帰郷と父の反応
寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
さて、今日は、夏目漱石さんの「こころ」の上中下のうちの中です。 続きもなので、
イントロもほどほどに読み始めていきますかね。 まだフォローが済んでいない方、ぜひフォローのお願いします。
それから、概要欄のリンクよりおひねりを投げていただけるととても嬉しいです。 ご検討のほどよろしくお願いします。
上中下のうち下が一番長いと聞いているので、 中はほどほどにって感じなんですかね。
ボリューム感あんまりわかんないなぁ。 まあ、やっていきましょうか。
上は36節ありましたね。
で、中が18節、下が56節なので、 上の半分ぐらいのサイズかなぁ。
上って何時間行きましたっけ。 2時間行ってたかな。
2時間15分行ってるから、まあ1時間ちょろちょろって感じですかね。 はい。
どうかお付き合いください。 それでは参ります。
こころ 中
両親とわたくし 1
家へ帰って案外に思ったのは父の元気がこの前見た時と大して変わっていないこと であった。
ああ帰ったかい。そうか。それでも卒業ができてまあ結構だった。 ちょっとお待ち。今顔を洗ってくるから。
父は庭へ出て何かしていたところであった。 古い麦わら棒の後ろへ日よけのためにくくりつけた薄汚いハンケチをひらひらさせながら、
井戸のある裏手の方へ回っていった。 学校を卒業するのを普通の人間として当然のように考えていたわたくしは、
それを良き以上に喜んでくれる父の前に恐縮した。 卒業ができてまあ結構だ。父はこの言葉を何遍も繰り返した。
わたくしは心のうちでこの父の喜びと卒業式のあった晩、先生のうちの食卓でおめでとうと言われた時の先生の顔つき等を比較した。
わたくしには口で祝ってくれながら腹の底でけなしている先生の方がそれほどにもないのを目指すそうに嬉しがる父よりも帰って交渉に見えた。
わたくしは姉妹に父の無知から出る田舎臭いところに不快を感じ出した。 大学ぐらい卒業したってそれほど結構でもありません。卒業する者は毎年何百人だってあります。
わたくしはついにこんな口の利きようをした。すると父が変な顔をした。
何も卒業したから結構とばかり言うんじゃない。そりゃ卒業は結構に違いないが、俺の言うのはもう少し意味があるんだ。
それがお前にわかっていてくれさえすれば。 わたくしは父からその後を聞こうとした。父は話したくなさそうであったがとうとうこう言った。
つまり俺が結構ということになるのさ。俺はお前の知ってる通りの病気だろう。 去年の冬お前に会った時ことによるともう三月か四月ぐらいなものだろうと思っていたのさ。
それがどういう幸せか今日までこうしている。 立ち入り不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。
だから嬉しいのさ。せっかく誕生した息子が自分のいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校出てくれる方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか。
大きな考えを持っているお前から見たら、たかが大学を卒業したぐらいで結構だ結構だと言われるのはあまり面白くもないだろう。
しかし俺の方から見てごらん。立場が少し違っているよ。 つまり卒業はお前にとってよりこの俺にとって結構なんだ。わかったかい。
私は一言もなかった。謝る以上に恐縮してうつむいていた。 父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものと見える。
母の無理解と病気の真実
しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたと見える。 その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚か者であった。
私はカバンの中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。 証書は何かに押しつぶされて元の形を失っていた。
父はそれを丁寧にのした。 こんなものは前田なりに手に持ってくるもんだ。
中に芯でも入れるとよかったのに、と母も片側から注意した。 父はしばらくそれを眺めた後、立って床の間のところへ行って、誰の目にもすぐ入るような正面へ証書を置いた。
いつもの私ならすぐ何とか言うはずであったが、その時の私はまるで平成と違っていた。 父や母に対して少しも逆らう気が起こらなかった。
私は黙って父のなすがママに任せておいた。 一旦癖のついた鳥の小髪の証書はなかなか父の自由にならなかった。
適当な位置に置かれるや否やすぐ己の自然な勢いを得て倒れようとした。 2
私は母を影へ呼んで父の病状を尋ねた。 お父さんはあんなに元気そうに庭へ出たり何かしているが、あれでいいんですか?
もう何ともないようだよ。お方よくおなりなんだろう。 母は案外平気であった。
都会からかけ隔った森や他の中に住んでいる女の常として、母はこういうことにかけてはまるで無知識であった。
それにしてもこの前父がそっとした時にはあれほど驚いてあんなに心配したものと、私は心の内で一人、異な感じを抱いた。
でも医者はあの時とても難しいって宣告したじゃありませんか? だから人間の体ほど不思議なものはないと思うんだよ。
あれほどお医者が手重く言ったものが今までシャンシャンしているんだからね。 お母さんも初めのうちは心配してなるべく動かさないようにと思ってたんだがね。
それ、あの気象だろう。 養生はしなさるけれども傲嬢でね。自分がいいと思い込んだら、なかなか私の言うことなんか聞きそうにもなさらないんだからね。
私はこの前帰った時、無理に床をあげさして、ひげを剃った父の様子と態度等を思い出した。
もう大丈夫。お母さんがあまり凝酸すぎるからいけないんだ。 といったその時の言葉を考えてみると、まんざら母ばかり責める気にもなれなかった。
しかし肌でも少しは注意しなくっちゃ、と言おうとした私はとうとう遠慮して何にも口へ出せなかった。
ただ、父の病の性質について、私の知る限りを教えるように話して聞かせた。 しかしその大部分は先生と先生の奥さんから得た材料にすぎなかった。
母は別に感動した様子も見せなかった。 ただ、
えー、やっぱり同じ病気でね。お気の毒だね。 いくつでお亡くなりかい、その方は。
などと聞いた。 私は仕方がないから母をそのままにしておいて直接父に向かった。
父は私の注意を母よりは真面目に聞いてくれた。 もっともだ、お前の言う通りだ。けれども俺の体は必強俺の体で、その俺の体についての養生法は多年の経験上俺が一番よく心得ているはずだからね。
と言った。それを聞いた母は苦笑した。 それごらんな、と言った。
でもあれでお父さんは自分でちゃんと覚悟だけはしているんですよ。 今度私が卒業して帰ったのを大変喜んでいるのも全くそのためなんです。
生きているうちに卒業はできないと思ったのが、達者なうちに免除を持ってきたからそれが嬉しいんだって。 お父さんは自分でそう言ってましたぜ。
そりゃお前、口でこそそう言いだけれどもね。 お腹の中ではまだ大丈夫だと思っておいでなのだよ。
そうでしょうか。 まだまだ10年も20年も生きる気でおいでなのだよ。
もっとも時々は私にも心細いようなことを言いだがね。 俺もこの分じゃもう長いこともあるまいよ。
俺が死んだらお前はどうする? 一人でこの家にいる気か? なんてね。
私は急に父がいなくなって母一人が足り残された時の古い広い田舎屋を想像してみた。 この家から父一人を引き去った後はそのままで立ち行くだろうか。
兄はどうするだろうか。母は何と言うだろうか。 そう考える私はまたここの土を離れて東京で気楽に暮らしていけるだろうか。
私は母を目の前において先生の注意。 父の丈夫でいるうちに分けてもらうものは分けてもらっておけという注意を偶然思い出した。
何ね自分で死ぬ死ぬっていう人に死んだ試しはないんだから安心だよ。 お父さんなんども死ぬ死ぬって言いながらこれから先まだ何年生きなさるかわかるまいよ。
それよりか黙っている丈夫の人の方がけんのんさ。 私は理屈から出たとも統計から来たとも知れないこの陳腐のような母の言葉を
卒業祝いの混乱
黙念と聞いていた。 3
私のために赤い飯を炊いて客をするという相談が父と母の間に起こった。 私は帰った当日からあるいはこんなことになるだろうと思って心の内で案にそれを恐れていた。
私はすぐ断った。 あまり凝算なことは良してください。
私は田舎の客が嫌いだった。 飲んだり食ったりするのを最後の目的としてやってくる彼らは何かことがあればいいと言った風の人
ばかりが揃っていた。 私は子供の時から彼らの責任自するのを心苦しく感じていた。
まして自分のために彼らが来るとなると私の苦痛は一層はなはだしいように想像された。 しかし私は父や母の手前あんなやひな人を集めて騒ぐのはよせとも言いかねた。
それで私はただあまり凝算だからとばかり主張した。 凝算凝算といいだがちっとも凝算じゃないよ。
生涯に二度とあることじゃないんだからね。 お客ぐらいするのは当たり前だよ。そう遠慮は惜しいでない。
母は私が大学を卒業したのをちょうど嫁でももらったと同じ程度に重く見ているらしかった。
呼ばなくてもいいが、呼ばないとまた何とか言うから。 これは父の言葉であった。父は彼らの陰口を気にしていた。
実際彼らはこんな場合に自分たちの予期通りにならないとすぐ何とか言いたがる人々であった。
東京と違って田舎はうるさいからね。父はこうも言った。 お父さんの顔もあるんだからと母がまたつけ加えた。
私は顔を張るわけにもいかなかった。どうでも二人の都合のいいようにしたらと思い出した。 つまり私のためならよしてくださいというだけなんです。
影で何か言われるのが嫌だからというご主意なら、それはまた別です。あなた方に不利益なことを私が強いて主張したって仕方がありません。
そう理屈を言われると困る。父は苦い顔をした。 何もお前のためにするんじゃないとお父さんがおっしゃるんじゃないけれども、お前だって世間への義理ぐらいは知っているだろう。
母はこうなると女だけにしどろもどろなことを言った。 との代わり口数から言うと父と私を二人寄せてもなかなかかなうどころではなかった。
学問をさせると人間がとかく理屈っぽくっていけない。 父はただこれだけしか言わなかった。
しかし私はこの簡単な一句のうちに父が平勢から私に対して持っている不平の全体を見た。 私はその時自分の言葉遣いのかどばったところに気がつかずに父の不平の方ばかりを無理のように思った。
父はそのようまた気を変えて客を呼ぶならいつにするかと私の都合を聞いた。 都合の良いも悪いもなしにただぶらぶら古い家の中に寝起きしている私に、こんな問いをかけるのは父の方がおりて出たのと同じことであった。
私はこの穏やかな父の前にこだわらない頭を下げた。 私は父と相談の上正体の日取りを決めた。
その日取りのまだ来ないうちにある大きなことが起こった。 それは明治天皇のご病気の放置であった。
新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎屋のうちに多少の曲折を経てようやくまともろうとした私の卒業祝いを塵の如くに吹き払った。
まあご遠慮もした方がよかろう。 眼鏡をかけて新聞を見ていた父はこう言った。父は黙って自分の病気のことも考えているらしかった。
私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行行になった陛下を思い出したりした。
4 戸勢の人数には広すぎる古い家がひっそりしている中に私は氷を溶いて書物を紐解き始めた。
なぜか私は気が落ち着かなかった。あの目まぐるしい東京の下宿の2階で遠く走る電車の音を耳にしながらページを一枚一枚まくって行く方が気に張りがあって気持ちよく勉強ができた。
私はややともすると机に持たれてうたた寝をした。時にはわざわざ枕さえ出して本式に昼寝をむさぼることもあった。
目が覚めると蝉の声を聞いた。うつつから続いているようなその声は急にやかましく耳の底をかき乱した。
私はじっとそれを聞きながら時に悲しい思いを胸に抱いた。私は筆を取って友達の誰彼に短い葉書または長い手紙を書いた。
主人公の手紙と疑念
その友達のある者は東京に残っていた。ある者は遠い故郷に帰っていた。返事の来るのも頼りの届かないのもあった。私はもとより先生を忘れなかった。
原稿紙へ最初で3枚ばかり国へ帰ってから以後の自分というようなものを題目にして書き綴ったのを送ることにした。
私はそれを封じるとき先生は果たしてまだ東京にいるだろうかと疑った。
先生が奥さんと一緒に家を開ける場合には五十学校の切り下げの女の人がどこからか来て留守番をするのが習いになっていた。
私がかつて先生にあの人は何ですかと尋ねたら先生は何と見えますかと聞き返した。
私はその人を先生の親類と思い違えていた。先生は
私には親類はありませんよと答えた。先生の距離にいる続き合いの人々と先生は一向温真のやり取りをしていなかった。
私の疑問にしたその留守番の女の人は先生と縁のない奥さんの方の親戚であった。
私は先生に郵便を出すときふと幅の細い帯を楽に後ろで結んでいるその人の姿を思い出した。
もし先生夫婦がどこかへ秘書にでも行った後へこの郵便が届いたら、あの切り下げのおばあさんはそれをすぐ天地先へ送ってくれるだけの機転と親切があるだろうかなどと考えた。
そのくせその手紙のうちにはこれというほどの必要なことも書いていないのを私はよく承知していた。
ただ私は寂しかった。そうして先生から返事の来るのを予期してかかった。
父の健康への懸念
しかしその返事はついに来なかった。父はこの前の冬に帰ってきたときほど将棋をさしたがらなくなった。
将棋盤は埃の溜まったまま床の間の隅に肩寄せられてあった。
ことに陛下のご病気以後父はじっと考え込んでいるように見えた。
毎日新聞の来るのを待ち受けて自分が一番先へ呼んだ。それからその読み柄をわざわざ私のいるところへ持ってきてくれた。
おいごらん今日も天使様のことが詳しく出ている。 父は陛下のことを常に天使様と言っていた。
もったいない話だが天使様のご病気もお父さんのとまあ似たもんだろうな。
こういう父の顔には深い懸念の曇りがかかっていた。 こう言われる私の胸にはまた父がいつ倒れるかわからないという心配がひらめいた。
しかし大丈夫だろう。俺のようなくだらないもんでもまだこうしていられるくらいだから。 父は自分の達者の保障を自分で与えながら今にも己に落ちかかってきそうな危険を予感しているらしかった。
お父さんは本当に病気を怖がっているんですよ。 お母さんのおっしゃるように10年も20年も生き抜く気じゃなさそうですぜ。
母は私の言葉を聞いて問惑そうな顔をした。 ちょっとまた将棋でもさすように進めてごらんな。
私は床の間から将棋盤を取り下ろして埃を拭いた。 5
父の元気は次第に衰えていった。私を驚かせた半ケチつきの古い麦わら帽子が自然と観客されるようになった。
私は黒い鈴付けた棚の上に乗っているその帽子を眺めるたびに父に対して気の毒な思いをした。
父が以前のように軽々と動く間はもう少し涼しんでくれたらと心配した。
父がじっと座り込むようになるとやはり元の方が達者だったのだという気が起こった。
私は父の健康についてよく母と話し合った。 まったく気のせいだよ
と母が言った。母の頭は陛下の病と父の病とを結びつけて考えていた。 私にはそうばかりとも思えなかった。
気じゃない。本当に体が悪くないんでしょうか。 どうも気分より健康の方が悪くなっていくらしい。
私はこう言って心の内でまた遠くから相当の医者でも呼んで一つ見せようかしらと試案した。
今年の夏はお前もつまらなかろう。 せっかく卒業したのにお祝いもしてあげることができずお父さんの体もあの通りだし
それに天使様のご病気で。 いっそのこと帰るすぐにお客でも呼ぶ方が良かったんだよ。
私が帰ったのは7月の5、6日で父や母が私の卒業を祝うために客を呼ぼうと言い出したのはそれ から1週間後であった。
未来への不安と手紙の送付
そしていよいよと決めた日はそれからまた1週間の余りも先になっていた。 時間に束縛を許さない悠長な田舎に帰った私はおかげでこのもしくもない社工場の
苦痛から救われたも同じことであったが私を理解しない母は少しもそこに気がついていない らしかった。
宝魚の放置が伝えられた時父はその新聞を手にしてああああ と言った
ああああ 天使様もとうとうお隠れになる
俺も 父はその後を言わなかった
私は黒い薄物を買うために町へ出た それで旗竿の玉を包んでそれで旗竿の先へ三寸旗のひらひらをつけて門の扉の横から
斜めに往来へ差し出した 旗も黒いひらひらも風のない空気の中にだらりと下がった
私の家の古い門の屋根は藁で吹いてあった 雨や風に打たれたりまた吹かれたりしたその藁の色は特に変色して薄く灰色を
帯びた上に所々の凸凹さえ目についた 私は一人門の外へ出て黒いひらひらと
白いメリンスの地と地の中に染めだした赤い日の丸の色とを眺めた それが薄汚い屋根の藁に映るのも眺めた
私はかつて先生から あなたの家の構えはどんな体裁ですか私の距離の方とはだいぶ
趣が違っていますかね と聞かれたことを思い出した
私は自分の生まれたこの古い家を先生に見せたくもあった また先生に見せるのが恥ずかしくもあった
私はまた一人家の中へ入った 自分の机の置いてあるところへ来て新聞を読みながら遠い東京の有様を想像した
私の想像は日本内の大きな都がどんなに暗い中でどんなに動いているだろうかの 画面に集められた
私はその黒いなりに動かなければ始末のつかなくなった都会の不安でザワザワしている 中に一点の灯火のごとくに先生の家を見た
私はその時この灯火が音のしない渦の中に自然と巻き込まれていることに気がつか なかった
しばらくすればその日もまたふっと消えてしまうべき運命を目の前に控えているのだ とはもとより気がつかなかった
私は今度の事件について先生に手紙を書こうかと思って筆を取りかけた 私はそれを従業ばかり書いてやめた書いたところは寸前に引き裂いて
クズカゴへ投げ込んだ 先生に当ててそういうことを書いても仕方がないとも思ったし前例に調してみると
とても返事をくれそうになかったから 私は寂しかったそれで手紙を書くのであった
そうして返事がくればいいと思うのであった 6
8月の半ば頃になって私はある方言から手紙を受け取った その中に地方の中学教員の口があるがいかないかと書いてあった
この方言は経済の必要上自分でそんな位置を探し回る男であった この口も初めは自分のところへかかってきたのだがもっといい地方へ相談ができたので
余った方を私に譲る気でわざわざ知らせてくれたのであった 私はすぐ返事を出して断った
知り合いの中には随分骨を負って教師の職にやりつきたがっているものがあるから その方へ回してやったらよかろうと書いた
私は返事を出した後で父と母にその話をした 2人とも私のことあったことに依存はないようであった
そんなところへ行かないでもまだいい口があるだろう こう言ってくれる裏に私は2人が私に対して持っている過分な希望を読んだ
うかつな父や母は不相当な地位と収入等を卒業したての私から期待しているらしかった のである
相当の口って近頃じゃそんなうまい口はなかなかあるものじゃありません ことに兄さんと私とは専門も違うし時代も違うんだから
2人を同じように考えられちゃ少し困ります しかし卒業した以上は少なくとも独立してやって言ってくれなくちゃこっちも困る
人からあなたのところの後次男は大学を卒業なすって何をしておいでですかと聞かれた時に 返事ができないようじゃ俺も肩身が狭いから
父は終面を作った 父の考えは古く住み慣れた距離から外へ出ることを知らなかった
その距離の誰彼から大学を卒業すればいくらぐらい月給が取れるものだろうと聞かれたり まあ100円ぐらいなものだろうかと言われたりした父はこういう人々に対して
外分の悪くないように卒業したての私を片付けたかったのである 広い都を根拠地として考えている私は父や母から見るとまるで足を空に向けて
歩く期待な人間に異ならなかった 私の方でも実際そういう人間のような気持ちをお料理を起こした
私はあからさまに自分の考えを打ち明けるにはあまりに距離の間隔の華々しい父と 母の前に黙念としていた
お前のよく言う先生先生という方にでもお願いしたらいいじゃないか こんな時こそ
母はこういうより他に先生を解釈することができなかった その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうちに早く財産を分けてもらえと
進める人であった 卒業したから地位の修繕をしてやろうという人ではなかった
その先生は何をしているのかいと父が聞いた 何もしてないんですと私が答えた
私は特の昔から先生の何もしてないということを父にも母にも告げたつもりで いた
そして父は確かにそれを記憶しているはずであった 何にもしていないというのはまたどういうわけかね
お前がそれほど尊敬するくらいの人なら何かやっていそうなもんだがね 父はこう言って私を封した
父の考えでは役に立つものは世の中へ出てみんな相当の地位を得て働いている 筆記をヤクザだから遊んでいるのだと結論しているらしかった
俺のような人間だって月給こそもらっちゃいないがこれでも遊んでばかりいるん じゃない
父はこうも言った私はそれでもまだ黙っていた お前の言うような偉い方ならきっと何か口を探してくださるよ頼んでご覧なのかい
と母が聞いた いいえと私は答えた
じゃあ仕方がないじゃないかなぜ頼まないんだい手紙でもいいからを出しな
私は生返事をして席を立った 7
父は明らかに自分の病気を恐れていた しかし医者の来るたびにうるさい質問をかけて相手を困らす立ちでもなかった
医者の方でもまた遠慮して何とも言わなかった 父は死後のことを考えているらしかった
少なくとも自分がいなくなった後の我が家を想像してみるらしかった 子供に学問をさせるのもよしよしだね
せっかく修行をさせるとその子供は決して家へ帰ってこない これじゃあ手もなく親子を隔離するために学問させるようなもんだ
学問した結果兄は今遠国にいた 教育を受けた因果で私はまた東京に住む覚悟を固くした
こういう子を育てた父の愚痴はもとより不合理ではなかった 長年住み古した田舎屋の中に
たった一人取り残されそうな母を描き出す父の想像はもとより寂しいに違いなかった
我が家は動かすことのできないものと父は信じ切っていた その中に住む母もまた命のある間は動かすことのできないものと信じていた
自分が死んだ後この孤独な母をたった一人ガランドーの我が家に取り残すもまた 花々しい不安であった
それなのに東京でいい地位を求めろと言って私を知りたがる父の頭には矛盾があった 私はその矛盾をおかしく思ったと同時にそのおかげでまた東京へ出られるのを
喜んだ 私は父や母の手前この地位をできるだけの努力で求めつつあるごとくに予想は
なくてはならなかった私は先生に手紙を書いて家の事情を詳しく述べた もし自分の力でできることがあったなら何でもするから修正してくれと頼んだ
私は先生が私の依頼に取り合う前と思いながらこの手紙を書いた また取り合うつもりでも世間の狭い先生としてはどうすることもできないと思いながらこの
手紙を書いた しかし私は先生からこの手紙に対する返事がきっと来るだろうと思って書いた
私はそれを封じて出す前に母に向かって行った 先生に手紙を書きましたよあなたのおっしゃった通りちょっと読んでご覧なさい
母は私の想像したごとくそれを読まなかった そうかそれじゃあ早くを出しそんなことは人が気をつけないでも自分で早くやるものだよ
母は私をまだ子供のように思っていた私も実際子供のような感じがした しかし手紙じゃよう当たりませんよ
父の病と心の葛藤
当成9月にでもなって私が東京へ出てからでなくっちゃ それはそうかもしれないけれどもまたひょっとしてどんないい口がないとも限らないんだから
早く頼んで奥に越したことはないよ とにかく返事は来るに決まっていますからそしたらまたお話しましょう
私はこんなことにかけて貴重面な先生を信じていた 私は先生の返事の来るのを心待ちに待った
けれども私の予期はついに外れた先生からは1週間経っても何の頼りもなかった 大型どこかへ秘書にでも行っているんでしょう
私は母に向かって言い訳らしい言葉を使わなければならなかった そしてその言葉は母に対する言い訳ばかりでなく
自分の心に対する言い訳でもあった 私は強いても何かの事情を仮定して先生の態度を弁護しなければ不安になった
私は時々父の病気を忘れた一層早く東京へ出てしまおうかと思ったりした その知事自身も己の病気を忘れることがあった
未来を心配しながら未来に対する処置は一向取らなかった 私はついに先生の忠告通り財産分配のことを知り入り出す機会を得ずに過ぎた
8 9月初めになって私はいよいよまた東京へ出ようとした
私は父に向かって当分今まで通り学習を送ってくれるようにと頼んだ ここに行こうしていたってあなたのおっしゃる通りの地位が得られるものじゃないですから
私は父の希望する地位を得るために東京へ行くようなことを言った もろん口の見つかるまででいいですからとも言った
私は心の内でその口は到底私の頭の上に落ちてこないと思っていた けれども事情に疎い父はまたあくまでもその反対を信じていた
それはわずかな間のことだろうからどうにか都合してやろう その代わり長くはいけないよ相当の地位を得次第独立しなくっちゃ
元来学校出た以上出たあくる日から人の世話になんとなるもんじゃないんだから 今の赤いもんは金を使う道だけ心得ていて金を取る方は全く考えていないようだ
ね 父はこの他にもまだいろいろの子事を言った
その中には 昔の親は子に食わせてもらったのに今の親は子に食われるだけだなどという言葉があった
それらを私はただ黙って聞いていた 子事が一通り済んだと思った時私は静かに席を立とうとした
父はいつ行くかと私に尋ねた私には早いだけが良かった お母さんに日を見てもらいなさい
そうしましょう その時の私は父の前に存外大人しかった
私はなるべく父の機嫌に逆らわずに田舎を出ようとした 父はまた私を引き止めた
お前が東京へ行くと家はまた寂しくなる何しろ俺とお母さんだけなんだからね その俺も体さえ足したならいいがこの様子じゃいつ急にどんなことがないとも言えないよ
私はできるだけ父を慰めて自分の机の置いてあるところへ帰った 私は取り散らした書物の間に座って心没そうな父の態度と言葉とを幾度か繰り返し眺めた
私はその時またセミの声を聞いた その声はこの間中聞いたのと違ってツクツク帽子の声であった
私は夏距離に帰って煮え付くようなセミの声の中にじっと座っていると変に悲しい 心持ちになることがしばしばあった
私の哀愁はいつもこの虫の激しい音とともに心の底に染み込むように感じられた 私はそんな時にはいつも動かずに一人で一人を見つめていた
私の哀愁はこの夏帰省した以後次第に情緒を変えてきた 油詰みの声がツクツク帽子の声に変わるごとくに私を取り巻く人の運命が大きな輪廻の
うちにそろそろ動いているように思われた 私は寂しそうな父の態度と言葉を繰り返しながら
家族の絆と不安
手紙を出しても返上を起こさない先生のことをまた思い浮かべた 先生と父とはまるで反対の印象を私に与える点において
比較の上にも連想の上にも一緒に私の頭に登りやすかった 私はほとんど父のすべても知り尽くしていた
もし父を離れるとすれば情愛の上に親子の心残りがあるだけであった 先生の多くはまだ私にわかっていなかった
話すと約束されたその人の過去もまだ聞く機会を得ずにいた 要するに先生は私にとって薄暗かった
私はぜひともそこを通り越して明るいところまで行かなければ気が済まなかった 先生と関係の耐えるのは私にとって大いな苦痛だった
私は母に日を見てもらって東京へ立つ日取りを決めた 9
私がいよいよ立とうという間際になって確か2日前の夕方のことであったと思うが 父はまた突然ひっくり返った
私はその時書物や衣類を詰めた氷をからげていた 父は風呂へ入ったところであった
父の背中を流しに行った母が大きな声を出して私を呼んだ 私は裸のまま母に後ろから抱かれている父を見た
それでも座敷へ連れて戻った時父はもう大丈夫だと言った 念のために枕元に座って濡れてぬぐいで父の頭を冷やしていた私は9時ごろになって
ようやく方ばかりの夜食を済ました 翌日になると父は思ったより元気が良かった
止めるのも聞かずに歩いて便所へ行ったりした もう大丈夫
父は去年の暮れ倒れた時に私向かっていた同じ言葉をまた繰り返した その時は果たして口で言った通りまあ大丈夫であった
私は今度もあるいはそうなるかもしれないと思った しかし医者はただ用心が慣用だと注意するだけで念をしてもはっきりしたことを話して
くれなかった 私は不安のために出発の日が来てもついに東京へ立つ気が起こらなかった
もう少し様子を見てからにしましょうかと私は母に相談した そうしておくれと母が頼んだ
母は父が庭へ出たり世代を降りたりする元気を見ている間だけは平気でいるくせに こんなことが起こるとまた必要以上に心配したり気をもんだりした
お前は今日東京へ行くはずじゃなかったか と父が聞いた
少し伸ばしましたと私が答えた 俺のために買え
と父が聞き返した 私はちょっと躊躇したそうだといえば父の病気の重いのを裏書きするようなものであった
私は父の神経を花瓶にしたくなかったしかし父は私の心をよく見抜いているらしかった 昨日毒だね
と言って庭の方を向いた 私は自分の部屋に入ってそこに放り出された氷を眺めた
氷はいつ持ち出しても差し支えないように固くくられたままであった 私はぼんやりその前に立ってまた縄を解こうかと考えた
私は座ったまま腰を浮かした時の落ち着かない気分でまた3、4日を過ごした すると父がまたそっとした
医者は絶対に案がを命じた どうしたもんだろうねと母が父に聞こえないような小さな声で私に言った
母の顔はいかにも心細そうであった 私は兄と妹に電報を打つ用意をしたけれども寝ている父にはほとんど何の苦悶も
なかった 話をするところなどを見ると風邪でもひいた時と全く同じことであった
その上食欲は普段よりも進んだ 旗の者が注意しても容易に言うことを聞かなかった
どうせ死ぬんだからうまいもんでも食って知らなくっちゃ 私にはうまいものという父の言葉が滑稽にも悲惨にも聞こえた
父はうまいものを口に入れられる都には住んでいなかったのである 世に行ってかき餅などを焼いてもらってぼりぼり噛んだ
どうしてこう乾くのかねやっぱり真に丈夫のところがあるのかもしれないよ 母は失望していいところに帰って頼みを置いた
そのせ病気の時にしか使わない乾くという昔風の言葉を何でも食べたがる意味に用いて いた
おじが見舞いに来た時父はいつまでも引き止めて返さなかった 寂しいからもっといてくれというのが主な理由であったが母や私が食べたいだけ
ものを食べさせないという不平を訴えるのもその目的の一つであったらしい 10
父の病気は同じような状態で1週間以上続いた 私はその間に長い手紙を九州にいる兄宛てで出した
妹へは母から出させた 私は腹の中でおそらくこれが父の健康に関して2人やる最後の頼りだろうと思った
それで両方へいよいよという場合には電報を打つから出てこいという意味を書き込めた 兄は忙しい職にいた妹は妊娠中であった
だから父の危険が目の前に迫らないうちに呼び寄せる自由は聞かなかった と言ってせっかく都合してきたには来たが間に合わなかったと言われるのも辛かった
私は電報をかける時期について人の知らない責任を感じた そうはっきりしたことになると私にもわかりません
しかし危険はいつ来るかわからないということだけは承知していてください ステーションのある町から迎えた医者は私にこう言った
私は母と相談してその医者の終戦で町の病院から看護婦を一人頼むことにした 父は枕元へ来て挨拶する白い服を着た女を見て変な顔をした
父は死病にかかっていることを当から自覚していた それでいて眼前に迫りつつあるしそのものには気がつかなかった
今になおったらもう一遍東京へ遊びに行ってみよう 人間はいつ死ぬかわからないからな何でもやりたいことは生きているうちにやっておくに限る
母は仕方なしに その時は私も一緒に連れて行っていただきましょう
などと調子を合わせていた 時とするとまた非常に寂しがった
俺が死んだらどうかお母さんを大事にしてやってくれ 私はこの俺が死んだらという言葉に一種の記憶を持っていた
東京を立つとき先生が奥さんに向かって何遍もそれを繰り返したのは私が卒業 した日の晩のことであった
私は笑いを帯びた先生の顔と縁起でもないと耳を塞いで奥さんの様子と思い出した あの時の俺が死んだらは単純な家庭であった
今私が聞くのはいつ起こるかわからない事実であった 私は先生に対する奥さんの態度を学ぶことができなかった
しかし口の先では何とか父を紛らさなければならなかった そんな弱いことをおっしゃっちゃいけませんよ
今に直ったら東京へ遊びにいらっしゃるはずじゃありませんか お母さんと一緒に今度いらっしゃるときっとびっくりしますよ変わっているんで電車の新しい
線路だけでも大変増えていますからね 電車が通るようになれば自然街並みも変わるしその上に市区改正もあるし東京が
じっとしているときはまあ26時中一部もないと言っていいくらいです 私は仕方がないから言わないでいいことまで喋った
父はまた満足らしくそれを聞いていた 病人があるので自然家の出入りも多くなった
近所にいる親類などは2日に一人ぐらいの割で変わるがある見舞いに来た 中には比較的遠くにいて平成素縁なものもあった
どうかと思ったらこの様子じゃ大丈夫だ 話も自由だし第一顔がちっとも痩せていないじゃないか
などと言って帰るものがあった 私の帰った当時はひっそりしすぎるほど静かであった家庭がこんなことでだんだん
ザホザワし始めた その中に動かずにいる父の病気はただ面白くない方へ移っていくばかりであった
私は母や王子と相談してとうとう兄と妹に電報を打った 兄からはすぐ行くという返事が来た
妹の夫からも立つという知らせがあった 妹はこの前解任した時に竜山したので今度こそは癖にならないように大事を取らせる
つもりだと兼ねていい子したその夫は 妹の代わりに自分で出てくるかもしれなかった
11 こうした落ち着きのない間にも私はまだ静かに座る余裕を持っていた
たまには書物を開けて10ページも続け様に読む時間さえ出てきた 一旦固くくられた私の行為はいつの間にか解かれてしまった
未来への予感と回想
私はいるに任せてその中からいろいろなものを取り出した 私は東京を立つとき心の内で決めたこの夏中の日課を帰り見た
私のやったことはこの日課の3が1にも足りなかった 私は今までもこういう不愉快を何度となく重ねてきた
しかしこの夏ほど思った通りの仕事の運ばない試しも少なかった これが人のようの常だろうと思いながらも私は嫌な気持ちに抑えつけられた
私はこの不快の家に座りながら一方に父の病気を考えた 父の死んだ後のことを想像した
そうしてそれと同時に先生のことを一方に思い浮かべた 私はこの不快な心持ちの両端に地位教育性格の全然異なった2人の面影を眺めた
私は父の枕元を離れて取り乱した書物の中に腕組みをしているところへ母が顔を 出した
少しお昼寝でも惜しいよお前もさぞをくたびれるだろう 母は私の気分を了解していなかった
私も母からそれを予期するほどの子供でもなかった私は単管に例を述べた 母はまだ部屋の入り口に立っていた
お父さんは と私が聞いた
今よく寝ておいでだよ と母が答えた
母は突然入ってきて私のそばに座った 先生からまだ何とも言ってこないかい
と聞いた 母はその時の私の言葉を信じていた
その時の私は先生からきっと返事があると母に保証した しかし父や母の希望するような返事が来るとはその時の私もまるで期待しなかった
私は心得があって母を欺いたと同じ結果に陥った もう一遍手紙を出してごらんな
と母が言った 役に立たない手紙を何通書こうとそれが母の慰安になるなら手数を厭うような私
ではなかった けれどもこういう要件で先生に迫るのは私の苦痛であった
私は父に叱られたり母の機嫌を損じたりするよりも先生から見下げられるのを遥か に恐れていた
あの依頼に対して今までの返事のもらえないのもあるいはそうしたわけからじゃない かしらという邪髄もあった
手紙を書くのはわけはないですがこういうことは郵便じゃとても拉致はありませんよ どうしても自分で東京へ出て時間に頼んで回らなくっちゃ
だってお父さんがあの様子じゃあお前いつ東京へ出られるかわからないじゃないか だから出やしません治るとも直らないとも片付かないうちはちゃんとこうしているつもりです
それはわかりきった話だね今にも難しいという大病人をほうちら化しておいて誰が勝手 に遠くへなんか行けるもんかね
私は初め心の中で何も知らない母を憐れんだ しかし母がなぜこんな問題をこのザワザワした際に申し出したのか理解できなかった
私が父の病気をよそに静かに座ったり所見したりする余裕のあるごとくに母も目の前 の病人を忘れて他のことを考えるだけ胸に隙間があるのかしらと疑った
その時実はねと母が言い出した 実は
お父さんの生きているおいでのうちにお前の口が決まったらさぞ安心なさるだろうと思うん だがね
この様子じゃとても間に合わないかもしれないけどもそれにしてもまだああやって口も 確かなら気も確かなんだから
明日おいでのうちに喜ばしてあげるように親孝行をしな 哀れな私は親孝行のできない境遇にいた私はついに一行の手紙も先生に出さなかった
父の様子
12 兄が帰ってきた時父は寝ながら新聞を読んでいた
父は平成から何を置いても新聞だけには目を通す習慣だったが床についてからは退屈 のためなおさらそれを見たがった
母も私も強いては反対せずになるべく病人の思い通りにさせておいた そういう元気なら結構なもんだよっぽど悪いかと思ってきたら大変いいようじゃありませんか
兄はこんなことを言いながら父と話をした その賑やかすぎる調子が私には帰って不調和に聞こえた
それでも死の前を外して私と差し向かいになった時はむしろ沈んでいた 新聞なんか読ませちゃいけなくないか
私もそう思うんだけれども読まないと承知しないんだからしようがない 兄は私の弁解を黙って聞いていた
やがてよくわかるのかなと言った 兄は父の理解力が病気のために平成よりはよっぽど鈍っているように観察したらしい
それは確かです私はさっき20分ばかり枕元に座っていろいろ話してみたが調子の狂った ところは少しもないです
あの様子じゃことによるとまだなかなか持つかもしれませんよ 兄と前後してついた妹の夫の意見は我々よりもよほど楽観的であった
父は彼に向かって妹のことをあれこれと尋ねていた 体が体だからおむやみに汽車になんぞ乗って入れない方がいい
無理をして見舞いに来られたりすると帰ってこっちが心配だからと言っていた なに今になおったら赤ん坊の顔でも見に久しぶりにこっちから出かけるから差し
使えない とも言っていた
のぎ大将の死んだ時も父は一番先に新聞でそれを知った 大変だ大変だと言った
何事も知らない私たちはこの突然な言葉に驚かされた あの時はいよいよ頭が変になったのかと思ってヒヤリとしたと後ろで兄が私に行った
私も実は驚きました と妹の夫も同感らしい言葉付きであった
その頃の新聞は実際田舎者には日ごとに待ち受けられるような記事ばかりであった 私は父の枕元に座って丁寧にそれを読んだ
読む時間のない時はそっと自分の部屋へ持ってきて残らず目を通した 私の目は長い間軍服を着たのぎ大将とそれから
患女見たようななりをしたその婦人の姿を忘れることができなかった 悲痛な風が田舎の隅まで吹いてきて眠たそうな気や草を震わせている最中に突然
私は一通の電報を先生から受け取った 洋服を着た人を見ると犬が吠えるようなところでは一通の電報すら大事件だった
それを受け取った母は果たして驚いたような様子をしてわざわざ私を人のいない ところへ呼び出した
なんだい と言って私の不運の開くのをそばに立って待っていた
電報にはちょっと相対が来られるかという意味が簡単に書いてあった 私は首を傾けた
きっとお頼もうしておいた口のことだよ と母が推断してくれた私もあるいはそうかもしれないと思った
しかしそれにしては少し変だとも考えた とにかく兄妹の夫まで呼び寄せた私が父の病気を打っちゃって東京へ行くわけにはいかなかった
私は母と相談して行かれないという偏伝を打つことにした できるだけ簡略な言葉で父の病気の既得に陥りつつある胸も付け加えたがそれでも気が
済まなかったから一切手紙として 細かい事情をその日のうちにしたためて郵便で出した
頼んだ位置のこととばかり信じ切った母は本当に間の悪い時は仕方のないものだね と言って残念そうな顔をした
13 私の書いた手紙はかなり長いものであった
母も私も今度こそ先生から何とか言ってくるだろうと考えていた すると手紙を出して2日目にまた電報が私宛てで届いた
それには来ないでもよろしいという文句だけしかなかった 私はそれを母に見せた
大方手紙で何とか言ってきてくださるつもりだろうよ 母はどこまでも先生が私のために異色の口を修繕してくれるものとばかり解釈している
らしかった 私もあるいはそうかとも考えたが先生の平成から押してみるとどうも変に思われた
先生が口を探してくれる これはありうべからざることのように私には見えた
とにかく私の手紙はまだ向こうへついていないはずだからこの電報はその前に出した ものに違いないですね
私は母に向かってこんなわかりきったことを言った 母はまたもっともらしく支援しながらそうだねと答えた
私の手紙を読まない前に先生がこの電報を打ったということが先生を解釈する上において 何の役にも立たないのは知れているのに
その日はちょうど主治医が町から委員長を連れてくるはずになっていたので母と私はそれ ぎりこの事件について話をする機会がなかった
2人の医者は立ち会いの上病人に館長などをして帰っていった 父は医者から暗号をめずられて以来両便とも寝たまま人の手で始末してもらっていた
潔癖な父は最初の間こそ鼻裸しくそれを忌み嫌ったか 体が効かないのでやむを得ずいやいやとこの上で用を出した
家族の結束
それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのかなんだか 日を振るに従って武将の拝絶を意図しないようになった
たまには布団や敷布を汚して旗の者が舞いを寄せるのに当人は帰って平気でいたりした もっとも尿の量は病気の性質として極めて少なくなった
医者はそれを苦にした食欲も次第に衰えた たまに何か欲しがっても舌が欲しがるだけで喉から舌へはごくわずかしか通らなかった
好きな新聞も手に取る気力がなくなった 枕のそばにある老眼鏡はいつまでも黒い鞘に収められたままであった
子供の自分から仲の良かった作さんという今では一人ばかり隔たったところに住んでいる 人が見舞いに来た時父は
作さんかと言ってどんより下目を作さんの方に向けた ザクさんよく来てくれた
作さんは丈夫で羨ましいねー 俺はもうダメだ
そんなことはないよお前なんか子供は2人とも大学を卒業するし少しぐらい病気になっ とってもう自分はないんだ俺をご覧よ
か母にはし慣れてさ子供話さただこうして生きているだけのことだよ 私だって何の楽しみもないじゃないか
館長をしたのは作さんが来てから2,3日後のことであった 父は医者のおかげで大変楽になったと言って喜んだ
少し自分の寿命に対する度胸ができたというふうに機嫌が直った そばにいる母はそれに吊り込まれたのか病人に気力をつけるためか
先生から電報抜きたことをあたかも私の位置が父の希望する通り東京にあったように 話した
そばにいる私はむずかゆい心持ちがしたが母の言葉を遮るわけにも行かないので黙って 聞いていた病人は嬉しそうな顔をした
それは結構ですと妹の夫も言った 何の口だかまだわからないのかと兄が聞いた
私は今更それを否定する勇気を失った自分にもなんともわけのわからない曖昧な 返事をしてわざと席を立った
14 父の病気は最後の一撃を待つ間際まで進んできてそこでしばらく躊躇するように見えた
家の者は運命の戦国が今日下るか今日下るかと思って舞い男に入った 父の旗のものをつらくするほどの苦痛をどこにも感じていなかった
その点になると看病はむしろ楽であった 病人のために誰か一人ぐらいずつ変わるガール起きてはいたが後の者は相当の時間に
命名の寝床へ引き取って差し支えなかった 何かの表紙で眠れなかった時病人の唸るような声をかすかに聞いたと思い謝った私は
いっぺん夜中に床を抜け出して念のため父の枕元まで行ってみたことがあった そのようは母が起きている晩に当たっていた
しかしその母は父の横に肘を曲げて枕としたなり寝入っていた 父も深い眠りのうちにそっと置かれた人のように静かにしていた
私は忍び足でまた自分の寝床へ帰った 私は兄と一緒のカヤの中に寝た妹の夫だけは客扱いを受けているせいか一人離れた
座敷に行って休んだ 関さんも気の毒だねああいく日も引っ張られて帰れなくなっちゃう
関というのはその人の苗字であった しかしそんな忙しい体でもないんだから足で止まっていてくれるんでしょ
関さんよりも兄さんの方が困るでしょ こう長くっちゃ
困っても仕方がない他のことと違うからな 兄と床を並べて寝る私はこんな寝物語をした
兄の頭にも私の胸にも父はどうせ助からないという考えがあった どうせ助からないものならばという考えもあった
我々はことして親の死ぬのを待っているようなものであった しかしことしての我々はそれを言葉の上に表すのをはばかった
そしてお互いにお互いがどんなことを思っているかをよく理解し合っていた お父さんはまだ治る気でいるようだなと兄が私に言った
実際兄の言う通りに見えるところもないではなかった 近所の者が見舞いに来ると父は必ず会うと言って承知しなかった
あえばきっと私の卒業祝いに呼ぶことができなかったの残念があった その代わり自分の病気が治ったらというようなことも時々付け加えた
お前の卒業祝いは止めになって結構だ俺の時には弱ったからねー と兄は私の記憶をつっついた
私はアルコールに煽られたその時の乱雑な有様を思い出して苦笑した 飲むもの焼くものを敷いて回る父の態度もにがにがしく私の目に移った
私たちはそれほど仲の良い兄弟ではなかった 小さいうちはよく喧嘩をして年の少ない私の方がいつでも泣かされた
学校へ入ってからの専門の創意も全く性格の創意から出ていた 大学にいる自分の私はことに先生に接触した私は遠くから兄を眺めて常に動物的だと
思っていた 私は長く兄に会わなかったのでまた掛け枝だった遠くにいたので時から言っても
距離から言っても兄はいつも私には近くなかったのである それでも久しぶりにこう打ち合ってみると兄弟の優しい心持ちがどこからか自然に湧いて出た
病床の父と兄弟の会話
場合が場合などもその大きな原因になっていた 2人に共通な父その父の死のうとしている枕元で兄と私は握手したのであった
お前これからどうすると兄は聞いた 私はまた全く見当の違った質問を兄にかけた
一体うちの財産はどうなってるんだろう 俺は知らないお父さんはまだ何とも言わないからしかし財産って言ったところで金として
は鷹の知れたもんだろう 母はまた母で先生の返事の来るのを苦にしていた
まだ手紙は来ないかいと私を責めた 15
先生先生というのは一体誰のことだと兄が聞いた この間話したじゃないかと私は答えた
私は自分で質問をしておきながらすぐ人の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起こした 聞いたことは聞いたけれども
兄は筆記を聞いてもわからないというのであった 私から見れば何も無理に先生を兄に理解してもらう必要はなかった
けれども腹渡ったまた例の兄らしいところが出てきたと思った 先生先生と私が尊敬する以上その人は必ず著名の詩ではならないように兄は考えて
いた 少なくとも大学の教授ぐらいだろうと推察していた
名もない人何もしていない人それがどこに価値を持っているだろう 愛の腹はこの点においてしと全く同じものであった
けれども父が何もできないから遊んでいるのだと即談するのに引き換えて兄は何か やれる能力があるのにブラブラしているのはつまらん人間に限る
といった風の興奮を漏らしていた イゴイストはいけないね何でもしないで生きていようというのは横着な料金だからね
人は自分の持っている才能をできるだけ働かせなくっちゃ嘘だ 私は兄に向かって自分の使っているイゴイストという言葉の意味がよくわかるかと
聞き返しやりたかった それでもその人のおかげで地位ができればまあ結構だ
お父さんも喜んでいるようじゃないか 兄は後からこんなことを言った
先生から明瞭な手紙の粉以上私はそう信じることもできずまたそう口に出す勇気も なかった
それを母の早飲み込みでみんなにそう不意調してしまった今となってみると私は急に それを打ち消すわけにいかなくなった
私は母に採測されるまでもなく先生の手紙を待ち受けた そしてその手紙にどうかみんなの考えているような異色の口のことが書いて
あればいいがと念じた 私は死に瀕している父の手前
その父に幾分でも安心させてやりたいと祈りつつある母の手前 働かなければ人間でないように言う兄の手前
その他妹の夫だのおじだのおばたのの手前 私のちょっとも頓着していないことに神経を悩まさなければならなかった
父が変な黄色いものを履いた時私はかつて先生と奥さんから聞かされた危険を思い出した 足で長く寝ているんだから胃も悪くなるはずだねー
といった母の顔を見て何も知らないその人の前に涙ぐんだ 兄と私は茶の間で落ちちゃった時兄は聞いたかといった
それは医者が帰り際に兄に向かっていったことを聞いたかという意味であった 私には説明を待たないでもその意味がよくわかっていた
お前ここへ帰ってきて家のことを管理する気がないかと兄が私を帰り見た 私は何とも答えなかった
お母さん一人じゃどうすることもできないだろうと兄がまた言った 兄は私を土の匂いを嗅いで朽ちていっても惜しくないように見ていた
本を読むだけなら田舎でも十分できるしそれに働く必要もなくなるしちょうどいいだろう 兄さんが帰ってくるのが順ですねと私が言った
俺にそんなことができるもんかと兄は一口に知りづけた 兄の腹の中には世の中でこれから仕事をしようという気が満ち満ちていた
お前が嫌ならまあおじさんにでも世話を頼むんだがそれにしてもお母さんはどっち かでき取らなくっちゃなる前
母の苦悩と父の様子
お母さんがここを動くか動かないかがすでに大きな疑問ですよ 兄弟はまだ父の死なない前から父の死んだ後についてこんな風に語り合った
16 父は時々上言を言うようになった
乃木大将に済まない実に面目次第がない 家
私もすぐを後から こんな言葉をひょいひょい出した
母は君を悪だったなるべくみんなを枕元へ集めておきたがった 気の確かな時はしきりに寂しがる病人にもそれが希望らしく見えた
ことに部屋の中を見回して母の影が見えないと父は必ずお水はと聞いた 聞かないでも目がそれを物語っていた
私はよく立って母を呼びに行った 何か御用ですか
と母が仕掛けたようそのままにしておいて病室へ来ると父はただ母の顔を見つめる だけで何も言わないことがあった
そうかと思うとまるでかけ離れた話をした突然 お水お前にもいろいろ世話になったね
などと優しい言葉を出す時もあった母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ そうした後ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対象として思い出すらしかった
あんな哀れっぽいことを言い出がねー あれでもとは随分酷かったんだよ
母は父のために本気で背中をどやされた時のことなどを話した 今まで何年もそれを聞かされた私と兄はいつもとはまるで違った気分で母の言葉を
父の塊のように耳へ受け入れた 父は自分の目の前に薄暗く映る死の影を眺めながらまだゆいごんらしいものを口に
出せなかった 今のうちに何か聞いておく必要ないかなと兄が私の顔を見た
そうだなぁと私は答えた 私はこちらから進んでそんなことを持ち出すのも病人のためによしよしだと考えていた
2人は決死兼ねてついに王子に相談をかけた 王子も首を傾けた
言いたいことがあるのに言わないで死ぬのも残念だろうしと言ってこっちから早速する のも悪いかもしれず
話はとうとうグズグズになってしまったそのうちに渾水が来た 例の通り何も知らない母はそれをただの眠りと思い違えて帰って喜んだ
まあああして楽に寝られれば旗にいるのも助かります と言った
父は時々目を開けて誰はどうしたのだと突然聞いた その誰はついさっきまでそこに座っていた人の名に限られていた
父の意識には暗いところと明るいところとできてその明るいところだけが闇を縫う 白い糸のようにある距離を置いて連続するように見えた
母が渾水状態を普通の眠りと取り違えたのも無理はなかった そのうち舌がだんだんもつれてきた
何か言い出しても尻が不明瞭に終わるために容量を得ないでしまうことが多くあった そのくせ話し始めるときは既得の病人とは思われないほど強い声を出した
我々はもとより普段以上に調子を張り上げて耳元へ口を寄せるようにしなければ ならなかった
頭を冷やすといい心持ちですか
私は看護婦を相手に父の水枕を取り替えてそれから新しい氷売れた標納を頭の上に乗せた ガサガサに割られて尖り切った氷の破片が袋の中で落ち着く間
私は父の剥ぎ上がった額の外れでそれを柔らかに抑えていた その時兄が廊下図体に入ってきて一通の郵便を無言のまま私の手に渡した
空いた方の左手を出してその郵便を受け取った私はすぐ不審を起こした それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった
波の錠袋にも入れてなかった まだ波の錠袋に入れられべき分量でもなかった
半紙で包んで閉じ目を丁寧に糊で貼り付けてあった 私はそれを兄の手から受け取った時すぐその書き留めであることに気がついた
裏を返してみるとそこに先生の名が謹んだ字で書いてあった 手の離せない私はすぐ封を切るわけにいかないのでちょっとそれを懐に差し込んだ
17 その日は病人の出来がことに悪いように見えた
私が川家へ行こうとして席を立った時廊下で行きあった兄はどこ行くと万平のような 口調で追加した
どうも様子が少し変だがなるべくそばにいるようにしなくちゃいけないよと注意した 私もそう思っていた
懐中した手紙はそのままにしてまた病室へ帰った 父は目を開けてそこに並んでいる人の名前を母に尋ねた
母があれは誰これは誰といちいち説明してやると父はその度にうなずいた うなずかない時は母が声を張り上げて何々さんです
わかりましたかと念をした どうもいろいろお世話になります父はこう言った
そうしてまた渾水状態に陥った 枕部を取り巻いている人は無言のまましばらく病人の様子を見つめていた
やがてそのうちの一人が立って次の前でたするとまた一人立った 私も3人目にとうとう席を外して自分の部屋へ来た
私にはさっき懐に入れた郵便物の中を開けてみようという目的があった それは病人の枕元でも容易にできる所作には違いなかった
しかし書かれたものの分量があまりに多すぎるので一息にそこで読み通すわけにはいかなかった 私は特別の時間を盗んでそれに当てた
先生の手紙と過去の告白
私は繊維の強い包み紙を引き書くように先破った 中から出たものは縦横に引いた軽の中へ行儀よく書いた原稿用のものであった
そして封じる便宜のために四つ折りに畳まれてあった 私は癖のついた西洋誌を逆に折り返して読みやすいように平たくした
私の心はこの多量の紙と印記が私に何事を語るのだろうかと思って驚いた 私は同時に病室のことが気にかかった
私がこの書物を読み始めて読み終わらない前に父はきっとどうかなる 少なくとも私は兄から母からかそれでなければおじからか呼ばれるに決まっている
という予覚があった 私は落ち着いて先生の書いたものを読む気になれなかった
私は騒々しながらただ最初の1ページを読んだそのページは下のように綴られていた あなたから過去を問いただされた時答えることのできなかった
勇気のない私は今あなたの前にそれを明白に物語る自由を得たと信じます しかしその自由はあなたの状況を待っているうちにはまた失われてしまう世間的の自由に過ぎ
ないのであります したがってそれを利用できる時に利用しなければ私の過去をあなたの頭に関節の経験として教えてあげる機会を永久に一するようになります
そうするとあの時あれほど固く約束した言葉がまるで嘘になります 私はやむを得ず口で言うべきところを筆で申し上げることにしました
私はそこまで読んで初めてこの長いものが何のために書かれたのかその理由を明らかに 知ることができた
私の異色の口そんなものについて先生が手紙をよこす気遣いはないと私は初手から 信じていた
しかし筆を取ることの嫌いな先生がどうしてあの事件をこう長く書いて私に見せる気 になったのだろう
先生はなぜ私の状況をするまで待っていられないだろう 自由がきたから話すしかしその自由はまた永久に失わなければならない
私は心の内でこう繰り返しながらその意味を知るに苦しんだ 私は突然不安に襲われた私は続いて後を読もうとした
その時病室の方から私を呼ぶ大きな兄の声が聞こえた 私はまた驚いて立ち上がった
廊下を駆け抜けるようにしてみんなのいるところへ行った 私はいよいよ地の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟した
18 病室にはいつの間にか医者が来ていた
なるべく病人を楽にするという主意からまた館長を試みるところであった 看護婦は夕べの疲れを休めるために別室で寝ていた
慣れない兄は立ってまごまごしていた私の顔を見るとちょっと手を貸しといったまま 自分は席についた
私は兄に代わって油髪を父の尻の下に当てがったりした 父の様子は少しくつろいできた
30分ほど枕元に座っていた医者は館長の結果を認めた上また来ると言って帰っていった 帰り際にもしものことがあったらいつでも読んでくれるようにわざわざ断っていた
私は今にも変がありそうな病室を退いてまた先生の手紙を読もうとした しかし私は少しもゆっくりした気分になれなかった
机の前に座るや否やまた兄から大きな声で呼ばれそうでならなかった そして今度呼ばれればそれが最後だという威風が私の手を振る舞した
私は先生の手紙はただ無意味にページだけはぐっていった 私の目は貴重面に枠の中にはめられた自覚を見た
けれどもそれを読む余裕はなかった 酷い読みにする余裕すらおぼつかなかった
手紙の内容と心の動き
私は一番姉妹のページまで順々に開けてみて またそれを元の通り畳んで机の上に置こうとした
その時ふと結末に近い一句が私の目に入った この手紙があなたの手に落ちる頃には私はもうこの世にはいないでしょう
特に死んでいるでしょう 私ははっと思った
今までざわざわと動いていた私の胸が一度に凝結したように感じた 私はまた逆にページをはぐり返した
そして1枚にいくぐらいずつの終わりで逆さに読んでいった 私はとスターの間に私の知らなければならないことを知ろうとしてチラチラする文字を
目で差し通そうと試みた その時私の知ろうとするのはただ先生の安否だけであった
先生の過去かつて先生が私に話そうと約束した薄暗いその過去 そんなものは私にとって全く無用であった
私は逆さまにページをはぐりながら私に必要な知識を容易に与えてくれないこの長い 手紙をじれったそうにたたんだ
私はまた父の様相見に病室のと口まで行った 病人の真比べは存外静かであった
頼りなそうに疲れた顔をしてそこに座っている母を手招きして どうですか様子はと聞いた母は
今少し持ち合っているようだよ と答えた
私は父の目の前へ顔を出して どうです感情して少しは心持ちが良くなりましたかと尋ねた
父はうなずいた 父ははっきりありがとうと言った
父の精神は存外朦朧としていなかった 私はまた病室を退いて自分の部屋に帰った
そこで時計を見ながら汽車の発着票を調べた 私は突然立って帯を締め直してた元の中井先生の手紙を投げ込んだ
それから買って口から表へ出た私は夢中で医者の家へ駆け込んだ 私は医者から父がもう2、3日持つだろうかそこのところをはっきり聞こうとした
注射でも何でもしてもたしてくれと頼もうとした 医者はあいにく留守であった
私にはじっとして彼の帰るのを待ち受ける時間がなかった 心の落ち着きもなかった私はすぐ車をステーションへ急がせた
私はステーションの壁紙切れをあてがってその上から鉛筆で母と兄宛てで手紙を書いた 手紙はごく簡単なものであったが断らないで走るよりまだマシだろうと思ってそれを
急いで家へ届けるようにシャフに頼んだ そして思い切った勢いで東京駅の汽車に飛び乗ってしまった
私は豪豪なる3等列車の中でまたた元から先生の手紙を出してようやく始めから 姉妹まで目を通した
次回の予告
1991年発行周永者周永者文庫 心より一部独領読み終わりです
はい今回のが上中下の中ですね次は下になります下が一番長いと聞いてますよ
多分予想だけど下だけで3時間ぐらいあるんだろうなという気がしてますねはい よし終わりにしましょうか
無事寝押しできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした といったところで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう
おやすみなさい