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2024-03-26 13:12

014岸田國士「方言について」

014岸田國士「方言について」

あなたは好きな方言はありますか?ぼくは福岡の言葉が好きかもと思っています。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


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寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちをお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深い本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
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さて、今日は岸田邦夫さんの
方言についてというエッセイを読んでいこうと思います。
皆様は方言はいかがですか?僕は今標準語で話していますが、
九州の博多の方、博多弁って言うんでしょうか。
あれはちょっとやっぱり魅力的だなと僕は思うんですけど、
関西弁もね、関西弁ちょっと僕は少しきついかなと思う時があるんですが、
逆にね、栃木の方、北関東の方とかは少しこう、
田舎っぽい感じがね、魅力的に映ることもあると思うんですけど、
人の良さそうな感じがするっていう、その辺皆さんどうお考えでしょうか。
そしてどのような言葉を使うでしょうか。
とりあえず読んでまいりましょう。岸田邦夫、方言について。
私は方言の専門的研究家ではないが、
人一倍その魅力に惹きつけられる。
十人十色という言葉は、
人間の個性は個々に識別し得ることを指すに沿いないが、
同一国語を使う同一国土の中で、
地方地方に特有の言語的風貌というものがあり、
それぞれその地方に生まれ育ち、
住む人々の気風を伝えることにおいて、
これくらい微妙で正直なものはない。
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人間というものはとにかく面白いものだ。
どんなに単純な性格だと言っても、
そこにはいろいろな影響が二重三重に染み込んでいて、
一見同じ方の気質のうちに、
意外な陰影の相違を発見し、
またこれと逆に、
どう見ても正反対だと思われる人物の輪郭を通じて、
どことなく共通の感じが迫ってくるような場合がある。
私はかつてそういう見方から、
奇襲人という一文を書いたことがあるが、
奇襲に限らず、
あらゆる地方の方言が性別、年齢、教養、
気質、職業、身分等によって調味されつつ、
なお厳然として独特のあるものを保ち、
これがフードそのもののような印象によって、
人間固有の属性に一末の、
しかも花々鮮明な縁取りを加えていることは、
何と言っても見逃すことはできないものである。
例を世界の諸国、諸民族にとれば、
なお話がわかりやすいであろう。
英語はイギリス国民の、
フランス語はフランス国民の、
ロシア語はロシア人のこと、
それぞれ語られる言葉の色調が、
ただちにその民族の風象気質を帯びて、
我々の耳に響いてくる。
厳密に言えばイギリス人の感情は、
英語を通してでなければを表しがたく、
フランス人の生活はフランス語によらなければ、
描き出すことが困難なのである。
そう考えてくると、
ある地方の方言を耳にするということは、
その地方の山水、料理、風習、
女性美に接するごとく、
我々の感覚と想像を刺激し、
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たまたまその意味がわからなくとも、
なんとなく異国的な情緒と、
一種素朴な雰囲気を楽しむことができる。
さて、私の方言へのたたえは、
比較の問題に入らなければならぬが、
それは省略するとして、
それならどういうふうにでも、
方言はかかる魅力を発揮するかという疑問について、
答えねばなるまい。
今頃東京では、
ことさらに私の住む郊外の住宅地などでは、
東京で生まれたものなど数えるほどしかなく、
自然、朝夕、
付近の主婦たちがこわだかに子供を叱り、
御用聞きに注文したりしているのを聞くと、
それは東京弁とおよそ隔たりのある鉛とアクセントだ。
が、そうかと言って、
それは私の知る限り、
どこの方言でもないのである。
どうかすると、
外国人ではないかと思うほど無味乾燥な日本語で、
しかも本人は少しもそんなことは気にとめていない。
標準語を話しているつもりなのであろう。
ああ、悲しむべき標準語よと、
私はつくづく思うことがある。
この勢いで進めば、
我々の範囲で美しい日本語を聞くことは、
できなくなるとさえ断言し得る。
そうかと思うと、
また議会の壇上で、
放送局のマイクロフォンを前にして、
政治家、学者、管理などが、
やはり方言的欲要をもって、
天下国家を、学問議営を論じ、
聞くものを危うく失笑せしめることがある。
子供などは本当に笑いころげるのである。
そうかと思うと、
これは面白い例であるが、
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ある映画の説明者が東京で修行をして、
距離の常設館に職を得、
かつて使い慣れたその地方の方言をもって、
思いのまま熱弁を吐こうとしたところ、
観客は一斉に笑いころげ、
バカ野郎の声さえそのうち混じったという話を聞いた。
この消息も私にはわからぬことはない。
結論を急げば、方言の魅力は、
その地方に結びつく生活伝統、
ないし、個人の私的感情に裏付けされた
談話的表現においてのみ、
その本来の面目を発揮し、
こと、公にわたる場合。
わけても、社会一般に呼びかけるような問題の切実においては、
その魅力が言葉の内容から有利して、
気癖または仮面のごとく滑稽感をささうものである。
これは地方の方言のみがそうなのではなく、
地方の人々が標準語そのものを考えている統計運営が、
その方言性によって、
同様な結果を見せるのである。
文芸作品としては、
坂中正男くんの馬だとか、
私の牛山ホテルだとか、
金子博文くんの品系その他だとか、
これも方言の魅力をさまざまな意味で利用したものであるが、
井伏松次くんに至っては、
方言そのものの創作をさえ試みていると聞く。
そういえば、まことに、
文体の構造は名作家の個性的方言の活用にほかならぬ。
1990年発行 岩波書店 岸田邦夫全集22より読み終わりです。
短かったですね。
僕も少し人から聞いたことがあるんですが、
外国人の人が日本語を勉強するときは、
すべからく標準語なわけですけど、
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大阪に行ったときの関西弁に、
ものすごくインパクトを与えられるそうですね。
教科書に載っていない言葉使いだということで、
日本語のようにこれだけ言葉の違いがある一つの国の中で、
言語ってあるんでしょうか。
英語もとりあえずイギリス英語、アメリカ英語とか言うみたいですけど、
日本はかなり特殊な環境にいるのかもしれません。
皆様は何弁が好きでしょうか。
今日のところ少し短いですが、また次回お会いしましょう。
それでは皆様、おやすみなさい。
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