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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
作品は全て青空文庫から選んでおります。
ご意見・ご感想・ご依頼は公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
また別途投稿本もご用意しております。リクエストなどお寄せください。
それからまだしてないよというそこのあなた、ぜひ番組のフォローもよろしくお願いします。
そして最後に気に入っていただけた方、おひねりを投げてもいいよという方、概要欄のリンクより投げていただければとてもうれしいです。
どうぞご検討のほどよろしくお願いします。
さて、今日は太宰治さんの「愛と美について」です。
ずいぶん振りかぶったタイトルですね。
ロマンチックな内容なんでしょうか。
文字数13000文字。
30分かかるかな。
30分弱だと思います。
30分超えるかも。
ではやっていきましょうか。
どうかお付き合いください。
それでは参ります。
兄妹の紹介と性格
愛と美について。
兄妹5人あってみんなロマンスが好きだった。
長男は29歳法学士である。
人に接するとき少し尊大ぶる悪癖があるけれども、これは彼自身の弱さをかばう鬼の面であって、誠は訳とても優しい。
弟妹達と映画を観に行って、これはダサくだ愚劣だと言いながらその映画の侍の義理人情に参ってまず真っ先に泣いてしまうのはいつもこの長兄である。
それに決まっていた。
映画館を出てからは急に尊大にむっと不機嫌になってみちみち一言も口を聞かない。
生まれて未だ一度も嘘というものをついたことがないと躊躇せず行言している。
それはどうかと思われるけれど、しかし硬直、潔白の一面は確かに偶有していた。
学校の成績はあまり良くなかった。
卒業後はどこへも勤めず家宅一家を守っている。
イプセンを研究している。
この頃人形の家をまた読み返し重大な発見をしてすこぶる興奮した。
野良があのとき恋をしていた。
お医者のランクに恋をしていたんだ。
それを発見した。
弟妹たちを呼び集めてそのところを指摘し大声知った説明に努力したが徒労であった。
弟妹たちはどうだかと首をかしげてにやにや笑っているだけで一向に興奮の色を示さん。
一体に弟妹たちはこの兄は甘く見ている。
なめている風がある。
長女は二十六歳。
未だとつがず鉄道省に通勤している。
フランス語がかなり良くできた。
背丈が五尺三寸あった。
すごく安ている。
弟妹たちに馬と呼ばれることがある。
髪を短く切ってロイドメガネをかけている。
心が派手で誰とでもすぐ友達になり一生懸命に奉仕して捨てられる。
それが趣味である。
優秀、積量の感をひそかに楽しむのである。
けれども一度同じ間に勤務している若い管理に夢中になり
そうしてやはり捨てられたときには
その時だけはさすがに心からげっそりして間の悪さもあり
肺が悪くなったと嘘をついて一週間も寝て
それから首に包帯を巻いて
やたらに咳をしながらお医者に店に行ったら
レントゲンで精算に調べられ
稀に見る眼鏡の肺像であると言って医者に褒められた。
文学鑑賞は本格的であった。
実によく読む。
用の答材を問わない。
力余って自分でも何やらこっそり書いている。
それは本箱の右の引き出しに隠してある。
成虚2年後に発表のことと書きしたためられた紙編が
その蓄積された作品の上にきちんと載せられているのである。
2年後が10年後と書き改められたり
2ヶ月後と書き直されたり
時には100年後となっていたりするのである。
次男と次女のエピソード
次男は24歳。
これは俗物であった。
定代の医学部に在籍。
けれどもあまり学校へはいかなかった。
体が弱いのである。
これは本物の病人である。
驚くほど美しい顔をしていた。
臨職である。
長兄が人に騙されて
モンテーニの使ったラケットと称する
変哲もない古ぼけたラケットを50円に値切って買ってきて
トクトクとしていた時など
次男は陰で一人、あまりの痛憤に大熱を発した。
その熱のためにとうとう腎臓を悪くした。
人を、どんな人をも蔑視したがる傾向がある。
人が何か言うとケッという機械な
カラス天狗の笑い声に似た
不愉快極まる笑い声をはばからず発するのである。
芸手一点張りである。
これとても芸手の素朴な死精神に敬服しているのではなく
芸手の好意好感に傾倒しているらしい不死がないでもない。
怪しいものである。
けれども兄弟みんなで即興の死など
協作する場合にはいつでも一番である。
できている。
俗物だけにいわば情熱の客観的把握がはっきりしている。
自身その気で精進すれば
あるいは一流作家になれるかもしれない。
この家の足の悪い17の助手に死ぬほど好かれている。
次女は21歳。
ナルシッサスである。
ある新聞社がミス日本を募っていたとき
あの時にはよほど自己推薦しようかと三夜見も題した。
お声あげてわめき散らしたかった。
けれども三夜の見も題の果て
自分の身長が足りないことに気がつき断念した。
兄弟のうちで一人目立って小さかった。
四尺七寸である。
けれども決してみっともないものではなかった。
なかなかである。
深夜、落景で鏡に向かい
ニットかわいく微笑してみたり
ふっくらした白い両足を
一枚転んで洗って
その指先にそっと自分で切粉して
うっとり目をつぶってみたり
一度、鼻の先に針でついたような小さい吹き出物して
憂鬱なまり自殺を図ったことがある。
読書の剪定に特色がある。
明治初年の家人の奇遇
渓谷美男などを古本屋から探してきて
一人でくすくす笑いながら読んでいる。
黒い悪い子
森田試験などの翻訳ものをも好んで読む。
どこから手に入れてくるのか
名の知れぬ同人雑誌をたくさん集めて
面白いな、うまいなと真声でつぶやきながら
端から端まで丹念に読破している。
本当は教科をひそかに最も愛読していた。
末弟の思索と家庭の様子
末弟は18歳である。
今年一高の理科高類に入学したばかりである。
高等学校へ入ってから彼の態度ががぜん変わった。
兄たち
姉たちにはそれがおかしくてならない。
けれども末弟は大真面目である。
家庭内のどんなささやかな紛争にでも
必ず末弟はぬっと顔を出し
頼まれもせぬのにしあんふかげに審判を下して
これには母をはじめ一家中並行している。
生きよい末弟は一家中から敬遠の形である。
末弟にはそれが不満でならない。
長女は彼のぶっとふくれた不機嫌の顔をみかねて
一人では大人になった気でいても
誰も大人と見ぬぞ悲しき
という和歌を一首作って末弟に与え
彼の罪や意見の無量を慰めてやった。
顔がクマの子のようで相苦しいので
兄弟たちが何かと彼に構いすぎて
それがために彼は多少オッチョコチョイのところがある。
単体小説を好む。
時々一人部屋の中で変装してみたりなどしている。
語学の勉強と称して和文大学のドイルのものを買ってきて
和文のところばかり読んでいる。
兄弟中で母のことを心配しているのは
自分だけだとひそかに悲壮の感に打たれている。
父は五年前に死んでいる。
けれども暮らしの不安はない。
要するにいい家庭だ。
時々みんな一応に恐ろしく退屈することがあるので
これには並行である。
今日はどん天、日曜である。
セルの季節でこの陰鬱の梅雨が過ぎると
夏がやってくるのである。
みんな百万に集まって
母はリンゴの果汁をこしらえて
五人の子供に飲ませている。
末弟一人特別に大きいコップで飲んでいる。
退屈した時にはみんなで物語の連鎖を始めるのが
この家の習わしである。
たまには母もそのお仲間寄りにすることがある。
何かないかねえ。
長兄は存在にあたりを見ます。
今日はちょっと風代わりの主人公を出してみたいんだが。
老人がいいなあ。
事情は宅の上に宝杖ついて
それも人差し指一本で片方を支えているという
どうにもきざな形で
昨夜私はつくづく考えてみたんだけれど
何、たった今ふと思いついただけのことなのである。
人間のうちで一番ロマンチックな種類は老人であるということがわかったの。
老婆はダメ。おじいさんでなくちゃダメ。
おじいさんがこう縁側にじっとして座っていると
もうそれだけでロマンチックじゃないの。
素晴らしいわ。
老人かあ。
長兄はちょっと考えるふりをして
よし、それにしよう。
なるべく甘い愛情豊かなきれいな物語がいいな。
こないだのガリバー後日物語は少し殷算すぎた。
僕はこの頃またブランドを読み返しているんだがどうも肩が凝る。
むずかしすぎる。
率直に白状してしまった。
僕にやらせてください。僕に。
ろくろく考えもせずすぐに大声あげて名乗り出たのは末弟である。
ガブガブ大コップの果汁を飲んでやおらご意見懐賃。
僕は、僕はこう思いますね。
いやに老成ぶった口調だったのでみんな苦笑した。
時計も例のケッという怪しい笑い声を発した。
末弟はブーッと膨れて、
僕はそのおじいさんはきっと大数学者じゃないかと思うんです。きっとそうだ。
えらい数学者なんだ。もちろん博士さ。世界的なんだ。
今は数学が急激にどんどん変わっている時なんだ。
過渡期が始まっている。世界大戦の終わり頃。
1920年頃から今日まで約10年の間にそれは起こりつつある。
昨日学校で聞いてきたばかりの講義をそのまま口までしているのだからたまったものではない。
数学の歴史も振り返ってみれば、いろいろ時代とともに変遷してきたことは確かです。
まず最初の段階は微積文学の発見時代に相当する。
それからがギリシャ伝来の数学に対する広い意味の近代的数学であります。
数学の自由性
こうして新しい領文が開けたわけですから、その開けた直後は高丸というよりもむしろ広丸時代、拡張の時代です。
それが18世紀の数学であります。
19世紀に移るあたり、やはり架かる階段があります。
すなわちこの時も急激に変わった時代です。
一人の代表者を選ぶならば、例えばガウス、GAUSSです。
急激にどんどん変化している時代をカトキと言うならば、現代などはまさに大カトキであります。
点で物語も何にもなってはしない。
それでも末廷は得意である。調子が出てきたと内心ホコホコしている。
やたらに反差でそうして定理ばかり氾濫していて、今までの数学は完全に行き詰まっている。
一つの暗記者に落としてしまった。
この時数学の自由性を叫んで完全に立ったのは今のそのおじいさんの博士であります。えらい奴なんだ。
もし探偵にでもなったらどんな機械の何事件でもちょっと現場を一回りして、
たちまちポンと解決してしまうに違いない。そんな頭のいいおじいさんなんだ。
とにかくキャンターの言うたように。
また始まった。
数学の本質はその自由性にある。確かにそうだ。
自由性とはフライハイトの訳です。
日本語では自由という言葉は初め政治的な意味に使われたのだそうですから、
フライハイトの本来の意味としっくり合わないかもしれない。
フライハイトは囚われない、拘束されない素朴なものを指しているのです。
フライでない例は非禁なところにたくさんあるが、多すぎて書いてあげにくい。
例えば、僕のうちの電話番号はご存知の通り4823ですが、
この3桁と4桁の間にコンモを入れて4823と書いている。
パリのように4823とすればまだしも分かりよいのに、
何でもかんでも3桁桶にコンモをつけなければならぬというのは、
これはすでに一つの囚われであります。
ロー博士はこのようなすべての道集を打破しようと努めているのではあります。
偉いもんだ。真なるもののみが愛すべきものである。
とポン彼が言っている。
しかり、真なるものを簡潔に直接捉え切ったならばそれでよい。
それに越したことがない。
もう物語も何もあったものではない。
兄弟たちもさすがに顔を見忘れて並行している。
末弟はさらにガクガクの論を続ける。
空論をお話しして一向取り留めがないけれど、
それは恐縮でありますが、
ちょうどこの頃解析外論をやっているのでちょっと覚えているんですが、
一つの例として求数についてお話ししたい。
20もしくは20以上の無限求数の定義には2種類あるのではないかと思われる。
絵を描いてお目にかけるとよくわかるのですが、
いわばフランス式とドイツ式と2つある。
結果は同じようなことになるんだが、
フランス式の方はすべての人に納得のいくようにいかにも合理的な立場である。
けれども今の解析の方のすべてが、
不思議に言い合わせたように平気でドイツ式一方である。
伝統というものは何か宗教信をさえ起こさせるらしい。
数学界にもそろそろこの宗教信が入り込んできている。
これは絶対に排撃しなければならない。
ロー博士はこの伝統の打破に立ったわけであります。
この語では解析学のはじめに集合論を述べる習慣があります。
これについても不審があります。
例えば絶対修練の場合、
昔は順序に無関係に和が定まるという意味に用いられていました。
それに対して条件的という語がある。
今では絶対値の級数が修練する意味に使うのです。
級数が修練し、絶対値の級数が修練しないときには項の順序を変えて、
任意のリミットに転読させることができるということから、
絶対値の級数が修練しなければなるということになるから、
それでいいわけだ。
少し怪しくなってきた。心細い。
ああ、僕の部屋の机の上に高木先生のあの本が載せてあるんだがなあと思っても、
今更それを取りに行ってくるわけにも行くまい。
あの本には何でもみんな書かれてあるんだけれど、
今は泣きたくなって舌も写れ、
不動を震えて悲鳴にした感高い声を上げ、
要するに兄弟たちはみんな一様にうつむいてくすと笑った。
要するに今度はほとんど泣き声である。
伝統ということになりますると、
よほどの過ちも気がつかずに見逃してしまうが、
問題は微細なところにたくさんあるのです。
もっと自由な立場で、
ごく諸島的な万人向きの解析願論の出るところを切に希望している次第であります。
博士の苦悩
めちゃめちゃである。
これで末弟の物語は終わったのである。
座が少し白けたほどである。
どうにも話の継ぎ穂がなかった。
みんな真面目になってしまった。
長女は思いやりの深い子であるから、
末弟のこの失敗を救済すべく吹き出したいのを我慢して、
気を押し沈め静かに語った。
ただいまお話ございましたように、
その老博士は大変高前のお志を持っておられます。
高前のお志にはいつも逆境がつきまといます。
これはもう絶対に正確の定理のようでございます。
老博士もやはり世に入れられず、
鬼人よ変人よと近所の人たちに言われて、
時々はさすがに侘しく、
今夜も一人ステッキ持って新宿へ散歩に出ました。
夏の頃のこれはお話でございます。
新宿は大変な人手でございます。
博士はヨレヨレの浴衣に帯を胸高に締め、
そして帯の結び目を長く後ろに垂れ下げて、
まるでネズミの尻尾のよう、
いかにもお気の毒の風災でございます。
それに博士はひどい汗っかきなのに、
今夜はハンカチを忘れて出てきたので、
一層みじめなことになりました。
はじめは手のひらでお顔の汗をぬぐい払っておりましたが、
とてもそんなことで間に合うような汗ではございません。
それこそまるで滝のよう、
額から流れ落ちる汗は、
一方は鼻筋を伝い、一方は米噛みを伝い、
ざわざわ顔中を洗い尽くして、
そしてみんな顎を伝って胸に滑り込み、
その気持ちの悪さだったら、
ちょうど油壺いっぱいの椿油を、
頭からどろどろ浴びせかけられる思いで、
老博士もこれには参ってしまいました。
とうとう浴衣の袖で、
素早く汗の顔をぬぐい、
また少し歩いては人に見つからぬよう、
さっと袖でぬぐいぬぐいしているうちに、
もうその両袖ながら、
夕立ちに打たれたようにびしょぬれになってしまいました。
博士はもともと無頓着なお方でございましたけれども、
このおびただしい汗には困惑しちゃいまして、
ついに一軒のビアホールに
逃げ込むことにいたしました。
ビアホールに入って、
扇風機の生ぬるい風に吹かれていたら、
それでも少し汗が治まりました。
ビアホールのラジオはそのとき、
大声で自曲講話をやっていました。
ふとその声に耳を澄まして考えてみると、
どうもこれは聞き覚えのある声でございます。
あいつではないかなと思っていたら、
果たしてその講話の終わりにアナウンサーが、
そのあいつの名前を
閣下という尊称を付して報告いたしました。
老博士は耳を洗いすすぎたい気持ちになりました。
そのあいつというのは、
高等学校、大学、
共に共に机を並べて勉強してきた男なんですが、
何かにつけて容量よく、
今は文部省の立派な地位にいて、
時々博士もそのあいつと同窓会などで
顔を合わせることがございまして、
その度ごとにあいつは博士を無用に
長老するのでございます。
気抜きかない、下痢た、嫉妬もなってない、
陳腐なダジャレを連発して、
鳥の巻の者もまた、おかしくもないのに手を打たんばかりに、
そのあいつの一言一言に笑い気をして、
一度は博士も席を蹴って
博士はまた立ち上がりましたが、
その時、卓上から床に転げ落ちてあった
一個のみかんをぐちゃっと踏みつぶして、
驚きのあまり、ヒッという貧乏臭い悲鳴をあげたので、
慢座、抱腹絶倒して、
博士のせっかくの正義の意気でも悲しい結果になりました。
けれども博士は諦めません。
いつかはあいつをぶん殴るつもりでおります。
それとの嫌なダミ声を、
たった今ラジオで聞いて、
博士は不愉快でたまりません。
ビールをガブガブ飲みました。
お酒にはあまり強い方ではございません。
たちまち命廷いたしました。
辻裏売りの女の子がビアホールに入ってきました。
博士はコレコレと小さい声で優しく呼んで、
お前年はいくつだい?
13か、そうか。
すると、もう5年、いや4年、
いや3年経てばお嫁に行けますよ。
いいかね?13に3を足せばいくつだ?
え?
などと、数学博士も呼ぶといくらかいやらしくなります。
少ししつこく女の子をからかいすぎたので、
とうとう博士は女の子の辻裏を
買わなければならない時期に立ち至りました。
博士はもともと命廷を信じません。
けれども今夜は戦国の裸女のせいもあり、
気が弱っているところもございましたので、
ふいとその辻裏で自分の研究、
運命の行く末を試してみたくなりました。
人は生活に敗れかけてくると、
未来への予言
どうしても何かの予言に
すがりつきたくなるものでございます。
悲しいことでございます。
その辻裏は炙り出し式になっております。
博士はマッチの日で、
とろとろ辻裏の紙を炙り、
水眼をかっと見開いて注視しますと、
はじめは何だか模様のようで、
何ももとなく思われましたが、
その時にだんだん明確に古風な字体のひらがなが
ありありと紙に現れました。
読んでみます。
おのぞみどおり。
博士は漢字と笑いました。
いいえ、漢字と顔ではございません。
博士ほどの若鷹、
へへへっとそれは下品な笑い声を発して、
ぐっと首を伸ばして辺りの水脚を見回しましたが、
水脚たちは格別相手になってはくれません。
それでも博士は意に関しなさることなく、
水脚一人一人に、
母、おのぞみどおり。
新宿の街と人々
なぞと、それは複雑な笑い声を、
若々しく笑いかけ、
撒き散らして皆に挨拶いたし、
今は全く自信を回復なされて、
悠々とそのビアホールをおでになりました。
外はぞろぞろ人の流れ、
大変でございます。
お試合、閉試合、みんな一応に汗ばんで、
それでも済まして歩いています。
歩いていても何一つこれという目的はないのでございますが、
けれどもみなさんはその日常がおびしいから、
何やらひそかな期待を崩壊していらして、
そうして済まして夜の新宿を歩いているのでございます。
いくら新宿の街を行きつ戻りつ歩いてみても、
いいことはございません。
それはもう決まっております。
けれども幸福は、
そのほのかに期待できるだけでも、
それは幸福なのでございます。
今のこの世の中ではそう思わなければなりません。
老博士はビアホールの回転ドアからくるりと排出され、
よろめき、
その都会のわびしい旅館の列に身を投じ、
たちまち揉まれをされて、
泳ぐような格好で旅館とともに流れていきます。
けれども今夜の老博士は、
この新宿の大群集の中で、
一番自信のある人物なのでございます。
幸福をつかむ確率が、
最も大きいのでございます。
博士は時々思い出してはにやにや笑い、
また一人、ひそかにこっくり趣向をして、
最もらしく眉を上げてきっとなってみたり、
あるいは全くの不良性少年のように、
ひゅうひゅう下手なくしぶえを
試みたりなどして歩いているうちに、
都心と博士にぶつかった学生があります。
けれどもそれは当たり前です。
こんな人混みではぶつかるのが当たり前でございます。
なんということもございません。
学生はそのまま通り過ぎていきます。
また都心と博士にぶつかった美しい礼状があります。
けれどもこれも当たり前です。
こんな混雑はぶつかるのは当たり前のことでございます。
なんということもございません。
礼状は通り過ぎていきます。
幸福はまだまだお預けでございます。
変化は背後からやってきました。
トントン。
博士の背中を軽く叩いた人がございます。
今度は本当。
長女は不死目がちにそこまで語って、
それから慌てて眼鏡を外し、
半ケチで眼鏡の玉をせっせと吹き始めた。
これは長女の多少照れくさい思いのときに
きっと始める終壁である。
次男が続けた。
どうも僕には描写がうまくできるので、
いや、できることもないが、
今日は少しめんどくさい。
簡潔にやってしまいましょう。
生意気である。
博士が後ろを振り向くと、
四十近い太ったマダムが立っております。
いかにも奇妙な顔の小さい犬を一匹抱いている。
二人はこんな話をした。
ご幸福?
ああ幸せだ。
お前がいなくなってから全てがよろしく、
若いのをおもらいになったんでしょう?
悪いかね?
ええ悪いわ。
私が犬の堂楽祭をしたら、
いつでもまたあなたのところへ帰っていいって、
そうちゃんと約束があったじゃないの。
よしてやしないじゃないか。
なんだ今度の犬はまたひどいじゃないか。
これはひどいね。
サナギでも食って生きてるような感じだ。
妖怪じみている。
ああ胸が悪い。
そんなにわざわざ青い顔してみせなくたっていいのよ。
ねえプロや。
もう少し気の利いた名前をつけんかね。
無知だ。たまらん。
いいじゃないの。
プロフェッサーのプロよ。
あなたは押したいもんしているんだよ。
意地だしいじゃないの。
たまらん。
おやおややっぱり。
お汗が多いのね。
あら、お袖なんかで拭いちゃあみっともないわよ。
ハンケチないの?
今度の奥さん気がきかないのね。
夏の外出にはハンケチはないのね。
おやおややっぱり。
夏の外出にはハンケチ3枚とセンス。
私は一度だってそれを忘れたことがない。
新鮮な家庭にケチをつけちゃ困るね。
冬替えだ。
お袖いります。
ほらハンケチあげるわよ。
ありがとう。借りておきます。
うん。
すっかり他人におなりなすったのね。
別れたら他人だ。
このハンケチやっぱり昔のまま。
いや犬のにおいがするね。
負け惜しみ言わなくたっていいの。
思い出すでしょ。どう?
くだらんことを言うな。
たしなみのない女だ。
あらどっちが?
やっぱり今度の奥さんにも
あんなに子供みたいに甘えかかっていらっしゃるの?
およしなさいよ。いい歳として。
みっともない。
嫌われますよ。
朝寝たまま旅をはかせてもらったりして。
新鮮な家庭にケチをつけちゃ困るね。
私は今幸せなんだからね。
すべてがうまくいっている。
うーん。
そうしてやっぱり朝はスープ?
スープより豊富だ。
でも私は今になって考えてみるに
お前ほど口はかましい女は世の中にそんなにいないような気がする。
お前はどうして私はあんなにひどく叱ったんだろう。
私は我が家にいながらまるで異相論の気持ちだった。
三杯目にはそっと出していた。
それは確かだ。
私はあの時分にはずいぶん重大な研究に着手していたんだぜ。
お前にはそんなことちょっともわかってやしない。
ただもう私の直近のボタンがどうのこうの
タバコの吸い殻がどうのこうの
そんなことを朝から晩までガミガミ言って
おかげで私は研究も何もめちゃめちゃだ。
お前と別れて立ち寄る頃に私は
直近のボタンを全部むしり取ってしまって
それからタバコの吸い殻を片っ端から
ポンポンコーヒージャワに放り込んでやった。
あれは愉快だった。実に痛快であった。
一人で涙も出るほど大笑いした。
私は考えれば考えるほど
お前にはひどい目にあっていたんだ。
後から後から腹が立つ。今でも私は十分に怒っている。
お前は一体人をいたわることを知らない女だ。
ふん。すみません。
私若かったのよ。
勘にしてね。もうもう私、わかったわ。
言うなんか問題じゃなかったのね。
はあ、また泣く。
お前はいつでもその手を持ちいた。
だがもうだめさ。
私は今晩時がお望み通りなんだからね。
どこかでお茶でも飲むか?
だめ。私今はっきりわかったわ。
あなたと私は他人なのね。
いいえ。昔から他人なのよ。
心の住んでいる世界が千里も万里も離れていたのよ。
一緒にいたってお互い不幸の思いをするだけで
もうきれいにお別れしたいの。
私、ね、近く神聖な家庭を持つのよ。
うーん、うまくいきそうかね。
大丈夫。その方はね、
職工さんよ。職工長。
その方がいなければ工場の機械が動かないんですって。
大きい山みたいな感じのしっかりした方。
うーん、私とは違うね。
ええ、学問はないの。
研究なんかなさらないわ。
けれどもなかなか腕がいいの。
うーん、うまくいくだろう。さようなら。
花と家庭
ハンケチ借りておくよ。
さようなら。
あ、帯がほどけそうよ。
さようなら。
あ、帯がほどけそうよ。
結んであげましょう。
本当にいつまでもいつまでも世話を焼かせて。
奥さんによろしくね。
うーん、機会があればね。
次男はふっと口をつぐんだ。
そしてケッと辞聴した。
二十四歳にしてはさすがに着想が大人びている。
私も結末がわかっちゃった。
理上はしたり顔をして後を引き取る。
それはきっとこうなのよ。
博士がそのマダムと別れてから
ハイゼンという立ち、
通りでむしむし扱った。
二十四歳は雲の子を散らすようにパーッと飛び散り、
どこへどう消え移せたのか、おわけみたい。
たった今まであんなにたくさん人がいたのに、
周遊にしてちまとはかんさん、
新宿の歩道には、
天足だけが白くしぶいておりました。
博士は羽根屋さんの軒下に肩をすくめて
小さくなって雨宿りしています。
時々、戦国のハンケチを取り出して
ちょっと見て、また慌てて田元にしまいこみます。
ふと、花を買おうかと思います。
お宅で待っていらっしゃる奥さんへ
きっと奥さんが喜んでくれるだろうと思いました。
博士が花を買うなど、
これは全く生まれて初めてのことでございます。
今夜はちょっと調子が変なの。
ラジオ、辻浦、
佐紀夫人、犬、ハンケチ、
いろいろなことがございました。
博士は羽根屋へ大変な決意を持って突入して、
それから孫付き孫付き大汗かいて、
それでも薔薇の大輪三本買いました。
ずいぶん高いのには驚きました。
逃げるようにして羽根屋から踊り出て、
それから円卓拾ってお宅へまっしぐら。
郊外の博士のお宅には伝統が赤々と灯っております。
楽しい和が屋。
いつも温かく博士をいたわり、すべてがうまくいっております。
玄関へ入るなり、
ただいまーと大きい声で言って大変なお元気です。
家の中は浸透しております。
それでも博士はいさいかまわず花束持ってどんどん部屋へ上がっていって、
奥の六畳の書斎へ入り、
ただいま。雨にやられて困ったよ。
どうです薔薇の花です。すべてがお望み通り行くそうです。
机の上に飾られている写真に向かって話しかけているんです。
千石綺麗に別れたばかりのマダムの写真でございます。
いいえ、でも今より十年若いときの写真でございます。
美しく微笑んでいました。
まずざっとこんなものだと言わんばかりに、
ナルシスタスは再び人差し指で貴重な頬杖をやらかして、
漫座をきょろと眺め回した。
うーん、だいたい、
長兄はもったいぶって、そんなところでよろしかろう。
けれども、
兄弟の会話
長兄は長兄としての威厳を保っていなければならん。
長兄は弟、妹たちに比べてあまり空想力は豊富ではなかった。
物語は至って下手くそである。
才能が貧弱なようである。
けれども長兄はそれゆえに弟妹たちから侮られるのも心外でならん。
必ず最後に何か一言ダサくを加える。
うーん、けれどもだね。
君たちは一つ重要な点を語ろうとしている。
それはその博士の要望についてである。
大したことでもなかった。
物語には要望が重大である。
要望を語ることによってその主人公に肉体感を与え、
また利き手にその近親の誰かの顔を思い出させ、
物語全体にインチメイトな一言でない思いを抱かせることができるものです。
僕の考えるところによれば、
その老博士は身長502セン、体重13カン弱、大変な高男である。
要望について言うならば、
額は広く高く、眉は薄く、鼻は小さく、口が大きく引き締まり、
眉間にシワ、白い頬ひげはふさふさと伸び、銀縁の老眼鏡をかけ、まず丸顔である。
何のことはない。長兄の尊敬しているイプセン先生の顔である。
長兄の想像力はこのようにたーいがない。やはり駄足の感があった。
これで物語が済んだのであるが、済んだ途端にまた彼らは一層すごく退屈した。
一つのささやかな興奮の後に来る倦怠、高齢、やりきれない思いである。
兄妹五人、一言でも物を言い出せばすぐに殴り合いでも始まりそうな賢悪な気まずさに並行しきった。
母は一人離れて座って兄弟五人のそれぞれの性格の現れている語り方を
始終ニコニコ微笑んで楽しみうっとりしていたのであるが、この時そっと立って障子を開け、はっと顔色を変えて
おや、家の門のところにフロック来た変なおじいさん立っています。
兄弟五人、ぎょっとして立ち上がった。母は一人笑い崩れた。
昭和十四年五月。
1982年発行。新調写。新調文庫。真珠の言葉。より独了。読み終わりです。
朗読の感想
何を読まされてるんだ僕は。
愛と美についてだったのか?タイトルあってる?
架空の兄弟の架空の暇つぶしのドラマ仕立てを読み上げているというね。
なんだこの時間は。何を受け取ればいいのこれから。ここから。
数学、数学の話、待って一番末の弟の数学の話をずらずら書いているところになんか、
だだいくんの、僕はこういう数学のうんちこを語るキャラも書けるんだよみたいなこう、
なんて言うんですか、見せびらかしているとあれだけどこう、
比例記する感じ?見てよって。こういうキャラも僕は描き出せますぜみたいな感じがちょっとあった感じがしますけどね。
どうでしょうか。フライハイトとか言ってた。ガウスとか言ってたもんね。ガウス。GAUSS。
はい。まあわけわかんなかったですね。うまく眠くなっているといいんですけど。
やっぱり今起こしてもタイトル間違ってるよねきっとね。愛と美についてじゃない気がするな。
まあいいか。終わりにしていきましょう。
無事に寝落ちできた方も最後までお付き合いいただけた方も大変にお疲れ様でした。
といったところで今日のところはこの辺で。また次回お会いしましょう。おやすみなさい。