1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 053北原白秋「白帝城」
2024-08-08 26:34

053北原白秋「白帝城」

053北原白秋「白帝城」

劉備と諸葛亮にゆかりのあるあの白帝城ではなく、犬山城のことだそうです。お城はまったく詳しくありません。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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00:05
寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて、今日は北原白秋さんの白帝城というテキストを読もうと思います。
先日も読みましたが、北原白秋さん。
日本の近代史に象徴主義を定着させた重要な詩人の一人。
よさの鉄関、よさの秋子、石川卓卜など同時代の詩人と交流したと。
ちょっと端折って説明すると、そういう方だそうです。
多分、国語の教科書に載っていた方ですね。
今回のテキストは白帝城ですが、どこかで聞いたことがあるな、
多分三国志だなと思っていたんですけど、この白帝城はですね、
日本の白帝城で犬山城の別名だそうです。
それでは参ります。
白帝城。ほら、あれがお城だよ。
私は振り返った。
私の城からは丸い麦わら棒に金と黒とのリボンをひらひらさして、
白茶の背広は濃い花色のネクタイを結んだ。
やっと五歳と四ヶ月の幼年紳士が、とても潔く口を辺の字に引き締めて、
しかもゆたりゆたりと歩いていた。
地蔵前の目が大きく、汗がじりじりとその寮の頬に輝いている。
明鉄の電車を乗り捨てて、差し掛かった白い白い大鉄橋。
犬山橋の鮮やかな近代風景の中のことである。
暑い暑い。
パナマ棒の黒い上着を脱いで、抱えてワイシャツの片手には鳥の首のついたマホガニーの農民美術のステッキをついて行く。
その子の父の私であった。
うん、そうか。
父と子とはその鉄橋の中ほどで立ち止まると、下手向きの白い欄管に寄り添って行った。
龍太郎は一生懸命につまだちつまだちした。
顎が欄管の上に届かないのだ。
ちょうど8月4日の正午、しんしんと降る両岸の蝉しぐれであった。
03:01
応用たる木曽川の水。
雲の濁って凄まじく増水した日本ライン。
吹き昇る乱雲の層は南から西へ徴従して、
何かそこびかりのするむしむしと紫に曇った機械な一脈の連邦を抑え現出している。
その白がれの幅林がまた何よりも強く目を射ったのである。
その下流の右岸には秀麗な角錐形の山。
かっこそれは夕暮富士だと後で聞いたが。
山の頂辺に細い縦の裂け目のある小松色の山が、
白い河津のゆるい湾曲線と程よい近径をなして、
遥かには安雲の低迷した、
それはおそらく周雨の佐那角野郎というところの息吹山の辺りまでバックに、
広々と霞んだ打ち開けた平野の聖殿も眺められた。
その左岸の犬山の城である。
誠に白帝城は老樹層を映たる丘陵の上に現れて粉碧鮮明である。
小さな白い三層楼。
何と天麗な、しかもまた金星した美しい天守閣であろう。
この城あって初めてこの景象の体感は生きる。
生きた脳髄でありレンズの焦点である。
全くかの城こそは日本ラインの白い兜である。
お城には誰がいるの?
今は誰もいないんだ。
昔ね、兵隊がいたんだよ。
私はその子の麦わら棒を軽く叩いた。
かの美しい城の白光が果たしていつまでこの幼い同志の記憶にあり得るであろうか。
そしてあの青空が、雲の輝きが。
父はまたその子の麦わら棒を二つ叩いた。
私は密かに微笑した。
少し強く叩いておけ。
私の長男である彼、劉太郎は、
神経質だが意志は強そうである。
一緒に行く。
機関車に取り付いてでもついて行くと言って聞かないので、
やむなく小さなリュックサックを背負わして連れて出たものだが、
下りの特急の展望車で、
大きな回転椅子に絵本を広げていたときにも、
この子は一個の独自の存在であった。
食堂のテーブルに費やったわずかな時間の暇にも、
この子はおぼつかないながら、
ナイフとフォークは確かに自分のものとして、
焼きたてのパンや黄色いバターやしょっぱいオムレツの上に臨んで、
決して自分を取り乱さなかった。
箱根の経路にかかって、
06:00
後部の大きなガラス戸に機関車がぴったりとくっつき、
そのままゴーゴーと真っ黒い正面を轟かして押し上ったときにも、
それを見たこの子はそれこそ一人で大喜びであった。
その夕方、名古屋の親戚の家の玄関に立ったときにも、
別に鼻じらみもしなかった。
彼が生まれた日にだけしか、
彼を見なかったそのおばさんが、
「ほう、お前がりゅうぼう。まあ、大きくなりましたね。
ほう、よく似ているわね、うちの子に。ほほほ。
よくまあ、お父さんについてこられましたね。」と驚いて、
その敷台で微笑されたときにも、この子は、
「うん。」とだけ言って笑った。
そうして自分で靴を脱ぐとすぐに飛び込んでいった。
海の母に初めて離れて遠い旅に出るこの子の母は、
よく言ってきかした。
「ね、坊や。自分のことはみんな自分でするのですよ。」
だからその晩にも、彼は一人で必死になって上着を脱いだり、
パンツやシャツのボタンを外したり、
寝衣に着替えたり、帯を結んだり、
寝床に転がったり、眠ったりした。
その翌朝の夕方、
その翌朝の今日のことである。
柳橋駅から犬山橋までの電車の沿線にはクワが越え、
ナシが実り、青い水田の所々にはほのかな赤い蓮の花が、
朝の八月の香りを爽やかな空気と日光との中に漂わしていた。
そうした清々しい眺めと香り等をこの子はどんなに貪りすったことか、
父とまた初めて旅するこの子の瞳にはどんなに黒く生々と燃えていたことか、
そして酒の戸としての私にはやや差し障りそうな道連れではあったが、
時とすると侮り難い小さな監督者であろうも知れぬが、
だが私自身にもむしろあるいはそれを望んだ心持ちもあった。
私は我が子の両手を強く握った。
よく一緒にやって来た。来て本当によかったのだ。
誠に白亭城は日本ラインの白い兜である。
おお、そうして白い暮れたけた昼の片割れ月が、
おお、ちょうどその白い兜の八幡座にある。
白亭城に上ったのはその上の麓の最雲閣、
かっこ名鉄経営の路上が、
龍太郎のいわゆる臭いのする魚を冷たいビールの乾杯で、
09:00
初めて爽快に風味してややしばらく飽満したその後のことであった。
その白亭城の裏手から葉桜の土手を歩いて右へ、
ゆるいだらだら坂を少し上ると、
犬山焼きの同じ構えの店が並んでいる。
それから回ると公園の広場になる。
ところで国際式の九尺がキラキラと、
大羽根を丸く広げた夏の初熱と光線とは、
この旅にある父と子とを少なからず喜ばせた。
その隣の金網の中には、
起義する小猿が幾匹と鳴く豚狂にその桃色の目の周りを動かすのである。
そうだ、ここだったなと私は思った。
金とウルミシュの羽の色をした鳶の子が、
ちょうどこの杖の角の棒食いに止まっていたのを見た七八年のことを思い出したのである。
私はあの時、耳づくかと思った。
近々と寄ってみると、
鳶は頭の丸い、本当に罪のない銅眼の持ち主であった。
そうだった。
これが破立な神社だったと私はまた微笑した。
あの冬の名古屋市は全く恐怖と寒気とで、
その繁華な心臓の鼓動も止まりそうであった。
白星の流行官房は日に幾重と泣くその善良な市民を仮想場に送った。
私もまた同じ戦慄の中に描画して、厳しい霜と小さい太陽と、
凍った月の光ばかりを眺むるより他はなかった。
旅で病むのは何と心細かったことだろう。
それに私は貧しい限りであった。
島村宝月氏の痛ましい不法を新聞で知ったのもその時であった。
今、私の相次は幼年紳士は旧斜面の湖の白い石の太鼓橋を欄間につかまりつかまり、
シャニムに這い上ろうとしている。
一向の誰かれが面白がってよいしょよいしょと背後から押してあげている。
龍太郎は危機として声を立てる。
やっと上がったところで半ズボンの両足を前へつるつるつるである。
父の私も前回りして手を打って林立てる。
昔と今と変われば変わるものだと私は思う。
そうだ、あの頃はまだ日本ラインという名すらさして知られてなかったのだ。
12:06
日本ラインという名称は感心しないね。
冒頭がライン川をフランスの基礎川とも佐川峡とも呼ばない限りはね、お恥ずかしいじゃないか。
そうですとも、日本は日本で、ここは基礎川でいいはずなんで。
基礎川橋ほとりの雀のお宿の主人、野田住子がすぐと私に言わした。
みんながよくそう言いますね。
私たちはいつの間にか城の照明へと向かいつつあった。
軽い足取りで。
浴衣に袴の白線を持った痩せ方の老人が金元に私たちを迎えた。
役場から見えていたのである。
急きに見るとこの犬山の城は、影響のせいに芝市の家臣、小田氏がこの地を領し、
柴三上が初めて気づいたとある。
柴氏が滅びてから織田、徳川の一族が寄って部位を張った。
小牧山合戦の際には秀吉も入場したことがあったとか言う。
一時、天下が家康に起死してからは美秀公の家老、成瀬早人が訪ぜられた。
それ以来明治維新まで連綿として道家九代の巨像として光った。
現存の天守閣は慶長四年の秋に家康が濃州近山の城主森忠正を新州川中島に転保したおり、
その天守閣と矢倉島を時の犬山城主石川三義に与えた。
それを翌年の五月に木曽川を下してこの犬山に運び、これを築き上げたものである。
斉藤大永尾正重の建築だそうである。
この博庭場は美しい。
その総合的美観はその位置と給料の高さとが明らかにして洋々たる河川の体型と相まって、
よく調和し栄称しているにある。
加えて壮後な森林草がその麓から打ち上っている。
展望するに果てしない平野の銀と緑と紫の煙花がある。
山城としてのこのプランは桃山時代の息を尽くした城保建築の項模型だというが、そういえばよく頷かれる。
ただ僅かに残って今にそびえる天守閣の正しい金製。
その高欄をめぐらし、各層に屋根をつけたイリオモヤ造りの瓦。
15:02
その白雅の城。
外観こそは三層であるが、内部に入ればそれは五層に高まっていく。
その五層の昔ながらの木の階段を上るとき、龍太郎は危うく転びかけた。
そして樹形の八甲星から引きかかえてもらった。
「なんでこんなに暗いの?なんでこんなに暗いの?」といいして上ってきた。
「あ、名古屋城が見える。」と誰かが叫んだ。
天守閣の最上層の高欄へ出たところで、私たちはまず南方の大平野を眺望した。
昨日電車で買ってきた沿線の高田の緑と、
蓮池らしい薄紅の天体が遥かにもことしたどん天高まで続いて、
ただ一つの青色の濃い小牧山が、低く小さく鬱屈しているその左に、
彷彿として立つ紫の源頭が見える。
それが近城だというのである。
そう聞けば何か戦線たる気迫が光っているようでもある。
その地平線は白の地に、木と少量の朱と、藍と黒と混ぜた雲と霞とであった。
その雲と霞は数畳の太い望遠で掻き乱されている。
鮮麗な電光色の輝く二時間前の名古屋市である。
東から北へと甲乱へついて目を移すと、
柔らかな物悲しい赤と青色の丘陵のうねりが静かな日光の反射に浮き出しているとなりに、
二つの丸い緑の丘陵が大和へさながらの色帳で並んで、
その一つの小高みに、感慨な古典的の童謡が陰見する。
追戦時産だと人が言った。
その山から津賀野をカラスガミネと頂上して、
その背後から白い巨大な石雲の層がむくりむくりと吹き出ていた。
その素晴らしい白と金との向うに、
エナ、コマガタケ、オンタケの章宝が競って天を増しているというのだ。
見えざる山岳の起因は彼方にある。
なんとこもったブドウネズミの雲。
と、せいせいとして白い鉄橋の方へ流るる蝉のコーラスである。
爆音がする。
左岸の城山に童謡を穿つのである。
気岸突月としてそびえ立つその頂上に近代のホテルを建て、
18:00
さらに岩石層の縦穴をくり抜き、
しんしんとエレベーターで旅客を運ぶ計画だそうである。
と見ると遊覧船は矢型、あるいは白のテントを張って、
日報ラインの上流より矢のように走ってくる。
その光光光。
あたかもレジェンドの中の王子の小舟のように、
ちかりちかりとその光は笑ってくる。
大いと呼びたくなる。
中仙堂は鵜沼駅をふもととした水欄の層に続いて、
西へと連なるのは多渡の山脈である。
鈴川かすかに。
息吹は未だに吹き上げる風雲のイノシシ色に、
その山頂を吹き乱されている。
目の下の大河を隔てた夕暮富士を越えて、
鮮やかなひらかぶの中に、
てんてんと角濃粉の輝くのは鏡ヶ原の飛行場である。
西は清々たる伊勢の海を玄海の他にかすませて、
河口へ至る石舟の白穂は風をはらんで、
壮大な三角巣の白砂と水戸にてり、
明かって陰って通り過ぎる。
低くまた広々と相隔たった両岸の町と柳と竹矢歩と、
そうして走る自転車の輪の光。
白亭城は絶晶の位置にある。
私はさらに俯瞰して、
二層目の入屋のいらかにほのかに、
それは奥ゆかしく、
薄紅の線状のネムの花の咲いているのを見た。
樹木の花を上からこれほど近く親しく見ることは初めてである。
いかにも季節は夏だと感じられる。
絶壁の上の楓の老樹も、
手に届くばかりに山砂と枝を分かち、
葉を交えて鮮明に澄んで静かなチラチラとした光線である。
幾百年とたった大木の楓の木は樹木はハゲ。
枝は裂けていい錆色に古びている。
その梢の群青をカラスがハタハタと動かして、
とまる。
花王、花王である。
古風な白亭城。
水道の取入口は川に臨んで、
その城の絶壁の下にあった。
私たちは城を降りると、
再び初熱と外光の中の典型人物となった。
ひらひらとしきりに白い扇が羽ばたき出した。
21:04
公園からだらだらの坂を二階に降り、
日陰をえらみえらみ小急ぎになると、
桑畑の中へあおれたところで、
潮らしい赤いほうせんかが目についた。
もう秋だなと思う。
簡素な洋風の家がある。
入口は開けっぱなしで、
粗末な宅に何か仕事をしている歪尺の人がある。
役場の老人がそこで何かと挨拶をする。
かすかに私の名を言っている。
私たちは道門に入る。
外へ出ると、かつぜんと開けて前は基礎の大河である。
この大河の水は岩床を裂いた水道のコンクリートの隅と、
赤さびた鉄の扉の上をわずかに越えて、
流れ注いで外には濁った白い水泡と
塵ぼこり等をたやかに溜めているばかりだ。
何の気もない静けさである。
この水が名古屋全市民の生命をつないでいるのです。
と爪襟をはだけた静謀の若者が説明する。
私たちは引き返して道門をくぐると、
二台の計算機の前に出た。
かすかに回っている円筒の方に
青い陰気が針からにじんでほとんど動くか動かぬかに、
水量と速度等をじりじりとのこぎり型に印して進む。
そこで若者は叩きの間の方を五六尺の鉄板の蓋を持ち上げる。
あんだる穴の底から冷気がそーっと吹き上げる。
水は音なく流れて地下十八尺の深さを
遥かの大都会へ休みなく走りつつ押しつつある。
しんしんとしたその本流。
詩歌の本流というものもちょうどこうした心象にあって
かすかに力強く流るるものだ。
この本流の誠のさえ、
かすかに力強く流るるものだ。
この本流の誠の生命力を思わねばならない。
私は龍太郎の首をしっかと後ろから抱いた。
山雲郭へ戻ると小坊主はすぐと名古屋へ帰ると言い出した。
名古屋のおばさんは昨夜この子の母に長距離の電話をかけていた。
病気でもされると申し訳がありませんしね。
ちなみにお菊さんもまだ一度も里帰りしないのですから
ちょうどいい折ですし呼びましょうか。
24:01
ということであった。
それに、いとこたちは大勢だし、
汽車や電車の玩具はあるし、都会は壮麗だし、
何か早く帰りたいらしかった。
じゃあそうするか。頼むよ。
と私は老院の八皇子にその子を託した。
空は薄明かりとなる。
ぱっと、園内のカンツリーホテルに電灯がつく。
白、白、白。
9時とテーブル。
帰ろ帰ろと、どこまで帰る。
赤い火のつく山頂先まで帰る。
帰ろが鳴くから帰ろ。
並木の鈴掛けの間を
夏の悠長花の咲きもった遠景花壇と
緑の芝生に沿って、
たどたどと帰っていく
妖年紳士の歌声が聞こえる。
おい。
私は二階の欄間へ出て両手を挙げる。
おい。
向こうでもこちらを見て両手を挙げる。
白い片割れ月は木に明るく匂ってくる。
そうしてその空の私からは見えぬ他に白い白亭上を
私の小さい分身の子供が立って止まって仰いでいる。
近々と城の様より見下ろして
梢の眠の散り形の花。
花火すぎ水に漂う輪柄は仁王の鳥よりなお哀れなり。
水車船。
せぜにもやいて着く機根の
白くかさきき夏もいぬめり。
1976年発行。
ホルプ出版。
現代日本気候文学全集
中部日本編
より読み終わりです。
えーとですね、ものすごく漢字が
読み方が普段使われていないので
使わない読み方が多くて大変でした。
無事寝落ちしていただけることを切に願います。
それでは今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
26:34

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