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2025-04-17 20:30

122芥川龍之介「鼻」(朗読)

122芥川龍之介「鼻」(朗読)

ながーい鼻。過剰なルッキズム配慮の反動が来ると思ってます。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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サマリー

芥川龍之介の短編「鼻」では、一人の長い鼻を持つ僧侶が苦悩し、自尊心との葛藤に直面しています。彼は長い鼻を隠そうと奮闘し、他人の目を気にしつつも、自分自身を受け入れようと模索し続けます。この作品を通じて、彼の顔の特徴が周囲に与える影響が探求されます。また、物語は彼の心情や人間関係の複雑さを描写し、笑いと不快感が交錯する様子を示しています。

内具の苦悩
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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最後に番組フォローもどうぞよろしくお願いします。 さて、今日は
芥川龍之介さんの、「鼻」です。 鼻の大きいお坊さんの話だったと記憶していますが、
また改めて読みたいと思います。 全然長くないお話なので、15分20分ぐらいで終わるかと思いますが、
よろしければ、寝落ちまでお付き合いいただければと思います。
それでは参ります。 鼻
全地内部の鼻といえば、池のほうで知らないものはない。 長さは5、6寸あって、上唇の上から顎の下まで下がっている。
形は、もとも先も同じように太い。 要は、細長い頂爪のようなものが、ぶらりと顔の真ん中からぶら下がっているのである。
後実際を超えた内具は、シャミの昔から内道上具部の職に昇った今日まで、 内心では始終この鼻を苦に病んできた。
もちろん表面では、今でもさほど気にならないような顔をして済ましている。 これは、千年に当来の浄土を活行すべき僧侶のみで、鼻の心配をするのが悪いと思ったからばかりではない。
それよりむしろ、自分で鼻を気にしているということを人に知られるのが嫌だったからである。 内具は日常の談話の中に、鼻という語が出てくるのを何よりも恐れていた。
内具が鼻を持て余した理由は二つある。 一つは実際的に鼻の長いのが不便だったからである。
第一、飯を食う時にも一人では食えない。 一人で食えば鼻の先がかなまりの中の飯へ届いてしまう。
そこで内具は弟子の一人を禅の向こうへ座らせて、飯を食う間中、広さ一寸、長さ二尺ばかりの板で鼻を持ち上げていてもらうことにした。
しかし、こうして飯を食うということは、持ち上げている弟子にとっても、持ち上げられている内具にとっても、げっして容易なことではない。
一度、この弟子の代わりをした中道児が、草芽をした拍子に手が震えて、鼻を粥の中へ落とした話は、当時京都まで献伝された。
けれどもこれは内具にとって、けっして鼻を苦にやんだ主な理由ではない。 内具は実にこの鼻によって、傷つけられる自尊心のために苦しんだのである。
池の尾の町の者は、こういう鼻をしている全地内具のために、内具の俗でないことを幸せだと言った。
あの鼻では誰も妻になる女があるまい、と思ったからである。 中にはまた、あの鼻だから出家したのだろう、と批評する者さえあった。
しかし内具は、自分がそうであるために、幾分でもこの鼻に煩わされることが少なくなったと思っていない。
内具の自尊心は、最大というような結果的な事実に左右されるためには、あまりにデリケートにできていたのである。
鼻を短く見せる方法
そこで内具は、積極的にも消極的にも、この自尊心の既存を回復しようと試みた。
第一に、内具の考えたのは、この長い鼻を実際以上に短く見せる方法である。
これは、人のいない時に鏡へ向かって、色々な角度から顔を映しながら熱心に工夫を凝らしてみた。
どうかすると、顔の位置を変えるだけでは安心ができなくなって、頬杖をついたり、顎の先へ指を当てがったりして、根気よく鏡を覗いてみることもあった。
しかし、自分でも満足するほど鼻が短く見えたことは、これまでにただの一度もない。
時によると、苦心すればするほど、かえって長く見えるような気さえした。
内具は、こういう時には鏡をはこえしまいながら、今更のようにため息をついて、武将武将にまた元の教図くえへ観音経を読みに帰るのである。
それからまた内具は絶えず人の鼻を気にしていた。
池の尾の寺は、僧侶交接などのしばしば行われる寺である。
寺のうちには僧帽が好きなく立て続いて、夕夜では寺の僧が日ごとに湯を沸かしている。
したがって、ここへ出入りする僧族の類も花々多い。
内具は、こういう人々の顔を根気よく物色した。
一人でも自分のような羽のある人間を見つけて安心がしたかったからである。
だから内具の目には紺の水管も白の肩びらも入らない。
まして、黄色の帽子やシーニビの衣などは見慣れているだけに、あれども無きが如くである。
内具は人を見ずにただ花を見た。
しかし鍵花はあっても内具のような花は一つも見当たらない。
その見当たらないことが度重なるに従って内具の心は次第にまた不快になった。
内具が人と話しながら思わずぶらりと下がっている花の先をつまんでみて、
としがいもなく顔をあからめたのは、まったくこの不快に動かされての諸位である。
最後に内具は内転下転の中に、自分と同じような花のある人物を見出して、
せめても幾分の心やりにしようとさえ思ったことがある。
けれども木蓮やシャリホツの花が長かったとはどの経文にも書いていない。
もちろんリュウジュやメミョウも人並みの花を備えた菩薩である。
内具は神壇の話のついでに食館のリュウ玄徳の耳が長かったということを聞いたときに、
それが花だったらどのくらい自分は心細くなくなるだろうと思った。
内具がこういう消極的な苦心をしながらも、一方ではまた積極的に花の短くなる方法を試みたことはわざわざここに言うまでもない。
内具はこの方面でもほとんどできるだけのことをした。
カラス売りをせんじて飲んでみたこともある。
変化の実感
ネズミのいばりを花へなすってみたこともある。
しかし何をどうしても花は依然としてコロクスンの長さをぶらりと唇の上にぶら下げているではないか。
ところがある年の秋、内具の用を兼ねて教へ登った弟子の僧が、
週辺の医者から長い花を短くする法を教わってきた。
その医者というのは元神壇から渡ってきた男で、当時は長楽寺の偶僧になっていたのである。
内具はいつものように花などは気にかけないという風雨をして、わざとその法もすぐにやってみようとは言わずにいた。
そして一方では気軽な口調で、食事の度ごとに弟子の手数をかけるのが心苦しいというようなことを言った。
内心ではもちろん弟子の僧が自分を解き伏せてこの法を試みさせるのを待っていたのである。
弟子の僧にも内具のこの策略がわからないはずはない。
しかしそれに対する反感よりは内具のそういう策略をとる心持ちの方が、より強くこの弟子の僧の道場を動かしたのであろう。
弟子の僧は内具の予期通り、口を極めてこの法を試みることを勧め出した。
そして内具自身もまたその予期通り、結局この熱心な勧告に徴従することになった。
その法というのは、ただ湯で花を茹でてその花を人に踏ませるという極めて簡単なものであった。
湯は寺の湯屋で毎日沸かしている。 そこで弟子の僧は指も入れられないような熱い湯をすぐにひさげに入れて湯屋から汲んできた。
しかし直にこのひさげ花を入れるとなると湯気に吹かれて顔をやけどする恐れがある。
そこでお敷屋穴をあけてそれをひさげのふたにして、その穴から花を湯の中入れることにした。
花だけはこの熱い湯の中へ浸しても少しも熱くないのである。 しばらくすると弟子の僧が言った。
もう湯だった自分でござろう。 内具は苦笑した。
これだけ聞いたのでは誰も花の話とは気がつかないだろうと思ったからである。 花は熱湯に蒸されて飲み残ったようにむずがゆい。
弟子の僧は内具がお敷の穴から花を抜くと、そのまだ湯気の立っている花を両足に力を入れながら踏み始めた。
内具は横になって花を床板の上へ伸ばしながら弟子の僧の足が上下に動くのを目の前に見ているのである。
弟子の僧は時々気の毒そうな顔をして内具のハゲ頭を見下ろしながらこんなことを言った。
伊藤はござらんのかな。 医師はせめて踏めと申したで。 じゃが伊藤はござらんかな。
内具は首を振って痛くないという意味を示そうとした。 ところが花を踏まれているので思うように首が動かない。
そこで上目を使って弟子の僧の足に赤切れの切れているのを眺めながら腹を立てたような声で 伊藤はないで
と答えた。 実際花はむずかゆいところを踏まれるので痛いよりもかえって気持ちのいいくらいだったのである。
しばらく踏んでいるとやがて泡粒のようなものが花へでき始めた。 いわば毛をむしった小鳥をそっくり丸焼きにしたような形である。
弟子の僧はこれを見ると足を止めて独り言のようにこう言った。 これを毛抜きで抜けと思うことでござった。
内具は不足らしく頬をふくらせて黙って弟子の僧のするなりに任せておいた。 もちろん弟子の僧の親切がわからないわけではない。
それはわかっても自分の花をまるで物品のように取り扱うのが不愉快に思われたからである。
内具は信用しない医者の手術を受ける患者のような顔をして不祥不祥に弟子の僧が花の毛穴から毛抜きで油を取るのを眺めていた。
油は鳥の羽の茎のような形をして渋ばかりの長さに抜けるのである。 やがてこれが一通り済むと弟子の僧はほっと一息ついたような顔をして
もう一度これを茹でればようござる。 と言った。
内具はやはり八の字を寄せたまま不服らしい顔をして弟子の僧の言うなりになっていた。
さて二度目に茹でた花を出してみると、なるほど、いつになく短くなっている。 これでは当たり前の鍵花と大した変わりはない。
内具はその短くなった花を撫でながら弟子の僧の出してくれる鏡を決まりが悪そうにおずおず覗いてみた。
花は、 あの顎の下まで下がっていた花は、
ほとんど嘘のように萎縮して、今はわずかに上唇の上で意気地なく残善を保っている。
ところどころまだらに赤くなっているのはおそらく踏まれた時の跡であろう。 こうなればもう誰も笑うものはないに違いない。
鏡の中にある内具の顔は、鏡の外にある内具の顔を見て満足そうに目をしばたたいた。
しかしその日はまだ一日、花がまた長くはなりはしないかという不安があった。
そこで内具は、授業をする時にも食事をする時にも、暇さえあれば手を出してそっと花の先に触ってみた。
が花は行儀よく唇の上に収まっているだけで、 格別それより下へぶら下がってくる景色もない。
それから一晩寝て、あくる日早く目が覚めると、内具はまず第一に自分の花を撫でてみた。
花は依然として短い。 内具はそこで幾年にもなく、
保華経書者の甲を摘んだ時のようなのびのびした気分になった。 ところが、二三日経つ中に内具は意外な事実を発見した。
内具と周囲の反応
それは折から用事があって池の尾の寺を訪れた侍が、前よりも一層おかしそうな顔をして、話もろくろくせずに、じろじろ内具の花ばかり眺めていたことである。
それのみならず、かつて内具の花を茅雨の中へ落としたことのある中道司なぞは、行動の外で内具と行き違った時に、はじめは首頭を向いておかしさをこらえていたが、とうとうこらえかねたとみえて一度にふっと吹き出してしまった。
よう言いつかった下法師たちが面と向かっている間だけは慎んで聞いていても、内具が後ろさえ向けばすぐにくすくす笑い出したのは一度や二度のことではない。
内具ははじめ、これを自分の顔がわりがしたせいだと解釈した。
しかしどうもこの解釈だけでは十分に説明がつかないようである。
もちろん中道司や下法師が笑う原因はそこにあるのに違いない。 けれども同じ笑うにしても、花の長かった昔とは笑うのにどことなく様子が違う。
見慣れた長い花より見慣れない短い花の方が滑稽に見えるといえばそれまでである。 がそこにはまだ何かあるらしい。
前にはあのようにつけつけとは笑わなんだて。 内具は図下した経文をやめて、ハゲ頭を傾けながら時々こうつぶやくことがあった。
愛すべき内具はそういう時になると必ずぼんやり、傍らにかけた不厳の画像を眺めながら、花の長かった四五日前のことを思い出して、
今は無限に癒しく成り下がれる人の栄えたる昔を忍ぶが如く塞ぎ込んでしまうのである。
内具には遺憾ながらこの問いに答えを与える明かりが欠けていた。 人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。
もちろん誰でも他人の不幸に同情しないものはない。 ところがその人がその不幸をどうにかして切り抜けることができると、
今度はこっちでなんとなく物足りないような心持ちがする。 少し誇張して言えば、もう一度その人を同じ不幸に落とし入れてみたいような気にさえなる。
そしていつの間にか消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くようなことになる。
内具が理由を知らないながらもなんとなく不快に思ったのは、 池の王の相続の態度にこの傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからに他ならない。
内具の変化
そこで内具は日ごとに機嫌が悪くなった。 二言目には誰でも意地悪く叱りつける。
姉妹には腹の漁事をしたあの弟子の層でさえ、 内具は封建団の罪を受けられるぞ、と励口を聞くほどになった。
ことさらに内具を怒らせたのは例のいたずらな中道司である。 ある日、けたたましく犬の吠える声がするので、内具が何気なく外へ出てみると、
中道司は二尺ばかりの木の切れを振り回して、毛の長い痩せた無垢犬を追い回している。 それもただ追い回しているのではない。
花を打たれまい、それ、花を打たれまい、と囃しながら追い回しているのである。
内具は中道司の手からその木の切れをひったくって、したたかその顔をぶった。 木の切れは以前の花もたげの木だったのである。
内具は生じいに花の短くなったのがかえって恨めしくなった。 するとある夜のことである。
日が暮れてから急に風が出たとみえて、塔のふうたくの鳴る音がうるさいほど枕に通ってきた。 その上寒さもめっきり加わったので老年の内具は熱こうとしても熱かれない。
そこで床の中でまじまじしていると、ふと花がいつになくむずがゆいのに気がついた。 手をあててみると少しすいきがきたようにむくんでいる。
どうやらそこだけ熱さえもあるらしい。 無理に短こうしたで病が起こったのかもしれん。
内具はぶつぜんに工芸を備えるようなうやうやしい手つきで花をおさえながらこうつぶやいた。 翌朝、内具がいつものように早く目をさましてみると、
寺内の市屋や土地が一晩の中に葉を落としたので、庭は金を敷いたように明るい。 塔の屋根には霜が降りているせいであろう。
まだ薄い朝日にクリンがまばよく光っている。 禅知内具は瞳をあげた縁に立って深く息を吸い込んだ。
ほとんど忘れようとしていたある感覚がふたたび内具に帰ってきたのはこの時である。 内具はあわてて花へ手をやった。
手にさわるものは夕べの短い花ではない。 上唇の上から顎の下まで五六寸余りもぶら下がっている昔の長い花である。
内具は花が一夜の中にまたもとの通り長くなったのを知った。 そうしてそれと同時に花が短くなった時と同じような晴れ晴れした心持ちがどこからともなく帰ってくるのを感じた。
こうなればもう誰も笑うものはないに違いない。 内具は心の中でこう自分にささやいた。
長い花を明け方の秋風にぶらつかせながら。 大正五年一月。
1986年発行 筑磨書房 筑磨文庫
芥川龍之介全集 1 より独了 読み終わりです。
はい 他人の不幸は蜜の味が
駿寧的な人の醜さみたいなね そういうの好きですね芥川君はね
収録している今日4月11日はですね うちの猫の楓ちゃんの誕生日であのこのポッドキャストの一番最後の最後で猫の声がにゃーんって
泣くんですけどその声の持ち主ですねその子が6歳になりました 人間に換算すると40歳だそうです
不悪ですね 全然そんな感じしないけど
今日はちょっとおやつを多めにあげて祝いたいと思います はい
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただいた方も大変にお疲れ様でございました といったところで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう
おやすみなさい
20:30

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