1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-02-22 04:39

#9 夏目漱石『夢十夜第六夜』朗読 from Radiotalk

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雲県は五穀地の山門で二王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってみると、自分より先にもう大勢集まってしきりに下馬票をやっていた。
山門の前五六県のところには大きな赤松があって、その幹が斜めに山門のイラカを隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱縫の紋が互いに移り合って見事に見える。
その上松の位置がいい。門の左の端を目障りにならないように端に切っていって、上になるほど幅を広く屋根まで突き出しているのが何となく古風である。
鎌倉時代とも思われる。ところが見ているものはみんな自分と同じく明治の人間である。
そのうちでも社婦が一番多い。辻町をして退屈だから立っているに沿いない。
大きなもんだなあ、と言っている。
人間をこしらえるよりもよっぽど骨が折れるだろう、とも言っている。
そうかと思うと、へえ、仁王だね。今でも仁王を掘るのかね。へえ、そうかね。わっしゃまだ仁王はみんな古いものばかりかと思ってた、と言った男がある。
どうも強そうですね。
なんだってえますぜ、昔から誰が強いって仁王ほど強い人はないって言いますぜ。
なんでも大和だけの御子とよりも強いんだってえからね、と話しかけた男もある。
この男は尻をはしょって帽子をかぶらずにいた。よほど無教育な男と見える。
雲景は見物人の評判には一切頓弱なく、のみと土を動かしている。
一向振り向きもしない。
互いところに乗って仁王の顔のあたりをしきりに掘り抜いていく。
雲景は頭に小さい絵星のようなものをのせて、巣尾だかなんだかわからない大きな袖を背中でくくっている。
その様子がいかにも古臭い。
わいわい言っている見物人とはまるで釣り合いがとれないようである。
自分はどうして今自分まで雲景が生きているのかなと思った。
どうも不思議なことがあるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし雲景の方では不思議とも期待ともとんと感じえない様子で一生懸命に掘っている。
仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
さすが雲景だな。眼中に我々なしだ。
天下の英雄はただ仁王と我とあるのみという態度だ。
あっぱりだ。と言って褒め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。
それでちょっと若い男の方を見ると、若い男はすかさず、
あののみと土の使い方を見たまえ、大自在の妙境に達している、と言った。
雲景は今太い眉を一寸の高さに横へ掘り抜いて、
のみの葉を縦に返すや否や端に、上から土を打ち下ろした。
片息を一刻に削って、厚い菊子が土の恋に応じて飛んだと思ったら、
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小花のおっぴらいた怒り花の側面がたちまち浮き上がってきた。
その灯の入れ方がいかにも無遠慮であった。
そうして少しも疑念を差し挟んでおらんように見えた。
欲は無造作にのみを使って、思うようなまみえや花ができるものだな、
と自分はあんまり感心したから独り言のように言った。
するとさっきの若い男が、
何、あれはまいや花をのみで作るんじゃない。
あの通りのまいや花が木の中に埋まっているのを、のみと土の力で掘り出すまでだ。
まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない、と言った。
自分はこの時初めて彫刻とはそんなものかと思い出した。
果たしてそうなら誰にでもできることだと思い出した。
それで急に自分も庭が掘ってみたくなったから見物をやめて早速家へ帰った。
道具箱からのみと金槌を持ち出して裏へ出てみると、
せんだっての嵐で倒れた樫を薪にするつもりで小引きにひかせた手ごのなやつがたくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、
勢いよく掘り始めてみたが不幸にして仁王は見当たらなかった。
その次のにも運悪く掘り当てることができなかった。
三番目のにも仁王はいなかった。
自分は積んである薪を片っ端から掘ってみたが、
どれもこれも仁王を隠しているのはなかった。
ついに明治の木には到底仁王は埋まっていないものだと悟った。
それで運慶が今日まで生きている理由もほぼわかった。
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