1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 163太宰治「葉」(朗読)
2025-09-11 32:40

163太宰治「葉」(朗読)

163太宰治「葉」(朗読)

断片集です。わけわかめ。

今回も寝落ちしてくれたら幸いです


Spotify、Appleポッドキャスト、Amazonミュージックからもお聞きいただけます。フォローしてね


--------------

お気に召しましたらどうかおひねりを。

https://note.com/naotaro_neochi/membership/join


--------------

リクエスト・お便りはこちら

https://forms.gle/EtYeqaKrbeVbem3v7


サマリー

このエピソードでは、太宰治の作品「葉」が朗読され、テーマや登場人物の心情が描かれています。特に、主人公の死への渇望や混沌とした感情が中心となり、夢と現実が交錯する不思議な体験が語られます。太宰治の「葉」は、等身大の人間の心情を描き出し、孤独や死といったテーマを扱っています。主人公の葵は、自己の存在意義や社会への疑問を抱きながら葛藤する姿が描かれています。また、男女の心情や葛藤も描かれ、特にサフォとファオンの複雑な関係が物語の中心となり、存在の意味を問いかけています。

物語の導入と主人公の心情
寝落ちの本ポッドキャスト。こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想お依頼は、公式エックスまでどうぞ。 寝落ちの本で検索してください。
また別途投稿フォームもご用意しました。 リクエストなどをお寄せください。
それから番組のフォローもどうぞよろしくお願いします。 それから、おお、頑張ってんじゃねえかと思っていただけた
粋な兄さん方、姉さん方。 メンバーシップというののお日にりを投げていただけたら幸いです。
概要欄にリンクを貼っておきます。 さて、今日は
ラザーイオサムさんの歯。 葉っぱの歯ですね。
です。 どんな内容なんでしょうか。
ああ、もう序盤に死のうと思っていたって書いてありますね。
死にたがりめえ。 しかも女の人を道連れにしようとするからな。悪魔的ですよね、この人ね。
文字数は 1万700文字
30分 ちょろちょろという感じでしょうか。
はい。 早速やっていきましょうかね。
どうか寝落ちまでお付き合いください。 それでは参ります。
歯 選ばれてあることの高骨と不安と2つ我にあり
ベルレーヌ 死のうと思っていた
今年の正月、よそこら着物を一旦もらった。 お年玉としてである。
着物の生地は朝であった。 ネズミ色の細かいシマメが織り込められていた。
これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。
野良もまた考えた。 廊下へ出て後ろの扉をバタンと閉めたときに考えた。
帰ろうかしら。 私が悪いことをしないで帰ったら妻は笑顔を持って迎えた。
その日その日を引きずられて暮らしているだけであった。 下宿屋でたった一人して酒を飲み、一人でいよい。
そしてこそこそ布団をのべて寝る夜はことにつらかった。 夢をさえ見なかった。
疲れ切っていた。 何をするにも物浮かった。
組取り便所はいかに改善すべきかという書物を買ってきて本気に研究したこともあった。
彼はその当時従来の塵粉の処置にはかなり参っていた。 新宿の歩道の上で拳ほどの石ころがのろのろ張って歩いているのを見たのだ。
石が張って歩いているな、ただそう思っていた。
しかしその石ころは彼の前を歩いている薄汚い子供が糸で結んで引きずっているのだということがすぐにわかった。
子供に欺かれたのが寂しいのではない。 そんな天変地異をも平気で受け入れた彼自身のやけが寂しかったのだ。
そんなら自分は一生涯こんな憂鬱と戦い、 そして死んでゆくということになるんだなと思えば、
おのがみがいじらしくもあった。 青い稲田が一時にぽっと霞んだ。
泣いたのだ。彼はうろたえ出した。 こんな安価な純情的な事柄に涙を流したのが少し恥ずかしかったのだ。
電車から降りるとき兄は笑おうた。
馬鹿にしょけてるな。おい、元気を出せよ。 そうして龍の小さな肩をセンスでポンと叩いた。
夕闇の中でそのセンスが恐ろしいほど白っぽかった。 龍は頬のあからむほど嬉しくなった。
兄に肩を叩いてもらったのがありがたかったのだ。 いつもせめてこれぐらいにでも打ち解けてくれるといいがと儚くも願うのだった。
尋ねる人は不在であった。 兄はこう言った。
小説を下らないとは思わん。俺にはただ少しまだるっこいだけである。 たった一行の真実を言いたいばかりに百ページの雰囲気をこしらえている。
私は言いにくそうに考え考えしながら答えた。 本当に言葉は短いほどよい。それだけで信じさせることができるならば。
また兄は自殺を意気なものとして嫌った。 けれども私は自殺を処生術みたいなダサン的なものとして考えていた矢先であったから兄のこの言葉を意外に感じた。
白状したまえ。
え?誰のおまねなの? 水至りて虚なる。
彼は19歳の冬、あわれがという短編を書いた。 それはよい作品であった。
同時にそれは彼の生涯の混沌を解く大事な鍵となった。 形式にはひなの影響が認められた。
けれども心は彼のものであった。 原文のまま。
おかしな幽霊を見たことがございます。 あれは私が小学校に上がって間もなくのことでございますから、どうせ幻灯のようにとろんと霞んでいるに違いございません。
いいえ、でもその青ヶ谷に映した幻灯のようなぼやけた思い出が奇妙にも私には年一年といよいよはっきりして参るような気がするのでございます。
何でも姉さまがおむこをとって、 あ、ちょうどその晩のことでございます。
ご祝賢の晩のことでございました。 芸者衆がたくさん私の家に来ておりまして、
一人のお綺麗な伴玉さんに紋月のほころびを縫ってもらったりしましたのを覚えておりますし、 父様が離れの真っ暗な廊下で背の高い芸者衆とお相撲をお取りになっていらっしゃったのもあの晩のことでございました。
父様はその翌年にお亡くなりになられ、 今では私の家の客間の壁の大きなお写真の中にお入りになっておられるのでございますが、
私はこのお写真を見るたびごとにあの晩のお相撲のことを必ず思い出すのでございます。 私の父様は弱い人をいじめるようなことは決してなさらないお方でございましたから、
あのお相撲もきっと芸者衆が何かひどくいけないことをしたので、 父様はそれをおこらしめになっていらっしゃったのでございましょう。
それやこれやと思い合わせてみますと、確かにあれはご祝言の番に違いございません。 本当に申し訳がございませんけれど、何もかもまるで青ヶ谷の幻灯のような、
そのような有様でございますから、 どうでご満足のいかれますようお話ができかねるのでございます。
てもなく夢物語、いえ、でも、あの晩にあわりがの話を聞かせてくださった時の婆様のお目目と、それから幽霊とだけは、あれだけはどなたが何とおっしゃったとて決して決して夢ではございません。
夢だなぞと愚かなこと、もうこれこんなにまざまざ目先に浮かんでまいったではございませんか。 あの婆様のお目目とそれから。
左様でございます。 私の婆様ほど美しい婆様もそんなにあるものではございません。
昨年の夏、お亡くなりになられましたけれど、そのお死に顔といったらすごいほど美しいとは、あれでございましょう。
白狼の御両頬には、あの夏子たちの影もうつらんばかりでございました。 そんなに美しくていらっしゃるのに縁堂をくて、
一生金をお付けせずにお暮らしなさったのでございます。 私という万年白馬を餌にして、この百万の身の白ができたのじゃぞえ。
富本でこなれた渋い声で、御生前よくこう言い言いしておられましたから、 いずれこれには面白い因縁でもあるのでございましょう。
どんな因縁なのだろうなどとは野暮なお探りは及しなさいませ。 婆様がお泣きなさるでございましょう。
と申しますのは、私の婆様はそれはそれは粋なお方で、 ついに一度も塵面の縫い物のお刃掘りをお話になったことがございませんでした。
お師匠をお部屋へお呼びなされて、富本のお稽古をお始めになられたのも、 よほど昔からのことでございましたでしょう。
私なども物心地がついてからは日がな一日、婆様の追松やら浅間やらのむせび泣くような哀愁の中に うっとりしている時がままございましたほどで、
世間様から陰虚芸者とはやされ、婆様御自身もそれをお耳にしては美しくお笑いになっておられたようでございました。
いかなることか、私は幼い時からこの婆様が大好きで、 ウバから離れるとすぐ婆様のオフところに飛び込んでしまったのでございます。
もっとも私の母様はご両親でございましたゆえ、 子供にはあまりかもうてくれなかったのでございます。
父様も母様も婆様の本当のお子ではございませんから、 婆様はあまり母様の方へお遊びに参りませず、
収録時中離れのお部屋にばかりいらっしゃいますので、 私も婆様のお側にくっついて、3日も4日も母様のお顔を見ないことは珍しゅうございませんでした。
それゆえ婆様も私のお姉様なぞよりずっと私の方を可愛がってくださいまして、 毎晩のように草造書を読んで聞かせてくださったのでございます。
中にもあれあの八百八十七の物語を聞いたときの感激は、 私は今でもしみじみ味わうことができるのでございます。
そしてまた婆様がお戯れに私を キチザキチザとお呼びになってくださった折のその嬉しさ、
ランプの黄色い灯火の下でしょんぼり草造書をお読みになっていらっしゃる婆様の美しいお姿、 作用、私はことごとくよく覚えているのでございます。
とりわけあの晩のあわれがのお寝物語は不思議と私には忘れることができないのでございます。
そういえばあれは確かに秋でございました。 秋まで生き残されている顔、あわれがというんじゃ。
貝節は高ぬもの不憫のゆえにな。 ああ一言一句そのまんま私は記憶しております。
婆様は寝ながらめいるような口調でそう語られ、 そうそう婆様は私を抱いてお寝になられるときには決まって私の両足を婆様のお足の間に挟んで温めてくださったものでございます。
ある寒い晩なぞ婆様は私の寝巻きをみんなおはぎ取りになっておしまいになり、 婆様ご自身も輝くほど綺麗なお素肌を剥き出しくださって私を抱いてお寝になり、
お温めなされてくれたこともございました。 それほど婆様は私を大切にしていらっしゃったのでございます。
何のあわれがはわしじゃがな。
はかない。 おっしゃりながら私の顔をつくづくと見守りましたけれど、あんなにお美しいお目目もないものでございます。
おもやのご祝賢の騒ぎももうひっそり静かになっていたようでございましたし、 何でも真夜中近くでございましたでしょう。
秋風はさらさらと雨戸を撫でて、軒の風鈴がその度ごとに弱々しくなっておりましたのも、 かすかに思い出すことができるのでございます。
幽霊を見たのはその夜のことでございます。 ふっと目を覚ましまして、おしっこと私は申したのでございます。
婆様のお返事がございませんでしたので、 寝ぼけながらあたりを見回しましたけれど、婆様はいらっしゃらなかったのでございます。
心細く感じながらも、ひとりでそっと床から抜け出しまして、 てらてら黒光りのする欅風針の長い廊下を、こわこわお河谷の方へ足の裏だけは嫌に冷え冷えしておりましたけれど、
何さま眠くってまるで深い霧の中をゆらりゆらり泳いでいるような気持ち、 その時です。
幽霊を見たのでございます。 長い長い廊下の片隅に白くしょんぼりうずくまって、
かなり遠くから見たのでございますから、フィルムのように小さくけれども確かに確かに、 姉さまと今晩のおむこさまとがお寝になっておられるお部屋を覗いているのでございます。
幽霊? いいえ、夢ではございません。
物語の核心と結末
芸術の美は所詮市民への奉仕の美である。 花きちがいの大工がいる。
邪魔だ。 それから町子は目を伏せてこんなことをささやいた。
あの花の名を知っている? 指を触れればパチンと割れて汚い汁をはじき出し、みるみる指を腐らせる。
あの花の名がわかったらね。 僕はせすら笑い、ズボンのポケットへ両手を突っ込んだから答えた。
こんな木の名を知ってる? その葉は散るまで青いんだ。葉の裏だけがじりじり枯れて虫に食われているんだが、それをこっそり隠しておいて散るまで青いふりをする。
あの木の名さえわかったらね。 死ぬ?
死ぬのか、君は。 本当に死ぬかもしれないと小林は思った。
去年の秋だったかしら。何でも葵の家に古作葬儀が起こったりして、いろいろのゴタゴタが葵の一身上に降りかかったらしいけれど、
その時も彼は薬肥の自殺を企て、三日も昆衰ししつけたことさえあったのだ。
またつい千だっても、僕がこんなに砲塔をやめないのも、つまりは僕の体がまだ砲塔に耐えうるからであろう。
虚勢されたような男にでもなれば、僕は初めて一切の感覚的快楽を避けて闘争への財政的扶助に先進できるのだ、と考えて三日ばかり続けて
P氏の病院に通い、その伝染病者のそばの土分の水をすくって飲んだものだそうだ。
けれどもちょっと下痢をしただけで失敗さ、とそのことを後で葵が頬をあからめて話すのを聞き、小早川はそのインテリ臭い遊戯をこの上なく不愉快に感じたが、
しかしそれほどまでに思い詰めた葵の心が、なかなからず彼の胸を打ったのも事実であった。
死ねば一番いいんだ。いや、僕だけじゃない。少なくとも社会の進歩にマイナスの畑を成している奴らは全部死ねばいいんだ。
それとも君、マイナスなものでも何でも人は全て死んではならんという科学的な何か理由があるのかね。
ば、ばかな。大やかには葵の言うことが急に馬鹿らしくなってきた。
死と人生の問い
笑ってはいけない。だって君そうじゃないか。祖先を祀るために生きていなければならないとか、人類の文化を完成させなければならないとか、
そんな大変な倫理的な義務としてしか僕たちは今まで教えられていないのだ。
何の科学的な説明も与えられていないのだ。
そんなら僕たちマイナスの人間はみんな死んだ方がいいんだ。死ぬとゼロだよ。
馬鹿。何を言ってやがる。土台君、虫が良すぎるぞ。
そりゃ、なるほど。君も僕も全然生産に預かっていない人間だ。それだからとて決してマイナスの生活はしていないと思うんだ。
君は一体無産階級の解放を望んでいるのか?無産階級の大小量を信じているのか?
程度の差はあるけれども僕たちはブルジョア人に寄生している。
それは確かだ。だがそれはブルジョア人を支持しているのとは全然意味が違うんだ。
1のプロレタリアートの貢献と9のブルジョア人の貢献と君は言ったが、何を指してブルジョア人の貢献と言うんだろう。
わざわざ資本家の懐を肥やしやる点では僕たちだってプロレタリアートだって同じことなんだ。
資本主義的経済社会に住んでいることが裏切りなら、投資にはどんな先人がなるのだ?
そんな言葉こそウルトラというものだ。キンデル・クランク・ハイトというものだ。
1のプロレタリアートの貢献。それでたくさん。その1が尊いんだ。
その1だけのために僕たちは頑張って生きていかなければならないんだ。
そしてそれが立派にプラスの生活だ。死ぬなんてバカだ。死ぬなんてバカだ。
生まれて初めて30の教科書を手にした。小型の真っ黒い表紙。
ああ、中の数字の羅列がどんなに美しく目に染みたことか。
少年はしばらくそれをいじくっていたが、やがて刊末のページにすべての回答が記されてあるのを発見した。
少年は眉をひそめてつぶやいたのである。
無礼だな。外はみぞれ。何を笑うやレニン像。
おばの言う。
お前は気量が悪いから愛嬌だけでも良くなさい。
お前は体が弱いから心だけでも良くなさい。
お前は嘘がうまいからおこないだけでも良くなさい。
知っていながらその告白を強いる。
なんという陰厳な刑罰であろう。
満月の宵、光っては崩れ、うねっては崩れ。
逆巻、のた打つ波の中で互いに離れないと繋いだ手を、
苦し紛れに俺がわざと振り切ったとき、
女はたちまち波にのまれて高く名を呼んだ。
俺の名ではなかった。
我は山賊。
うぬがはかまをかすめとらん。
よもやそんなことはあるまい。
あるまいけれど、な、
わしの銅像を立てるとき、右の足を半歩だけ前へ出し、
よったりと反り身にして、左の手はチョッキの中へ。
右の手はかき孫児の原稿を握りつぶし、そして首をつけぬこと。
いやいや、なんの意味もない。
雀の糞を花の頭に浴びるなどわしは嫌なんだ。
そして大石にはこう刻んでおくれ。
ここに男がいる。
生まれて死んだ。
一生かき孫児の原稿を破ることに使った。
メフィストフェレスは雪のように降りしきる薔薇の花弁に胸を、
頬を、手のひらを焼きこぼれて王女をしたと書かれてある。
隆地城で五六日を過ごして、ある日の真昼、
俺はその隆地城の窓からすのびして外をのぞくと、
中庭は小春の日差しをいっぱいに受けて、
窓近くの三本の梨の木はいずれもほつほつと花を開き、
その下で巡査が二三十人して協練をやらされていた。
若い巡査部長の号令に従って皆は一斉に腰から鳥縄を出したり、
呼び笛を吹き鳴らしたりするのであった。
俺はその風景を眺め、巡査一人一人の家について考えた。
私たちは山の温泉場であてのない祝言をした。
母は始終くつくつと笑っていた。
宿の女中の髪の形が奇妙であるから笑うのだと母は弁明した。
嬉しかったのであろう。
無学の母は私たちをロバタに呼び寄せ教訓した。
お前は十六魂だからと言いかけて自信を失ったのであろう。
もっと無学の花嫁の顔をのぞき、
NO!そうでせんか?と同意を求めた。
母の言葉は当たっていたのに。
妻の教育に丸三年を費やした。
教育なった頃より彼は死のうと思い始めた。
病む妻や、滞る雲、鬼すすき。
あけあけ煙か。
もくらもくらと蛇体みたいに天差の大人ばっての。
ふくれたゆららと流れたあの空と大波打った。
春の訪れ
ぐるっぐるっと渦めいた間もなくし、
火の手はのどのどと明けなくなり、
地響き立て立て山登り始めたぞ。
山あてっぺらまでまんどろく明るくなったぞ。
堂々と燃え上がる千本万本の冬子たちばぬい、
人の舌真っ黒い馬か風みたいに馳せていたぞ。
たった一言知らせてくれ。
ネバーモン。
空の青く晴れた日ならば猫はどこからかやってきて、
庭のサザンカの下で居眠りをしている。
洋画を描いている友人はペルシャでないかと私に聞いた。
私は捨て猫だろうと答えておいた。
猫は誰にもなつかなかった。
ある日私が朝食のイワシを焼いていたら、
庭の猫が物憂げに鳴いた。
私も縁側へ出てニャーと言った。
猫は起き上がり静かに私の方へ歩いてきた。
私はイワシを一尾投げてやった。
猫は逃げ腰を使いながらも食べたのだ。
私の胸は波打った。
我が恋は入れられたり。
猫の白い毛を撫でたく思いに山へ降りた。
背中の毛に触れるや猫は私の小指の腹を骨までかりりと噛み裂いた。
役者になりたい。
昔の日本橋は長さが三十七件四尺五寸あったのであるが、
今は二十七件しかない。
それだけ川幅が狭くなったものと思わねばいけない。
このように昔は川と言わず人間と言わず今よりはるかに大きかったのである。
この橋は大昔の慶長七年に初めて架けられて、
その後十度ばかり作り変えられ、
今のは明治四十四年に落成したものである。
大正十二年の震災の時は橋の欄下に飾られてある聖堂の竜の翼が
炎に包まれて真っ赤に焼けた。
私の幼児に愛した木藩の東海道五十三継道中菅六ではここが振り出しになっていて、
幾人もの役子のそれぞれ長い槍を持ってこの橋の上を歩いている絵がのどかに描かれてあった。
もとはこんな具合に繁華であったのだろうが、今は大変寂れてしまった。
魚菓子が築地へ移ってからは一層名前も捨たれて、
現在は大抵の東京名所絵はがきから取り除かれている。
今年、十二月下旬のある霧の深い夜にこの橋のたもとで
偉人の女の子がたくさんの古事記の群れから一人離れてただずんでいた。
花を売っていたのはこの女の子である。
三日ほど前から黄昏時になると一束の花を持ってここへ電車でやってきて、
東京市の丸い紋章にじゃれついている聖堂の唐寿司の下で
三、四時間ぐらい黙って立っているのである。
日本の人は落ちぶれた偉人を見ると、きっと白系のロシア人と決めてしまう憎い習性を持っている。
今、この農務の中で手袋の破れを気にしながら花束を持って立っている小さい子供を見ても、
大方の日本の人は、「ああ、ロシアがいる。」と楽な気持ちで呟くに違いない。
しかも、チェイホフの読んだことのある青年ならば、
父は退職の陸軍二頭大尉、母は傲慢な貴族、とうっとりと独断しながら少し頬を緩めるであろう。
また、ドストエフスキーを覗き始めた学生ならば、「おや、ネルリ。」と声を出して叫んで、
慌てて街頭の襟をかきたてるかもしれない。
けれどもそれだけのことであって、その上、女の子についての深い探索をしてみようとは思わない。
しかし、誰か一人が考える。
なぜ日本橋を選ぶのか。
こんな一通りの少ないほのぐらい橋の上で花を売ろうなどというのは良くないことなのになぜ?
その不審人は簡単ではあるが、すこぶるロマンチックな回答を与えるのである。
それは彼女の親たちの日本橋に対する厳栄に由来している。
日本で一番賑やかな良い橋は日本橋に違いないという彼らの穏やかな判断にほかならん。
女の子の日本橋での飽きないは非常に少なかった。
第一日目には赤い花が一本売れた。
お客は踊り子である。
踊り子はゆるく開きかけている赤いつぼみを選んだ。
咲くだろうね。
と乱暴な聞き方をした。
女の子ははっきり答えた。
咲きます。
二日目には酔いどれの若い紳士が一本買った。
このお客は酔っていながら憂い顔をしていた。
どれでもいい。
女の子は昨日の売れ残りのその花束から白いつぼみを選んでやったのである。
紳士は盗むようにこっそり受け取った。
飽きないはそれだけであった。
三日目はすなわち今日である。
冷たい霧の中に長いこと立ち続けていたが誰も振り向いてくれなかった。
橋の向こう側にいる男の子敷が松葉杖つきながら電車道を越えてこっちへ来た。
女の子に縄張りのことで言いがかりをつけたのだった。
女の子は三度もお辞儀をした。
松葉杖の子敷は真っ黒い口ひげをかみしめながら思案したのである。
今日霧だぞ。
と低く言ってまた霧の中へ吸い込まれていった。
女の子はまもなく帰り自宅を始めた。
花束をゆすぶってみた。
花屋からくず花を払い下げてもらってこうして売りに出てからもう三日もたっているのであるから花はいいかげんにしおれていた。
重そうにうなだれた花がゆすぶられるたびごとにみんな頭を震わせた。
それをそっと小脇にかかえ近くのしのそぼの屋台へ寒そうに肩をすぼめながら入っていった。
未晩続けてここでワンタンを食べるのである。
そこの主は品の人であって女の子を一人並みの客として取り扱った。
彼女にはそれがうれしかったのである。
主はワンタンの皮をまきながら尋ねた。
売れましたか。
目をまるくして答えた。
いいえ帰ります。
男女の心情の描写
この言葉が主の胸を打った。
帰国するんだきっとそうだと美しくはげた頭を二三度軽く振った。
自分の故郷を思いつつ窯からワンタンの実をすくっていた。
これ違います。
主から受け取ったワンタンの黄色い箸を除いて女の子が遠惑そうに呟いた。
構いません。チャーシューワンタン。私のご馳走です。
主は固くなっていった。
ワンタンは実践であるがチャーシューワンタンは二次戦なのである。
女の子はしばらくもじもじしていたがやがてワンタンの小鉢を下へ置き、
肘の中の花束から大きいつぼみのついた草花を一本引き抜いて差し出した。
くれてやるというのである。
彼女がその屋台を出て電車の停留場へ行く途中、
しなびかかった悪い花を三人の人に手渡したことをちくちく後悔し出した。
突然道端にしゃがみ込んだ。
胸に十字を切ってわけのわからぬ言葉でもって激しいお祈りを始めたのである。
葛藤と存在の意味
おしまいに日本語を二言ささやいた。
咲くように咲くように。
安楽な暮らしをしているときは絶望の詩を作り、
ひしがれた暮らしをしているときは生の喜びを書きつづる。
春、近き夜。
どうせ死ぬんだ。
眠るような良いロマンスを一遍だけ書いてみたい。
男がそう祈願し始めたのは、
彼の生涯のうちでおそらくが一番鬱陶しい時期においてであった。
男はあれこれと思いをめぐらし、
ついにギリシャ人の女詩人サフォに黄金の矢を放った。
あわれ、そのかぐわしき彩色を今に語り継がれているサフォこそ、
この男のもやもやした胸をときめかす唯一の女性であったのである。
男はサフォについての一、二冊の書物を開き、
次のような事柄を知らされた。
けれどもサフォは美人でなかった。
色が黒く歯が出ていた。
ファオンと呼ぶ美しい青年に死ぬほど惚れた。
ファオンには詩がわからなかった。
恋のみなげをするならばよし死にきれずとも、
その焦がれた胸の想いが消え失せるという迷信を信じ、
リュウカディアの岬から怒涛めがけて身を踊らせた。
生活
良い仕事をした後で一杯のお茶をすする。
お茶のあぶくにきれいな私の顔がいくつもいくつも映っているのさ。
どうにかなる。
1947年発行。
新調写。
新調文庫。
晩年。
より独りを読み終わりです。
ということでした。
うまく眠くなったんじゃないですか。
短い文章であっち行ったりこっち行ったりするから、
もうわけがないですね。
眠くなったと思いますね。
良い睡眠導入文だったんじゃないでしょうか。
読み上げている僕はもう退屈で仕方なかったですけど、
こいつはずっと何を言っているんだろうと思っていました。
よし。
ちょっと前まで立て続けに怖い話、
怖めな話を読んでいたんですけど、
そしたらアクセスが伸びていたので、
みんな怖い話が好きなんだなという感想を抱いて、
猫が鳴いている。
そんなこともありまして、
少し怖い話を増やすかもしれませんね。
今日のはわけわかんなかったですね。
ハズレ回かもしれません。
はいはい。
トイレ掃除するから後で。ちょっと待ってて。
自分でトイレしといて。
トイレが汚いぞって怒っていますね。
この野郎。
よし。終わりにするか。
無事寝落ちできた方も、最後までお付き合いいただいた方も、
大変にお疲れ様でした。
といったところで、今日のところはこの辺で。
また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。
32:40

コメント

スクロール