裏上の自宅では、妻と子供たちが自分の名を呼びながら息絶えつつ歩くことを神ならぬ身の知る余地もなく、田川先生はぽつねんと冷たい土の中に座っていた。
大山という地区は長崎港の南八郎岳の山腹にあって裏上から8キロ離れている。
ここから望むと裏上の盆地は長崎港のさらに向こうにうっすら霞んで見える。
加藤君は牛を連れて草原に出ていた。光を見たのは、緑の中に草いちごの光るのを見つけて一つ二つ頬張ったところだった。
びっくりして牛も首をあげた。
裏上の空に白い濃い濃い綿のような雲が生まれ、ぐいぐいと大きくなる。
その色はちょうど長鎮を綿に包んだようで、外の方は白かったが、中には燃える赤い火を含んでいた。
その白い雲の中にはその他にチカチカチカチカと美しい放電がひっきりなしに起こっていた。
その小さな稲妻の色は赤や黄や紫や様々な美しさだった。
この新しい雲はまんじゅう形になり、やがてそのまま上へ上へと登って松竹みたいな形になった。
その頃今度はその白雲の真下の裏上の谷一面から黒い土煙がむくむくと吸い上げられて登った。
上の松竹雲は高く高く青空高く登り、その上で崩れて東に向かって流れ始めた。
下の土煙も山より高く登って、その一部は下へまた散り落ち始め、一部は東の方へ流れた。
どこもよく晴れて太陽の光は山と海と照らしていたが、この雲の真下の裏上だけは大きな雲の影となり、真っ黒に見えた。
やがてドンッと轟いて着物が煽られ、この葉が吹き飛ばされたが、爆風もここまで来るとよほど弱くなっていて、牛が暴れ出すほどではなかった。
しかし加藤くんもまたもう一発の爆弾がすぐ近くに落ちたに違いないと思った。
高見さんは牛を引いて牙へ帰ろうと裏上から2キロの踊り勢の道を歩いていて、ピカにやられたのであった。
ピカと光ったときに火鉢に当たるほどの暑さを感じたのだったが、牛も自分も熱心を受けた。
その後へシューと唸って火の玉の雨が降ってきた。その一つは足に当たった。そこで白煙を上げて消えたが、
パラフィンロウソクを吹き消した後のような匂いがした。この火の玉であちらこちらに火事が起こった。
爆撃直後の情景 大学は爆弾破裂戦から300メートル内し700メートルの範囲に建物を並べていた。
まず爆心圏内にあるとみてよい。 基礎医学教室は爆弾にも近かったし木沢だったから瞬間に押しつぶされ吹き飛ばされ燃やされて教授も学生も皆死んだ。
臨床医学教室の方は少し遠かったのとコンクリート建てだったために運良く生き残った者もいくらかはいた。
時計は11時を少し過ぎていた。 病院本館外来診察室の2階の自分の部屋で、私は学生の外来患者診察の指導をすべくレントゲンフィルムをより分けていた。
目の前がピカッと閃いた。 全く晴天の霹靂であった。
爆弾が玄関に落ちた。 私はすぐ防ごうとした。その時すでに窓はスポンと破られ猛烈な爆風が私の体をふわり途中に吹き飛ばした。
私は大きく目を見開いたまま飛ばされていった。 窓ガラスの破片が嵐に巻かれた木の葉みたいに襲いかかる。
切られるわいと見ているうちにチャリチャリと右半身が切られてしまった。 右の目の上と耳あたりが特別大きずらしく、生温かい血が吹いては首へ流れ伝わる。
痛くはない。目に見えぬ大きな原骨が空中を暴れまわる。 寝台も椅子も土棚も鉄かぶとも靴も服も何もかも叩き壊され投げ飛ばされ
生存者の奮闘
かき回されガラガラと音を立てて床に転がされている私の体の上に積み重なってくる。
ほこりっぽい風がいきなり鼻の奥へ突っ込んできて息が詰まる。 私は目をかっと見開いてやはり窓を見ていた。
外はみるみる薄暗くなっていく。 ゾウゾウと潮鳴りのごとく、ゴウゴウと嵐のごとく、空は一面に騒ぎ回り
板切れ、着物、土壇屋根、いろんなものが灰色の空中をぐるぐる舞っている。 辺りはやがてひんやりと野脇吹く秋の末のように
不思議な作爆さに閉ざされてきた。これはただ事ではないらしい。 私は爆弾
少なくとも1トンぐらいの大型が病院の玄関付近に落ちたとさらに判断を新たにした。 怪我人は約100名だ。これをどこへ送ってどう処置するか。
とにかく教室員を集めなければならぬ。 その教室員もおそらく半数はやられているだろう。
とにかくこの埋没から抜け出せばならぬと、膝を動かし腰を突っ張って屈伸しているうち、スーッと暗くなって両目ともすっかり見えなくなってしまったのである。
これには弱った。 初めは目のあたりに怪我しているのだから眼底付近に出血でもしたのかなと思ったが、目玉を動かしてみると動く。
目が見えなくなったのではないと決まったら初めて立然とした。 すっかりこの建物が倒壊して生き埋めになったのに違いない。
生き埋めとはまた張り合いのないだらしない死に方を与えられたものだ。 とにかくできるだけやってみようと、物の破片の底でごそりもそりと命懸けのもがきを続ける。
しかしせんべい焼きに挟まれたせんべいのように角もびっしり押し引き剥がれていると、 体のどこを支点にどう動こうかと考えることもできない。
顔もうっかり動かされない。 そこら一面ガラス破片のペーパーだ。
その上、真っ暗闇で自分の上にどんなものがどんな風に平行を保って乗っているのやらわからない。 ちょっと右肩を動かしたらなんだか知らんがガラガラと崩れ落ちた。
私は、「おい、おい!」と呼んでみた。 その声は全くわれながら情けない響きを闇の中へ伝えていった。
都内のレントゲン撮影室には橋本看護婦がいた。 運良く図書棚の間にいたので、かすり傷ひとつ負わなかった。
万物が魔法によって生物となったかのようにガラガラとものすごく跳ね回る恐ろしい時間は、 壁に寄り添ってじっと隠れているうちに10秒20秒と経過して、
あたり一面埃と土煙とが陰光を塞ぐほどに立ち込めてはいたが、 大きな品物は大体また床の上か地の上へ落ち着いたらしかった。
橋本くんは、さて救護だと崩れた図書棚の裏から這い出してあっとたまげてしまった。 何もかもめちゃくちゃだ。
ガラクタを踏み越え窓から顔を出してみてさらにドキッと胸を疲れた。 これは一体どうしたというのだ。
つい今の今、先までこの窓の下に紫の波と連なっていた坂本町、岩川町、浜口町はどこへ消えたのか。
白く輝く煙を上げていた工場はないではないか。 あの湧き上がる青葉に埋まっていた稲妻山は赤ちゃげた岩山と変わっているではないか。
夏の緑という緑は木の葉、草の葉一枚残らず姿を消しているではないか。 ああ地球は裸になってしまった。
玄関車寄せに群がっていた人々は、と見下ろす広場は所狭いまでに大小の植木が投げ倒され、それに混ざって幾人とも数え切れぬ裸型の死人。
橋本君は思わず両手で目を覆った。 地獄だ、地獄だ。
植木越え一つ立てるものもなく全く死後の世界である。 目を押さえているうちにすっかり暗くなってしまった。
目を開けて首を回してみるけれども物音一つせず、糸一筋も見えぬ真の闇。
この世の中にただ一人生き残ったと思った途端、背筋がズーンとして足がすくんでしまった。 死神の爪はやがて私の経験を捕まえるだろう。
ふるさとの家がぼうと見えた。母の顔が見えた。 橋本君はわっと声を上げて泣き出そうとした。
まだ十七歳の女の子だった。 と、その時、
おーい、おーいと呼ぶ声が聞こえてきた。 すぐ近くの足元らしくもあり、何枚か壁を隔てた向こうらしくもある。
おーい、おーい、また叫んだ。 部長先生の声だ。 部長先生が生きている。
先生と二人生き残っているのなら、あれだけの玄関の死人の処置もやれるに違いない。
橋本君はたちまちベスをかく小娘から勇敢な看護婦に立ち帰った。 そして声を頼りに隣の部屋へ行こうとすると、レントゲン撮影台らしいものやら電流工でやら、
闇の中の行く手を阻んで足をはかぶことができない。 スコップを置いてあった隅へ手探りで行ってみると、どこへ飛ばされたのかなくなっていて、
その代わりにメガホンが手に触れた。 階下の透視室にはクワもあり、
部長さんたちもいるのを思い出し、これはみんなの加勢を受ける方が良いと判断して、 撮影室を出て行った。
毎晩10日間制で歩き慣れた廊下ではあったが、2、3歩歩くとグニャリとしたものにつまずいた。 しゃがんで撫でてみると人間。
べっとりと血らしいものが手のひらについた。 腕を伝わって手首を握ってみると脈はない。
かわいそうに。 橋本君は合掌をして、そこからまた2、3歩行くと、またも倒れている人につまずいた。
髪がぬらりと手首にねばりつく。 まだ辺りは真っ暗だ。この闇の私の周りに一体何人死んでいるのだろう。
橋本君は脈を探りながら見えぬ目を開いて辺りを見回した。 突然ぽーっと赤くなった。
窓の外で火が燃え出したのだった。 チロチロと炎は次第に大きくなる。
その薄赤い火に照らし出された目の前の光景は、 橋本君は思わず死人の脈を手放して突っ立った。
広い病院の廊下に赤い逆光線を受けて転がっている人の肉体。 鬱物、横ざま、仰向け、膝を曲げているのもあり、
呼吸をつかんでいるのもあり、立とうともがいているのもある。 橋本君はこれは独力では手がつかぬ。
まず救護隊が集まり組織的な団体活動でなければダメだと悟った。 それではとにかく皆を部長先生の埋まっているところへ集めよう。
ごめんねごめんねと断りを言いながら死人を飛び越えて階段を投資室へと下って行った。 投資室の連中はレントゲン投資台を組み立てている最中だった。
ビューンと奇妙に感高い爆音を聞いた。 看護婦生徒の椿山が、「あれ何でしょう?」と言う。
「あれはB-29の爆音だい。」 せっせとペンチを動かしながら義手の志郎が言う。
「爆弾落としたぜ。」 この間の爆撃で桃をやられた経験のある長老義手が言う。
「隠れようか?」 「うん。」
「部長さん退避退避。」 三人は大きなテーブルの下へ潜り込んだ。
ピカッ、ドンッと来た。
また落ちたばい。 志郎の声もガチャガチャ部屋中を暴れ回る爆風に揉み消されてしまう。
みんなじっと静まるのを待った。椿山が呼吸をしない。
「おい、言われたかい?」 「いや、あなたは?」
どこも言いたくねえ。 「おい、部長さん。」
大声で呼んでみる。 「はーい。」とすぐ隣の部屋からいつもの通りの愛嬌のいい返事が返ってきた。
「ちょっと待ってくださいよ。なんやかんや私の上にのかってるんですもの。」 そのうちに汽車がトンネルに入る時のように辺りはゴーゴー唸っていながら真っ暗になってしまった。
向かい合っている椿山の白い顔がだちまちいなくなった。 「これは一体なんだい?」
長老の声。 「新型爆弾だぞ。れいの広島の。」
四郎の声。 「いや、太陽が爆発したんじゃないかな?」
長老。 「うーん、そうかもしれん。急に気温が下がったことある。」
四郎が感慨感慨言う。 「太陽が爆発したら世界はどうなります?」
椿山看護婦がオロオロ声で尋ねた。 「地球も終わりさ。」
長老がぼっさり答えた。 みんな黙って待っているがやっぱり明るくならない。
一分経った。 闇の中で時計の秒を刻む音が印象深い。
「それで昼飯はどうする?」 四郎。
「さっき食っちまったさ。お前持っとるか?」 長老がこの世の名残に一口食いたそうに言う。
「うん。死なぬうちに分けてこうや。」 すると汽車がトンネルを出る時のように辺りが静かになりながら、すると明るくなって長老の白い歯が見え、
四郎の長い鼻が見え椿山のちっちゃいエクボも見えてきて。 「ああ、太陽は大丈夫だったんだな。」
と四郎が言い、「しかし昼飯は分けておくれよ。」と長老が言って、三人は窮屈なテーブルの下からガラスの粉、機械の断片、椅子の残骸、電線の網の中へ這い出してきた。
一体どこへ落ちたんだろう。これだけ壊すにはこの部屋に命中しなきゃならんはずだが、天井に穴も開いとらん。
混乱と戦火の中で
「爆弾の落下音を聞いたかい?」 「いや、聞かなかった。」
「それじゃあ空中爆雷かしら。」 とにかくすごい奴だぜこいつは。
そこへ隣の部屋から久松府長さんが手回りみたいな姿を表した。 乱れた髪の毛を両手で撫でつけながら、「みんな大丈夫?」と聞いた。
その後から看護婦生徒の一年生が飛び出して、府長の腰にしがみついて泣き始めた。
「おばかさんだね、あんた。生きてるじゃないの。」 一年生がしゃくり上げた。友達がすぐそばで死んだらしい。
「さあさあ、僕頭巾をかむって包帯袋を探してらっしゃい。」 久松府長さんはシューシューと水を吹いている水道管のところへ行って、両手を丁寧に洗い、顔を洗い、うがいをした。
「なんだかガスを吸ったような気がする。」 と言い、肺の奥まで洗いたいような勢いで四回も五回もうがいをした。
「椿山さんも来て手を洗いなさいよ。そんな土だらけの汚い手でガーゼを扱ったら、傷がすぐ可能します。」
「智雄さん、あんたも顔と手を洗いなさい。」 「布施さん、さっさと用意してくださいね。負傷者はだいぶ多いようです。」
府長さんが手を拭き拭き言った。 智雄氏郎君は、「はあ。」と答え、布施長郎は、「多い。」と答えてすぐ準備に取り掛かった。
パチパチ音が聞こえる。 窓際へ飛んで行った椿山君が、「火事です火事です。」と叫んだ。
五人はそこに転がっていたバケツを拾うなり、水槽へ、「我を送るじゅ。」と駆け出した。
旧蓮都元教室の疎開跡の、まだ財務庫の片付いていない広場は、まだ炎の丈は低いけれども、一面火の海である。
五人はかねて防空演習でやりつけたとおり、一方の隅からバケツの水をぶっかけ始めた。しかし火の手はここばかりではなかった。
病院の廊下はすっかり吹き飛んで跡形もなく、食堂もつぶれて一面に火を吹いている。
残っているのはポツンポツンとコンクリートの病棟ばかり。 木造の建物はすべてなくなって、その代わりに炎が立っている。
しばらく水をかけていたが、消える面積より燃え広がる方が早い。 とてもバケツ注水では間に合わぬという見通しがついた。
機械を取り出そう、シローが言った。 視聴者の手当をしよう、ドチョウローが言う。
入院患者を避難させましょう、とツバキヤマが言う。 炎はみるみる黒煙をあげて大火になる勢いを見せる。
部長先生の指揮を受けましょう、と久松部長が言った。 そこへ橋本君が現れた。
生存のための奮闘
部長先生が意気揚々。 みんな顔を見合わせる。
まあ、あんげんふとかとば、どんげんずるえ、 と小さいツバキヤマが漏らした。
大丈夫、よかよか、 長老がそう言いざま走り出した。
橋本の後から五人は木を越え机を越え、手を引き、 轢かれつつ撮影室へと駆け上がる。
正常の通路はつぶれ、ふさがれ、通れないので窓を乗り越えパイプにつかまり、 回り回って親父救出に走っていく。
薬局の高窓を乗り越えるには一バシゴをつくなればならなかった。 長老がガスメーターをつかんで台になり、その上に四郎君が重なり、その膝、背、肩と伝って、
部長さんも橋本君もツバキヤマ君もよじ登って高窓を越えた。 それから四郎が飛び上がり、最後にみんなで長老の長い手長指みたいな両手を引っ張ったら、
おっこらしょといつもの苦戦の掛け声を出して飛び上がってきた。 現像室では伏瀬先生が灰のレントゲン写真をちょうど現像タンクから引き出すところだった。
羨まいたっている対空艦種の学生が、 怪しい飛行機が頭上に侵入します。退避退避と突然となるのを聞いた。
妙に甲高い爆音をその次に聞いた。 急降下爆撃だと考えてその場に伏せたが、写真がダメになってはならんと水洗いして定着タンクに静かに入れた。
それから伏せようとするのとドカンと潰されたのとが同時だった。 気がついた時にはピッシャリ胸を何か材木で挟まれて床に伸びていた。
どうにかこうにか動いてみると腰が自由になり、両腕が我が物となり、それを使って順々に自分の上に積み重なった木材を取り除けて抜け出すことができた。
定着タンクの中の写真はどうなったろうと見回すが、眼鏡が飛んでしまってあたり一切はピントがぼけている。
そばで一緒に仕事をしていた森内君はどうしたろう。 何遍も呼んでみるが返事がない。
そこらの木材の下を探しても手もなく足も見えない。 うまく這い出したものらしい。
からくたの山を越え廊下に出てみてびっくりした。 まるで知らぬ家へ初めて来たようだ。何もかも様子が変わっている。
眼鏡がなくなったせいかしらと二度も三度も目をこすって見回した。 これまでの話はコンクリート建築物の中にいて放射線の直射を受けなかった
幸運の仲間についてである。 屋外にいたものはどうであったろうか。
清木先生は薬学専門部の裏の防空壕を学生と一緒にせっせと掘っていた。 先生が掘り薬で学生はその土を外に運び出していた。
ちょうどその瞬間、壕の外へ出ていたものは死のくじを引き、中へ入っていたものが生のくじに当たろうとは誰が予知していたであろう。
みんなパンズ一枚の姿でせっせと土に挑んでいた。 ここは爆心点から400メートル。
ピカッと壕の奥の土が輝いた。 どうとなった。
壕の入り口にざるを持っていた富田君がプーッと壕の奥へ吹き込まれ、 そこにしゃがんでクワを振っている清木先生の背にドシンとぶつかった。
「何だ、何事だ。」 清木先生は怒ったように叫んで振り向いた。
富田君の後ろから木片や布や瓦がガチャガチャと飛び込んでくる。 大きな角材が先生の背中にドシンと当たり、先生はそのままぱったり泥の上に倒れた。
幾分か経過したらしい。 炎と煙とか渦巻いている壕の中に倒れている自分を清木先生ははっと意識した。
熱い空気がごうごうと壕の中へ吹き込む。 先生はよろめく足を踏みしめ、死に物狂いでその炎を突破した。
一気に壕口に届いて、「やれやれ、助かった。」と目を見張って口をあんぐり開けたまま、 さっきから握りしめていたクワが手から落ちるのも知らず、その場に呆然と立ちつくんでしまった。
薬学専門部の大きな幾十かの校舎がない。 生化学の教室がない。薬理教室もない。
柵もない。 柵の外の民家はこれもない。
何もかもなくなってしまって一面の火の林。 原子を専攻していた理学博士の清木先生もこの瞬間にこれは原子爆弾だとは気がつかなかった。
まさか米国の化学人が今日ここまで成功していようとは想像していなかったのである。 学生は?
清木先生は足元へ目を転じ、いきなり氷水をぶっかけられたかのように全身が凍るのを感じた。 この物体のように転がされているのが私の学生なのか?
いや私はさっき豪雨の中で背中をやられたっきりまだ意識を回復していないのだ。 悪夢だ。悪夢だ。
こんな悲惨な事実が、たとえ戦争とはいえあり得るはずがない。 先生は桃をつねってみた。自分の脈を握ってみた。
どうしても自分の肉体は目覚めているらしかった。これが悪夢でないとしたら一体何だろう。 悪夢以上に悪い夢に違いない。
先生はまず足元の黒変した肉体に飛びついた。 「おい、おい。」
返事がない。 両肩に両手をかけて引き起こそうとしたら皮がペロリと精密そうのように剥げた。
岡本くんは死んでいた。 その隣のがうーんとうめいて反転した。
最後の決意と別れ
「村山くん、村山くん、しっかりしろ。」 先生はベロベロに皮の剥げた学生を膝に抱いた。
「先生、ああ先生。」 そう言ったきり村山くんがガクッとなった。
先生は深いため息をつき、村山くんの冷えゆく裸身を土の上に横たえ合掌して次の荒木くんの上にしゃがんだ。
荒木くんはカボチャのようにブクブク膨れ上がり、 ところどころ皮の剥げた顔の中に細い白い目を見開いて、
先生、やられました。」 と静かに言った。
もうダメらしいです。 お世話になりました。
耳と鼻から血の流れ出ているのがある。 当該亭をやられて即死だし、よほど強く地面に叩きつけられたのだろう。
口から血泡を吹いているのもある。 留田くんがその間を水を飲ませ言葉をかけつつ臨床に立ち回っている。
自分の力で動ける者は一人もいない。 まだ埋めいているからこの学生の次に行ってみてやろうと思っているうち、急に黙ったと思って
きょいと見ると、もう目玉を白くひっくり返してしまう。 こうして二十人ばかり次々と行き絶えていった。
二人ではとても救護はできん。 誰か加勢をしてくれないだろうかと清木先生は、
「おい、誰か来てくれ!」と、北を向いて叫び、東を向いて叫び、 西に向かって呼んでみた。
じっと耳を澄ましていると、大気は未だ安定を回復していないものと見えて、 方向の定まらぬ突風が時の間を置いてゴーッと吹き回り、
その風の音にまじってそこらの押しつぶされた屋根の下から、 声を限りに助けを求めているのが聞こえる。
「助けてください!」
「うるしいよ。」
「誰か来て!」
「暑いよ。ああ、焼けるよ。水かけて。」
「お母さん!お母さん!」 先生は目眩を感じてまた倒れた。
しばらくして目を開けてみると、空一面、個体のように濃厚な真雲に埋められ、 太陽は光を失い、赤じゃけた円盤に見える。
辺りは日暮れのように薄暗く、ひやりと寒かった。
耳を澄まして聞くと、助けを求める声はいくつか減って、 お母さんを呼ぶ幼児はもうやけ死んだらしかった。
一年の学生は静かにノートを取っていた。 まだ耳慣れぬ、ラテン語の解剖学の講義を受けている自分が、
なんだかもう一年前の医者になったような気がして、 自分の書いた横文字を自ら誇りたげに見送りながら、 教授の言葉を追って電話を走らせていた。
カッと光り、ドッと潰れた。
教授の声がまだ途切れていなかった。 頭を上げて辺りを見る暇もなかった。
教室にきちんと並んで座ったまま、その位置で、思いやれの下に埋められてしまったのである。
級長藤本くんは、腰を針か何かで軽く挟まれている自分を見出した。 しかし、真っ暗だ。
塵と土煙等を吸い込んではむせて、咳をした。 机と机との底の狭い空間で、ようやく我が身の自由を取り戻した。
すぐ横で、うんうんうめいている。 「おいおい!」と呼ぶのもいる。
しかし、八十名の旧友のうち、声をかざえるといくらも生き残っていないらしい。 そのうちに、狭い木材の隙間から吸うと、ものの焼ける匂いが流れ込んできた。
やがて根津っぽい、いがらっぽい煙が流れ込んできた。 火が燃え始めたらしい。
まごまごできぬと焦り始めた。 上へ抜け出そうと押してはみるが、針やら桁やら樽木やら、瓦やら土やら積み重なっていることとて一家の動きそうにもない。
パチパチ近くで火の燃え上がる音がする。 正尾の急途はまさにこの状態であったのか。押してみる、ついてみる。
頭と肩と背等を当てて、半身の力で伸びようとするがビクとも動かない。 力学を考えてやってみる。重力の大きさを虚しく計算してみる。
ガラクタの隙間から吸い取る空気は次第に熱くなって、チロリチロリ赤い炎の反射が漏れる。
突然、海床場を歌い出したものがある。 精一杯大声でゆっくり歌い続けていく。
藤本くんは全身の力を失い、そのままころりと転がって友の最後の歌に耳を澄ましていた。
帰り身はせじ。 歌は終わった。
諸君、さよなら。 僕は足から燃え出した。
あと2分したら僕も燃え出す。 藤本くんは運命を知った。
合唱してじっとしていると父の顔が見えた。 ジタバタするなと言った。
母の笑顔が見えた。 弟のマサオが浮かんだ。
マサオが僕の代わりに医者になってくれるだろう。 レントゲン室の仲間が一人一人思い出された。
覚悟をかむる日までレントゲン技術員として勉強していた教室。 ああ、一緒に入学試験を受け、同じく覚悟の栄冠を得た親友タコちゃんはどうなったろう。
レントゲン仲間で朝夕投げ合っていた短い言葉が次々頭に浮かんだ。 慌てるな。
この狭いガラクタの空間に一切の自由を奪われ、 無抵抗力に燃やされ、淡化され、灰になろうとして何を慌てる必要があろう。
ひょうびょう。 ここにおいて肉体は寸尺の活動の余地を許しないが、精神は天地宇宙の間にひょうびょうと流れていくのだ。
あと一分の不自由だ。 肉の焼ける匂いがする。
若い肉体の燃焼する心よい匂いだ。 僕の匂いもよいだろう。
一大事とはただいまのことなり。 まさに叱り。
これまた、ほうにょうきっぱん、だっぷん、これ、耳のいたずら。
藤本くんは思わずくそりと笑った。 どうしても問題が解けぬときはまるで反対を考えてみるんだ。
試験勉強の最終日に瀬先生がよく教えた言葉。まるで反対のことを。 あとそうだ、藤本くんはもしやと思い床を撫でてみた。
床枝の継ぎ目に指先がかかった。 力を入れて引いてみた。
長崎の戦争前夜
果たせるかな。がたりとはげた。 爆風が地面に当たり反射して下から床をあおったので、釘がゆるんでいたのである。
うんと引き上げ指を下にかけた。 バリバリ心よい音を立てて床板が離れ、すくいの空気がひやりと飛び込んできた。
二枚、三枚、わけなく離れ、どすんと体は床下の土に転がり落ちた。
最近学教室の裏の窓を開けて、今停車場から切符を買って帰った山田先生と辻田くんとが風邪を入れて休んでいた。
二人はこれから東京の伝染病研究所へ血清製造法を習いに出張するところだった。 いよいよ長崎老生の日が近まり、こんな方面にも急いで準備をすねばならぬ仕事があった。
男子がほとんど戦場に出ているので、この二人の若い女性科学者はこれから大きな責任を負わされることになっているのだ。
テニスコートも夏草に荒れて、スポーツを楽しむなどというのどかさは何年か前に忘れられ、すべては戦争一本であった。
コートの向こうにすくすくと伸びたクスとマツの木立ちがあり、それを透かして今はゾウさんの芋畑に変わった運動場があり、その上に赤い大きな天守堂がそびえている。
テニスコートを横切りながらこちらへ手を振る二人のモンペ姿がある。 レントゲン科の半オフの浜さんと大柳さんらしかった。
以前にレントゲン科で義手をしていた辻田くんの顔を窓に見出して合図したものだった。
辻田くんはつと立ってハンカチを振った。運動場の芋畑にはレントゲン科の山下さんや吉田さんや井上さんがしゃがんで草を取っている。
裏髪の丘の段々畑には空襲の切れ間のしばしを利用して草取りをしている農民の姿があちこちにてんてんと見える。
天守堂へは信者が引き続き参景している。 道にもちらちら日傘が光る。
長崎はいつ見てもきれいですね。 2ヶ月後で私たちが東京から帰ってきたときやっぱりこのままでしょうか。
私はなんだか長崎がなくなりそうな気がする。 私はなんだか長崎だけは残りそうな気がする。
そこへピカドンが来た。 山田先生はやっとのことで床下へ出て助かった。
隣に埋まった辻田君の苦しい苦しいとただ二言いったきりで生き絶えたのが夢のようである。
最近教室はたちまち一塊の火となった。 脱出したのは山田先生一人だった。
原爆の威力
内藤教授以下全員即死したものと思われ。 外に這い出してみると薄暗く風がそうそうと空になっていた。
見晴らしがきくと思っていたら松と楠の子たちは根こそぎ払われ、 辺りの校舎、校道はみな潰れていた。
向こうの天守堂は高さ50メートルもあった小塔をはじめとして全体が3分の1の高さぐらいに吹き払われ、
ローマの廃墟さながらである。 石垣に逆さの台の字に引っかかっている人。道路にてんてん倒れている人。
畑にも見渡す限り幾人と数え切れぬ死人である。
運動場にいた看護婦さんたちは、と見れば離れ離れに吹き倒されびくとも動かない。 郊外にいた人は即死だった。
山名先生はあまり大きな傷を受けてはいなかったにもかかわらず、 不思議に体中が変調をきたし、四五歩を行ったらクタクタと膝をついた。
そしてもうどうにでもなれと諦めてそこの途端の上にゴロリと寝転んだ。 側に古いドイツ語の最近学教科書が落ちていた。
もうこんな学問もダメだ、とそう思ってその本を枕に敷いた。 そこにそのまま不安な夢と苦悶のうつつとの境をさまよいつつ、救いの現れるのを虚しく待つことにした。
9号 8月9日午前11時2分
浦上の中心松山町の上空550メートルの一点に一発のプルトニウム原子爆弾が爆裂し、 秒速2000メートルの風圧にひすべき巨大なエネルギーは
瞬時にして地上一切の物体を押しつぶし、粉砕し、吹き飛ばし、 ついで爆心に発生した真空はこの一切を再び空中高く吸い上げ投げ落としたのであり、
9000度という高熱が一切を焼き焦がし、 さらに灼熱の弾帯破片は火の玉の雨と降ってたちまち一面の猛火を起こしたのである。
推定3万の人が命を失い、14万人が重軽の損傷を負い、 さらに放射線による原子病患者は数限りなく発生せんとするのである。
空中に生じた爆炎と土煙とは一時全く太陽光線を遮ったため、 下界は日食のように暗闇となったが、3分も経つと煙の膨張を拡散するに伴い、
その密度が小さくなって再び太陽の光と熱とをわずかに通過せしめるようになった。 独力で私が脱出して撮影室に現れたところへ伏瀬先生が顔を見せ、
橋本君、府長さんの一団が駆けつけた。
「よかったわ、よかったわ。」口々に叫んで私に抱きついた。 私は一人一人の顔を見た。尊い生命だ。よく生きていてくれた。
けれどまだ足らん。山下君は?井上君は?梅津君は?
他の者を探して救い出せ。5分間後、ここに集まれ。 一団はさっと各部屋へ散らばって行った。
生き残りとその苦悶
伏瀬先生と志郎君が現蔵室でガラクタを引き上げ引き上げ、下を覗いて、「おーいおーい。」と呼んでは耳を傾けている。反応はない。
志郎が、「森内県、死んどるのか?」と怒鳴った。
レントゲン治療室の機器の間から長老が重傷の梅津君を救い出してきた。 ぐったりとなって鮮血にまみれた梅津君は廊下へべたりと座って、「目の中ばえ。」と言った。
長老が、「何言うか、目はあるばい。」と言いながら傷を改めている。 目の上がざくりと割られ、その他大小一面の傷だ。
府長さんが、「大丈夫よ、大丈夫よ。」と励ましながら手際よく用鎮を塗り、ガーゼを当て三角巾を巻いて行く。
私は梅津君の脈を調べ、次々と手当てを指すぞする。 「先生、助けてください。
薬をつけてください。傷を見てください。 先生、寒いです。着物をください。」
口々に言いながら、私らの周囲に異様な羅刑が群がってきた。 そこら一面投げ飛ばされた患者のうち、息の根の未だ止まらぬ人たちである。
ちょうど外来患者の診療最中だったから、この辺りの廊下や室内に倒れている数はおびただしく、それが一応に着物を剥ぎ取られ、皮をむしられ、切られ、
すし煙をかむって灰色になっているのだから、まるでこの世のものとは思われん。 死んで、動かぬ人の間をじりり、じりりとにじり寄り、私の足首にしがみついて、
「先生、助けてください。」と泣く。 血を拭く手首を差し出す。
「お母さん、お母さん。」と泣きまわる女の子。 子供の名を呼び続けて、のた打ちまわる母親。
「出口はどこだ。」とどなって走る大男。
「タンカ、タンカ。」と呼んでうろうろする学生。 辺りはようやく壮然となってきた。
私たちはそこで直ちに応急手当を始めた。 三角巾も包帯もまもなく使い果たし、今度はシャツを切り裂いては傷に湧いていった。
十人、二十人。 処置を終われば後から後から助けてくださいと叫んで、新しい傷者が現れ、いつまでもきりがない。
私は片手で自分の傷を抑えておらねばならず、仕事がしにくいが、つい患者の傷につられて手を離して手当をしていると、
まるで水鉄砲で赤いインクを飛ばすように、私の傷口から血が吹いて、横の壁と言わず、府長さんの肩と言わず、赤く染めてしまう。
米紙の動脈が起きられているのだ。 しかしこの動脈は小さいから、まああと3時間は私の体も持てるだろうと計算しながら、
時々自分の脈の強さを確かめつつ、患者の処置を続ける。
友を探しに行った橋本君と椿山君とが帰ってきた。
いません。運動場の畑へ行ったと思います。 運動場へ行こうとしましたが、もう途中は田植木と火と市街とで通れません。
基礎教室の建物はみんな見えません。一面火です。 病院の中央は大火事で、裏門との連絡はつきません。
負傷者の数は検討つきません。 こういう報告である。
山下、井上、浜、大柳、吉田。 5人の看護婦の顔が次々目の前に浮かぶ。
死んだのだろうか。今、息の絶えるところだろうか。 重い傷を受けて、この目の前の患者のようにのた打ち回っているのではなかろうか。
それとも何かの陰に無事に退避しているのかしら。 生きてさえいれば必ずここへ帰ってくる。
それにしてもこれは戦争の常識に無い一大事である。 予想だにされなかった大規模な惨害である。
おそらくは歴史的な事件に数えられるものに違いない。 腰を据えてかからねばならぬ。
私は撮影室にどっかりアグラを書いた。 父生先生と父長さんとが私の傷に薬をつけ、ガーゼを押し込んで圧迫止血をしてくれ、
その上から三角筋でギリギリと締め付けた。 しかし同明血血だから三角筋はみるみる真っ赤になり、顎のあたりからポタリポタリと血を垂らす。
みんなで機械を調べておいで。 一同はまた私の周囲からさっと散って部屋部屋へ別れて入った。
その間、私はじっと考えた。 ここはまさしく血がの戦場と化した。
我々は衛生隊であり、その活躍はこれからだ。 断然踏みとどまらねばならぬ。
敵はさらに引き続きこの爆弾を落とすであろう。 そして一周回に合いに上陸戦闘を展開するであろう。
浮き足だったらおしまいだ。混乱に陥ったら何もできなくなってしまう。 まず隊の集結、編成、衛生材料の確保、食料の調達、
野営の準備、それができてから上下左右の連絡、 野戦病院の位置選定だ。
いずれここは艦砲射撃の断層になるだろう。 患者を大急ぎで近郊の谷前集めねばならぬ。
どの窓を見ても炎の林だ。 周囲はすっかり大火になってしまった。
この建物の一角にも火は燃え移ったらしく、 パチパチ音がし始めた。
機械を調べていた仲間が次々に帰ってきた。 もうめちゃくちゃです。
換気売類は全部破損。 電卵は断線、変圧器は通路を塞がれて引き出せません。
標本は吹き飛んで手がつけられません。 報告はすべて惨、また酷。
みんなが私の口を開くのを待ってじっと私を見つめている。 他の他の先生や看護婦や生徒が血まみれになって二人三人手を繋ぎながら
物も言わずにそばを走り去る。 強盗、火炎の鳴るのが聞こえ、窓から火の粉が吹き込んでくる。
どうしたらよいか。私もみんなの顔をじろじろ見回すばかり。 こんな時には慌ててはダメだ。落ち着いていたら焼き殺される。
当たり前にしているわけにもゆかん。 そう考えて私は思わずにやりと笑った。
あまり唐突に笑ったので、みなもついぷっと吹き出した。
一度声を立ててひとしきり笑った。 お互いのざまを見ろ。それじゃ戦場へ出られんぞ。
さあ、きちんと身支度をして玄関前へ集まろ。 お弁当忘れるな。腹が減っては戦できんぞ。
よいしょ、よいしょ。 みんな元気な掛け声を出して自分自分の部屋へ帰っていった。
その後ろ姿をいちいち見送りながら、私はみんなが平常心を取り戻しているのを知った。
伏瀬先生が靴を探してくれ、府長さんが鉄カーボンや上着を見つけてきてくれた。 私はのろのろと玄関の方へ出ていった。
夫人家の前の廊下を看護婦が一人、目をうつろにしてくるくる歩き回っている。 背中を強く叩いて、
「おい、しっかりしろ。」と言うけれども気がつかうのらしく、そのまま同じ運動を続けている。
衝動が激しかったので一時的精神異常を期待したのらしい。 玄関前、車寄せにはおびただしい死傷者だ。
しかも下の町から次々と傷を抑えた負傷者が、救護所はどこ、受付は?と尋ねつつ上がってくる。
病院の各病棟からも負傷者を背負い、あるいは肩にかけ、335号ここへ出てくる。 一体どう処理したらいいのだろう。
一人一人の生命は尊ぶべきものである。 どの人も自分の体が大切であり、
大小に関わらず傷には全て関心を持っており、そして良い医者に見てもらいたいのである。 私はこれを見ねばならぬ。
しかしこのおびただしい負傷者と、亡くなった薬と迫りくる炎と、少ない私たちの手と。
私は3人手当てをしてから、これは対局に目をつけねば、せっかく包帯を巻いた怪我人者とも火炎の中に巻き込まれんとする騎士にあることを知った。
すでに被爆後20分。 裏髪一体は火の森林と化した。
病院も中央から燃え広がりつつある。 僅かに火の見えないのは東側の丘のみ。
ポンプ、バケツ、水槽、元気な人間。 召喚必要なものは一瞬になくなっているのだから、ただ火の燃え広がるのに任せるばかり。
生き残った者も強力な放射線に貫かれ、着物は剥ぎ取られてすっぱだかのまま。 下の町から炎を逃れてよろめきつつ山へ登ってくる。
子供が2人で死んだ父親を引きずって通る。 首のない赤ん坊を抱きしめた若い女が走る。
年寄り夫婦が手をつないであいぎあいぎ登って行く。 走りながら門辺がパッと燃え上がって、そのまま火の玉となって転がる者もいる。
火に取り巻かれた屋根の上でしきりに歌いながら踊っている人が見える。 木が触れてしまったのだろう。
後ろを振り返り振り返り走るのもあり、頭も振らず突っ走る者もある。 姉は遅れる妹を叱り、妹は姉に待ってとせがむ。
後ろへすぐ炎は迫っている。 こうして炎の中から運よく逃れ得た者は10人に1人くらいの者だろう。
長崎の惨事
あとは今、目の前で家の下敷きとなった者は焼かれつつある。 剛と火が唸って風向きが変わり、遠く近く救いを求める声が相続く。
私は腕組みをして行禅として立っていた。 この時ほど自分という者の無力を悟ったことはない。
この目の前に苦しみつつ死にゆく人を助ける術はどうしてもないものか。
先生、不動明王の御太郎ですばえ。 2003年の永井君と津泉君とがやってきた。
蓮托弦家の仲間もきちんと身支度を整えて集まってきた。 郷の中へ飛び込んでいた森内君も無事な顔を見せた。
そこへ転げるように走ってきて府長さんに抱きついた者がある。 婦人家蓮托弦の小笹義手だった。
髪の毛が焼け縮れて臭い。 門辺も破れている。
火の中から看護婦二人を救い出し、炎をくぐって無我夢中でここまで駆けつけたという。 あとは皮膚科、外科の蓮托弦義手の佐吉田君と金子君だけだ。
機会は後回し、人間を救い出そう。 私はこう決めた。
二人ずつ組みになって燃える病棟の中から患者を担ぎ出すのである。 小笹君と森内君は佐吉田と金子を探しに火炎の中へ入っていった。
長老が梅津君を背負って裏山へ登っていく。 まるで日露戦争の絵のようだ。
私たちが再び入っていく建物からはようやく者の下敷きから抜け出した人々が全く命からからといった 風でメロ色を変えて走り出してくる。
言葉をかけても返事もせず振り返りもしない。 おそらくは無我夢中なのだろう。
大学病院から離れて一体どこで誰に見てもらうつもりなのか。 私は一人一人に慌てるなと声を浴びせかけた。
地下室の手術場へ入ってみると水道管が破裂して大洪水だ。 都内の衛生材料置き場に入ってみたらさらに安全となった。
タンカすらバラバラにちぎれ飛んでいる。 手術機械はそこら一面にばらまかれ、水薬と粉薬と注射液といずれも容器が壊れて内容が入り混じり、
その上に惜しげもなく水道管から水をふり注いでいる。 ああ、今日のためにこその材料を集めたのではなかったか。
今日のためにこそタンカの演習や救護の抗議を繰り返したのではなかったか。 何もかも大失敗だ。足を曲がれた蚊のように、ハサミを取られたカニにもて、私たちはこれから
都市空犬、この幾万とも知れぬ負傷者の前に立たされる。 全くの原子医学だ。 この知識とこの愛とこの腕とで、ただそれだけで生命を救わねばならぬのである。
私は正前と階段を上り、再び玄関前の広場に突っ立って全般の指揮を取ることにした。 それでも私の周りに委員と学生と看護婦と二十人ばかり踏みとどまって最後の救出作業に従った。
二人組は次から次へと部屋に倒れている患者を手運びで救い出してきた。 それは皆玄関横のコークス置き場に並べられた。
火の粉落ちるのは今ここだけだった。 私はその真ん中にただのっそりと立っていた。火星はいよいよ激しく、空は黒煙渦をまき、また例の真雲も火の色を反映して赤く怪しく輝いている。
なんだか心細い情景である。 学長先生をお救いいたしました。
トモキオ君の声に振り返ると玄関に真っ赤な風呂敷をおんぶしている。 駆けつけてみると真っ赤なものは加藤先生だった。
白髪から顔から、白衣からズボン、毛ハンマーですっかり血で染まっていらっしゃる。 眼鏡はない。
ああ長井君、大変だね。ご苦労だね。と申された。 私は脈を拝見したが格別弱くもなく不正でもなかった。
裏の丘が安全だから、ここから200メートルほど登って適当なところに休んでもらうよう、トモキオ君に言いつけた。
伏瀬先生が注射の用意を持ってついて行った。 学長先生は外来患者の診察最中にやられたのだった。
大先生も住所を追っていたが、学長を助けて廊下まで出たものの、自らは出血のため立つあたわず、そこへトモキオ君が探しに行って救い出してきたものだった。
しばらくして内科の前田副長が病棟から飛び出してきて私を見るなり、 学長先生は、と聞いた。
裏の丘200メートル、伏瀬先生もついてる。 大丈夫、と私は答えた。
副長は眉の上から血を垂らして真っ青だ。 いきなり裏の丘へ走り去った。
あんな太っちょの副長さんがこんなにすばしこく岩山を這い登り、坂を駆け上がるのを私はポカンと後姿を見送った。
橋本君は十七歳、椿山君は十六歳。 どちらも体の縦ということのつり合いが返調をきたし、相性を松ちゃんといい豆ちゃんと呼ぶ。
このずんぐりの松ちゃんと豆ちゃんが吉西室へ入ってみると、患者と学生と入り混じって七人唸っている。
二人は入口の大きな男を引き起こし、縦抱きの容量で静かに抱き上げ、そのまま階段を下ってコークスを牙へ運んだ。
すぐ引き返して同じように次の学生を運ぶ。三人四人。 一部屋が住むと次の検査室。ここには顔見知りの看護婦さんがいた。
それを題で階段を下りながら松ちゃんは生まれて初めて知る歓喜の念を覚えた。 それは何とも言えぬ崇高な幸福、歓喜だった。
この濱崎さんは私に抱かれて火の中から出ようとしていることも知らず、かすかに憂いている。
まめちゃんも私のことを後悔しないなら、浜崎さんは永久に私たちから救われたことを知らないだろう。
もし万一助かることがあったら、廊下などで会った時、何も知らずに通り一遍の営釈をして行き過ぎるだろう。
そう思うと知らず知らずに頬の肉がゆるんでいくのを感じた。 幼い日に赤いグミの実をクリームの空き瓶に塩漬けにし、
私一人知っている名屋の隅の味噌桶の裏に隠して姉にも知らせず、弟の目もはばかり、朝よりこっそりその味を試しに入って、
艶々しいグミの実をまるでルビーか何かの宝石のように見つめた、あの純粋なほのかな歓喜を連想した。
まめちゃんはまた違ったことを考えていた。 今日の大人の人はなぜこんなに軽いのだろう。
かねて、負傷者運搬演習や診察室で輸送車から投資台に患者さんを移すときなど3人がかりでもあんなに重かったのに、と不思議だった。
おそらく出血のため体重が減っているのだろう。 それにしても永井先生の防空演習はあまりに激しかった。
実戦がこのくらいの恐ろしさ苦しさ難しさであるのなら、 演習をあんなに恐ろしく苦しく難しくやらなくてもよかったろうもの。
看護婦養成所へ入学すると間もなく肝試しをやらされた。 暗室のほの暗い明かりの中に義手の方たちや上級生の看護婦さんが、
死人や重傷者を真似てうめいているところへ一人一人まだ解剖さえならばの1年生を行かせて脈を調べさせられた。
あの時のぞっとした感じだと、今日本物の死人と負傷者を抱えたってちっとも怒りはしない。
運搬演習だってあの穴工房の岩山の目のくらむ散布をお互いの体をロープで縛ったりして患者運びをやらされたものだ。
消防にしたところでいきなりエレクトロンの診断を窓からビュービュー火花の吹くまま投げ込んで、 そらそら消さねば本当の火事になるぞと度疑問を抜かれたっけ。
それにつけてもこの1年間一緒に泣いたり笑ったりして演習や実の空襲に働いた 小柳さんや吉田さんがここにいないのが寂しくてしようがない。
どこにいるのやら。炎に隔てられて生死も不明だから、なんだか今そこらで帰ってきているような気もする。
豆ちゃんは窓から顔を出して、吉田さん、吉田さんと叫んでみた。 マスちゃんも並んで顔を出して、井上さん、みっちゃんと叫んだ。
火炎がまたゴーゴーと唸ってこっちへ崩れる。 二人が次の負傷者を救いに上がってくるたびに、一部屋一部屋と火炎の占領する部屋は増していた。
しかし、火と煙の渦巻いている部屋に手拭いでしっかり鼻と口とを抑えて這い込み、 負傷者を引きずり出すのが今は何よりも楽しく嬉しかった。
出てきて熱い熱いと思うと袖口に火がついていた。 二人は本当に看護婦であることの幸福を悟った。
気絶している患者はむしろ楽だったが、意識のある患者は傷が痛いとか苦しいからゆっくり運べとか、忘れ物を取ってきてくれとか
散れ髪を探せとか、苦情を並べて手間取らせ、思わず時間を浪費してしまった。 その上、この爆撃の第三害を知らず、この病棟に火の回っていることも悟らずにいるものだから、
腹の立つほど軟気なわがままを言い立てて困らせた。 内科の病棟には全身の急性関節リューマチスの患者がいて、大倉先生と山田君とが抱いて出ようとすると、
痛い痛いと喚き出し、そんなに痛い目に合わすのなら、このまま置いておいてくれと言った。 仕方なく他の患者から運び出して、とうとう最後にこのリューマチスだけになった。
もう一度抱き抱えると、単価でなければ嫌だとダダをこねる。 二人はあちこち探し回るけれども、役に立つ単価は一つもない。
だいぶん時間を費やして、仕方がないからとさらに病室へ行ってみたら、そこにはもう火炎がまいていた。 大倉先生は私のところに駆けつけて、
一人だけどうしても出ませんと訴える。 私は、
それだけ尽くしたらもういいです。その患者の責任は私が負いましょうと言った。 しかし大倉先生と山田君とは人殺しをしたような顔をして、炎の下の舞うあの病室を見上げている。
腕時計はすでに2時を回っていた。 いつの間に3時間も経ったのだろう。火炎は今が最も盛んである。
風はさっきから西風だった。 何十メートルの炎が見上げるばかりの大空に、お互いに高さを競い、風に押されては東へ崩れかかる。
大学は町の風下になっているので、この高屈を置き場も危険になった。 私は患者をさらに丘の上の畑に移す決心をした。これはなかなか難しい作業だった。
何しろ道が狭い上に家屋の破壊物で塞がれているので、岩畑や石垣をよじ登って瀕死の傷者を次から次と運び上げるのである。
私も二人背負って這い上がったが、三人目にはもう力が抜けてしまっているのを自分で知った。 コミカミ動脈の出血が依然止まらず、あれから三度三角筋を取り替えたほどである。
府長さんが顔色が青いと注意してくれた。 なるほど脈もよほど細くなっている。
マスちゃんマメちゃんとか軽々と大きな男を背負ってあがる。 赤ん坊の泣き声がする。母親は重傷で意識がない。
2ヶ月ぐらいの赤ちゃんがデブ巣を膨らまして横で泣き立てている。 もう日は近いので、私はせめて子供なりと助けようと抱き上げて上の畑へ登り、
浜崎君の隣に寝かせた。 その時浜崎君が突然ウーッと唸ってぐったりと鳴った。
私は、ああ、ダメだと思い、ハサミを出して彼女の前髪を切り取りポケットに納めた。 山田君と府長さんとか親と子を話してはかわいそうだと言い、下から母親を抱き上げてきた。
赤ん坊を胸のところに添えて寝かせると激しく泣き立てた。 意識のない母親の手が赤ん坊のところへ動いた。大粒の雨がボタボタ降り出した。
指頭台の黒い雨で、くっついたところは重油か何かのように色がついた。 これは上のマウンから落ちてくるようだった。
情景はいよいよ精算を極める。 空気中の酸素が燃焼に費やされたのと、酸化炭素の発生が著しいのとで、この火炎の谷の中では呼吸が重くるし、
誰も犬みたいにハーハー息づいて働いている。 その時に時計を見たら四時だった。
患者はすっかり安全な丘の畑に並べて寝せた。 どこか屋根のあるところを通う、学生の石膏は四方に走ったが、どこも火ばかり。
ここより他に適当な箇所はなかった。 私たちはそこに座って飯を食った。
胸がいっぱいでという看護婦たちにも、これから何日何ヶ月こんなことが続くかわからんぞと言って、 とにかく皆がかねての非常食を食べた。
腹ができると自然に落ち着いてきた。 それから一人一人患者の訴えを聞いて丁寧な手当てをやり始めた。
止血帯を締め直す。傷の縫い合わせをする。 三角筋を巻き直す。標珍を塗る。水を飲ませる。
布団やむしろを見つけてきてかぶせる。そえぎを当てる。 あー標本室が火を吐く。
長屋くんが叫ぶ。 あー十数年苦心して集めた学術標本。
再び手に入れられぬ貴重な奨励写真が今一陣の煙と化しつつある。 あー撮影室が燃える。
救助作業の実情
治療機械もさようならか。 患者の救出に時間を取られて、ついに機械と標本を取り出すことができなかった。
私たちの日々の知識の糧であった文献も、学術進歩の記念だった標本も、 我が子のように、我が腕のごとく愛し親しんだ諸々の機械も、今すべて赤い炎と変わって天に昇っていく。
すべての希望、数々の思い出が今、この目の前に黒い煙となって消えていく。 私たちはただ呆然とそれを見つめて立っていた。
火星はいよいよ猛烈で、ついにフィルム倉庫に引火したとみえ、どす黒い煙と炎とがどっと吹き出し、堂々と炎が鳴り始めた。
私は膝の力が抜けるのを感じ、おしまいだと呟くと、ぐたぐたと畑の上へへたばった。 府長さんをはじめ看護婦たちがしくしく泣き出した。
大学は完全に一回の火となった。今は最後である。 大学長、加藤教授はあの通り、重傷である。
病院長、内藤教授の姿を見かけた者はいないから、おそろくは病院と運命を共にされたのであろう。 連絡学生の報告では、元気なのは古魚の
張良教授のみ。 他はほとんどみな姿を見ず、ただ北村、長谷川良教授が血まみれになって委員から助けられつつ、
浦の山へ登られたのを見かけたのみだという。 学生看護婦の8割は死んだらしい。
生きている者も勝者が多く、今この上の丘で活躍している下科を中心とする一団と、浦門付近で働いている皮膚科、小児科を中心とする一団を合わせても、元気な者は50名くらいだろうという。
基礎医学教室は全員絶望との話だから、大学は人的にも物的にも全滅したと認むべきである。
丘の上に立って燃える大学の最後の姿を見下ろしている私たちは、まさに昭和の白虎隊だった。
大倉先生が病室から白い大きなシーツを取り出してきた。 私は自分の顎から垂れ下がっている血兵をむしり取って、それで大きな火の丸を染めつけた。
竹澤にこの一粒あまりの火の丸をくくりつけて押し立てると、熱風が吹きつけてはたはたと大きくなった。
腕まくり白ハチマキの永井くんがそれに両手を掲げた。 黒煙のなびく大顔、血染めの火の丸が上がる。
私らは粛々としてそれに従った。時に午後の5時。 格の如くにして我が長崎医科大学は戦に敗れ、灰燼に帰したのである。
その夜、私たち教室員は打ち揃って学章の寝ておられる畑へ行った。
芋畑の隅に街灯をかぶり、丸くなって雨に濡れておられるのを見てつい涙が出た。
長教授を中心とする委員学生の一団が駆け回って手当に忙しい。 私は学長に報告を終わり、二十歩ばかり行くとめまいを感じ、足のよろめくのを覚えた。
ちょうどそこに長老から解放されながら梅津くんが寝ていた。 これも雨に濡れている。
私はその脈を握ってみたが案外強かったので安心をした。 上衣を脱いで梅津くんにかけてやり、五六歩行き畑を一段下りると、同時にくらりとして私はそっと押した。
「毛頭脈を抑えろ。」 長教授が叫んでいる。
ケーキンをぐっと抑えられた。 目を開けて仰ぐと、赤い雲の下に長教授と副長さんと豆ちゃんとどうしたかと心配していた金子義手の顔が覗いていた。
「血殺糸、コッヘル、ガーゼ、ガーゼ。」 慌たしく先生が怒鳴って私の耳のあたりの傷の中へ何か痛いものを突っ込む。
冷たい金属のフレアーを音がして時々どっとあったかい血が頬へあふれる。 「抑えて、拭いて、ガーゼ。」
先生がしきりに怒鳴る。 時々コッヘルの先で神経繊維を挟むものと見え全身の痛覚が一挙に目覚めて足のつま先がピンと突っ張る。
私は思わず手に触れた草を握りしめた。
長教授が駆けつけてくださった。 先生が何かボソボソ言っている。脈が握られた。私は観念の目を閉じた。
同脈の団体が骨の陰に引っ込んでるんだねと教授は言われた。 またも何回か私の足先がピンと突っ張り、手は草の根を握りしめなければならなかった。
けれども手術は手際よく成功した。 「長屋君、大丈夫だ。血は止まったよ。」
そう言って教授は立ち上がられた。 私はお礼を申し上げた。そして全身が急にだるくなり、気が遠くなっていった。
日は落ちた。 地上は延々と未だ燃え盛り、空一面に広がったマウンは赤く怪しく輝いている。
西の方、稲妻山の上のみわずかに空を透かせて、三日月が細く鋭く覗いている。 江南病棟の上の谷間に男組は板を拾い藁を集めて狩小屋を作り、
女組は鉄かぼとでかぼちゃを煮て湯気の支度を整えた。 長屋君と田島君とか県庁まで非常食料をもらいに出かけていった。
畑の中にかぼちゃの煮える火を囲んで私たちは小さな輪を作っていた。 わずかに生き残ったもののこの小さな輪よ。
お互いに顔を見合わせてこの輪を作るこのわずかな人間同士こそ、そこ知れぬ因縁の絆に結ばれていたに違いないという気がした。
私たちはお互いに手を取って固く握り合ってじっとしていた。 もう暗くなった上の森から、
「タンカー来てください。誰か駐車に来てください。」と哀れに叫んでいる。 友の名を呼ぶ声。
親を求める声。聞き覚えのある声。大勢声を合わせての叫び。 しかし私たちはもう7人の仲間を死んだものと諦めていた。
ヒフカの佐吉田君は大体骨折で身動きもかなわず、今ゴールの中に寝せてあるという。 藤本君は行動の床下から急死に一生得て杖を突きつき、
さっきここを過ぎたので自宅へ帰らせた。 あとは辻田君と片岡のタコちゃんと山下君ら5人の看護婦である。
彼らは生命さえ残っておればどんなにしてでも教室へ帰ってくる人々であった。 たとい霊魂がまさに肉体を離れんとして、
ただ髪の毛の先で繋がっているほどの瀕死の重傷でも、必ず私たちのところまで這ってきて、それから死ぬはずの仲間であり、それほど固い私たちの団結だった。
もう8時間も経過して姿を見せぬがゆえに、あの人々は即死したに違いないのである。 私たちはじっと黙祷を捧げていた。
のっそりと裸の大男が現れた。 おっ、永井先生、見つけたぞ。
あら、清水先生、生きていましたか。 わし一人じゃ。
のたりと尻餅をついた。 手をついてきた焼け残りの角材がカラカラ音を立てて倒れた。
ふうふう肩で息をしている像はまさに傷つける闘牛か。 すぐ来てください。学生たちが死にかけたら、もう半分以上は死んじもうた。
注射しに来てくださいよ。見殺しじゃけん。 薬船の豪者。
すぐ行きます。さあ、まあカボチャでもお別れなさいよ。 いや、カボチャどころじゃなか。カボチャを何百食ったって学生は助からん。
すぐ行きましょうや。 伏瀬先生、府長、橋本くん、小笹くんが医療袋を持って立ち上がった。
清木先生は士郎から手を引いてもらってやっと立ち上がることができた。 大学はなくなってしもうた。とにかくえらいこっちゃ。みんな死んじしもうた。
途中はひどいんだぜ。たった300メートルしかないのに1時間かかった。 それじゃ、また来ます。
ああ、よかった。学生が助かります。 先生は府長さんの肩につかまり、ヨイロヨイロしながら再び燃える大学の中へ入って行った。
この一帯はこの夜おきそ医学教室の裏丘を中心に、残りの大倉先生、山田くんらの一帯はここの狩小屋を中心に夜間の救護を続けるのである。
私と梅津くんとは狩小屋の藁の中に似せられた。 虫も死に絶えたものと見えて、あたりは若幕としている。
地に満ち空を焦がす大火の繁栄の明かりを頼りに梅木郷に惹かれて勝者に近づき、傷を巻き注射をし、これを抱いて引き上げてくれ。
道は思いがけなく炎の屏風に遮られ、転ずれば倒木、縦横に混じりて骨によしなし。ある時は吹き崩された石垣を用地登り、ある時は板橋の吹き飛ばされたものも知らず患者諸共溝にはまる。
足の裏はすでに幾度か釘踏み抜いて一歩ごとに痛みを覚え、膝頭はガラスに擦り切られてもんぺとくっついている。
救護隊は医学専門部の高木部長を発見して収容する。
生垣女教授、松尾教授を相次いで担ぎ込む。狩小屋もようやく梅木郷に満ちてきた。
他に薬局長の礼状も渋滞だ。通りかかった保険の就勤人が転がり込む。二人の囚人も宿を求めた。
鉄騎は二回来た。ビラ弾のはじける鈍い音がした。
夜半、火星はようやく衰え始めた。死に果てたのか諦めたのか、疲れて眠ったのか、叫びは全く絶えて天地弱として声なく、誠に厳粛な一時である。
下に差もありぬべし。まさにこの時、東京大本営において天皇陛下は終戦の声談を下したもたのであった。
地球の陸と海とを余すところなく舞台として展開された第二次世界大戦は次第に好調し、さらにいかなる波乱を巻き起こすやと気遣われていたが、
突如原子爆弾の登場によってクライマックスに達し、ここににわかに終幕となったのである。
確かに厳粛な一瞬である。私は放射能雲の怪しく輝いて低迷する空を胸の詰まる思いで眺めていた。
この放射能原子雲の流れゆく果てはどこか。
善とは凶か鬼畜か。正かはたまた邪か。この一瞬、この空から新しい原子時代は開幕せられるのである。
原子爆弾の力。8月10日の太陽はいつものように平凡にコンピュラさんから顔を出したが、その光を迎えたのは美しい裏紙ではなくて灰の村紙だった。
生ける町ではなくて死の丘であった。 工場は無造作に押し引き剥がれて煙突は折れ、商店街は瓦礫の浜となり、
住宅地はただ石垣の段ばかり。畑はハゲ、林は燃え、森の巨木は抹茶を並べたように倒され、
まんもく荒涼、犬一匹生きて動くものはない。夜半、突然火を発した天守堂が紅蓮の炎をあげて最後のピリオドを打っている。
私たちは創業、薬船の号に移動して基礎医学教室の9号にあたる。 運動場の片隅にトタンをかむって寝ている者がいるので、行ってみると細菌教室の山田先生だった。
辻田くん最後の模様を初めて知る。 そこで細菌教室へ行ってみると、実験室の焼け跡の灰の中に先生方であろういくつかの黒焦げの骨がある。
医療の現場
だいたい平安の見当をつけて女性の骨を見つけた。 これが辻田くんであろう。
この骨はもう、ねえ、はは、とは笑わない。 紙に拾い集めながら、夢ならば夢ならばと繰り返し思う。
タコちゃんが授業を受けていた行動の焼け跡にくる。 しらじらと火に光る灰の中に、
ああ、整然と並んでいる幾十の黒骨。 この中に我が片岡くんも混じっているのか。
ノートとるペンを握ったまま、一瞬に若い生命を奪われた学生たち。 昨日の朝は、あんなに元気で確保をいただいて校門をくぐったのだったのに。
予期してはいたが、希望していなかった恐ろしいことが、運動場の造産畑に見える五つの死体に近づいたとき、現実となってしまった。
いくら待っても来ぬはずだった。いくら呼んでも答えぬはずだった。 ここでこんなにして、片手を挙げた格好で、
たぶん山下くん、吉田くん、井上くんが先に働いているところへ、 あとから浜くんと小柳くんがやってきて声をかけたのだろう。
三人が立ち上がって手を振った。 二人も手を振って駆け出した。
その瞬間に叩きつけられたものに違いない。 三人と二人とは離れて倒れている。
「しゅーちゃん、みっちゃん。」と、府長さんが肩に手をかけて揺さぶったほど、 あどけない死に顔だった。
こんなに早く死ぬ子なら、あんなに叱られればよかったと、 山下くんの可愛い鼻を見つめていて思う。
こうして冷たくなった子供の頭を撫でていると、 一度も叱らなかった井上くんよりは、しょっちゅう叱っていた山下くんの方が愛しい。
小さな犬のバッチも、胸にそのままに薄い唇には土がついている。 ただ一発でこれだけの生命を奪い、これだけの破壊をたくましゅうした爆弾は、一体何物であろう。
府長さんが走ってきて手渡した一枚の紙切れは、昨夜、鉄器の巻いたビラだった。 目をすべらせていた私は思わず叫んだ。
あ、原子爆弾…… 私の心はもう一度、昨日と同じ衝撃を受けた。
原子爆弾の完成。 日本は敗れた。
なるほどそうだ。この揺力は原子爆弾でなければならぬ。 昨日から観察の結果は、予想されていた原子爆弾の減少といちいち不切を合わすものだ。
ついにこの困難な研究を完成したのであったか。 科学の勝利、祖国の敗北。
物理学者の喚起、日本人の悲嘆。 私は複雑な思いに胸をかき乱されつつ賛美を極むる原子矢を徘徊した。
戦後の影響
竹槍が落ちていた。 蹴ったらカランカランと虚ろな音を立てた。
拾って空に構えて涙が出た。 竹槍と原子爆弾。
ああ竹槍と原子爆弾。 これはまた何という悲惨な喜劇であろう。
これでは戦争にならん。これは戦争ではない。 国民はただ文句なしに殺されるために国土の上に並ばされるのである。
ビラにはこう書いてあった。 日本国民に次ぐ。
このビラに書いてあることを注意して読みなさい。 米国は今や何人も成し得なかった極めて強力な爆薬を発明するに至った。
今回発明された原子爆弾はただその1個をもってしても、 優にあの巨大なB29-2000機が1回に搭載し得た爆弾に匹敵する。
この恐るべき事実は諸君がよく考えなければならないことであり、 我らは誓ってこのことが絶対事実であることを保証するものである。
我らは今や日本本土に対してこの武器を使用し始めた。 もし諸君がなお疑いがあるならば、この原子爆弾がただ1個広島に投下された際、
いかなる状態を邪気したかを調べてご覧なさい。 この無益な戦争を長引かせている軍事上のあらゆる原動力をこの爆弾をもって破壊する前に、
我らは諸君がこの戦争を弱めるよう陛下に誓願することを望む。 米国大統領は先に名誉ある幸福に関する13箇条の概略を諸君に述べた。
この条項を承諾し、より良い平和を愛好する新日本建設を開始するよう我らは徴用するものである。
諸君は直ちに武力抵抗を中止すべく措置を講ずねばならぬ。 力ざれば我らは弾効、この爆弾、並びにそのほかあらゆる優秀なる武器を使用し、
戦争を迅速かつ強力に終結せしめるであろう。 一度読んで肝を奪われた。二度読んで人をバカにしていると思った。
三度読んで何を抜かすかと意気通った。 しかし、
原子力の影響
四度読むとまた気が変わって、これは最もなことだと考えた。 五度読み終わって、これは宣伝ビラではなく、冷静に事実を述べているのを知った。
私は右手に竹刃をつき、左手にビラを握り、防空壕のところの清木博士のもとへ帰って行った。
清木大臣はううむと唸って土の上にひっくり返った。 そして虚空を睨みつけたまま、51時間ものを言わなかった。
原子が爆発したらそれから何が出てくるか。 私は清木博士の裸体の隣に寝転んでいて考える。
巨大な原子力、微粒子、電磁波、熱。 この4種類がまず頭に浮かぶ。
原子力、すなわち原子が創造された瞬間から原子内ことに原子核内に潜在していた力。 原子の形態を維持し、その作用の厳選となっていた力。
それは原子の体積に比べて著しく莫大なエネルギーであり、実に万象露天の原動力たるものである。
一部の学者は、太陽より昼夜不断に発せられる巨大なエネルギーは、実に太陽の原子が時々刻々に爆発しつつ発する原子力であるとさえ言っている。
したがって、原子爆弾は人工太陽とでも称していいかもしれない。 この巨大な原子力は、原子の破裂と同時に解放せられ、一挙に万物を圧する。
進行中、空気中、土中、水中でその起こる現象は異なるであろう。 この度は空気中で破裂した。
放出された体力が、まず空気分子を発砲へ押しやるので、偉大な風圧が地球上に発砲に進行する。 その内側には真空を生じるであろう。
そして偉大な風圧の後から偉大な陰圧が従うであろう。 さて、地形が裏紙のような谷であれば、
球面波がこれに衝突し反射する際、複雑な干渉を起こすであろう。 こうして、地面ではまず主圧が来て物体を押し倒し、押し潰し、粉砕し、吹き飛ばす。
ついで、陰圧が来てこれを逆に引き、吸い上げ、軽いものは空高く土煙として巻き上がっていく。 その後に複雑な風圧が入り乱れて、惨事、荒れ狂うであろう。
その結果、なぜこのような方向に動かされたのか検討のつかぬ状態に、しばしば遭遇するに違いないのである。
この爆発の速度はだいたい音波の速度と同じくらいと考えられる。 微粒子として飛び散るものは原子構成粒子たる中性子、陽子、α粒子、
インデンシーや原子核の分割によってできた新原子及び割れないもとの原子である。 このうち最も大きな作用を示すのは中性子であろう。
中性子は電気的に中性な小粒子だから、ある初速で原子核を飛び出すと途中で電波・磁場の影響を受けず、そのまま直進してよく物体を貫通する。
その速度はおそらく1秒間に約3万キロを突進するだろう。 ただ水素原子に衝突すると停止する性質があるので、水・湿った土・ファラピンでは遮られる。
α粒子・陽子は、陽・帯電波・磁場の影響を受け、その速度を変じ、あるいは引力を合体したり空中放電を起こしたりして、地上にはあまり多くは到達せず空中に浮遊し終わるであろう。
原子核の分割によって新たにできた元のものよりも小さい原子は、一定時実不安定であって放射線を出し続けるが、このものは体積も大きいので進行途中で受ける抵抗も大きく、いつしか速度を失って同じく空中に浮遊するであろう。
このものは、放射能塵となって次第に地面に降下・沈積し、もって今後かなり長い月日の間、爆心地帯より当時の片島方向に渡り、残留放射能の源となるであろう。
核分裂のメカニズム
さて、これらの微粒子群は爆発と同時にまず球体に拡散し、速度と重力と浮力と気圧その他の条件の支配を受けてある形をとるであろう。
その微粒子を中心に水蒸気の凝結も起こるであろう。
かの爆発直後に生じた真雲の本体はこれであり、かの大きな黒い雨もこうしてできたものであろう。
かかる大変化が瞬間に起こるのだから、もちろん大なる熱エネルギーを生じる。
爆心最近距離のものは黒焦げとなる。
例えば薬学専門部入口の標柱はきれいに爆心に向いていた反面だけ黒焦げになって立っている。
ことに熱を吸収する黒色の物体はひどく焼かれる。
井上くんの眼球の黒目の部分だけ線香していたことや、
黒瓦の表面の泡立っていることや、
浴衣の黒い模様の通り熱傷を受けていた患者がいることや、
石の黒い部分がボロボロになっていることなど、この事情を裏書きするものである。
原子内で帯電粒子の急激な位置移動が起こる結果として、
電波・磁場の歪みを生じ、これが電磁波として輻射される。
それを波長の短いものから並べてみれば、
γ線、x線、近外線、交線、赤外線であろう。
さらに波長の長い電波も出るかもしれん。
その速度はいずれも1秒間に29万9790キロという素晴らしいものである。
交線がピカッと目を射たあの時刻が原子爆裂の時刻であり、
同時に恐ろしいγ線は体を貫いており、赤外線は露出部に熱傷を与えたのである。
清木先生を中心に長老たちが仕切りに論じている。
一体全体これを完成したのは誰だろう。
コンプトンだろうか、ローレンスだろうか。
アインシュタインも大きな役割を持っているに違いない。
それからボーアやフェルミなど、欧州から米国へ追われた科学者たち。
中世史を発見したイギリスのチャドイックやフランスのジョリオ・キュリー・フサイア。
もう何年も学術作国で重要な文献が発表されないからわからないが、
きっと心身大化がいるに違いない。
そしておそらくはアメリカのことだから数千人の科学者を動員し、
研究の分担を定め、能力的に年々仕事を進めていったものだ。
これは実験室だけの仕事じゃないから、材料の採掘、精錬、分析、
人材分離というだけでも大した興行力がいるんだぜ。
きっと後で発表になってみれば、日本の兵器研究所なんて向こうの規模に比べたら、
まるで丸ビルの横丁に落ちているマッチ箱みたいなものだろう。
多分何十万という労働者の力がこの一発の原子爆弾にこもっているよ。
何十人か何百人かの上学生がこっそりと紙と糊とで作った日本の秘密兵器とは桁が違うよ。
材料といえば一体何原子だろう。やっぱりウラニウムか。
さあ、もしかしたらアルミニウムのような軽い原子じゃなかろうか。
でもそんな小さな原子じゃ解放される力も小さいだろう。
しかしウラニウム原稿は地上には少ないよ。
これだけ大戦争に集中するためには容易に手に入る元素がないと思う。
何、ウランコはカナダからいくらでも出るんだ。
材料と関係のある話なんだが、一体どういう方法で希望の瞬間に大量一時に原子爆裂を起こさせたものだろう。
ああ、さあそれだ。それが各国物理学者の知恵比べの焦点だったんだ。
さっきローレンスの名が出たね、例のサイクロトロンで原子核破壊の第一人者だが。
まさかあの爆弾の中にサイクロトロンを入れることはできない。
理科学研究所のを見てきたことがあるが、大きな建物一つほどのでっかいもんだぜ。
それをなんとか小型にしてさ。
いやー高圧絶縁とか電磁石とかを考えればちょっと小さくはされないね。
あ、ラジウムか何かを使ってアルファ線のようなものを利用したら?
それとも宇宙船の中間子なんかは利用できんか。
あ、思い出した。そうだ、フィッションだ。
な、なんだなんだフィッションとは。
フィッションだ。核分割だ。マイトナー女子が見つけたあの現象だ。
マイトナー女子。あまり聞いたことのない名だな。どこ、どこ人だ?
オーストリア人。うん。
研究したのはコペンハーゲンでだ。やっぱりヒトラーから追われた学者の一人だ。
ハン博士の直修だったが、今は60歳をよほど越したおばあさんのはずだ。
イタリアのフェルミ教授の仕事に関連しているのだがね。
ウラニウムの原子核に遅く飛ぶ中性子を当てるとウラニウム原子がポッカリ二つに割れるのを見出したんだ。
あまり早い中性子だと原子核をファンに貫通してしまって何もならないんだ。
のっそり飛んできた中性子が原子核の中へ潜り込むともごもごしていて突然核が二つに割れて離れる。
そして核内に潜在していた巨大な原子力が解放されて紛失する。
ほう、便利だね。中性子がありさえすればいいじゃないか。
この時面白いことは、二つに割れた部分の質量が元の質量より減っているという事実なんだ。
これはもう以前にアインシュタインが発表したエネルギーと質量の同等性という理論を事実において証明したもので、
物理学の革命とも称すべき、科学界における細菌の最も重大な開拓であったわけなんだね。
つまり核が二つに割れる際にその一部の質量が、言い換えれば物質が突然として消滅し、
それと同時に一定の同等量のエネルギーが発生するんだ。つまり原子爆弾のエネルギーがそれなんだ。
物質がエネルギーに突然として変わるんだ。
そうだ。物質の質量に光の速度の事情を生じた積がその質量のエネルギーなんだ。
光の速度が約300億毎秒センチだからその事情とは素晴らしく大きい数だが、
1グラムの質量がエネルギーに変わるとすると一体どのくらいになるだろう。
まあ外力の計算をすれば1グラムの物質がエネルギーに変わると、
1万トンのものを100万キロ運ぶだけの力となるね。
ああ。
この裏紙を潰した原子爆弾にしたところで、そりゃ原子もかなり大量に使ったろうし、
いろいろな機械で弾体は魚雷くらいの大きさはあったかもしれないが、
正真正銘消費された原子の質量はおそらくは何グラムという小さいもんだろう。
すごいなあ。
だがたくさんの原子核を一時に分割するには中性子をどうして発射する?
うーん。
それがまた都合のいいことにはウラニウム原子核がフィッションを起こすと
γ線モデルが大体2個の中性子を飛び出すんだ。
そしてこの2個の中性子が近くの核にぶつかって、さらに2箇所でフィッションを起こす。
それから2個ずつ中性子が出て、今度は4個の核を割る。
次は8個、16個、32個、64個、128個、256個、512個、1024個、2048個。
うーん。
こうして最初は少し割れるが、短い時間後におびただしい数の原子が同時に爆裂する。
これを連鎖作用と呼んだ。
それじゃあまず最初に少なくとも1個の核を割れば、
あとは1人でそこにあるだけの原子が割れるわけだね。
しかし厳密な意味では同時でなく、ある時間を要するわけだ。
そういえば爆発の来たのが1瞬間ではなくて、幾秒間が続いたようだった。
最初少し弱いのが来て、急に強くなったと覚えている。
その後に続いたのは反射、干渉の結果の圧力だったろうけども。
日本ではこんなことを知らなかったのかい?
知ってたさ。僕だったらこうして知ってるんだもん。
じゃあなぜやらなかったんだい?
前とのあのこの実験は戦争の始まりよりずっと前なんだ。
だからどこの国もやりかけたんだが、フィッションを起こすのはウラニウムで。
そのウラニウムには同位元素のウラニウム235と238とがあるが、
235の方がよく割れるんだね。
もしウラニウムの中に他の元素が混入しているとそれは割れないから、
中性子が飛んできても、もうそこで連鎖作用は中断されてしまう。
したがって連鎖作用を完成するためには純粋ウラニウム235だけの集まりを得なければならない。
これがなかなか難事業だ。
日本ではこのウラニウム235の純粋分離をやりかけたんだが、
軍部からそんな夢物語みたいな研究に莫大な費用を使ってもらっては困ると叱られて、
おじゃれになったと漏れ聞いている。
惜しかったなあ。
済んだことは仕方がないさ。
愚者を指導者にいただいた賢者の嘆きさ。
それからね、核が分割して中性子が出るんだが、
ウラニウムの塊があまりに小さいと、
外へ、すなわち空気中へ飛び出してしまって、
これまた連鎖作用の終末となる。
だからウラニウムの塊は十分大きくなければならない。
純粋のウラニウム235を十分大量に得るというのは容易な工業じゃないぞ。
米国はモテる国とはいえずいぶん苦労したろうなあ。
科学者たちの役割
米国語の科学人の勉強ぶりも想像されるが、
またこれは放射の物質を扱う仕事だから、
たくさんの犠牲者が出ているに違いない。
うん、犠牲者なくして科学の進歩はないさ。
僕はウラニウムと思うけれどね、
また新しい人工原子かもしれんとも考えられる。
この方面の第一人者、ローマのフェルミが
アメリカへ渡っているという話だから。
ああ、とにかく偉大な発明だね、この原子爆弾は。
かねて原子物理学に興味を持ち、
その一部面の研究に従っていた私たち数名の教室員が
今ここにその原子物理学の学理の結晶をたる原子爆弾の被害者となって
原子爆弾の影響
防空壕の中に倒れておるということ、
身をもってその実験台上に乗せられて
親しくその状態を観測し得たということ、
そして今後の変化を観察し続けるということは
誠の敬うのことでなければならん。
私たちは、やられたという悲嘆、憤慨、
焚害、無念の胸の底から
新たなる心理探求の本能が怠惰を始めたのを覚えた。
没前として新鮮なる興味が香料たる原子矢に沸き上がる。
原子爆弾症
先生、ガスを吸ったんでしょうか。
体中なんとなく具合が悪くてフラフラして倒れそうです。
先生、爆風を吸ったからでしょうね。
なんだかムカムカして吐きそうで頭が上がりません。
私は息を呑めになりましたばってん。
傷一つ受けなかったのに今日はもう死にそうな気がします。
石垣の影や崩れた建物の隅まで逃げてきたなり
動きたくなくなった人々が私に尋ねる。
私自身がそうなのである。
まるで忘年会にそこ抜け騒ぎをした
翌朝の二日酔いみたいな不愉快な状態である。
酒を飲まぬ人にこの気持ちがわからんのなら
船酔いの時を思い出してもらえばよい。
全身倦怠、頭痛、おしん、おうと、めまい、脱力などという嫌な気持ちだ。
これはしかし、私は以前にラジウムの実験に凝っていた頃
よく体験したガンマ線照射後の宿水状態とそっくりだ。
これはガスを吸ったのでもなく爆風とも関係はない。
ガンマ線の作用なんだ。
ピカッと光を見た時に同時にガンマ線が体中に突き刺さったんだ。
しかもガンマ線は木造の日本の家屋なんかは兵器で貫通するし
コンクリート壁だって相当厚いものを突き抜けるから
家の中にいたものもみんなやられたのだ。
中性子もやってきたのだからこの障害も起こるはずだ。
これは文献で読んだことがあるけれども
私自身の実験はないから今のところこれが中性子宿水か否かはわからん。
しかも必ず強烈な中性子障害が起こる。
なんといってもここはガンマ線なんかより生物学的作用が強いから大変だ。
しかもその症状が発現するまでに臓器によってそれぞれ異なるが
一定の潜伏期間があるのだから今後いつどんな症状が出てくるか
まことに気味が悪い。
私は原子爆弾、中性子、原子病と考えてきて何か戦慄を感じた。
今日は患者の収容に暮れる。
空はカラリと晴れて満雲は東方に去り
灼熱の太陽は血を埋める熱媒のホテリットの間に私たちを挟んで
裏髪はまるで天下のかまどである。
昨日炎を流れ死の手を出し
無我夢中で突っ走った人々はやれ安心と腰を下ろしたところが最後の血となって
そのままそこの岩陰、木陰に倒れたきり身動きもできなくなって
ある者はいつのまにか生き絶え
ある者は待つ後の水を求め
ある者はただ梅いている。
途方もなく目当てもなくむちゃくちゃに走っているので
いつどこに倒れているのやら探す方も方針が立たない。
おい、おいと呼んでみては声のする方へ行く。
コンピラさんだけでも何百人といいあるいは何千人とも言う。
まあ大した数の患者だ。
県や市の衛生課、医師会、警察
みんなかねての計画通り手際よく救護陣を敷いた。
近郊の警防団が盛んに活躍している。
大村の海軍病院も安山院長の指揮でいち早く救護隊を送り出した。
久留米の陸軍病院も到着した。
救護の本家と自称していた我々大学が非救護者となり
哀れとも残念とも何ともかんとも感慨無量である。
それでも家を焼かれ家族も重傷の小屋の教授が
代理学長として活動の中心をなして終わられる。
霊息を二人まで失われた張教授が
おこつも帰れみず生者の間を立ち回っておられる。
そのほか大部分の職員学生が家族、家財を失いながら踏みとどまって
救護と行方不明者の捜索と学内整理に懸命だ。
門尾学長、高木伊泉部長は水の滴る防空壕の中に寝せられて
それでもやはり意識をとっておられる。
病台は次第に悪化する様子だ。
山根教授も重傷の身を発見されて壕の中に寝ておられる。
負傷者を次々防空壕内に収める。
敵機は相次いで来襲する。
ピカッと来ればおしまいだから爆音が聞こえさえすれば
遠くても神経質にみんな壕の中へ隠れてしまう。
私たちは多くの死者を葬り、多くの傷者を診療した。
そして原子爆弾症に関する考察をだんだんまとめることができるようになった。
障害の原因は原子爆弾に直接よるものと
その爆発の現象に伴う間接のものとがある。
直接障害は爆発、熱、ガンマ線、中性子、
飛散弾大変、火の玉によるものであり、
間接障害は東海火屋、飛散物片によるもの、火災によるもの、
放射線によって変質された物質によるものである。
また衝撃によって生じた精神異常も後者に属する。
この原子爆弾が普通の火薬爆弾と著しく異なる点は、
爆弾破片層がないことと、放射線障害を発すること、
救護活動の様子
及び残留放射能をもって後日長く障害作用を続けることである。
爆発は言語に接する強大なもので、
爆弾に対して露出していたもの、
すなわち戸外、屋上、窓辺などにいたものは叩きつけられ吹き飛ばされた。
1キロ以内では即死、または数分後に死んだ。
500メートルで母の股間に胎板のついたエイジが見られ、
腹は裂け腸の露出した死体もあった。
700メートルで首がちぎれて飛んでいた。
目玉の飛び出た例もある。
内臓破裂を思わせる真っ白な死体があり、
耳の穴から出血している頭蓋底骨折もあった。
熱もずいぶん高温だった。
500メートルで顔の黒こぎが見られた。
1キロ内外で受けた熱症は全く得意のものであり、
私はこれを特別に原子爆弾熱症と命名したい。
これは熱症部の皮膚剥離を伴うもので即時発生した。
熱症を受けた部分だけが皮下組織から剥離し、
1センチくらいの幅に細長く裂け、
その中とまたは端で切断されることもあり、
縮み上がり、少しくない方に巻き込み、
ブラブラとボロ布の下、チリ払いみたいに立ち下がっている。
その色は紫褐色である。
剥離部の皮下からは軽い出血がある。
受症時の感覚は熱感ではなく瞬間の激しい痛覚で、
その後に著しい寒冷感と頭痛を訴えた。
剥離した皮膚は脆弱で容易に断裂して除かれた。
この種の熱症を受けた者のほとんど大部分は速やかに死亡した。
私はこの原子爆弾熱症の発生起点をこう考える。
熱腹者によって、
対弾露出部が熱症を受け、組織が熱変化を起こして脆くなり、
皮下組織との決定繊維も弱くなる。
熱腹者は秒速30万キロだから爆裂と同時に到達して、
まずこの変化を与える。
皮露出部は皮下との決定繊維も顕在である。
ついでかなり遅れて爆発が来て、その後が真空になり、
体の周囲に陰圧ができる。
その結果、体皮膚は外側に強く引っ張られる。
健康皮膚はそのまま残るが、熱症部のみは剥離する。
こんな起床は他の場合には起こらないわけである。
1キロ以上3キロくらいまでは普通やけどと言われる皮膚変化を見た。
受床の時、熱感を覚えたものもあり、覚えぬものもある。
灼熱痛痛感があり、皮膚は速やかに発石し、
1時間内し数時間後に衰法を生じた。
ところがこれも普通のやけどと大いに趣を異にしているというのは、
ガンマ線中性質を同時に受けている点である。
将来これはどんな経過をとるであろうか。
飛散弾大変が火の玉となって降った。
大きさは指頭台から小二頭ぐらいまで。
青じらい空気を放ち、シューと唸って落ちてきて、
皮膚にエシを起こす程度のやけどを与えた。
投開物の下敷き、ガラスなどの飛散物片による損傷、
火災による傷死などは普通空襲にも見られるところと同じだが、
この時刻に広範囲に発生したのが特殊な点であろう。
ガンマ線や中性質による障害で早期に発現したものは、
前に話した原子爆弾蓄水のほかに、
尿量減少、唾液分泌減少、
汗分泌減少、性欲喪失であった。
狭い防空壕の中に身動きもできぬほど、
死者も傷者も元気な者もくっついて寝ている。
傷者のうめきがなくなると死んでいる。
原子理論も死傷者の分類も朝から論議が続き、
夜になるとみんな疲れて黙り込んでしまった。
黙っていると昨日からの恐ろしい情景が次々と完全に浮かんできて、
夢ともうつつともつかぬ不安の境に心はさまよう。
豪雨の天井から滴る水が気味悪く時を刻む。
お前な心であったろうか。
私を解放していた府長さんがうとうととして夢を見たものとみえて、
いきなり私を揺さぶって、
親父さん、親父さんと気の死んだ看護婦の名を呼んだ。
8月11日、
暁の涼しい牛に患者を陸軍病院に運び終わり身軽になってほっとする。
生きた者の収容は終わり、今日は死体探しと火葬である。
あちらこちらから赤い悲しい炎が立つ。
二人、三人、それを囲んでぼんやりしている。
私たちも山下君たち五人を葬る。
尊い生命がこんなに簡単に処理されて果たして良いものであろうか。
板辺に鉛筆で小さな墓標を書いて立てた。
墓に備える草花はない。
長崎の風景
異変を聞いて駆けつけた学生や看護婦の父兄が
愛しき者の名を呼びつつ焼け跡をさまよい、
似た後姿を見つけては追いかけ、生き残った同級者を見出しては泣いている。
誠に哀れというも愚かなこと。
もらい泣きをしながら一緒に探す。
多くは死体が見つからず、
この教室で死んだはずと聞いて、
そこに並んだ黒い骨を拾って拝むばかり。
たまたま見つかる者は顔はそれと見分けのつかぬほどに変わり果て、
僅かに服の端の縫い取りの名にそれと確かめ、
泣くのも忘れ行禅と傍に傍立ちになったまま。
三山旧御飯
長崎市の北に美しい三連峰の青山がそびえていて、
地図の上では黒岳といい、市民からは三山と呼ばれている。
その裏の谷に、昔から火傷に効くので有名な光線が湧いている。
牙六枚板の湯と称せられ、大正の頃には小さい湯宿もあった。
私たちはこのおびたとしい熱傷患者の収容処置は光線療法に意識ものはないと考えた結果、
この牙に旧御飯を開設することになった。
遺骨を胸に、十二日裏髪を出て三山の境に入って行く。
肺の視界はたちまち一点。
まんもく壁玉のごとく精乱殺殺として正気躍動するを見る。
皆はいく度か立ち止まっては深呼吸をして先陣を吐き出した。
五体一呼吸ごとに正常となりゆくを覚える。
牙の里藤野の一軒家を旧御飯本部に借りる。
まず一同は奥前の林をくぐり渓流に降り立ち、
岩に衣をかけて激しく流れる清律の水に身体を沈める。
岩を枕に水布団。
そのまま空を仰げば両眼高く迫り、
緑樹互いに交差して蝉の声雨のごとく、
わずかな青空を白雲が悠々と拒来する。
ああ、我生きてあり、我生きてあり。
私は戦地で読んだ。
今日もまた生き残りたる魂の王の
生命尊く思ほゆるかも。
お、思い出し幾度も読んだ。
水から上がって吹きながら見て驚いた。
右半身は小さなガラス傷が数えたくもないほどである。
気がついてみるとどれも痛い。
医療活動の苦闘
血まみれの衣を洗い、それを岩の上に広げて乾くまで緑院に眠る。
初めて熟睡の甲斐を味わった。
目が覚めてみると看護婦たちも軽い息をかいている。
ずいぶん疲れているらしい。
夕方から巡回診療、個別訪問をする。
町内会長の若村さんを訪ねたら、まず本人が重傷で寝ておられ、
どの家にどれだけの傷者が走り込んでいるか検討がつかぬというのである。
徳之丘の高見さんの家へ行ってみると、
この家には100人以上裏紙から避難してきておられます。
と、おばさんがかぼちゃを問うばかり、汗をふきふき切りながら言われる。
純真女学校の校長先生以下、たくさんの怪我人が
早起けのかやをつって寝ておられる。
次々と死んでいくので、おじさんは今日も墓掘りに朝からルーツである。
負傷者は現場からかずかれてきたきりであり、傷の手当は何もしていない。
ただ、その上をありあわせの布切れで撒いているばかり。
長崎の惨状
多くはすでに可能して、こびりついた布をひきはぐと同時に腐敗臭のある海がどろりと出る。
傷も周囲も少し手荒くクレゾールで洗い付きをめて、
傷の中を探ると大きなガラス片が入っている。
障子の産が刺さっている。コンクリートのかけらが隠れている。
慣れた私たちではあったがゾッとする。
一人でこんな傷を十も二十も持っているのだから大変だ。
一人で一番たくさんあったのは百十傷であった。
傷を洗い異物を取り除き、整形縫合し薬をつけて包帯を巻き上げるまでには
一人の患者にずいぶん時間をとられる。
熱傷も無残な姿だ。
皮膚が大きくベロリと剥げて赤い皮下組織が痛々しく現れている。
多くは顔と胸と腕とである。
顔などは化け物のように腫れ上がり、物言うのも難しい。
傷に油を塗っているのは救護演習で教えられた通りで経過も良いが、
バレーショーを吸って塗ったのや、かぼちゃを貼ったのや、粘土をかぶせたのも多くて無言らしい。
傷を消毒して六枚板の光線で御安保を命じた。
一見を済ませて畑道自体に隣へ行けば、もう蚊帳を摺っているのが見えて、ここにも怪我人がいるわいと潔たつ。
夜十時。
犬継地区を全部見て回り、間無性を戒めながら山道を藤の丘の本部へ帰る。
草はすでに梅雨に湿り、チンチロ林が茎を隔てて鳴きあっている。
北斗はいつしか傾き、三つ山の上に大きくサソリ星が伸び上がっている。
昨夜、焼け跡の防空壕から仰いだアンタレスは、
不吉な赤さで白頭していたが、今夜この平静な景観から臨めば何か下に沁みたい気を起こさせる。
誰もが黙って歩いている。死んだ友も一人一人懐かしい。
生き残ってこうして一本の畑道を行く友も一人一人愛しい。
私は再び首を上げて、遥かに低い乙女星を探した。
青い澄んだそのつつましい光に向かって、美しく死んだ看護婦たちの冥福を祈りたかったから。
13日、今日もカラリと晴れて暑い。
6時、下の軽利に降りて顔を洗い、そのまま六間板地区に行く。
この日、六間板、赤水、トッポ水、踊り瀬の四地区。
工程8キロの予定だから、朝飯前に一地区を済まそうと思って行ったのだったが、来てみると怪我人は意外に多く。
救護班の北の夫妻機、次から次と集まってきてとうとう10時までかかる。
徳之丘の松下さんの家では、いつの間にか朝ごはんの支度を整えてくださっていて、私たちが手を洗い終わったらどうぞこちらへと言われて、驚いたり恐縮したりだった。
畳の上に座り、お経事されて白く有形の立つご飯を手にしたら、思わず涙がこぼれた。
生きてあればこそ、生きてあればこそ。
さあさあ、元気を出して村中を助けてもらわねばなりませんから、うんとお上がりくださいよ。
朝飯と昼飯と二度分詰めておいてなさい。上手に勧められ、一度しみじみ美味しくいただいてここを落ちす。
明水地区を終わって出ようとするとすごい爆音だ。じっと湯掛けにくっついている。
ピカッと光ったらおしまいだ。光るなよ、光るなよ、と祈っている。
これまでの爆弾や機械操作なら油断さえしておらなければまず大丈夫だが、今度のピカドンだけは全く対策がないのだ。
いつどこでピカッとやるか予想ができない。
光ったら最後、幾キロ平方内の生きとし生ける者はやられてしまう。神経質にならざるを得ない。
爆音遠ざかる。
一度路上に現れる。警戒口群一律になって道の一側、路上に影を落とさぬ方を通る。
私たちは皆家を焼かれ寄宿舎を焼かれ、住むところも着るものも背負うしてくれる憎しみをも失った者ばかり。
廃墟から出てきたままのみじめな姿で巡回診療をしているのである。
知らぬ人が見て、どうしてこれが教授、女教授以下、大学の一教室と認めるであろうか。
包帯をぐるぐる頭に巻いて、それに今日、新しい血の滲んでいる者、足の怪我で苦労しながら歩いている者、胸を打たれてまだ呼吸の深くされない者、
放射線障害で走白な者、眼鏡を失って足元のおぼつかない者、
竹杖をついている。
友の肩に支えられている。
手を引いてもらっている。
ゾリを履いている。
杉下駄を引っ掛けている。
ゴム長靴をダブダブ鳴らしている。
血のついた紋兵、裂けたシャツ、着られたズボン、蜂巻き、ほっかむり、鉄かぶと、それに偽装の青草を刺して。
哀れじゃのう。
長老が唸る。
世が世であれば。
長井君がため息をつく。
これはまさしく灰山の兵である。
しかしながら以前大学の一地教室である。
あくまでも森林探究の一念に燃え、
初人久後の悲願を立ててかかる肉体をもって灼熱の中、爆音の下。
長者を探して歩み行く私たちは以前大学の一教室である。
森林探究こそは我が生命。
これさえ熱烈ならば外観のみじみさなどは問題ではない。
原子は初めて人類の頭上に破裂した。
いかなる症状を弱気するか。
今私たちが診察している患者こそは
医学史における全く新しい資料なのである。
これを見逃すことは単に事故の怠慢に留まらず
貴重な研究を放棄することになり
科学者として許すべからずあるところである。
私たち自身もまたすでに原子病発生の兆候を自ら感じているから
安静をたまらずこうして歩き回れば
あるいは症状を増大して死に至るか。
至らぬまでも奇特に陥るかもしれないが
しかもなお学問的良心は私の身体を交付し
患者を見よう。正確に観察し実態を把握せよ。
そして良き療法を考察せよと激励してやまない。
実験機械はなく検査用具もない。
紙も持たねば鉛筆も失っている。
わずかにメスとピンセットと包合割れと
幾百箱の消毒薬と包帯材料が
足の刃で編んだ買い出し箱に入っているばかり。
しかし我に頭の上がり目があり手が備わっている。
私たちは何者かを取るであろう。
爆音ちかし伏せろ。
がばと伏せる鈴木の中むっとする臭い息で
蟻が慌ただしく目の前の鈴木の葉を登って行く。
頭上通過。出発。
ヨロヨロと路上に立ち入れて急ぐ。
火はカンカン煮たたきを照らしつける。
また爆弾。戦闘機。向こうの岩陰まで走れ。
薬瓶は割るな。後がないぞ。
退避したり走ったり疲れて木陰に休んだり
時計を見てこうしてはおられぬと立ち上がって
豆のため踏みつけるたびに痛い足跡にひやひやして
小石路を歩いたり
一つの地区から次の地区へ移るのにも意外に暇取って
体も疲れるが気力も疲れた。
患者は予想の5倍もいた。どの家にもいた。
どこの人かわからぬが走り込んで倒れたなりなので
解放していますというのもある。
家のない竹矢部の中にむしろを張って転がっているものもある。
包帯材料はなくなった。
府長さんと椿山君とかニリのやけ道を大学まで補給に行く。
今度ピカドンが来たら永遠のお別れだね。
と冗談とも真剣ともつかぬ挨拶を交わして谷を下って行ったが
夕方元気な姿とふくれた買い出しかご等を
首を長くして待っている私たちの前に現した。
大石看護婦も来た。
大石君は兄戦死の広報が来てちょうど8月9日に郷里へ帰っていたのだが
大学壊滅の悲報を聞くや
教室員を救護しようと北松浦から駆けつけてくれたのだった。
せめて先生方のお骨にでも会いたくてと言いかけ
ぼろぼろと涙を流した。
元気いっぱいな大石君が加わったので仕事は活気づいて
夜の10時まで予定の地区を終わり
富士の帰りについて色に火を焚き
バレーショとカボチャを煮る。
囲炉裏を囲んで今日見た患者の病状を検討する。
もうすでに奇特な放射線障害がまず消化器に現れたように思われる。
口の周囲に脳方針ができ
困難炎を起こしてきた患者がどうも今までに見たことのない初見である。
活発アルロン栓が囲炉裏にホタを織りくべながら展開されているうちに
いつしかカボチャとバレーショは美味しそうな湯気を吹き始めていた。
14日 阿勢別島 河床 富田 小谷の初地区 高低9キロ
道は幼鳥の小道とまで行かないが
山腹を登り谷間に下り点々と存在する家を繋ぐ。
あんな高い山の上の一軒家へと足を思わずためらうが
しかしあの家に貴重な奨励がもしあるとしたら見逃すことが許されるものかと
杖を持つ手に力を込めて一歩一歩登って行く。
行けば喜ぶ家族の騒ぎ
怪我人は
ああ、お医者様が見てくださるからきっと助かる
と自分で不自由な手を動かして包帯を解き始める。
台所のレア早速トントントンとキュウリを刻む音がする。
手当が済んだらお茶のご馳走が出るだろう。
大事な学問のために患者を助けるために
家族の喜ぶ様が嬉しさに
地区から地区への巡礼のように歩いたが
さすがに夕日の赤く差す頃には
空腹と疲労と頭痛とで皆はすっかり下手張ってしまった。
二人ずつ手を繋いでもう口を聞くものもなく
黄昏の山路を帰る。
ブーッといきなり長老が一発発射した。
府長さんが
アハハハハと笑って走り出した。
まあひどいわ、と桃雨ちゃんが言う。
我慢我慢、ロケット推進機体
と長老が子供投げに片付け
この勢いで前進するんだとまた発射した。
今度はあまり音が良くない。
火酸化水素が不純だな
長居くんが冷やかした。
製造機はまだ大丈夫なんだが原料不足だから。
応酬ごとに一笑いして道はいつしかはかとっていた。
夕月が淡くかかっている。
日暮れて道遠く。
清木教授が独り言を言った。
その時、さっきから具合の悪かった私の右足が痙攣を起こした。
私はどたりと道の上にひっくり返った。
皆集まって盛んにマッサージをやってくれる。
月は次第に傾き
あたりはいよいよ暗くなった。
人は通らない。
藤の尾まであと3キロ。
30分もしたら筋肉は柔らかくほぐれた。
私は豆ちゃんの肩に支えられて
コトリコトリと帆を運ぶ。
1キロ行ったら豆ちゃんが弱り込んでしまった。
そこで豆ちゃんを松ちゃんと大石くんが腕組みして助け
私は長老におぶさった。
高見さんの家まで一度やっとたどり着いて一息入れる。
おばさんが
まあまあ今夜遅くまでと言いながらすぐに夕飯を並べてくださった。
もう遠慮などできる犬婦ではなかった。
むせたりせき込んだりまるで子犬のように
ご飯とかばちゃとバレーショと梅干しと口の中に投げ込んだ。
15日
聖母飛翔天の祝日で
騎馬天守と現在の三山教会では創業のミサが立てられていたが
爆音がすでに空をかすめていたので式は途中で中止となり
戦後の希望
清水神父様は生態を急いで裏の防空壕に放射した。
私たちはそれからすぐに犬継地区の治療に取り掛かった。
今日はいよいよ体力の尽き果てた感じで
どうかすると私たちが一番重傷者じゃないかしら。
患者はこんなにしゃべるのに私たちは返事一つするのさえ考えるほどだ。
死にゆく人は相続く。
今日あたりが怪我人の峠のようだ。
戦争だがんばれと互いに励まし合って働く。
朝早く大学本部へ食料補給に出かけて行った長老が
まだ夕方早くあたふたと帰ってきた。
米の袋と味噌の包みと缶詰とは大いに歓迎するところではあったが
その後で口から出した情報こそは
戦争は済んだらしい。
それで条件は?
無条件降伏。ポーツダム宣言全面受託。
一度目前。
嘘だろう?
私が言った。
市内は大混乱です。
嘘だと言い張るものと本当だというものと。
正午に重大放送がありました。
ガーガーなってよく聞き取れなかったけど
チンはとかチンガーという身言葉がちょいちょい混じっていたので
あれは陛下ご自身のお声だという人もあり
そうかと思うと憲兵隊がトラックで支柱を乗り回して
正午のは敵側のデマ放送だから信ずるな
戦争の影響
あくまで本土決戦だと怒鳴ったりわけがわからんのです。
戦争が済んだと話をして
片側にいた青年から叩かれた人も相当多いようです。
みんな不機嫌になって黙り込んで傷に向かう。
本当だろう?いや嘘だろう?
デマに違いない?いやひょっとしたら真実だ。
頭の中を車が回るようだ。
治療終わった手を洗ったが今日もまた10時。
長老が担いできた缶詰で簡単な夕飯をしたためる。
腹は空いていたがうまくない。
16日。
次元原子爆弾が落ちてきた。
小さなウラニウム弾だった。
時計仕掛けになっていたのでカッチカッチとなっている。
あと5分経ったら爆発するんだ。
しかもここに落ちていることを誰も知らない。
私は焦った。これを退治せねばならん。
幸い手に竹槍を持っていた。
これで私はえいと叫んでついてみた。
竹槍は何の手応えもなくぐにゃりと折れた。
横に竹槍が並べてある。
それを取ってはつき取ってはつくが原子爆弾は頑固なやつでぐにゃぐにゃと竹槍を曲げてしまう。
私はいよいよイライラしてえいやえいやとつく。
呼吸が苦しくなり汗がじっとりしてきた。
爆弾はまさに爆発戦とする。
私はもう恐怖のどん底に突き落とされた。
ガラガラっと轟音がした。
ピカッと光った。
カッと顔に光線が当たった。
私はやられたと叫んだ。
部長先生、部長先生、どうなされました?
部長さんの顔が私の見開いた目の前にあった。
まめちゃんがいま雨戸を開けたところで私の顔に朝日がさしている。
まあ、熱がある。
部長さんが私の額に手を当ててみて、手ぬぐいで汗をふいてくれた。
起きようとして私はめまいを感じ、さらに右足が痛んで動かせぬのに気づいた。
部長さんは足を調べていたが、
まあ、傷がみんな可能しています。
なぜこんなになるまで黙っていらっしゃいました?
と責めた。
戦争だものと私もおまけずに答えはしたものの、
今日は起きることもできん。
みんなは私の傷の手当てをしたり、注射をしてくれたりして川平の方へ出て行った。
椿山君が正確な情報を得るために支柱へ下った。
私は一人唸りながらウトウトと留守役。
部長先生。
椿山君が帰ってきていた。
暗い顔をして一枚の新聞紙を私に渡す。
私は受け取りながらちらっと見てしまった。
見るべからざれし文字を。
この数年この文字を見ることなかれと戦い続けてきた文字を。
終戦の声談下る。
日本破れたり。
わっと声を立てて私は泣き出していた。
涙はあふれて耳をふさいだ。
二十分三十分私は子供のように泣き続ける。
涙は枯れたがやっぱりむせび泣きをしていた。
椿山君も畳にすっぽしたまま肩を震わして泣いている。
夕方早く救護に出た仲間が帰ってきた。
その顔を見たらまたわっと私は泣き出してしまった。
みんな手と手を取り合って泣く。
いつまでもいつまでも。
日が落ち月が射しても泣き止まない。
そのまま飯も炊かず茶も飲まず何も考えず何も言わず。
牛乳のように白く濁った頭を涙の海に沈めて泣き続けた果てに
昼の疲れがどっと出て眠りに落ちてしまっていた。
十七日
苦に破れて惨があり。
障子を開けて山に向かう。
椿山は大全としてもとのごとく白雲巨大するのさえ気にせぬ。
冷庫清水また一片の雲か。
深刻不滅の不動の信念は一瞬に崩れ去って
夏晴れの朝、空欲しいままに米国旗の徴領に委ねるのみ。
グラマンが来る。ロッキードが来る。
みんな低空低速ゆゆゆと見物して回っている。
B29のあっと玉蹴るほどの図体が椿山それぞれに飛び去った。
もう戦争は済んだのだ。
私たちは負けたのだ。
今日は何もせず寝て暮らそうやと朝飯を終わると
みんなはゴロゴロ転がって雲を見森を見飛行機を見ていた。
全く何をする気にもなれん。
茶碗も皿もそのままいろいろの旗に並んでいる。
患者から迎えが来た。
国敗れて何の患者ぞや。
今日は一億が泣いているのだ。
一人や二人の患者の生死が問題になるものか。
そんな患者を助けたところで今更日本が立ち上がるものじゃなし。
断れ断れとばかり過ぎなく断ってしまう。
今日はみんなムカムカして何かあれば喧嘩を吹きかけたくなっている。
使いの者はああそうですかと力なく言い過ごすこと帰って行った。
私は寝転んだままそのさむざむとした後ろ姿が
明河畑の中を遠ざかっていくのをじっと見送っていた。
私はむっくり起き直り
まめちゃんに今の使いの人を呼び返してくるように頼んだ。
心機は一転した。
一人の尊い生命をこそ片付けねばならん。
国は敗れた。しかし勝者は生きている。
戦争は済んだ。
しかし医療救護班の仕事は残っている。
日本は滅んだ。しかし医学は存在している。
私たちの仕事はこれからではないか。
国家の攻防とは関係のない個人の政治こそ私たちの本務である。
敵味方の区別は本来石十字にはないのである。
日本が個人の生命をあまりに簡単に粗末に取り扱ったからこんなみじめな目にあったのではないか。
個人の生命を尊重しここに私の立場をつくる一つの組織があるのではあるまいか。
勝つために負傷したはずだったのに今は負けるために負傷したことになっているこの人々こそ
最も残酷な悲惨の淵に投げ込まれたのである。
これを慰め、救い上げる者は我々を置いて他にない。
皆ただざんばと言いながら私はヨロヨロと立ち上がる。
さらば、我もと皆立ち上がる。
敵は再び私たちの間に満ちてきて顔面皮膚の自ら緊張する。
戦争だ。何が何でも理屈なしに頑張れと仕入れられて働くのではない。
この一人の生命を救う者は我の他にあらずと自ら進んで出てきたのである。
後退はもちろん疲れた上に疲れ、手当は怠らぬとは言うものの傷の痛みは一歩ごとに応える。
青い星のマークも鮮やかに戦闘機が頭上をかすめる。
しかし今日は何のことも起こらぬ。
私たちは大きな塊となって道を行きながら、
米国機の通るたびに一種の張り合い抜けを感じた。
18日には連合軍上陸。
扶助士避難のデマが飛び、火災を持った日本人が狼狽して走る。
哀れとも滑稽とも形容のしようのない状態を見せた。
その後幾週間、降伏後の混乱はいろいろな形をとって私たちの周囲に渦を巻いた。
しかし私たちは天外無一物、奪われるべき何ものをも持たず、
ただ救うべき多くの傷病人を抱えていたのであったから、
一途に巡回侵略を続けていた。
東海より朝日差すところ、朝雲高くそびゆる富岳をもって象徴すられた日本は滅亡した。
大和民族は最低の奈落に突き落とされた。
私たちは生きて恥をかくばかりである。
原子爆弾にこの世を去った友らこそ幸いになるかな。
医療の重要性
私たちの内的苦悩は深かった。
毎日夕飯終わってから月明るき夜は園に出て、
雨が瀬戸の沙残下に音をたてる夜は、
囲炉裏の旗でしみじみと語り、また勢い込んで論じた。
我らの道どこにありやと。
しかしヒーローは世の混乱に徴然として、
相変わらず一人の生命を問題として神廟に先進した。
恐るべき原子病は相次いで私たちの患者の中に、
また元気だった難民の間に、そして私たち自身にも発言した。
そのある症状はかねての放射線実験から予想されたところであって、
むしろ我らの予測の適中を誇りたい気さえ起こさせたが、
ある症状のごときは胃臓害の時期に忽然多発して我々を押して困惑せしめた。
私たちは核のごとくして、
10月8日までの2ヶ月間三重山救護班を開設していたのである。
敗因は次々と病床に倒れた。
原子爆弾症と過労と栄養不足とは私たちの体力を極度に消耗せしめた。
伏瀬先生は白血球が2分の1になってしまった。
森内君はいつ血パンを生じた。
府長さんは怪我抜けた。
倒れた者は唸って留睡していた。
神廟から帰った友が徹夜で看病してくれて、
夜が明ければまた灼熱の谷道を、
1日平均8キロの工程を相変わらず家から家、
地区から地区へ巡回するのだった。
伏瀬いた者がようやく回復して起き上がる頃には、
看護した友の方が熱を出して倒れた。
いたわり、いたわられ。
注射をしてやり、してもらい。
咽喉が渇くといえば遠い谷間からいわし水を汲んでくる。
ご飯がうまくないと聞けば、
関係でくれた2つの山梨をポケットへ入れて帰る。
注射薬を探しに往復6里の山道を長崎まで出かける。
私は9月20日に奇徳となり、完全に絶望状態に陥った。
原子病が発現し、高熱が1週間ばかり続いたが、
飛びたという山の上の集落から往診を求めてやまず、
行ったら死ぬだろうとは知っていたけれども、
無名の一市民のために捧げてこそ真の生命の犠牲だろうと思い直し、
出かけては見た者の足がかなわず、
途中川床集落の純真修道会の豪車で休ませてもらい、
院長さんから、
知らん知らん、そんな無理ばかりして、
とたしなめられ、やっとのことで往診だけ済ませ、
遅く遅く家にたどり着くなり、どっと床に伏して、
それからは石を谷間に蹴落とすように病勢が進んだのだった。
苦しい昏睡からふと正気に帰ってみると、呼吸がおかしい。
われと我が呼吸を聞いてみると、シェーンストーク方ではないか。
臨終数時間前から始まる特別な呼吸。
私は、シェーンストークね、と言った。
枕元に座っていたのは富田先生だった。
元教室で研究中、応勝されたのだったが、
いつのまにか来てくださっていた。
先生は困った顔をして、はあ、と言われた。
どういうところ、先生、すみません、と私は手を伸ばした。
森田府長さんの顔が見えた。
先生、大丈夫ですから、じっとしていらっしゃいよ、
と府長さんが力強く言って腕に注射してくれた。
この痛さから考えるとコラミンらしい。
それならば魅惑も弱いのだろう。
胸の中で空射が回るような心細い苦悶がある。
しかし、府長さんが大丈夫と言ってくれたから大丈夫だろう。
首も動かせず、目も開きかねるが、
なんだか大勢の人が集まってひそひそ話をしたり、
ざわざわ立ち騒いでいるような気配がする。
ふすい先生は?
私は何か気が弱くなって尋ねた。
府長さんが、今ちょっとお留守、すぐお帰りです、と答えた。
そう、と私はいい、それなりまたも渾水に陥った。
ふすい先生はかもとき、私を助けたい一心から、
小屋の教授を尋ね、長教授を問い、
影浦、教授に肯定、あらゆる知恵と薬品等をいただくべく、
朝から夕方まで走り回っておられたのである。
私の症状をちくいち聞いて、
園先生もそれならもう絶望だと申されたそうである。
渾水に陥っている私の知らない間に、
多くの友が駆けつけ走り回り、
私のこの一人の生命を助けるために、
大いなる犠牲を捧げてくれているのだった。
だが神父様が置いてくださった。
私は最後の覚悟をした。
そして、まったくいつ死んでもよい状態になった。
渾水から覚めてみると、それは午後のようだった。
私の友は皆枕元にいた。
私は嬉しかった。
今度痙攣が起きたらおしまい。
そう知っていた。
奇跡の回復
心臓はもう苦しがっていた。
障子が開けてあった。
三味一体を象徴する三山は大全としている。
空はもう初秋らしく澄み渡っている。
ひかりつつ秋雲高く木へにけり。
私は二度言い残し、そのまま最後の渾水に落ちていった。
それから一週間後、
私が既得状態から脱出したとき、
これを奇跡と認めぬ者はいなかった。
私たちを結んでいた友情はいかに深いものであったろうか。
夜はカンテラに火を灯して、
虫の巣抱くこの一軒家に、
亡き友の冥福を祈るのだった。
高見さんからトンゴガキをいただけば、
井上くんのくるくる目を思い出し、
原田さんが珍珠菜のお餅を下されば浜くんを忍び、
籠屋のおばさんが宝月を礼前に備えてくだされば、
山下くんの赤い花が目に浮かび、
松下さんからお芋をもらえば、
親木くんや吉田くんが
あの時畑に行かなければよかったにと悔やまれ、
藤本くんや片岡くんや小笹くんが
一緒に私たちとこうして食べているのなら、
どんなにか嬉しいだろうとつい涙ぐむ。
放射線の影響
原子病
原子崩壊の際に発生する
放射線の生物災に及ばす作用については、
過去においてすでに各種動物実験や
臨床経験によって明らかとなっている点が多い。
大量の放射線を短時間照射した場合と
少量を長い月日に渡って与えた時とでは
反応は異なるが、
とにかく放射線は生体組織細胞に対し
破壊作用を及ばすもので、
その結果組織は対抗変性を起こしてくる。
ただし変化が現れるのは即時ではなく、
それぞれ臓器によって異なる一定の潜伏期間がある。
だから放射線を受けた時は
何の苦痛も障害もなくても、
後日症状が現れる。
しかも放射線が体内に加入する時には
神経を刺激しないので、
本人は気がついていないわけで、
症状が現れて初めて
放射線を受けたことを知るのである。
放射線に対して抵抗の強い臓器と
鋭敏に変化する臓器とがある。
最も弱い、すなわち著しく障害されるのは
骨髄、リンパ腺、生殖腺である。
骨髄は血球を製造する器官であるから
ここがやられると血球ができなくなり、
白血球や赤血球の減少が起こる。
障害の程度がひどいと骨髄が変性してしまい、
その結果、また未完成の血球を
どしどし血液中に送り出すようになり、
異常白血球が増して白血病になる。
少量ずつ長期放射線を照射される場合、
特に白血病が起こりやすい。
リンパ腺で変化のよく見られるのは
例えば扁桃腺で、これが
エシに陥ることが多い。
生殖腺に障害が起こり、
性欲喪失、性中欠乏、
無月経、不妊などを見る。
硫酸、既経児等も見られることがある。
小草も小さくなる。
次に弱いのは粘膜であって充血し、
炎症症状を呈し、ひどいときには海洋を作る。
例えば消化器粘膜では
口内炎、胃炎、腸炎が起こり、
セキリによく似た下痢をする。
それから毛根乳等も侵されて脱毛する。
しかしこれは回復するものである。
肺は肺炎を起こし、
腎臓は萎縮の臓を呈する。
腹腎が侵されると皮膚が薄黒くなってくる。
全身症状としては、
照射後数時間にして発生する放射線蓄水があり、
これは数日間続け。
同じ照射を受けても、
若い者ほど著しい障害を受ける。
若い人は死んでも老人は生き残るということがある。
放射線にはそれぞれ一定の致死量がある。
しかし障害が現れるのには
細胞それぞれ一定の扇風機があるのだから
即死ということは起こらない。
致死量以上の症者を受けた者は
どんな手当をしても助からない。
大量であればあるほど症状が激烈で
早期に死亡してしまう。
原子爆弾の原子病は
果たしてどんな症状を呈したかというと
大体以上薬器した
過去の放射線医学の知識に一致するものであった。
原子爆弾の場合に作用した放射線は
爆発時に大量飛来した中性子とガンマ線と
その後長く爆心地から風しも
すなわち東方地区に残留した放射能とであって
その作用には厳密に言えばそれぞれ差異があるのだが
一番強力だったのは中性子であり
微弱ではあるが厄介なのは残留放射能。
すなわち75年生息不納節の本体である。
世間でガスを吸ったとか爆風にあったとかいうのは
実はこの放射線によるものであって
病は口寄り入るものとのみ思っているから
そんな解釈をするのであるが
放射線は全身どこからでも平気で体内へ侵入して
防衛をたくましゅうするのだ。
原子爆弾の原子病をその発現の時期に従って述べてみよう。
まず被爆後3時間くらいしてから
放射縮水が感じられ
24時間後が最高で後次第に警戒していった。
第3日目頃から消化器障害が現れ
多くは1週間後くらいに死亡した。
軽度のものでは下痢が長くみられた。
第2週に出血を見たものが現れた。
これは血液障害で多くは死亡した。
第4週に白血球減少に伴う重篤な症状が現れ
多くは死亡した。
脱毛は第3週頃からみられた。
生殖栓障害は初期から10週以上続いていた。
小児はすべて大人より早く発現して症状も重かった。
さて現在なお爆心地には少量の放射能があり
住民の白血球は増加している。
重要な所見だけ述べてみよう。
縮水については原子爆弾症のところで述べておいた。
消化器障害については全く動物実験の結果と一致していて
粘膜の充血性ないし海洋性炎症である。
爆心1キロ以内の東海化屋内に埋没されていたのを救い出され
救死に一生を得て喜んでいる人々が
第3日頃に行進周囲に大豆剤の濃縫針を生じ
翌日から口内炎ができ
口痛のために飲食困難となり発熱した。
さらにその翌日には食欲不振
腹痛、下痢等の胃腸炎の症状が起こった。
下痢は初め水溶であるが
次第に粘液を根治
後には粘血弁となった。
爆心地の現状
理急口中があり
体温は40度以上に上り
石切りと謝られたこともあった。
全身衰弱著しく
1週間内し10日で死亡した。
軽症の者はただ下痢、食欲不振を訴えた。
残留放射能によるものもあって
被爆後10日間ぐらいは裏髪を通過しただけで
下痢を起こすという話さえあった。
出血死は第2週に少数例が観察された。
突然実血、凸血、下血、
早生再出血を起こして死亡した。
これは管流血液中の血小板が破壊され
出血性素胃を生じたものと思われる。
ウサギでの実験がある。
朝には終霊を覚える9月に入ると
降伏後の混乱も自ら静まり
患者も大抵助かるめどがついてほっとした。
ところが5日頃、すなわち被爆後第4週に入りや
突如重篤な白血球障害が現れ
死亡者属出し一堂を恐怖の底に叩き込んだ。
1キロ内外の距離にあって
多くは家の中などにいて何の損傷も受けず
その後軽い下痢くらいはあったが
元気で他の人の看護や
焼き跡整理に立ち働いていた人々が
全身倦怠、皮膚蒼白の全苦症をもって発病し
体温は40℃以上に上昇し
そのまま痙攣し、肛内炎を起こし
子宮開陽ができ、後それは餌食し
口頭疑膜、開陽性扁桃腺炎を弱気し
飲食不能となる。
皮膚に点々小豆色の一血犯を生ずる。
はじめ苦感、常爆に現れ後には代替に多発する。
その大きさは止め針頭台から
米粒台なし小豆台に及び
時に指頭台に拡大するものもある。
頭痛、創用は伴わない。
発血器は著しく減少し
2,000以下になった者はほとんど助からなかった。
その経過は本場のごとく
平均周症9家で死亡した。
珍しい例は関節障害で
爆裂時に放射線を受けた草木のうち
2キロないし7キロの者は赤く焼け枯れ
また爆裂後に降った大粒の雨の付着した草の葉は枯れた。
爆撃の翌日、川平地区で2人の農民が
この枯れたかやを買って担いで帰ったところ
その翌日、草の当たった両手両足及び肩に痒い
紅色の球芯を生じ、それはかぶれに似ていて
数日で治った。
爆心地の残留放射能の影響はどうであるか。
爆裂当時裏紙にいないでならなら損傷を受けず
いわゆるピカを受けていない人々が
爆心に居住してどんな症状を現したか。
これを調べるために私は10月で三山急行班を閉鎖すると
爆心地上野町に豪車を建てて
その中での生活を始め、周囲を注意深く観察しつつ
今日に及んでいる。
爆撃直後には爆心には著名な放射能が証明された。
その放射源となったものは原子分割によってできた
新しい原子であって、初めは空に爆発雲として浮かんでいたが
次第に地上に沈降したものである。
これは個々としては目に見えぬ人海である。
ウラニウムの分割の際には放射性バリウムや
ストロンチウムができるはずである。
また原子爆発の際の強力な放射線によって
地上物体の原子が崩壊せしめられ
一時性に放射能を獲得したものもあるかもしれない。
これらの放射性物質は
いずれも次第に原子内の安定を回復して放射能を失う。
また溝に流れ去るものもあって
爆心地帯の放射線量は日を追って減弱していった。
しかし1年後の現在でも
依然少量は残留して
微弱ながら放射線の放出を続けている。
そんなわけであるから
人体に及ばした影響も初期ほど激甚であった。
この上野町は爆発点より600メートルの近距離にあって
当時現場にいた住民は
防空壕の奥深く潜んでいた一人の子供を除いて
全部死亡したところ。
灰と瓦礫の町である。
ここで爆裂直後3週間以内に
豪車住まいを始めた人々には
重い宿水状態が起こり
それが1ヶ月以上も続いた。
また重い下痢にかかって苦しんだ。
特に焼けた家を片付けるため
灰を掘ったり瓦を運んだり
また死体の処理に当たった人の症状は
甚だしかった。
症状はラジウム大量照射を受けた患者の起こすものに似ており
確かに放射線の大量連続全身照射の結果であった。
1ヶ月以上から居住を始めた人の症状は軽かったが
やはり宿水と消化器障害が見られた。
蚊やのみの差し跡や小さい傷が可能しやすく
白血球の程度の減少があるらしかった。
3ヶ月後からは
もう著名な障害は起こらないようになった。
住民はどんどん家を建てて居住を開始した。
それは福音者と疎開者と引き上げ者とが主である。
ところが白血球を調べてみると
居住開始後1ヶ月進むと異常な増加を示し
平常数の倍になる。
これは微量放射線の連続全身照射に見られる症状である。
つまりこの都市にはごく微量の放射能が残留しているのであって
これは爆撃当時米国から注意された通りである。
しかしながら放射能の減弱速度がかなり速いから
75年くらいなどというのは嘘であり
今後そう長くは続くまいと思われる。
現在この白血球数の増した現地住民の健康状態はいかにといえば
極めて良好である。
長い間ここにいるが
寄生虫疾患を除いて病院にの診療を頼まれたことがない。
冬の間は雪が降り込み
氷柱の下がる吹き晒しの豪車に薄い排球毛布をかぶって寝ていながら
肺炎はおるか寒冒にもかからなかったし
最近では早症を受けても可能もしない。
あたかもラジウム温泉地の住民みたいである。
生殖性障害はどうかと思っているが
妊娠率は幾分減っているように見えるけれども
やはり妊娠する若嫁があり
リュウザンの話も聞かず
起刑時は生まれていない。
将来どうなるかという点については
軽々しく判定はできないが
私はかなり楽観的で
会う日とごとに焼け跡に帰って
家を建てようと進めている。
原子爆弾熱症の影響
私たちが今最も心配しているのは
熱症ハンコンの運命である。
この熱症は単に熱による皮膚障害のほかに
中性子とガンマ腺等を同時に受けているのであって
普通の火傷とは著しく違う。
普通の火傷でも体質によっては
ハンコン快速種を形成する場合があるが
原子爆弾熱症のハンコンは
ほとんど全部が快速種を形成した。
長崎市内を歩いていると
顔や手などが桃色に盛り上がり
テラテラ光り
引きつっているこのハンコン快速種を
見受けるであろう。
放射線症を受けた皮膚で
ハンコン快速種を形成し
それが痒いものだから
かいたりなどし続けると数年後に痒いようとなり
さらに何十年後かの後には
ガンになることは
ラジウムやX線でしばしば経験された。
原子爆弾熱症のハンコンから
ガンが生じるか否か
これは将来に残された重大な問題である。
ハンコンのある人は
いくら痒くてもかかるように
風呂から上がった後で
新しい治療法の導入
手ぬぐいでこすらぬように
むやみに媒薬などをつけるようにせねばならない。
原子病療法
粛清にはビタミンBと
ブドウ等の注射がよく効く。
熱症に対しては抗戦療法が
卓越していた。
私たちは患者を2軍に分け
第1軍は抗戦療法
第2軍は対象として普通の
薬物療法を施し経過を見た。
治療するまでの平均日数が
前者は24日で
後者は38日だった。
すなわち6枚板抗戦浴をしたものは
死ないものよりも平均2週間早く
治った。
この抗戦浴は外傷にも有効で
私自身も主としてこの泉の恩恵に
よくした。まことに抗戦こそは
天然に与えられた薬局である。
原子病患者に対し
私たちが初めて施した療法に
自家血液刺激療法がある。
これは速やかに
広く伝えられ、各医科で
推施をしてもらった。
私たちは特別に効力があったと思っているが
推施医科所見の
経験批判はまちまちであった。
特に危機深いなかは
決定されないけれども、少なくとも
自覚的には確かに良いとは言っていただいた。
もちろんこの療法は
他の疾患に対して既に経験済みの
療法であるが、原子病に対しては
9月10日に
伏瀬先生が最初に試みたものであった。
9月初頭に
皮下一血犯、高熱、死痕、
エシ、陰燈回養などの
初症状を持つ重篤な患者が
多数突発したので、私たちは
排血症じゃないか、
新しい急性伝染病じゃないか、
などと疑い、対象療法を
施しつつ、詳細に観察しているうちに、
血液疾患中の
下流細胞欠乏症に告示しているのに
気づき、初めて骨髄が
放射線に侵されたため、
白血球減少を期待した結果と分かった。
2人、3人と患者が死んでいった。
伏瀬先生をはじめ
一同は不眠不休で看病すると同時に、
頭脳を絞って療法の発見に努めた。
そして、理論的に
自我血液刺激療法が有効だとの
患者の血液を2リッポーセンチ取り、
これをそのまま患者の
電筋肉に注射するものである。
結果は良好であった。
瀕死の患者がみんな助かった。
これをはじめてから
一人も死なないようになった。
栄養食としては
肝臓野菜食療法を実施した。
どんな動物でいいから肝臓を取って
なるべく生で、あるいは
軽く焼いて与え、また新鮮な生野菜を
うんと食わせた。
これは極めて有効であった。
酒は良い薬であった。
戦後の現状と感情
奇特に陥って最後に好きな酒を
十分飲んだら良くなった例がある。
自宅整容は
結果から見て良い影響を与えた。
あんな混乱の際に救護所に詰め込まれて
遠慮がちな明け暮れを送るよりも
気楽な自宅で
親切な大勢の肉親から
看病してもらう方が
どれほど患者の安静になるか計り知れない。
ただ、私たち救護班としては
毎日巡回するのが大変な負担だった。
どこからも一線も
助けを頂かないのだから
せめて下隣と看護婦に渡してやりたかった。
業者の客
大学は最高と決定し
新校全国民学校で
診療と研究を始めた。
僅かの生き残りの人々が
集まった。
私たちも三つ山の経を下って
大学に帰った。
十一月二日には大学の慰霊祭があり
八百七名の友の
冥福を祈った。
私は爆心地に近い上野町に
一坪余りのトタン小屋を作ってもらい
それに入った。
裏は石垣のままで
紙切れなど押し込むには便利だったが
雨の日は大騒ぎだった。
教室の者たちは
来るたびに家と言わずに箱と言った。
箱には客が絶えなかった。
神父様の
御厚礼を迎える日もあれば
物もらいが覗く日もあった。
米国従軍司祭が来られて
これが君の宮殿ですか
と問われた。
遠井大学から教授の訪問を受けている最中に
先輩者に
軍から贈り物ですと言って
古靴が届けられたでした。
山本君と濱里君とが
福音してきた。
二人は私の前にまず目前と座った。
一言口を切れば
涙も出そうになっていた。
先生、残念でごわした。
ご苦労でした。
わしらは
残念でたまりません。
どうしてもこの肌は
くせつ十年
必ず勝ってみせます。
あなた方は残念ですか。
そうです。
残念です。
残念とかいかんとか言うのは
勝てるはずの戦に敗れたとき
そしてまた
ここに戦力が残っている場合に用いる言葉だと思いますが
そうです。
日本はまだ負けるほど弱ってはいなかったです。
まだ十分戦力があるんです。
これはおかしい。
日本は無条件降伏をしたではありませんか。
一切の戦力を失ったと
認めて
敵の軍門に下ったではありませんか。
いや、
私自身まだ十分戦う力を持っています。
それがなおさらおかしい。
というよりむしろけしからん。
日本が負ける前になぜ
戦力を出し尽くしてしまいませんでしたか。
国家が戦力を失ったのに
個人がまだ持っている。
まるで家は破産して執行官が来て
封印を張ったのに
三難坊が自分の預金通知を隠し持っているようなもんだ。
私は戦争の間中
国家の最高命令に従い
一生懸命頑張りました。
私たちの大学も
最後まで正々堂々頑張りました。
どんな激しい空襲の中でも
赤十字精神に従って
勇敢に進み出て
勝者の救護をしました。
原子爆弾が頭上に爆裂する瞬間まで
傷ついた哀れな人々の救護に
いつどこへでも飛び出せる用意をして
しかも大学本来の任務とある
医学の研究と
尊厳していたのです。
爆撃により大学が壊滅した後でさえ
正々堂々最後まで大学を支出して
それに人事を尽くして果たした後
これを離脱したのでした。
私たちは赤い学徒が
終始一貫卑怯な態度を取らず
真剣に救護に当たったということは
たとえ日本が負け
日本の戦争目的の不正義が証明されても
それとは関係なしに
美しいものと認めていただけると思います。
そうです。
認めます。
赤い学徒が最後まで正々堂々
自己の本文を尽くし
救護という人類愛に基づく本文に準じた事実は
国家の運命と関係なく美しいものです。
そして大学は一切の力を失いました。
物的に言えば建物はあんな通り
文字通りの廃墟です。
人的に言えば大多数を死なしめ
生き残った私たちも
この通りの状態になっています。
私の家も財産も妻も
全てはなくなりました。
私は一切の力を失ったものです。
完全に力を出し尽くして
しかも負けたのです。
これがどうして残念と言われましょう。
何の遺憾があります?
私たちの現在の心境はむしろ
雨後の月みたいです。
負けて悔いなき戦でした。
そう聞けば私たちは恥ずかしい気がします。
もし私に家も財産も妻も
そのまま残っていて幸福になったのだったら
私は今どんなにか苦しいでしょう。
それこそ国家に対し
戦災同胞に対して大きな負担ではないでしょうか。
国家が滅びると同時に
私の家も亡くなり
国が破産すると同時に
私も無一物となったと思えば
悲しみの中にむしろ
清々しい気が湧いてきます。
しかし世間には
反対に戦争なりきんで
朝晩喜び騒いでいる階級がたくさんあります。
ああ、それです。
それこそ潰さねばならぬ階級です。
戦争は儲かる商売だ。
10年に1回くらい戦争があれば
千万長者になれるなどと言っているのが
この者たちです。
戦争は人間的な宣伝をする源となるでしょう。
この者たちが
若い純情な青年をそそのかして
復讐などを教え込むのです。
本当に国家を
食い物にする者たちだ。
戦争は国家にとって利益をもたらす
事業でしょうか。
勝てば利益になるでしょう。
自国の利益を
目的として始める戦争が
正義の戦いでしょうか。
さあ、神の前に正義でない戦いに
勝利のあるわけがありません。
それでも、この戦争の間
絶えず僕たちは神様に祈っていました。
特に戦の神様に。
戦の神様というのは
百日石の神様というのと同じく
神像の神様でしょう。
いいえ、日本では
昔からある神様です。
あなた方よりも
心学、哲学を知らない先祖を作り出したのですね。
自分で自分の都合のいいような
神様を作っておいて、
それに自分勝手な願いをするのだから、
まるでテルテル坊主みたいなもんだ。
そして、深刻不滅だの。
神風だのと信じていたのですからね。
巨像を相手に一人拍手
祭拝していたわけだな。
僕らの真言が
足りなかったのです。
いいえ、いくら真言があったって
相手が巨像なんだから無駄ですよ。
神像の神様じゃなくて、
真の神から恩恵をいただいている軍勢にはかないません。
日本人に大和魂になるように
日本に日本の神々があってもいいはずです。
それが武力で
押し付けなくとも
万民に信仰されるものであればね。
その思想はもう2000年も前に
ローマで批判し尽くされた
原子民的国家信仰ですよ。
神様論をやめとして、
とにかく戦争は
文明の母という言葉のある通り
科学的大進歩を
棘刺す利益はあります。
例えばこの原子爆弾のごとく。
これだけの人命、これだけの物資、
これだけの時間をかけて
これだけの人類を総動員して
理由的発明に向かわせたら
もっともっと大きな効果があります。
とにかく戦争は
利益をもたらす事業ではありません。
今度帰るとき
将校連中は何と言いました。
仕方がないから行っときは
じっと米軍の言う通りに従っておれ。
しかしいずれかは
ドイツが立ち上がったように
戦場の現実
我らは剣を取って畳んではならぬ。
その時に備えておれと言いました。
生病法は大傷の下。
そんな馬鹿な考えは捨てておしまいなさい。
いったいその将校は実戦の経験がありましたか?
いえ、内地勤務ばかりです。
そうでしょう。
そのはずです。
実戦を知らぬ将校が
自己の名誉心を満足させるために
何も知らない部下を仕立たして
戦場に駆り立てる傾向が
ありはしないでしょうか。
実戦というものは残酷なものですよ。
戦争文学を寝転んで読んでおれば
美しく勇ましくて
俺も一つ出てみようかという
自信を発生したものは
堅実にかかって発表を止められてきたのです。
吉津根の生きたには絵があります。
乃木大将には死があります。
しかし原子爆弾のどこに美がありましたろう。
あの日あの時この地に広げられた
地獄の姿というものを
君たちが一目でも見なさったら
きっと戦争をもう一度やるなどという
馬鹿馬鹿しい気を起こさぬに違いない。
これから戦争が起こることがあると仮定すると
至る所に原子爆弾が破裂するでしょう。
そうして無数の人間が
何の変哲もなく
馬鹿どんと潰されてしまうのです。
美談もなく、詩歌もなく、
絵にもならず、音楽にもならず、
文学にもならず、研究にもならず。
ただローラーで
蟻の行列を押し潰すように。
そこは一体地ならしされるだけのことです。
馬鹿馬鹿しくてやれるものじゃありません。
じゃあ
日本は負けっぱなしですか?
神の言葉に
戦争は我にあり、
我、報いうべしとあります。
地上の戦争の勝負とは別に
神の目から見て不正義の方を
神が罰し給うのみ。
復讐という問題は我々の範囲ではありません。
それじゃあ、僕らの生きていくこれからの道は何ですか?
それを発見するために私はこうして
この豪車に座って考えているのです。
なかなか見つかりません。
僕もどこかで静かに考えるかな。
山に入って考えなさい。
世の渦の中にいるとくるくる回るばかりで
ついに自分の道を見出さずに
僕だけの人間になりますよ。
青山本不動、白雲自巨雷。
私はいつもあの三つ山を仰いで
木葬を続けています。
客は
心機一転して去る。
豪車はしばらく神官となる。
5歳のカヤノが
一人喋っているのが聞こえる。
出てみると、吹き曝しの焼け跡の石の上に
瓶や皿や鏡のかけらなどを並べ、
人形の首を相手に
まんまごとをしている。
友達はみんな死んでしまった。
カヤちゃんのお家は大きかったわね。
2階があったね。
母ちゃんがいたね。
おもんじゅう作ってカヤちゃんに食べさせたわね。
お布団の中に寝たよ。
電灯もついてたね。
私はじっと立っている。
カヤノは次から次へ
思い出を喋る。
目をつむれば、我が家庭生活が
流宮のように鮮やかである。
目を開くは
玉手箱を開けるに等しく。
浦島ならねども、
一瞬香料となり、
原子屋が一切の夢を打ち壊して目に飛び込む。
のわきが吹いて
河原が泣く。
正前として市太郎さんが現れる。
足首を結んだ福音服の一長ら。
服にして着てみたら故郷は廃墟。
我が家に駆けつけてみればただ灰ばかり。
最愛の妻と
5人の子供の黒い骨が散らばっていた。
私は
もう生きる楽しみはなか。
戦争に負けて誰が楽しみを
思っとりましょう。
そりゃそうばってん。
誰に負おうてもこういうでしたい。
原子爆弾は天罰。
殺された者は
悪者だった。
生き残った者は神様からの
特別のお恵みをいただいたんだと。
それじゃ
私の家内と子供は
悪者でしたか?
さぁね、私はまるで反対の思想を持っています。
原子爆弾が裏紙に落ちたのは
大きな見せつりである。
神の恵みである。
裏紙は神に感謝を捧げねばならん。
感謝をですか?
これは
あさっての裏紙天守堂の合同層に
信者代表として読みたいと思って書いたのですが
一つ読んでみてくださいませんか?
石太郎さんは原稿を読む。
はじめは声を出して元気よく読んでいたが
いつしか黙って考え考え進む。
ぽろりと涙を落とした。
原稿には
こう書いてある。
原子爆弾合同層長寺
昭和20年
8月9日
午前10時30分頃
大本営において
戦争最高指導会議が開かれ
降伏か
後戦かを決定することになりました。
世界に
新しい平和をもたらすか
それとも人類をさらに悲惨な血の戦乱に陥れるか
運命のキロに
世界が立っていた時刻
すなわち午前11時2分
一発の原子爆弾は
我が裏紙に爆裂し
カトリック信者八仙の霊魂は
一瞬に天主の御手に召され
孟価は数時間にして
東洋の聖地を灰の廃墟と化し去ったのであります。
その日の深夜半
天主堂は突然火を発して炎上しましたが
これと全く時刻を同じようにして
大本営においては
天皇陛下が終戦の声談を下したものでございます。
8月15日
終戦の大正が発せられ
世界あまねく平和の日を迎えたのでありますが
この日は聖母の
飛翔天の大祝日にあたっておりました。
裏紙天主堂が
聖母に捧げられたものであることを
思い起こします。
これらの事件の
九式一致は果たして単なる偶然でありましょうか。
それとも天主の
妙なる節理でありましょうか。
日本の戦力にとどめを指すべき
最後の原子爆弾は
元来他の某都市に予定されてあったのが
その都市の上空は
地上に閉ざされてあったため
直接小巡爆撃ができず
突然予定を変更して
予備目標を足りし長崎に落とすこととなったのであり
しかも10日時に
雲と風とのため
軍事向上を狙ったのが
少し北方に偏って
天主堂の正面に流れ落ちたのだという話を聞きました。
もしもこれが事実であれば
米軍の飛行士は
裏紙を狙ったのではなく
神の節理によって爆弾がこの時点に
持ちこらされたものと
考えられないこともありますまい。
終戦と裏紙壊滅との間に
深い関係はありはしないか。
世界大戦争という
人類の罪悪の償いとして
日本唯一の聖地裏紙が
犠牲の祭壇に彷彿られ
燃やさるべき
清き子羊として選ばれたのではないでしょうか。
知恵の木の実を盗んだアダムの罪と
弟を殺したカインの血統を受け
伝えた人類が
同じ神の子でありながら偶像を信じ
愛の掟に背き
互いに憎しみ合い
互いに殺し合って喜んでいた
この大罪悪を終結し
平和を迎えるためには
ただ単に後悔するのみでなく
適当な犠牲を捧げて神に
お詫びをせねばならないでしょう。
神の意志と復興の道
これまで幾度も終戦の機会はあったし
全滅した年も少なくありませんでしたが
それは犠牲として
ふさわしくなかったから
神はまだこれをよしと
入れ給わなかったのでありましょう。
戦争中も永遠の平和に対する祈りを
朝夕絶やさなかった我が裏神教会こそ
神の祭壇に捧げられるべき
唯一の清き子羊では
なかったでしょうか。
そして
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
私は
汚れなき煙と燃えて天国に上り行き給いし主任司祭を始め八千の霊魂誰を思い出してもいい人ばかり
敗戦を知らず世を去り給いし人の幸いよ清き子羊として神の順境に安らう霊魂の幸いよ
それに比べて生き残った私たちの惨めさ日本は負けました裏紙は全くの廃墟です
見うる限りは灰と河原家なく衣もなく食なく畑は荒れ人は少なしぼんやり明け跡に立って空を眺めている二人あるいは三人の群れ
あの日あの時この家でなぜ一緒に死ななかったでしょうかなぜ私たちのみかような悲惨な生活をせねばならんのでしょうか
私たちは罪人だからでした今こそしみじみ斧が罪の深さを知らされます
私は償いを果たしていなかったから残されたのです
あまりにも罪の穢れの大き者のみが神の祭壇に備えられる資格なしとして選び残されたのであります
日本人がこれから歩まればならぬ敗戦国民の道は苦難と悲惨に満ちたものであり
ポツダム宣言によって課せられる賠償は誠に大きな重荷であります
この重荷を追い行くこの苦難の道こそ罪人我らに償いを果たす機会を与える希望の道ではありますまいか
福なるかな泣く人
彼らは慰めらるべければなり
私たちはこの賠償の道を正直にごまかさずに歩みゆかねばなりません
あざけられ罵られ鞭打たれ汗を流し血にまみれ上渇きつつこの道を行くとき
カルヴァリオの丘に十字架を担ぎ登りたまいしキリストは私どもに勇気をつけてくださいましょう
主与えたまい主取りたもう
主の皆は賛美せられよかし裏紙が選ばれて万歳に備えられたることを感謝いたします
この尊い犠牲によりて世界に平和が再来し日本の信仰の自由が許可されたことに感謝いたします
願わくば死せる人々の霊魂
天主のご愛臨によりて安らかに以降わんことを
アーメン
新たな希望
石太郎さんは読み終わって目をつむった
やっぱり家内と子供は地獄に行ったに違いない
しばらくして呟いた
先生そうするとわしら生き残りは何ですか
私もあなたも天国の入学試験の落題生ですな
天国の落題生
なるほど
二人は声を揃えて大きく笑った
胸の使いが降りたようだった
よっぽど勉強生には天国で家内と会うことはできませんばい
確かに戦争で死んだ人たちは正直に自分を犠牲にして働いたのですからな
わしらも負けずによほど苦しまではなりませんたい
そうですともそうですとも
世界一の原始家
この悲しい寂しいものすごい荒れた灰と河原の中に踏みとどまって
骨とともに泣きながら建設を始めようじゃありませんか
わしは罪人だから苦しんで賠償させてもらうのが何より楽しみです
祈りながら働きましょう
市太郎さんは明るい顔になって帰った
原始家のカネ
75年生息不可能説が爆撃直後伝えられたので
人々の間に焼け跡復帰を危惧する声が高かった
私たちは測定器を失っていたから
この問題の解決を得るためにやむを得ず動植物を観察することにした
3週間後爆心地松山町でアリの群れが見つかった
アリは元気であった
1ヶ月後にはミミズがたくさん見つかった
またドブネズミの走るのも見受けられた
イモの葉を食う虫が1ヶ月後には大いに繁殖した
小動物がこんな風に生息できるのだから
人類の生息はできると私たちは考えた
植物の方では爆風で吹き飛ばされた麦が速やかに至るところに目を吹いた
これは翌年普通の麦と同時に開花結実して
その実りは普通のものと大差なかった
トウモロコシも発芽した
これは冬に入って結実したがほとんど粒はつかなかった
原子爆弾の影響
アサガワはすぐツルを伸ばし小さいながら美しい花をつけた
葉には奇形が見られた
カンショはすぐツルを伸ばし葉をつけたが
イモの出来はほとんど皆無であった
名の類はみなよくできた
私は原子や生息可能説を骨髄した
ただ使用時は放射線に対して鋭敏だから
まだ連れて来ぬが良かろうとの意見を付け加えた
人が原子やに住居を作るのには四つの時期があった
豪車期、過車期、仮建築期、本建築期である
爆撃直後は防空壕の中あるいは豪雨を利用し
その入口に屋根をかけて地上地下寮生活をする豪車期で
これは一ヶ月くらい続いた
避難期とも言えるし雑居期とも言える
すなわち、家が無いためとりあえず飛び込んだ豪に
隣組単位で共同生活を営んだ
役所事務、配給などに好都合であった
多くの豪車は怪我人を抱えていた
僅かに生き残った人々が苦しき因縁を互いに感じ
乏しいものを譲り合い、共に用いて暮らしていた
この不自由極まる生活の内容は美しいものであった
この時期は傍前自失期とも言える
住民は日々の食事と死体の捜索とに時を費やし
改装しても今何をしたのか訳が分からぬ時期であった
第2月から第4月くらいまでが貨車期で
新生活準備期とも言える
人はようやく生活の目標を発見し
親族同胞の安否が分かり
死体の結末、書届、預金の整理もついて
再建第一歩を踏み出すのである
焼け残りの柱や塗炭で2坪内外の貨車を作り
大中に兄弟姉妹、あるいはいとこなどという
近い肉親が集まって相互扶助の生活を営んだ
この頃には生存の感激が薄らぎ
他人同士の共同生活では利害関係上
環状生活の危険が既に起こっていた
近い肉親であればそれが幾分かは柔らいだ
貨車は辛うじて雨露をしのぐ程度で
坪あたり数名の寿司詰めの生活だった
そして福井市が海戦を蔓延させた
第5月、すなわち12月に入ると水漏れが降り
寒風が吹き込み貨車では暮らせなくなった
大工手間も近郊から出てくるようになり
資材も出回り始めた
兄弟、いとこは協力した
一人一人の仮建築をやっていた
兄の家を建てて兄が入る
次に弟の家を建てるといった風に
親族が順番に建てて回った
壁は荒い壁で天井もなく
拭き下ろしのブサイクな
十坪内外の田舎づくりではあったが
畳も敷き雨戸も建てられ
ちょっと落ち着ける住居である
仮建築に入ると結婚が行われ
新家庭が1週間20組以上もできた
この仮建築期はだから復興期ともいえる
本建築はこれからである
それは贅沢だから日本が安定してからのことだ
人々は今不自由な仮建築の中で
充実した生活を送っている
この内容の豊かな原子屋生活こと
真の文化生活だと思われる
私の恩師末嗣教授は
私の小さな家を祝して
無一物どころ無人像の一軸を賜った
裏紙原子屋を汽車の窓から見る人は
いつまでたっても瓦と灰をそのままにしている
復興はとてもおぼつかないなどと思うかもしれぬ
しかしコツコツと人は整理をし
再建をしているのだ
目には見えんけれども
少しずつ少しずつ原子屋は復興しつつある
確固たる信仰に生き苦しむこと
亡くことの幸福を知るわずかな人々が
ここで今正規の罪滅ぼしの苦行をしているのだ
信仰なき人は帰ってこない
この原子屋復興の原動力となっているものは
信仰のみである
夜は明かりがないから
早くから子供を抱いて毛布にくるまっている
原子ってどのくらいの大きさね
4年生の生地が尋ねる
とても小さいもんだ
玉の形をしているものとすれば
その直径は約1億分の1センチだね
あー目には見えんね
顕微鏡でも見えん
それは粒なんだね
いや粒じゃないよ
太陽の周りを地球や土星などがぐるぐる回っていることを
学校で先生に聞いたろ
あの太陽系全体の直径で太陽系の大きさを検討つけるように
原子も固い粒じゃなくて
中心に原子核があって
その周囲をインデンシがぐるぐる回っている
そのインデンシの走る道の直径が1億分の1なんだ
それと核との間はがらんどうで何もない
核の直径は原子の直径のさらに10万分の1という小さいものなんだ
核ってどんなもの
葡萄の中に種が集まっているだろ
あんなもんさ
原子核には中性子という粒と
陽子という粒とがある
陽子は陽電気を持っているが
中性子は電気を持っていない
原子が破裂すればどうなる
この中性子は陽子の一部がなくなって
その代わりに猛烈の力ができる
そしてそれが強い勢いで吹き出すんだ
その力で工場も家もぺちゃんこになったもんさ
それから中性子なども一緒に吹き飛ばされてくる
それが人間の体に突っ込んで色々な原子病を起こしたんだ
畳屋のおじさんの頭の剥げたのも
じゃあ中性子のせいだね
一つの原子が破裂したって大きな力を出すんだ
1gの中にはちょっと数えられるくらいたくさんの原子があるんだから
それが一度に爆発すると大変だ
原子は爆弾のほうが使い道はないの
いえあるとも
こんな一度に爆発させないで
少しずつ連続的に調節しながら破裂させたら
原子力が機船も汽車も飛行機も走らすことができる
石炭も石油も電気もいらなくなるし
大きな機械もいらなくなり
人間はどれほど幸福になれるか知れないね
じゃあこれから何でも原子でやるんだな
そうだ原子時代だ
人類は大昔から石器時代
同期時代
鉄器時代
石炭時代
石油時代
電気時代
電波時代と進歩してきて
今年から原子時代に入ったんだ
セイチもカヤノも原子時代の人間だ
原子時代原子時代
と呟いていた子供も眠る
ちろちろ虫が頭の下で鳴いている
人類は原子時代に入って幸福になるであろうか
それとも悲惨になるであろうか
神が宇宙に隠しておいた原子力という宝剣をかきつけ探し出し
遂に手に入れた人類がこの両刃の剣を振って
いかなる舞を舞わんとするか
善意をすれば人類文明の飛躍的進歩となり
悪意をすれば地球を破滅せしめる
いずれも極めて容易簡単な仕事である
そして右にするか左に劣るか
復興の時代
これまた簡単に人類の自由意志に任せられてある
人類は今や自ら獲得した原子力を所有することによって
自らの運命の損滅の鍵を所持することになったのだ
思いをここにいたせば誠に立然たるものがあり
正しき宗教以外にはこの鍵をよく保管し得るものはないという気がする
チチロチチロと虫が鳴く
抱き寝のカヤノがしきりに胸を探る
探り探って七だと気づいたか
声を殺して忍び泣きを始めた
泣きながらやがてまた寝息に変わる
私だけじゃない
この原子屋に今宵今幾人の孤児が泣き
山目が泣いていることであろう
夜は長く眠りは短い
うどうどと朝起まどろみの夢も
いつかしらみゆく雨戸の隙間
カーンカーンカーン
鐘が鳴る
暁のお告げの鐘が廃墟となった天守堂から原子屋になり渡る
市太郎さんが岩永くんら
もとおの青年を指図して
レンガの底から掘り出した鐘は
50メートルの小塔から落ちたにも関わらず
ちっとも割れていなかった
クリスマスの夕にようやく吊り上げて
岩永くんらが朝昼晩
昔ながらの懐かしい音を響かせる
朱の実使いのお告げありければ
聖一もカヤノも羽を着て
毛布の上に座りお祈りを捧げる
カーンカーンカーン
積み切った音が平和を祝福して伝わってくる
事変以来長いこと鳴らすことを禁じられた鐘だったが
もう二度と鳴らずの鐘となることがないように
世界の終わりのその日の朝まで平和の響きを伝えるように
カーンカーンカーンとまた鳴る
人類よ戦争を計画してくれるな
原子爆弾というものがあるゆえに
戦争は人類の自殺行為にしかならないのだ
原子矢に泣く裏紙人は世界に向かって叫ぶ
戦争をやめよ
ただ愛の掟に従って相互に協賞せよ
裏紙人は灰の中に伏して神に祈る
平和の祈り
願わくばこの裏紙をして
世界最後の原子矢たらしめたまえと
鐘はまだ鳴っている
現在なくして宿りたまいし聖マリアよ
恩美により頼み祀る我らのために祈りたまえ
聖地とカヤノとは祈り終わって十字を切った
1995年発行
サンパウロ長崎の鐘より独領読み終わりです
大変でしたこれ7日間ぐらいかかったな
まるまる1週間ほぼずっとこれ読み分けてた
難しいですねやっぱ
お医者さんだからね
これをアップするの8月5日になると思いますけど
9日に落ちたわけですか長崎には
広島の裸足の原の中で漫画として表現されてたことが
お医者さんの目から見た文章になってたという感じがしますね
それでは終わらせていただきましょう
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でした
といったところで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう
おやすみなさい
03:08:01

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