1
中澤先生は気の優しい人だったけれど、随分な感触持ちで、
どうかしてカットすれば、狂弁でもってグラグラするほど人の頭をぶったりした。
それでも私は先生が大好きで、ご苦労にも家の庭にある
その枝を取っては痛い思いをするために、新しい無情を先生に与えた。
すると先生はいつもにやにや笑いながら、
ありがとう、頭を叩くにはこれが一番だ。
と言って、一つ叩く真似をしてみたりする。
私は何一つ言うことを聞かず、勝手気ままにしてたので、
よっぽどもてあましてるらしかったが、
やっぱり可愛がってるのだと、こちら一人で決めていた。
みんなの行儀が悪いために、例の感触が起こって先生の顔が火の玉みたいになると、
私は縮み上がって鳴りを沈めてしまう。
そんな時でも私は平気の平座で笑いながら見てるもので、
ある日先生は見回りに来た校長さんに私のことを
無神経でしょうがないと言ってこぼした。
校長さんはそばへ来て自分の噂を面白そうに聞いている私に、
先生が怖くないかと聞いた。
いいえ、ちょっとも。
私は答えた。
なぜ怖くない。
先生だってやっぱり人間だと思うから。
二人は顔を見合わせて苦笑いしゃきり何とも言わなかった。
私はその頃からしか爪らしい大人の殻を通して、
中に隠れている滑稽な子供を見るようになっていたので、
一般の子供が持っているような大人というものに対する特別な経緯は到底持ち得なかったのである。
早行するうちに日清戦争が始まった。
私はかなり重いハシカにかかって幾日か学校を休んだ後、
やったのことで出席したら以外にも受け持ちの先生が変わっていた。
中沢先生は召集されたのだという。
よく軍艦の話を聞かせたが、
元は海軍士官で病気のために予備になっていたのだそうだ。
あの不思議な最勇気の話をしてくれた先生。
絵筆をベロベロ舐めて綺麗な絵を描いた先生。
シュロの虫で頭を叩くことのほかは、
何もかも気に入っていた先生はもう顔を見ることもできない。
そう思えば胸いっぱいになって放課時間にみんなを呼び集めて、
先生が板間越えに来たときの様子を鳴りと責めて詳しく聞こうとしたが、
彼らはただもうその日その日の遊びに気を取られて、
別れてからまだ半月とは経たないのにそんなことはとうに忘れてしまってケロリと座っている。
そしてせっかくの遊びを邪魔されたのが不平らしく面をふくらせてもじもじしていたが、
やがて一人がようやく思い出したように
「獅子の毛のついた外套を着ていた。」と言った。
と他の者もてんでに、
「あ、獅子の毛だ、獅子の毛だ。」と言う。
馬鹿者たちは初めて見た獅子の毛、
それも多分間違いなのだろうが、
に見とれてない一つを覚えてはいはしない。
そんなにしてねほりはほり尋ねる私をさんざじらして挙げく一人が、
先生は戦争に出るのだからもう二度と会えないかもしれないが、
みんなは今度の先生の言うことをよく聞いて勉強して偉い人にならなければいけない。
と言ったということを、急にハラハラと涙をこぼしたもので、
みんなは悪気にとられて私の顔を見つめ、
中には目ひき、袖ひき、軽蔑の笑いをもらす者もあった。
彼らはまだこのように泣くことを知らないゆえに、
男は三年に一遍泣くもんだといった先生の教えを破ってはならぬものと思っているのであった。
2
私にとってさらに不幸せなのは、
新任の牛田先生とさっぱり気の合わないことであった。
この人は柔術ができるというので先頭にも恐れられ、
自分でも得意になって相手もなしにひっくり返してみせたりしたが、
いつぞや図画の試験に私の書いた標端を先生より上手いといって30マルを付けてくれたほかに何一つ感心するところがない。
こちらが先を嫌いである通り、たぶん先もこちらを嫌っていたのであろう。
いっそ話にお互いが敵同士みたいな具合になってしまった。
それはそうと戦争が始まって以来、
仲間の話は朝から晩まで大和魂とちゃんちゃん坊主で持ちきっている。
それに先生までが一緒になって、まるで犬でもけしかけるように何座といえば大和魂とちゃんちゃん坊主を繰り返す。
私はそれを心から苦々しく不愉快なことに思った。
先生は余剰や悲観の話はお首にも出さないで、
のべつ幕なしに原稿と朝鮮征伐の話ばかりする。
そして昭和といえば殺風景な戦争物ばかり歌わせて、面白くもない体操みたいな踊りをやらせる。
それをまたみんな無気になって、目の前にフグ大典のちゃんちゃん坊主が押し寄せてきたかのように肩を怒らし、
肘を張って、切羽の皮の破れるほどやけに足踏みをしながら、
ムンムとは舞い上がる埃の中で不死も調子もお構い主と成り立てる。
私はこんな手合いと弱いするのを恥とするような気持ちで、
わざと彼らよりは一段高く調子を外して歌った。
また、たださえ狭い運動場は、肩を清ませや包帳と着胸で鼻を尽くしますで、
岩虫はみんなちゃんちゃん坊主にされて首を切られている。
街を歩けば絵造師屋の店という店には千代神や兄様尽くしなどは影を隠して、
至る所鉄砲玉の弾けたひた鳴らしい絵ばかり掛かっている。
字幕の触れるところの何もかも私を腹立たしくする。
ある時、また大勢が一所に固まって聞きかじりの噂を種に凄ましい戦争団に花を咲かせた時に、
私は彼らと反対の意見を述べて、結局日本はシナに負けるだろうと言った。
この思いがけない大胆な予言に、彼らはしばらくは目を見合わすばかりであったが、
やがてその称しながら首相な敵害心は、もはや組長の権威をも無視するまでに高ぶって、
一人の奴は行三に、「あらあら、ありなありな。」と言った。
他の一人は原稿でちょいと腹の先をこすって見せた。
もう一人は先生の真似をして、「おありくさま。日本人には大和魂があります。」と言う。
私はより異常の反感と確信を持って彼らの攻撃を一人で引き受けながら、「きっと負ける。きっと負ける。」と言い切った。
そしてわいわい騒ぎ立てる真ん中に座り、あらゆる知恵を絞って相手の根拠のない議論を打ち破った。
仲間の多くは新聞の広い読みもしていない。
万国地図も覗いてはいない。四季や十八支略の話も聞いてはいない。
それがためにとうとう私一人に言いまくられて不勝不勝にくじをつぐんだ。
が、鬱憤はなかなかそれなりに収まらず、彼らは次の時間に早速先生に言いつけて、「先生、××さんは日本が負けるって言います。」と言った。
先生は礼のしたり顔で、「日本人には大和魂がある。」と言って、いつもの通りシナ人のことを何のかのと口汚くのどした。
それを私は自分が言われたように腹に据えかねて、「先生、日本人に大和魂があれば、シナ人にはシナ魂があるでしょう。
日本に加藤清政や北条時宗がいれば、シナにだって関羽や張飛がいるじゃありませんか。
それに先生はいつかも謙心が信玄に死を贈った話をして、敵を憐れむのが武士道となんて教えておきながら、何だってそんなにシナ人の悪口ばかし言うんです。」
そんなことを言って平然のむしゃくしゃした人思いにぶちまけてやったら先生は難しい顔をしていたがややあって、「××さんは大和魂がない。」と言った。
私は米紙にピリビリと寒石筋の冊のを覚えたが、その大和魂を取り出してみせることもできないので、そのまま顔を赤くして黙ってしまった。
朱雄無双の日本兵はシナ兵と私の小賢しい予言を散々に打ち破ったけれど、先生に対する私の不信用と同派に対する軽蔑をどうすることもできなかった。
それやこれやでみんなと一緒になっているのが馬鹿らしいという気になり、いつとはなしにこちらから遠ざかって、いつも旗からその馬鹿騒ぎを嘲笑的に見ているようになった。
ある日のこと、一人廊下に立って、幾歳となくわんばくどもの手にすられててらてらになった手すりに肘をかけ、藤棚の下に飛び回る彼らの仕業を眺めて笑っていたとき、後ろを通りかかった一人の先生が不意に呼びかけて、
何を笑っている?と言った。私は。
子どもたちの遊ぶのがおかしい。と答えた。先生は吹き出して。
マツボスさんも子どもじゃないか。
というのを真面目で。
子どもは子どもでもあんな馬鹿じゃない。と言ったら。
困るね。
と言って教員室へ入って他の人たちに話していた。私はたぶん先生たちに困られていたのである。
3
同級の生徒はどれもこれも性のない三太郎として馬鹿にしきっていたにもかかわらず、その三太郎の体調とも言うべき、上本さんには心から混ぜた同情を揺らしていた。
彼はほとんど白痴の子で、背丈から見ればもう十六歳であったろうか。何でも同じ級に二三年ぐらい居ては、次第に上へ押し上げられるうちに、そのとき後から上がって行った私たちとちょうど一緒になったのである。
もとより自分の歳も知らないし、馬鹿の兵器でまだほんのたわいのない顔をしているので、彼が幾つになるのかは誰も知らなかった。
彼はふくぶくしい丸顔の頬についたソロマメ大のホクロを看板に、学校中の愛嬌者になってきたが、人が面白半分に、「上本さん、ほっぺたに炭がついているよ。」と言うと、フフフと笑って、
「炭じゃないんだ。ホクロなんだ。」と、応揚に言う。
彼は、体と釣り合わない小さなソロマメの玉の一つもないのを柱使いに懸け、気の向いたときにぶらりとやってきて、嫌になれば、お稽古中、何もお構いなしにさっさと帰ってしまう。
とかく、己と断ちがいの劣作者のみを愛憐するという人間一般のさもしい利己的な道場のもとにあって、天下に上本さんぐらい自由の天地を持っている者はなかった。
それでも、生きている会には機嫌のいい日と悪い日があり、悪い日には大抵顔を見せないが、魂が出てきても、にこりともしずに机にうつむいている。
そのうち、何を考え出すのか急においおい泣き出して、思う存分泣きつくすまでは、どうしても泣きやまない。
そうして、その不幸な暗黒の胸に人知れず湧いてたまった悲しみを、遠慮のない大声に泣きからしてしまえば、例のその晩を肩にかけてけらりとして帰ってゆく。
そんな日にはどうかして言葉をかける者があっても、不幸せな一徳の気の良さそうな笑い声もせず、ヒギャーッとオウムみたいな声を出して、相手を追い払うのが常であった。
しかしどうかしてご機嫌のうるわしい時には、頼みもしないのに、あたえが馬になってやろう。
なんということもあったが、馬としては背は高し、力はあり、ブクブク太って乗り心地のいい銘馬だったけれど、気が向かなくなると対象同士の組打ちの最中でも何でも棒立ちになってしまう、手のつけられない看馬でもあった。
彼の奥底の知れぬ沈黙、その沈黙の底からあふれ出す涙。
私はどうかしてその正体をつかまえようということに思い立って、それからはみんなの笑う者もかまわず、勤めて彼に近づくようにした。
私は彼の機嫌のいいおりを見ては、おはようとかさようならとかいう短い挨拶の言葉をかけてみたが、先は帝王が親家に対するほどの営釈も返さない。
それでもかまわず、馬ず頼まず続けるうち、ある日彼は白身のようにへばりついている席を離れ、ひょこひょことそばへ来て礼のしたたらずみたいに、
「松松さんはいい人だ。」というなり、ふふふと笑って行ってしまった。
私にはその一言が飛び立つほど嬉しかった。
彼の言うことにはみじんも嘘はない。
すでにその自分、人の言葉には嘘のあることをあまりに多く知りすぎていた私には、たまえもない気まぐれなその一言がしみじみと身にしみて、
きっと友達になれるだろう、そしてこの気の毒な人を慰めてやることができるだろうと、もうその暗黒の扉の鍵が手に入ったかのように喜んだ。
で私は今日こそと思って隣の席へ行って何かと話しかけてみたが、にやにや笑うばかり。さっぱり立ちがあかない。
そのうち彼は黙り込んで机にうつむいてしまった。
と、やがてのことに奥の手を出してひやーと見事な一括をくわした。
日ごろの苦心もおおむの一声にまんまと水の泡になった。
上本さんは私のように望ましいつれがないゆえに、
余儀なく一人でいるのではなくて、はじめからほんとに何にもいらない人なのであった。
④兄はその年頃の者が誰しも一度は持つことのある自己拡張の臭みをしたたかに帯びた好奇的親切。
から生まれつき自分とは全く違ったふうに形作られて、西と東にわかりゆくべき人間だった私を、
誠に生き届いた厳しい教育の力によって、いや王なしに自分の方へねじむけようと骨を負った。
ね、自分は鬼畜と呼ばれるほど釣りが好きだもので、
品一気に邪道に落ちてゆく哀れな弟を救い上げるには、
自分のようにするには何でも釣りを仕込むに限ると思いついたものか。
学校の休みとさえ言えば、とかく知り込みがちな私を無理やりに引っ張り出して、
ただもうその機嫌を損じるのがつらさにまた、せうことなしについてゆく私に釣り道具を担がせ、
兄の説によれば理想的の釣りぼり。
私から言えば特別嫌な釣りぼりのは、たくさんある本所までてくてくと歩いてゆく。
私はみちみち帽子が曲がったの、首がこぼんだの、売り出しの調子に見とれたの、
手の振りようが当分でないのと、頭のてっぺんから足の先まで小言を喰いながら、
木骨と遠道とでへとへとに疲れて挙げく。
やっと釣りぼりの旗竿の下をくぐってほっとすると、間もなくじめついた堀の縁に座らされ、
ああ、またここで一日かと思うと背も骨も抜けてうんざりしてしまう。
どろどろした悪臭い堀に打ち込んだ杭には青苔がいっぱい盛り上がっている。
赤サビの浮いた隅っこのお土産には、水かまきりがアメンボを取ったり、高めがひょくひょく潜ったりしている。
そんなものを見たばかりでも胸が悪いの、近所の工場で鉄板をたたく音がどんがんどんがんひっきりなしに響いて、
頭もわれそうに頭痛がしてくる。
兄は私が身水の切り方がうまくなって感心だ、謎と言うけれど、そんなことうれしくもない。
私は当てがわれた一本の竿を持て余して、それでも上辺だけは油断なく浮きを見つめるふりをしながら、
自分はなぜ釣りが好きにならなければならないのかしら、謎とそれからそれと面白くないことばかり考えていると。
平成金元で祝っているはずの兄には、釣堀へ来れば急にたちといい目玉がいくつもできて、自分は五本も七本も竿を並べながら、
「あ、そら、引いてるじゃないか。」ならといつの間にか人の動きまで睨んでいる。
釣り上げるとまた、釈意方が下手だの、針の外し方がまずいのとけんつくを食うので、
早く逃げてくれればいいのにと思ってずるずると無性な揚げをする。
とどれだけの黄色い腹が見えたりするのを汚い声だなと思って眺めていると、兄が感触を起こして玉を放りつける。
その自分には魚は大抵針を外して逃げてしまう。
そんなにして、やっとこさと一日の苦業を済ませて、さて帰るなんとなれば、今度は生臭い鼻腔がまた重荷となる。
そしてこれも教育のためとあって、私の嫌がる道。
古道具屋や倉庫や荷車や溝などのある道。
電線の風になる道。
屋台店の並んだ道。
大わざわざ回り道して歩く。
叱られ叱られして、疲れ切った足に後から小走りしていくのだが、
遠い道を遠くして歩くので、まだ家近くならないうちに日が暮れてしまう。
その時の不愉快と不平のうちに、夕べの空に一つ二つ輝き始める星。
それは、おばさんが神様や仏様がいるところだと教えたその星を力に。
懐かしく見とれていれば、兄は私に送れるのに腹を立てて、
何をぐずぐずしてる、という。
はっと気がついて、
お星様を見てたんです、というのを聞きもせず。
バカ、星って言え、
と唸りつける。
哀れな人よ。
何かの縁があって、地獄の道連れとなったこの人を兄さんと呼ぶように。
子供の同型が空をめぐる冷たい石をお星さんと呼ぶのが、そんなに悪いことであったろうか。
5
ある時、これも教育という名義のもとに、ある海岸へ連れて行かれたことがあった。
兄は、私のいつにないいい返事を、
あの楽しかった一夜の旅行の記憶と、先に行って待っている私の好きなお友達、
兄の
のためとは知らず立つ前の晩には、
常期限で美車門様の縁日へ連れて行って、小国民を一冊買ってくれた。
あくる朝は、いつになく親切な兄に連れられて、
この分ならまあよかった、と思いながら小国民を荷物に家を出た。
ちょうど七夕様の日で、
工房の百姓家には五式の短冊をつけた笹が立って、
我や根にホタル草が涼しく咲いている。
私はもの珍しくそれらのものに見とれながら、
なぜ街ではそうしないのだろうと言って、まず最初の一冊を食った。
青田や空や海や白穂に気を浮かされて、
言いたいこと、聞きたいことはいくらもあるのを叱られるのが辛さに、
自分一人でアークを考えて、
やっぱし来ない方がよかったかしらなさずと思っていると今度は、
黙っていると言って新規に一冊を食う。
兄はなぜか、こうわけもなく腹を立てるのかと思ったら、
私がどうしたら記者が動くかを質問しないために機嫌が悪いのであった。
私たちの着いたのは、
陰気な芝掻きをめぐらして所々に貝殻が捨ててあったりする両村の中の一軒のわらやで、
待ちかえて二人を迎えたお友達のほかに、
真っ黒な年寄り夫婦と同じ色の娘が住んでいた。
ちょうど昼飯の時刻だったので、
黒猫みたいな親子が三人の前へ汚い膳を二つ持ってきたが、
それはそこの家の者の使う食器なので、
私たちが食事を済ますまでは家の者は食べることができないのだから早くしなければいけないと言われ、
気が切れなく半分食べて箸を置いた。
家が狭いために兄と私だけは一里ばかり離れた岬の方へ移ることに話が決まり、
散歩方々を送ってくれるお友達と兄とは後から追いつくというので、
私一人ガタガタの田舎車に乗せられて先に出かけた。
車引きの親父はブクブクと太った実直らしい男なので、
ちっとも嫌ではなかったが、
例の陰気な柴柿の間をぐるぐる回っているうち、
いつとはなしにくさびしさが込み上げてたまらなくなってきた。
一生懸命曲げらそうとしても、
家の杉柿だの茶の間の様子だの、
そんなものばかり目に浮かんできて、
今夜も明日の晩も帰れないのだ、
などと思えば、
われ知らず泣き顔になって、
涙がぽとりと膝掛けの上に落ちるのをそこいろに遊んでいる漁師の子達が見つけて、
「やーい、寝とるがい、寝とるがい。」
尖天でに笑う。
親父は振り返り振り返り、
慰め顔に何か言うのだが、
言葉が違ってさっぱりわからない。
路端の柿根の間から美しい弁慶がにが出てきては、
車の響きに驚いて逃げ込むのを欲しいと思って横目に見ながら行くうちに海岸へ出た。
道は小山に沿って波打ち際をうねっている。
今にも潮が満ちて通れなくなりはしないかとハラハラしていれば、
親父は平気に何か考え事をしながらぼつぼつ歩いていく。
とある霧通しへかかったときに、
後ろを見たら兄たちの影が見えた。
のどへ突き上げる泣きじゃくりをようやく噛み殺したところへ、
兄は急ぎ足で追いついて私を車から下ろした。
岩勝の海岸から所々に魚の背ぶれのようにギザギザな岩潮が沖の方まで突き出て、
道をせかれた波が海坊主の頭みたいに丸く盛り上がっては、
さっと砕けてしぶきを飛ばす。
道がひとうねりするたんびに岸が小さく狭く湾入し、
低い波が時を置いてはザブンザブンと打ち寄せる。
それを聞くと、自然に胸が汗まって、せっかく泣きあんだ涙がまたこぼれ出す。
ひとつの波がザブンと砕けて、じーっと泡が消えて、
まあよかったと思う間もなく、次の波がザブンと砕ける。
ひとつの湾をやっと通り越すと、その次の湾がザブンとなる。
ひもじくなって足も疲れてきたのに、
岬は遥か向こうに見えて波の音はいくら言っても止まない。
ぽくぽくと引かれていく五六島の貧乏の列に追いついたとき、
お友達はふと私が涙をためているのを見て小声で兄に注意した。
兄は、「ほっとけほっとけ。」と言ってさっさと行く。
お友達は振り返り振り返りしていたが島に立ち止まって、
「くたぶれたのか?気分でも悪いのか?」と親切に尋ねたので正直に、
波の音が悲しいんですと言ったら兄は睨めつけて、
「ひとりで帰れ。」と言って足を早くした。
お友達は私の意外な返事に驚きながらも兄をなだめて、
「男はもっときつくならなければいけない。」と言った。
岩勝の岬の根元に近いところに一軒だけ離れて立った静かな宿に着いたときには、
もう日が沈みかかって、その日を包んで燃え立つ雲が車のように回っていた。
それがだんだん赤くなり紫になり藍色になり、空の色と一つになって消えていく。
縁側の柱につかまって岬に砕ける波が輪行を放つのを眺めていると、
気管の辺がえぐくなって涙がとめどもなく頬を伝わる。
それを柱にこすりつけこすりつけしてこらえながら、
早く明日になってくれればとただそればかり思っている。
雨も宵の風がヒューヒューと松を鳴らして何かが湧いてくるように虫が鳴く。
助手が戸を閉めに来たので仕方なしに部屋に入って、
泣き顔を隠し隠し小国民を出して読み始めた。
口絵には額を入られた木戸丸が片手で牛の皮を持ち上げ、
片手に刀を引きつけて雷光を狙っているところが書いてあった。
一枚一枚めくっていくうちに少年太鼓手という表題が身についてそこを読み始めた。
冊子絵を見ると、主人公の太鼓手はバチをあげて胸にかけた太鼓を打ちながら、
遅れる見方を尻目にかけて進んでいく。
読んでいるうちに頭が大きくて愚図で、平然、人から馬鹿にされてばかりいる太鼓手はいつか自分になってしまい、
涙がぽとぽとと本の上に落ちてとうとう最後の一括をくった。
翌朝、海はすっかり霧に閉ざされていた。
そうしてその中を漕いでいく炉の音がひどく私を喜ばせた。
船は見えずに音だけが何かの鳥の鳴くように、獣の子の七を求める声のように聞こえる。
子供たちが来て一緒に浜へ出た。
砂も石も、波の形に打ち上げられた海藻もみんなしっとりと朝露に濡れて、
夕べ、あんなにたんと鳴いていた虫があちこちにちちちっと可愛く泣き残っている。
平地と傾斜した浜との境に盛り上がった砂丘には雑草や風に吹き溜められた黒松がへばりつき、
すっきりした漁船が引き上げられて船を滑らすための枠、鳥の巣みたいなイケス、赤グミ、縄、ウニ、人手の殻など転がっている。
しばらくして霧が晴れ、群青にそこびかりする海の上へ朝日が赤々と昇ってむずがゆく汗をにじませる頃、
座丘の間の小道から漁師や女子供ががやがや降りてきて地引きを引き始めた。
えんえんと静かに声をかけながら、一足一足引き上げる間にここかしこに積まれた天草は火をつけられてプスプスと白い煙を吐く。
そのうちに兄は一人向こうの岩まで泳いで行ったので、私は雨の時だけ川になる水たまりへ入って石や貝を拾い始めた。
そこにはたくさんのヤドカリの子がいて、ちょいと見ればただの貝殻みたいに見えるが、少し経つと手を出してひょこひょこ歩き回る。
尖ったのや丸いのや、勝手次第の殻にいて、それでどれもヤドカリの子なのがおかしい。
お友達はどこからか長さ二千ばかりのホラ貝の殻を見つけてきてくれた。
ちょうど細いひもが通せるぐらいの穴が二つ空いている。
で、家へ帰ったら姉にもらった洋傘のふさをつけよう、なぞと思っているところへ兄が上がってきて、両手に持っている貝や石をみんな捨ててしまえという。
私は仕方なくさも惜しそうに一つ捨て、二つ捨て、とうとう残らず捨ては捨てたが、その貝だけはどうしても捨てかねてもじもじしてたら、
腹を立てて原稿を振り上げたのをお友達が止めて、それ一つだけ持って帰ることに不勝不勝に納得させた。
そのホラ貝は今でも古いおもちゃ箱の中にちゃんとふさがつけてしまってある。
兄はいろいろとしてずいぶん熱心に、綿密に厳格に教育を施したが、あるときふとしたことから、二人はこのお互いに難儀な関係をきっぱりと断ってしまうことになった。
いつごろからか、兄は釣りぼりの行為だけでは満足しなくなって、戸編みの稽古をはじめ。
例のとおり、ビクを下げさせて、さいさい私を近所の川へ連れて行った。
四五町行って、橋を一つ渡ればそこはもう川沿いの原で、紅白に染め分けた水引きの枠が縦のように並べて干してある。
まもなく水車場がある。
長い桶の中を水が押し合いへし合い、きちがいみたいに来るのを見ると、生きたもののように思われて身の毛が揺らす。
大きな水車がしぶきの息を吹き、しずくの汗を垂らしてぐわらぐわらぐわらと恐ろしく回っている。
ぬかぼこりのこもった突き場には、無数の木根がコツトンコツトンとどんな音を立てて一本足の踊るように米をつく。
そこへ行くと私はどういう訳か、下の根に苦味を覚えて、押しつけられるような気持ちになるのであった。
そこからだらだらと川上へ登れば関があり、その上に青くよどんだ水が三方に分かれて一つは桶に、一つは向こう岸の森の中へ。
残りは関の口からドドンドドンと地響きを打たせて転がり落ちる。
踊り上がるしぶき、湧き立つ泡、逆に這い上がる崖、横っ飛びに飛んでいく水を見るとたまらない寂しさ、恐ろしさに襲われて、ただもう早く帰りたい、早く帰りたいと思う。
その竹坪の主を、あるものは河童だと言った、あるものは六尺もある鯉だと言った、そしていずれも現在見たものから聞いたのだという。
その主に見込まれて毎年一人二人の子供は必ず命を落とすので、それらの哀れなもののために僅かの砂利浜にいつからか一本の戸場が建てられた。
その子供たちはどうしてるだろう。その上、ひろびろとして風に波打つ青土を見れば、急に胸が迫って涙がさっとまぶたに溜まる。
それは深い深い心の底から湧いてきてせき止めるすべもなかった。
その泣き顔を隠すために一生懸命足元を見つめながら四五軒まぶらに並んでいる藁屋の中の一つに入る。
そこは網を貸したり釣り道具を売ったりする家で、日に焼けた畳の上にいろいろに塗り分けられたとっくり型、しぃのみ型、円形のはんこ、糸巻、釣竿などが並んでいる。
庭先を流れていく溝には目高やエビが泳ぎ、あぜ道にひょろひょろとくぬぎの若木が並び、青土の末は丘になって真っ黒な森がどこまでも続いていく。
兄は網を持ち、私はびくを下げ、二人とも裸足になって滝の横手から崖を下りて向こう岸のくぼいところを漁って歩く。
兄はこの間まで氷炭なりにしかならなかった網が丸く広がるようになったと言ってほぐほぐしているけれど、そんなこと面白くもない。
私はセミの声を聞き、田んぼのレンゲソウを思いして薄暗く川に落ちた森の陰に立っていると、兄はたまに一匹二匹のゲバチハヤなどを取ってきて、
うまくなった、うまくなったと言いながら私の持っているびくに入れる。
魚が息のできるようにびくを水につけて友達みたいな気になって覗いていると、私みたいに臆病な彼らはちょいとした響きにも驚いて鼻をつく。
その間にも兄は、私が網を打つところを見ていないと言ってわんわん言う。
ある日のこと、またそんなにして川の中に立っていたとき、私は足元にある真っ白な石を拾おうとして身をかがめた。
それを兄はじきに見つけて、
何する?と言った。
石を拾うんです。
バカ。
私はもういつものように恐れなかった。
この間から考えて考えて考え抜いてある。
兄さん。
私は後ろから静かに呼びかけた。
兄さんが魚を取るのに、僕はなぜ石を拾っちゃ悪いんです?
兄は、
生牛な。
と怒鳴りつけた。
私は冷ややかに笑ってまともに兄の顔を見つめながら、
僕の言うことが違っているのは教えてください。
兄は、
殴るぞと言って手を挙げた。
私は黙って垂れ下がった枝の先に指輪をかけ、崖を上がり帰りかけたが、薄暗い木の陰に凹んでいるのを見ると急に疑問になり、
あんなに言うけれど、きっとやっぱし寂しいんだろうと思って岸の上から一生懸命に呼んだ。
兄さん。兄さん。
行ってあげましょうか。
兄はシュランカをして網を揃えている。
さようなら。私は丁寧に帽子を取って一人で家へ帰った。
それからは私たちは決して一緒に出かけなかった。
8.
家の周りには切り残した桑の木があったので、慰み方々子供たちの
はじめはただ葉の下に隠れているのがひんひんに大きくなり、坊主は頭を振り立てて端から食いかいていく。
私も小さな羊羹の箱に5、6匹入れてもらって、
おばさんがおかやこ様は元お姫様だった謎と教えたもので、
寝るときにはちゃんとごきげんようをし、朝はまたおはようをして留守の背をよくよく頼んで学校へ行く。
さて帰ってくれば、姉は手ぬぐいをかぶって前だれの両端を帯にはさみ、私はざるをかかえて桑積みに出かける。
そして指の先を黒くしながら、手の届く限りうまそうなのを酔って摘みっこをする。
冷たい唇から吐き出す糸の美しい艶が荒だとなって、遠い昔から人の手にのみ育てられたこの虫は、自ら食を求めようとはせず。
むしろの上に頭を並べておとなしく桑の葉の振りまかれるのを待っているのをおばさんは、
お姫様だったげなで、この行儀のええことはの。
と、さんも本当らしく言う。
青臭いのも、体の冷たいのも、はじめのうちこそは気味が悪かったが、
お姫様だと思えば何もかも平気になり、背中にある三日月型の半紋をかわいらしい目だと思うようになった。
お姫様は、よたびめの前情から出た後には、体も透き通るほど正常になり、
桑の葉さえ食べずにとみこみして乳弱の場所を求める。
それをそっと眉棚に移すと、ほどよいところに身を据え、静かに首を動かして自分の姿を隠すために白い貴重を織り始める。
最初はただ首を振るように見えるのが、一層はなしにほのかになり、
鎮痛力をもってひもなしに織り出した田原型の貴重ばかりが、ころりころりと眉棚にかかる。
私は置いてけぼりになった気持ちで、いつまでも取っておくといってきかないのを母とおばとでさっさともぎ取って鍋で煮る。
そして、薄黄色く濡れた糸をくるくると枠にまくと、
貴重が無残に保護されてしまいに西土地のかたちしたむくろが出る。
それを兄は絵箱に入れてすりぼりへとんでゆく。
お姫様の夢はかようにしてさめ、糸は旗屋へ送られておかしげな田舎島がおられた。
溶岩箱にできたいくつかの眉は種にするために残されたが、
私の心がその貴重の奥にまで届いたのか、それともお姫様が光り輝く夏の夜を捨てかねてか、
まもなく彼女は真っ黒な眼の上に美しい眉を立て、
新しい喜びに震える羽さえ持って昔の面影を忍ばすような可愛らしい姿を現した。
そうして右に左に輪を描くようにして結び合う伴侶を求めて歩くのを、
私は竹の中から出た人よりも珍しく眺めていた。
蚕が老いて眉になり、眉がほどけて蝶になり、蝶が卵を産むのを見て私の知識は完成した。
それは誠に不可思議の謎の輪であった。
私は常にかような子供らしい教壇を持って自分の周囲を眺めたいと思う。
人々は多くのことを見慣れるにつけ、ただそれが見慣れたことであるというばかりに、
そのままに見過ごしてしまうのであるけれども、
思えば年ごとの春に燃え出す木の芽は、年ごとに新たに我らを驚かすべきであったであろう。
それはもし知らないというならば、我々はこの小さな眉に包まれたほどの
わずかのことすらも知らないのであるゆえに。
その種が帰ったときにはクワの木も少なくなっていたし、
人でもなくてとてもそれだけの開花を買うことができなかったので、
家の者は直にスズメが食ってしまうだろうという浅はかな考えから、
去年以来お姫様と兄弟になった私の留守の間に、
そのうちの半分ほどをこっそり裏の畑へ捨てておいた。
それをクワ積みに行った拍子にふいと私が見つけ、びっくりして飛んで帰り、
訳を聞いたが、みんなは何のかのとはぐらかして相手にしようとしない。
私はとうとう勘づいて、
どうか拾い上げて買ってやってくれと手をつかないばかりにして頼んだけれど、
どうしても聞いてくれない。
とはいえ彼らの老快な気弁も、
到底単純無垢な子供の慈悲心をくらますことができないのを見、
彼らは姉妹に寛容手段の大きな声で人を脅かしてしまおうとした。
私は悔しさ、憎さが込み上げ、
みんなをにらみつけてキチガエみたいに悪態をついたあげく、
裏へ駆け出して泣いていた。
その時、もし私に彼らを取りひしぐだけの力があったならば、
彼らを樹々つなぎにして雀の餌にしたであろう。
それからは毎日頭が痛いと言っては学校を早引けにして、
首を振って上を訴えている兄弟に桑の葉を摘んでやったが、
ひ弱い者どもは夜昼の寒さ暑さに耐えかねて、
毎日いくつかずつ土にまみれてゆく。
雨の降り出した夕方であった。
家からいくら呼ばれても帰らないので、
おばさんが出てきてみたら私は捨てられた貝庫の上に
傘を差し掛けて立っているのであった。
そうして顔を見るや否や、わっと泣き出してその前だりに食いついた。
仏性のおばさんはどうかしたいのはやむやまなのだが、
どうもしようがないもので、
お念仏を繰り返しながらようやくすかして連れて帰った。
その御家のものは、そこに小さな五枚石の碑が建てられたその上に、
私の手で、ああ、忠臣楠木氏の墓と書いてあるのを見出した。
9
ひとつは境遇から、ひとつは自分の性格から、
とかく苦悩の多い草塾の私にとってかの上もない医者となったのは絵を描くことであった。
私は師匠派の絵に堪能であった大殿様からの配慮をぶつたという
踏んぽんの巻物を師からもらって持っていた。
それは私の悲憎の一軸であると同時に、
おばさんにとっては、お犬様や牛べりの牛といっしょにほいほいと持ち出して、
私の感触を沈める虫をさえの妙薬であった。
その巻物、鷺だの、鶴だの、松だの、日の出だの、
美しい自然の中でも美しいものの美しい姿ばかりを美しく描き寄せたその巻物は、
さすがにまだ虚しく清らかであった私の胸を、
言い知らぬ夢と憧れの糖水をもって満たしてしまうのであった。
この時分、私はもうそれらの絵を見るだけでは満足ができなかったので、
そんなことが何よりも嫌いな兄の不機嫌を承知の上で、
やっと家から買ってもらった安い絵の具、
それは黄色のヤクザなボール箱にたった8種ほどの絵の具と1本の筆が入って、
箱の上には獅子の跳ねている商標がついていた。
と、姉から譲られた筆線をともとして、
草造紙の透き写しから始めて、
ふんぽんの絵の優しいのを拾い書きに描くようになった。
けれども誰一人教えてくれる物話、
部屋に閉じこもって幾度も幾度も描き損ないながら散策シーンをして、
一つの線の引き方も一つの色の出し方もみんな自分一人で工夫しなければならない。
しかしながらこれは私にとっていわば自由な想像であった。
ユダヤの神はあの万物の想像にあたって、
私が一羽の鳥一輪の花をかき得たほどの満足を味わうことができたであろうか。
赤と黄とで登校を得たというただそれしきのことさえが私を小踊りさせた。
兄は案の定大不機嫌で、せっかくよくできたのを机に立てて眺めていると、
そばへやってきてわざとめちゃめちゃに草したりしたが、
そんなことは喜びと力に満ちたこの小さな想像紙の勇気をくじくことはできなかった。
私は草造紙のオイランやお姫様の着物の色を選び、
またその股の下に一つの筋を入れ、前の引き方を違えるなどのいろいろと自分の好みを加えて、
そして昔の神様のように自分残しられたものを恋人にして大事に引き出してしまっておいたりした。
が、一方にその紙の上へ想像したこれらの美しいものを到底現実の世界には見出せそうもないということを思って、
いたずらに気を苛立たせた。
私はまた松果が大好きだった。
これも兄のいるときには歌うことを許されなかったので、
その留守の間を盗んではことに晴れた夜など澄み渡る月の面をじっと見つめながら、
静かな静かな歌を歌うといつか涙がまぶたにたまって月からチカチカとごこうがさし始める。
おりおり姉のところへ遊びに来る声のいいお友達に教えてもらうことがあった。
私は学校では一番上手だったけれど、その人のまろまろした声の前にはただもう気遅れがして小さな声で後についた。
それはお兄ちゃんといつも遊んだひじかけ窓のところであった。
青霧の葉が風にざわざわ虫が鳴いて、小潔の群れがガツガツと鳴き渡る夜が多くあった。
私の何より嫌いな学科は就寝だった。
寺は主に旗元を団結にして江戸の絵図にも載ったほどのものであったが、
ご維新になってからはそれらの人はみんな散り散りばらばらになり、
たまたまこちらに踏みとどまった者も多かた冷落してしまったので、
自然、寺も思いのほか旧白に陥って年々に荒廃してゆくばかりの在り様であった。
それでもまだ、お坊さんにおぼさっていた自分の面影は大概そのままに残って、
玄関のついたての苦雀はなお誇りかに豪暢な尾を垂れ、
いろいろに咲き乱れた牡丹の花には今も昔の夢に酔うかのように幾葉の蝶が待っていた。
背の高い金目垣を隔てて左手は懲りになり、
それについて右へ曲がると家庭で花壇やイチゴ畑があり、
切り残された老木があちこちに大きな暗い影を落としている。
そこから鍵の手にまた右へ曲がると、
西へ向いた本堂の庭の隅に薪の大木があって、
そのイワコブみたいな根っこは庭の半ばにはびこり、
縦横に伸び出した枝は数百のアンギャ草を壊すべき緑の天幕となり、
私たちのためには夕立ちの時の雨宿りとなり夏の日の涼しい影となった。
そこから一段低くなった崖際の畑には大根や菜の花が咲き、
カラスウリやヤブガラシがじゃんじゃらになった菩薩の中には古井戸があって、
そこの方からスイスイと蚊が出てきたりした。
薪の木の後ろからクマ雑草の土手にある犬の道をポカリと北へ抜けると、
そこは一面栗の木の生えた墓地で、栗の花に蟻、胃がに生まれ、
渋に染まった石頭の上にはよく黄貝ビールが張っていた。
佐田ちゃんは表敬者の気のいい子で何でもいいなりにして遊んでくれたし、
一方にそれまでそうした戸外の遊びをろくにしたことのない私は、
それに必要な雑多な知識を全く欠いていたため、
そんなことには佐田ちゃんが先生になって二人は仲良く遊んだ。
12春の頃には坂一つ向こうの広い原へ行ってタコをあげる。
佐田ちゃんのはヒゲだるまで、私のはショウジボデのキンタロウだった。
最初糸目を抑えられてこちらのオモウモモになってたタコは、
高く上がるに従い威張りだして、
芝居には一筋の糸で夢中に空を見上げているあげてを支配し始める。
彼はブンブン唸りながら、
ユーラユーラと尻尾を振って大空の海を泳ぐように見える。
あんまり針が強くなって引きずられたり、
何か気に触って回り出したりするとなんだか怖くなって、
観忍だ観忍だと謝りながら一生懸命ダマを出して機嫌を直してもらう。
恐ろしいのは、
トビヤタマの息子のあげる8枚の同時格子だった。
トウの出っ張りの唸りが胸のすくいやわな音を旗で合わせて、
長い尻尾の先が力強く跳ね上がり、
ピンと張った糸目の辺にキラリキラリと眼切りが光っている。
下町のいじめっ子のあげる半夜の2枚ダコはみんなに嫌われていた。
そいつは初手から喧嘩を売るつもりで尻尾もつけずにもっせんにして、
ビビーといやらしい噛み唸りを鳴らしながら小好き同士にしてあげる。
真の糸目を詰められて一層顔をしかめた半夜は、
キチガイみたいになって近所のタコに食ってかかり、
新発明の怒りの眼切りでたちまち糸を噛み切ってしまう。
私たちはその喧嘩ダコのいない時を見てあげに行く。
片手に重たい糸巻きを持ち、片手に糸目を靴輪の形に取っていくと、
タコは競馬馬のように、
流行りに流行ってともすればびんびん飛び出そうとする。
風っぽい春の空に清ってあがっているタコの中で、
うぬぼれか所持物の金太郎は一際目立って見えた。
何もかも忘れてあげているうちに、
いつかよその子はみんな帰ってくれかかった腹の中に自分たちばかりになっている。
ふとそれに気がつくと、急に心細くなり、
慌てて糸を手繰るけれど、そんな時に限り針が強くなって、
焦っても焦ってもなかなか下ろせない。
そのうちに日はずんずん沈んで、
黒黒暗くなる空に金太郎とだるまの目玉が光るのばかりが見える。
お互いに気持ちはちゃんとわかっていながら、
負け惜しみの平気を装って番まで下ろせなかったらどうしようかしら。
すっかり玉を出すんじゃなかったのに、
なぜだと思いながらやっとこそ下ろして糸を巻き終わると、
そのままでいっぱいになっていた胸がカラリとして思わず顔を見合わせ、
わははははと笑う。
そして、僕さっきどうしようかと思っちゃった。
謎と本音を吐きながら、誰にも内緒にしようと固く約束して帰る。
13
夏は毎日セミ取りに行き身をやつす。
餅で取ると羽が汚れると言って、三本二郎の袋を竿の先につけ、
庭から墓場へと探して歩く。
木が多いので一巡回るうちには嫌になるほど取れる。
油はやかましいばかり。
見かけがよくないので取っても張り合いがない。
ミンミンはまるまると太って鳴き声もへゆげている。
オオシゼミは歌が面白く、それに素早いのを目の敵にして追います。
日暮らしは手に負えない。
オオシゼミの声も立てずに袋の中で身をもだえるのは哀れである。
また、私たちはその季節季節に身のなる木から木へと小鳥のようにあさり歩く。
ボタンアンズの花が青じろく散った後に豆ほどの実が日に日に膨らんでいくのを見ている。
それをもどかしく眺めているうち、いつかスズメの卵からハトの卵ぐらいになってみずみずと黄身を帯び、
頬みたいに赤みをきざししまいには枝がたわんで血についてしまう。
そうなると腹を痛めない限りゆるしが出るのをこっそりとマガナスキがなちぎってボタンアンズのお首が出るまで食う。
それでも食いきれないのでむらす黄色に産みすぎたのがぼたりぼたりと落ちる。
それをカラスが狙ってきて肉体に尻尾を振って突き回る。
楽しみなのは栗の盛りであった。
一人は竹竿を持ち、一人はざるをかかえてうのめたかのめ墓地を歩く。
めっきりと杖が垂れそうに縁だのを見つけたときのうれしさといったらない。
さごの先でチョンチョンと叩いてみるとイガがピョイピョイと首を振ってさもうまそうな手応えがする。
そこでコツンと一つ食わす。バラバラと落ちる。
飛んでって拾い込む。そして三つに一つは試し食いに食ってしまう。
いちご、柿。
ゆすらや雑芽はサフォートでもないのをいじきたので一つの枝には残さない。
花輪は木ぶりに似合わぬ優しい花が咲き、その花に似合わぬいかつい実がなる。
どさりどさりと落ちるばかりで匂いは良くてもしぶくはあるし、それに石みたいで葉も立たない。
広い庭のあちこちに作られた花壇やたくさんある立木にはその織り織りに花の絶えることがなかった。
百合、ひまわり、金銭花、千日草、ハゲ糸、魚の卵に似た首郎の花など。
夏の初めにはこの庭の自然は最も私の心を楽しませた。
春の暮れの霞みに生きれるような南風と北風が交互に吹いて、
寒暖西雨の常なく落ち着きのない季節が過ぎ、天地は全く若々しく冴え冴えしい初夏の寮となる。
空は水のように澄み、日光はあふれ、涼風は吹き落ち、紫の影はそよぎ、あの陰鬱な薪の木までが心からいつにかなく晴れやかに見える。
蟻はあちこちに塔を築きづき、羽虫は穴を出て若者顔に飛び回り、可愛いクモの子は木枝や軒の陰に夕暮れの踊りを始める。
私たちは闘心で地虫を釣り、地鉢の穴を埋めてキンキン言う声に耳を澄まし、蝉の抜け殻を探し、毛虫をつっついて歩く。
すべてのものはみな若く楽しく生き生きとして憎むべきものは一つもない。
そんな時に私は小暗い薪の木の影に立って静かに静かに暮れてゆく遠山の色に見とれるのが好きであった。
青田が見え森が見え風の運んでくる水車の音とカエルの声が聞こえ、向こうの高台の子たちの中からは鐘の音がコーコーと響いてくる。
二人は空に残る夕日の光を浴びてタオタオと羽ばたいてゆくゴイの群れを見送りながら夕焼け小焼けを歌う。
たまには白サキも長い足を伸ばしてゆく。
誠にこの老僧は人間の世界とは橋一つを隔てて、世の中には夏になれば牡丹が咲くということのほか何も知らないかのように若幕と行いつましている。
私はいつしか子供ごころに老僧を敬う念を起こし、どうかしてこの人にすがりたいと思い始めた。
その自分にはもうすっかり寺の人たちと心やすくなっていたので、
佐田ちゃんのいる居ないにかかわらず、毎日のように遊びに行って年寄りのするように手を腰に回して庭を歩いたり、
冷たい墓地を回ったりして、おりおり人の身の上や自分の身の上を思って涙をうかめることもあった。
私は腐れを引きずる囚人が己の姿を外るような気持ちでいつもうなだれて足元を見ながら考え込んで歩くのが癖であった。
十五
ある日のこと、佐田ちゃんの留守に一人で遊んでいたときに離れで例の末尾の鈴が鳴った。
がおりやしく茶の間には誰もいなかったので私は思い切って離れへ行った。
橋を渡ったところの薄暗い部屋には異向に和げさや珠がかかって香の香りがすんと漏れてくる。
私はそこまで勇気をはしたものの急に気遅れがしてためらっていた。
耳の遠い牢層は足音が聞こえなかったか、またカラカラと鈴を鳴らした。
私はようやく薄暗を開けて手をついた。
彼方は何気なく大きな茶卓を差し出したがふと顔を見て、「おお、これはこれは。」と言った。
私はまぶたを震わせながらお辞儀をして茶卓を受け取り、恥ずかしいような嬉しいような対岸成就したような気持ちで茶の前へ来て見覚えたとおりそこにある番茶を入れて持って行った。
橋が朽ちてゆらゆらするので、ともすればこぼれそうになる。
頭を下げて出したらまた、「おお、これはこれは。」と言った。
私は静かに襖を立て、ほっとして橋を渡った。
それからは時々家の人の代わりに行くことがあったが、私はいつもどうかして話をする機会を得たいとそればかり願っていながら前へ出ると何一つ言えずに黙って茶碗を受け取り、黙って茶碗を差し出して帰ってくる。
先は袋岡謎のように、「おお、これは。」を繰り返すばかりで、ちっとも言葉をかけない。
黒塗りの茶卓を手に受けて橋を渡るとき、南天の魅惑に来た日踊りが慌ただしく立って茶をこぼさせたこともあった。
月の夜なぞに白い花がほろほろと橋の上に散っていたこともあった。
そんなにして橋を渡って行くことも度々であったけれど、この枯れ木のような因者には取り尽くしまもない。
ところが、あるときまたカラカラと鈴が鳴って、いつもの通り茶碗を置いて帰ろうとしたら、意外にも後ろから呼び止めて、「絵を描いてあげように。紙を買っておいで。」と言った。
私は狐につままれた気持ちで空紙を買ってきて牢層の前に出した。
牢層は根の生えたように座っている教則のそばから立って、日の当たりのいい隣の前へ私を連れて行った。
部屋はことごとく渋い色にくすぼって、珍珠と書いた小さい額がかかっている。
いずれなく間近く座らされて汗ぐっしょりになりながら、今までこの人を死ぬまでも石物みたいにして鈴を鳴らす人と決めていた私は、その一挙一動を何か珍しいことのようにじっと眺めていた。
牢層は大きなスズリを持ち出して炭をすすらせ、筆をとってさらさらとヘチマの絵を描いた。
一枚の葉と一本のツタと一つのヘチマと。
その上、世の中を何のヘチマと思えどもぶらりとしては暮らされもせず。
と書き、急須みたいな初犯音をしてとみこみしてたが、不意にカラカラと笑って、
「さあ、これをあげるで。あちらへ持っておいで。」
と言ってスズリを棚に乗せ筆を洗い、さっさと金剛座へ帰って元の石物になってしまった。
私は木から落ちた猿のように過ごすごとヘチマの絵を持って家へ帰った。
牢層が亡くなったのはそれから三年ばかり後のことであった。
私は中学へ入るし、サタちゃんは法校に出るし、
寺とは一途の話に打ち絶えてたが、ある晩突然牢層が亡くなったからという使いが来たので、私は父と一緒に悔やみに行った。
牢層は孤力という病気もなく、いわば寿命が尽きたので、
方々の住職になっている昔のお弟子たちが変わる変わるせをしていたのだそうだ。
久しぶりで思い出の多い橋を渡ったら、離れには香の煙が立ち込めて、大半夜の時に見覚えのある坊さんが大勢寄って話していた。
牢層はヘチマを描いてくれた座敷に据えてある極緑の上に禁断の袈裟をかけて、
発酵を持って昔ながらの石物のように若然と伏座している。
私はその前へ行って昔の通り頭を下げて昇降した。
私たちが草上変賞とあだ名を付けたデコデコな和尚さんが、
大王上じゃ大王上じゃと言いながらそばまんじゅうをパクパク食っていた。
私はいよいよ木から落ちた猿であった。
いい道連れのあったのを幸いに、
おばさんが先祖代々の母さんのため、また何がなし諸国の古い思い出が心を動かして、
ほんのしばらくのつもりでこちらを立ったのは何年か前のことであった。
それが、先へ行くつくとまもなくどっと患いついて、
行っときはいけないとまで呼ばれたのが寿命があったとみえて、
どうぞこうぞ本服はしたものの、
年が年上ひどく体が弱ってもう出てくることができなくなり、
自分でもあきらめて遠い遠家の留守番に頼まれることになった。
可愛い子には旅をさせろという昔風の父の思いつきから、
十六の年の春休みに私はもっと生まれた憂鬱症を治すために、
京阪地方へ旅行をさせられた。
それが病気が治ったかして、私は家から呼び戻されるまでも
いい気に遊び回ってたが、
その帰りにいよいよ老人まごいのつもりで
おばさんのところを訪ねることにした。
おばさんの住んでるのはお船でといって、
旧幕時代に藩のお船手組の板という川端の小さな家の
建て込んだ一角であった。
で、なかなかちょいとには家が知れず、
日の暮れるまで尋ねあぐんだ挙句、
とある荒物屋の向かいのお手玉のようなものの中へ入っていった。
そこには人が住んでいるのかいないのか、
古びきってがらんとして草一本もない代わりに木も一本もなく、
赤裸でカラカラしている。
私は開け話の上り口に立って、
二、三遍声をかけてみたが、一向返事がない。
知らない土地ではあり、夜にはなるし、
心細くなって辺りを見回したときに、
左手の庭とも言えない、
二粒ほどの空き舌の境にある小さな木戸が目についた。
そーっと開けて覗いてみたら、汚いばあさんが一人、
暗いのに明かりもつけずに、
縁先でエビみたいに凍んで縫い物をしている。
私は案内もなく、
よその庭先へ入ったのに気がとがめて、
思わず一足後へ下がったけれど、
もう他に尋ねるところもないので、
木戸の上から身をかがめて、
ごめんなさい、と声をかけた。
ばあさんは知らん顔して針を運んでいる。
ごめんなさい。
ろうなのかしら。
荷物を下げている手はさっきから抜けそうなのだ。
たまらなくなって、
少々うかがいます。
と言いながら、
ずっと入ったらやっと気がついたらしく、
ひょいと顔を上げた。
暗いのでよくは見えないが、
追いさらばって見る陰もなく痩せこけているが、
それは確かにおばさんだった。
私はただもうはっとしてその顔を見つめていた。
おばさんはあわてて仕事を片寄せ、
縁側に手をつき賢った形になって、
どなたさまでございます。
この節ちょっともう目が見えませんで。
耳もエロとなりましてなもう。
それでひとさまにごぶればっかいたします。
こちらがいつまでも黙っているもので、
少し乗り出すようにして、
どなたさまでございます。
と繰り返す。
私は胸いっぱいなのをやったの思いで、
私です。
と言った。
それでもまだ、
どなたさまでいらせるなもう。
と言ってしりしりと人を見上げ、見下ろしていたが、
何はともあり、
心安い人には違いないと思ったらしく、
立ち上がって奥の火鉢のそばにあった
せんべい布団を仏壇の脇に敷いて、
さあどうぞ、
お上がりあすばいて、
と生じるように腰をかがめた。
この間に私はようやく気を落ち着けて笑いながら、
おばさんわかりませんか。
ばつばつです。
と言ったら、
え?
と言って庭席へ飛んできて、
しばらくはまばたきもせず、
人の顔をのぞき込んだあげく、
涙をほろほろとこぼして、
ばつばつ坂や。
おおおお、ばつばつ坂や。
と言い、
自分よりはずっと背が高くなった私を、
頭から肩からおびんずる様みたいに撫でまわした。
そして、
人が消えて亡くなりでもするかのように、
少しも目をはなさず、
まあ、その愛に大きな乱して、
ちょっとも別れせんがや。
と言いながら火鉢のそばにそばらせ、
あいさつもそこそこに、
もっとなれたそうな様子で、
本人を起きてくれた。
まあ、死ぬまで会えんかしらと思っとったに。
と拝まないばかりにして涙をふく。
十七
万鈍に火を灯し。
ちょっと待っとってくれんか。
ちょっとそこまで行ってくるに。
と言って、
足元の悪いのをこぼしこぼし縁側から
いざり降りてどこかへ出て行った。
私は一人没念としながら、
これが身納めだなと思った。
そして、予想以上のおばさんの衰えを、
知らぬ間に自分が大きくなってたこと、
昔のことなど考えているうちに、
とことこと足音がして、
おばさんは一人二人の知らない人を連れて来た。
と言いは、
今生き残っているおばさんの古なじみで、
お互いに話し相手になっているのだという。
おばさんは嬉し紛れに前後の見栄えもなく、
東京からバツバツさんが来たに、
ちょっといっぺん来てちょうだいんか。
と言って呼べ集めてきたのである。
これらの用のない気楽な気のいい人たちは、
常々家に放ると聞かされている
バツバツさんとはどんな子かしらという
多少の好奇心を持ってやってきたのだが、
その評判のバツバツさんも、
やっぱり当たり前の子供であるのを見、
親切にもまた家へとって返して、
砂糖をたっぷり入れたもろこしせんべいの火に炙れば、
くるくるねじくれて手に負えないやつを
たくさん持ってきて焼いてくれた。
私が飯前なのに気がついたおばさんは、
みんなが代わりに行こうというのを、
それが自分の幸福な特権であるかのように
豪情を張り、縄文付きの小田原調鎮を避けて
西洋海に出て行った。
その後で私は人たちから、
この家の女主人は娘の嫁入り先へ
もう長いこと手伝いに行っているのを、
おばさんが一人で留守をしているということ。
厄介になるのが気がせつないと言って、
見えない目で家の仕事をしているのだということ
などを聞いているうちに、
おばさんは長い間夢見ていた小浜田様の前に座ってあの晩のような経験の様子で お礼を申し上げているのであろう
18 17の年の夏を私は一人でその自分者宿してた友達の家の別荘に過ごした
それは先に兄に連れられていった美しく寂しい半島のその海岸の小山の懐にこっとり と立った草吹きの建物で
1歳の世話は近所に住んでいる一人物の花売りのばあさんがしてくれることになった バイアー亡くなったおばと同国のものでこちらでは年頃といい国鉛といい
なんとなくおばのような気がするし先では私がその国言葉もよくわかり昔の様子も 聞き覚えているのでそんなことから2人は時期に隔てのない話し相手になった
バーヤは親代わりの兄がある爆中地の親分のところへ嫁に受けというのを聞かなかった ため
木綿を100名ほどあてがわれてこれでどないと一人でやれと言われた でそれを意図にして富屋へ持って行っては木綿と引き換えまた意図にしては引き換えした
その賃銭がいくらとかでその頃の米の代がいくらとかで差し引き いくらかの税にがようやく残った
それで着物をこしらえて塗ってるところを兄に見つけられて親代わりの兄に話もなしに そんなものを買ったと酷く叱られ
道道旗でも追って全工事へ参るつもりでうかうかと家を出てしまった その時バーヤは17だった
それから道中税源みたいな男につけられて気味が悪くなり 新州妻子の宿で日のあるうちに宿を取ろうとしたら
そやつも同じ宿へついて先にスッと奥へ通った でバーヤ止まるのを止めて出ようとするのを停守が何のかのと無理やりに止めようとする
バーヤは変に思ってまだ腰掛けたばかりで旗子賃も決めないし 日も高いのになぜ総理夫人に止めるのだと言ったらさっきのお客に自分が立つまで
あの女を立たせてくれるなと頼まれたからと言って聞かない 勇気なくそこへ行き合わせた同国の人にわけを話して停守に断じてもらったら
一問二問なく承知して早速立たせると言ったがその人の影が見えなくなるとすぐにまた 怖い顔をして引き止める
そこで今度は通りがかりの爺さんに話したところ 造作もなく引き受けてともかく自分の家へ来れば全工事へ行く飛脚と一緒に立たせ
てると言った バーヤーそれを真に受けてじいさんについて言ったが一月も百姓を手伝いをさせて
いつこう立たせる様子もない それでとうとう一人方向に出てどうにかこうにか道連れができて全工事へ立った
その途中バーヤーはある宿で不思議の縁によって自分を乗せた籠屋や 宿屋の停止や
宿場役人などの仲立ちでおかっぴきの男と一緒になった ところがどうしたことかその男は嫌で嫌でならず逃げを逃げようと思いながらもついその
まま何年か暮らした後宿願がかなって全工事へお参りすることができた があいにくそこで2人とも酷い闘争を患ってどっととこについてしまった
その後ようやく体の自由が効くようになってから少しは覚えのある笠張りを商売にして あちこちの借金へ返すうちにある寺の台笠の御用を聞いたのが縁となり
方々の台笠を張りながら国へ帰るつもりでバツバツまで来るには来たがどうしても積賞が 越されず流れ流れてついにここから遠くないある町に落ち着いて笠屋を始めた
それが幸せと繁盛して相応な店になり 弟子も幾人かおいたりしたがじいさんが目を悪くしたので商売を止め好きな花を植えて
売るようになった じいさんが69で9年前に亡くなってからだんだん落ちぶれて今の有様になったのである
婆屋は版の日には朝早くから加工を背負って花を打って歩く 人に可愛がられて頭のおかずなどをもらうから
1日米2号版の第5戦さえあればいいしそれにもう1年半で死ぬというお告げを受けて 英代経も願ってあるし葬式の費用はぼれ穴から今いる家を売ればできるゆえ
何にも心配はないという婆屋は紫の風呂敷に包んだ汚い照明を持ってきて これに何もかも書いてあります
というので開けてみたら明治22年頃からの夢や謎をいろんな手でゴタゴタに書いてある 表紙にはゴム装9点の木とありながらそのことは一つもない
イロハの命も読めないので頼まれた書き手の不親切は知らずに自分の話したことは残ら ず書いてくれたものと思っているばかりか
何かの表紙に紛れ込んだ薬売りの広告まで丁寧に畳み込んでいる そして読めもしないのを側から覗きながら
工房様にもお目にかかりましたお観音様にもお目にかかりましたという 彼がこんな風に隔てなくするのは私が初めに考えたような理由や
また人がバカにして相手にしないほど今の時世から見れば迷信的な話を私が真面目に 聞くためばかりでないということがわかったのは幾日経ってからのことだった
ばや私を一目見てああご仏縁の深い方だにお坊様におなり遊ばったらよかった になぁと思ったという
もっと何か思ったことはないかといえば顔中主役者にしてもう何にも と言いながらも何一つ嘘は言えず胸にしまっておけない坂でそういう側から
あなたは a お嫁様が表になれませんという 私は仏縁が深いけれど人が邪魔をしたため坊さんにもなれずこれからも邪魔されるの
だそうだで私が それじゃあ仏縁が深くてもダメかな
と探索するように言えば真顔になって なにあんたそれだでこれから一心にご信じなされればあんた
仏様の力は高台だでな と我を忘れて力を入れたそして
わしらと違って目がお見えになるでお教文を読みなされ と言いながら手の筋を見て
小さな邪魔の筋はみんな消えとりますがな もうはいちゃんと本願をいただいておいでだにちょっとバカの地域を捨てなさらいで
あんたは悪いお方だなもや と言って手を離した
19
ある日の午後 私は後ろの山の頂上に見える大きな松を目当てに登っていくうちにいつか踏み
迷って道もない谷合いへ入ってしまった 私は背よりも高い矢部をむちゃくちゃにかき分けながら
デコデコな幹木の枝に頬を弾かれ 群馬いうちはみたいなカズラに足を刺されして息の詰まれそうな深みから一つの
峰へ過労時で抜け出した その峰は海に向かって開いた奥深い谷の真ん中をめがけて
牛がのさばりでたような格好をしている 私はその背中をむっくりと盛り上がった方の方へうねうねと伝わっていった
赤ちゃけた花崗岩の最末がサメの川みたいに固まっているところへ 日から浴びた小松がカツカツにへばりついて木の実を食った鳥の群があちらこちらに落ち
ている 私はともすれば谷の方へ滑りかかるのを手足の先に力を入れてザラザラの岩に
しがみつきながらやっとの思いで肩に与えるところのコブの上4時登った ギラギラと光のみなぎった空を太陽がかっかと飛んでいく
そこからだらだらぶりになったひくび筋を1丁ほど下る間に両側の崖はよいお険しく 谷はますます深くなり
姉妹には花面にふさわしいわずかの平面を残して行き止まりの絶壁になってしまった ここはこの海岸に沿って3里の間
1000尺2000尺ぐらいのあざれた山脈から海の方へ至るところ 枝を出して無数の渓谷を形作っているその3つの枝の中の一つが根元を水に侵食されて
逆にくさびを打ち込んだような具合になっているのである 後ろはみね谷の向こうにはそれよりも高い岩壁が屏風のように巡って青空を
天井とした機械な電動を作っている 頭の上に知り上がりの呼び声を響かせている早草は時々サッと下ろして目の前を
かすめてはまた空高く舞い上がる 右手の谷間を見下ろすと真っ黒に茂った森の中を一筋の道が縫うようにうねって山脈を
貫いて向こうの村へ下っていく そのほんの覗いてみるほどの隙間から山から山が赤く
薄赤く紫にほんの紫に雲に連なって 折り重なり畳重なり果てしもなく続いているのが見える
私は一種の恐怖を交えた賛美と歓喜に満ちて声高く歌い始めた 小玉
それはちょうど山の陰に誰かが隠れていて後をつくようにはっきりと繰り返す 私はその姿を見せない歌い手の歌にそそのかされできるだけ声を張り上げて歌った
さっきも同じように声を張り上げて歌った 私はいつもの通りそういえばそんなわかりきったことに原始的な嬉しさを覚えて幸福な半日を
歌い暮らした後 夏の日の海に沈む頃ようやく譲り歯の柿の中へ帰った
20 私は足を洗うために裏庭を回ってそれにもう風呂が立っている自分だと思って湯戸のを開けて
入った そしていい加減に冷めた湯船にどっぷりと使ってくたびれた足を楽々と伸ばした
湯が父の辺でくびれ上がって軽く糸でゆえたような感じを与える 私は浮きかかる体を両手で支え頭を仰向けに寄せかけて温もった肌に息を
吹きかけてみたりしながら今日の楽しさを繰り返していた 私はそこを子玉の峰とつけた
それがふとした道の間違いから見出されたこと それへ私のほかは誰も知っているものはないということ
そこへ行くにはあの危険な崖の上を駆け渡らなければならないということ それらが一層私を喜ばせた
その後私は何気なくおどんでいる湯の表面を透かしてみた そしてそれはよく見なければわからないほどではあるが
いつになく薄白く油が光っているのに気がついた 誰か入ったのかしら
そう思えば何もかもそう見える 誰か来たに違いない私は急に非常な不安を感じだした
私にとっては知らない人間はすなわち嫌いな人間である ですっかり今日を覚まされてがっかりしているところへ
母や気がついて流しに来た そして家を買えなかったことを申し訳をしながら東京のお家から若奥様が見えましたと
言った 友達の家にはそんな人はいないはずだ
何でも京都へ行ってる姉様がこの夏状況するとか言ってたからひょっとしたらその人かもしれない それなら仕方がないと諦めはしたもの困ったことになったと思った
バーヤは行産に恋を潜めて それはそれは美しいを方出すの名もと言って出て行った
それでもじっと目をつぶっているうちににわかに明るみへ出た時のようにだんだん はっきりとものの形が浮かんできた
大きな丸曲げに言っていた真っ黒な髪だった くっきりとした眉毛の下に真っ黒な瞳が光っていた
すべての輪郭があんまり鮮明なためになんとなく慣れ親しみがたい感じがして少し受け口 なあいくるしい唇さえが海の底の冷たいサンゴを刻んだかのように思われたが
その口元が気持ちよく引き上がって綺麗な歯が現れた時に涼しい微笑みが一切を和らげ 白い方に血の色がさして長蔵はそのまま一人の美しい人になった
21 それから私はなぜかできるだけ顔を合わせないようにして朝から子供のミネエ行き
帰るのにもことさら食事の時を外したりしたが一つ家にいることゆえ一日のうちにはどう しても一緒にならなければならないことがあった
私はミネエ行ってもちっとも歌はなかった季節を過ぎた鳥のように そしてあの絶壁の間から見える山々の深い色をぼんやりと眺め暮らした
ある晩かなり更けてから私は後ろの山から月の上がるのを見ながら花壇の中に立っていた 幾千の虫たちは小さな鈴を振り潮風は畑を越えて海の香りと波の音を運ぶ
離れの丸窓にはまだおかげがさしてその前のはず便には過ぎた夕立の涼しさをたまに している
幾枚の葉とほの白くつぼんだ花が見える 私はあらゆる思いのうちで最も深い名のない思いに沈んで人よ人よにふぐになっていく月を
我を忘れて眺めていた そんなにしているうちにふと気がついたらいつの間にか同じ花壇の中に姉さまが立っていた
月も花もなくなってしまった 絵のように影を写した池の面にさっと水鳥が降りるときに全ての影は一度に消えてさりげなく浮かんだ
白い姿ばかりになるように 私はあたふたとして
好きがと言いかけたがあいにくその時姉さまは気を利かせて向こうへ行きかけたので ハッとして耳まで赤くなった
そんな些細なこと ちょっとした言葉の間違いや罰の悪さなどのためにひどく恥ずかしい思いをする立ちであった
姉さまはそのまま静かに足を運び羽の周りを小さく回って元のところへ戻りながら 本当によございますことと巧みに作ろってくれたの私は心から嬉しくもありがたくも
思った 22
翌日新聞を返し離れ行ったら姉さまはこちらへ背中を向けて髪をとかしているところだった 長い髪がさわりとほどけ肩から豊かに波打って後ろへ滑っている
症状を占めて帰ろうとした時に串を持った手を耳の後で止めて鏡の中の顔が微笑みながら あの私明日お相手もいたしますから
お別れに晩御飯をご一緒にいただきたいと存じますから といった
私はまた子供の峰へ登って空に舞う早草より他に伺うものもない自然の伝道の中に 歌いもせずに半日を過ごした
子供も恋を潜めて親しい歌いずれの思いを妨げなかった 晩餐の食卓には純白の卓風がかけられて
バイアーは横に姉さまと私は向かい合いに座った おもはやくも嬉しくも寂しくも悲しくもある
さあどうぞ 軽く頭を下げて
お料理人が慣れませんね お気に召しますかどうか
と少しはにかむように皿の上に目をそらせて微笑んだ そこにはお手作りの豆腐が震えて真っ白な肌に模様の愛が染みそうに見える
姉さまは柚子を卸してくださる 浅い緑色の粉をホロホロとふりかけてとろけそうなのをと
とつゆに浸すと濃いエビ色がサッとかかる それをそっと車に乗せる
静かな柚子の香りきつい醤油の味 冷たくすべっこい肌触りがするそれをコロコロと2,3度転がすうちにかすかな
澱粉性の味を残して溶けてしまう 他の皿にはませこけた小味が尻尾を並べて跳ね返っている
前後の跡が栗色に背中は青く腫れの方はキラキラと光ってこの魚に特有の暖かい 匂いがする
よくしまった肉をもっさりと蒸しって汁に浸して食べるとこっとりとした味が出る 食器が下げられた後に果物が出た
姉さまは大きな梨の中から甘そうなのをより出して皮をむく 重たいのを滑らす前と指の先に力を入れて章の笛みたいに輪を作る
そう長く沿った指の間に梨がくるくると回され 白い手の甲を超えて黄色い顔が雲形に巻き下がる
はたはたと雫が垂れるのを姉さまは自分はあまり好かないからといってさらに乗 せてくださる
それを霧塀で口へ入れながら美しい桜んぼが姉さまの唇に軽く挟まれて小さな舌 の上にすると転び込むのを眺めている
貝のような形の良い歯茎がフクフクと動く 姉さまはいつになく快活であった
バーやもしきりにはしゃいだそして人の歯の数を当ててみる謎と言い出し 子供がよくするように姉さまの背中に顔を隠して長いことを考えてだが
親知らずをのけて28本ありましょうがなも という
28本は誰でもだといえば なんでそんなことがお釈迦様は40何本たらあらせたげなにと言って一家な承知しない
その時姉さまの口元が気持ちよく上がって美しい歯が現れた それから何かの続きで鳥の話が出たときにバーやは
わっちの国の山には白崎がようよいた 狩りも来たしカモも来た鶴の群れもたくさん来た
毎年決まってマナズルが一つが生きたがそれが来ると殿様に現状することになっていた コーンの鳥は首を回してなく
珍珠の森の大過ぎにかけたその巣は小枝を組んで過去のようになっていた なぞと調子に乗ってそれからそれと話すの
それはいつのことかと聞けばわっちの子供の自分だという それじゃあもういやしないといえば
あの世に担当ったものあんたそれに毎年こう見ましょうがなと頑強に主張する 美しい口元がキリッと上がって白い歯が見えた
翌朝立たれるはずだったが何かの都合で晩に伸びた 夕方湯から上がったらバーヤーは使いに出たらしく部屋が暗くなったので私は肩に出ようと
した その時離れの丸窓から
明かりをちょっと拝借いたしましたという声がして姉様が本に水蜜をのせて 糸間恋の挨拶に来られた
ごきげんよろしくまた京都の方へおいでのこともございましたらどうぞ
私は庭屋降りて花壇の腰掛けに腰を下ろし海の方へ海の方へと巡っていく星を眺めて いた
遠い波の音と虫の音とテント の他何もない
バーヤーが車を雇ってきた 姉様の支度が済んだ綺麗ななりで明かりを返し私の部屋へ小橋に行かれるのが見えた
やがてバーヤーが荷物を運び出す後から姉様は縁側を玄関の方へと通りながら 私の方へ小腰をかがめて
ごきげんよ と言われたのをなぜか私は聞こえないふりをしていた
さようならごきげんよう 私は暗いところで黙った頭を下げた
車の響きが遠ざかって門の閉まる音がした 私は花に隠れて止めどもなく流れる涙を拭いた
私はなぜ何とか言わなかったろうどうして一言挨拶しなかったろう 私は肌の冷えるまでも花壇に立ち尽くして桜よりも一層フグになった月が山の向こうから
差し掛かる頃ようやく部屋に帰った そして力なく机に両方の肘をついて頬のようにほのかにあからみ
肺ごきのようにふくらかに含びれた水蜜を手のひらにそーっと包むように唇にあてて その細やかな肌を通して漏れ出す甘い匂いをかきながらまた新たな涙を流した
大正2年書広 1989年発行
岩波書店中神助全集第1巻 より独領読み終わりです
はい 終わった
これは どれぐらいかかったんですかねー
8月にリクエストもらって 取りかかったのは多分9月に入ってからだと思いますがまあ
丸2ヶ月ぐらいかかりましたかね 毎日毎日1節ずつ読むみたいな感じにしてたんですけど
というのも旧金使いなんで 漢字じゃなくて平仮名で書いてあったりとかしてすごく読みづらかったんですごく難儀
しました イギリスで留学中のミオさん聞いてる
いただいたリクエスト完了しましたよ はい
淡々と淡々とって感じだったね内容はね よくこんな昔のことを覚えてるよね
幼少期の頃あれやりとさ
まいっこ大物を 取り扱い終わったなという心持ちです
最近の僕ですが 先週ぐらいにまぁこれちょっと配信まだ先になりそうだけど
10月 下旬ぐらいに
健康試験に行ってきまして なんかみんなこう
どこを見るでもなく健康診断待ちの 見知らぬ他人だからさ健康診断に集まっている人知ってだから何をするでもなく
携帯を見たり しながら呼ばれるのを待っているみたいなその
うつろな時間をみんな過ごしてるんですけど 僕は何か割とちょっとねー
その実際やってくれる検診を担当してくれる人と お話をしてみたりして
身長を測ってくれたおじさんにいくつでした僕つって a
175.7ですって言われてああ 自然だ
176だったのに と言ってたらまあ午後はチームもんですよって
言ってくれたんですけど僕毎年午後に行ってるから確実に縮んでるんですよね でも僕40歳なんでこれから縮むことしかないでしょきっと身長なんて
伸びることはもうないねそうか僕の限界はここだったかと思って 受け取りましたこれがどんどん背中が曲がったりさ腰が曲がったりさ
スイカバンがすり減ったりしてさどんどん身長は自分でご主人で組んでしょうけど
爽快爽快と思いましたね つまりこの辺が僕の人生の折り返し地点地点なのかなというね
気もする次第でありますはい 30
あれいくつからだっけなぁいくつか過ぎた頃からバリウム検査が追加されて あと
県寮だけじゃなくて県弁もあってあるすごくテンションが得るね 県病件県寮と県弁
検体を採取するのすごくなれるすごく嫌な気持ちになる
ん あと40歳から介護保険みたいのが惹かれているんだけどあれは
どういうことですか まったく税金が高いばっかりで困っちゃいますね
何か明るい未来はないものか まあそうは言っても
猫に引きと楽しく暮らしてるからまあいいか
今の幸せを噛み締めていこう よしじゃあそれぞれ応援しましょうか
皆さんこの度はリクエストありがとうございました静かなくあなたに届きますように 無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした
といったところで今日のところはこの辺でまた次回お会いしましょう おやすみなさい