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2024-09-24 47:29

066鴨長明「現代語訳 方丈記(前)」

066鴨長明「現代語訳 方丈記(前)」 平安時代。人とすみかの無常を、五つの天災の体験を述べて裏付けてうたい上げています。ぼくたちはどこから来てどこへ行くのか。この世は無常。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見、ご感想、ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。 さて、今日は鴨の長明の方丈記です。
小学校で習いましたね。小学校だっけ?中学校でしたっけ? 日本中西文学の代表的な随筆。
古典日本三大随筆といえば、健康法師のツレズレ草、 清少納言の枕草子と続き、この鴨の長明の方丈記となっているそうです。
ちゃんと読んだことないですね。多分文章難しすぎて読めないんだろうな。 で、今回の読み上げる文はですね、現代語訳となっております。
訳は佐藤春夫さんということで。 お話全体が長いので、
今回は前後編に分けたいと思います。 で、方丈記の全体的なお話の作りがですね、
冒頭で人と住処の無情を謳い上げ、5つの天才の体験を述べて裏付けた後、
世俗を捨てた官居生活の楽しさを語り、さらに仏教徒としての時効を変えりみて結ぶということで、
この5つの天才の体験を述べて裏付けるぐらいで、1回このブロックが切れてそうなので、 この辺まで読んで前半としたいと思います。
後半はその続きからとやってまいりましょう。 今日は長そうだ。それではまいります。
現代語訳方丈記 川の流れは常に絶えることがなく、しかも流れゆく川の水は移り変わって絶え間がない。
本流に現れる飛沫は一瞬も止まることがなく、現れるやすぐに消えてしまって、また新しく現れるのである。
世の中の人々の運命や人々の住処の移り変わりの激しいこと等は、ちょうど川の流れにも例えられ、
また本流に現れては消え去る飛沫のように極めて儚いものである。 僧侶を極めた花の都の中にぎっしりと立ち並んでいる家々は、
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各々の美しく高いイラカをお互いに競争し合っている。 これらの色々な人々の住処はいつの時代にでもあるもので、決して絶えるものではないのであるが、
さて、こういう帰遷さまざまな人々の住処のうちに、不変のものを見出すということはできるものではなく、
昔のままに現在までも続いているという住処はほとんどなく、 極めて稀に昔の美しさのあるものを発見するのがすこぶる難しいことなのである。
この辺に美しい立派な住処があったのだが、と見てみると、もうその家は去年焼け失せて、亡くなっていたりする。
また、こんなところにこんな住処はなかったのに、と思って見てみると、前の貧しい家は焼け失せて、現在はこれほどの立派な住処になっていたりするものである。
このように昔お金持ちであって、立派な美しい住処に住んでいた人が、今は見る影もなく落ちぶれて、昔の住処に比べれば、掘った手小屋同様の住処に住んでいたりする。
こんな運命が人々の歩まねばならないものなのである。 昔からの知り合いはいないものかと見てみると、そうした人はなかなかに見つけることができなくて、ところも昔のままのところであるのに、
また、そこに住んでいる人々も昔のように多数の人々が住んでいるに関わらず、住人の中わずかに2、3人しか見出すことができない有様であって、まことに人々の歩むべき運命の道のあまりにも変転際まりないのを見ると、感動に絶えないものがある。
人間のこういう運命、明日に生まれては夕べに死していかなくてはならない儚い運命、変転際まりない運命、こういうことを深く考えてみると、まったく、結んではすぐに消え、消えてはまた結ぶ水流の蜂蜜のごときものではないかと思ったりする。
法流に結び、かつきうる飛沫の運命、それがせんずるところ、人々の歩むべき運命なのである。
一体多くの人々がこのように生まれ出てくるのであるが、これらの人々はどこから来たものであろうか、そしてまたどこへ行ってしまうのであろうか、などと考えてみると、
どこから来、どこへ行くかという問いに対して答え得るものは、どこにもいるものではなく、どこから来てどこへ行くかは永遠に得を得ない謎であって、人々はこの謎の中に生まれ、そうして死してゆくのである。
水に浮かぶ泡が結び、かつ消えるように。
かくはかなく、得を得ない運命を歩まなくてはならない人々は、またこの世において何を楽しみ、何を苦しんで生きているのであろうか。
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泡のごとくに消えなくてはならないまま、かの人生の中でどんな仕事に面白みを見出し、またどんなことで苦しんでいるのかと、多くの人々の答えを求めたとすれば、
各種各様に答えが出て、決して一つのものにはならず、結局何を苦しみ、何を楽しんでいるのか、また何を成すべきかなどということも、一つの永遠の解き得ない謎になってしまうのである。
長い年月の間に、火事のために、地震のため、あるいは他のいろんな偏事のために、立派な美しい家がなくなってしまったり、またお金持ちの家が貧しくなったり、
尊い地にあった人が癒しい身分に落ちぶれたりする。こうした人々や、その住処の移り変わりの極まりないことは、あたかも朝顔の花に置く朝露とその花とのようなものである。
花は露の住処である。露は朝顔の住人である。
露が先に地に落ちるか、花が先にしぼんでしまうか、どちらにしても所詮は落ち、しぼむべきものである。
露が夕日の頃まで残ることはなく、また朝顔とても同じこと。朝日が高く昇れば、しぼむべき運命なのである。
人々と人々の住処も、所詮は朝顔に置く朝露と朝顔の運命とをたどらねばならないものである。どちらが先に落ちぶれるか、それはわからないが、所詮は落ちぶれるものなのである。
自分はこの世に生まれて早くも40年という長い年月を暮らしてきたのであるが、
物心がついてからいろいろと見聞きしてきた世間のことには全く不思議なものが数々あるのである。
これらの多くの見聞したものを少し思い出して書いてみることにしよう。
昔のことではっきりとは覚えていないのだが、確か安原三年4月28日くらいであったと思うが、風のものすごく吹いている日で、ついには大嵐となった日のことである。
京都の東南部の何ヶ市の家からおりやしく火が出たのである。 何しろ強風の吹きすさぶ時であったから溜まったものではない。
たちまちの中に火は東北の方へと燃え広がっていった。 そしてついには須賀区門や大玉店、大学寮、民部省等の重要な建築を一夜の中にことごとく灰燼としてしまった。
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この大火の火元の何がにやというのは後の調査によると、 火口富野工事にある住処で病人の住んでいたものであった。
燃え上がった火炎はおりからの突風に煽られ煽られて、それこそ扇を広げたような形になって末広がりに広がっていった。
火元から遠くにある家々は猛烈な煙のために全く囲まれてしまって、 人々は煙にむせび、呼吸すら全く自由にはできない有様であった。
炎上している家々の近くの道路は火炎があふれ出てきてくるために人々の通行を全く阻止してしまった。
都の大空は延々と燃え上がる炎のために夜は火の海のごとく真っ赤で、 どれだけ強い火がどれだけ多くの家々を燃やさんとしているかを物語っていた。
また一方、風はますます強くなるばかりで、一向に静まりそうにもなく、 その時風は時々火炎を遠いところへ吹き飛ばして、また新しく火事を起こして、
ますます火事は広がっていくのであった。 嵐と火事のまったら中に囲まれた今日の人々は、
全く半狂乱でそのなすところを知らずという有様。 皆もう生きた心持ちもなく、ただただ自然の成り行きにまかせて見ているより仕方がなかった。
何をするなどという頭はまるで働かず、呆然実質。 全く手の下ししようがなかった。
吹きつけてくる煙に巻き込まれた人は、呼吸を止められてぱったりと倒れ、 人事不祥になり、また吹きつける火炎にその身を巻き込まれた人々は、
直にその場で尊い一命を奪われてしまうこともひんたであった。 こんな混乱と危険との間を幸いにも辛うじてその生命を全うして、
無事に脱出し得た人々でも、 自分の住処から大切な火災道具を持ち出すことはまるで不可能で、
大切な火災が皆火災のために灰燼とされてしまうのを目の前に見ていた。 それでいてどうすることもできなかったのである。
このようにして焼け伏せてしまった諸々の火災、道具、あるいは宝物、 その中には定めし先祖伝来、父祖伝来のものもあったであろうに、
それらのものの値はどれだけであったか考えてみることもできないほどに、 莫大なものであったろうと思われるのである。
久芸の屋敷がこの度の大火のために十六という多数も焼け伏せてしまったほどであるから、 まして身分の癒し市町人たちの屋敷の焼け伏せた数は数えることもできないほどに多くあったことと思われる。
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この大火は今日の町の三分の一というものをわずかの間に灰にしてしまったのである。 数多くの人々がこの大火のためにその尊い生命までも落としているのである。
これらの中には青年少年で将来どれだけ偉大な仕事をやったであろうと思われる人々も少なくなかったであろうに、 惜しいことをしたものである。
人間でさえこんなことになったのであるから、 まして畜生である馬や牛の焼け死にしたものは数知れずあったわけである。
人間は本来いろんな愚にもつかないことをするものであるが、 とりわけ今度のように一丁にして全てを灰燼にするというような危険性の多分にある都会の中にあって、
一丁にしてみると灰となる運命も知らぬげに自分の住処に大層なお金をかけて、 ああでもないこうでもないといろいろと苦心して、
建てることほど間抜けな愚かしいことはないとしみじみと思い当たった。 こうして苦労して建てても一丁火炎に見舞われればすぐに灰燼となってしまうのであるのに、
全く建物にお金をかけたり苦労するほど馬鹿らしいことはない。 地霜四年の四月の頃にはまた大きなつむじ風の起こったことがあった。
峡谷のほとりに起こって六畳のあたりまで吹いたものであった。 全くものすさまじい勢いのもので三四丁も吹いていく間にぶっつかるところの大きな家でも小さなのでも、
どんな家でもほとんど覆したり破壊したり破損したりしたものであった。 それほどすさまじい勢いに吹き募ったことであった。
つむじ風に巻き込まれてそのまま地上の上にぺしゃんこに倒されてしまったものや、 桁と柱だけが残って障子や壁はすっかり吹き抜かれてしまったものもあった。
そうかと思うと門を吹き飛ばして四五丁も先に持って行ってしまったり、 柿を吹き飛ばしてしまって林家との境を取り抜けてしまって、
庭続きにしたりして方々に飛んだ悲劇喜劇を起こさせた。 家々にあるいろんな火材道具の類も根こそぎにすっかり空に吹き上げてしまった。
屋根を覆っているところの日和田吹き板の類は、 ちょうど冬の頃に木の葉が風に舞い上がるように乱れて空に吹き上げられた。
煙が都の空を全く覆ってしまったのではないかと思われるほどに、 都の空には塵や埃が舞い上がって、天日ために暗きを感じたほどであった。
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人々の話し声等は荒れ狂う恐怖のために全くかき消されてしまって、 聞こえるところの騒ぎではなかった。
都の街々に聞こえるものはただ風の吹き荒れる凄まじい音響のみであった。 その風の荒れる様の凄まじさはまるで伝え聞く地獄の豪雨の風が現実のように吹くのかと思われるほどのものであった。
吹き倒された家、破損された家、 それら家々の無残な様子は全く目も当てられないほどである。
また住処等の破損した場所を修繕しようとして外に出て仕事をしていると、 そこへ何か大きなものが吹き付けてきて、
哀れにも不愚者となるというような人々も数多くあった。 まことに気の毒な人々である。
このつむじ風はまた西南の方に向かって動いていって、 そこに住んでいる人々に対しても、前同様に色々な損害を与えて人々を悲しませた。
春夏秋冬を通じて風が吹かない時はないものであるが、 いつもの風は風情のある心持ちの良い風であるのに、
今度の風は凄まじい風で、数多くの損害を人々に与えたのである。 こんな風は何年かの間に一度とあるか無きかの風であって、
まことに珍しい例外とも言うべきものである。 今度の大惨事のことを深く考えてみると、これはきっと天の神様が、
地上に住む人々に対して一つの警告として与えてくださったものだと考えざるを得ないのである。 地上4年6月頃の出来事であったのだが、にわかに都が他の場所に移ったことがあった。
このことが非常に急に、不意打ちに行われたので、都の住人は驚きかつ狼狽したのであった。 だいたい京都に都が定められたのは佐賀天皇の行事であって、もうすでに404年も経っているのであるから、
何か特別の事情のない限りは、そうやすやすと都を改めるなどということは、あるべからざることなのである。 だから人々はどんな特別の事情があるのかと心配して、その心配のあまりに平和であった人心が乱されてしまったのも、まことに無理からぬことではあった。
けれども人々の心配も何もあったのではなく、ついに天使様はもとより、大臣、公家たちも皆、ことごとく新しい都である福原へ移転してしまった。 世に重要な地位を占めて働いている人々は、もう誰一人として古い都の京都に住んでいる人はいなくなってしまった。
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暗い人心を極めることを唯一の希望とも理想ともする人々や、 天使様のお坊へめでたいことを願っている人々は、一日も早く古い都を捨て去って、新しい都の福原へ移り住むことを一途に心がけた。
けれども世に取り残されて、くらえもなく何ら望みも理想もない人々は、この出来事に対して悲しみ、憂えながらも古き都を捨て得ずに寂しく残っていたのである。
好意好感の人々、浮遊な人々のいなくなった古き都の有様は、あまりにも物寂しかった。
軒並みにその美しさを争っていた堂々たる住処は、日が経つにつれてだんだんと住む人もなく、手入れも行き届きかねて荒廃し果てた。
またその住処の中には、打ち壊されて福原へと筏に組まれて淀川に浮かべ、送られていった者も多い。
壊れた屋敷の跡は、見ている間に畑になってしまった。
まことに昔の面影すら見るすべもない有様であった。
こんな大きな変児は、人心にも多大な影響を変化を与えずには置かなかった。
見る見る中に都会人としての優雅な気持ちはすっかりなくなってしまった。
そんな気持ちがいろんなところに現れたものであるが、まず昔のように義者等に行く下達が乗ったのも、もうそんなものには乗らずに武家風に馬に乗って、その貧小なところを好むというようなところに現れてきた。
これを見ても昔のごとく優雅なのんびりとした風雨はなくなってしまった。
またその諸領の望みでも、今は平家に縁庫の多い西南海の諸領を人々は目指したけれども、
神都に遠く離れた東北の省縁は誰も望むものはなくなってしまった。
このようにすべてのものが変わってしまったのである。
私はふとした偶然のことから節の国の福原の新しい都の有様を見る機会を得たので、その状態を述べてみると、
まずその広さというものは京都に比べると実に狭いもので、京都に倣ってその市街を五番の目のように深くすることさえできない有様なのである。
北の方は山になっていて高く、南の方は海に面して低くなっている。
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そして海岸に近いので波の音が絶えず騒々しく響いてくるのである。
海から吹いてくる潮風がことの他に強いところであまり恵まれた土地ということができない有様である。
さて最も重要な皇居は山の中に建てられてあった。
ふとその建物を見て、清明天皇の朝倉の安宮の木の丸殿もこんなのではなかったかと思えて考えようによっては損害に不正があって風変わりなだけにガチのあるものではないかと知れないとも思われた。
こういう新しい皇居の終わり様、新しい都の状態であった。
京都の方では毎日毎日引っ越しに人々は忙しかった。
多くの住居は壊されては筏に組まれて川を下って運ばれるので、さしもに広い淀川もいかにも狭いように思われるほど筏でいっぱいになってしまった。
このようにして多くの家が福原へと運ばれているのであるが、福原の土地を考えてみるとこちらから送られたほどには家が建っていないからまだまだ空いている土地が多くあった。
建ててある家の数は少ししかない。一体あれだけ川幅が狭く見えるくらいに送られた家はどこに建てられるつもりか、またどこに建てているのか一向に見当もつきそうにはないのであった。
京都はますます日々と荒れ果てていく。 そして新しい都福原が都として完備するにはまだまだ日数が必要なのである。
こんな時世の間に住む人々の心持ちの落ち着こうどおりもない。 まるで青空に浮かび漂う雲のごとくに、
風のまにまに動いて誠に不安定そのもの、人々の心は暗かった。 もとから福原に住んでいた人々は新しくお天使様と一緒にやってきた宮人たちのためにその土地を奪われてしまって嘆き悲しんでいる。
また新しくやってきたそれらの官人たちは自分たちの住処を建てなくてはならないので、その面倒な仕事のために苦しんでいる。
どの道好もしいことどもではないのである。 ふと往来を行き交う人々に目をやってみると、
汽車に乗るべきあるところの高い身分の者がそんなものには乗らずに馬に乗ったり、 衣冠保衣を着ていなければならないはずの大宮人たちは、
信仰の勢力にこびて武家の着るはずのひたたれなどを着て、大宮人の優美な風俗をなくしてしまい、
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そしてついには都らしい優美に、価値のある風俗はみるみる中にいなくなって、 ただもう田舎めいた荒々しい物資と少しも変わるところのない、まことに情けない有様となった。
ほのかに聞き伝えるところによると、昔の聖天使様の御代には、 御聖事の中心点は一般庶民を憐むというところにあったようである。
民草たちが貧乏のために苦しんでいるときとか、何かの返事のために苦しんでいるときなどは、
尊気のお身で荒らせられながら、御自身のお住まいの公居のことなどは少しもお構いなさらずに、
軒の端に不揃いな茅屋の端が出ていても、それさえお切りにならせられずに、 その上に民草が食べるお米のないときは、念具さえも免除されたほどなのである。
こうした御時は、要お平和にお治めなされたいという、 かたじけない大身心から出るのであって、ありがたいものなのである。
ところが、現在の有様はどうであろうか。 やれ、都の移転だとか何だか言っては、人心を平和に治めるどころか、
不安のどん底に落とし入れている有様ではないか。 もっともこれは清盛が、無道の極端な先王の現れなのであるが、
何にせよ、昔の聖天使様の御世のことを考え合わせてみると、 実に覚醒の間に絶えぬ有様は、誠に嘆かわしいことである。
要はの頃の出来事であったと覚えているが、何分にも古いことで、 はっきりしたことは言われないのだが、その頃の二年の間というもの、
実にひどい危機になったことがあった。 実に惨憺たる有様を呈したことがあった。
春から夏にかけての長い間に一滴の雨すら降らず、 毎日毎日の日出り続きで、電波との作物は皆、
虎視してしまう有様であった。 それかと思うと、秋になると大風があったり、大雨が降って大洪水になったりして、
全く目も当てられない様子で、穀物等の収穫はまるでなく、 ただいたずらに田を耕し、畑に種をまいたのみでその甲斐はなく、
秋の忙しい借り入れ時には何もすることがなく、全くの前代未聞の災難が起こったのである。 だから一年分の米もなく、食い物もない有様である。
食物のない先祖伝来の土地の生活、それは苦難の連続でなければならない。 だから人々はその先祖代々住み慣れた土地を見捨ててしまって、
諸国を放浪して歩いたりするようになった。 またある人々は家や高地をまるで見忘れたかのように見捨ててしまって、
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山の中に入り込んで暮らしたりしていた。 山の方がまだまだ木の実等の植物があったからであろうと思われる。
こうした誠に惨憺たる状態にあっては、人々は自滅の塔を辿るより他に道がないと、 天使様の方でもご心配にならせられて、いろいろなご祈祷や、
特別に霊言あらたかなと言われている修法等を取り行わせたものであるが、 一向にその印も現れては来なかったのであった。
元来京都の人々は何事によらずその物資の供給をすべて田舎から受けているのであるから、 その供給者である田舎が天災のために物資が全然取れなかったのであるから、
京都の人々はもちろん物資の不足を告げるようになってきたのである。 京都は全く物資の供給者を失ったことになったのである。
こうなると困るのは京都の人々である。 第一に食べ物を得ることができない。
それでその食物を得るためにとうとう恥も外分もなく、 火災道具を捨て売りにしてはお米を持っている人々のところへ買いに行くのだけれども、
こう物資の不足しているときに大事なお米は売れないとあって、 とても高い値でなければ売ってくれない。
こういう状態だからどれだけお金があっても宝物があってもどうにもならない有様である。
だからだんだんと日の経つにつれて乞食どもが多くなってきて、 路傍にいっぱい群がって食を食う、
その哀れな叫び声が道に満ち溢れて聞こえてくるようになってきたのである。 しかし、要は元年もこのような惨憺たる有様の中にどうやら暮れてしまったのである。
明けて要は二年。 人々は今年こそは物資の豊かな平和な世に立ち直るものと期待していたのであるが、
その期待は見事に裏切られてしまった。 というのはこういう貴金の惨状の上に、またその惨状を上塗りするかのように、
疫病が流行しだしたのである。 人々の惨状は目も当てられず、
ますますひどいものとなっていったのである。 元のような平和な要はどこへ一体行ってしまったのかと恨みたくなるくらいであった。
人々は貴金で弱っている身に疫病の難にかかり、 多くの人々はその生命を落としていった。
一方物資の欠乏はますますひどく、 人々は苦難のどん底に落ちていった。
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この有様はちょうど水の低いところにたくさんの魚を入れたようなものであって、
所詮は皆その生命を奪われる悲しい運命にあったのである。 ついには相当な身分の人たちでさえ、
家販に足を包み、顔を傘に隠して、恥ずかしさを忍びながら、 軒並みに食を漕いながら歩くという有様になった。
このように食を漕いながら歩いたとて、 食を与えてくれる家とてあろうはずがないので、
人々は疲労困憊、その極に達してしまって、 今そこを歩いていたかと思うと直ちにばったりと倒れて、
その尊い生命を落とすということは、もうごく普通にあり得るという、 いとも哀れな状態にまでなってしまった。
だから街路にはどこへ行っても生き倒れた、 哀れな人々の死骸が見出された。
あちらの土塀の前、こちらの門の前というように、 全く目も当てられない有様だった。
その上にこれらの餓死し、生き倒れた人々の屍を取り片付けようとする者がいないので、
日が経つにつれてだんだんと屍は腐っていって、形が崩れ、 悪臭はふんふんとして街中にあふれていたのである。
街がこのような状態なのであるから、鴨の河原などに至っては、 実に数多くの屍がいっぱいにあふれていて、
そのために義者や馬車の通る道すらもない、というひどい有様であった。
山へ行って薪を取って、これを都の人々に売って、 その日の暮らしを立てている先民や木こりたちは、
上のためにもはやその毎日毎日の仕事すらできないのである。 そのために都の人々は薪が不足してきたのである。
だから全くの寄るべのない独り者などは、 自分の住処を破壊しては薪にこしらえて、
これを薪に困っている人に売ろうとするのであるが、 一人が街に出て売ってくる代価だけでは、
その人一人すらの生命を保つだけの値にもならない、 という悲惨な有様である。
それにもまして機械というか、哀れというか、 誠に変なことがあった。
というのは、こうして薪の不足を補うべきものの中に、 立派な塗りのしてあるのや、
金銀の箔のついた材木が時々混ざっていることであった。 これは誠に機械戦犯といろいろと考えてみると、
いよいよ上のために困った人々が、 売るべきものは皆売り尽くしてしまったものだから、
寺院の中へこっそりと入って行って、仏像を盗んできたり、 お堂の道具をむしり取ったりして、
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それを薪にして売りに出したものだということが わかってきたのである。
仏師の欠乏が、書くまでに人の心を濁らせるものかと 安全たるものがあった。
こうした大変な世の中に生まれ合わせたばかりに、 楽しかるべき人生に、こうした悪食の姿を見なければならないのは、
誠に情けないことである。
世を挙げての悲惨な中にも増して、もっとも哀れであるのは、 お互いに愛し合っている人々の運命である。
相愛の夫婦、深く愛している夫を持ち、妻を持つ人々は、 自分はとにかくとして、まず愛する夫へ、
愛する妻へと、 泣けなしの食物すらも与えるのが人情である。
こうした人々は必ず、深く愛するものが先に餓死しなくてはならないのは、 あまりにも明白なことである。
このことは、親と子の間には最も明白に現れるのであった。 親を愛さない子は世にあるとしても、子を愛さないところの親はないはずである。
だから親は必ず、その得た食物を子供に与えてしまうので、 親は必ず先に餓死しなくてはならないのである。
誠に最も強き愛は、親の子に対する愛と言わねばならない。 こうした返事の時には最も明らかに現れるのである。
母親の乳房を求めて泣く子供が、方々に見られるのであるが、 既に母親は死しているのに、
その屍に取り付いて泣く赤ん坊の痛い気な姿は、 この世での地獄といっても決して言い過ぎでないような気がするのである。
全く今日の町々は、昔の平和はどこへやら、 今は生きながらの地獄の節句にやっている有様である。
その頃、忍那寺に流行法院という宿家があった。 この人はあまりにも悲惨な世の中の有様を見、
またかくも多くの人々が日々に死していくのを嘆き悲しむのあまり、 なんとかして死した人々に仏縁を結ばせてやりたいものだと発願したので、
毎日毎日町を歩き回って屍を発見するたびに、 その額にアの字を書いて極楽王城を念じたのであった。
こうしてアの字を書いて成仏させた人数はどれほどあったかというと、 4月と5月の2ヶ月間の間にアの字を書いた死骸の数は、
三岐の一城よりは南、九条よりは北、 京国よりは西、須嶽よりは東のその間だけでも驚くなかれ、
すべて4万2千3百余もあったというのだから、 どれだけ大きな返事であったかということがわかることと思われる。
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2ヶ月という短い間にさえこれだけの死者を出しているのだから、 ましてその前後において死している人々の数を入れて考えてみると、
莫大なる数になり、 都の住人のすべてが死したのではないかとさえ思われたかもしれない。
その上に河原や白川や西の京の死者をもそれに加え、 全日本の死者の数をも加えて行ったならば、全く再現もない、
途方もない数になったのは言うまでもないことである。 その昔、須徳天皇の御世の長生の頃にも、
このような起禁のあったということを私は聞いているのであるが、 その時の状況は目の当たり見たのではないから全く知らない。
が、今度の起禁は目の当たりにその惨状を見せられて、 いかに起禁のひどいものであったか、今度のは全くけうの賃字であり、
前代未聞のものであることには違いなく、 全くもって何とも言えぬ哀れな出来事であった。
同じ頃の出来事なのであるが、もう一つその上に大きな地震という災難に見舞われたことがあった。
その地震というのが今まであったどれよりも強く、 したがってまたその被害も常日頃のようなものではなく、実にひどいものであった。
大きな山は地震のために崩れてきて、 下に流れている川を埋めてしまったり、
海の水は逆行して岸辺に上り、 さらに人の住処のあるところまで流れてきたりしたほどであった。
また土地が二つに割れてその間から水が湧き出してきたり、 大きな岩がごろごろと谷間に転げ落ちたりして、いやもう大変なものすごさであった。
海に出ていた船は地震のために大波のために骨葉のごとくに翻弄され、 道を歩いている人々や馬や牛などはひょろひょろとして、 その足場を失って倒れたりする始末で大変な騒ぎであった。
都にあるところの立派な家や大きな家や小さな家は一見として満足なものはなく、 すべてが倒されてしまっている。
神社や仏閣等も数多くその立派な建造物を倒されている有様である。
完全に倒されたのや半分倒された家々のあたりには、 まるで盛んな煙のように塵や灰が立ち上っている。
地面が揺り返しの地震に揺れたり、大きな家が倒されたりするときには、 雷様の鳴るような凄まじい音がするのである。
人々は落ち着くところもなかった。
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家の中にいれば、今にも家が押しつぶされはしないかと心配で、 ちっとしてはいられないし、
外へ走り出れば地面が折れてくる始末、どこにも行きようがなかった。
もしも空へ逃げることができさえしたならば一番いいのだが、
情けないかの人々には羽がなくてそれすらできず、 誠にまた貴金以上の情けない哀れな状態というべきだ。
もしもこの場合に、竜にでもなり得たならば、 雲に乗って昇天するという手も考えられはするのだが、
情けないことには竜ではなく人間なのだからどうすることもできない有様である。
世の中には恐ろしいものは他にもいくらもあるのだけれども、
地震の大きくて強いのほど恐ろしいものはないものだとつくづく悟ることができた次第である。
人々の落ち着き場所もなくなるほどに強く激しく振動するところの地震は、 しばらくの後に止んでしまったのであるが、
その後に来るところの余震というものはなかなかに止みそうもなかった。
その余震さえもが普通には誰もが驚くそこの強さのもので、 これくらいのが日に二三十度は必ず起こったのである。
しかしだんだんと日が立ち、十日過ぎ、二十日過ぎとなっていく中に、
さしもにひどかった余震もだんだんと度数が少なくなり、間を置くようになってきた。
日に四五度の少なさになり、二三度になってついに一日起きになり、
二三日に一度とだんだんに少なくなってはいったものの、
大体において三月というものの間は余震がずっと続いていたのである。
日、水、風は絶えず人々に災害を与えているものであるが、
大地はあまり災害を与えるものではないものなのに、
今度ばかりは地と見当違いにひどく大きな災害を与えたものである。
今度の地震と昔の最高の年間にあった地震で、
東大寺の大仏様の頭を地に落としたといって騒いだ時のと比較してみても、
今度の地震から見ると、そんなのは物の数でもない小さなものなのであった。
それほどに今度のはひどかったのである。
このようにいろんな災難に遭遇してみると、
人の生活というものがいかにつまらなく、
人生そのものさえ味気ないものに思われてきて、
せめてこの世にいる間だけでもお互い愛・助け合い・気持ちよく、
死利死獄を貪ることなく暮らしたいものだと人々は考えるようになってきた。
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少しは濁っていた人々の心も打ち続く災難のために改まってきたのであろう。
けれども人々の心持ちなんて当てになるものではなく、
だんだんと日が経ち、月が経ち、年が経つにつれて、
そういった大きな災害に遭ったことなど、いつのまにか忘れてしまって、
お互いに助け合うだの、お互いに死利死獄を貪らずに気持ちよく暮らそうなんていう気持ちは、
もうどこへやら行ってしまって、また元の死利死獄のみを考えるようになり、
嫌な世の中にだんだんとなっていってしまった、まことに情けないことである。
すべて世の中は無常であって、なかなかに住みがたいところであるということは、常述の通りであり、
また自分自身の運命の、儚く頼りないことも同じであり、
その住みかさえ、いつ何時、どんな災害に見舞われないとも限らないのも同様のことである。
まして人々は、その上に住む場所や、身分に応じて世の絆の拘束のために、どれほどに悩んでいることか知れやしない。
このように世の中は難しく、住みがたいところなのである。
一方には自然の災害があり、一方ではお互いが愛し合うこともなく、
一人一人が勝手に暮らしているこんな世の中は、全く地獄も同然と言ってもいいのだ。
住む場所にしたところで、家のぎっしり詰まっているところの狭い町の中に住んでいるとしたならば、
一度猛火に遭遇した場合には、必ずその災いを受けなければならないのだし、
それが嫌だと言ってずっと町を離れた田舎の方に住むとして、
火災の難は逃れるとしても、ちょっと外出したり散歩したりするにも、道路の悪い田舎道を長く歩かねばならぬという不便なこともあるし、
あまり人里離れた場所では、しばしば盗賊に襲われるということも覚悟しなければならないのである。
これでは、落ち着いた暮らしもできたものではない。
権勢のある者は、その現在持っている権勢では決して満足していないで、もっと強い権勢をと望んで、そのために色々と苦労をするのだし、
それかと言って何らかの権勢もなく、身分も低くて孤独な者は、人々の軽蔑の対象となって苦しまなければならず、
また財産があまりにたくさんあると日夜、盗賊に襲われはしないかと心配して、夜もあまり落ち着いては寝られないであろうし、
それかと言って貧乏であってみれば、その日の食のために日夜心配し、苦労しなければならないのであろうし、これもまた相当に苦しいことである。
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それかと言って人のお世話になっていれば、自分自身は何だかその人の奴隷のように扱われて苦しまなければならない。
かと言って人に情けをかけて世話をしてやるとしても、またその情けに引かされて一苦労しなければならず、なすことすべてがこの有様では苦痛の種となってやりきりやしない。
世俗一般の人々が普通にやっている生活の法則、道徳律等を守って生活しようとすれば、どこかに空虚なところがあって、
本心からこれで満足だと思うことがなくて苦しいし、そうかと言って普通の人々の生活を全く離れて、自分の思っている通りに生活すれば、自分の本心は非常に満足に思うのであるが、世間の人々から強靭扱いをされて、これまた苦しまねばならないのである。
こう考えてみると、どんなことをしても苦しまなくてはならない世の中にあって、自分は一体どうすれば苦しみもなく落ち着いて暮らすことができるか、と全くわからなくなってくる。
何を成し、どこに住めば、一体私の心は永遠の平和を得、本心の満足を得、落ち着いて生活することができるのであろうか。
つまるところは、私はまだまだこの属性に執着を感じているのではあるまいか。
もしそれだとするならば、この属性を逃れることが、最も私の生活に満足を与え、平安を与え、落ち着きを与えてくれることになるのかもしれない。
2015年発行 岩波書店 岩波現代文庫 現代語訳 包丁記
より前半部分読み終わりです。
5回の、5回経験した厄災の部分だったので暗かったですね。
はい。次回後編で、彼が見つけた幸せの法則が出てくるはずです。
仏教とは言っていましたもんね。長かったなぁ。
はい。それでは今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
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