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2025-08-07 18:10

154夏目漱石「人生」

154夏目漱石「人生」

僕は割と悔いなく生きてますが、あなたは如何ですか。

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サマリー

夏目漱石の「人生」では、人生の本質や人間の心理の複雑さが論じられています。人間の行動や道徳的責任についても触れられており、自己理解の重要性が強調されています。また、人生の理屈や心の深い考察があり、数学的には説明できない複雑さが描かれています。さらに、過去の文学や文化に触れることによって、現代の人々の心に響く要素が取り入れられています。

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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は、公式エックスまでどうぞ。
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今日は、 夏目漱石さんの
人生です。
文字数は4センチ弱 なので
えー 10分ぐらい?
前回すごく長かったんで、今回はすごく短くてもいいかなと思ってますけど。 すごい猫が鳴くな。猫ちゃん
お静かに願いますか? なんか寝る体勢を取り始めたので大丈夫そうですね。
はい、それではやっていきましょうか。 短めですが、よろしくお付き合いいただければと思います。
人生の本質
それでは参ります。 人生
空を詳しくしている、これを物といい。 時にそうて起こる、これをことという。
事物を離れて心無く、心を離れて事物無し。 故に、事物の変遷推移を名付けて人生という。
なお、金心銀尾馬蹄のものを捉えて麒麟というが事し、 各定義を下せばすこぶる六つ歌詞けれど、
これをひらがなにて翻訳すれば、まず、 地震、雷、火事、
親父の恐ろしき御悟り、 砂糖と塩の区別を知り、恋の重に、義理のしがらみなどいう意味を
我転し、 純逆の似経を踏み、
佳福の二問をくぐるのいいに過ぎず。 ただ、そのいいに過ぎずと感ずれば、双方百端、千差万別、
十人に十人の生活あり、百人に百人の生活あり、 千百万人、また各々千百万人の生涯を有す。
ゆえに、無事なる者は、御法を聞きて昼飯を食い、 忙しき者は功績あたたかならず、
卜凸犬せずともいい、変化の大きは、 西洋の馬に侵入をかけたるが如く。
不平なるは放たれて宅藩に吟じ、 壮烈なるは匕首を懐にして不足の心に入り、
頑固なるは修養山の蕨に余命をつなぎ、 曜茶にしたるは竹林に髭をひねり、
ずぶときは南禅寺の山門に昼寝して御法を恐れず、 いちいち数え来たれば日もまたたらず、なかなか煞雑なものなり。
のみならず故人の一行一位、各その寄るところをいいにし、 その及ぼすところを同じうせず、
人を殺すは一なれども、毒を盛るは刃を加うると等しからず、 故になるは不良の出来事と云うを得ず、
時には間接ともなり、あるいはまた直接ともなる。 これを分類するなに相応の手数はかかるべし。
まして国に言語の相違あり、人の上下に区別ありて、 同一の字別も種々の記号を有して、
故人の面目を連乱戦とするところこそ、 ますます面倒なれ。
比較するなに賢けれど、番上にはこれを放魚といい、 筆符にはこれをくたばるといい、
鳥には落ちるといい、魚には上がるといいて、 しかも死はすなわち一なるが如し。
もし人生をとって種分留籍するを得ば、 天上の星と磯のマサゴの数も容易に計算し得べし。
小説はこれ、煞雑なる人生の一側面を移すものなり、 一側面、なおかつ単純ならず、
人間の行動と責任
されども移して真に居る時は、 事物の紛騒を乱雑なるものを総合して一の手摺を数うるにたる。
我、エリオットの小説を読んで、 天性の悪人なきことを知りぬ。
また、罪を犯す者の許すべくして、 かつ憐れんべきを知りぬ。
一挙手一投足、我が運命に関係あるを知りぬ。 作家例の小説を読んで、正直なる者の馬鹿らしきを知りぬ。
高かつ寛内なる者のように沈重せられるべきを知りぬ。 ブロンテの小説を読んで、人に感濃あることを知りぬ。
家出し小説に、境遇を除する者あり、貧性を移す者あり、 心理上の解剖を試むる者あり、
直角的に人生を感覇する者あり。 四者、各その方面に向かって、亜人に教えるところなきにあらず。
されども人生は、心理的解剖をもって集結する者にあらず。 また直角をもって感覇し、応すべきにあらず。
我は人生において、これら以外に一種不可思議の者あるべきを信じず。 いわゆる不可思議とは、カッスル・オフ・オトラントの中の出来事にあらず。
タム・オー・シアンターを追いかける妖怪にあらず。 マクベスの眼前に現れる幽霊にあらず。
放送音の分、コルリッジの支柱に入るべき人物の意にあらず。
我、手を振り、目を動かして。 これもその何のゆえに手を振り、目を動かすかを知らず。
因果の逮捕をないがしろにし、 事故の意思を離れ、卒然として起り、博知にきたるものを言う。 続くこれを名付けて狂気と呼ぶ。
狂気と呼ぶもとより不可なし。 されども、この種の性を重くして狂気となす者どもは、他人に対してかかる不敬の称号をお呈するに先立って、
己ら、またかつて狂気せることあるを自認せざるべからず。 またいつにても狂気し得る資格を有する動物なることを承知せざるべからず。
人、あに自ら知らざらんやとは品の豪傑の語なり。 人々自ら知らば、もとより文句は無きなり。
人を指して馬鹿と言う。これ、己が利口なる時のおいて発するの批評なり。 己もまた、いつにても馬鹿の仲参りをするに十分なる可能力を具備するに気がつかぬ者の批評なり。
極に当たる者は迷い、傍観する者は笑う。 しかも傍観者必ずしも気をよくせざるを遺観せん。
自ら知るの名あるもの少なしとは世間にて言うことなり。 我は人間に自知の名無きことを断言せんとす。これを法に聞く。
曰く、巧妙眼前にあり、人々何ぞ忠ちに事故の凶を控除して思いのままを言わざる。
されど人ありて思いのままを書かんとして筆を取れば筆たちまち得し、紙をのぶれば紙たちまち縮む。 法制下世の手につばして得られるべきを知りながら、何人も躊躇して果たさざるはこれが為なりと人、
あに自ら知らざらんや法の言を反復熟読せば、思い半ばにすぎん。 気出し人は夢を見るものなり、思いもよらぬ夢を見るものなり。
さめてのち、冷やせせにあまねく傍然実質することあるものなり。 夢ならばと一生に不死去るものは、一を知って二を知らぬものなり。
夢は必ずしも夜中画章の上にのみ見舞いに来たるものにあらず。 晴天にも白日にも来たり、
大堂の真ん中にても来たり。 遺憾息退の折り舵に容赦なく、達を這いして沈入しに来たる。
きびの際、忽然として亜人を騎士せしめて、その来たるところをもとより知りうべからず、 その去るところをまた尋ねがたし。
しかも人生の真相は、なかばこの夢中にあって恩役たるものなり。 これ、自己の真相を発揮するは、すなわち名誉を得るの成形にして、この成形に従うは卑怯なる人類にとりて無情の難関なり。
願わくば、人亜に自ら知らざらんや、などいうものをして、誠実にその心の歴史を書かしめん。 彼必ず自ら知らざるに驚かん。
三陸の津波、農民の地震、これを称して天災という。 天災とは人為の遺憾とも術からざるもの。
人間の行為は良心の制裁を受け、医師の主催に従う。 一挙一動皆責任あり。
もとより洪水、飢饉と火を同じようにして論ずべきにあらねど、 良心は不断の主見者にあらず、
死し必ずしも我が意思の欲するところに従わず、 一朝の変、我然として奇麗の光景を失して奈落に陥落し、
闇中に暗躍することなきにあらず、 この時にあたって我が心身には秩序なく、系統なく、資料なく、分別なく、
ただ一気の盲導するに任ずるのみ。 もし津波、地震をもって人為にあらずとせば、この盲導的動作、また必ず人為にあらじ。
自己理解の重要性
人を殺す者は死すとは天下の情報なり、 それども自ら死を決して人を殺す者は少なし。
呼ぶ息迫り、白人ひらめくこれ刹那。 既に身あるを知らず、いずくんぞ敵あるを知らんや。 雷光営利に旬風を切る者は人以下、旗、天以下。
西門、老歩一人一室の中に座し、名刺仮装す。 両頬積を発し火の如く。
口喚、カクカク声あるに至る。 島を食し、火を摘まざれば入れず。
思いを構うの時にあたって大工ある者の如し。 すでに来たればすなわち待機。衣を引き、床をめぐりて協護す。
バーンス、詩を作りて過剰に拝戒す。 あるいは針銀し、あるいは提唱す。
たちまちにして大声放火、卑怯、涙下る。 聖人、この詩の書作を名付けてインスピレーションという。
インスピレーションとは人以下、旗、天以下。 狄陰詩曰く、世には人心のいかに善にして、またいかに悪なるかを知られすぐる者ありと。
他人の身の上ならば無論のことなり、我は狄陰詩に反問せん。 君は君自身がどのくらいの善人にして、またどのくらいの悪人たるを承知なるかと。
あにただ善悪のみならん。 虚優豪弱高下の文。
みなこれ反問中に居るを得るべし。 平らかなる時は天落ち、地隠るとも驚かじと思えども、一旦ことあれば、 祖父ん領上より落ちてらに生根の種となる。
自ら口惜しと思えどせんなし。 現時正当の戦事をこむりて、はるばる藤川まで押し寄せたる七万余騎の大群が、 水鳥の羽音に一しもいられ逃げ返るとは、 平家物語を読む者の馬鹿馬鹿しと思うところならん。
ただに五代の我々が馬鹿馬鹿しと思うのみにあらず、 当人たる平家の侍どもも翌日は定めて口惜しと思いつらん。 されども彼らは藤川に宿したる番に限りて、
急にそろいもそろうて臆病風にかかりたるなり、 この臆病風は二十三日の半夜、壮然吹き来たりて七万余騎の人中を駆け巡り、 よく来る二十四日の行天に至りて咳としてやみぬ。
誰かこの風の行方を知る者ぞ。
犬に吠えつかれて、 「はてな?俺は泥棒かしら?」と結論する者は余ほどの馬鹿者か、 非常な慌て者と感情するを得るべし。
されども世間には賢者をもって自らをおり、 智者をもって人よりも伏せられる者の、なおこの病にかかることあり。 大丈夫と威張る者の最後の場に臆したる、卑怯の名を博したる者が、急に猛烈の勢いを示せる。
皆、これ自ら解釈せんと欲してあたわざるの現象なり。
いわんや他人語や、二点を求めてこれを通過する直線の方向を知るとは、 奇科学上のこと。
誤人の行為は二点を知り三点を知り、重ねて百点に至るとも、 人生の方向を定まるに足らず、人生は一個の理屈にまとめ得るものにあらずして、 小説は一個の理屈を暗示するに過ざざる以上は、
サインコサインを使用して三角形の高さを計ると一般なり、 誤人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを遺憾せん。
もし人生が数学的に説明し得るならば、 もし与えられたる材料よりXなる人生が発見せられるならば、
もし人間が人間の主宰たるを得るならば、 もし詩人文人小説家が記載せる人生の他に人生なくんば、 人生はよほど便利にして人生はよほど偉きものなり。
不足なへん外界に起り、思いがけぬ心は心の底より出来たる。 容赦なくかつ乱暴に出来たる。
津波と震災はただ二三陸と納尾に起るのみにあらず。 また自家三寸の丹田中にあり。
堅能なるかな。
明治29年10月、大御高等学校流難会雑誌。 1968年発行、筑波書房。
文化と心の響き
現代日本文学体系17、夏名創籍集1。 より読料読み終わりです。
難しかったですね。
古文?現代文じゃないよね。
新字。字は新しいけど旧金遣い。 だからか。ちょっと難しかったと思います。
僕も難しかったですね。
これに今の現代語で訳した夏名創籍特有のユーモアが生きてきて、 面白い文章になるんだと思うんですけど。
ちょっと昔の金遣いなんで。
いちいち言葉が難しかったな。
一番最初の方に、地震、雷、火事、親父、 砂糖と塩と区別を知り、恋の重荷、義理のしがらみなどいう意味をがてんし。
恋の重荷ってね、僕人生で一度だけ見たことある能の演目のタイトルだったんですよ。
そこから取ってんじゃないのかしらという気がしますね。
インテリですね。
これを読み上げている最中に、
取引先から連絡がありまして、
みんなで忘年会などで使わせてもらった歌舞伎町の中にあるですね、
沖縄パラダイスという大きな箱のマスターが、
有名なマスターだったんですけど、ギターを弾きながら、
ウクレレかあれ?
本日の主役的な人たちを盛り上げながら、
オリオンビールの歌を歌ってね、
本を盛り上げるという名物マスターがいたんですが、
先月7月22日に74歳でお亡くなりになったそうですというご連絡が参りました。
僕もね、母親が沖縄の人なんで、
多少の縁を感じつつという感じでしたが、
心よりご冥福をお祈りしたいと思います。
それでは終わりにしましょうか。
無事寝落ちできた方も、最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで、今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
18:10

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