1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 050永井荷風「西瓜」
2024-07-30 37:22

050永井荷風「西瓜」

050永井荷風「西瓜」

少人数事務所へのお中元に大玉スイカを贈ってくる会社があって面喰ったことがあります。わざわざ包丁とまな板買わされたっての。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト。 こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。 タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。 エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。 ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて、今日は永井荷風さんの、 「スイカ」
というテキストを読もうと思います。
永井荷風さん。 小説家・随筆家であり、明治36年から5年間、
アメリカやフランスに留学し、 アメリカ物語・フランス物語を執筆、
文壇に新風を吹き込む。 後、慶応義塾大学で主任教授となり、教鞭を取る。
ということで、初めて読みますね。 名前はね、何度か聞いたことあるんですけどね、永井荷風。
それでは参ります。 「スイカ」
もて余すスイカひとつやひとりもの。 これはわたくしの濁である。
郊外に隠世している友人が、ある年の夏、 小包郵便に託して大きなスイカをひとつ送ってくれたことがあった。
その始末に困って、わたくしはこれを眺めながら、 覚えず口ずさんだのである。
わたくしは子供の頃、スイカやマクワウリの類を食う合うことを 固く禁じられていたので、
大方そのせいでもあるか、成人の後に至っても ウリの匂いを好まないため、
漬物にしても白ウリは食べるが、キュウリは口にしない。 スイカはなら漬けにした卵ぐらいの大きさのものを味わうばかりである。
なら漬けにするとウリ特有の青臭い匂いがなくなるからである。
明治十二三年の頃、これら病が両三度に渡って、 東京の街の隅々まで蔓延したことがあった。
路頭に倒れ、死するものの少なくなかった話を聞いたことがある。 しかしわたくしがスイカやマクワウリを食らうことを禁じられていたのは、
恐るべき伝染病のためばかりではない。 わたくしの家ではウリ類のうちで、
蚊の二種を下洗な食べ物としてこれを禁じていたのである。 魚類ではサバ、サンマ、イワシのごとき青魚、
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カシの類ではコトサラにトコロテンを嫌って子供には食べさせなかった。 思い返すと五十年昔の話である。
昔目に見慣れた楕円形の黄色いマクワウリは、 今日では伊豆湖の水菓子屋にもほとんど見られないものとなった。
黄色い皮の表に薄緑の筋が六七本ついているその形は、 浮世絵師の描いた狂火の擦り物にその跡をとどめるばかり。
スイカもその頃には暗壁の皮の黒びかりしたまんまるなもののみで、 西洋種の細長いものはあまり見かけなかった。
これは余談である。 私はせっかくスイカを人から贈られて、なぜ困ったかを語るべきはずであったのだ。
私が口にすることを好まなければ下女に与えても良いはずである。 しかやに私の家には折々下女さえいない時がある。
下女がいなければ林家へ送れば良いという人があるかもしれぬが、 下女さえ寂しさに耐えかねて逃げ去るような家では近隣とは交際がない。
ただにそれのみではない。 私は人の趣味と姿勢との遺憾を問わず、
身だりに物を贈ることを心なき業だと考えている。 私はこれまでたびたびどういうわけで再対応しないのかと問われた。
私は生涯独身で暮らそうと決心したのでもなく、 そうかといって人を煩わしてまで配偶者を探す気にもならなかった。
来るものがあったら拒むまいと思いながら年を送るうち、 いつか四十を過ぎ、五十の坂を越してたちまち六十も木生の間に迫ってくるようになった。
世には六十を越してから黄金の四季を挙げる人もまあまああると聞いているから、 私の将来については私自身にも明言することはできない。
静かに過去を変えりみるに、私は独身の生活を悲しんでいなかった。 それとともに男女同棲の生活をも決して嫌っていたのではない。
今日になってこれを思えば、そのいずれにも懐かしい記憶が残っている。 私はそのいずれを思い返しても決して懺悔と快婚等を感じるようなことはない。
寂しいのも良かったし、賑やかなのもまた悪くはなかった。 涙の夜も忘れがたく、
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笑いの日もまた忘れがたいのである。大久保に住んでいた頃である。 その頃家に行ったオフサという女と連れ立って、四谷通りへ買い物に出かける。
四谷満住谷の松津市町を通ると3月の節句に近い頃で、 幾軒となく立ち続く古道具屋の店先には雛人形が並べてあったのを、オフサが見て私の
たもとを引いた。 欲しければ買ってやろうというとオフサはもう娘ではあるまいし欲しくはないと言ったので、
そのまま歩みすぎ、表通りの八百屋で明日食べるものを買い、 二人で変わる変わる坊主持ちをして家に帰ったことがある。
何故ともわからずこの晩のことが別れた後まで長く私の心に残っていた。 冬の夜はしんしんと吹け渡って、
窓の外には庭の木を動かす緩やかな風の音が聞こえるばかり。
犬の声もせず、ネズミの音もしない。 襖の開く音に私は筆を手にしたままその方を見ると、
その頃家にいた八重という女が茶と菓子と好みの器に入れて持ち運んできたのである。
なんやかやと話をしているうちに鐘の音が聞こえる。 遠い目白台の鐘である。
私はその辺に散らかした古本を片付ける。 八重は用具を敷く前、霧を吐き出すために縁側の雨戸を一枚開けると、
こうこうと照り渡る月の光に木の影が生じへ移る。 八重は明日の晩、
宇田沢節のさらいに蓋上りの月夜ガラスでも歌おうかという時、 植え込みの方でカラスらしい鳥の声がしたので、
二人は思わず顔を見合わせて笑った。 その自分にはダンスはまだ流行していなかったのだ。
あざぶに寄りを結び一人住むようになってからのことである。 深夜ふと目を覚ますと枕元のガラス窓に
幽暗な光が射しているので、 夜が明けたのかと思ってよくよく見定めると、
宵の中には寒月が照り渡っていたのに、 いつの間にか降り出した雪が、庭の木と隣の家の屋根戸に積もっていたのである。
再びガスストーブに火をつけ、 読み残した陳刀の書を取って読み続けると、
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教主の加わるに従って、 桃花は景景としてさらに明るくなったように思われ、
柔らかに身を包む毛布はいよいよダンに。 そして降る雪のサラサラと音する響きは、静かな夜を一層静かにする。
やがて夜も明け放たれてから知らず知らずまた眠りに落ち、 サイレンの声を聞いて初めて起き出る。
このような気ままな一夜を送ることができるのも、 家の内に気兼ねをしたり、
または遠慮しなければならぬもののいないがためである。 妻子や門径のいないがためである。
昼過ぎも三時過ぎてから、 フライト郊外へ散歩へ出る。
行き先定めず歩み続けて、 いつか名も知らず方角もわからぬ町の外れや、
寂しい川のほとりで日が暮れる。 遠くにじらつく桃花を目当てに夜道を歩み、
空腹に耐えかねて見当たり次第酒売る家に入り、 怪しげな飯盛りの女に給仕をさせて夕食を食う。
伝統の薄暗さ。 出入りする客の癒しを帯びた様子などに、どうやらひざっくりげの世界に入ったような、
いかにも現代らしくない心持ちになる。 これも我が家に再度なく、夕飯の前に人の帰るのを待つもののいないがためである。
そもそも私は、 作挙独生の言いがたき趣味を名編より学び来たったのであろう。
私はこれを19世紀の西洋文学から学び得たようにも思い、 また江戸時代の詩文より味は生きたったようなものの気もする。
私はたとえ西洋の都市に青春の幾年間を送った経歴がなかったとしても、 私の生涯はやはり今日あるがごときものとなってしまうより他には道がなかったように思われる。
私の健康、性癖、境遇、 それらのものを思い返してみると、私の身は世間一般の人のように、
善良なる家庭の父となり得られるはずはないようである。 多病の親から多病ならざる子孫の生まれいずることはまず稀であろう。
病患は人生最大の不幸であるとすれば、 この不幸はその起こらざる以前に防止せねばならない。
私は自ら生死がたい重力と情緒とのために、 いくたびとなく婦女と同棲したことがあったが、
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否認の法を実行することについては寸法も怠るところがなかった。 我が傍友の中に創養三人と号する貴人があった。
創養三人はわざわざ私のために、私が頼みもせぬのに、 その心安い名医、なにがし博士を問い、
今日普通に行われている否認の方法につき、 その実行に間断なく二三十年の日差しきに渡っても、
男子の健康に障害をきたすようなことがないものか否かを質問し、 その返答を伝えてくれたことがあった。
三人は誠に貴人であって、私の方から是非にと言って頼むことは一向にしてくれないが、
頼みもしないことを時々心配して背負うやくような妙な癖があった。 ある日私に向かって、何やら司祭らしく真実子供がないのかと質問するので、
私はできるはずがないから確かにないと答えると、 それはあなたの方で一人でそう思っていられるのじゃないですか。
あなた自身も知らないというような落とし種があって世に生存していたらおかしなもの ですな
という、 昔の小説や芝居なら知らないこと、そんなことありえはしないのだ、
と私は重ねて否定したが、 しかし人生には言い表に出る事件がないとも限らぬから、私には
創養参人が言った謎のような言葉をそのままここに記しておくのである。 繁殖を欲しなければ繁殖の行為をなさざるにしくはない。
女子を近づけなければ子供のできる心配はない。 女子を近づけながらしかも繁殖を欲しないのは天理に背いている。
私はかつて婦女を行動に蓄えていた頃、絶えずこのことを考えていた。 今日にあってもたまたま乱党の陰暗きところに身を置くような時には、やはりこの
ことを考える。繁殖を望まずしてその行為をなすは男子の弱点である。 無用のただ事である。悪事である。
しかし世にただ事の大きいはただにこのことのみではない。 酒を買って酔いを催すのもただ事である。
酔って人を罵るに至っては悪事である。 煙草を喫するのもまたただ事。
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性を贖って読まざるもまたただ事である。 読んであと記憶せざればこれもまたただ事に等しい。
しかしながら異性者のなすところを見るに酒と煙草とには税を課してこれを人に 買わせている。
法律は無益の行動を禁じていない。 繁殖を目的とせざる繁殖の行為には徴税がない。人生ただ事の大きが中に
否認と読書との双子とは 飲酒と喫煙とに非してすこぶる連下である。
否認はさながら選挙権の放棄と同じようなもので法律はこれを個人の意思に任せている。 選挙には難しい規定がある。
ひとたびこれに触れるとたちまち類説の恥かしめを受けねばならない。 触らぬ神にたたりなきことわざのあることを思えば選挙権はこれを捨てるに
しくはない。 女子を近づけ繁殖の行為をなさんとするに当たっては生まれいずべき
子供の将来について考慮を費やさなければならない。 子供が成長してのちその身を過ち盗賊となれば世に害を残す。
子供が将来何者になるかは未知のことに属する。 これを憂慮すれば子供は作らぬにしくはない。
私はすでに中年の頃から子供のないことを一生涯の幸福と信じていたが、 老後に及んでますますこの感を深くしつつある。
これはざれ事でもなく風詞でもない。 ひそかに思うに私の父と母とは私を生んだことを後悔しておられたであろう。
後悔しなければならないはずである。 私のごとき子がいなかったなら父母の晩年はなお一層幸福であったのであろう。
父と母とは自分たちの作ったものが望むようなものにならなければこれを憎むとともに、 また自分たちの勲童の力の足りなかったことを悲しむであろう。
猫が犬よりも人に愛されないのは犬のように従順ではないからである。
これいいギアリだな。 私の父は私が文学を収めたことについていかに痛嘆しておられたかは、その手紙の他には書いたものが残っていないので、
今これをつまびらかにすることができない。 しかし平成授学を奉じておられたことから推了しても、
私が年少の頃に作った夢の女のような小説を読んで喜ばれるはずがないことは明らかである。
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父は24年の昔に世を去られた。 そして私は今やまさに父が行かれたときの年齢に達せんとしている。
私はこのときにあたって、私の身に猫のような隠人な子のないことを思えば、 父の生涯に非してはるかに多幸であるとしか思えない。
もしも私に子があって、それが賢児となり警官となって、人の罪を暴いて世に名を挙げるようなことがあったとしたら、
私はどんな心持ちになるであろう。 私は老後に自尊のないことを持って、しみじみつくずく多幸であると思わなければならない。
文学者を嫌うのも賢児を憎むのも、それは各人の姿勢による。 父の好むところのものは必ずしもこの喜ぶものではない。
姿勢は情に基づくもので、理を持って論ずべきではない。 父と子と二人の趣味が相異なるに至るのは運命の戯れで、人の力の及びがたきものである。
大正十二年の秋、東京の半ばを灰にした震災の山上と、 また昭和以降の世帯人情とは、私のような東京に生まれた者の心に、
爵士のいわゆる諸行無常の感を抱かせるに力のあったことは決して謹称ではない。
私は人間の世の未来について何事をも考えたくない。 考えることはできない。
考えることは虎王であるような気がしている。 私は老後の余生を盗むについては、ただ世の風潮に従って、
その日その日を送り過ごしてゆけばよい。 雷動し、謳歌してゆくより他には、安全なる諸生の道はないように考えられている。
この場合、我が身一つの他に三害の首枷というもののないことは、 誠にこの上もない幸福だと思わなければならない。
私の身にとって最低の生活の適しない理由は二三にとどまらない。 今その最も花々しきものをあぐれば、
背偶者の趣味生光よりもむしろ背偶者の父母兄弟との交際についてである。 隕石の家に冠婚葬祭のことある場合、これに参与するくらいのことは浮世の義理と心得て、
私もその藩類をしのぶであろうが、叱らざる場合の交際は大抵厭うべきものばかりである。 行きたくない劇場に誘い出されて見たくない演劇を見たり、
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行きたくない別荘に招待すられて食べたくない料理を食べさせられた挙句、 これに対して謝意を述べて退出するに至っては苦痛の上の苦痛である。
今の世を見るに、世人は飲食物をはじめとして学術文芸に至るまで、 各人固有の趣味と見解と思っていることを認めない。
十人十色のことわざのあることを知ってはいるらしいが、 各人の趣味と見識とは、その場合場合に臨んでは、
死飲んでこれを捨てべきものと思っているらしい。 さして新人の苦痛を感ぜずに捨てることができるものと思っているらしい。
飲めない酒もそういう場合には死飲んで心よく飲むのが、間抜かれがたき人間の義務となしているらしい。 ここにおいてか、結婚は社交の苦痛をしのびえる人にして初めてこれを成し得るのである。
社交を厭う者は最大推しないに越したことはない。 私は今日まで幸いにして己の好まざる俳優の演技を見ず、
己の好まざる飲食物を口にせずして済んだ。 知人の婚礼にも葬式にも行かないので、歯の浮くような祝辞や長辞を計上する苦痛を知らない。
我女へに行ったこともなければ洋楽入りの長歌を耳にしたこともない。 これはひとえに官挙の賜物だと言わなければならない。
森鴎外先生が礼儀小事に資して墓を作らなかった学者のことが説かれている。 今私がこれに倣って死後に葬式も墓穴もいらないと言ったなら、
生前自ら誇って学者となしていたと誤解せられるかもしれない。 それゆえ私は戦鉄の威霊に倣うとは言わない。
ただ死んでも葬式と墓とは無用だと言っておこう。 自動車の使用が盛んになってから、
今日では旧式の棺桶もなく、またこれを運ぶ籠もなくなった。 そして絵巻物に見る義者と祭礼の巫女使徒に似ている新型の旧車になった。
私は趣味の上から嫌にピカピカ光っている今日の旧車をはなはだしく憎んでいる。
外見ばかりを安物で飾っている現代の建築物や新型の美服などとその趣を同じくしているがゆえである。
私はまた紙で作った花輪に銀紙の糸を下げたり、 張子の鳩を灯らせたりしているのを見ることに、私は死んでもあんな不細工なものは欲しくないと思っている。
24:12
白い鳩はキリスト教の神徒には意義があるかもしれないが、 さらざる者の葬儀にこれを贈るのは何のためであろう。
かんらい私の身には巡邦すべき修士がなかった。 西洋人をして言わしめたら無神論者とかリーブル・パンサウールと仮称するものであろう。
毎年12月になると東京の町々には、やそ高単才の贈り物を売る商品の広告が目につく。
キリスト教の洗礼を他に受けたことのない者が、この贈り物を贈ない。 その修士の何たるかを問わずしてこれを人に贈る。
これが今の世の習慣である。 宗教を軽視し、信仰を侮辱することもまた華々しいと言わなければならない。
私は朝進の頃、その時代の習慣によって早くすでに大学の所属を教えられた。
政治の後は、受者の文と主導を称することを楽しみとなした。 されば日常の道徳も知らず知らずの間に、受教によって指導をせられることが少なくない。
受教は政治と道徳と徳にとどまって、人間志望のことには言い及んでいない。 受教はそれゆえ宗教の域に到達していないのかもしれない。
しかしこの問題については私は確固とした考えを持っていない。 今日に至るまでこれを思考することができなかったとすれば、おそらくは死に至るまで。
私は依然として語家の旧アモタルに過ぎのであろう。 私は思想と感情とにおいても、二つながら江戸時代の学者と民衆との作った伝統に休んじて、
この一生を終わる人である。 ひとたび伝統の外に出たいと願ったこともあったが、中途にしてその不可能であることを知った。
私として過去の感化を一掃することの不可能たるを晒しめたものは、学理でなくして風土気候の力と過去の芸術との二つであった。
この経験についてはすでに小説《霊性》と《父の恩》との中に採除してあるから、ここに勢せない。
毎年冬も12月になってから青々と晴れ渡る空の色と、十日のような黄色い夕日の影とを見ると、私は西洋の自分には見ることを得ない特殊の感情を覚える。
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クリスマスの夜の空に明月を仰ぎ、雪の降る庭に紅梅の花を見、水仙の花の香りを嗅ぐときには何よりも先に荘達や紅林の筆痴と色彩とを想起す。
秋冬の香、深夜夢の中にそぐ半晩として窓を打つ音を聞き、
忽然目を覚まして十日の消えた部屋の中を見跡すときの心持ちは、木で作った日本の家に住んで初めて知られる風土固有の脊梁と恐怖の思いである。
妄想地区の生い茂った谷部の奥に晩秋の夕日の激しく差し込み、小鳥の声の何やら物せわしく聞きなされる薄暮の心持ちは何に例えよう。
深夜天井裏を鼠の走り回る恐ろしい物音に驚かされ、立って窓の戸を開けると外は昼のような月夜で、庭の上には木の影が濃く重なり、あたり一面見渡す限り虫が鳴きしきっている。
これらの光景と、その時の上主とは、ピエール・ロッチがその著、オキクサンの中に詳しく記述している。
雨の小闇もなく降りしきる響きを、狭苦しい人力者の頬の中に聞きすましながら、
死跡を弁善ぬ暗夜の道を行く時の情快を述べた一生も、またオキクサンの書中最も称すべきものであろう。
私は今日でも折々ロッチの文を読む。そして読むごとに、私が日本の風土気候について感ずるところは、ことごとくロッチの書中に記載せられていることを知るのである。
ロッチが初めて日本に来有したのは、荘賀日光山の木に、上野停車場を発した汽車が宇都宮までしか達していないことが記されているので、明治16、17年のことであったらしい。
当時ロッチの見た日本の風景と生活にして、今はすでに隠滅して跡を留めざるものは少なくない。
ロッチの著作は、私が幼年の頃に見覚えた過去の時代の懐かしき記念である。
長木セルで生え吹きの筒を叩く音、内輪で蚊を追う響き、木の端を渡る下駄の音、
これらの物音は我々が子供の時日々耳に聞き慣れたもので、そして今は永遠に帰り来ることなく、日本の国土からは消え去ってしまったものである。
30:09
英国人サー・アーノルドの万有記、また英国孔子フレザー夫人の著書のごときは、共に明治23年の頃の日本の面影を伺わしめる。
私はラフカジオ・ハーンが階段の中に、赤坂・木の国坂の庵世の様、また市谷小部寺の墓場に矢深の多かったことを記した短編のあることを忘れない。
それらはいずれも東京の昔を思い起こさせるからである。
私はつらつら過去の生涯を回顧してみると、この60年の間、私の思想と生活との方向を指導しきたったものは、シナ人と西洋人との思想であった。
シナの思想はローソーと仏教等を混和したソウイ語のものである。
西洋の思想は19世紀のロマンチズムとソレイ語の個人主義的芸術史上主義とである。
私の一生涯には独特固有の跡を印するに足るべきものは何一つありはしなかった。
日本の歴史は少年の頃より私に対しては隠世といい、大英と称するがごとき消極的諸世の道を教えた。
原平時代の史上と伝記とは、兵士の運命の美なることを落下のごとくなることを知らしめた。
太平紀の反読は、藤原の不自負さの生涯について傾向の念を起こさせ何すぎない。
私はそもそも核のごとき観念を何処から学び得たのであろうか。
その寄ってくるところを尋ねるとき、少年の頃親しく見聞した社会一般の情勢を解雇しなければならない。
すなわち明治十年から二十二三年に至る間の世の有様である。
この時代にあって社会の上層に立っていたものは官吏である。
官吏の中その勲功を誇っていたものは薩長の氏族である。
薩長の氏族に随従することを潔しとしなかったものは、ごとごとく失意の淵に沈んだ。
失意の人々の中には当古の筆を振るって類説の恥かしめ合う者もあり、
また延命の態度を学んで通り聞くを見る道を求めた者もあった。
私が人より教えられざるに早く学生の頃から貴兄弟の夫を称し、
33:02
また祖辞を読まんことを恋願ったのは明治時代の裏面を流れていたある師長の為すところであろう。
栗本浄雲が文庚は少女として夜食悲しく、
九龍の声は前月の枝にあり、
誰か憐れまん故郷の関係の下に白髪の維新の祖辞を読めるを、
といった絶句のごときは今なお老気として忘れぬものである。
欧州の乱が平定し、フランスの国土がドイツ人の侵略から僅かに免れた時、
私は年正に狂死に達しようとしていた。
それより今日に至るまで各級を変えること二十度である。
この間に私は西洋に移り住もうと思いたって、
ひと度は旅行免除をも受け取り、
寄仙会社への乗り込みの申し込みまでしたことがあった。
その頃は欧州行きの乗客が多いために、
三ヶ月くらい前から選出を取る申し込みをしておかねばならなかったのだ。
私は果たしてよくケーベル先生やハーン先生のように、
一生涯多郷に住み、安女としてその国の土になることができるであろうか。
中途で帰りたくなりはしまいか。
瀕死の境に至っておめおめ帰りたくなるようなことが起こるくらいならば、
移住を思い立つにも及ぶまい。
どうにか我慢して余生を東京の町の路地裏に送ったほうがよいであろう。
さまざま泳い並んだ果ては去るとも留まるとも、
いずれとも決心することができず、ついに今日に至った。
洋行も口には言いやすいが、いざこれを実行する段になると、
多年住み古した家屋の始末をはじめ、
日々手に触れた家具や私読の章も売り払わなければならない。
それらのことは友人にでも託すればよいという人もあろうが、
一生帰ってこないつもりで出かけるのに、
迷惑と面倒等を人にかけるのは心やましいわけである。
出発の間際に起こる煩雑な事情と、
その予想とがいつも実行を妨げてしまうのであった。
人間も渡り鳥のように、
時節が来るやいないや、
わけもなく古巣を捨てて飛び去ることができたなら、
いかに幸せであったろう。
36:00
1986年発行。
岩波書店 岩波文庫 家風随筆集 下
より読み終わりです。
奥さんももらわず子供も作らないっていうのは、
僕とだいぶかぶりますね。
一番最初に出てきたスイカ、
一人じゃ食べきらないよっていう。
聞いたんですけど、
一般では入手困難な新品種、
ナノシードスイカっていう種がね、
あるんですけど、種なしじゃなくて種はあるんですが、
食感がいいので邪魔にならずそのまま食べれるっていうスイカがあるらしいんですよ。
高いでしょうけど。
食べたいんですけど、
一人じゃなーという感じです。
多分食べる機会はない。
どっかお店で出してくんないかな。
そんなことを思いました。
序盤でだいぶスイカ関係なくなっちゃいましたね。
それでは今日のところはこのへんで、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
37:22

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