1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 038坂口安吾「巷談師」
2024-06-18 41:55

038坂口安吾「巷談師」

038坂口安吾「巷談師」

神田伯山先生などの講談師でなく、好男子でもなく、巷談師。掛け合い多めで淡々とじゃない読み方になってしまいました。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


ご意見・ご感想は公式X(旧Twitter)まで。寝落ちの本で検索してください。

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寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xマでどうぞ。
さて、今日はですね、坂口安吾さんの巷談師というテキストを読もうと思います。
ここで言う巷談はですね、神田白山さんとかで有名な
公爵の巷談、巷談者の巷談ではなくて、巷の字が巷、巷間に広まる巷、巷の巷談師。
巷と書いて巷談師、噂をする人みたいな意味にとるという造語だと思うんですけど。
というのもですね、坂口安吾さん自体は有名なテキスト、エッセイに堕落論、白痴などがありまして、
文芸春秋に1年間毎月1本、世間の世相を切るレポルタージュの連載をしていたので、
それを坂口安吾さんの暗号という名前と、その巷の噂の巷談という意味の暗号巷談という連載を持っていたので、
それの振り返りというか、裏側というか、ちょっと読みたかったので持ってきました。
僕の昔のポッドキャストに堕落論、それから暗号巷談のゼロさんとかもありますので、
よろしければそちらも先に聞いてみてください。
それでは参ります。巷談師。
下手な小説が売れなくなって巷談師になったのか。お前の底は見えた。恥を知れ。
共産党員。
暗号巷談その3。野中中尉と中西御長には、全国の共産党員からおびただしい反響があった。
これもその一つである。官にして用を得。終作である。
お前の顔は。この後は本人は書きたくない。
私の顔に文句をつけるのは筋違いだが、林文子との対談の愚劣さよ。
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領収無断。林さんにはお気の毒だが、こういうのも来た。
領収は簡潔。
よく収、醜いの字を知っている。後の無断がわからない。
一頭両断とか言語同断とか、それに似てばっさりと切り伏せる趣は十分現れているから、文を学べば一角の文士になった人物かもしれない。
共産党の手紙は、はがきで三行前後の非常に短いか、便箋十枚から二十枚ぐらいの非常に長いか、いずれかである。
弟子入り志望の手紙は共産党と同じぐらい長文で、返信切手や自分の名前宛の封筒を同封しておくという用心深いのが通例だが、時々不足税を取られることもある。
弟子入り志望に一問目分契約するとは思われないが、長文の手紙となると目測が狂うらしい。
ところが共産党の長文の手紙、括弧十五通はもらった。
は、混輪罪不足税を取られたことがない。ぜひとも高団主の目に必殺の文字を叩き込んでやろうという闘魂歴々たるものがある。
弟子入りの手紙は、宛名に先生が三分の二ぐらい、三分の一ぐらいが様、稀に殿というのがある。
様と殿の手紙には、先生と呼ぶのは変ですという意味の言葉が繰り返し述べられているのが通例である。
彼らの共通の感覚で、この感覚の内容は私にはよくわからないが、先生という呼称を空疎なもの。
例えば、彼らと学校の先生との関係などにそれを当てはめ、私をもっと親密なものと介していることが察せられる。
共産党は全部殿だ。
しかし、数通、この場合は葉書に限るが、殿も省いて呼び捨てがあった。
葉書の作者はベランメイ型で、筆で意曲が尽くし難いから、原骨の代わりに呼び捨てにして流音を下げているらしい。
長文の手紙の作者は必殺の文字に自信があるから、悠々継承をつけてくれる。
長文の手紙に何が書いてあるかというと、「私の作品、主として堕落論の批評が主であるが、
中には私の作品の半数ぐらい読んでいて、いちいち槍玉にあげているものもある。
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そして、前者、堕落論その他極一部分の作品を取り上げて縦横に論破した者は幾分冷静で、
あくまで論理によって講談師の息の根を止めようとする貴賓を伺うことができるが、
後者、半数以上の作品を槍玉にあげている者は、一時誤って私の作品を愛読したことがあり、
計らざる裏切り行為に逆情、かわいさ余って憎さが百倍という噴火山的な気迫と焦燥が応一しているが、
末尾に至って突然怪しく冷静となり、
貴様又はお前はやがて人民裁判によって裁かれるであろう、その日は近づいている、
などと冷ややかな予言によって手紙を結んでいるのが普通である。
しかし、人民の冤査はお前にかかっていると断じているのが二通あったのがうなずけない。
早まって吉田首相に与える言葉で間に合わせたものと思うが、あるいは共産党では最大級の悪寒に浴びせる公式用語がこれだけなのかもしれない。
たかが公断死に向かって人民の冤査は大きすぎると思うが、
こう言われてみると、私の筆力にヒトラーの妖怪味がはらまれているようにも幻想し、
まんざらでもない気持ちにさせられたのである。
野坂中尉と中西誤帳は3月号に載ったのだから、2月半ばの発売で、
当然その頃以上の文書が殺到すべきはずであるが、
実はこの過半数が5月末日から6月に至ってまとめて殺到したのであった。
この言われは当分わからなかった。
ところがたまたま一通の葉書によってこの謎を解くことができた。
この葉書は文芸春秋新写記付で一旦東京へ送られ、
転送されておそらく着いたから謎の発見が遅れたのである。
紀伝の野坂中尉と中西誤帳に感激したから、
他の論文の出版社を至急教えてくれ、
という葉書であった。
由緒ある流儀を感じさせる達筆だ。
我々から見て文字に二つの区分がある。
文学を愛好するものの筆跡と、そうでもないものの二つである。
弟子入りや共産党の手紙は中途半端で文類以前の筆跡であるが、
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つまり彼らは筆跡的にも未製品であることを示している。
この時の葉書はそうでない筆跡の中でも特にそうでない達筆で、
年齢は40以上であることを示していた。
つまり実務家の中でも人門の老齢化という風格を語っていたのである。
折から選挙竹縄の時であるから私はふと気がついた。
差出人は誰かの選挙事務長かもしれないと、
とにかく応援演説のネタ本用に下級の必要に迫られているものと睨んだのである。
野坂中尉と中西御長が政治家の演説に利用されることを
かねて聞き及んでいたからさてはと感覇したのである。
応援弁主というものは大概アルバイトで、
にわかにネタ本を物色して30日間打って回るものであるが、
野坂中尉と中西御長はアルバイトの弁主用には便利である。
共産党を適度に皮肉って10人のうち7人ぐらいになるほどと思わせるようにできている。
アルバイトの弁主は共産党爆撃を熱演すれば必ず受けるという理性であるから、
共産党以外の弁主のかなり多くの人がこの口談を愛用したものと推察されるのである。
そこで共産党の文学青年、
括弧口談ずるのは彼らの筆跡が弟子入りのそれと同じように中途半端だからであるが、
が起こったのだろうと思う。
選挙竹縄となりや、暗語殿、暗語呼び捨てが殺到するに至ったのだ。
口談の反響はこの時から始まった。
その先月は松谷天皇女子の事件について憎まれ口を叩いたが、
労農党や民主党は法律を怨悶ずること厚く、言論の自由に因縁をつけることをしなかった。
もとも筆者のところへは来なかったが、雑誌者へ因縁をつけてきた形跡はある。
これは私の推理で、確証があるわけではない。
文芸春秋新社は意外にも紳士淑女の田室するところで、
冷説の念は双葉よりかんばしく、
仮初めにも筆者に激動を与えるような饒舌は漏らさない。
しかし私は抜群の心願を受けて生まれ、
その推理願は折り紙付きであるから、こうと睨んで狂ったことはない。
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微妙な証拠は立て上げることができるけれども、他人の機密に触れるから黙っておくことにする。
しかし私には言論自由のルールがはっきり飲み込めないが、
筆者には自由であり、雑誌者には自由でないという訳が甚だしくわからない。
書いた責任は全部筆者にあって、
もしもこれを雑誌者が載せないとなると、
原稿量は酒に踏んだくられているし、筆者には怒られるし。
かっこ彼の頭体は大きい。
良いところがない。
かの講談師は、かの雑誌者が長すぎた原稿を二枚削った角によって絶好調を叩きつけた前歴もあり、
あいつはうるさいぞということになっているのである。
そんなわけで共産党文学青年の総反撃を受けるまでは、
私の講談は淡々と物静かな道を歩いていたのであった。
私を講談師と呼んだのは、冒頭に録した共産党青年の葉書で私自身の命名ではない。
私はしかしこの故障を愛している。
なんとなく私にふさわしいような気持ちだからである。
今年は講談師であるが、去年までは感染屋であった。
感染屋というのは、よろず勝負ごとを見物して感染期を書く商売である。
これに似たのに、複面紙とか北斗星とか、のれんの古い老練家がいるが、
彼らは私と違って伊達谷水鏡という矢縦魔根性で感染期を書いているわけではなく、
腕に覚えの得意によって心眼鋭く飛翼を解く人々である。感染師と言うべし。
私のははっきり感染屋。
私は腕に覚えがない。だからよろず勝負ごと、顧客の求めに応じて好みのものを感染する。
将棋名人戦、法院坊戦、スポーツ万端よろずやる。
私は将棋の駒の動き方を知っているだけだ。
いつか読んだ将棋雑誌の某八段の説によると、こういうのを六十二級というのだそうだ。
由意識三年、九捨七年といって坊主が九捨論を得得するのに七年かかるそうであるが、
これは人間の意識を七十五の名目に分類し、分類が微細に過ぎてちっともわからず、七年かかることになっている。
将棋の法は六十二級の上に九段があって、合計七十一。九捨論に四つ足りない。
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名目だけでも将棋はすでに難解である。私はそのどんじり、六十二級というのに位置している。
上位の七十の名目は虚しく望むだけで全く得得することが不可能であり、又の名を三歩というのだそうである。
六十二級を五の場合に当てはめると、初段に六十二目置くことになる。そんな五はない。しかしあり得るのだ。
勝負ごとの初心者ぐらい哀れなものはない。心眼を研ぎ澄ましてもわからない。
心眼の持ち腐れだから私のような心眼のとは、いたずらに心眼の曇ることもなく、ただ悲しまねばならない。
だから六十二級の私が名人戦の観戦記を書くと、心眼が復習しているようなものだ。
将棋は見ていてもわかりっこない。勝負だけがわかる。そしてそれを見る。
つまり足打ちの見物人にわかるのは、足打ちの言われ、因縁、双方の出立ち、むしゃぶりの観察から始まって、またごろうが赤鬼の顔。
じりじりと進むと、風間がじたりじたり油汗を滴らせる。そういうことなのである。六十二級の観戦記が同じことしかわからない。
心眼の復習などと大きなことを言いながら、またごろうがじりじり進む、風間がじたりじたり油汗、それぐらいしか書けないので心眼が泣くのである。
しかしいくら泣いたってそれしか書けない。観戦夜の絶望。
そんな風に言ってみるのも悪くはないが、私は絶望なんてしたことはない。
しかしなんとなく観戦夜が嫌になった。もうたくさんだぞと叫んだのである。
そこで今年は講談夜を開業した。
よろず勝負ごとだけが人間の見物するものと限ったわけではないのである。
暗黒街でもエロショーでも泥棒でも真珠でも見物することができる。
第一、伊東のような田舎に閉じこもって面会謝絶風流ざんまいとはいかないが、なんとなく精神のゼンビ血行などつくような弊社にふけていると、点で世間がわからなくなる。
たまには状況もすべきであるが、汽車に乗って新橋へ着いて酒を飲んで酔っぱらって帰ってくるだけでは都の風も身にしみない。
そこで雑誌社の世話で、まず東京へ着くと自動車が待ち構えている。
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これに乗ると暗黒街とかエロショーとか泥棒真珠の現場の類に運ばれて、ちょっと人の見物できかねるものをゆっくり見せてもらって、
またするすると自動車で今度は酒場へ。これだ。こんな上手い手があるのである。
それが高壇屋開業の重大決意を固めるに至った内緒話というわけだ。
おまけに全部完備でどこまで間がいいかわからない。
高壇屋を開業する。
開店早々代表版、ソレというので大小新聞、あらゆるキングを含む総合雑誌、みんな俺のところへ高壇によこせと言って押しかける。
そうは参らん。そんなに見たり書いたりできない。
一ヶ月は三十日。高壇屋のみは一つ。仕方がない。盛大な創業ぶりであった。
共産党文学青年の総反撃は高壇初の受談であるが、もとより私は驚かない。
こんなにうまい汁を吸うからには暗黒街でビッソンのソレ玉をくらったり、エロショーでは警官に追いまくられたり、多少の受難は諦めてかかっている。
高壇屋の心構えというようなものはちゃんと身に備わっているのである。
しかし共産党は言葉も知らないし言葉の用い方も知らない。
まだ生きていたか。こう書いてある。
まだ生きていたと見てとって、とどめを刺してやろうという見膜らしい。
それでも日本人か。
言い合わせたようにこう怒る。なぜ怒られるのか飲み込めない。
民衆の心は貴様から離れている。嘘ではないのである。
確かに彼らのあるものはこういう風に、もしくはこういう意味のことを私に向かって叩きつけているのである。
共産党以外の人にはわかるはずだが、この文句は時の首相とか政党の指導者などに用いるもので、高壇屋には用いない。
用いて悪い規則もないが、高壇屋とヒトラーには用いる言葉が自らそれぞれに相応したものでなければならない。
高壇邸した共産党は静岡県の富士郡というところの何々村の住人だ。
言ってみたわけではないが、富士山の麓の壁地だろう。
そんなところに住んでいても、民衆の心が高壇屋から離れているのをちゃんと見ているのである。
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貴様の末路はわかっている。
そうか、さては末路も見破られたか。
どうしても末路を見破り、人民裁判にかける意向が明らかなのである。
彼らは骨の髄から懲罰精神で固まっているらしい。付き合いにくい人種である。
西洋の童話には森の妖婆が出てくる。
これが共産党の先祖で恐ろしい呪いをかける。
末路を予言するのである。
口の中でぶつぶつ言うのだが、赤ずきんを食う狼よりも凶悪不定で人間の敵だ。
腰の曲がった妖婆と違って威勢の良い共産党はもっとはっきり聞こえよがしに呪いをかける。
近代的だか軍人的だか知らないが、人間の敵には変わりがない。
森の妖婆の中にもいい妖婆が稀にはいる。
シンデレラ姫についた妖婆がそれである。
私にはそんな共産党はついてくれない。
そして私はどうしても人民の名によって吊るし上げられることになるのである。
しかし甲断氏はこんな不景気な手紙ばかりもらうわけではない。
もし、もし、ちょっと、ちょっと、待って、坂口さん。
甲断氏の後ろから大声で叫びながら自転車で追ってきた女の子がいる。
この温泉町はパンパンが大通りへ進出して客を引っ張るので有名だが、自転車で追っかけた話はまだ聞いたことがない。
このパンパンってのはパンパンアンマの略だそうで、ピンクなマッサージのお姉さんのことだそうです。
続けます。
見たところパンパンと見分けがつかなくて同じぐらいの年格好だ。
甲断の坂口さん?そうでしょ?
そうでしょ?そう言ったわ。坂口さんね。
うん、そう。
じゃあ一緒に来てよ。待ってるのよ。
あなたは誰ですか?
××官よ。
お客さんに頼まれたからさ。あの人呼んでおいで。甲断の坂口さんだからってさ。
お客さんって誰?
知らないわ。聞いてみればわかるでしょ。
女?
女は笑った。恐ろしく舐められたものである。
××官あそこよ。知ってるでしょ。
女は自転車に乗って走り出した。
女が美人だとのこのこついていく性分だが、不美人に舐められては長く魂を抜かれているわけにもいかない。
24:07
うっかりすると自転車に引かれるから、彼は振り向いて歩き出す。
女が怒ってフルスピードで戻ってきた。
何よあんた。聞こえなかったの?私の言ったことが。
目から火炎が吹いている。
待ってるわよ。そう言ったじゃないの。
女?
まだ言ってるわね。
女は呆れて苦笑したが、我が意を得たりという親愛の情も同時にこもって、
そんな人いるの?夢見ちゃダメよ。
お気の毒様だ。私がなってあげようか。
ハハハハ、嘘だよ。本気にしちゃダメよ。
と、いくらか照れた。
彼女が笑ったので、口ががま口のように大きいのがわかった。
他の講談師はこの言葉が気に入ったので、おとなしくついていくことになった。
××館は三流旅館である。
学生外の下宿屋と同じようだ。
日当りの悪い小部屋に、男が私を待っていた。
行儀の悪いやつで、布団を敷きっぱなしてまだ寝転んでいる。
首に包帯を巻いている。
喉をつぶした旅回りの何羽節語りという風情である。
貧相なちょびひげを生やしているが、
ひげも共に笑うが如く、にこやかなビクショーを漂わせて、
便所の窓から君の通る姿は見かけたんだよ。
僕は君を知らなかったが、便所に着合わせていた男が、
くさい話だがね、あれが講談の暗護師だというから、
僕は急いで助手を呼んで来てもらったわけだ。
はは、まあ君、こっちへ来たまえ。
男は布団の上に半身を起こし、片肘で支えている。
煙草を握った片手で私を差し招いて、
枕元へ来て灰皿の向こう側へ座れというサインである。
くたびれた布団や男の様子から、
血を吸う虫と梅菌がうようよいそうであるから、
私は遠慮して宅に持たれた。
君の講談、読みましたね、ケイリン。
負けっぷりはお見事だが、あれはいけないよ。
ケイリンは一レースに五百円、
まあ一日五千円程度で勝負するものだ。
それでまあ倍に儲ける。その程度ね、そういうものよ。
それで僕はこうして結構遊んでいられるのよ。
あれが暗護師だというからね、ふっとひらめいたわけだ。
ケイリンのコツを伝授しようと思ってさ。
27:01
あの負けっぷりが好きだからよ。
淡々たるむしゃぶりである。
名乗りもあげないし、いらっしゃいも言わない。
よく来てくれたなどとも言わない。
別段軽蔑している者でもないようだ。
なぜなら気取ってもいないようだから。
どういう魂胆だかわからないが、
天下の講談師を天で勝っていないのは確かである。
今夜だと尚良かったんだが、君出直してくるかい?
夜の8時ごろ、使いの者がこっちへ来るんでね。
今小田原でケイリンやってるだろう。
明日から二節だ。
明日の出走表が8時半には僕に届くのよ。
それを見て教えてあげる。
初心者にはこれに限るのよ。
難しい理屈は早急に飲み込めやしないものさ。
理屈じゃないが、上がりタイム。
過去の戦績、これを知り尽くして犯人前だね。
字足のよしよし、これも常識なうち。
そのたたたありとしておこうよ。
男は枕元から一山の紙をざっくと一握りして投げてよこした。
各地のケイリン新聞である。
関東各地のほかに、岐阜、鳴尾、墨上などというのがある。
紙面の各々には販毒に苦しむ細かさでべったり朱筆が入れてあった。
君、ケイリンを商売にしてる人かい?
と聞くと、つまらなそうにうつむいて、
まあね、そう言われても仕方がない。
ヤクザじゃないがね、
予想屋でもやろうかとは思ってはいるが、
足がこれでね、
布団をのけてみせた。
片足が義足なのである。
僕は罪のことができない勝負んだから、予想屋じゃ客がつかないだろうよ。
僕はこういうな、穴をねらっちゃいかん。
冷蔵全部買うな。わからんときは降りることよ。
戦争で負傷したのかい?と私は聞いた。
男は首を横に振って、
工場でよ。どうやら僕の不注意からなのさ。
彼はにっと笑った。
宿命に休んじているのかもしれない。
私は彼を見直した。
工場で受けた傷でも、こんなときには洗浄にするのが人情だ。
見知らぬ私を引き入れて、
ダボラを吹いている最中だからである。
してみると、
この男の話はダボラじゃないのかもしれない。
彼は疲れたのか、どっこいしょと寝転んで、
枕をつけて、
今夜出直しておいで。
それがいいよ。出走表を見て教えてあげるよ。
30:00
確実なところだけね。
穴はよしな。
8時半に来なよ。
私も立ち上がって、
もう競輪へ行く気がないから多分来ないだろうよ。
だが気が変わったらそのときは教えてもらうよ。
彼はうなずいた。
競輪で僕を見かけたら声をかけな。教えてあげる。
彼は目を閉じてつぶやいた。
私は黙って部屋を去った。
これも口談の反響なのである。
競輪の反響は共産党以上にすごかった。
競輪の世知辛い性格によって、
その反響には凄みがこもっていたのである。
もっとも凄みのこもった手紙は多くはないが、
こもった凄みは格別だった。
それをあからさまには書けないが、
というのは当人の家族や知人に知れると気の毒だからで、
一方口談紙はゾッとすくむようなのが舞い込んでくるのであった。
双葉の写真と履歴書を同封してきた老人があった。
英国に留学し、
日産会社の社長を務め、
公務で何回か闘応した経歴も持つが、
今は落ちぶれている人である。
落ちぶれる経路は手紙にるるしたためであり、
それは印算そのものであるが、
これも書くわけにはいかない。
彼は私が競輪で数万円をこともなけに失ったのを読んで目をつけたのである。
彼は競輪を知らないのである。
しかし英国滞在中、見物のダービー以来、
競馬にはやみつきで、私を競馬に誘っているのだ。
自分は一文ももらたないから、
お前五万円持ってこい。
それを三日間で五百万円にしてやるから、
その分け前をもらいたいというわけだ。
あらすじはこれだけだが、
彼が昔の映画を語り、
今の貧窮や家族について語っている言葉には、
まさしく陽気がこもっていた。
私は彼に遥か東北の競馬に誘われ、
どこかの山中で毒殺されるような幻想を起こしたほどである。
共産党と違って、
彼は努めて、私を怖がらせまい、
安心させようと努力しているのである。
近衛とともに、
前世時代の写真を同封したのもそのためかもしれない。
そして手紙の所々において、
自分が強靭ではないこと、
自分の精神は分裂していないから安心してくれということを
力説しているのである。
はなはだしい急忙に踏みにじられている衰弱を差し引けば、
33:02
彼の力説する通り、彼は強靭ではないらしい。
しかし私は五万円懐に、
もしも誰かと競馬へ行かねばならぬとすれば、
彼と同行するよりは、
本物の強靭と同行することを選ぶだろう。
彼は手紙の末尾に、
万が一にもそういうことはなかろうが、
自死と違って五万円の元手を失うような羽目になったら、
その時は身の上話をするから、
それを小説に書いて埋め合わせをつけてくれと結んでやった。
彼は私が小説家であることを知っていたのである。
しかし一般に講談の読者は、
私に小説家という別容があることなど知らない人が多いようだ。
つまり単に講談師だ。
やっ、あんたが暗語講談か。
私が友人と酒を飲んでいると、
友人をかきのけるようにして、
私に握手を求めた酔っ払いがある。
たまに状況してマーケットで飲んでいた時だ。
今慶應閣の帰りでね。
今日は儲けたです。
Cキーを狙った。
彼を一目見た時パッと来た。
これだと思ったんだ。
誰も入着を予想していない選手なんだ。
10枚買った。
来たね。サンキュー。
彼は私のビールをとってぐっと煽った。
君が暗語講談か。
私の肩に両手をかけて、
ガクガク揺さぶって、
親愛の女王をひれきし、
しげしげと見つめて、
うん、なるほど。えらいぞ。
お前は確かに金持ちの妊娑をしとるぞ。
それだ。それでいけ。
お前も今につくぞ。
と、私を大激励して、
途端にゲラゲラ笑い出した。
しかし君、おい、暗語講談、
まあ飲もう。
私にビールをつかせてぐっと煽り、
再び役所を交わした。
あれはいいぞ、暗語講談。
なあ、よく見ている。
初心者の甘さもあるがよく見ている。
みんな褒めてるぞ。
あれでいけよ。
と褒めて励ましてくれた。
損をした日は褒めてくれないように見えたが、
私の悲願かもしれない。
共産党と違って、
ケーリンの手紙は、
二三の容器漂う例外を除いて、
外して景気よく明るい。
しかし手紙を読んでみると、
私に手紙をくれた言われが、
わからないのである。
なぜなら、暗語講談には
ちょっぴり触れているだけで、
それも所感の義理として、
ちょっと触れておくという
投げありな様子が露骨だからである。
36:00
彼らは私の講談に解く必勝法には
同感していないのである。
去りとて反駁するわけでもなく、
また、ひにくるような悪意はみじんもない。
つまり彼らは私を親友として
扱ってくれているのである。
なぜ私に手紙をくれるかというと、
儲けた話を聞かせるためである。
儲けたレースのケーリン新聞を
十枚ぐらい同封し、
どこを狙って中穴を仕留めたか。
人の気づかぬ急所をついた
手柄話を楽しそうに書いている。
それだけなのだ。
それを聞かせたい楽しさで
いっぱいというわけだ。
何も私を選んで聞かせる必要はないように見える。
第一、私に聞かせるためには
方々へ問い合わせして
住所を探さなければならない。
ところが彼らはその苦労を
ものともせず私に手紙をくれるのである。
私の必勝法と彼らのそれとはノリがあり。
かっこ彼らはみんなベテランだ。
そのノリは絶対で
チキを感じる言われはないように見える。
しかし彼らから見ると
チキを感じるのかもしれない。
負けて手紙をよこしたというのはない。
掛け言をやる人間は
負けたときは黙々として健忘症となり、
勝ったときの記憶だけは死ぬまで忘れることができないという
語り部の精神に富んでいるらしい。
つまり語り部の代表たる講談屋に
彼らのゆうからを吹き込んでおこうという
楽しい精神状態なのかもしれない。
苦情が出たのは東京ジャングルだ。
間に受けて上野担保に出かけたら
保守の女の子にはめぐり合わないし、
お客を大切にして
ジャングルの平和を守る情にあふれているどころか、
一緒に泊まった女の子に財布を持ち逃げされたよ。
困るじゃないか。
アッハッハというようなわけだ。
さすがに上野担保の風流心を起こすほどの機陣であるから、
恨みを述べても悪意はないし、あっさりしている。
私が書いているときはあんまり意識しなかったが、
風流最終の面々は
言い合わしたかのように
保守の娘を探しに行っているのである。
そして12人もいる謎とあるが嘘だろうと
高壇屋の実写に疑いを抱いているのである。
風流の機陣たちよ。
疑いは人間にあり。
39:01
高壇屋は多少インチキであるかもしれぬが、
こういう急所で機陣をたぶらかすような
無法をしたことはない。
しかし争われないもので、
私はあんまり意識せずに書いたけれども、
上野担保で一番心を惹かれたものはといえば
保守の娘であった。
おまわりさんが武装いかめしく護衛に
ついてくれているのに、
くどくわけにもいかない。
実に残念千万であると。
いけない、そんなわけで
ちょっとしたあの騒和に
私の魂がこもったらしい。
機陣はそれを見破るのである。
しかしこれをかえりみて、
私もひとかどの機陣であろう。
先日、五階嬢の相手に
ご商売は?
高壇市です。
あ、公爵のお方?
いえ、高壇市。
あ、高壇市。
これはおめずらしい。
うーん、なるほど。
と、顔を見て感心していた。
何と勘違いしたのか検討がつかないので、
話の泉の補充兵ぐらいの
致謝に聞いてみると、
ははーん、ばか笑われたろう。
笑われもしなかったな。
おめでたいよ、おまえさんは。
そうかな。
高壇市だって通じるかよ。
人はみんな好むに壇市、
高壇市と取るに決まってるじゃないか。
日本語にはそれだけしかないんだよ。
覚えておけ。
そうか。
今さらしまったと思ったって手遅れだよ。
ばかを顔にぶら下げて歩いてら。
はは。
何、しまったなんて思うもんか。
高壇市イコール好む壇市。
ますますまんざらでない。
つまり私以外の誰の職業でもないということを
天が指定しているようなものさ。
1998年発行。
筑波書房。
坂口暗語全集09。
より独りを読み終わりです。
ちょっと掛け合いが多かったので。
うるさかったですか。
寝落ちできてますか。
長さは十分あるんですけど。
途中目が覚めたりしてないことを切に願います。
それでは今日はこのへんでまた次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
41:55

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