1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-11-26 10:52

#219 言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
皆さんは、お国はどちらですかね。僕は岡山県出身で、時々ね、過去のトークとかでも冗談めかして、母語は岡山方言で、共通語っていうのは第二言語だ、みたいな言い方をしてんですよね。
ただまぁ、近頃は標準語化っていうか、共通語化っていうか、まぁいろんな影響があるんでしょうけど、そのテレビとかのメディアの発展とかね、あるいはネットとかそういうのも含めて、どんどんどんどん共通語化みたいなのが進んでると思うんですよ。
だから、割とね、方言っていうのが消えつつあるっていう実感を持ってる人もいるかもしれません。これはね、方言によるんですよ。これいろんな要因がありますけど、まずはその方言話者の絶対的な数っていうのが関わってきますよね。
当然、方言を話す人が多ければ多いほど、その方言は、まぁこういう言い方もあれですけど、安泰だということになりますよね。一方で、加速化が進んでるような地方になると、当然、方言を話す話し手っていうのがどんどんどんどん少なくなっていくので、そういう地域の方言っていうのはある意味で消滅しつつあるっていうね、まぁそういうとこも数多くあるんじゃないかと思います。
また別の要因も関わってますね。というのが、方言に対して、話者がどういう意識を持ってるか、まぁポジティブに捉えてるのか、ネガティブに捉えてるのかっていうことですね。
よく言われるのは、まぁこういうふうにひとくぐりにするのもあれですけど、関西弁っていうのは割とポジティブに捉えられがちで、まぁ話者自身がそういうふうに捉えるっていうことですね。
自身のアイデンティティとしてその言語を使いこなすっていうのがね、まぁそういう姿勢があるので、積極的にどんどんどんどん方言を使ってたりするんですけど、そういう地域ばかりでもないんですね。
方言っていうのは鉛っていうふうに言われたりもするので、ちょっとネガティブな意識があって、そういう地域の方言を話す人にとっては隠しがちで、そういう心理的な要因も相まって、方言はどんどんどんどん話されなくなっているということですね。
で、方言同士の攻め合いっていうのもあるんですよね。相対的に勢力というかね、まぁ力のある地方都市の方言をどんどんどんどん取り入れてるっていうね、まぁそういういろんなレベルで方言っていうのは日々変化しているわけなんですよね。
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ただね、この方言っていうのは、これ結構ね定義しづらいといえばしづらいんですね。日本語母語話者が言う方言っていうのと、海外の様々な地域で言われる方言っていうのは結構ね、程度の差が激しいところがございます。
そもそも日本語っていうのは非常に特殊であると考えていい面もあります。普通だっていうふうな面も当然あるんですけど、どういう面で特殊かというと、地理的政治的にかなり特殊なんですよね。
日本語っていうのは我々にとって国語であり母語でありそして母国語であるんですよね。で、この3つが記念にイコールで繋がるっていうのはかなり稀で、日本語はまぁほぼイコールで繋がると思うんですよね。で、そこに方言っていうバリエーションが多少あるっていう程度ということですね。
そういう国ばかりではない、そういう言語ばかりではないんですよ。
当然これは日本が島国だっていうのが関係してますよね。
一つの日本列島という中で、かなり単一国民、単一民族って言ったほうがいいんですかね。で、構成されてて、かなり均質的なわけですよね。
で、これは海外に目を向けると全然様子が違ってですね。もちろん程度の差はありますけど、かなり日本は均質的な言語状況なんですよ。
なので、方言と言語っていうのもまたね、これ区別しづらいんですよね。
で、今回のトークタイトルが、「言語とは陸軍と海軍を持つ方言のことである。」ってなってるんですけど、これはね、マックス・ヴァインライヒっていうユダヤ人言語学者の言ったことってなってるんですけど、一説によると定かではないんですね、それは。
これどういうことかっていうと、言語っていうのは政治的に定義されてしまいがちだということなんですよね。
つまり、独立国家の言語であれば言語と呼んで、独立した国、国家ではないんであれば方言と言うというね、かなり政治的に依存した言い方をされることがあるんですよ。
というか、ほぼそうなってると思います。
なので、言語っていうのはナショナリズムと非常に密接に関わり合ってるんですよね。
一つの国民性というか、民族っていうのをまとめ上げるのに共通の言語を喋るっていうことが非常に強い意識となって現れることがよくあります。
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これはね、日本人とか日本語母語話者にもあると思いますね。
両親とも日本人だけど、海外に長いこと住んでいて日本語が喋れないとこうなった場合、これ良い悪いではなくて、日本人だと認めづらいっていう意識が皆さん多少あるんじゃないかと思いますね。
そういうこともあってね、国家と民族と言語っていうのはかなりナイブな問題なんですよね。
僕は割と言語っていうのをドライに見たい派っていうかそういう立ちなので、なかなか難しい問題ですねここはね。
こういう状況なので、一つの国家の中で全く違う言語を話してるのにそれを方言と名付けてるっていうこともよくあるんですね。
これは中国語とかでよくあるんですよ。
方言どう定義するかっていうと、一つは相互に理解ができるか意思疎通ができるかどうかっていうのが基準とはなってるんですが、それを測るテストとかもいろいろあったりするんですよ。
ただ日本みたいな島国は別として、陸続きになっているようなところだと、例えば言語がAからDまでずらっと地理的に並んでいるとして、
AとBはお互いに意思疎通ができる、BとCもできる、CとDもできるっていうふうに連続体になっている場合、
AとDは全然意思疎通ができないぐらいかけ離れているとかね、こういう連続体っていうのは非常によくあることなんですよね。
こういった点でも方言っていうのは定義しづらいと。
で、先ほど中国語の中でその方言と名付けることによって、ある意味中国語とひとまとめにしてるみたいなことを言いましたけど、逆もあるんですよ。
逆っていうのは、同じ言語なのに国家が違うから別国の名前を付けてるだけみたいな、実体はそういうことっていうのはよくあるんですよね。
これはインドネシア語とマレー語とかかな、マレーシア語とかも言ったりするかな。
インドネシアとマレーシアって当然国家が違うわけですけど、元にした言語が同じなんですよね。
で、それを独立国家とするときに国語と制定したので、インドネシアの国語、マレーシアの国語っていうふうに、公用語かなっていうふうに言ってるだけで。
しかし実際には意思疎通ができると、こういうこともあります。
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あとね、この手で有名なのはヒンディ語とウルドゥ語ですね。これはね、同じ言語なんですよ、実際は。
ヒンディ語の方はインドの公用語の一つとなってて、ウルドゥ語はパキスタンの公用語となってるんですね。
これは当然政治的な理由もあるし、宗教的な理由もありますよね。
インドの方はヒンドゥ教で、パキスタンの方はイスラム教っていうね。
なので、お互い語彙の面では結構違いがあったりするんですよね。
パキスタンはイスラム教の国なので、アラビア語から単語を取り入れたり、あるいは初期体系も違うんですよね。
アラビア語も語彙としても釈用してますけど、文字もアラビア文字でウルドゥ語は書きます。
一方、インドの方のヒンディ語はデーヴァナーガリーっていう南インドでよく使われてる文字なんですけど、を用いて書いてるんですよね。
なので見た目は全く違うんですよ。デーヴァナーガリーとアラビア文字で書いてるんで。
ただ実質的には同じ言語と言えなくもないんですね。
そういうわけで、今回は言語っていうのはどう定義したらいいのか、そして方言っていうのはどう定義したらいいのかっていうのが非常に難しいというお話ですね。
解決はできていませんね。
ちょっと調べてみるといろいろあると思うので、興味のある方はまた調べてみたり、あるいは質問いただけたら僕もまたトークしてみたいと思うのでよろしくお願いします。
というわけで今回はここまでということで、また次回お会いしましょう。
よろしかったら番組フォローお願いいたします。
ではまた。ごきげんよう。
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