父からの手紙
小さき者へ
有嶋武夫
お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ちあがった時、
その時までお前たちのパパは生きているかいないか、それはわからないことだが、
父の書き残したものを繰り広げてみる機会があるだろうと思う。
その時、この小さな書物もお前たちの目の前に現れ出るだろう。
時はどんどん移っていく。
お前たちの父なる私が、その時お前たちにどう移るか、それは想像もできないことだ。
おそらく、私が今ここで過ぎ去ろうとする時代を笑いあわれんでいるように、
お前たちも私の古臭い心持ちを笑いあわれむのかもしれない。
私はお前たちのためにそうあらんことを祈っている。
お前たちは遠慮なく私を踏み台にして、高い遠いところに私を乗り越えて進まなければ間違っているのだ。
しかしながら、お前たちをどんなに深く愛した者がこの世にいるか、あるいはいたかという事実は、
永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。
お前たちがこの書物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを笑う間にも、
私たちの愛はお前たちを温め、慰め、励まし、
人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかないと私は思っている。
だからこの書物を私はお前たちに当てて書く。
お前たちは去年一人の、たった一人のママを永久に失ってしまった。
お前たちは生まれると間もなく生命に一番大事な養分を奪われてしまったのだ。
お前たちの人生はそこですでに暗い。
出産の苦しみ
この間ある雑誌社が、私の母という小さな感想を書けと言ってきた時、
私は何の気もなく、自分の幸福は母がはじめから一人で今も生きていることだと書いてのけた。
そして私の万年筆がそれを書き終えるか終えないに、私はお前たちのことをすぐ思った。
私の心は悪事でも働いたようにいたかった。
しかも事実は事実だ。私はその点で幸福だった。
お前たちは不幸だ。
回復の道なく不幸だ。
不幸な者たちよ。
明け方の三時からゆるい陣痛が起こり出して不安が家中に広がったのは、今から思うと七年前のことだ。
それは吹雪も吹雪、北海道ですら滅多にはないひどい吹雪の日だった。
市街を離れた川沿いの一つ屋は消し飛ぶほど揺れ動いて、
窓ガラスに吹きつけられた粉雪は皿ぬらに綿雲に閉じられた日の光を二重に遮って、夜の暗さがいつまでも部屋からどかなかった。
電灯の消えた薄暗い中で白いものに包まれたお前たちの母上は夢心地にうめき苦しんだ。
私は一人の学生と一人の女中とに手伝われながら火を起したり湯を沸かしたり使いを走らせたりした。
サンバが雪で真っ白になって転げ込んで来た時は家中のものが思わずほっと息をついて安堵したが、
昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないでサンバや看護婦の顔に私だけに見える気遣いの色が見えだすと私は全く慌ててしまっていた。
書斎に閉じこもって結果を待っていられなくなった。
私は産室に降りて行ってサンプの両手をしっかり握る役目をした。
腎痛が起る度ごとにサンバは叱るようにサンプを励まして一分も早く産を終わらせようとした。
しかししばらくの苦痛の後にサンプはすぐまた深い眠りに落ちてしまった。
いびきさえかいてやすやすと何事も忘れたように見えた。
サンバもあとから駆けつけてくれた医者も顔を見合して吐息をつくばかりだった。
医者は昏睡が来る度ごとに何か非常の手段を用いようかと暗じているらしかった。
昼過ぎになると湖外の吹雪はだんだん静まっていって濃い雪雲から漏れる薄火の光が窓にたまった雪にきてそっと戯れるまでになった。
しかし山室の中の人々にはますます重い不安の雲が追いかぶさった。
医師は医師でサンバはサンバで私は私でめいめいの不安にとらわれてしまった。
その中でなんらの気概をも完全ならしく見えるのは一番恐ろしい運命の淵に臨んでいるサンプと胎児だけだった。
二つの命は根根として死の方へ眠って行った。
ちょうど三時ともわしい時に三桂がついてから十二時間目に
夕を模様す光の中で最後ともわしい激しい陣痛が起った。
肉の目で恐ろしい夢でも見るようにサンプはかっとまぶたを開いてあてどもなく一ところを睨みながら苦しげというより恐ろしげに顔をゆがめた。
そして私の状態を自分の胸の上に託しこんで背中をはがえに抱きすくめた。
もし私がサンプと同じ程度に生きんでいなかったらサンプの腕は私の腕を押しつぶすだろうと思うほどだった。
そこにいる人々の心は思わず育ちになった。
医師とサンバは場所を忘れたように大きな声でサンプを励ました。
ふとサンプの握力がゆるんだのを感じて私は顔を上げてみた。
サンバの膝もとには血の気のない英字が仰向けに横たえられていた。
サンバはマリでもつくようにその胸を激しく叩きながら武道手武道手と言っていた。
看護婦がそれを持ってきた。
サンバは顔と言葉とでその酒をたらいの中にあけろと命じた。
激しい抱憤と同時にたらいの湯は血のような色に変った。
英字はその中に浸された。
しばらくしてかすかな産声が息もつけない緊張の沈黙を破って細く響いた。
大きな天と地との間に一人の母と一人の子とがその刹那に骨女として現れ入れたのだ。
その時新たな母は私を見て弱々しく微笑んだ。
私はそれを見るとなんということなしに涙が目頭ににじみ出てきた。
それを私はお前たちになんといって言い表すべきかを知らない。
私の命全体が涙を私の目から絞り出したとでもいえばいいのかしらん。
その時から生活の初層がすべて目の前で変わってしまった。
お前たちのうち最初にこの世の光を見た者はこのようにして世の光を見た。
二番目も三番目も生れように難易の差こそあれ父と母に与えた不思議な印象に変わりはない。
こうして若い夫婦は次々にお前たち三人の親となった。
私はその頃心の中にいろいろな問題を有り余るほど持っていた。
家族の絆と喪失
そして終始悪跡しながら何一つ自分を満足に近づけるような仕事をしていなかった。
何事も一人でかみしめてみる私の性質として上辺には住人並みな生活を生活していながら
私の心はややもすると突き上げてくる不安にイライラさせられた。
ある時私は結婚を悔いた。ある時はお前たちの誕生を憎んだ。
なぜ自分の生活の旗色をもっと鮮明にしない中に結婚謎をしたのか。
妻のあるために後ろに引きずって行かれねばならぬ重みのいくつかをなぜ好んで腰につけたのか。
なぜ二人の肉欲の結果を天からの賜物のように思わねばならぬのか。
家庭の婚留に費やす労力と勢力等を自分は他に用うべきではなかったのか。
私は自分の心の乱れからお前たちの母上をしばしば泣かせたり寂しがらせたりした。
またお前たちを模擬道に取り扱った。
お前たちが少ししゅうねく泣いたりいがんだりする声を聞くと
私は何か残虐なことをしないではいられなかった。
現行死にでも向かっていた時にお前たちの母上が小さな家事上の相談を持ってきたり
お前たちが泣き騒いだりしたりすると私は思わず机を叩いて立ち上がったりした。
そして後ではたまらない寂しさに襲われるのを知り抜いていながら
激しい言葉を使ったり厳しい接管をお前たちに加えたりした。
しかし運命が私のわがままと無理解とを罰する時がきた。
どうしてもお前たちを子守りに任せておけないで
毎晩お前たち三人を自分の枕元や左右に伏せらして
夜通し一人を寝かしつけたり一人に牛乳を温めてあでがったり
一人に醤油をさせたりしてろくろく熟睡する暇もなく
愛の限りを尽くしたお前たちの母上が
四十一度という恐ろしい熱を出してどっと床についた時の驚きもさることではあるが
診察に来てくれた二人の医師が口を揃えて
血格の兆候があるといった時には
私はただ訳もなく青くなってしまった。
検探の結果は医師たちの鑑定を裏書きしてしまった。
そして四つと三つと二つとになるお前たちを残して
十月末の寂しい秋の日に母上は入院せねばならぬ体となってしまった。
私は日中の仕事を終えると飛んで家に帰った。
そしてお前たちの一人か二人を連れて病院に急いだ。
私がその町に住まい始めた頃働いていた国名な門徒の婆さんが病室の世話をしていた。
その婆さんはお前たちの姿を見ると隠し隠し涙をふいた。
お前たちは母上を寝台の上に見つけると飛んで行ってかじりつこうとした。
血格症であるのをまだ明かされていないお前たちの母上は宝を抱きかかえるようにお前たちをその胸に集めようとした。
私はいい加減にあしらってお前たちを寝台に近づけないようにしなければならなかった。
忠義をしようとしながら周囲の人から極端な誤解を受けて
それを弁解してならない事情に置かれた人の味わいそうな心持ちを幾度も味わった。
それでも私はもう怒る勇気はなかった。
引き離すようにしてお前たちを母上から遠ざけて木路に着く時には
たいてい街灯の光が淡く道路を照らしていた。
玄関を入ると雇い人だけが留守をしていた。
彼らは二三人もいるくせに残しておいた赤ん坊のお氏名を変えようともしなかった。
気持ち悪げに泣き叫ぶ赤ん坊の股の下はよくぐしょ濡れになっていた。
お前たちは不思議に三人になつかない子供たちだった。
ようよお前たちを寝かしつけてから私はそっと書斎に入って調べ物をした。
体は疲れて頭は興奮していた。
仕事を済まして寝つこうとする十一時前後になると神経の過敏になったお前たちは
夢などを見て怯えながら目を覚ますのだった。
明け方になるとお前たちの一人は父を求めて泣き出した。
それに起こされると私の目はもう朝まで閉じなかった。
朝飯を食うと私は赤い目をしながら固い芯のようなもののできた頭を抱えて
仕事をするところに出かけた。
北国には冬がみるみる迫ってきた。
ある時病院を訪れるとお前たちの母上は寝台の上に置きかえって窓の外を眺めていたが
私の顔を見ると早く退院がしたいと言い出した。
窓の外の楓があんなになったのを見ると心細いというのだ。
なるほど入院したてには燃えるように枝を飾っていたその葉が一枚も残らず散りつくして
花壇の菊も霜に痛められてしおれる時でもないのにしおれていた。
私はこの寂しさを毎日見せておくだけでもいけないと思った。
しかし母上の本当の心持ちはそんなところにはなくって
お前たちから一刻も離れてはいられなくなっていたのだ。
今日はいよいよ退院するという日は荒れの降る寒い風のびゅうびゅう吹く悪い日だったから
私は思いとどまらせようとして仕事を済ますとすぐ病院に行ってみた。
しかし病室は空っぽで例の婆さんがもらったものやら座布団やら茶器やらを部屋の隅でごそごそと始末していた。
急いで家に帰ってみるとお前たちはもう母上の周りに集まってうれしそうに騒いでいた。
私はそれを見ると涙がこぼれた。
知らない間に私たちは離れられないものになってしまっていたのだ。
五人の親子はどんどん押し寄せてくる寒さの前に小さく固まって身を守ろうとする雑草の株のように
互いに寄り添って暖かみを分かち合おうとしていたのだ。
しかし北国の寒さは私たち五人の暖かみでは間に合わないほど寒かった。
私は一人の病人と癌ぜないお前たちといたわりながら旅館のように南を指して逃れなければならなくなった。
それは初雪のどんどん降りしきる夜のことだった。
お前たち三人を産んで育ててくれた土地を後にして旅に上ったのは。
忘れることのできないいくつかの顔は暗い停車場のプラットフォームから私たちに名残を惜しんだ。
陰鬱なつがる海峡の海の色も後ろになった。
東京までついて来てくれた一人の学生はお前たちの中の一番小さいものを母のように終夜抱き通してくれていた。
そんなことをかけば限りがない。
母親との別れ
ともかく私たちは幸いにけがもなく二日の物多い旅のあとに晩週の東京に着いた。
今までいたところと違って東京にはたくさんの親類や兄弟がいて私たちのために深い同情を寄せてくれた。
それは私にどれほどの力だったろう。
お前たちの母上はほどなく渓海岸にささやかな貸し別荘を借りて住むことになり、
私たちは近所の旅館に宿をとってそこから見舞いに通った。
一時は病性が非常に衰えたように見えた。
お前たちと母上と私とは海岸の砂丘に居て日向ぼっこをして楽しく二三時間を過ごすまでになった。
どういうつもりで運命がそんな証拠を私たちに与えたのかそれはわからない。
しかし彼はどんなことがあってもひとくべきことをしとげずには置かなかった。
年が暮れに迫った頃お前たちの母上はかりそめの風からぐんぐん悪い方へ向いて行った。
そしてお前たちの中のひとりも突然原因のわからない高熱に犯された。
その病気のことを私は母上に知らせるのに忍びなかった。
病時は病時で私をしばらくも話そうとはしなかった。
お前たちの母上からは私の無沙汰を責めてきた。
私はついに倒れた。
病時と枕を並べて今まで経験したことのない高熱のためにうめき苦しまではならなかった。
私の仕事?
私の仕事は私から千里も遠くに離れてしまった。
それでも私はもう私を悔やもうとはしなかった。
お前たちのために最後まで戦おうとする熱意が病熱よりも高く私の胸の中で燃えているのみだった。
正月早々悲劇の絶頂が到来した。
お前たちの母上は自分の病気の真相を明かされねばならぬ羽目になった。
家族の苦悩
その難しい役目を務めてくれた医師が帰って後の
お前たちの母上の顔を見た私の記憶は一生涯私を借り立てるだろう。
真っ青なすがすがしい顔をして枕についたまま母上は冷たい覚悟を微笑に表して静かに私を見た。
そこには死に対するリザインネーションとともに
お前たちに対する根強い執着がまざまざと刻まれていた。
それはものすごくさえあった。
私は精算な感じに打たれて思わず目を伏せてしまった。
いよいよH海岸の病院に入院する日が来た。
お前たちの母上は前回しない限りは死ぬともお前たちに会わない覚悟の補助を固めていた。
二度とは来ないと思われるそして実際来なかった荒着を着て座を立った母上は
内外の母親の目の前でさめざめと泣き崩れた。
女ながらに気性のすぐれて強いお前たちの母上は
母上は私と二人だけいる場合でも泣き顔などは見せたことがないといってもいいくらいだったのに
その時の涙は拭く後から後から流れ落ちた。
その熱い涙はお前たちだけの尊い所有物だ。
それは今は乾いてしまった。
大空を渡る雲の一辺となっているか
黒河の水の一滴となっているか
太陽の泡の一つとなっているか
または思いがけない人の類同に蓄えられているか
それは知らない。
しかしその熱い涙は
ともかくもお前たちだけの尊い所有物なのだ。
自動車のいるところに来ると
お前たちの中熱病の予後にある一人は
足の立たないために下所に背負われて
一人はよちよちと歩いて
一番末の子は母上を苦しめすぎるだろうという
子供たちの心遣いから連れて来られなかった。
母上を見送りに出て来ていた。
お前たちのがんぜない驚きの目は
大きな自動車にばかり向けられていた。
お前たちの母上は
淋しくそれを見合っていた。
自動車が動き出すと
お前たちは助中に進められて
兵隊のような挙手の礼をした。
母上は笑って軽く頭を下げていた。
お前たちは母上がその瞬間から
永久にお前たちを離れてしまうとは思わなかったろう。
不幸な者たちよ。
それからお前たちの母上が
最後の息を引き取るまでの
一年と七ヶ月の間
私たちの間には激しい戦が戦われた。
母上は死に対して最上の態度を取るために
お前たちに最大の愛を残すために
私を加減なしに理解するために
私は母上を病魔から救うために
自分に迫る運命を
男らしく肩に担い上げるために
お前たちは不思議な運命から自分を解放するために
身にふさわしい境遇の中に
自分をはめ込むために戦った。
血まぶれになって戦ったと言っていい。
私も母上もお前たちも
幾度弾丸受け刀傷を受け
倒れ起き上がりまた倒れたろう。
お前たちが六つと五つと四つになった年の
八月の二日に死が殺到した。
死がすべてを圧倒した。
そして死がすべてを救った。
運命の皮肉
お前たちの母上の遺言書の中で
一番崇高な部分は
お前たちに与えられた一節だった。
もしこの書物を読むときがあったら
同時に母上の遺書も読んでみるがいい。
母上は血の涙を泣きながら
死んでもお前たちに合わない決心をひるがえさなかった。
それは病気をお前たちに伝えるのを恐れたばかりではない。
またお前たちを見ることによって
自分の心の破れるのを恐れたばかりではない。
お前たちの清い心に残酷な死の姿を見せて
お前たちの一生を嫌が上に暗くすることを恐れ
お前たちの伸び伸びていかなければならぬ霊魂に
少しでも大きな傷を残すことを恐れたのだ。
幼児に死を知らせることは
無益であるばかりでなく有害だ。
葬式のときは女中をお前たちにつけて
楽しく一日を過ごさせてもらいたい。
そうお前たちの母上は書いている。
こう思う。
親の心は日の光。
世より世をてる大きさに似て。
とも英字でいる。
母上が亡くなったとき
お前たちはちょうど新州の山の上にいた。
もしお前たちの母上の隣住に合わせなかったら
一生恨みに思うだろうとさえ書いてよこしてくれた
お前たちの叔父上に強いて頼んで
お前たちを山から帰らせなかった私を
お前たちが残酷だと思うときがあるかもしれない。
今十一時半だ。
この書物を奏している部屋の隣に
お前たちは枕を並べて寝ているのだ。
お前たちはまだ小さい。
お前たちが私の年になったら
私のしたことを
すなわち母上のさせようとしたことを
値高く見るときが来るだろう。
私はこの間にどんな道を通って来たろう。
お前たちの母上の死によって
私は自分の生きて行くべき大道にさまよい出た。
私は自分を愛護して
その道を踏み迷わずに通って行けばいいのを知るようになった。
私はかつて一つの創作の中に
妻を犠牲にする決心をした一人の男のことを書いた。
事実において
お前たちの母上は私のために犠牲になってくれた。
私のように
持ち合わせた力の使いようを知らなかった人間はない。
私の周囲の者は
私を一個の昇進な、路鈍な、仕事のできない、
哀れむべき男と見る他を知らなかった。
私の昇進と路鈍と無能力とを徹底させてみようとしてくれる者はなかった。
それをお前たちの母上は成就してくれだ。
私は自分の弱さに力を感じ始めた。
私は仕事のできないところに仕事を見出した。
大胆になれないところに大胆を見出した。
鋭敏でないところに鋭敏を見出した。
言葉を変えて言えば
私は鋭敏に自分の路鈍を見抜き、
大胆に自分の昇進を認め、
漏液して自分の無能力を体験した。
私はこの力を持って己を鞭打ち他を生きることができるように思う。
お前たちが私の過去を眺めてみるようなことがあったら、
私も無駄には生きなかったのを知って喜んでくれるだろう。
雨などが降り暮らして憂鬱な気分が家の中にみなぎる日などに、
どうかするとお前たちの一人が黙って私の書斎に入ってくる。
そして一言、
「パパ。」
と言ったぎりで私の膝に寄りかかったまましくしくと泣き出してしまう。
ああ、何がお前たちのがんぜない目に涙を要求するのだ。
こうな者たちよ。
お前たちが言われもない悲しみにくずげるのを見るにまして、
この世を淋しく思わせるものはない。
またお前たちが元気よく私に朝の挨拶をしてから、
母上の写真の前にかけて言って、
「おまちゃんごきげんよ。」
と快活に叫ぶ瞬間ほど、
私の心の底までぐざとえぐり通す瞬間はない。
私はその時ぎょっとして無謀の世界を眼前に見る。
世の中の人は私の塾界をバカバカしいと思うに違いない。
なぜなら妻の使徒はそこにもここにも
飽き果てるほどおびただしくある事柄のひとつにすぎないからだ。
そんなことを重大視するほど世の中の人は寒酸ではない。
それは確かにそうだ。
しかしそれにもかかわらず、
私と言わずお前たちもゆくゆくは母上の死を
何事にもかえがたく悲しく口惜しいものに思う時が来るのだ。
世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。
それは恥ずべきことじゃない。
私たちはこのありがちの事柄の中からも
人生の寂しさに深くぶつかってみることができる。
小さなことが小さなことでない。
大きなことが大きなことでない。
それは心ひとつだ。
何しろお前たちは見るに勇ましい人生の芽生えだ。
泣くにつけ、笑うにつけ、面白がるにつけ寂しがるにつけ、
お前たちを見守る父の心は痛ましく傷つく。
しかしこの悲しみがお前たちと私とに
どれほどの強みであるかをお前たちはまだ知るまい。
私たちはこの損失のおかげで生活に一段と深入りしたのだ。
私たちの根はいくらかでも大地に伸びたのだ。
人生を生きる以上人生に深入りしないものは災いである。
同時に私たちは自分の悲しみにばかり浸ってはならない。
お前たちの母上は亡くなるまで金銭の患いからは自由だった。
飲みたい薬は何でも飲むことができた。
食いたい食い物は何でも食うことができた。
私たちは偶然な社会組織の結果から
こんな特権ならざる特権を脅落した。
お前たちのあるものはかすかながら
有志一家の模様を覚えているだろう。
死んだ細君から結核を伝えられた有志が
あの理智的な正常を持ちながら天理教を信じて
その御祈祷で病気を癒やそうとしたその心持ちを考えると
私はたまらなくなる。
薬が効くものか、祈祷が効くものかそれは知らない。
しかし有志は医者の薬が飲みたかったのだ。
しかしそれができなかったのだ。
有志は毎日下血しながら薬所に通った。
半血をまき通した喉からはしわがれた声しか出なかった。
働けば病気が重くなることは知りきっていた。
それを知りながら有志は御祈祷を頼みにして
老母と二人の子供との生活を続けるために
勇ましくあくまで働いた。
そして病気が重ってから
なけなしの金を出してもらった子がいきの注射は
田舎の医師の不注意から腸脈をはずれて
激烈な熱を引き起こした。
そして有志は
虫さんの老母と幼児とを後に残して
そのために倒れてしまった。
その人たちは私たちの隣に住んでいたのだ。
なんという運命の皮肉だ。
お前たちは母上の死を思い出すとともに
有志を思い出すことを忘れてはならない。
そしてこの恐ろしい溝を埋める工夫を
しなければならない。
母の愛の重要性
お前たちの母上の死はお前たちの愛を
そこまで広げさすに十分だと思うから
私は言うのだ。十分人生は寂しい。
私たちはただそう言って
済ましていることができるだろうか。
お前たちと私とは血を味わった獣のように
愛を味わった。行こう。
そしてできるだけ私たちの周囲から
寂しさを救うために働こう。
私はお前たちを愛した。
そして永遠に愛する。
それはお前たちから親としての報酬を
受けるために言うのではない。
お前たちを愛することを教えてくれた
お前たちに私の要求するものは
ただ私の感謝を受け取ってもらいたい
ということだけだ。
私は死んでいるかもしれない。一生懸命に
働いているかもしれない。老衰して
物の役に立たないようになっているかもしれない。
しかしいずれの場合にしろ
お前たちの助けなければならないものは
私ではない。お前たちの若々しい
力はすでに下り坂に向かおうとする
私などに煩わされていてはならない。
倒れた親を食い尽くして
力を蓄える獅子の子のように
力強く勇ましく私を振り捨てて
人生に乗り出していくがいい。
今時計は夜中を過ぎて
一時十五分を指している。
しんと静まった夜の沈黙の中に
お前たちの平和な寝息だけが
かすかにこの部屋に聞こえてくる。
私の目の前にはお前たちのおばが
母上にとて贈られた薔薇の花が
写真の前に置かれている。
それにつけて思い出すのは私が
あの写真を撮ってやった時だ。
その時お前たちの中に一番年たけたものが
母上の腹に宿っていた。母上は
自分でもわからない不思議な望みと恐れとで
終始心を悩ましていた。
その頃の母上はことに美しかった。
ギリシャの母の真似だと言って
部屋の中にいい肖像を飾っていた。
その中にはミネルバの像やゲーテや
クロムウェルやナイティンゲール女子屋の
肖像があった。その少女じみた野心を
その時の私は軽い皮肉の心で見ていたが
今から思うとただ笑い捨ててしまうことは
どうしてもできない。私がお前たちの
母上の写真を撮ってやろうと言ったら
思う存分化粧をして
一番の腫れ着を着て私の
二階の書斎に入ってきた。私はむしろ
驚いてその姿を眺めた。母上は
淋しく笑って私に言った
産は女の出陣だ。いい子を産むか死ぬか
そのどっちかだ。だから
死に際の装いをしたのだ。
その時も私は心なく笑って
しまった。しかし
今はそれも笑ってはいられない。
深夜の沈黙は私を厳粛にする。
私の前には机を隔てて
お前たちの母上が座っているようにさえ思う。
その母上の愛は遺書にあるように
お前たちを守らずにはいないだろう。
よく眠れ。不可思議な時
というものの作用に
お前たちを打ちまかしてよく眠れ。
そうして明日は
昨日より大きく賢くなって
寝床の中から踊り出して来い。
新しい歩み出し
私は私の役目を成し遂げることに
全力を尽くすだろう。
私の一生がいかに失敗であろうとも
また私がいかなる誘惑に打ち負けようとも
お前たちは私の足跡に
不純な何者をも見出し得ないだけのことはする。
きっとする。
お前たちは私の倒れたところから
新しく歩み出さねばならないのだ。
しかしどちらの方向にどう歩まねばならぬかは
微かながらにもお前たちは
私の足跡から探し出すことができるだろう。
小さき者よ、不幸な
そして同時に幸福なお前たちの
父と母との祝福を胸にしめて
人の世の旅に登れ。
善とは遠い、そして暗い。
しかし恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け、いさんで。
小さき者よ。