1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 156太宰治「富岳百景」(朗読)
2025-08-14 48:51

156太宰治「富岳百景」(朗読)

156太宰治「富岳百景」(朗読)

富士登山したことありますか?

今回も寝落ちしてくれたら幸いです


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サマリー

このエピソードでは、太宰治の「富岳百景」が朗読され、富士山に関する見解や体験が語られています。富士山の形や魅力についての考察が重ねられ、風景や個人的な思い出が混じり合う内容となっています。朗読を通じて、富士山の美しさとそれにまつわる様々な日常の出来事が描写されています。物語では、登場人物たちの富士山への感情や思い出、日常会話が通じて描かれ、特に冬の雪が降る情景が印象的です。「富岳百景」では、富士山との対峙や自然への心情が語られています。また、主人公は生活の苦しさや結婚の悩みに向き合いながら、富士山を通じて心の安らぎを求めています。「富岳百景」は、冬の峠での静けさと美しさを描写しながら、茶店での出会いや結婚の話を通じて思索を深める作品です。特に富士山の姿が印象的で、架空の花嫁のエピソードが心に残ります。「富岳百景」を朗読し、その美しい風景や数々の情景を通じて、太宰治の独特な視点に触れることができます。

富士山に対する思い
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また別途投稿フォームをご用意しました。リクエストなどをお寄せください。
そして最後に番組フォローもどうぞよろしくお願いします。
さて、今日は太宰治さんの富岳百景です。
富士山の中目ということですか?
20代後半の頃に一回富士山登ったことがあるんですけど、皆さんはいかがでしょうか?
僕はその時弾丸で行ったので、朝早くから出かけて行って、
午後目から登り始め、頂上に着いて、その後降りてきて、
降りてきたらもう夕方5時みたいな感じでしたね。
消費カロリー5000キロカロリーの中、ハードワークをこなしましたが、
良い思い出ではあります。今日も二度とごめんです。
三坂峠の体験
今日読み上げます富岳百景は16000文字となってますので、
1時間かからないかなというぐらいで読み上げが終わると思います。
よろしければ寝落ちまでお付き合いください。
それでは参ります。
富岳百景
富士の彫刻
広茂の富士は85度、文庁の富士も84度くらい。
けれども陸軍の実測図によって東西及び南北に断面図を作ってみると、
東西縦断は長角124度となり、南北は117度である。
広茂、文庁に限らず、大抵の絵の富士は鋭角である。
頂が細く高く華奢である。
北斎に至ってはその長角ほとんど30度くらい。
エッフェル鉄塔のような富士をさえ描いている。
けれども実際の富士は鈍角も鈍角。
のろ草と広がり、東西124度、南北は117度。
決して終伐のすらと高い山ではない。
例えば私がインドかどこかの国から突然ワシにさらわれ、
ストンと日本の沼津あたりの海岸に落とされて、ふとこの山を見つけてもそんなに驚嘆しないだろう。
日本の富士山をあらかじめ憧れているからこそワンダフルなのであって、
そうでなくてそのような俗な宣伝を一切知らず、
素朴な純粋の虚ろな心に果たしてどれだけ訴えるか、
そのことになると多少心細い山である。
低い。裾の広がっている割に低い。
あれくらいの裾を持っている山ならば少なくとももう1.5倍高くなければいけない。
十国峠から見た富士だけは高かった。あれは良かった。
はじめ雲のために頂木が見えず、私はその裾の勾配から判断して、
多分あそこあたりが頂木であろうと雲の一点に印をつけて、そのうちに雲が切れてみると違った。
私があらかじめ印をつけておいたところより、その倍も高いところに青き頂木がすっと見えた。
驚いたというよりも私は変にくすぐったくゲラゲラ笑った。
やっていやがると思った。
人は完全の頼もしさに接するとまずだらしなくゲラゲラ笑うものらしい。
全身のネジがたわいなくゆるんで、これはおかしな言い方であるが帯ひも解いて笑うというような感じである。
諸君がもし恋人と会って、会った途端に恋人がゲラゲラ笑い出したら軽粛である。
必ず恋人の非礼を咎めてはならん。
恋人は君に会って君の完全の頼もしさを全身に浴びているのだ。
東京のアパートの窓から見る富士は苦しい。
冬にははっきりよく見える。
小さい真っ白い三角が地平線にちょこんと出ていて、それが富士だ。
何のことはない。クリスマスの飾り菓子である。
しかも左の方に肩が傾いて心細く。
千尾の方からだんだん沈没しかけていく軍艦の姿に似ている。
三年前の冬、私はある人から意外の事実を打ち明けられ途方に暮れた。
その夜、アパートの一室で一人でガブガブ酒飲んだ。
一睡もせず酒飲んだ。
暁、雇用に立ってアパートの便所の金網張られた四角い窓から富士が見えた。
小さく真っ白で左の方にちょっと傾いて、あの富士を忘れない。
窓の下のアスファルト地を魚屋の自転車がシックし、
「おお、今朝はやけに富士がはっきり見えるじゃねえか。滅亡さめや。」
などつぶやき残して、私は暗い便所の中に立ちすくし、
窓の金網に撫でながらじめじめ泣いて、あんなお前は二度と繰り返したくない。
昭和十三年の初秋、思いを新たにする覚悟で私はカバン一つ下げて旅に出た。
甲州。ここの山々の特徴は山々の起伏の線の変にむなしいなだらかさにある。
小島臼井という人の日本産水論にも、山の住め者が多くこの土に専有するが如し、とあった。
甲州の山々はあるいは山の下手者なのかもしれない。
私は甲府市からバスに揺られて一時間、三坂峠へたどり着く。
三坂峠、海抜千三百メートル。
この峠の頂上に、天花茶屋という小さい茶店があって、
伊伏瀬松藤氏が初夏の頃からここの二階に籠って仕事をしておられる。
私はそれを知ってここへ来た。
伊伏瀬氏のお仕事のお邪魔にならないようなら、
隣室でも借りて私もしばらくそこで専有しようと思っていた。
伊伏瀬氏は仕事をしておられた。
私は伊伏瀬氏の許しを得て、当分その茶屋に落ち着くことになって、
それから毎日嫌でも富士と真正面から向き合っていなければならなくなった。
この峠は甲府から東海道に出る鎌倉王館の章にあたっていて、
北面富士の代表観望台であると言われ、
ここから見た富士は昔から富士三景の一つに数えられているのだそうであるが、
私はあまり好かなかった。
好かないばかりか軽蔑さえした。
あまりにおあつらい向きの富士である。
真ん中に富士があって、その下に川口湖が白くさまざまと広がり、
近景の山々がその両袖にひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。
私は一目見て狼狽し顔をあからめた。
これはまるで風呂屋のペンキ画だ。
芝居のかき割りだ。
どうにも注文通りの景色で、私は恥ずかしくてならなかった。
私がその峠の茶屋に来て、
二、三日経って伊布施市の仕事も一段落ついて、
友人との富士山の印象
ある晴れた午後、
私たちは三つ峠へ登った。
三つ峠、海抜千七百メートル。
三坂峠より少し高い。
旧坂を這うようにして四字登り、
一時間ほどにして三つ峠頂上に達する。
つたかずらかき分けて細い山地。
這うようにして四字登る私の姿は決して見よいものではなかった。
伊布施市はちゃんと登山服着ておられて警戒の姿であったが、
私には登山服の持ち合わせがなく土寺姿であった。
茶屋の土寺は短く、私の毛綱は一尺以上も露出して、
しかもそれに茶屋の老屋から借りたゴム底の地下旅を履いていたので、
我ながらむさ苦しく少し工夫して門帯を締め、
茶屋の壁にかかっていた古い麦わら帽をかぶってみたのであるが、いよいよ変で、
伊布施市は人のなりふりを決して軽蔑しない人であるが、
この時だけはさすがに少し気の毒そうな顔をして、
男はしかしみなりなんか気にしない方がいい、
と小声で呟いて私をいたわってくれたのを私は忘れない。
どかくして頂上に着いたのであるが、急に濃い霧が吹き流れてきて、
頂上のパノラマ台という断崖の減りに立ってみても、
一向に眺望がきかない、何も見えない。
伊布施市は濃い霧の底を岩に腰を下ろし、ゆっくり煙草を吸いながら頬をひなされた。
いかにもつまらなそうであった。
パノラマ台には茶店が三軒並んで立っている。
そのうちの一軒、老爺と老婆と二人きりで経営している地味な一軒を選んで、そこで熱い茶を飲んだ。
茶店の老婆は気の毒があり、本当にあいにくの霧で、もう少し経ったら霧も晴れると思いますが、
藤はほんのすぐそこにくっきり見えます、と言い、
茶店の奥から藤の大きい写真を持ち出し、崖の端に立つその写真を両手で高く掲示して、
ちょうどこのへんに、このほとりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、この通りに見えます、と懸命に注釈するのである。
私たちは晩茶をすすりながらその藤を眺めて笑った。
いい藤を見た。霧の深いのを残念にも思わなかった。
その翌々日であったのが、
いぶせ氏は三坂峠を引き上げることになって、私も甲府までお供した。
甲府で私はある娘さんと見合いすることになっていた。
いぶせ氏に連れられて甲府の町はずれのその娘さんのお家へおうかがいした。
いぶせ氏は無造作な登山服姿である。
私は稼働日に夏羽織を着ていた。娘さんの家のお庭には、バラがたくさん植えられていた。
母道に迎えられて客間に通され挨拶して、そのうちに娘さんも出てきて、私は娘さんの顔を見なかった。
いぶせ氏と母道とは大人同士のよもやまの話をして、ふといぶせ氏が
「おや、藤。」と呟いて私の背後の投げしを見上げた。
私も体をねじ曲げて後ろの投げしを見上げた。
富士山頂、大噴火口の長官写真が額縁に入れられて掛けられていた。
真っ白いスイレンの花に似ていた。
私はそれを見届け、またゆっくり体をねじ戻すとき娘さんをちらと見た。
決めた。多少の困難があってもこの人と結婚したいものだと思った。
あの富士はありがたかった。
いぶせ氏はその日に寄居なされ、私は再び三坂に引き返した。
それから9月、10月、11月の15日まで三坂の茶屋の2階で少しずつ少しずつ仕事を進め、
あまり好かないこの富士山系のひとつと下手ばるほど対談した。
一度大笑えしたことがあった。
大学の講師か何かやっているロマン派の一友人が
バイキングの途中私の宿に立ち寄って、そのときに二人二階の廊下に出て富士を見ながら
どうも俗だね、お富士さんという感じじゃないか。見ている方でかえって照れるね。
などと生意気なことを言って煙草を吹かし、そのうちに友人はふと
おや、あの創業のものは何だねと顎でしゃくった。
一戦の破れた衣を身にまとい、長い杖を引きずり、富士を振り仰ぎ振り仰ぎ、峠を登ってくる50歳ぐらいの小男がある。
富士見作業といったところだね、形ができている。
私はその層を懐かしく思った。
いずれ名のある小僧かもしれないね。
馬鹿言うなよ、小敷だよ。
友人は冷淡だった。
いやいや、脱俗しているところがあるよ。
歩き方なんかなかなかできているじゃないか。
昔農員法師がこの陶芸で富士を褒めた歌を作ったそうだが、
私が言っているうちに友人は笑い出した。
おい、見たまえ、できてないよ。
農員法師は茶店の蜂という飼い犬に吠えられて、首相、狼狽であった。
そのありさまは嫌になるほどみっともなかった。
ああ、だめだね、やっぱり。
富士山の印象
私はがっかりした。
小敷の狼狽はむしろ浅ましいほどに右往左往。
ついには杖をかなぐり捨て取り乱し取り乱し、今は叶わずと退散した。
実にそれはできていなかった。
富士も俗なら法師も俗だということになって、今思い出してもバカバカしい。
日田という25歳の温厚な青年が、
陶芸を折り切った学六の吉田という細長い町の郵便局に勤めていて、
その人が郵便物によって私がここに来ていることを知ったと言って、
陶芸の茶屋を訪ねてきた。
二階の私の部屋でしばらく話をして、ようやく慣れてきた頃、
日田は笑いながら、
実はもう二三人僕の仲間がありまして、
みんなで一緒にお邪魔にあがるつもりだったんですが、
いざとなるとどうもみんな尻込みしまして、
二階さんは酷いデカ談で、それに性格破産者だと
佐藤春夫先生の小説に書いてございましたし、
まさかこんな真面目な、ちゃんとしたお方だとは思いませんでしたから、
僕も無理にみんなを連れてくるわけにはいきませんでした。
今度はみんなを連れてきます。
構いませんでしょうか。
それは構いませんけれど、
私は苦笑していた。
それでは君は必死の優を振るって、
君の仲間を代表して僕を偵察に来たわけですね。
決死体でした。
日田は率直だった。
昨夜も佐藤先生のあの小説をもう一度繰り返して読んで、
いろいろ覚悟を決めてきました。
私は部屋のガラス戸越しに富士を見ていた。
富士はのっそり黙って立っていた。
偉いなあと思った。
いいねえ富士は。やっぱりいいとこあるよね。
よくやってるなあ。
富士にはかなわないと思った。
年々と動く自分の愛憎が恥ずかしく、富士はやっぱり偉いと思った。
よくやってると思った。
よくやっていますか?
日田には私の言葉がおかしかったらしく聡明に笑っていた。
日田はそれからいろいろな青年を連れてきた。
みんな静かな人である。
みんな私を先生と呼んだ。
私は真面目にそれを受けた。
私には誇るべき何もない。学問もない。才能もない。
肉体汚れて心も貧しい。
けれども苦悩だけはその青年たちに先生と言われて黙ってそれを受けていいくらいの苦悩は減ってきた。
たったそれだけ。わら一筋の自負である。
けれども私はこの自負だけははっきり持っていたいと思っている。
わがままな駄々っ子のように言われてきた私の裏の苦悩を一体幾人知っていたろう。
日田とそれから田辺という単価の上手な青年と、
二人はいびせ氏の読者であって、その安心もあって私はこの二人と一晩仲良くなった。
一度吉田に連れて行ってもらった。
恐ろしく細長い街であった。
がくろくの感じがあった。
富士に日も風も遮られてひょろひょろに伸びた茎のようで暗くうすら寒い感じの街であった。
青年たちとの交流
道路に沿って清水が流れている。
これはがくろくの街の特徴らしく三島でもこんな具合に街中を清水がどんどん流れている。
富士の雪が溶けて流れてくるのだとその地方の人たちが真面目に信じている。
吉田の水は三島の水に比べると水量も不足だし汚い。
水を眺めながら私は話した。
モーパスさんの小説にどこかの霊場が気候子のところへ毎晩川を泳いで会いに行ったと書いてあったが、
着物はどうしたんだろうね。
まさか裸ではなかろう?
そうですね。
青年たちも考えた。
海水着じゃないでしょうか。
頭の上に着物を乗せて結びつけてそうして泳いで行ったのかな。
青年たちは笑った。
それとも着物のまま入ってずぶ濡れの姿で気候子と会って二人でストーブで乾かしたのかな。
そうすると帰るときにはどうするだろう。
せっかく乾かした着物をまたずぶ濡れにして泳がなければいけない。
心配だね。
気候子の方で泳いでくればいいのに。
男なら猿股一つで泳いでもそんなにみっともなくないからね。
気候子、金槌だったのかな。
いや、礼状の方でたくさん惚れていたからだと思います。
ニットは真面目だった。
うーん、そうかもしれないね。
外国の物語の礼状は勇敢で可愛いね。
好きだとなったら川を泳いでまで会いに行くんだからな。
日本ではそうはいかない。
なんとかいう芝居があるじゃないか。
真ん中に川が流れて、両方の岸で男と姫気味とが周端している芝居が。
あんなとき何も姫気味周端する必要がない。
泳いで行けばどんなもんだろう。
芝居で見るととても狭い川なんだ。
ジャブジャブ渡って行ったらどんなもんだろう。
あんな周端なんて意味ないね。
同情しないよ。
浅川の老井川はあれは大水で、
それに浅川は目倉のみなんだし、
ありには多少同情するが、
けれどもあれだって泳いで泳げないことはない。
老井川の棒食いにしがみついて、
天皇様を恨んでいたんじゃ意味ないよ。
あ、一人いるよ。日本にも勇敢な奴が。
一人会ったぞ。あいつはすごい。
知ってるかい?
うーん、ありますか?
青年たちも目を輝かせた。
清姫。
安珍を追いかけて日高川を泳いだ。
泳ぎまくった。あいつはすごい。
物の本によると清姫はあのとき十四だったんだってね。
道を歩きながら馬鹿な話をして、
町はずれの田辺の知り合いらしい
ひっそり古い宿屋に着いた。
そこで飲んで、その夜の富士が良かった。
夜の十時ごろ。
青年たちは私一人を宿に残して
各々家へ帰って行った。
私は眠れず、土寺姿で外へ出てみた。
恐ろしく明るい月夜だった。
富士が良かった。
月光を受けて青く透き通るようで、
私は狐に馬鹿されているような気がした。
富士が舌たるように青いのだ。
鱗が燃えているような感じだった。
鬼火、狐火、蛍、ススキ、クズの葉。
私は足のないような気持ちで夜道をまっすぐに歩いた。
下駄の音だけが自分のものでないように
他の生き物のようにカランコロン、カランコロンとても澄んで響く。
そっと振り向くと富士がある。
青く燃えて空に浮かんでいる。
私はため息をつく。
維新の獅子、クラマテング。
私は自分を恐れだと思った。
ちょっと気取って懐でして歩いた。
ずいぶん自分が良い男のように思われた。
ずいぶん歩いた。
財布を落とした。
50セン銀貨が20枚くらい入っていたので重すぎて
それで懐からスルッと抜け落ちたんだろう。
私は不思議に平気だった。
金がなかったら御坂まで歩いて帰ればいい。
そのまま歩いた。
ふと今来た道をその通りにもう一度歩けば
財布があるということに気がついた。
懐でのままぶらぶら引き返した。
富士、月夜、維新の獅子。
財布を落とした。
凶悪ロマンスだと思った。
財布は道の真ん中に光っていた。
あるに決まっている。
私はそれを拾って宿へ帰って寝た。
雪の降る富士山
不時に馬鹿されたのである。
私はあの夜アホであった。
完全に無意志であった。
あの夜のことを今思い出しても変にだるい。
吉田に一泊してあくる日、
御坂へ帰ってきたら茶店のお上さんはニヤニヤ笑って、
十五の娘さんはツンとしていた。
私は不潔なことをしてきたのではないということを
それとなく知らせたく、
昨日一日の行動を聞かれもしないのに
一人で細かに言い立てた。
泊まった宿屋の名前、吉田のお酒の味、
月夜富士、財布を落としたこと、みんな言った。
娘さんも機嫌が直った。
お客さん、起きてみてよ。
かんだかい声である朝、
茶店の外で娘さんが絶叫したので
私は渋々起きて廊下へ出てみた。
娘さんは興奮して頬を真っ赤にしていた。
黙って空を指差した。
見ると雪。
はっと思った。
富士に雪が降ったのだ。
山頂が真っ白に光り輝いていた。
三坂の富士も馬鹿にできないぞと思った。
いいねと褒めてやると娘さんは得意そうに
素晴らしいでしょといい言葉を使って
三坂の富士はこれでもだめとしゃがんでいった。
私がかねがねこんな富士は賊でだめだと教えていたので
娘さんは内心しょげていたのかもしれない。
やはり富士は雪が降らなければだめなもんだ。
もっともらしい顔をして私はそう教え直した。
私は土寺来て山を歩き回って
月見草の種を両の手のひらいっぱいに取ってきて
それを茶店の瀬戸にまいてやって
いいかい。これは僕の月見草だからね。
来年また来て見るのだからね。
ここへお洗濯の水なんか捨てちゃいけないよ。
娘さんはうなずいた。
ことさらに月見草を選んだわけは
富士には月見草がよく似合うと思い込んだ事情があったからである。
三坂峠のその茶店はいわば山中の一軒家であるから
郵便物は配達されない。
峠の頂上からバスで30分ほど揺られて峠の麓
川口湖畔の川口村という文字通りの間奏にたどり着くのであるが
その川口村の郵便局に私宛ての郵便物が留め置かれて
私は三日に一度くらいの終わりで
その郵便物を受け取りに出かけなければならない。
天気のいい日を選んで行く。
ここのバスの女車掌は遊覧客のために
格別風景の説明をしてくれない。
それでも時々思い出したように
はなはだ三文的な口調で
あれが三つ峠、向こうが川口湖
若崎という魚がいます。
など物嘘なつぶやきにいた説明を聞かせることもある。
川口局から郵便物を受け取り
またバスに揺られて峠の茶屋に引き返す途中
私のすぐ隣に濃い茶色の皮膚を着た青白い男性の顔の60歳くらい
私の母とよく似た老婆がシャンと座っていて
女車掌が思い出したように
みなさん今日は富士がよく見えますねと説明ともつかず
また自分一人の英単ともつかぬ言葉を突然言い出して
ルックサック背負った若いサラリーマンや
大きい日本髪ゆって口元を大事に半ケチで覆い隠し
絹物まとった芸者風の女など
体をねじ曲げいっせいに車窓から首を出して
今沢のごとくその変哲もない三角の山を眺めては
やーとかまあとか間抜けた歓声を発して車内はひとしきりざわめいた
けれども私の隣の御陰境は胸に深い幽門でもあるのか
富士山との対峙
他の遊覧客と違って富士には一別も与えず
かえって富士と反対側の山道に沿った断崖をじっと見つめて
私にはその様が体が痺れるほど心よく感じられ
私もまた富士なんかあんな俗の山見たくもないという
高尚な虚無の心をその老婆に見せてやりたく思って
あなたのお苦しみ和々しさ皆よくわかると頼まれませんのに
驚名の素振りを見せてあげたく老婆に甘えかかるようにそっとすり寄って
老婆と同じ姿勢でぼんやり崖の方を眺めてやった
老婆も何かしら私に安心していたところがあったのだろう
ぼんやり一言
おや月見草
そう言って細い指でもって路棒の一箇所を指差した
さっとバスは過ぎて行き私の目には今
ちらと一目見た黄金色の月見草の花一つ
花弁も鮮やかに消えず残った
3778メートルの富士の山と立派に相対峙し
みじんも揺るがず何というのか
混合力層とでも言いたくなるくらいけなげにすっくと立っていたあの月見草はよかった
富士には月見草がよく似合う
10月の半ば過ぎても私の仕事は父としてすまん
人が恋しい
夕焼け赤き元の腹雲
二階の廊下で一人煙草を吸いながら
わざと富士には面もくれず
それこそ血の滴るような真っ赤な山のもみじを凝視していた
茶店の前の落ち葉を吐き集めている茶店のおかみさんに声をかけた
おばさん明日は天気がいいね
自分でもびっくりするほど上筒て歓声にも似た声であった
おばさんはほうきの手を休め顔を上げて不審げに眉をひそめ
明日何か終わりなさんの?
そう聞かれて私はキューした
ああ何もない
おかみさんは笑い出した
お寂しいのでしょう
山へでもお登りになったら
山へ登ってもすぐまた降りなければいけないんだからつまんない
どの山へ登っても同じ富士山が見えるだけで
それを思うと気が重くなります
私の言葉が変だったのだろう
おばさんはただ曖昧にうなずいただけでまた枯葉を吐いた
寝る前に部屋のカーテンをそっと開けてガラス窓越しに富士を見る
月のある夜は富士が青白く水の精みたいな姿で立っている
私はため息をつく
ああ富士が見える星が大きい
明日はお天気だなとそれだけがかすかに生きている喜びで
そうしてまたそっとカーテンを閉めてそのまま寝るのであるが
明日天気だからとて別段好みには何ということもないのに
と思えばおかしく一人で布団の中で苦笑いするんだ
苦しいのである
仕事が
純粋にうんぴつすることのその苦しさよりも
いやうんぴつはかえって私の楽しみでさえあるのだが
そのことではなく私の世界観
芸術というもの
明日の文学というもの
いわば新しさというもの
私はそれらについてにまだぐずぐず思い悩み
誇張ではなしに見もたえしていた
素朴な自然のもの
したがって簡潔な鮮明なもの
そいつをさっと一挙動でつかまえて
そのままに紙に写しとること
それより他にはないと思い
そう思うときには眼前の富士の姿も別な意味を持って目に映る
この姿はこの表現は
結局私の考えている単一表現の美しさなのかもしれない
と少し富士に妥協しかけて
けれどもやはりどこかこの富士の
あまりにも傍聴の素朴には並行しているところもあり
これがいいなら法帝様のお着物だっていいはずだ
法帝様のお着物はどうにも我慢できない
あんなものとてもいい表現とは思えない
この富士の姿もやはりどこか間違っている
これは違うと再び思い惑うのである
朝に夕に富士を見ながら隠屈な日を送っていた
優女たちの訪問
10月の末にふもとの吉田の町の優女の一団体が
三坂峠おそらくは年に一度くらいの開放の日なのであろう
自動車5台に分乗してやってきた
私は2階からその様を見ていた
自動車から降ろされていろさまざまな優女たちは
バスケットからぶちまけられた一群の電車鳩のように
はじめは歩く方向を知らず
ただ固まってうろうろして
沈黙のまま押し合いへし合いしていたが
やがてそろそろその異様の緊張が解けて
天然にぶらぶら歩き始めた
茶店の店頭に並べられている絵はがきを
おとなしく選んでいるもの
佇んで富士を眺めているもの
暗くわびしく見ちゃいられない風景であった
2階の一人の男の命を惜しまぬ共感も
これら優女の幸福に関しては何の加えるところがない
私はただ見ていなければならんのだ
苦しむものは苦しめ
落ちるものは落ちよ
私に関係したことではない
それが世の中だ
そう無理に冷たく装い
彼らを見下ろしているのだが
私はかなり苦しかった
富士に頼もう
突然それを思いついた
おい、こいつらをよろしく頼むぜ
そんな気持ちで振り仰げば
寒皿の中のっそり突っ立っている富士さん
その時の富士はまるで
土寺姿に懐でして
眼前と構えている大親分のようにさえ見えたのであるが
私はそう富士に頼んで大いに安心し
気が悪くなって
茶店の6歳の男の子と蜂というムク犬を連れ
その優女の一男を見捨てて
峠の近くのトンネルの方へ遊びに出かけた
結婚の悩み
トンネルの入口のところで
30歳ぐらいの痩せた優女が
一人何かしらつまらぬ草花を黙って積み集めていた
私たちがそばを通っても振り向きもせず
熱心に草花を摘んでいる
この女の人のこともついでに頼みますと
また振り仰いで富士にお願いしておいて
私は子供の手を引き
とっととトンネルの中に入っていった
トンネルの冷たい地下水を頬に首筋に
適々と受けながら
俺の知ったことじゃないとわざと大股に歩いてみた
その頃私の結婚の話も一頓座の形であった
私のふるさとからは全然助力が来ないということが
はっきりわかってきたので私は困ってしまった
せめて100円ぐらい枠助力してもらえるだろうと
むしのいい独り気味をして
それでもってささやかでも厳粛な結婚式をあげ
後の世帯を持つに当たっての費用は
私の仕事で稼いでしようと思っていた
けれども兄さんの手紙の往復により
うちから助力は全くないということが明らかになって
私は途方に暮れていたのである
この上は演談断られても仕方がないと覚悟を決め
とにかく先方へことの主題をあらゆたら
言ってみようと私は単身峠を下り
交付の娘さんのお家へお伺いした
幸い娘さんも家にいた
私は客間に通され娘さんとボドーと2人を前にして
失敗の事情を告白した
時々演説口調になって並行した
けれども割に素直に語り尽くしたように思われた
娘さんは落ち着いて
それでお家では反対なのでございましょうか
と首をかしげて私に尋ねた
あ、いえ反対というのではなく
私は右の手のひらをそっと宅の上に押し当て
お前一人でやれという具合らしく思われます
結構でございます
ボドーは貧欲を笑いながら
私たちもご覧の通りお金持ちではございませんし
ことことし意識などはかえって当惑するようなもので
ただあなたお一人愛情と職業に対する熱意さえお持ちならば
それで私たち結構でございます
私はお辞儀するのも忘れてしばらく呆然と庭を眺めていた
目の熱いのを意識した
この母に孝行しようと思った
帰りに娘さんはバスの発着場まで送ってきてくれた
歩きながら
どうですもう少し交際してみますか
キザなことを言ったものである
いいえもうたくさん
娘さんは笑っていた
何か質問ありませんか
いよいよバカである
ございます
私は何を聞かれてもありにまま答えようと思っていた
富士山にはもう雪が降ったでしょうか
私はその質問に拍子抜けがした
ああ降りました頂の方に
と言いかけてふと前方を見ると富士が見える
変な気がした
なんだ幸福川でも富士が見えるじゃないか
バカにしていやがる
矢鎌の口調になってしまって今のは愚問です
バカにしていやがる
娘さんはうつむいてクスクス笑って
だって三鷹峠にいらっしゃるのですし
富士のことでもお聞きしなければ悪いと思って
おかしな娘さんだと思った
幸福から帰ってくるとやはり呼吸ができないくらいに
ひどく肩が凝っているのを覚えた
いいねえおばさんやっぱし三鷹は
いいよ自分の家に帰ってきたような気さえするのだ
夕食後おかみさんと娘さんと変わるがある私の肩を叩いてくれる
おかみさんの拳は硬く鋭い
娘さんの拳は柔らかくあまり効き目がない
もっと強くもっと強くと私に言われて
娘さんは薪を持ち出し
それでもって私の肩をトントン叩いた
それほどにしてもらわなければ肩残りが取れないほど
私は幸福で緊張し一心に勤めたのである
幸福へ行ってきて二三日
さすがに私はぼんやりして仕事する気も起こらず
机の前に座って取り留めのない楽勝をしながら
抜刀七箱も八箱も吸い
また寝転んで金剛石も三鷹勝場という
賞歌を繰り返し繰り返し歌ってみたりしているばかりで
小説は一枚も書き進めることができなかった
お客さん幸福へ行ったら悪くなったわね
朝私が机に包図へつき
目をつぶってさまざまなことを考えていたら
私の背後でとこのま吹きながら
十五の娘さんは真から今いますそうに
多少トゲトゲしい口調でそう言った
私は振り向きもせず
そうかね悪くなったわね
娘さんは吹き掃除の手を休めず
ああ悪くなった
この二三日じっとも勉強が進まないじゃないの
私は毎朝お客さんの書き散らした原稿用紙
番号順に揃えるのがとっても楽しい
たくさんお書きになっていれば嬉しい
昨夜も私二階へそっと要請を見に来たの
知ってる?お客さん布団を頭からかぶって寝てたじゃないか
私はありがたいことだと思った
大げさな言い方をすれば
これは人間の生き抜く努力に対しての純粋な制限である
何の報酬も考えていない
私は娘さんを美しいと思った
10月末になると山の紅葉も黒ずんで汚くなり
途端に一夜嵐があって
みるみる山は真っ黒い冬木立ちに化してしまった
峠の静けさと茶店
遊覧の客も今はほとんど数えるほどしかない
茶店もさびれて
時玉おかみさんが六つになる男の子を連れて
峠のふもとの船津吉谷買い物をしに出かけていって
あとには娘さん一人遊覧の客もなし
一日中私と娘さんと二人きり
峠の上でひっそり暮らすことがある
私が二階で退屈して外をぶらぶら歩き回り
茶店の瀬戸でお洗濯している娘さんのそばへ近寄り
退屈だねと大声で言ってふと笑いかけたら
娘さんはうつむき
私はその顔を覗いてみてははっと思った
泣きべそ書いているのだ
明らかに恐怖の情である
そうかとにがにがしく私はくるりと回り右して
落ち葉敷き詰めた細い山地を
まったく嫌な気持ちでどんどん荒く歩き回った
それからは気をつけた
娘さん一人きりのときには
なるべく二階の部屋から出ないように勤めた
茶店にお客でも来たときには
私がその娘さんを守る意味もあり
のしのし二階から降りていって
茶店の一隅に腰を下ろしゆっくりお茶を飲むのである
いつか花嫁姿のお客が
もんつきを着たじいさんを二人よつき添われて
自動車に乗ってやってきて
この峠の茶屋で一休みしたことがある
そのときも娘さん一人しか茶店にいなかった
私はやはり二階から降りていって
隅の椅子に腰を下ろし煙草を吹かした
花嫁は裾模様の長い着物を着て
銀欄の帯を背負い
角隠しつけて堂々正式の礼装であった
まったく異様のお客様だったので
娘さんもどうあしらいしていいのかわからず
花嫁さんと二人の老人にお茶をついてやっただけで
私の背後にひっそり隠れるように立ったまま
黙って花嫁の様を見ていた
一生に一度の晴れの日に
峠の向こう側から反対側の船塚
吉田の町へ嫁入りするのであろうが
その途中この峠の頂上で一休みして
富士を眺めるということは
旗で見てもくすぐったいほどロマンチックで
そのうちに花嫁はそっと茶店から出て
茶店の前の崖の縁に立ち
ゆっくり富士を眺めた
足をX型に組んで立っていて
大胆なポーズであった
余裕のある人だなぁ
となおも花嫁を
富士と花嫁を
私は鑑賞したのであるが
まもなく花嫁は富士に向かって大きなあくびをした
あら
と背後で小さい叫びをあげた
娘さんも素早くそのあくびを
見つけたらしいのである
やがて花嫁の一行は
待たせておいた自動車に乗り峠を降りていったが
あとで花嫁さんはさんざんだった
なれていやがる
あいつはきっと二度目
いや三度目くらいだよ
おむこさんが峠の下で待っているだろうに
自動車から降りて富士を眺めるなんて
初めてのお嫁だったらそんな太いことできるわけがない
あくびしたのよ
娘さんも力込めてサインをあらばした
あんな大きい口あげてあくびして
ずずしいのね
お客さん
あんな嫁さんもらっちゃいけない
私は年替えもなく顔を赤くした
私の結婚の話もだんだん
好転していって
ある先輩にすべてお世話になってしまった
結婚式もほんの身内の
二三の人だけに立ち会ってもらって
まず祝と申げん祝に
その先輩の宅でしていただけるようになって
私は人の情けに少年のごとく
寒風んしていた
十一月に入るともはや三坂の寒気
耐えがたくなった
茶店ではストーブを備えた
お客さん
二階はお寒いでしょ
お仕事の時はストーブのそばでなさったら
とおかみさんは言うのであるが
人の見ている前では仕事のできない立ちなので
それは断った
おかみさんは心配して
峠のふもとの吉田駅
こたつを一つ買ってきた
私は二階の部屋でそりに潜って
この茶店の人たちの親切には
真からお礼を言いたく思って
けれどももはやその全容の三分の二ほど
雪をかぶった富士の姿を眺め
また近くの山々の
少女をたる冬子たちに接しては
これ以上この峠で皮膚をさす寒気に
辛抱していることも無意味に思われ
山を下ることに決意した
山を下る
その前日私は土寺を二枚重ねてきて
茶店の椅子に腰掛けて
熱い晩茶をすすっていたら
冬の街灯を着たタイピストでもあろうか
若い知的の娘さんが二人
トンネルの方から何か
キャッキャ笑いながら歩いてきて
ふと眼前に真白い富士を見つけ
打たれたように立ち止まり
それからひそひそ相談の様子で
そのうちの一人眼鏡をかけた色の白い子が
にこにこ笑いながら私の方へやってきた
はいすみません
シャッター切ってくださいな
私はヘッドを戻した
私は機械のことには
あまり明るくないのだし
写真の趣味は皆無であり
しかも土寺を二枚重ねてきていて
茶店の人たちさえ
山賊みたいだと言って笑っているような
そんなむさ苦しい姿でもあり
多分は東京のそんな華やかな娘さんから
早からの用事を頼まれて
内心ひどく狼狽したのである
けれどもまた思い直し
こんな姿はしていてもやはり
見る人が見ればどこかしら
華奢な面影もあり
写真のシャッターくらい器用に
手さばきできるほどの男に見えるのかもしれない
などと少しウキウキした気持ちも手伝い
私は平成を装い
娘さんの差出すカメラを受け取り
何気なさそうな口調で
シャッターの切り方をちょっと尋ねてみたら
罠なき罠なきレンズを覗いた
真ん中に大きい藤
その下に小さい血糸の花二つ
二人揃いの赤い
街灯を着ているのである
二人は皮脂と抱き合うように寄り添い
きっと真面目な顔になった
私はおかしくてならない
カメラを持つ手は震えて
どうにもならん
笑いをこらえてレンズを覗けば
血糸の花いよいよ澄まして
固くなっている
どうにも狙いがつけにくく
私は二人の姿をレンズから追放して
ただ藤さんだけをレンズいっぱいにキャッチして
藤さんさようなら
お世話になりました
パチリ
はい映りました
ありがとう
二人声を揃えてお礼を言う
家へ帰って現像してみたときには驚くだろう
藤さんだけが大きく映っていて
二人の姿はどこにも見えない
そのあくる日に山を降りた
まず甲府の安宿に一泊して
そのあくる朝
安宿の廊下の汚い欄間に寄りかかり
藤を見ると
甲府の藤は山々の後ろから
三分の一方に
顔を出している
頬付きに似ていた
昭和十四年
二月から三月
花嫁のエピソード
一九七五年発行
竹間書房
竹間現代文学体系五十九
太宰治集
より読了
読み終わりです
はい
なるほどね
甲府に住んで
そのあと多分三鷹に住むんですよ
三鷹に住んだあたりで
竹間談という本を
本というかテキストを
書いて
甲府から三鷹に引っ越すときに
書いてたのかな
犬を連れてけば姉妹みたいな
この犬も峠は越えられまいみたいな
そのときに出てきた
甲府での
おかみさんがさっき出てきた
登場した女の人でしょうね
彼らしくないちょっと
明るい未来が少し
見えてきた頃の
感じなので
暗さが少し
なんかないですねあんまりね
女の子たちの写真撮るのに
女の子たち外して富士山だけ撮っちゃったりして
そんなお茶目な感じね
はい
そんな感じでした
冒頭でも話しましたが
二十代後半頃に登った富士山ですが
その頃から
中国人の観光客とか多くて
今はもっと多いと思いますが
入場料
入山料もその頃全然全く
なかったので
一応誰でも来るものはここまでで
ウェルカムな状態だったんですが
舐めぷおした中国人がね
サンダルとかでゾロゾロ
富士吉田口から入っていくみたいなのを
よく目撃しましたが
僕たちはちゃんと山登り用の装備を
ちゃんとしていったんですけど
あれ何号目だろう
8号目
よりちょっと前ぐらいかな
インド人の親子が
やっぱ上の方行くと
すごい寒いんですよ
下で30度あっても
頂上とかだと多分10度ぐらい
なんですよね
100メートル上がるごとに1度下がるから
ちょっと計算できないけど
とにかくすごく寒いんですけど
頂上本当に
その8号目も十分涼しくなって
なんなら全然肌寒いんですけど
インド人の親子がね
半袖状態で
お父さんは富士山のガイドマップみたいなのが
あまりの寒さに
お腹に巻き始めて
紙のガイドマップを
厚紙のガイドマップを
嫁と娘がもうぐんなりして
お父さんも帰りましょうよ
もういいじゃないっていう
それを
少しパンパンに膨らみ始めたポテトチップスを
開けながら見てました
僕は休憩所で
あの親子悲惨だなって
お父さんがなんか
よし富士山登っちゃうぞって
こんなとこ連れて来られた
嫁と娘がぐんなりしてるっていうね
お父さんはねどうだってやってるんだけど
女性人はもう
テンションが下がるばかり
というね
どこの国でもあることなんだなという風に思いました
ちょうどまだ8月なんで
知り合いが今週
登りに行くそうです
これですねよく登りますね
今入山料4000らしいですよ
それから装備が
全然
登山に適していない装備の人は
たとえ入山料を払っていても
これから先は登らせねえぜ
というのがあるそうですね
色々時代が変わりましたね
世界遺産ですからね
それぐらい管理してもいいんじゃないかな
という気もしますが
富士山に限らず
様々なアクティビティ
もらえられる方はいろいろ
お気を付けてどうぞご安全にと
申し送りをして
この回を締めたいと思います
それでは終わりにしましょう
無事に寝落ちできた方も
最後までお付き合いいただいた方も
大変にお疲れ様でした
といったところで今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう
おやすみなさい
48:51

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