1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 165太宰治「斜陽」前(朗読)
2025-09-18 2:02:44

165太宰治「斜陽」前(朗読)

165太宰治「斜陽」前(朗読)

押しかけ中年

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サマリー

本エピソードでは、太宰治の名作「斜陽」の朗読が行われ、戦後の貴族家庭の没落とその中での人間の葛藤が描かれています。主人公のカズコは愛や革命を求めて過酷な生活を送り、物語の展開が注目されます。朗読では、蛇の卵を処理する出来事を通じて家族の絆や思い出が描かれ、特に母親とその子供の間の複雑な感情の表現が印象的です。前編では、主人公と母の切ない交流が描かれ、母の病気や貧乏の苦境が影響を与えます。また、二人に訪れる伊豆の小さな山荘での新しい生活は希望と苦悩をもたらします。主人公は母親を心配しつつ自らの過去の傷に葛藤し、火事を起こしてしまったことで、その後の不安や周囲の反応に直面し罪の意識に苦しみます。「斜陽」は、家族との複雑な関係や戦争の影響を受けた生活を描いており、火事や徴用、家族の体調が中心テーマとして展開され、主人公の内面的な葛藤が浮き彫りになります。このエピソードでは、登場人物たちの複雑な感情や家族の関係が描かれ、特にカズコの心情や直司の帰還、家庭の経済的な困難が興味深く表現されています。主人公の心の葛藤や家族との関係が描かれ、母親との思い出や不安感、日常の中の小さな幸せについて考察されます。前半部分では、直樹の麻薬中毒や母親との関係が語られ、帰りを待つ母親の苦悩が描写されます。物語は直樹が東京へ向かう過程や、彼の文筆家としての苦悩に焦点を当てます。このエピソードでは、登場人物の複雑な感情や葛藤が深く描かれ、特に薬物中毒に苦しむ弟と彼を支える姉の関係が中心テーマとなり、家族の絆や社会の期待が浮き彫りになります。主人公は家庭の困難と自己のアイデンティティについての葛藤を描き、親族との関係や恋愛感情に関する内面的な対話が展開されます。主人公の女性は自身の人生や幸福、お金、子どもに対する思いを語り、愛や結婚に対する複雑な感情と年齢に対する意識を反映します。前編ではキャラクターの感情や思いが深く描かれ、主人公と彼女の価値観や社会への疑問が交錯します。

ポッドキャストの紹介
寝落ちの本ポッドキャスト。
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには、面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また、別途投稿フォームもご用意しました。
リクエストなどをお寄せください。
そして、最近、メンバーシップという名のおひねりを投げていただけるように仕組みを整えました。
どうかお気に召していただけましたら、おひねり投げていただけると励みになりますので、
どうぞご検討のほどよろしくお願いします。
「斜陽」のあらすじ
さて、今日は、太宰治さんの斜陽です。
ついに、ついにですね。
文字数が99000字あるので、
一つのファイルでゴロッと出すとなると、たぶん4時間コースだなぁ。
分けますかねぇ。
ちょっと考えながら読み進めたいと思いますけど、
まぁ、分けるかもしれないです。
4時間のファイル、シークバーって言うんですか?
つまみ、ちょっと触っただけでギューンと動いちゃって、
ちょっと操作性悪いっすもんね。
2時間ぐらいがやっぱり限界なのかもな。
3時間のファイルになった時も、まあまあ操作しづらさ感じたので、
分けるという前提で進めようかな。
斜陽自体僕は初めて読みますが、あらすじです。
戦後没落した貴族の母と姉と弟が伊豆の山荘に移り住み、
新しい時代に適応できない家族の姿を描く物語。
主人公の娘カズコは、恋と革命のために小説家族の不倫に身を投じ、
シングルマザーとして子供を育てることを決意します。
弟のナオジョは薬物中毒に陥り、自殺して物語を終えます。
この物語は没落貴族を指す斜陽族という流行語を生み出し、
時代の変化と貴族の精神が対比的に描かれていますということです。
物語の朗読
はい、名作と言われてますからね。
じゃあ長いのでやっていきましょうか。
どうかお付き合い下さい。
それでは参ります。
斜陽 1
朝、食堂でスープを一さじすっと吸ってたお母様が、
「あ!」とかすかな叫び声をおあげになった。
「髪の毛?」
スープに何か嫌なものでも入っていたのかしらと思った。
いいえ。
お母様は何事もなかったようにまたひらりと一さじスープをお口に流し込み、
すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の満開の山桜に視線を送り、
そしてお顔を横に向けたまままたひらりと一さじ、
スープを小さなお唇の間にすべり込ませた。
ひらりという形容はお母様の場合決して古調ではない。
婦人雑誌などに出ているお食事のいただき方などとは全然まるで違っていらっしゃる。
弟の直寺がいつかお酒を飲みながら姉の私に向かってこう言ったことがある。
「借位があるから貴族だというわけにはいかないんだぜ。
借位がなくても天職というものを持っている立派な貴族の人もあるし、
俺たちのように借位だけは持っていても貴族どころか先民に近いのもいる。
岩島なんてのは。」と直寺の学友の伯爵のお名前をあげて、
あんなのは全く新宿の裕閣の客引き番とよりももっと下敏てる感じじゃねえか。
こないだも柳とやはり弟の学友で司釈の御次男の方のお名前をあげての兄貴の結婚式に、
「あ、ちくしょう。タクシードなんか来て。何だってまたタクシードなんか来てくる必要があるんだ。」
それはまあいいとして、テーブルスピーチの時にあの野郎、
「御座いませる。」という不可思議な言葉を使ったのにはゲッとなった。
気取るということは上品ということと全然無関係な浅ましい虚勢だ。
高等御下宿と書いてある看板が本郷あたりによくあったものだけれども、
実際家族なんてものの大部分は高等御子敷とでも言ったようなもんなんだ。
真の貴族はあんな岩島みたいな下手な気取り方なんかしやしないよ。
俺たちの一族でも本物の貴族はまあままくらいのものだろう。
あれは本物だよ。かなわねえところがある。
スープのいただき方にしても、私たちならお皿の上に少しうつむき、
そうしてスプーンを横に持ってスープをすくい、スプーンを横にしたまま口元で運んでいただくのだけれども、
お母様は左手のお指を軽くテーブルの縁にかけて上体をかがめることもなく、
お顔をしゃんと上げてお皿をろくに見もせずにスプーンを横にしてさっとすくって、
それからツバメのようにとでも形容したぐらいに軽く鮮やかにスプーンをお口と直角になるように持ち運んで、
スープの先端からスープをお唇の間に流し込むのである。
そうして無心相にあちこち脇見などなさりながら、ひらりひらりとまるで小さな翼のようにスプーンを扱い、
スープを一滴もおこぼしになることもないし、数おとも、お皿のおとも、ちっともお盾にならんのだ。
それはいわゆる正式礼法にかなったいただき方ではないかもしれないけれども、
私の目にはとても可愛らしく、それこそ本物みたいに見える。
また事実、お飲み物は口に流し込むようにしていただいた方が不思議なくらいにおいしいものだ。
けれども私はなおじの言うような口頭温故時期なのだから、
お母様のようにあんなに軽く無雑さにスプーンを操ることができず、仕方なく諦めてお皿の上にうつむき、
いわゆる正式礼法通りの陰気ないいただき方をしているのである。
スープに限らず、お母様の食事のいただき方はすこべる礼法に外れている。
お肉が出ると、ナイフとフォークでさっさと全部小さく切り分けてしまって、
それからナイフを捨て、フォークを右手に持ち替え、その一切れ一切れをフォークに刺してゆっくり楽しそうに召し上がっていらっしゃる。
また骨つきのチキンなど、私たちがお皿をならずに骨から肉を切り離すのに苦心しているとき、
お母様は平気でひょいと指先で骨のところをつまんで持ち上げ、お口で骨と肉を離してすましていらっしゃる。
そんな野蛮な仕草も、お母様がなさると可愛らしいばかりか、変にエロチックにさえ見えるのだから、さすがに本物は違ったものである。
骨つきのチキンの場合だけでなく、お母様はランチのお菜のハムやソーセージなどもひょいと指先でつまんで召し上がることさえ時たまある。
おむすびがどうしておいしいのだか知っていますか。
あれはね、人間の指で握りしめて作るからですよ。とおっしゃったこともある。
本当に手で食べたらおいしいだろうなと私も思うことがあるけれど、
私のような口頭を負う小敷が下手に真似してそれをやったら、それこそ本物の小敷の図になってしまいそうな気もするので我慢している。
弟の直児でさえ、ママにはかなわねえと言っているが、つくづく私もお母様の真似は困難で、絶望みたいなものさえ感じることがある。
いつか西方町のお家の奥庭で、
秋の初めの月のいい夜であったが、私はお母様と二人でお池の旗のあずま屋でお月見をして、
キツネの嫁入りとネズミの嫁入りとはお嫁のお支度がどう違うかなど笑いながら話し合っているうちに、
お母様はつとお立ちになって、あずま屋のそばの萩の茂みの奥へお入りになり、それから萩の白い花の間からもっと鮮やかに白いお顔を出しになって、少し笑って、
「かずこや、お母様が今何をなさっているか当ててごらん。」とおっしゃった。
「お花を追っていらっしゃる。」と申し上げたら、小さい声をあげてお笑いになり、
「おしっかよ。」とおっしゃった。
ちっともしゃがんでいらっしゃらないのには驚いたが、けれども私などにはとても真似られない真から可愛らしい感じがあった。
今朝のスープのことからずいぶん脱線しちゃったけれど、この間ある本で読んで、類王朝の頃の貴婦人たちは、
宮殿のお庭やそれから廊下の隅などで平気でおしっこをしていたということを知り、その無心さが本当に可愛らしく、
私のお母様などもそのような本物の貴婦人の最後の一人なのではなかろうかと考えた。
さて、今朝はスープを一さじお吸いになって、あっと小さい声をおあげになったので、髪の毛とお尋ねするといいえとお答えになる。
塩辛かったかしら。
今朝のスープはこの間アメリカから配給になった缶詰のグリーンピースを裏ごしして、私がポタージュみたいに作ったもので、
もともとお料理には自信がないので、お母様にいいえと言われてもなおもハラハラしてそう尋ねた。
お上手にできました。
お母様は真面目にそう言い、スープをすまして、それからお海苔で包んだおむすびを手でつまんでおあがりになった。
私は小さい時から朝ごはんがおいしくなく、十時ごろにならなければお腹がつかないので、その時もスープだけはどうやらすましたけれども、
食べるのが大義で、おむすびをお皿にのせて、それにお箸を突っ込み、ぐしゃぐしゃにこわして、それからその一かけらをお箸でつまみあげ、
お母様がスープを召し上がる時のスプーンみたいに、お箸をお口と直角にして、まるで小鳥に餌をやるような具合にお口に押し込み、
のろのろといただいているうちに、お母様はもうお食事を全部すましてしまって、そっとお立ちになり、
朝日の当たっている壁にお背中を持たせかけ、しばらく黙って私のお食事の仕方を見ていらして、
「かずこはまだダメなのね。朝ごはんが一番おいしくなるようにならなければ。」とおっしゃった。
「お母様は?おいしいの?」
「そりゃもう。私は病人じゃないもの。」
「かずこだって病人じゃないわ。」
「だめだめ。」
お母様は寂しそうに笑って首を振った。
私は5年前に肺病ということになって寝込んだことがあったけれども、あれはわがまま病だったということを私は知っている。
けれどもお母様のこの間のご病気は、あれこそ本当に心配な悲しいご病気だった。
だのにお母様は私のことばかり心配していらっしゃる。
「あ。」と私が言った。
「何?」と今度はお母様の方で尋ねる。
顔を見合わせ、何かすっかり分かり合ったものを感じて、
フフッと私が笑うと、お母様もにっこりお笑いになった。
何かたまらない恥ずかしい思いに襲われたときに、
あの奇妙な「あ。」というかすかな叫び声が出るものなのだ。
私の胸に今出し抜けにフッと6年前の私の離婚のときのことが色鮮やかに思い浮かんできてたまらなくなり、
思わず「あ。」と言ってしまったのだが、お母様の場合はどうなのだろう。
まさかお母様に私のような恥ずかしい過去があるわけはなし。
いや、それとも何か。
お母様もさっき何か思い出しになったのでしょう?
どんなこと?
忘れたわ。
私のこと?
いいえ。
直寺のこと?
そう。
と言いかけて首をかしげ。
かもしれないわ。
とおっしゃった。
弟の直寺は大学の中途で招集され、南方の島へ行ったのだが、
消息が絶えてしまって戦争になっても行き先が不明で、
お母様はもう直寺には会えないと覚悟しているとおっしゃっているけれども、
私はそんな覚悟なんかしたことは一度もない。きっと会えるとばかり思っている。
諦めてしまったつもりなんだけど。
おいしいスープをいただいて直寺を思って、たまらなくなった。
もっと直寺に良くしてやればよかった。
直寺は高等学校に入った頃から嫌に文学に凝ってほとんど不良少年みたいな生活を始めて、
どれだけお母様にご苦労をかけたかわからないのだ。
それなのにお母様はスープを一さじ吸っては直寺を思い、
あっとおっしゃる。私はご飯を口に押し込み目が熱くなった。
大丈夫よ。直寺は大丈夫よ。直寺みたいな悪寒はなかなか死ぬもんじゃないわよ。
死ぬ人は決まって大人しくて綺麗で優しいもんだわ。
直寺なんて棒で叩いたって死にはしない。
お母様は笑って、
それじゃあ和子さんは早死の方かな?と私をからかう。
あら、どうして?私なんか悪寒のおでこさんですから。
80歳までは大丈夫よ。
そうなの?そんならお母様は90歳までは大丈夫ね。
ええ、と言いかけて少し困った。
悪寒は長生きする。綺麗な人は早く死ぬ。
お母様はお綺麗だ。けれども長生きしてもらいたい。
私はすこぶる和子ついた。
いじわるね。
子供たちと蛇の卵
と言ったら下唇がプルプル震えてきて涙が目からあふれて落ちた。
蛇の話をしようかしら。
その四五日前の午後に近所の子供たちがお庭の柿の竹矢部から
蛇の卵を遠ばかり見つけてきたのである。
子供たちは、マムシの卵だと言い張った。
私はあの竹矢部にマムシが十匹も生まれては
うっかりお庭にも降りられないと思ったので焼いちゃおうと言うと
子供たちは踊りあがって喜び私の後からついてくる。
竹矢部の近くに木の葉や芝を積み上げてそれを燃やし
その火の中に卵を一つずつ投げ入れた。
卵はなかなか燃えなかった。
子供たちはさらに木の葉や小枝を炎の上にかばせて火勢を強くしても
卵は燃えそうもなかった。
下尾農家の娘さんが柿根の外から
何をしていらっしゃるのですか?と笑いながら尋ねた。
マムシの卵を燃やしているんです。
マムシが出ると怖いんですもの。
大きさはどれくらいですか?
うずらの卵くらいで真っ白なんです。
それじゃただの蛇の卵ですわ。
マムシの卵じゃないでしょう。
今の卵はなかなか燃えませんよ。
娘さんは朝もおかしそうに笑って去った。
30分ばかり火を燃やしていたのだけれども
どうしても卵は燃えないので
子供たちに卵を火の中から拾わせて
梅の木の下に埋めさせ
私は小石を集めて棒標を作ってやった。
さあ、みんな、拝むのよ。
私がしゃがんで合唱すると
子供たちもおとなしく私の後ろにしゃがんで合唱したようであった。
そうして子供たちと別れて
私一人石段をゆっくり登ってくると
石段の上の藤棚の陰にお母様が立っていらして
かわいそうなことをする人ねとおっしゃった。
マムシかと思ったらただの蛇だったの。
けれどちゃんと埋葬してやったから大丈夫とは言ったものの
これはお母様に見られてまずかったかなと思った。
母の恐れと悲しみ
お母様は決して迷信家ではないけれども
10年前、お父上が西方町のお家で亡くなられてから
蛇をとても恐れていらっしゃる。
お父上の五輪中の直前に
お母様がお父上の枕元に黒い細い紐が落ちているのを見て
何気なく拾おうとなさったらそれが蛇だった。
するすると逃げて廊下に出て
それからどこへ行ったかわからなくなったが
それを見たのはお母様と和田のおじさまとお二人きりで
お二人は顔を見合わせ
けれども五輪中のお座敷の騒ぎにならぬよう
こらえて黙っていらしたという。
私たちもその場に居合わせていたのだが
その蛇のことはだからちっとも知らなかった。
けれどもそのお父上の亡くなられた日の夕方
お庭の池の旗の木という木に蛇が登っていたことは
私も実際に見て知っている。
私は二十九のばあちゃんだから
十年前のお父上の五世紀の時はもう十九にもなっていたのだ。
もう子供ではなかったのだから
十年たってもその時の記憶は今でもはっきりしていて
間違いはないはずだが
私がお供えの花を切りに
お庭のお池の方に歩いて行って
池の岸の筒子のところに立ち止まってふと見ると
その筒子の枝先に小さい蛇が巻きついていた。
少し驚いて
次の山吹きの花枝を折ろうとすると
その枝にも巻きついていた。
隣の木星にも若かえりにも
えにしらにも富士にも桜にも
どの木にもどの木にも
蛇が巻きついていたのである。
けれども私にはそんなに怖く思われなかった。
蛇も私と同様に
お父上の生きを悲しんで
穴から這い出て
お父上の霊を拝んでいるのであろうというような気がしただけであった。
そうして私はそのお庭の蛇のことを
お母様にそっとお知らせしたら
お母様は落ち着いて
ちょっと首を傾けて
何か考えるようなご様子をなさったが
別に何もおっしゃりはしなかった。
けれども
この二つの蛇の事件が
それ以来お母様を
ひどい蛇嫌いにさせたのは事実であった。
蛇嫌いというよりは
蛇を崇め
恐れる
つまり威負の情をお持ちになってしまったようだ。
蛇の卵を焼いたのを
お母様に見つけられ
お母様はきっと
何かひどく不吉なものを
お感じになったに違いないと思ったら
私も急に
蛇の卵を焼いたのが
大変な恐ろしいことだったような気がしてきて
このことが
お母様に
あるいは悪いたたりをするのではあるまいかと
心配で心配で
あくる日もまたそのあくる日も
忘れることができずにいたのに
今朝は直動で
美しい人を早く死ぬなど
滅相もないことをつい口走って
あとでどうにもいいつくろいができず
泣いてしまったのだが
朝食の後片付けをしながら
何だか自分の胸の奥に
お母様のお命を縮める
気味悪い小蛇が
一匹入り込んでいるようで
嫌で嫌でしようがなかった
そしてその日
私はお庭で蛇を見た
その日は
とても和やかないいお天気だったので
私はお台所のお仕事を済ませて
それからお庭の芝生の上に
トウビスを運び
そこで編み物をしようと思って
トウイスを持ってお庭に降りたら
庭石の笹のところに蛇がいた
おお嫌だ
私はただそう思っただけで
それ以上深く考えることもせず
トウイスを持って
引き返して縁側に上がり
縁側に椅子を置いて
それに腰掛けて編み物に取り掛かった
午後になって
私はお庭の隅の
お堂の奥にしまってある造書の中から
ローランさんの画集を取り出してこようと思って
お庭へ降りたら
芝生の上を蛇がゆっくりゆっくり張っている
朝の蛇と同じだった
ほっそりした上品な蛇だった
私は目蛇だと思った
彼女は芝生を静かに横切って
野原の陰まで行くと
立ち止まって首を上げ
細い炎のような舌を震わせた
そして辺りを眺めるような格好をしたが
しばらくすると首を垂れ
いかにも物憂げに疼くまった
私はその時にも
ただ美しい蛇だという思いばかりが強く
やがてお堂に行って画集を持ち出し
帰りにさっきの蛇の居たところをそっと見たが
もう居なかった
夕方近く
お母様と品までお茶をいただきながら
お庭の方を見ていたら
一段の三段目の石のところに
芝生の蛇がまたゆっくりと現れた
お母様もそれを見つけ
あの蛇は?とおっしゃるなり立ち上がって
私の方に走り寄り
私の手を取ったまま立ちつくんでおしまいになった
そう言われて私もはっと思い当たり
卵の母親?と口に出してそう言ってしまった
そう、そうよ
お母様のお声はかすれていた
私たちは手を取り合って息を詰め
黙ってその蛇を見守った
石の上に物憂げに疼くまっていた蛇は
よろめくようにまた動き始め
そうして力弱そうに石段を横切り
架け翼の方に入っていった
今朝からお庭を歩き回っていたのよ
と私が小声で申し上げたら
お母様はため息をついて
二人と椅子に座り込んでおしまいになって
そうでしょう、卵を探しているのですよ
かわいそうに
と沈んだ声でおっしゃった
私は仕方なくフフと笑った
夕日がお母様のお顔にあたって
お母様のお目が青いくらいに光って見えて
そのかすかに怒りを帯びたようなお顔は
飛びつきたいほどに美しかった
そうして私は
ああ、お母様のお顔は
さっきのあの悲しい蛇にどこか似ていらっしゃると思った
そうして私の胸の中に住む
マムシみたいにゴロゴロして見にくい蛇が
この悲しみが深くて
美しい美しい母蛇を
いつか食い殺してしまうのではなかろうかと
なぜだか、なぜだかそんな気がした
私は
お母様の柔らかな華奢なお肩に手を置いて
理由のわからない身悶えをした
私たちが東京の西片町のお家を捨て
伊豆のこのちょっと品風の山荘に
引っ越してきたのは
日本が無条件降伏をした年の
12月の初めであった
お父親がお亡くなりになってから
私たちの家の経済は
引っ越しの決断
お母様の弟で
そして今ではお母様のたった一人の
憎しんでいらっしゃる和田のおじさまが
全部お世話してくださっていたのだが
戦争が終わって世の中が変わり
和田のおじさまがもうだめだ
家を売るより他はない
徐々にもみな暇を出して
安心な家を買い気ままに暮らしたほうがいい
とお母様にお言い渡しになった様子で
お母様は
お金のことは子供よりももっとも何もわからない
お方だし和田のおじさまからそう言われて
それではどうかよろしくと
お願いしてしまったようである
11月の末に
おじさまから速達が来て
スンズ鉄道の沿線に川田四尺の別荘が
売り物に出ている
家は高台で見晴らしが良く
畑も百坪ばかりある
あのあたりは梅の名所で
暖かく夏涼しく
住めばきっとお気に召すところと思う
先方と直接お会いになって
お話をする必要もあると思われるから
明日とにかく銀座の私の事務所までおいでおこう
という文面で
お母様おいでなさる
と私が尋ねると
だってお願いしていたんだもの
ととてもたまらなく寂しそうに笑っておっしゃった
あくる日
元の運転手の松山さんに
お供を頼んで
お母様はお昼少し過ぎにお出かけになり
夜の8時頃松山さんに送られて
お帰りになった
決めましたよ
家族のお部屋へ入ってきて
家族の机に手をついてそのまま崩れるように
お座りになりそう一言おっしゃった
決めたって
何を
全部
だってと私は驚き
どんなお家だか見もしないうちに
お母様は机の上に片肘を立て
額に軽くお手を当て
大きなため息をおつきになり
和田のおじさまがいいところだとおっしゃるのだもの
私はこのまま目をつぶって
そのお家へ移っていってもいいような気がする
とおっしゃってお顔を上げて
かすかにお笑いになった
そのお顔は少しやつれて美しかった
そうね
と私も
お母様の和田のおじさまに対する信頼心の美しさに負けて
あいづちを打ち
それでは家族も目をつぶるわ
二人で声を立てて笑ったけれども
笑ったあとがすごくさびしくなった
それから毎日お家へ妊婦が来て
引っ越しのにごしらえが始まった
和田のおじさまもやっと来られて
売り払うものは売り払うように
それぞれ手早をしてくださった
私は女中のお気味と二人で
衣類の整理をしたり
ガラクタを庭先で燃やしたりして
忙しい思いをしていたが
お母様は少しも整理のお手伝いもお指図もなさらず
毎日お部屋でなんとなくぐずぐずしていらっしゃるのである
どうなさったの?
いずれへ行きたくなくなったの?
と思いきって少しきつくお尋ねしても
いいえとぼんやりした
お声でお答えになるだけであった
十日ばかりして
整理が出来上がった
私は夕方お気味と二人で
紙くずや藁を庭先で燃やしていると
お母様もお部屋から出ていらして
縁側にお立ちになって黙って
私たちの焚火を見ていらした
灰色みたいな寒い西風が吹いて
煙が低く血を張っていて
私はふとお母様の顔を見上げ
お母様のお顔色が今までに
見たこともなかったくらい悪いのにびっくりして
お母様お顔色が悪いわ
と叫ぶと
お母様は薄くお笑いになり
なんでもないの
とおっしゃってそっとまた
母の涙と苦悩
お部屋にお入りになった
その夜
お布団はもう荷造りを済ませてしまったので
お気味は二階の陽魔のソファーに
お母様と私は
お母様のお部屋に
一緒に休んだ
お母様はおや?と思ったくらいに
拭けた弱々しいお声で
家族がいるから
家族がいてくれるから私はいずれ行くのですよ
家族がいてくれるから
と意外なことをおっしゃった
私はドキンとして
家族がいなかったら?
と思わず尋ねた
お母様は急に大泣きになって
死んだ方が良いのです
お父様の亡くなったこの家で
お母様も死んでしまいたいのよ
死んでしまいたいのよ
と途切れ途切れにおっしゃって
いよいよ激しく大泣きになった
お母様は今まで私に向かって
一度だってこんな弱音を
おっしゃったことはなかったし
またこんなに激しく大泣きになっているところを
私に見せたこともなかった
お父上がお亡くなりになった時も
また私がお嫁に行く時も
そして赤ちゃんをお腹に入れて
お母様の元へ帰ってきた時も
そして赤ちゃんが病院で死んで生まれた時も
それから私が病気になって寝込んでしまった時も
また直二が悪いことをした時も
お母様は決してこんな
お弱い態度をお見せになりはしなかった
お父上がお亡くなりになって10年間
お母様はお父上の財政中と
少しも変わらない
のんきな優しいお母様だった
そして私たちもいい気になって甘えて育ってきたのだ
けれどもお母様には
もうお金がなくなってしまった
みんな私たちのために
私と直二のために
みじんも惜しまずお使いになってしまったのだ
その永年住み慣れた青内から出て行って
伊豆の小さな山荘で私とたった二人きりで
わびしい生活を始めなければならなくなった
もしお母様が意地悪でケチケチして
私たちを叱って
そしてこっそりご自分だけのお金を増やすことを
工夫なさるような青方であったら
どんなに世の中が変わっても
こんな死にたくなるような気持ちに
おなりになることはなかったろうに
ああお金がなくなるということは
なんという恐ろしいみじめな救いのない地獄だろう
と生まれて初めて
気がついた思いで胸がいっぱいになり
あまり苦しくて泣きたくても泣けず
人生の厳粛とは
こんな時の感情を言うのであろうか
身動き一つできない気持ちで
仰向けに寝たまま私は石のようにじっとしていた
あくる日
お母様はやはりお顔色が悪く
なお何やらグズグズして
少しでも長くこのお家にいらっしゃりたい様子であったが
わざのおじさまが見えられて
もう荷物はほとんど発送してしまったし
今日伊豆に出発とお言いつけになったので
お母様は渋々コートを着て
お別れの挨拶を申し上げる大君や
出入りの人たちに無言で
おえいしゃくなさって
おじさまと私と三人
西方町のお家を出た
汽車は割に空いていて
三人とも腰掛けられた
汽車の中ではおじさまは非常な長期限で
うたいなどうなっていらっしゃったが
お母様はお顔色が悪く
うつむいてとても寒そうにしていらっしゃった
三島でスンズ鉄道に乗り換え
伊豆長岡で下車して
それからバスで15分くらいで降りてから
山の方に向かって
ゆるやかな坂道を登っていくと
小さい部落があって
その部落の外れに品風のちょっと凝った山荘があった
お母様
思ったよりもいいところね
と私は息をはずませていった
そうね
とお母様も山荘の玄関の前に立って
一瞬うれしそうな目つきをなさった
第一空気がいい
正常な空気です
とおじさまはご自慢なさった
本当に
とお母様は微笑まれて
おいしい
ここの空気はおいしい
とおっしゃった
そして三人で笑った
玄関に入ってみると
もう東京からのお荷物がついていて
玄関からお部屋から
お荷物でいっぱいになっていた
次にはお座敷からの眺めがよい
おじさまはうかれて
私たちをお座敷に引っ張っていって座らせた
午後の3時ごろで
広角あたっていて
芝生から石段を折りつくしたあたりに小さいお池があり
梅の木がたくさんあって
お庭の下にはみかん畑が広がり
それから村道があって
その向こうは水田で
それからずっと向こうに松林があって
その松林の向こうに海が見える
海はこうしてお座敷に座っていると
ちょうど私のお父の先に
水平線がさわるくらいの高さに見えた
やわらかな景色ね
とお母様は
物嘘をにおっしゃった
空気のせいかしら
日の光がまるで東京と違うじゃないの
光線が絹越しされているみたい
と私ははしゃいでいった
十畳間と六畳間と
それから品敷の応接間と
それからお玄関が三畳
お風呂場のところにも三畳がついていて
それから食堂とお勝手と
それからお二階に大きいベッドのついた
来客用の洋間が一間
それだけの間数だけれども私たち二人
いやなおじがかえって三人になっても
別に窮屈でないと思った
おじ様はこの部落でたった一軒だという宿屋へ
お食事を交渉に出かけ
やがて届けられたお弁当を
お座敷に広げて
ごじさんのウイスキーをお飲みになり
この三層の以前の持ち主でいらした川田四尺と
品で遊んだころの失敗談など語って
大陽気であったが
お母様はお弁当にもほんのちょっと
お箸をおつけになっただけで
やがてあたりが薄暗くなってきたころ
少しこのまま寝かしてと小さい声でおっしゃった
私がお荷物の中からお布団を出して
寝かせてあげ
なんだかひどく気がかりになってきたので
お荷物から体温計を探し出して
お熱を測ってみたら39度あった
おじ様も驚いというご様子で
とにかく下の村まで
お医者を探しに出かけられた
お母様とお呼びしても
ただうどうとしていらっしゃる
私はお母様の小さいお手を握りしめて
すすり泣いた
お母様がおかわいそうで
おかわいそうで
いいえ私たち二人がかわいそうで
泣きながら本当にこのまま
お母様と一緒に死にたいと思った
もう私たちは何もいらない
伊豆の新生活
私たちの人生は
西片町のお家を出たときに
もう終わったのだと思った
2時間ほどしておじ様が
村の先生を連れて来られた
村の先生はもうだいぶお年寄りのようで
そうして仙台平の袴をつけ
白たびを履いておられた
ご診察が終わって
肺炎になるかもしれませんでございます
けれども肺炎になりましても
ご心配はございません
となんだか
頼りないことをおっしゃって
注射をしてくださって帰られた
あくる日になっても
お母様のお熱は下がらなかった
和田のおじ様は
私に2000円お手渡しになって
もし毎日入院などしなければ
なるようになったら
東京へ電報を打つように
と言い残してひとまずその日に
聞きをなされた
私はお荷物の中から
お母様はお休みのまま
みさじお上がりになって
それから首を振った
お昼少し前に下野村の先生がまた見えられた
今度はお袴はつけていなかったが
白たびはやはり履いておられた
入院した方が
と私が申し上げたら
いや
その必要はございませんでしょう
今日はひとつ強いお注射をして
差し上げますから
お熱も下がることでしょう
と相変わらず頼りないようなお返事で
強い注射をしてお帰りになられた
けれどもその強い注射が
気候を騒したのかその日のお昼過ぎに
お母様のお顔が真っ赤になって
そしてお汗がひどく出て
尾根巻きを着替えるとき
お母様は笑って
めいかもしれないわとおっしゃった
熱は7度に下がっていた
私はうれしく
この村にたった一軒の宿屋に走っていき
そこのお上さんに頼んで
ケーランをとうばかり分けてもらい
早速半熟にしてお母様に差し上げた
お母様は半熟を3つと
それからお粥を茶碗に半分ほどいただいた
あくる日
村のめいがまた白たびをはいてお見えになり
私はきのうの強い注射のお礼を申し上げたら
聞くのは当然というような
お顔で深くうなずき
丁寧にご診察なさって
そして私の方に向き直り
お奥様はもはやご病気ではございません
でございますから
これからは何をお上がりになっても
何をなさってもよろしいございます
とやはり変な言い方をなさるので
私は吹き出したいの怒られるのに骨が折れた
先生を玄関までお送りして
お座敷に引き返してみると
お母様は床の上にお座りになっていらして
本当にめいだわ
私はもう病気じゃない
ととても楽しそうな青顔をして
うっとり独り言のようにおっしゃった
お母様 障子をあけましょうか
雪が降っているのよ
花びらのような大きいボタン雪が
ふわりふわり降り始めていたのだ
私は障子をあけ
お母様と並んで座り
ガラス戸越しに伊豆の雪を眺めた
もう病気じゃない
とお母様はまた独り言のようにおっしゃって
こうして座っていると
以前のことがみな夢だったような気がする
私は本当は引っ越し間際になって
伊豆へ来るのがどうしても
何としても嫌になってしまったの
西方町のあのお家に
一日でも半日でも長くいたかったの
汽車に乗った時には
半分死んでいるような気持ちで
ここに着いた時も初めちょっと楽しいような気分がしたけど
薄暗くなったらもう東京が恋しくて
胸が焦げるようで
気が遠くなってしまったの
普通の病気じゃないんです
神様が私を一度お殺しになって
それから昨日までの
私と違う私にして
蘇らせてくださったのだわ
それから今日まで私たち二人きりの
梅の花と希望
三層生活がまあどうやらこともなく
安穏に続いてきたのだ
部落の人たちも私たちに親切にしてくれた
ここへ引っ越してきたのは
去年の12月
それから1月2月3月4月の今日まで
私たちはお食事のお支度のほかは
大抵お縁側で編み物をしたり
品まで本を読んだり
お茶をいただいたり
ほとんど世の中と離れてしまったような
生活をしていたのである
2月には梅が咲き
この部落全体が梅の花で埋まった
そして3月になっても
風のない穏やかな日が多かったので
満開の梅は少しも衰えず
3月の末まで美しく咲き続けた
朝も昼も夕方も夜も
梅の花はため息の出るほど美しかった
そしてお縁側のガラス戸を開けると
いつでも花の匂いが
お部屋にすっと流れてきた
3月の終わりには
夕方になるときっと風が出て
私が夕暮れの食堂で
お茶碗を並べていると
窓から梅の花びらが吹き込んできて
お茶碗の中に入って濡れた
4月になって
私とお母様が
お縁側で編み物をしながら
2人の話題は大抵畑作りの計画であった
お母様も
お手伝いしたいとおっしゃる
ああこうして書いてみると
いかにも私たちは
いつかお母様のおっしゃったように
一度死んで
違う私たちになって
よみがえったようでもあるが
しかしイエス様のような復活は
母との葛藤
人間にはできないのではなかろうか
お母様はあんな風におっしゃったけれども
それでもやはりスープを一さじ吸っては
そして私の過去の傷跡も
実はちっとも治っていはしないのである
ああ
何も一つも包み隠さずはっきり書きたい
この3層の暗論は
全部偽りの見せかけにすぎないと
私はひそかに思うときさえあるのだ
これが
私たち親子が神様からいただいた
短い休息の期間であったとしても
もうすでにこの平和には何か不吉な
暗い影がしろびよってきているような
気がしてならない
お母様は幸福をおよそ多いになりながらも
日に日に衰え
そして私の胸にはマムシが宿り
お母様を犠牲にしてまで太り
自分で抑えても抑えても太り
ああこれがただ季節のせいだけのものであってくれたらよい
私にはこのごろこんな生活が
とてもたまらなくなることがあるのだ
蛇の卵を焼くなどという
はしたないことをしたのも
そのような私のイライラした思いの
あらわれの一つだったのに違いないのだ
そうしてただ
お母様の悲しみを深くさせ
衰弱させるばかりなのだ
と書いたらあと書けなくなった
火事の騒動
2
蛇の卵のことがあってから10日ほどたち
不吉なことが続いて起こり
いよいよお母様の悲しみを深くさせ
そのお命を薄くさせた
私が火事を起こしかけたのだ
私が火事を起こす
私の生涯にそんな恐ろしいことがあろうとは
幼い時から今まで一度も夢にさえ考えたことがなかったのに
お火を粗末にすれば火事が起こる
という極めて当然のことにも気づかないほどの
私はいわゆるお姫様だったのだろうか
夜中にお手洗いに起きて
お玄関のついたてのそばまで行くと
お風呂場の方が明るい
何気なく覗いてみると
お風呂場のガラス戸が真っ赤で
パチパチという音が聞こえる
小走りに走って行ってお風呂場のくぐり戸を開け
裸足で外に出てみたら
お風呂のかもどのそばに積み上げてあった
薪の山がすごい火星で燃えている
2月月の下の農家に飛んで行き
力いっぱいに戸を叩いて
中井さん起きてください火事です
と叫んだ
中井さんはもう寝ていらっしゃったらしかったが
はいすぐ行きます
と返事して私が
お願いします早くお願いします
と言っているうちに浴衣の寝巻きのままで
お家から飛び出てこられた
2人で火のそばにかけ戻り
バケツで大池の水を汲んでかけていると
お座敷の廊下の方から
お母様のああという叫び声が聞こえた
私はバケツを投げ捨て
お庭から廊下に上がって
お母様心配しないで大丈夫
休んでいらしてと倒れかかる
お母様を抱きとめ
お寝床に連れて行って寝かせ
また火のところに飛んで帰って
今度はお風呂の水を汲んでは中井さんに手渡し
中井さんはそれを薪の山にかけたが火勢は強く
とてもそんなことでは消えそうもなかった
火事だ火事だ
お別荘が火事だ
という声が下の方から聞こえて
たちまち4,5人の村の人が柿根を壊して
飛び込んでいらした
そうして柿根の下の要水の水を
履霊式にバケツで運んで
2,3分の間に消し止めてくださった
柿根に燃え移ろうとするところであった
よかった
と思った途端に
私はこの火事の原因に気づいてぎょっとした
本当に私はその時初めて
この火事騒ぎは私が夕方
お風呂のかまどの燃え残りの薪を
かまどから引き出して消したつもりで
薪の山のそばに置いたことから起こったのだ
ということに気づいたのだ
そう気づいて泣き出したくなって立ち尽くしていたら
周囲の反応と学び
前のお家の西山さんのお嫁さんが
柿根の外で
お風呂場が丸焼けだよ
と小裸に話すのが聞こえた
村長の藤田さん
二宮巡査
警防団長の大内さんなどがやって来られて
藤田さんはいつものお優しい笑顔で
驚いたでしょう
どうしたんですかとお尋ねになる
私がいけなかったんです
消したつもりの薪を
と言いかけて
自分があんまり惨めで涙が沸いて出て
それっきりうつむいて黙った
警察に連れて行かれて
罪人になるのかもしれないとその時思った
私でお根巻きのままの
取り乱した自分の姿が急に恥ずかしくなり
つくづく落ちぶれたと思った
わかりました
お母さんは
藤田さんはいたわるような口調で静かにおっしゃる
お座敷に休ませておりますの
ひどく驚いていていらして
しばしば
とお若い二宮巡査も
家に火がつかなくてよかった
と慰めるようにおっしゃる
するとそこへ下野農家の中井さんが
服装を改めて出直して来られて
何ね薪がちょっと燃えただけなんです
ぼやーとまでも行きません
と息をはずませていい
私の愚かな過失をかばってくださる
そうですかよくわかりました
と村長の藤田さんは
二度も三度もうなずいて
それから二宮巡査と何か小声で
相談をなさっていらしたが
では帰りますからどうぞお母さんによろしく
とおっしゃってそのまま警防団長の
大内さんやその他の方達と一緒に
お帰りになる
二宮巡査だけお残りになって
その前まで歩み寄って来られて
呼吸だけのような低い声で
それではね今夜のことは別に
届けないことにしますから
とおっしゃった
二宮巡査がお帰りになったら下野農家の中井さんが
二宮さんはどう言われました
と実に心配そうな緊張の
大声で尋ねる
届けないっておっしゃいました
と私が答えると
垣根の方にまだ近所の方がいらして
その私の返事を聞き取った様子で
そうかよかったよかったと言いながら
そろそろ引き上げて行かれた
中井さんもおやすみなさいを言ってお帰りになり
あとは私一人ぼんやり焼けた
薪の山の傍に立ち涙ぐんで
空を見上げたらもうそれは夜明け近い
空の気配であった
風呂場で手と足と顔を洗い
お母様に会うのが何だかおっかなくって
お風呂場の山上まで
髪の毛を直したりしてグズグズして
それからお勝手に行き夜の全く明け離れるまで
お勝手の食器の
用もない整理などをしていた
夜が明けてお座敷の方に
そっと足を押し伸ばして行ってみると
お母様はもうちゃんとお着替えを済ませておられて
そして品間のお椅子に
疲れ切ったようにして腰掛けていらした
私は見てにっこりお笑いになったが
そのお顔はびっくりするほど青かった
私は笑わず
黙ってお母様のお椅子の後ろに立った
しばらくしてお母様が
何でもないことだったのね
燃やすための薪だもの
とおっしゃった
私は急に楽しくなって
ふふんと笑った
織りにかないて語ることは
銀の掘り物の金のリンゴをはめたるがごとし
という戦書の真言を思い出し
こんな優しいお母様を
持っている自分の幸福をつくづく神様に感謝した
夕べのことは夕べのこと
もうくよくよすまいと思って
私は品間のガラス戸越しに
朝の伊豆の海を眺め
いつまでもお母様の後ろに立っていて
おしまいにはお母様の静かな呼吸と
私の呼吸がぴったり合ってしまった
朝のお食事を軽く済ましてから
私は焼けた薪の山の整理に
かかっているとこの村でたった一軒の
宿屋のおかみさんであるおさきさんが
どうしたのよどうしたのよ
今私初めて聞いて
まあ夕べは一体どうしたのよ
と言いながら庭のしおり堂から
小走りにやってこられて
そしてその目には涙が光っていた
すみませんと私は小声でわびた
すみませんも何も
それよりもお嬢さん警察の方は
いいんですって
まあよかった
都心からうれしそうな顔をしてくださった
私はおさきさんに村の皆さんへ
どんな形でお礼とおわびをしたらいいか
相談したおさきさんはやはり
お金がいいでしょうといいそれをもって
おわび回りをすべき家々を教えてくださった
でもお嬢さんがお一人で回るのが
お嫌だったら私も一緒について行ってあげますよ
一人で行った方が
いいのでしょう
一人で行けるそれは一人で行った方がいいの
うん一人で行くわ
それからおさきさんは焼け跡の整理を
少し手伝ってくださった
整理が済んでから私はお母様から
お金をいただき100円紙幣を
一枚ずつ身の紙に包んで
それぞれの包みにおわびと書いた
まず一番に役場へ行った
村長の藤田さんはウルスだったので
受付の娘さんに紙包みをさせたし
昨夜は申し訳ないことを
いたしましたこれから気をつけますから
どうぞお許しくださいまし村長さんに
よろしくとおわびを申し上げた
それから
警防団長の大内さんのお家へ行き
大内さんがお玄関に出て来られて
私を見て黙って悲しそうに微笑んでいらして
私はどうしてだか急に泣きたくなり
昨夜はごめんなさい
というのがやっとで
急いで追い飛ばしてみちみち涙が
溢れてきて顔がダメになったので
一旦お家へ帰って洗面所で顔を洗い
お化粧をし直してまた出かけようとして
玄関で靴を履いていると
お母様が出ていらして
またどこかへ行くのとおっしゃる
ええこれからよ
私は顔を上げないで答えた
ご苦労様ね
しんみりおっしゃった
お母様の愛情に力を得て
今度は一度も泣かずに
全部を回ることができた
区長さんのお家に行ったら
区長さんはお留守で
息子さんのお嫁さんが出ていらしたが
私を見るなり
帰って向こうで涙ぐんでおしまいになり
また巡査のところでは
二宮巡査がよかったよかったとおっしゃってくれるし
みんなお優しい方ばかりで
それからご近所のお家を回って
やはり皆様から同情され慰められた
二宮巡査によるぐらいのおばさんだが
その人にだけはビシビシ叱られた
これからも気を付けてくださいよ
皆様だかなんだか知らないけれども
私は前からあんたたちのママごと遊びみたいな
暮らし方をハラハラしながら見てたんです
子供が二人で暮らしているみたいなんだから
今まで火事を起こさなかったのが不思議なぐらいのもんだ
本当にこれからは気を付けてくださいよ
昨夜だってあんた
あれで風が強かったら
この村全部が燃えたんですよ
この西山さんのお嫁さんは
下野農家の中井さんなどは
村長さんや二宮巡査の前に飛んで出て
ぼやとまでも行きませんと言って
かばってくださったのに
垣根の外で風呂場が丸焼けだよ
かまどの火の不始末だよと
大きい声で言っていらした人である
けれども私は西山さんのお嫁の
お子ごとにも真実を感じた
本当にその通りだと思った
少しも西山さんのお嫁さんを恨むことはない
お母様は燃やすための負けたものと
冗談をおっしゃって私を慰めてくださったが
しかしあの時に風が強かったら
西山さんのお嫁さんのおっしゃる通り
この村全体が焼けたのかもしれない
そうなったら私は死んで
お詫びしたって落ち着かない
家族の死と複雑な感情
私が死んだらお母様も生きてはいらっしゃらないだろうし
また亡くなったお父上のお名前を
怪我してしまうことにもなる
今はもう皆様も家族も会ったものではないけれども
しかしどうせ滅びるものなら
思い切って華麗に滅びたい
火事を出してそのお詫びに死ぬなんて
そんな惨めな死に方では死んでも死にきれない
とにかくもっとしっかりしなければならん
私は翌日から畑仕事に精を出した
下野農家の中井さんの娘さんが
時々お手伝いをしてくださった
火事を出すなどという集大を演じてからは
私の体の血が何とか少し
赤黒くなったような気がして
その前には私の胸に意地悪のマムシが住み
今度は血の色まで少し変わったのだから
いよいよ野生の田舎娘になっていくような気分で
お母様とお縁顔で
編み物などをしていても変に窮屈で息苦しく
かえって畑へ出て
土を掘り起こしたりしている方が
気楽なくらいであった
筋肉労働というのかしら
このような力仕事は
私にとって今が初めてではない
私は戦争の時に徴用されて
よいとまけまでさすられた
今畑に生えて出ている
自家たびも
その時軍の方から廃棄になったものである
自家たびというものをその時
それこそ生まれて初めて生えてみたのであるが
びっくりするほど履き心地が良く
それを履いてお庭を歩いてみたら
鳥や獣が裸足で地べたを歩いている気がある
自分にもよく分かったような気がして
とても胸がうずくほど嬉しかった
戦争中の楽しい記憶は
たったそれ一つきり
思えば戦争なんてつまらないものだった
昨年は何もなかった
一昨年は何もなかった
その前の年も
何もなかった
そんな面白い詩が
終戦直後のある新聞に載っていたが
本当に今思い出してみても
様々なことがあったような気がしながら
やはり何もなかったと同じような気もする
私は戦争の追憶を語るのも聞くのも嫌だ
人がたくさん死んだのに
それでも陳腐で退屈だ
けれども私はやはり自分勝手なのであろうか
私が徴用されて
塾旅を吐き
良いと負けをやらされた時のことだけは
そんなに陳腐だとも思えない
随分嫌な思いもしたが
しかし私はあの良いと負けのおかげで
すっかり体が丈夫になり
今でも私はいよいよ生活に困ったら
良いと負けをやって生きていこうと思うことがあるくらいなのだ
戦局がそろそろ絶望になってきた頃
陳腐みたいなものを着た男が
西方町の大市へやってきて
私に徴用の紙とそれから
労働の日割を書いた紙を渡した
日割の紙を見ると
私はその翌日から一日おきに立川の奥の山へ
通わなければならなくなっていたので
思わず私の目から涙があふれた
大任ではいけないのでしょうか
涙が止まらずすすり泣きになってしまった
軍からあなたに徴用が来たんだから
必ず本人でなければいけない
とその男は強く答えた
私は行く決心をした
その翌日は雨で
私たちは立川の山のふもとに
整列させられ
まず将校のお説教があった
戦争には必ず勝つと冒頭して
戦争には必ず勝つが
しかしみなさんが軍の命令通りに
仕事しなければ作戦に支障をきたし
沖縄のような結果になる
必ず岩手田家の仕事はやってほしい
それからこの山にもスパイが入っているかもしれないから
お互いに注意すること
みなさんもこれからは兵隊と同じに
陣地の中へ入って仕事をするのであるから
陣地の様子は絶対に多言しないように
十分に注意してほしい
と言った
山には雨がけぶり
男女取り混ぜて500近い隊員が
雨に濡れながら立ってその話を拝聴しているのだ
隊員の中には国民学校の
男生と女生とも混じっていて
みんな寒そうな泣きべその顔をしていた
雨は私のレインコートを通して
上着に染みてきて
やがて肌着まで濡らしたほどであった
その日は一日
木っこ担ぎをして帰りの電車の中で
涙が出てきてしようがなかった
がその次の時には
酔いと負けの綱引きだった
そして私にはその仕事が一番面白かった
二の山の山へ行くうちに
国民学校の男生徒たちが
私の姿を嫌にじろじろ見るようになった
ある日私が木っこ担ぎをしていると
男生徒が2,3人
私とすれ違って
それからそのうちの一人が
あいつがスパイかと小声で言ったのを聞き
私はびっくりしてしまった
なぜあんなことを言うのかしら
と私は私と並んで木っこを担いで
歩いている若い娘さんに尋ねた
外人みたいだから
若い娘さんは真面目に答えた
あなたも私をスパイだと思っていらっしゃる
いいえ
今度は少し笑って答えた
私日本人ですわ
と言ってその自分の言葉が
我ながら馬鹿らしいナンセンスのように思われて
一人でくすくす笑った
あるお天気のいい日に
私は朝から男の人たちと一緒に
丸太運びをしていると
監視当番の若い商工が顔をしかめて
私を指さし
おい君
君はこっちへ来たまえ
と言ってさっさと松橋の方へ歩いていき
私が不安と恐怖で胸をドキドキさせながら
その的についていくと
林の奥に製材所から来たばかりの板が積んであって
商工はその前まで行って立ち止まり
くるりと私の方に向き直って
毎日つらいでしょ
今日は一つこの材木の見張り番をしていてください
と白い歯を出して笑った
ここに立っているのですか
うん
ここは涼しくて静かだから
この板の上でお昼寝でもしていてください
もし退屈だったら
これはお読みかもしれないけれど
と言って上衣のポケットから
小さい文庫本を取り出し
照れたように板の上に放り
こんなものでも読んでいてください
文庫本にはトロイカと記記されていた
私はその文庫本を取り上げ
ありがとうございます
ありがとうございます
うちにも本の好きなのがいまして
今南方に行っていますけど
と申し上げたら聞き違いしたらしく
あーそう
あなたのご主人なのですね
南方じゃ大変だ
と首を振ってしんみり言い
とにかく今日はここで見張り番ということにして
あなたのお弁当は後で自分が持ってきてあげますから
ゆっくり休んでいらっしゃい
と言い捨て急ぎ足で帰って行かれた
私は材木に腰掛けて文庫本を読み
半分ほど読んだ頃
あの商工がコツコツと
靴を落とさせてやってきて
お弁当を持ってきました
お一人でつまらないでしょう
と言ってお弁当を草原の上に置いて
また大急ぎで引き返して行かれた
私はお弁当を済ましてから
今度は材木の上に這い上がって
横になって本を読み
全部読み終えてからうどうととお昼寝を始めた
目が覚めたのは午後の3時席だった
私はふと
あの若い商工を前にどこかで
見かけたことがあるような気がしてきて
考えてみたが思い出せなかった
材木から降りて紙を撫でつけていたら
またコツコツと靴の音が聞こえてきて
やあ
今日はご苦労様でした
もうお帰りになってよろしい
私は商工の方に走り寄って
そして文庫本を差し出し
俺を言おうと思ったが言葉が出ず
黙って商工の顔を見上げ
二人の目があったとき
私の目からポロポロ涙が出た
するとその商工の目にもきらりと涙が光った
そのまま黙ってお別れしたが
商工はそれっきり一度も
私の働いているところに顔を見せず
私はあの日にたった一日遊ぶことができただけで
それからはやはり一日おきに
立川の山で苦しい作業をした
お母様は私の体をしきりに
心配してくださったが
私はかえって丈夫になり
今では良いと負け商売にも
密かに自信を持っているし
また畑仕事にも別に苦痛を感じない女になった
戦争のことは
語るのも聞くのも嫌
などと言いながら
思ってしまったが
しかし私の戦争の追憶の中で
少しでも語りたいと思うのは
ざっとこれくらいのことで
あとはもういつかのあの死のように
昨年は何もなかった
一昨年は何もなかった
その前の年も何もなかった
とでも言いたいくらいで
ただ馬鹿馬鹿しく
我が身に残っているものは
この地下旅一足という儚さである
地下旅のことから
紡いだ話を初めて脱線しちゃったけれど
母も言うべき地下旅を吐いて
毎日のように畑に出て
胸の奥の密かな不安や焦燥を紛らしているのだけれども
お母様はこの頃目立って
日に日にお弱りになっていらっしゃるように見える
戦争の影響と徴用体験
蛇の卵
火事
あの頃からどうもお母様は
めっきりご病人くさくおなりになった
そして私の方ではその反対に
だんだん素やな下品な女になっていくような気もする
なんだかどうも私が
お母様からどんどん性器を吸い取って
太っていくような心地がしてならない
火事の時だってお母様は
燃やすための薪玉とご冗談を言って
それきり火事のことについては一言もおっしゃらず
かえって私をいたわるようにしていらしたが
しかし内心お母様の受けられたショックは
私の十倍も強かったのに違いない
あの火事があってから
お母様は夜中に時玉を埋めかれることがあるし
また風の強い夜などは
お手洗いにお入りになるふりをして
深夜幾度も男から抜けて
家中をお見回りになるのである
そしてお顔色はいつも冴えず
お歩きになるのさえやっとのように見える日もある
畑も手伝いたいと前はおっしゃっていたが
一度私がお吉なさいと申し上げたのに
井戸から大きい手桶で
畑に水を五六杯お運びになり
翌日息のできないくらいに方が来るとおっしゃって
一日寝たきりで
そんなことがあってからは
さすがに畑仕事をあきらめたご様子で
時玉は畑へ出てこられても
私の働きぶりをただ
じっと見ていらっしゃるだけである
夏の花が好きな人は
夏に死ぬって言うけれども
本当かしら
今日もお母様は
私の畑仕事をじっと見ていらして
ふいとそんなことをおっしゃった
私は黙って大なすに水をやっていた
ああそういえばもう初夏だ
私はネムの花が好きなんだけれども
ここのお庭には
一本もないのね
とお母様はまた静かにおっしゃる
協築塔がたくさんあるじゃないの
私はわざとつっけんどんな口調で言った
あれは嫌いなの
夏の花は大抵好きだけど
あれはおきゃんすぎて
私なら薔薇がいいな
だけどあれは四季咲きだから
薔薇の好きな人は
春に死んで夏に死んで秋に死んで
冬に死んで
家族の葛藤
四度も死に直さなければいけないの
二人笑った
少し休まない
とお母様はなおお笑いになりながら
今日はちょっと
和子さんと相談したいことがあるの
何?
詩のお話なんかまっぴらよ
私はお母様の後についていって
藤棚の下のベンチに並んで腰を下した
藤の花はもう終わって
柔らかな午後の日差しが
その葉を通して私たちの膝の上に落ち
私たちの膝を緑色に染めた
前から聞いていただきたいと思っていたことですけどね
お互いに気分のいいときに
話そうと思って今日まで機会を待っていたの
どうせいい話じゃないのよ
でも今日はなんだか私も
スラスラ話せるような気がするもんだから
あなたも我慢しておしまいまで聞いてくださいね
実はね
直司は生きているのです
私は体を固くした
5、6日前に和田のおじさまからお便りがあってね
おじさまの会社に以前勤めていらっしゃった方で
最近南方から帰還して
おじさまのところに挨拶にいらして
その時よむやまの話の末に
その方が偶然にも直司と同じ部隊で
そして直司は無事で
もうすぐ帰還するだろうということがわかったの
でもね一つ嫌なことがあるの
その方の話では
直司はかなりひどいアヘン中毒になっているらしいと
また?
私は苦いものを食べたみたいに口を歪めた
直司は高等学校の頃に
ある小説家の真似をして
麻薬中毒にかかり
そのために薬屋から恐ろしい金額の借りを作って
お母様はその借りを
薬屋に全部支払うのに
2年もかかったのである
そうまた始めたらしいの
けれどもそれの直らないうちは帰還も許されないだろうから
きっと直してくるだろうと
その方も言っていらしたそうです
おじさまのお手紙では
直して帰ってきたとしても
そんな心掛けのものでは
すぐどこかへ勤めさせるわけにもいかん
今のこの混乱の東京で働いては
まともな人間でさえ少し狂ったような気分になる
中毒の治ったばかりの半病人なら
すぐ発狂気味になって
何をしでかすかわかったものでない
それで直司が帰ってきたら
すぐこの伊豆の山荘に引き取って
どこへも出さずに当分ここで
征養させたほうがよい
それが一つ
それからねぇ
一つ追いつけになっているのだよ
おじさまのお話では
もう私たちのお金が何もなくなってしまったんだって
貯金の封鎖だの
財産税だので
もうおじさまもこれまでのように
私たちにお金を送ってよこすことが面倒になったんだそうです
それでねぇ直司が帰ってきて
お母さまと直司と
カオス子と三人遊んで暮らしていては
おじさまもその生活費を
都合なさるのに大変な苦労をしなければならんから
今のうちにカズ子のお嫁入り先を探すか
カズ子の苦悩
またはご方向のお家を探すか
どちらかになさいという
まあお言いつけなの
ご方向って女中のこと?
いいえ
おじさまがねほらあの小間場の
とある宮様の
お名前を挙げて
あの宮様なら私たちとも
血縁続きだし
姫宮の家庭教師を兼ねてご方向に上がっても
カズ子がそんなに寂しく窮屈な思いをせずに
住むだろうとおっしゃっているのです
他に勤め口がないものかしら
他の職業は
他の職業はカズ子にはとても無理だろうとおっしゃっていました
なぜ無理なの?
ねえなぜ無理なの?
お母様は寂しそうに微笑んでいらっしゃるだけで
なんともお答えにならなかった
いやだわ私そんな話
自分でも荒なことを
口走ったと思ったが
止まらなかった
私がこんな地下旅を
こんな地下旅を
と言ったら涙が出てきて思わずわっと泣き出した
顔を上げて
涙を手の甲で払いのけながら
お母様に向かって
いけないいけないと思いながら
言葉が無意識みたいに
肉体とまるで無関係に
次々と続いて出た
いつだかおっしゃったじゃないの
カズ子がいるから
カズ子がいてくれるから
お母様はいずれ行くのですよと
おっしゃったじゃないの
カズ子がいないと死んでしまうと
おっしゃったじゃないの
だからそれだからカズ子は
ナオジが帰ってくるとお聞きになったら
急に私を邪魔にして
宮様の助手に行けなんてあんまりだわ
あんまりだわ
自分でもひどいことを口走ると思いながら
言葉が別の生き物のように
どうしても止まらないのだ
貧乏になってお金がなくなったら
私たちの着物を売ったらいいじゃないの
このお家も売ってしまったらいいじゃないの
私には何だってできるわよ
この村の役場の女事務員にだって
何だってなれるわよ
役場で使ってくださらなかったら
お母様さえ私を可愛がってくださったら
私は一生お母様のお側にいようとばかり考えていたのに
お母様は私よりもナオジの方が可愛いのね
出ていくわ
私は出ていく
どうせ私はナオジとは昔から性格が合わないんだから
三人一緒に暮らしていたらお互いに不幸よ
私はこれまで長いこと
お母様と二人きりで暮らしたのだから
もう思い残すことはない
これからナオジがお母様とお二人で水いらずで暮らして
そしてナオジが淡々と親孝行するといい
私はもう嫌になった
これまでの生活が嫌になった
これからすぐに出ていきます
私には行くところがあるの
私は渡った
カズコ
お母様は厳しく言い
そうしてかつて私に見せたことのなかったほど
威厳に満ちたお顔をつきですっとお立ちになり
私と向かい合って
そうして私よりも少しお背が高いくらいに見えた
私はごめんなさいとすぐに言いたいと思ったが
それが口にどうしても出ないで
かえって別の言葉が出てしまった
騙したのよお母様は
私は馬鹿になったのよ
ナオジが来るまで私を利用していらっしゃったのよ
私はお母様の女中さん
ようが済んだら今度はミヤ様のところに行けって
わっと声が出て私は立ったまま思い切り泣いた
お前は馬鹿だね
と低くおっしゃったお母様のお声は
怒りに震えていた
私は顔を上げ
そうよ馬鹿よ
馬鹿だから騙されるのよ
馬鹿だから邪魔にされるのよ
いないほうがいいんでしょう
私にはわからないわ
愛情をお母様の愛情を
それだけを私は信じて生きてきたのです
とまた馬鹿な荒ぬことを口走った
お母様はふっとお顔を背けた
泣いておられるのだ
私はごめんなさいと言い
お母様に抱きつきたいと思ったが
畑仕事で手が汚れているのがかすかに気になり
変にしらじらしくなって
私さえいなかったらいいんでしょう
出て行きます私には行くところがあるの
と言い捨て
お母様は泣きじゃくりながら顔と手足を洗い
それからお部屋へ行って
洋服に着替えているうちに
またわっと大きい声が出て泣き崩れ
思いの丈もっともっと泣いてみたくなって
二階の洋前に駆け上がり
ベッドに体を投げて毛布を頭からかぶり
痩せるほどひどく泣いて
そのうちに息が遠くなるみたいになって
だんだんある人が恋しくて恋しくて
お顔を見てお声を聞きたくてたまらなくなり
両足の裏に熱いお球を据え
じっとこらえているような
特殊な気持ちになっていった
夕方近く
希望の兆し
お母様は静かに
二階の洋前に入っていらして
パチと電灯に火を入れて
それからベッドの方に近寄ってこられ
カズ子ととても優しくお呼びになった
はい
私は起きてベッドの上に座り
両手で髪を掛け上げ
お母様のお顔を見てふふと笑った
お母様もかすかにお笑いになり
それからお窓の下のソファーに深く体を沈め
私は生まれて初めて
和田のおじさまのお言い付けに背いた
お母様はね
今おじさまにお返事のお手紙を書いたの
私の子供たちのことは
私にはお任せくださいと書いたの
カズ子
着物を売りましょうよ
二人の着物をどんどん売って
思い切り無駄遣いして贅沢な暮らしをしましょうよ
私はもうあなたに畑仕事などさせたくない
高いお野菜を買ったっていいじゃないの
あんなに毎日の畑仕事は
あなたには無理です
実は私も毎日の畑仕事が
少し辛くなりかけていたのだ
さっきあんなに狂ったみたいに
泣き騒いだのも
畑仕事の疲れと悲しみがごっちゃになって
何もかも恨めしく嫌になったからなのだ
私はベッドの上で
俯いて黙っていた
カズ子
はい
行くところがあるというのはどこ
私は自分が首筋まで赤くなったのを意識した
細田様
私は黙っていた
お母様は深いため息をつきなり
昔のことを言ってもいい?
どうぞ
と私は小声で言った
あなたが山木様のお家から出て
西方町のお家へ帰ってきたとき
お母様は何もあなたをとがめるようなことは
言わなかったつもりだけど
でもたった一言だけ
お母様はあなたに裏切られました
って言ったわね
覚えてる?
そしたらあなたは泣き出しちゃって
悪かったと思ったけど
けれども私はあのとき
お母様にそう言われてなんだか
ありがたくて嬉しなきに泣いたのだ
お母様がね
あのとき裏切られてたって言ったのは
あなたが山木様のお家を出てきたことじゃなかったの
山木様からカズ子は
実は細田と小田家だったのですと
言われたときなの
そう言われたときには本当に私は顔色が変わる思いでした
だって細田様には
あのずっと前から奥様もお子様もあって
どんなにこちらがお慕いしたって
どうにもならんことだし
小田家だなんてひどいこと
山木様の方でただそうジャスになさっていただけなのよ
どうかしら
あなたはまさか
あの細田様をまだ思い続けているの
じゃないでしょうね
行くところってどこ
細田様のところじゃないわ
そう?
そんならどこ
お母様私ね
こないだ考えたことだけれども
人間が他の動物とまるっきり違っている点は
何だろう
言葉も知恵も思考も社会の秩序も
それぞれ程度の差はあっても
他の動物だってみんな持っているでしょう
信仰も持っているかもしれないわ
人間は万物の霊長なんて威張っているけれど
ちっとも他の動物と本質的な違いがないみたいでしょう
ところがねお母様
たった一つあるの
お分かりにならないでしょう
他の生き物には絶対になくて人間にだけあるもの
それはね悲鳴ごとというものよ
いかが
お母さんはほんのりお顔を赤くなさって
ああそのカズコの悲鳴ごとが
良い実を結んでくれたらいいけどね
母との思い出
お母様は毎朝お父様に
カズコを幸福にしてくださるように
お祈りしているんですよ
私の胸にふっと
お父上とナスノをドライブして
そうして途中で降りて
その時の秋の野の景色が浮かんできた
ハギ、ナデシコ、リンドウ
オミナ石など秋の草花が咲いていた
ノブドウの実はまだ青かった
それから
お父上とビアコでモーターボードに乗り
私が水に飛び込み
森に住む小魚が私の足に当たり
湖の底に私の足の影がくっきりと映っていて
そうしてうごめいている
その様が前後と何の関連もなく
ふっと私の胸に浮かんで消えた
私はベッドから滑り降りて
お母様のお膝に抱きつき
初めてお母様
さっきはごめんなさいということができた
思うとその日あたりが
私たちの幸福の最後の残り火の光が
輝いた頃で
それからナオジが南方から帰ってきて
私の本当の地獄が始まった
心の葛藤
3
どうしてももうとても生きておられないような
心細さ
これがあの不安とかいう感情なのであろうか
胸に苦しい波が打ち寄せ
それはちょうど夕立が澄んだ後の空を
慌ただしく白雲が
次々と走って走りすぎていくように
私の心臓を締め付けたり緩めたり
私の脈は決退して
呼吸が気迫になり
目の先がもやもやと暗くなって
全身の力が手の指の先から
ほとんど抜けてしまう心地がして
編み物を続けていくことができなくなった
この頃は
雨が陰気に降り続いて
何をするにも物浮くて
今日はお座敷の縁側に
遠いすを持ち出し
今年の春に一度編みかけて
そのままにしていたセーターを
また編み続けてみる気になったのである
淡いボタン色のぼやけたような毛糸で
私はそれにコバルトブルーの糸を足して
セーターにするつもりなのだ
そしてこの淡いボタン色の毛糸は
今からもう20年の前
私がまだ初等科に通っていた頃
お母様がこれで
私の首巻きを編んでくださった毛糸だった
その首巻きの端が図巾になっていて
私はそれをかぶって
鏡を覗いてみたら
コウニのようであった
それに色が他の学友の首巻きの色と
まるで違っているので
私は嫌で嫌でしようがなかった
関西の多学能勢の学友が
いい首巻きして春だと
大人びた口調で褒めてくださったが
私はいよいよ恥ずかしくなって
もうそれからは一度もこの首巻きをしたことがなく
長いことを打ち捨ててあったのだ
それを今年の春
始造品の復活とやらという意味で
解きほぐして私のセーターにしようと思って
取り掛かってみたのだが
どうもこのぼやけた色合いが気に入らず
また打ち捨て今日はあまりに所在ないまま
ふと取り出してのろのろと編み続けてみたのだ
けれども編んでいるうちに
私はこの淡いボタン色の毛糸と
灰色の雨空と
一つに溶けあって
柔らかくてマイルドな色調を
作り出していることに気がついた
私は知らなかったのだ
コスチュームは空の色との調和を
考えなければならぬものだという
大事なことを知らなかったのだ
調和ってなんて美しくて
素晴らしいことなんだろうと
いささか驚き呆然とした形だった
灰色の雨空と
淡いボタン色の毛糸と
その二つを組み合わせると
両方が同時に生き生きしてくるから不思議である
手に持っている毛糸が急にほっかり
暖かく冷たい雨空も
ビロードみたいに柔らかく感じられる
そしてモネの霧の中の
寺院の絵を思い出させる
私はこの毛糸の色によって
初めてグーというものを知らされたような気がした
良い好み
そしてお母様は冬の雪空に
この淡いボタン色がどんなに美しく
調和するかちゃんと知っていらして
わざわざ選んでくださったのに
私はバカで嫌がってけれども
それを子供の私に強制しようともなさらず
私の好きなようにさせておかれたお母様
私がこの色の美しさを
本当にわかるまで
20年間もこの色について一言も説明なさらず
黙ってそしらのふりをして
待っていらしたお母様
しみじみ良いお母様だと思うと同時に
こんな良いお母様を私と直樹と
二人でいじめて困らせ弱らせ
今に死なせてしまうのではなかろうかと
日常の幸せ
ふうっとたまらない恐怖と
心配の雲が胸にわいて
あれこれ思いをめぐらせばめぐらすほど
善とにとても恐ろしい悪いことばかり予想せられ
もうとても生きておられないくらい
不安になり指先の力も抜けて
扁棒を膝に置き
大きいため息をついて顔を仰向け
目をつぶってお母様
と思わず言った
お母様はお座敷の隅に
机に寄りかかって五本を読んでいらしたんだが
はいと不審そうに
返事をなさった
私はまごつきそれからことさらに大声で
とうとう薔薇が咲きました
お母様ご存知だった
私は今気がついた
とうとう咲いたわ
お座敷の
応援川のすぐ前の薔薇
それは和田のおじさまが昔
フランスだかイギリスだかちょっと忘れたけれど
とにかく遠いところからお持ち帰りになった薔薇で
二三ヶ月前におじさまが
この山荘の庭に移し植えて
くださった薔薇である
今朝それがやっと一つ咲いたのを
私はちゃんと知っていたのだけれども
照れ隠しにたった今気がついたみたいに大げさに騒いでみせたのである
花は濃い紫色で
凛とした誇りと強さがあった
知っていました
とお母様は静かにおっしゃって
あなたはそんなことが
とても重大らしいのね
そうかもしれないわ
かわいそう?
いいえあなたにはそういうところがあるって言っただけなの
お勝手の待ち箱に
ルナールの絵を貼ったり
お人形のハンカチーフを作ってみたり
そういうことが好きなのね
それにお庭の薔薇のことだって
あなたの言うことを聞いていると
生きている人のことを言っているみたい
子供がないからよ
自分でも全く思いがけなかった言葉が口から出た
言ってしまって
はっとして間の悪い思いで
膝の編み物をいじっていたら
29だからな
そうおっしゃる男の人の声が
電話で聞くようなくすぐったいバスで
はっきり聞こえたような気がして
私は恥ずかしさで頬が焼けるみたいに熱くなった
お母様は何もおっしゃらず
またご本をお読みになる
お母様はこの間からガーゼのマスクを
おかけになっていらして
そのせいかこの頃めっきり無口になった
マスクは直樹の言い付けに従って
おかけになっているのである
直樹は10日ほど前に南方の島から
青黒い顔になって帰ってきたのだ
何の前触れもなく
夏の夕暮れ浦の木戸から庭へ入ってきて
ああひでえ趣味の悪い家だ
来来県シュウマイありますと
針札しろよ
それが私と初めて顔を合わせたときの
直樹の挨拶であった
その2、3日前から
お母様は舌を病んで寝ていらした
舌の先が外見は何の変わりもないのに
動かすと痛くてならぬとおっしゃって
お食事も薄いお粥だけで
お医者様に見ていただいたらと言っても
首を振って笑われますと
にがわららいしながらおっしゃる
ルゴールを塗ってあげたけれども
少しも効き目がないようで
私は妙にイライラしていた
そこへ直樹が帰還してきたのだ
直樹はお母様の枕元に座って
ただいまと言ってお辞儀をし
すぐに立ち上がって小さい家の中を
あちこちと見て回り
私がその後をついて歩いて
お母様は変わった?
変わった変わったやずれてしまった
早く死にゃいいんだ
こんな世の中にママなんてとても生きていきゃ死ねんだ
あんまり惨めで道は折れねえ
私は?
下痢できた
男が二三人もあるような顔をしてやがる
酒は?
今夜飲むぜ
私はこの部落でたった一軒の宿屋へ行って
おかみさんのおさきさんに
弟が帰還したからお酒を少し分けてくださいと
頼んでみたけれども
お酒は今切らしていますというので
帰って直司そう伝えたら
直司は見たこともない他人のような表情の顔になって
チェッ交渉が下手だからそうなんだ
と言い私から宿屋のある場所を聞いて
庭下駄をつっかけて外に飛び出し
それきりいくら待っても家へ帰って来なかった
私は直司の好きだった焼きリンゴと
それから卵のお料理などこしらえて
食堂の電球も明るいのと取り替え
随分待ってそのうちに
おさきさんがお勝手口からひょいと顔を出し
もしもし大丈夫でしょうか
おさきさんが焼酎を召し上がっているのですけど
と例の鯉の目のような
まんまるい目をさらに強く見張って
一大事のように低い声で言うのである
焼酎って
あのメチル
いいえメチルじゃありませんけど
飲んでも病気にならないんでしょう
えーでも
飲ませてやってください
おさきさんは椿を飲むようにして
うなずいて帰っていった
私はお母様のところに行って
おさきさんのところで飲んでいるんですって
と申し上げたらお母様は少し
お口を曲げてお笑いになって
そうアヘンの方は良したのかしら
あなたはご飯を済ませなさい
それから今夜は3人で
この部屋にお休み
直樹のお布団を真ん中にして
私は泣きたいような気持ちになった
夜更けて
直樹は荒い足音をさせて帰ってきた
私たちはお座敷に3人
一つのかやに入って寝た
南方のお話をお母様に
聞かせてあげたら
と私が寝ながら言うと
なんもないなんもない
忘れてしまった
日本に着いて汽車に乗って
汽車の窓から水田が素晴らしく綺麗に見えた
それだけだ
電気を消せよ
眠られやしねえ
私は電灯を消した
夏の月光が洪水のように
かやの中に満ちあふれた
あくる朝直樹は寝床に腹ばえになって
タバコを吸いながら
お母様のおかげんの悪いのに気がついたみたいな風の
口の聞き方をした
お母様はただかすかにお笑いになった
それはきっと心理的なもんなんだ
夜口を開いてお休みになるでしょう
だらしがない
マスクをなさい
ガーゼにリバノール液でも浸して
それをマスクの中に入れておくといい
私はそれを聞いて吹き出し
それは何療法って言うの
美学療法って言うんだ
でもお母様はマスクなんかきっとお嫌いよ
お母様はマスクに限らず
眼帯でも眼鏡でも
お顔にそんなものをつけることは大嫌いだったはずである
ねえお母様
マスクをなさる
と私がお尋ねしたら
いたします
母と直樹の関係
と真面目に低くお答えになったので私ははっとした
直樹の言うことなら
なんでも真摯で従おうと思っていらっしゃるらしい
私が朝食の後に
さっき直樹が言った通りに
ガーゼにリバノール液を浸し
などしてマスクをつくり
お母様のところに持っていったら
お昼過ぎに直樹は
東京のお友達や文学の方のお師匠さんなどに
会わなければならぬと言って
背広に着替え
お母様から2000円もらって
東京へ出かけていってしまった
それっきりもう10日近くになるのだけれども
直樹は帰ってこないのだ
そしてお母様は
毎日マスクをなさって
直樹を待っていらっしゃる
直樹の東京への旅
リバノールっていい薬なのね
このマスクをかけていると
下のマスクが
このマスクをかけていると
下の痛みが消えてしまうのですよ
と笑いながらおっしゃったけれども
私にはお母様が嘘をついていらっしゃるように
思われてならないのだ
もう大丈夫とおっしゃって
今は起きていらっしゃるけれども
食欲がやっぱりあまりないご様子だし
口数もめっきり少なく
とても私は気がかりで
直樹はまあ東京で何をしているのだろう
あの小説家の上原さんなんかと一緒に
東京中を遊び回って
東京の狂気の渦に巻き込まれているのに
苦しくつらくなり
お母様に出し抜けに薔薇のことなど報告して
そうして子供がないからよなんて
自分にも思いかけなかった変なことを
口走っていよいよ行けなくなるばかりで
と言って立ち上がり
さてどこへも行くところがなく
身一つを持て余してふらふら階段を登っていって
二階の洋間に入ってみた
ここは今度直樹の部屋になるはずで
四五日前に私がお母様と相談して
下の農家の中井さんにお手伝いを頼み
直樹の洋服男子や
机や本箱また造書やノートブックなど
いっぱい詰まった木の箱
5つ6つ
とにかく昔西方町のお家の直樹のお部屋に
あったものを全部をここに持ち運び
今に直樹が東京から帰ってきたら
直樹の好きな位置に
タンス本箱などそれぞれ据えることにして
それまではただ雑然とここに置きっぱなしに
しておいた方が良さそうに思われたので
直樹の苦悩
もう足の踏み場もないくらいに
部屋いっぱいに白化したままで
私は何気なく足元の木の箱から直樹のノートブックを
一冊取り上げてみたら
直樹のノートブックの表紙には
優雅を日誌と書き記され
その中には次のようなことが
いっぱい書き散らされていたのである
直樹があの
麻薬中毒で苦しんでいた頃の主義のようであった
やけしぬる思い
苦しくとも苦しと一言
半句叫びえぬ
古来未曾
人の世を始まって以来前例もなき
そこ知れぬ地獄の気配をごまかしなさんな
思想?嘘だ
主義?嘘だ
理想?嘘だ
秩序?嘘だ
誠実?真理?純粋?
みな嘘だ
牛島の富士は樹齢千年
夕夜の富士は数百年と唱えられ
その花穂のごときも全書で最長九尺
後者で五尺余りと聞いて
ただその花穂にのみ心が踊る
あれも人の子
生きている
論理は所詮論理への愛である
生きている人間への愛ではない
金と女
歴史?哲学?教育?
宗教?法律?政治?経済?社会?
そんな学問なんかより
一人の諸女の微笑が尊いという
ファウスト博士の勇敢なる実証
学問とは虚栄の別名である
人間が人間でなくなろうとする
努力である
芸典にだって誓って言える
僕はどんなにでも上手く書けます
一辺の構成誤たず
適度の滑稽読者の目の裏を焼く
悲哀もしくは祝禅
いわゆるエリをただ指しめ
エリをただ指しめ完璧の小説
朗読を音読すれば
これすなわちスクリーンの説明か
恥ずかしくって書けるかって言うんだ
土台そんな傑作意識がケチくさいと言うんだ
小説を読んでエリをただすなんて
狂人の諸作である
そんなら一層羽織馬鹿まで背にはなるまい
良い作品ほど取り澄ましていないように
見えるのだがな
僕は友人の心から楽しそうな笑顔を見たいばかりに
一辺の小説
わざとしくじって下手くそに書いて
尻文字ついて頭かきかき逃げていく
この時の友人の嬉しそうな顔ったら
文至らず人至らぬ風情
おもちゃのラッパーを吹いてお聞かせ申し
ここに日本一のバカがいます
あなたはまだ良い方ですよ
健全なれと願う愛情は
これは一体何でしょう
友人したり顔にて
あれがあいつの悪い癖
惜しいものだと語術会
愛されていることをご存知ない
不良でない人間があるだろうか
味気ない思い金が欲しい
さもなくば眠りながらの自然死
薬屋に千円近き借金あり
今日七夜の晩徒をこっそり家へ連れてきて
僕の部屋へ通して
何かこの部屋にめぼしい七草ありや
あるなら持っていけ
下級に金が得ると申せしに
晩徒をろくに部屋の中を見せず
およしなさい
あなたのお道具でもないのにとぬかした
よろしいそれならば
僕が今まで僕のお小遣い線で買った品物だけ持っていけ
と威勢よく言って掛け集めたガラクタ
七草の資格がある代物一つもなし
まず片手の石膏像
左矢の花にも似た片手
真っ白い片手
それがただ台上に乗っているだけだ
けれどもこれをよく見ると
これはビーナスがその前裸を男に見られて
あなやあの驚き
眼周旋風
裸心無残
薄く暮れない
残り熊なき閣下のほてり
身体をよじってのこの手つき
そのようなビーナスの息も止まるほど裸心の恥じらいが
指先に指紋もなく
こちらに一本の手筋もない純白のこの華奢な右手によって
描かれているのがわかるはずだ
けれどもこれはいわゆる
非実用のガラクタ
版刀50銭と値踏み競り
その他パリ近郊の大地図
直径1尺に近きセルドイドの駒
糸よりも細く字のかける特製のペン先
いずれも掘り出し物のつもりで買った品物ばかりなのだが
版刀を笑って
もうおいともいたしますという
待てと静止した
結局また本を山ほど版刀に背負わせて
金5円なりを受け取る
僕の本棚の本はほとんど廉価の文庫本のみにして
しかも古本屋から仕入れし物なるによって
父の根も
おのずからこのように安いのである
千円の借銭を解決せんとして
5円なり
世の中における僕の実力
おおよそ格納庫とし笑い事ではない
でかだん
しかしこうでもしなきゃ
生きておられないんだよ
そんなことを言って僕を非難する人よりは
死ねと言ってくれる人の方がありがたい
さっぱりする
けれども人はめったに死ねとは言わないもんだ
お前偽善者どもよ
正義?
いわゆる階級闘争の本質はそんなところにありはせぬ
人道?
冗談じゃない
僕は知ってるよ
自分たちの幸福のために相手を倒すことだ
殺すことだ
死ねという宣告でなかったらなんだ
誤魔化しちゃいけねえ
しかし僕たちの階級にもろくな奴がいない
白痴、幽霊、朱仙堂、狂犬、ほら吹き、
御座いまする、雲の上から渋弁
死ねという言葉を与えるのさえもったいない
日本の戦争はやけくそだ
やけくそに巻き込まれて死ぬのはいや
いっそ一人で死にたいわい
人間は嘘をつくときには
必ず真面目な顔をしているものである
この頃の指導者たちの
あの真面目さ
人から尊敬されようと
思わぬ人たちと遊びたい
けれどもそんな良い人たちは僕と遊んでくれやしない
僕が草塾をよそおってみせたら
人々は僕を草塾だと噂した
僕が怠け者のフリをしてみせたら
人々は僕を怠け者だと噂した
僕が小説を書けないフリをしたら
人々は僕を書けないのだと噂した
僕が嘘つきのフリをしたら
人々は僕を嘘つきだと噂した
僕が金持ちのフリをしたら
人々は僕を金持ちだと噂した
僕が冷淡をよそおってみせたら
人々は僕を冷淡なやつだと噂した
けれども僕が本当に苦しくて思わず
うめいたとき
人々は僕を苦しいフリをよそおっていると噂した
どうも食い違う
結局自殺することは
自殺することも
食い違う
結局自殺するより他しようがないのじゃないか
このように苦しんでもただ自殺で終わるだけなのだと思ったら
このように苦しんでもただ自殺で終わるだけなのだと思ったら
声を放って泣いてしまった
春の朝、二三輪の花の先ほころびた梅の枝に朝日が当たって
春の朝、二三輪の花の先ほころびた梅の枝に朝日が当たって
その枝にハイデルベルヒの若い学生が
細いとくびれて死んでいたという
ママ、僕を叱ってください
どういう具合に?
弱虫って
そう、弱虫
そう、弱虫
ママには無類の良さがある
ママを思うと泣きたくなる
ママへ
お詫びのためにも死ぬんだ
お許しください
今、一度だけお許しください
年々や
飯のままに鶴のひな
育ちゆくらし
哀れ太るも
元旦試作
モルヒネ、アトロモール、ナルコポン、パントポン
パビナール、パンオピン、アトロピン
パビナール、パンオピン、アトロピン
プライドとはなんだ、プライドとは
人間は、いや、男は
俺は優れている
俺には良いところがあるんだ
などと思わずに生きていくことができぬものか
人を嫌い、人に嫌われる
知恵比べ
厳粛イコールアホ感
とにかくね、生きているのだからね
インチキューやってるに違いないのさ
ある着線申し込みの手紙
お返事を、お返事をください
そしてそれが必ず解放であるように
僕は様々な屈辱を
思いも受けて一人でうめいています
芝居をしているのではありません
絶対にそうではありません、お願いいたします
僕は恥ずかしさのために真相です
誇張ではないのです
毎日毎日お返事を待って
夜も昼もガタガタ震えているのです
僕に砂を噛ませないで
壁から忍び笑いの声が聞こえてきて
深夜床の中で転々しているのです
僕を恥ずかしい目に合わせないで、姉さん
そこまで読んで私は
その優顔に紙を閉じ、木の箱に返して
それから窓の方に向いて歩いていき
窓をいっぱい開いて
白い闇に煙っているお庭を見下ろしながら
あの頃のことを考えた
もうあれから6年になる
ナオジのこの麻薬中毒が
私の離婚の原因になった
いえ、そう言ってはいけない
私の離婚はナオジの麻薬中毒がなくても
別な何かのきっかけで
いつかは行われているように
そのように私の生まれたときから定まっていたこと
薬屋への借金と家庭の事情
みたいな気もする
ナオジは薬屋への支払いに困って
しばしば私にお金をねだった
私は山家へとついだばかりで
お金などそんなに自由になるわけはなし
また、とつぎ先のお金を里の弟へ
こっそり融通してやるなど
大変具合の悪いことのようにも思われたので
里から私につき添ってきたバーやのお関さんと
相談して
私の腕輪や首飾りやドレスを売った
弟は私にお金を下さいという手紙をよこして
そして今は苦しくて恥ずかしくて
姉上と顔を合わせることも
また電話で話しすることさえ
とてもできませんから
お金はお関に言いつけて
私は松松町松松町目の
茅野アパートに住んでいる姉上も
名前だけはご存知のはずの小説家
上原二郎さんのところに届けさせるよう
上原さんは悪徳の人のように
世の中から評判されているが
決してそんな人ではないから
安心してお金を上原さんのところへ届けてやってください
そうすると上原さんがすぐに
僕に電話で知らせることになっているのですから
必ずそのようにお願いします
僕は今度の中毒を
ママにだけは気づかれたくないのです
ママの知らぬうちになんとかして
僕は今度姉上から
お金をもらったら
それでもって薬屋への借りを全部支払って
それから塩原の別荘へでも行って
健康な体になって帰ってくるつもりなのです
本当です
薬屋の借りを全部済ましたらもう僕は
その日から麻薬を用いることはぴったり良しつもりです
神様に誓います信じてください
ママには内緒に
お関を使って茅野アパートの上原さんに頼みます
というようなことが
その手紙に書かれていて
私はその指図通りにお関さんにお金を持たせて
こっそり上原さんのアパートに届けさせたもんだが
弟の手紙の誓いはいつも嘘で
塩原の別荘にも行かず
薬品中毒はいよいよひどくなるばかりの様子で
お金をねだる手紙の文章も悲鳴に近い苦しげな調子で
今度こそ薬屋を辞めると
顔をそむけたいくらいの
愛切な誓いをするので
また嘘かもしれぬと思いながら
ついまたブローチなどをお関さんに売らせて
そのお金を上原さんのアパートに届けさせるのだった
上原さんってどんな方?
小柄で顔色の悪い不愛想な人でございます
とお関さんは答える
でもアパートにいらっしゃることは
滅多にございませんです
大抵奥さんと
6つ7つの女の子さんと
お二人がいらっしゃるだけでございます
この奥さんは
そんなにお綺麗でもございませんけれども
お優しくて
よくできたお方のようでございます
あの奥さんになら
安心してお金を預けることができます
その頃の私は
今の私に比べて
いいえ
比べ物にもならないくらい
まるで違った人みたいに
ぼんやりの呑気者ではあったが
それでもさすがに次々と続いて
しかも次第に
多額のお金をねだられて
たまらなく心配になり
一日御農からの帰り
自動車を銀座で返して
それから一人で歩いて
京橋の茅野アパートを訪ねた
中で一人新聞を読んでいらした
島の合わせにコンガソリのおはお売りを
命じていらしてお年寄りのような
お若いような今まで見たこともない
貴重のような変な発印象を私は受け取った
あー
女房は今子供と一緒に廃棄物を取りに
少し鼻声で
時で時にそうおっしゃる
私を奥さんのお友達とでも
思い違いしたらしかった
私が直寺の姉だということを申し上げたら
上原さんはフンと笑った
私はなぜだかヒヤリとした
出ましょうか
そう言ってもう二重回しを引っ掛け
下駄箱から新しい下駄を取り出して
お履きになりさっさと
アパートの廊下を先に立って行かれた
外は諸島の夕暮れ
風が冷たかった
隅田川から吹いてくる川風のような感じであった
上原さんは
その川風に逆らうように
少し右肩を上げて築地の方に黙って歩いて行かれる
私は小橋になりながら
その後を追った
東京劇場の裏手のビルの地下室に入った
四五組の客が
二十畳ぐらいの細長いお部屋で
それぞれ卓を挟んで
ひっそりお酒を飲んでいた
上原さんはコップでお酒をお飲みになった
そして私にも別のコップを取り寄せてくださって
お酒を勧めた
私はそのコップで二杯飲んだけれども
何ともなかった
上原さんはお酒を飲み
タバコを吸いそうしていつまでも黙っていた
私も黙っていた
私はこんなところへ来たのは生まれては初めてのことであったけれども
とても落ち着き
お酒でも飲むといいんだけど
えっ
いえ
弟さん
アルコールの方に転換するといいんですよ
僕も昔麻薬中毒になったことがあってね
あれは人が薄気味悪かったね
アルコールだって同じようなもんなんだが
アルコールの方は人は案外許すんだ
弟さんをお酒飲みにしちゃいましょう
いいでしょ
私一度お酒飲みを見たことがありますわ
新年に
私が出かけようとしたとき
運転手の知り合いの者が自動車の助手席で
俺のような真っ赤な顔をして
ぐいぐい大いびきで眠っていましたの
私が驚いて叫んだら
運転手がこれはお酒飲みでしようがないんですと言って
自動車から下ろして肩に担いで
どこかへ連れて行きましたの
骨がないみたいにぐったりして
なんだかそれでもブツブツ言っていて
私はあの時初めてお酒飲みってものを見たんですけど
面白かったわ
僕だってお酒飲みです
あらだって違うんでしょ
あなただってお酒飲みです
そんなことはありませんわ
私はお酒飲みを見たことがあるんですもん
まるで違いますわ
上原さんは初めて楽しそうにお笑いになって
それでも弟さんも酒飲みにはなれないかもしれないが
とにかく酒を飲む人になったほうがいい
帰りましょう
遅くなると困るんでしょ
いいえ構わないんですの
いや実はこっちは窮屈でいけないんだ
姉さん帰って
運と高いのでしょうか
少しなら私持っているんですけど
運と高いのでしょうか
少しなら私持っているんですけど
そう
そんなら会計はあなただ
足りないかもしれませんわ
私はバッグの中を見て
お金がいくらあるかを上原さんに教えた
それだけあればもう2、3件飲める
バカにしてやがる
上原さんは顔をしかめておっしゃって
それから笑った
どこかへまた飲みにおいでになりますか
とお尋ねしたら
真面目に首を振って
お金もたくさん
タクシーを拾ってあげますからお帰りなさい
私たちは地下室の暗い階段を登っていった
私たちは地下室の暗い階段を登っていった
一歩先に登っていく上原さんが
階段の中頃でくるりと
こちら向きになり素早く私にキスをした
私は唇を固く閉じたまま
それを受けた
別に何も上原さんを好きでなかったのに
それでもその時から私に
あの悲鳴事ができてしまったのだ
カタカタカタと上原さんは走って
階段を登っていって
みんな透明な気分でゆっくり上がって
外へ出たら顔風が頬にとても気持ちよかった
上原さんにタクシーを拾っていただいて
私たちは黙って別れた
車に揺られながら
私は世間が急に海のように広くなったような気持ちがした
上原さんとの出会い
私には恋人があるの
ある日私は夫から
小言をいただいて
寂しくなってふっとそう言った
知っています細田でしょ
どうしても思い切ることができないのですか
私は黙っていた
その問題が
何か気まずいことの起こる度ごとに
私たち夫婦の間に持ち出されるようになった
もうこれはダメなんだと私は思った
ドレスの生地を間違って
裁断した時みたいに
もうその生地は縫い合わせることもできず
全部捨ててまた別の新しい生地の裁断に
取り掛からなければならん
まさかそのお腹の子は
とある夜
夫に言われた時には
私はあまり恐ろしくなってガタガタ震えた
今思うと私も夫も若かったのだ
私は恋も知らなかった
愛さえ分からなかった
私は細田様のおかきになる絵に夢中になって
あんなお方の奥様になったら
どんなにまあ美しい日常生活を
営むことができるでしょう
あんな良い趣味のお方と結婚するのでなければ
結婚なんて無意味だわと
私は誰にでも言いふらしていたので
そのためにみんなに誤解されて
それでも私は恋も愛も分からず
平気で細田様を好きだということを公言し
取り消そうともしなかったので
変にもつれて
その頃私のお腹で眠っていた
小さい赤ちゃんまで
夫の疑惑の的になったりして
誰一人離婚などあらわに言い出した
お方もいなかったのに
いつの間にやら周囲が白々しくなっていって
私は月添のお関さんと一緒に
里のお母様のところに帰って
それから赤ちゃんが死んで生まれて
私は病気になって寝込んで
もう山木との間は
袖っ気になってしまったのだ
なおじは私が離婚になったということに
何か責任みたいなものを感じたのか
僕は死ぬよと言って
わーわー声を上げて
顔が腐ってしまうくらいに泣いた
私は弟に
薬屋の借りがいくらになっているのか
尋ねてみたら
それは恐ろしいほどの金額であった
しかもそれは弟が実際の金額を言えなくて
嘘をついていたのが後で分かった
後で判明した実際の総額は
その時に弟が私に教えた金額の
約3倍近くあったのである
私上原さんに会ったわ
いいお方ね
これから上原さんと一緒にお酒を飲んで遊んだらどう?
お酒ってとても安いものじゃないの
お酒のお金くらいだったら
私いつでもあなたにあげるわ
薬屋の払いのことも心配しないで
どうにかなるわよ
私が上原さんと会って
そして上原さんをいいお方だと言ったのが
弟をなんだかひどく喜ばせたようで
弟はその夜私からお金をもらって
早速上原さんのところに遊びに行った
中毒は
それこそ精神の病気なのかもしれない
私が上原さんを褒めて
そして弟から上原さんの著書を借りて読んで
偉いお方ねなどと言うと
弟は姉さんなんかにはわかるもんかと言って
それでもとても嬉しそうに
じゃあこれを読んでごらんと
また別の上原さんの著書を私に読ませ
そのうちに私も上原さんの小説を
本気に読むようになって
二人であれこれ上原さんの噂などして
弟は毎晩のように上原さんのところに
大いばりで遊びに行き
だんだん上原さんのご計画通りに
アルコールの方へ転換していったようであった
家庭の困難
薬屋の支払いについて
私がお母様にこっそり相談したら
お母様は片手でお顔を覆いなさって
しばらくじっとしていらっしゃったが
やがてお顔を上げて寂しそうにお笑いになり
考えたってしようがないわね
何年かかるかわからないけど
毎月少しずつでも返していきましょうよ
とおっしゃった
あれからもう6年になる
言う顔
ああ弟も苦しいのだろう
しかも道が塞がって何をどうすればいいのか
未だに何もわかっていないのだろう
ただ毎日死ぬ気でお酒を飲んでいるのだろう
いっそ思い切って
本職の不良になってしまったらどうだろう
そうすると弟もかえって楽になるのではあるまいか
不良でない人間があるだろうかと
あのノートブックに書かれていたけれども
そう言われてみると
私だって不良
おじさまも不良
お母様だって
不良みたいに思われてくる
不良とは優しさのことではないかしら
お手紙書こうかどうしようか
ずいぶん迷っていました
けれども今朝ハートのごとく素直に
ヘビのごとく悟され
というイエスの言葉をふと思い出し
奇妙に元気が出て
お手紙を差し上げることにしました
ナオジの姉でございます
お忘れかしら
お忘れだったら思い出してください
ナオジはこないだまたお邪魔にあがって
ずいぶんご厄介をおかけしたようで
あいすみません
でも本当はナオジのことはそれはナオジの勝手で
私が差し出てお詫びをするなど
気持ち悪い気もするのです
今日はナオジのことではなく
私のことでお願いがあるのです
京橋のアパートで離妻なさって
それから今のご住所にお移りになったことを
ナオジから聞きまして
よっぽろ東京の郊外のそのお宅に
お伺いしようかと思ったのですが
お母様がこないだから少しお加減が悪く
お母様をほっといて上京することは
どうしてもできませんので
それでお手紙で申し上げることにいたしました
あなたにご相談してみたいことがあるのです
私のこの相談は
これまでの女大学の立場から見ると
非常にずるくてけがらわしくて
悪質の犯罪でさえあるかもしれませんが
けれども私は
いえ私たちは
今のままではとても生きていけそうもありませんので
弟のナオジはこの世で一番尊敬しているらしい
あなたに
私の偽らぬ気持ちを聞いていただき
お差し出をお願いするつもりなのです
私には今の生活がたまらないのです
好き嫌いどころではなく
とてもこのままでは私たち親子さんに
生きていけそうもないのです
お昼も苦しくて体も熱っぽくて息苦しくて
自分をもて余していましたら
お昼少し過ぎ
雨の中を下の農家の娘さんが
お米を背負って持ってきました
そして私の方から約束通りの衣類を差し上げました
娘さんは食堂で
私と向かい合って腰掛けて
お茶を飲みながら実にリアルな口調で
あなた物を売ってこれから先
どのくらい生活していけるの
と言いました
半年か一年くらい
と私は答えました
半分ばかり顔を隠して
眠いの
眠くて仕方がないの
と言いました
疲れてるのよ
眠くなる神経衰弱でしょう
そうでしょうね
涙が出そうで
ふと私の胸の中に
リアリズムという言葉と
ロマンチシズムという言葉が浮かんできました
私にリアリズムはありません
こんな具合で生きていけるのかしらと思ったら
全身に寒気を感じました
お母様は半分ご病人のようで
寝たり起きたりですし
弟はご存知のように心の大病人で
こちらにいるときは焼酎を飲みに
この近所の宿屋と料理屋とを兼ねた家へ
ご請金で
3日に一度は私たちの衣類を売ったお金をもって
東京ホームへご出張です
でも苦しいのはこんなことではありません
私はただ私自身の生命が
こんな日常生活の中で
馬匠の葉が散らないで腐っていくように
立ち尽くしたまま
自ら腐っていくのをありありと予感せられるのが
恐ろしいのです
とてもたまらないのです
だから私は女大学に背いても
今の生活から逃れ出たいのです
それで私はあなたに相談いたします
私は今お母様や弟に
はっきり宣言したいのです
私が前からあるお方に恋をしていて
私は将来そのお方の
愛人として暮らすつもりだということを
はっきり言ってしまいたいのです
そのお方はあなたも確かご存知のはずです
そのお方のお名前イニシャルは
MCでございます
私は前から何か苦しいことが起こると
そのMCのところに飛んでいきたくて
こがれ死にをするような思いをしてきたのです
MCにはあなたと同じように
奥様もお子様もございます
または私よりもっときれいで若い
女のお友達もあるようです
けれども私はMCのところへ行くより他に
私の生きる道がない気持ちなのです
MCの奥様とは私はまだ会ったことがありませんけれども
とても優しくて
良いお方のようでございます
MCの奥様のことを考えると
自分は恐ろしい女だと思います
けれども私の今の生活は
それ以上に恐ろしいもののような気がして
MCに頼ることを寄せないのです
鳩のごとく素直に
蛇のごとくさとく
私は私の恋をしとげたいと思います
でもきっとお母様も弟も
また世間の人たちも
誰一人私に賛成してくださらないでしょう
あなたはいかがです
私は結局一人で考えて
一人で行動するより他はないのだと思うと
涙が出てきます
生まれて初めてのことなのですから
この難しいことを周囲のみんなから
祝福されてしとける方はないものかしら
とひどくややこしい
台数の因数分解か何か
答案を考えるように思いを凝らして
どこかに一箇所パラパラときれいに
解きほぐれる糸口があるような気持ちがしてきて
急に陽気になったりなんかしているのです
けれども肝心のMCの方で
私はどう思っていらっしゃるのか
それを考えるとしょげてしまいます
いわば私は押しかけ
なんていうのかしら
押しかけ女房と言ってもいけないし
押しかけ愛人とでも言おうかしら
そんなものなのですから
MCの方でもどうしても嫌だと言ったらそれっきり
だからあなたにお願いします
どうかあのお方にあなたから聞いてみてください
6年前のある日
私の胸にかすかな淡い虹がかかって
それは恋でも愛でもなかったけれども
年月の経つほどその虹は
鮮やかに色彩の濃さを増してきて
私は今まで一度もそれを
見失ったことはございませんでした
夕立の晴れた空にかかる虹は
やがて儚く消えてしまいますけど
人の胸にかかった虹は
消えないようでございます
どうぞあのお方に聞いてみてください
あのお方は本当に私をどう思っていらっしゃったのでしょう
それこそ
うごの空の虹みたいに思っていらっしゃったのでしょうか
そうしてとっくに消えてしまったものと
それは
私も私の虹を消してしまわなければなりません
けれども私の生命を先に
消さなければ
私の胸の虹は消えそうもございません
お返事を祈っています
自己の葛藤
上原二郎様
私のチェホフ
マイチェホフMC
私はこの頃少しずつ太っていきます
動物的な女になっていくというよりは
人らしくなったのだと思っています
この夏はロレンスの小説を
一つだけ読みました
お返事がないのでもう一度お手紙を差し上げます
この間差し上げた手紙は
とてもずるい
ヘビのような観察にみちみちしていたのを
いちいち見破っておしまいになったのでしょう
本当に私はあの手紙の一行一行に
高知の限りを尽くしてみたのです
結局私はあなたに私の生活を
助けていただきたい
お金が欲しいという意図だけ
それだけの手紙だと思いになったことでしょう
そして私もそれを否定いたしませんけれども
内面的対話
しかしただ私が
自身のパトロンが欲しいのなら
失礼ながら特にあなたを選んでお願い申し上げません
他にたくさん私を
可愛がってくださる老人のお金持ちなど
あるような気がします
現にこの間も妙な演談みたいなものが
あったのです
そのお方のお名前はあなたもご存知かもしれませんが
60過ぎた独身のおじいさんで
芸術院とかの会員だとかなんとか
そういう大師匠の人が
私をもらいにこの山荘にやってきました
この師匠さんは
私どもの西片町のお家の近所に住んでいましたので
私たちも隣組の良しみで
時とも会うことがありました
いつかあれは秋の夕暮れだったと覚えていますが
私とお母様と二人で
自動車でそのお師匠さんの
お家の前を通り過ぎたとき
そのお方がお一人でぼんより
お宅の門のそばに立っていらして
お母様が自動車の窓からちょっと師匠さんに
おえいしゃくなさったら
その師匠さんの気難しそうな青黒いお顔が
パッと紅葉よりも赤くなりました
恋かしら
私ははしゃいで言いました
お母様は好きなのね
けれどもお母様は落ち着いて
いいえ偉いお方と一人事のようにおっしゃいました
芸術家を尊敬するのは
私どもの家の家風のようでございます
その師匠さんが
先年奥様を亡くなさったとかで
和田のおじさまと
養玉のお天狗仲間のある
三宅のお方を返し
お母様に申し入れをなさって
お母様は
数個から思った通りのお返事を
師匠さんに直接差し上げたらとおっしゃるし
私は深く考えるまでもなく
嫌なので
私には今結婚の意思がございません
ということを何でもなくすらすらと書けました
お断りしてもいいのでしょう
うーんそれはもう
私も無理な話だと思っていたわ
その頃
師匠さんは軽井沢の別荘の方にいらしたので
そのお別荘へお断りの
お返事を差し上げたら
それから二日目にその手紙と行き違いに
師匠さんご自身
伊豆の温泉へ仕事へ来た途中でちょっと
立ち寄らせていただきましたとおっしゃって
私の返事のことは何もご存知なく
だし抜けにこの山荘にお目になったのです
芸術家というものは
おいくつになってもこんな子供みたいな
ものらしいのね
お母様はお加減が悪いので
私がお相手に出て品までお茶を差し上げ
あの
お断りの手紙
今頃軽井沢の方についていることと存じます
私よく
考えましたのですけど
と申し上げました
そうですか
とせかせかした調子でおっしゃって
汗をお拭きになり
でもそれはもう一度よくお考えになってみてください
幸福と物質的な満足
私はあなたを何と言ったらいいか
いわば精神的に幸福を与えることができないかもしれないが
その代わり物質的にはどんなにでも幸福にして
差し上げることができる
これだけははっきり言えます
まあザックバランの話ですが
お言葉のその幸福というのが
私にはよくわかりません
生意気に申し上げるようですけどごめんなさい
チェホフの妻への手紙に
子供を産んでおくれ
私たちの子供を産んでおくれって書いてございましたわね
ニーチェダカのエッセイの中にも
子供を産ませたいと思う女という言葉がございましたわ
私子供が欲しいのです
幸福なんてそんなものはどうだっていいですの
お金も欲しいけど
子供を育てていけるだけのお金があったら
それでたくさんですわ
師匠さんは変な笑い方をなさって
あなたは珍しい方ですね
誰にでも思った通り言える方だ
あなたような方と一緒にいると
私の仕事にも新しい霊感が舞い降りてくるかもしれない
お年に似合わずちょっとキザみたいなことを言いました
こんな偉い芸術家のお仕事を
もし本当に私の力で若返らせることができたら
それも生き甲斐のあることに違いない
とも思いましたが
けれども私はその師匠さんに抱かれる自分の姿を
どうしても考えることができなかったのです
私に恋の心がなくてもいいのでしょうか
と私は少し笑ってお尋ねしたら
師匠さんは真面目に
女の方はそれでいいんです
女の人はぼんやりしていていいんですよ
とおっしゃいます
でも私みたいな女はやっぱり恋の心がなくては
結婚を考えられないのです
私もう大人なんですもの
来年はもう30
と言って思わず口を置いたような気持ちがしました
30
女には29まで乙女の匂いが残っている
しかし30の女の体には
もうどこにも乙女の匂いがない
という
昔読んだフランスの小説の中の言葉が
ふっと思い出されて
やりきれない寂しさに襲われ
外を見ると真昼の光を浴びて海が
ガラスの破片のようにどぎつく光っていました
あの小説を読んだ時には
それはそうだろうと軽く肯定して澄ましていた
30歳までで
女の生活はおしまいになると平気でそう思っていた
あの頃が懐かしい
腕は首飾りドレス帯
一つ一つ
私の体の周囲から消えてなくなっていくにしたがって
私の体の乙女の匂いも
次第に淡く薄れていったのでしょう
貧しい中年の女
おお嫌だ
恋愛と結婚の葛藤
でも中年の女の生活にも
女の生活がやっぱりあるんですのね
この頃それが分かってきました
英人の女教師が
イギリスにお帰りの時
19の私にこうおっしゃったのを覚えています
あなたは恋をなさってはいけません
あなたは恋したら不幸になります
恋をなさるならもっと大きくなってからいなさい
30になってからいなさい
けれどもそう言われても
私はキョトンとしていました
30になってからのことなど
その頃の私には想像も何もできないことでした
このお別荘を
お売りになるとかいう噂を聞きましたが
師匠さんは意地悪そうな表情で
ふいとそうおっしゃいました
私は笑いました
ごめんなさい 桜の園を思い出したのです
あなたがお買いになってくださるのでしょう
師匠さんはさすがに敏感に
お察しになったようで
怒ったように口をゆがめて黙しました
ある宮様のお住まいとして
深淵50万円でこの家を
同行という話があったのも事実ですが
それは立家になり
その噂でも師匠さんは聞き込んだのでしょう
でも桜の園のロパーヒンみたいに
私どもに思われているのではたまらないと
すっかりお機嫌を悪くした様子で
あと世間話を少しして
お帰りになってしまいました
私が今あなたに求めているものは
ロパーヒンではございません
それははっきり言えるのです
ただ中年の女のお仕掛けを
引き受けてください
私が初めてあなたとお会いしたのは
もう6年くらい昔のことでした
あの時には私はあなたという人について
何も知りませんでした
ただ弟の師匠さん
それも幾分悪い師匠さん
そう思っていただけでした
コップでお酒を飲んで
それからあなたはちょっと軽いいたずらをなさったでしょう
けれども私は平気でした
ただ変に身軽になったくらいの気分でいました
あなたを好きでも嫌いでも何でもなかったのです
そのうちに
弟のお機嫌を取るために
あなたの著書を弟から借りて読み
面白かったり面白くなかったり
あまり熱心な読者ではなかったのですが
6年間いつの頃からか
あなたのことが霧のように私の胸に染み込んでいたのです
あの夜
地下室の階段で私たちのしたことも
急に生き生きと鮮やかに思い出されてきて
なんだかあれは
私の運命を決定するほどの重大なことだったような気がして
あなたがしたわしくて
これが恋かもしれんと思ったら
とても心不足頼りなく
一人でめそめそ泣きました
あなたは他の男の人とまるで全然違っています
私はカモメのニーナのように
作家に恋をしているのではありません
私は小説家などに憧れてはいないのです
文学少女などと
大思いになったら
こちらもまごっつきます
私はあなたの赤ちゃんが欲しいのです
もっとずっと前に
あなたがまだお一人のとき
そして私もまだ山木へ行かないときに
お会いして
二人が結婚していたら
私も今みたいに苦しまずに住んだのかもしれませんが
私はもうあなたとの結婚はできないものと
諦めています
あなたの奥様を押しのけるなど
それは浅ましい暴力みたいで私は嫌なんです
私はおめかけ
この言葉言いたくなくてたまらないのですけれども
でも愛人と言ってみたところで
おめかけとは違いないのですからはっきり言うわ
おめかけ
それだってかまわないんです
でも世間普通のおめかけの生活って
難しいものらしいのね
人の話ではおめかけは普通
用がなくなると捨てられるものですって
60近くなるとどんな男の方でも
みんな盆栽のところへお戻りになるんですって
ですから
おめかけにだけはなるものじゃないって
西方町のじいやとうばが話し合っているのを
聞いたことがあるんです
でもそれは世間普通のおめかけのことで
あるような気がします
あなたにとって一番大事なのはやはり
あなたのお仕事だと思います
そうしてあなたが私をお好きだったら
二人が仲良くすることがお仕事のためにもいいでしょう
するとあなたの奥様も
私たちのことを納得してくださいます
変なこじつけの理屈みたいだけど
でも私の考えはどこも間違っていないと思うわ
問題はあなたのお返事だけです
私を好きなのか嫌いなのか
それともなんともないのか
そのお返事とても恐ろしいのだけれども
でもうかがわなければなりません
こないだの手紙にも私
お仕掛け愛人と書き
またこの手紙にも中年の女のお仕掛けなどと書きましたが
今よく考えてみたら
あなたからのお返事がなければ私
お仕掛け用にも何も手がかりがなく
一人でぼんやり痩せていくだけでしょう
やはりあなたの何かお言葉がなければ
日常の思索
だめだったんです
今ふっと思ったことでございますが
あなたは小説では随分
恋の冒険みたいなことをお書きになり
世間からもひどい悪寒のように噂をされていながら
本当は常識家なんでしょう
私には常識ということがわからないんです
好きなことができさえすれば
それはいい生活だと思います
私はあなたの赤ちゃんを産みたいのです
他の人の赤ちゃんはどんなことがあっても
産みたくないんです
それで私はあなたに相談をしているのです
おわかりになりましたらお返事をください
あなたのお気持ちをはっきりお知らせください
雨が上がって風が吹き出しました
今午後3時です
これから1級手6号の配球をもらいに行きます
ラム酒の瓶を2本
袋に入れて
胸のポケットにこの手紙を入れて
もう10分ばかりしたら下の村に出かけます
このお酒は弟に飲ませません
カズ子が飲みます
毎晩コップで1杯ずついただきます
お酒は本当はコップで飲むのですわね
こちらに
いらっしゃいません
MC様
今日も雨降りになりました
目に見えないような霧雨が降っているんです
毎日毎日
外出もしないでお返事をお待ちしているのに
とうとう今日までお便りがございませんでした
一体あなたは何をお考えになっているのでしょう
この間の手紙で
あの大市町さんのことなど書いたのが
いけなかったのかしら
こんな縁談なんかを書いて
競争心を掻き立てようとしていやがるとでも
お思いになったのでしょうか
でもあの縁談はもう荒れっきりだったのです
さっきもお母様とその話をして笑いました
お母様はこの間
舌の先が痛いとおっしゃって
直ちに勧められて美学療法をして
その療法によって
舌の痛みも取れて
その頃はちょっとお元気なのです
さっき私がお縁側に立って
渦を巻きつつ吹かれていく霧雨を眺めながら
あなたのお気持ちのことを考えていましたら
ミルクを沸かしたからいらっしゃいと
お母様が食堂の方から
お呼びになりました
寒いからうんと熱くしてみたの
私たちは食堂で湯気の立っている
熱いミルクをいただきながら
先日の師匠さんのことを話し合いました
あの方と私とは土台
何も似合いませんでしょう
お母様は平気で似合わないと
おっしゃいました
私こんなにわがままだし
それに芸術家というものを嫌いじゃないし
おまけにあの方にはたくさん収入があるらしいし
あんな方と結婚したらそれはいいと思うわ
だけどダメなの
お母様はお笑いになって
カズコはいけない子ね
そんなにダメでいながら
この間あの方とゆっくり何か楽しそうに
お話をしていたでしょう
あなたの気持ちがわからない
ああだって面白かったんですもの
もっといろいろ話をしてみたかったわ
お母様はベッタリしているのよ
カズコベッタリ
お母様は今日はとてもお元気
そしてきのう初めてアップにした
私の髪をご覧になって
アップはね
髪の毛の少ない人がするといいのよ
あなたのアップは立派すぎて
金の小さい冠でも乗せてみたくらい
失敗ね
カズコがっかり
だってお母様はいつだったか
カズコは首筋が白くてきれいだから
なるべく首筋を隠さないように
何度も褒められたことは一生忘れません
覚えていた方が楽しいもの
感情の揺れ動き
この間
あの方からも何かと褒められたのでしょう
そうよ
それでベッタリになっちゃったの
私と一緒にいると霊感が
ああたまらない
私芸術家は嫌いじゃないんですけど
あんな人格者みたいにもったいぶっている人はとてもダメなの
ナオジの師匠さんはどんな人なの
私はヒヤリとしました
よくわからないけど
どうせナオジの師匠さんですもの
ふだつき
とお母様は楽しそうな目つきをなさってつぶやき
面白い言葉ね
ふだつきなら帰って安全でいいじゃないの
鈴を首にさげている子猫みたいで
可愛らしいくらい
ふだのついていない不良が怖いんです
そうかしら
嬉しくて嬉しくてすっと体が煙になって
空にそわれていくような気持ちでした
おわかりになります?
なぜ私が嬉しかったか
おわかりにならなかったら
殴るわよ
そちらへ遊びにいらっしゃいません?
私からナオジに
あなたをお連れしてくるようにって言いつけるのも
なんだか不自然で変ですから
あなたご自身の推敬から
ふっとここへ立ち寄ったという形にして
ナオジの案内でおいでになってもいいけれども
でもなるべくならお一人で
そしてナオジが東京に出張した
ルスにおいでになってください
ナオジがいるとあなたをナオジにとられてしまって
きっとあなたたちは
お咲さんのところへ焼酎なんかを飲みに出かけていって
それっきになるに決まっていますから
私の家では先祖代々芸術家を好きだったようです
コーリンという画家も
昔私どもの京都のお家に長く滞在して
娘にきれいな絵を描いてくださったんです
だから
お母様もあなたのご来訪をきっと喜んでくださると思います
あなたはたぶん
二階の洋門にお休みということになるでしょう
お忘れなく電灯を消しておいてください
私は小さいロウソクを片手に持って
暗い階段を登っていって
それはダメ?早すぎるわね
私不良が好きなの
それも札付きの不良が好きなの
そして私も札付きの不良になりたいの
そうするより他に
私の生き方がないような気がするの
あなたは日本で一番の札付きの不良でしょう
そしてこの頃はまた
たくさんの人があなたを汚らしい
汚らわしいと言って
酷く憎んで攻撃しているとか
弟から聞いて
いよいよあなたを好きになりました
あなたのことですからきっと
いろいろな網をお持ちでしょうけれども
今にだんだん私一人を好きにおなりでしょう
なぜだか私にはそう思われて仕方がないんです
そしてあなたは私と一緒に暮らして
毎日楽しくお仕事ができるでしょう
小さい時から私はよく人から
あなたと一緒にいると苦労を忘れると言われてきました
私は今まで
人から嫌われた経験がないんです
みんな私をいい子だと言ってくださいました
だからあなたも
私をお嫌いのはずは決してないと思うんです
会えばいいのです
もう今はお返事も何もいりません
お会いしとうございます
私の方から東京のあなたのお宅へ
お伺いすれば一番簡単に
書かれるのでしょうけれど
お母様が何せ半病人のようで
私は月切りの看護婦兼ご助中さんなのですから
どうしてもそれができません
お願いでございます
どうかこちらへいらしてください
一目お会いしたいのです
そしてすべてはお会いすれば分かること
私の口の両側にできたかすかなシワを見てください
世紀の悲しみのシワを見てください
私のどんな言葉より私の顔が
私の胸の思いをはっきり
あなたにお知らせするはずでございます
最初に差し上げた手紙に
私の胸にかかっている虹のことを書きましたが
その虹は蛍の光みたいな
またはお星様の光みたいな
そんな上品な美しいものではないのです
そんな淡い遠い思いだったら
私はこんなに苦しまず
次第にあなたを忘れていくことができたでしょう
私の胸の虹は
炎の橋です
胸が焼き焦げるほどの思いなのです
麻薬中毒者が麻薬が切れて
薬を求めるときの気持ちだって
これほど辛くはないでしょう
間違ってはいない
でもふっと私大変な大馬鹿なことを
しようとしているのではないかしら
と思ってぞっとすることもあるのです
発狂しているのではないかしらと
反省する
そんな気持ちもたくさんあるのです
でも私だって冷静に計画していることもあるのです
本当にこちらへ一度いらしてください
いついらしてくださっても大丈夫
私はどこへも行かずに
いつもお待ちしています
私を信じてください
もう一度お会いして
そのとき嫌ならはっきり言ってください
私一人の力ではとても
消すことができないのです
とにかくあったら
あったら私が助かります
万葉や源氏物語の頃だったら
私の申し上げているようなこと
なんでもないことでしたのに
私の望み
あなたの愛称になって
あなたの子供の母になること
このような手紙をもし嘲笑する人があったら
その人は女の生きていく努力を嘲笑する人です
女の命を嘲笑する人です
私は港の行き詰まるように
淀んだ空気に耐えきれなくて
港の外は嵐であっても
頬を上げたいのです
いこえる頬は例外なく汚い
私を嘲笑する人たちはきっとみな
いこえる頬です
何もできやしないんです
困った女
しかしこの問題で一番苦しんでいるのは私なのです
この問題について何も
ちっとも苦しんでいない傍観者が
頬を醜くだらりと休ませながら
この問題を批判するのはナンセンスです
私をいい加減に
無思想なんて言ってもらいたくないんです
私は無思想です
私は思想や哲学なんてもので
行動したことは一度だってないんです
人間関係の複雑さ
世間でよいと言われ
尊敬されている人たちはみな嘘つきで
偽物なのを私は知っているんです
私は世間を信用していないんです
札付きの不良だけが私の味方なんです
札付きの不良
私はその十字架にだけは
かかって死んでもいいと思っています
番人に非難せられても
それでも私は言い返してやれるんです
お前たちは札のついていない
もっと危険な不良じゃないかと
お分かりになりまして
後援に理由はございません
少し理屈みたいなことを
言い過ぎました
弟の口真似に過ぎなかったような気もします
おいでをお待ちしているだけなのです
もう一度お目にかかりたいのです
それだけなのです
ああ、人間の生活には喜んだり
怒ったり悲しんだり憎んだり
いろいろな感情があるけれども
人間の生活のほんの1%を占めているだけの感情で
あとの99%はただ
待って暮らしているのではないでしょうか
幸福な足音が廊下に聞こえるのを
今か今かと
胸のつぶれる思いで待って
空っぽ
ああ、人間の生活ってあんまりみじめ
生まれてこないほうがよかったと
みんなが考えているこの現実
そうして毎日朝から晩まで
儚く何かを待っている
みじめすぎます
生まれてきてよかったと
人間を、世の中を喜んでみておございます
阻む道徳を
押し抜けられませんか
MC
マイ・チェーフホフのイニシャルではないんです
私は作家に恋しているのではございません
マイ・チャイルド
1950年発行
新調者
新調文庫
社用より一部独了
読み終わりです
2時間経ちましたので
こちらで切りたいと思います
一回キスされた男性に
3通手紙を送ったところですね
全体を通してみると
5分の3くらい読んだかなという感じですね
随分思い込んでいるね
女の人の中におけるキスの重要性みたいなのを
ちょっと
田沢君はわかっていたんだなという気もします
MCと書いてあった
マイ・チェーフホフ
ロシアの劇作家
アントン・チェーフホフのことを指していると思います
桜の草の
描写でロパーヒンというのがありましたが
桜の草という作品に出てくる
登場人物の名前のようですね
前提知識がないと
何を言っているのかわからないという
描写でしたがそういうことのようです
次回は
前編と後編からになります
説で言うと
今5を読み終わったのかな
4まで読み終わったのか
作品の解説と予告
5章からのスタートになると思います
アップロードしたファイルの順序というか
タイミングが悪くて
前編と後編が
週またぎになってしまいそうな感じが
残念ですが
ひらにご容赦ください
一回終わりにしましょうか
無事寝落ちできた方も
大変にお疲れ様でした
今日のところはこの辺で
また次回お会いしましょう
おやすみなさい
02:02:44

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