人間失格 橋垣
私はその男の写真を3様見たことがある。 一様はその男の幼年時代とでも言うべきであろうか。
実際前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女の人に取り囲まれ、 過去それはその子供の姉たち、妹たち、それからいとこたちかと想像される。
庭園の池のほとりに荒い縞の袴を履いて立ち、首を30度ほど左に傾け、 醜く笑っている写真である。
見にくく? けれども、にぶい人たち、つまり美衆などに関心を持たぬ人たちは、面白くもなんともないような顔をして、「かわいいぼちゃんですね。」といい加減なお世辞を言っても、
まんざら空お世辞に聞こえないくらいの、いわば通俗の可愛らしさみたいな加減も、 その子供の笑顔にないわけではないのだが。
しかし、いささかでも美衆についての訓練を経てきた人なら、一目見てすぐ、
「なんて嫌な子供だ。」とすこぶる不快そうにつぶやき、けむしでも払い抜けるときのような手つきで、 その写真を放り投げるかもしれない。
まったくその子供の笑顔は、よく見れば見るほどなんとも知れず、 嫌な薄気味悪いものが感じられてくる。
土台それは笑顔でない。この子は少しも笑ってはいないのだ。 その証拠にはこの子は両方の拳を固く握って立っている。
人間は拳を固く握りながら笑えるものではないのである。 猿だ。猿の笑顔だ。
ただ顔に醜いシワを寄せているだけなのである。 シワくちゃぼっちゃんとでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうしてどこかけがらわしく、
変に人をムカムカさせる表情の写真であった。 私はこれまでこんな不思議な表情の子供を見たことが一度もなかった。
第二様の写真の顔は、これはまたびっくりするくらい酷く変貌していた。 学生の姿である。高等学校時代の写真か大学時代の写真かはっきりしないけれども、
とにかく恐ろしく美貌の学生である。 しかしこれもまた不思議にも、生きている人間の感じはしなかった。
学生服を着て、胸のポケットから白いハンケチを覗かせ、 頭椅子に腰掛けて足を組み、そうしてやはり笑っている。
今度の笑顔は主役者の猿の笑いでなく、 かなり巧みな美少にはなっているが、しかし人間の笑いとどこやら違う。
血の重さとでもいようか、命の渋さとでもいようか、 そのような充実感は少しもなく、それこそ鳥のようではなく、
羽毛のように軽く、ただ白紙一枚、そうして笑っている。 つまり一から十まで作り物の感じなのである。
キザと言っても足りない。軽白と言っても足りない。 にやけと言っても足りない。おしゃれと言ってももちろん足りない。
しかもよく見ていると、やはりこの美貌の学生にも、 どこか怪談じみた気味悪いものが感じられてくるのである。
私はこれまでこんな不思議な美貌の青年を見たことが一度もなかった。 もう一様の写真は最も奇怪なものである。
まるでもう年の頃がわからない。 頭はいくぶん白髪のようである。それが酷く汚い部屋。
かっこ部屋の壁が3か所ほど崩れ落ちているのがその写真にはっきり映っている。 の片隅で、小さい火鉢に両手をかざし、今度は笑っていない。
どんな表情もない。いわば座って火鉢に両手をかざしながら自然に死んでいるような、 誠に忌まわしい不吉な匂いのする写真であった。
奇怪なのはそれだけではない。 その写真には割に顔が大きく映っていたので、私はつくづくその顔の構造を調べることができたのであるが、
額は平凡。額のシワも平凡。眉も平凡。目も平凡。鼻も口も顎も。 ああ、この顔には表情がないばかりか。印象さえない。
特徴がないのだ。 例えば私がこの写真を見て目をつぶる。
すでに私はこの顔を忘れている。 部屋の壁や小さい火鉢は思い出すことができるけれども、その部屋の主人公の顔の印象はすっと無償して、どうしても何としても思い出せない。
絵にならない顔である。 漫画にも何もならない顔である。
目を開く。 ああ、こんな顔だったのか。思い出した。というような喜びさえない。
極端な言い方をすれば、目を開いてその写真を再び見ても思い出せない。 そしてただもう不愉快。
イライラしてつい目を背けたくなる。 いわゆる思想というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに。
人間の体に駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか。 とにかく、とこということなく見るものをしてゾッとさせ、嫌な気持ちにさせるのだ。
私はこれまでこんな不思議な男の顔を見たことが、やはり一度もなかった。
第一の手記 恥の多い生涯を送ってきました。
自分には人間の生活というものが見当つかないのです。 自分は東北の田舎に生まれましたので、汽車を初めて見たのは、よほど大きくなってからでした。
自分は停車場のブリッジを登って降りて、そしてそれが線路を跨ぎ越えるために作られたものだということには全然気づかず、
ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに複雑に楽しくハイカラにするためにのみ設備せられてあるものだとばかり思っていました。
しかも、かなり長い間そう思っていたのです。 ブリッジの登ったり降りたりは自分にはむしろずいぶん垢抜けのした遊戯で、
それは鉄道のサービスの中でも最も気の利いたサービスの一つだと思っていたのですが、後にそれはただ旅客が線路を跨ぎ越えるための
すこぶる実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに今日が覚めました。
また自分は子供の頃絵本で地下鉄道というものを見て、これもやはり実利的な必要から暗出せられたものではなく、地上の車に乗るよりは地下の車に乗った方が風変わりで面白い遊びだからとばかり思っていました。
自分は子供の頃から病弱でよく寝込みましたが、 寝ながら敷布の枕のカバー、掛け布団のカバーをつくづくつまらない装飾だと思い、
それが案外に実用品になったことを二十歳近くになってわかって、人間のつますさに安全とし、悲しい思いをしました。
また自分は空腹ということを知りませんでした。 いやそれは自分が衣食中に困らない家に育ったという意味ではなく、
そんな馬鹿な意味ではなく、自分には空腹という感覚はどんなものだかさっぱりわからなかったのです。
変な言い方ですが、お腹が空いていても自分でそれに気がつかないのです。 中学校、中学校、自分が学校から帰ってくると周囲の人たちが、「それ、お腹が空いたろ。
自分たちにも覚えがある。学校から帰ってきた時の空腹は全くひどいからなぁ。 アマナットはどう?カステラもおパンもあるよ。」
などと言って騒ぎますので、自分は持ち前のおべっか精神を発揮して、お腹が空いたと呟いて、アマナットを10粒ばかり口に放り込むのですが、
空腹感とはどんなものだか、ちっともわかっていいやしなかったのです。 自分だってそれはもちろん大いに物を食べますが、しかし空腹感から物を食べた記憶はほとんどありません。
珍しいと思われたものを食べます。豪華と思われたものを食べます。 また、よそへ行って出されたものも無理をしてまで大抵食べます。
そして子供の頃の自分にとって最も苦痛な時刻は、実に自分の家の食事の時間でした。 自分の田舎の家では10人くらいの家族全部、
命名のお膳を2列に向かい合わせに並べて、末っ子の自分はもちろん一番下の座でしたが、その食事の部屋は薄暗く、
昼ご飯の時など、10幾人の家族がただ黙々として飯を食っている有様には、自分はいつも肌寒い思いをしました。
それに田舎の昔片木の家でしたので、おかずも大抵決まっていて、珍しいもの豪華なもの、そんなものは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を恐怖しました。
自分はその薄暗い部屋の末席に、寒さにガタガタ震える思いで口にご飯を少量ずつ運び、押し込み、
人間はどうして一日に3度3度ご飯を食べるのだろう、実にみんな厳粛な顔をして食べている。
これも一種の儀式のようなもので、家族が日に3度3度時刻を決めて、薄暗い一部屋に集まり、お膳を順序正しく並べ、食べたくなくても無言でご飯を噛みながらうつむき、
家中にうごめいている霊たちに祈るためのものかもしれない、とさえ考えたことがあるくらいでした。
飯を食べなければ死ぬ。 という言葉は自分の耳にはただ嫌な脅しとしか聞こえませんでした。
その迷信は、 今でも自分にはなんだか迷信のように思われてならないのですが。
しかしいつも自分に不安と恐怖を与えました。 人間は飯を食べなければ死ぬから、そのために働いて、飯を食べなければならぬ、
という言葉ほど自分にとって難解で怪獣で、そうして脅迫めいた響きを感じさせる言葉はなかったのです。
つまり自分には人間の営みというものが未だに何もわかっていないということになりそうです。
自分の幸福の観念と世のすべての人たちの幸福の観念とがまるで食い違っているような不安。
自分はその不安のために世の世の転々し、進言し、発狂しかけたことさえあります。 自分は一体幸福なのでしょうか。
自分は小さい時から実にしばしば幸せ者だと人に言われてきましたが、自分ではいつも地獄の思いで、
かえって自分を幸せ者だと言った人たちの方が、比較にもならぬくらいずっとずっと安楽なように自分には見えるのです。
自分には災いの塊が10個あって、その中の1個でも隣人が背負ったら、
その1個だけでも十分に隣人の命取りになるのではあるまいかと思ったことさえありました。
つまりわからないのです。 隣人の苦しみの性質、程度がまるで見当つかないのです。
プラクティカルな苦しみ。ただ、飯を食えたらそれで解決できる苦しみ。
しかしそれこそ最も強い痛苦で、自分の例の10個の災いなど吹っ飛んでしまうほどの精算な浴び地獄なのかもしれない。
それはわからない。しかしそれにしてはよく自殺もせず発狂もせず、正当を論じ、絶望せず屈せず生活の戦いを続けていける。
苦しくないんじゃないか。エゴイストになりきって、しかもそれを当然のことと確信し、一度も自分を疑ったことがないんじゃないか。
それなら楽だ。しかし人間というものはみんなそんなもので、またそれで満点なのではないかしら。わからない。
夜はぐっすり眠り、朝は爽快なのかしら。どんな夢を見ていたのだろう。道を歩きながら何を考えているのだろう。
金?まさか、それだけでもないだろう。人間は飯を食うために生きているのだという説は聞いたことがあるような気がするけれども、
金のために生きているという言葉は耳にしたことがない。いやしかしことによると、いやそれもわからない。
考えれば考えるほど自分にはわからなくなり、自分一人全く変わっているような不安と恐怖に襲われるばかりなのです。
自分は隣人とほとんど会話ができません。何をどう言ったらいいのかわからないのです。
そこで考え出したのは同家でした。それは自分の人間に対する最古の旧愛でした。
自分は人間を極度に恐れていながら、それでいて人間をどうしても思い切れなかったらしいのです。
そして自分はこの同家の一戦で、わずかに人間につながることができたのでした。
表では絶えず笑顔を作りながらも、内心は必死の、それこそ戦犯に一番の兼ね合いとでも言うべき
一気一発の油汗流してのサービスでした。自分は子供の頃から自分の家族の者たちに対してさえ、
彼らがどんなに苦しく、またどんなことを考えて生きているのか、まるでちっとも見当つかず、ただ恐ろしくその気まずさに耐えることができず、
既に同家の上手になっていました。 つまり自分はいつの間にやら一言も本当のことを言わない子になっていたのです。
その頃の家族たちと一緒に写した写真などを見ると、他の者たちは皆真面目な顔をしているのに、自分一人必ず奇妙に顔を歪めて笑っているのです。
これもまた自分の幼く悲しい同家の一種でした。 また自分は憎しんたちに何か言われて口応えしたことは一度もありませんでした。
そのわずかなおこごとは、自分には霹靂のごとく強く感じられ、狂うみたいになり、口応えどころかそのおこごとこそ、いわば万世一継の人間の真理とかいうものに違いない、
自分にはその真理を行う力がないのだから、もはや人間と一緒に住めないのではないかしらと思い込んでしまうのでした。
だから自分には言い争いも自己弁解もできないのでした。 人から悪く言われると、いかにももっとも自分が酷い思い違いをしているような気がしてきて、
いつもその攻撃を目視して受け、内心狂うほどの恐怖を感じました。 それは誰でも人から非難せられたり、
怒られたりしていい気持ちがするものではないかもしれませんが、自分は怒っている人間の顔に、獅子よりもワニよりも竜よりも、もっと恐ろしい動物の本性を見るのです。
普段はその本性を隠しているようですけれども、何かの機会に、例えば牛が草原でおっとりした形で寝ていて、
突如尻尾でピシッと腹のアブを打ち殺すみたいに、不意に人間の恐ろしい正体を怒りによって暴露する様子を見て、自分はいつも神の逆立つほどの戦慄を覚え、
この本性もまた人間の生きていく資格の一つなのかもしれないと思えば、ほとんど自分に絶望を感じるのでした。
人間に対していつも恐怖に古い斧の木、また人間としての自分の現像に未人も自信を持てず、そして自分一人の大脳は胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、
ナーバスネスをひた隠しに隠してひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はおどけたお偏人として次第に完成されてゆきました。
何でもいいから笑わせておけばいいのだ。 そうすると人間たちは、自分が彼らのいわゆる生活の他にいてもあまりそれを気にしないのではないかしら。
とにかく彼ら人間たちの目障りになってはいけない。自分は無だ、風だ、空だ、というような思いばかりが募り、自分はおどけによって家族を笑わせ、
また家族よりももっと不可解で恐ろしい下男や下女にまで必死のおどけのサービスをしたのです。 自分は夏に浴衣の下に赤い毛糸のセーターを着て廊下を
歩き、家中の者を笑わせました。 滅多に笑わない長兄もそれを見て吹き出し、
そら、洋ちゃん似合わない、と可愛くてたまらないような口調で言いました。 何、自分だって真夏に毛糸のセーターを着て歩くほど、いくら何でもそんな暑さ寒さを知らぬお偏人ではありません。
姉のレギンスを両腕にはめて浴衣の袖口から覗かせ、もってセーターを着ているように見せかけていたのです。
自分の父は東京に用事の多い人でしたので、上野の桜木町に別荘を持っていて、月の大半は東京のその別荘で暮らしていました。
そして帰る時には家族の者たち、また親戚の者たちにまで実におびただしくお土産を買ってくるのが、まあ父の趣味みたいなものでした。
いつかの父の状況の前夜、父は子供たちを客前に集め、今度帰る時にはどんなお土産がいいか一人一人に笑いながら尋ね、それに対する子供たちの答えをいちいち手帳に書き留めるのでした。
父がこんなに子供たちと親しくするのは珍しいことでした。
「用造は?」と聞かれて自分は口御もってしまいました。
何が欲しいと聞かれると途端に何も欲しくなくなるのでした。どうでもいい。
どうせ自分を楽しくさせてくれるものなんかないんだという思いがちらと動くのです。
と同時に人から与えられるものをどんなに自分の好みに合わなくても、それを拒むこともできませんでした。
嫌なことを嫌と言えず、また好きなこともオズオズと盗むように極めて苦く味わい、そうして言い知れぬ恐怖感にも耐えるのでした。
つまり自分には二者戦一の力さえなかったのです。
これが後年に至り、いよいよ自分のいわゆる恥の多い生涯の重大な原因ともなる聖壁の一つだったように思われます。
自分が黙ってもじもじしているので父はちょっと不機嫌な顔になり、
やはり本か。
浅草の中店にお正月のししまいのおしし、子供がかぶって遊ぶのには手頃な大きさのが売っていたけど、欲しくないか。
欲しくないかと言われるともうダメなんです。おどけた返事も何もできやしないんです。おどけ役者は完全に落題でした。
本がいいでしょ、長兄は真面目な顔をして言いました。
そうか。 父はきょうざめ顔に手帳に書き留めもせず、パチと手帳を閉じました。
なんという失敗。自分は父を怒らせた。 父の復讐はきっと恐るべきものに違いない。
今のうちに何とかして取り返しのつかぬものか、とその夜、布団の中でガタガタ震えながら考え、そっと起きて客間に行き、
父が先刻手帳をしまい込んだはずの机の引き出しを開けて手帳を取り上げ、パラパラめくってお土産の注文記入の箇所を見つけ、
手帳の鉛筆をなめてししまいと書いて寝ました。 自分はそのししまいのおししをちっとも欲しくはなかったのです。
かえって本のほうがいいくらいでした。 けれども自分は父がそのおししを自分に買って与えたいのだということに気がつき、
父のその意向に迎合して父の機嫌を直したいばかりに、深夜客間に忍び込むという冒険をあえて犯したのでした。
そうしてこの自分の非常の手段は果たして思い通りの大成功をもって報いられました。 やがて父は東京から帰ってきて母に大声で言っているのを自分は子供部屋で聞いていました。
中店のおもちゃ屋でこの手帳を開いてみたら、これ、ここにししまいと書いてある。 これは私の字ではない。
はてな、と首をかしげて思い当たりました。 これは洋蔵のいたずらですよ。
あいつは私が聞いた時にはニヤニヤして黙っていたが、あとでどうしてもおししが欲しくてたまらなくなったんだね。
なにせどうもあれは変わった坊主ですからね。知らんぷりしてちゃんと書いている。 そんなに欲しかったのならそう言えばいいのに。私はおもちゃ屋の店先で笑いましたよ。
ああ、洋蔵を早くここへ呼びなさい。 また一方自分は下男や下女たちを洋室に集めて、下男の一人にめちゃくちゃにピアノのキーを叩かせ、
田舎ではありましたがその家には大抵のものが揃っていました。 自分はそのでたらめの曲に合わせてインディアンの踊りを踊ってみせてみんなを大笑いさせました。
時計はフラッシュを焚いて自分のインディアン踊りを撮影してその写真ができたのを見ると自分の腰布、 それはサラサの風呂敷でした。
の合わせ目から小さいおちんぽが見えていたので、これがまた家中の大笑いでした。 自分にとってこれがまた意外の成功というべきものだったかもしれません。
自分は毎月新刊の少年雑誌を10冊以上も撮っていて、 またその他にも様々な本を東京から取り寄せて黙って読んでいましたので、
めちゃらくちゃら博士だの、またなんじゃもんじゃ博士などとは大変な馴染みで、 また怪談、講談、落語、江戸小話などの類にもかなり通じていましたから、
ひょうきんなことを真面目な顔をして言って家の者たちを笑わせるのにはことをかきませんでした。 しかし、ああ、学校。
自分はそこでは尊敬されかけていたのです。尊敬されるという観念もまたはなはな自分を怯えさせました。
ほとんど完全に近く人を騙して、そうしてある一人の全知全能の者に見破られ、 コッパみじんにやられて死ぬる以上の赤恥をかかせられる、それが尊敬されるという状態の自分の定義でありました。
人間を騙して尊敬されても誰か一人が知っている。 そして人間たちもやがてその一人から教えられて騙されたことに気がついたとき、
その時の人間たちの怒り、復讐は一体今はどんなでしょうか。 想像してさえ身の毛がよだつ心地がするのです。
自分は金持ちの家に生まれたということよりも、底に言うできることによって学校中の尊敬を得そうになりました。
自分は子供の頃から病弱で、よく一月二月、また一学年近くも寝込んで学校を休んだことさえあったのですが、
それでも病み上がりの体で人力車に乗って学校へ行き、学年末の試験を受けてみると、クラスの誰よりもいわゆるできているようでした。
体具合の良い時でも自分はさっぱり勉強せず、学校へ行っても授業時間に漫画などを書き、
休憩時間にはそれをクラスの者たちに説明して聞かせて笑わせてやりました。 また、綴り方には滑稽話ばかり書き、先生から注意されても、しかし自分はやめませんでした。
先生は実はこっそり自分のその滑稽話を楽しみにしていることを自分は知っていたからでした。
ある日自分は例によって自分が母に連れられて、状況の途中の汽車でおしっこを汽車の通路にあるタンツボにしてしまった失敗談。
しかしその状況の時に自分はタンツボと知らずにしたのではありませんでした。 子供の無邪気を照らってわざとそうしたのでした。
を、ことさらに悲しそうな筆記で書いて提出し、先生はきっと笑うという自信がありましたので、職員室に引き上げていく先生の後をそっとつけていきましたら、
先生は教室を出るとすぐ自分のその綴り方を他のクラスの者たちの綴り方の中から選び出し、廊下を歩きながら読み始めてくすくす笑い、
やがて職員室に入って読み終えたのか顔を真っ赤にして大声を上げて笑い、他の先生に早速それを読ませているのを見届け自分は大変満足でした。
お茶目。 自分はいわゆるお茶目に見られることに成功しました。
尊敬されることから逃れることに成功しました。通信棒は全学科とも10点でしたが、総考というものだけは7点だったり6点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。
けれども自分の本性はそんなお茶目さんなどとはおよそ体積的なものでした。とどころすでに自分は助中や下難から悲しいことを教えられ、犯されていました。
幼少の者に対してそのようなことを行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で過等で残酷な犯罪だと自分は今では思っています。
しかし自分は忍びました。 これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持ちさえして、そうして力なく笑っていました。
もし自分に本当のことを言う習慣がついていたなら、悪びれず彼らの犯罪を父や母に訴えることができたのかもしれませんが、しかし自分はその父や母をも全部は理解することができなかったのです。
人間に訴える。自分はその手段には少しも期待できませんでした。 父に訴えても、母に訴えても、おまわりに訴えても、政府に訴えても、結局は弱たりに強い人の、世間に通りの良い言い分に言いまくられるだけのことではないかしら。
必ず片手落ちのあるのがわかりきっている。所詮人間に訴えるのは無駄である。自分はやはり本当のことは何も言わず、しのんでそうしておどけを続けているより他ない気持ちなのでした。
何だ、人間への不信を言っているのか。 えー、お前はいつクリスチャンになったんだい。
と嘲笑する人もあるいはいるかもしれませんが、しかし人間への不信は必ずしもすぐに宗教の道に通じているとは限らないと自分には思われるのですけど。
現にその嘲笑する人をも含めて、人間はお互い不信の中で、エホバも何も念頭に置かず平気で生きているではありませんか。
やはり自分の幼少の頃のことでありましたが、父の俗していたある青棟の有名人がこの町に演説に来て、自分は下男たちに連れられて劇場に聞きに行きました。
満員で、そうしてこの町の特に父と親しくしている人たちの顔は皆、見えて大いに拍手などをしていました。
演説が済んで長州は雪の夜道を三三五五固まって家路に着き、クソみそに今夜の演説会の悪口を言っているのでした。
中には父と特に親しい人の声も混じっていました。
父の開会の字も下手、例の有名人の演説も何が何やら訳がわからぬ、とそのいわゆる父の同志たちが土星に居た口調で言っているのです。
そうしてその人たちは自分の家に立ち寄って客間に上がり込み、今夜の演説会は大成功だったと真から嬉しそうな顔をして父に言っていました。
下男たちまで今夜の演説会はどうだったと母に聞かれ、とても面白かったと言ってケロリとしているのです。
演説会ほど面白いものはないと帰る道々、下男たちが嘆き合っていたのです。
しかしこんなのはほんのささやかな一例にすぎません。
互いに欺き合って、しかもいずれも不思議に何の傷もつかず、欺き合っていることにさえ気がついていないみたいに、実に鮮やかな、それこそ清く明るくほからかな不審の例が人間の生活に充満しているように思われます。
けれども自分には、欺き合っているということにはさして特別の興味もありません。
自分だっておどけによって朝から晩まで人間を欺いているのです。
自分は終身教科書的な正義とか何とかという道徳にはあまり関心を持っていないのです。
自分には欺き合っていながら清く明るくほからかに生きている、あるいは生きうる自信を持っているみたいな人間が難解なのです。
人間はついに自分のその妙程を教えてはくれませんでした。
それさえわかったら自分は人間をこんなに恐怖し、また必死のサービスなどしなくて済んだのでしょう。
人間の生活と対立してしまって、よねあなの地獄のこれほどの苦しみをなめずに済んだのでしょう。
つまり自分が下男下女たちの憎むべきあの犯罪をさえ誰にも訴えなかったのは、
人間への不信からではなく、またもちろんクリスト主義のためでもなく、
人間が妖像という自分に対して信用の殻を固く閉じていたからだったと思います。
父母でさえ、自分にとって難解なものを時折見せることがあったのですから。
そうしてその誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが多くの女性に本能によって嗅ぎ当てられ、
後年様々自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。
つまり自分は女性にとって恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。
第二の主旗。
海の波打ち際といってもいいくらいに海に近い岸辺に、
真っ黒い木肌の山桜のかなり大きいのが20本以上も立ち並び、
それほどの癖ものが他教に出て、万が一にも演じ損ねるなどということはないわけでした。
自分の人間恐怖は、それは以前に勝るとも劣らぬくらい激しく胸の底で前導していましたが、しかし演技は実にのびのびとしてきて、教室にあってはいつもクラスの者たちを笑わせ、
教師もこのクラスは大葉さえいないととてもいいクラスなんだが、と言葉では嘆じながら、手で口を覆って笑っていました。
自分はあの雷のごとき万世を張り上げる俳俗症候を抑え、実に容易に吹き出させることができたのです。
もはや自分の正体を完全に隠蔽し得たのではあるまいか、とほっとしかけた矢先に自分は実に意外にも背後から突き刺されました。
それは背後から突き刺す男のご多分に漏れず、クラスで最も貧弱な肉体をして顔も青ぶくれで、
そして確かに不敬のお古と思われる袖が聖徳太子の袖みたいに長すぎる上着を着て、学科は少しもできず、教練や体操はいつも見学という白痴にいた生徒でした。
自分もさすがにその生徒にさえ警戒する必要は認めていなかったのでした。
その日体操の時間にその生徒、生は今記憶していませんが名は竹市と言ったかと覚えています。
その竹市は例によって見学、自分たちは鉄棒の練習をさせられていました。
自分はわざとできるだけ厳粛な顔をして、鉄棒をめがけてえいと叫んで飛び、そのまま幅跳びのように前方へ飛んでしまって、すなじにどすんと尻餅をつきました。
すべて計画的な失敗でした。
果たしてみんなの大笑いになり、自分も苦笑しながら起き上がってズボンの砂を払っていると、いつそこへ来ていたのか竹市が、自分の背中を突き低い声でこうささやきました。
わざ、わざ、自分は心感しました。
わざと失敗したということを、人もあろうに竹市に見破られるとは全く思いもかけないことでした。
自分は世界が一瞬にして地獄の豪華に包まれて燃え上がるのを眼前で見るような心地がして、わーっと叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。
それからの日々の自分の不安と恐怖。
表面は相変わらず悲しいおどけを演じてみんなを笑わせていましたが、ふっと思わず重苦しいため息が出て、
何をしたってすべて竹市にこっぱみじんに見破られていて、そうしてあればそのうちにきっと誰彼となくそれを言いふらして歩くに違いないのだ、と考えると、
額にじっとり油汗が湧いてきて、狂人みたいに妙の目つきで辺りを虚力のむらしく見回したりしました。
できることなら朝昼晩、四六時中、竹市のそばから離れず、彼が秘密をくちばしらないように監視していたい気持ちでした。
そうして自分が彼にまつわりついている間に、自分のおどけはいわゆる技ではなくて、本物であったというように思い込ませるようにあらゆる努力を払い、
あわよくば彼と無二の親友になってしまいたいものだ。もしそのことが皆不可能なら、もはや彼の死を祈るより他はない、とさえ思い詰めました。
しかしさすがに彼を殺そうという気だけは起こりませんでした。自分はこれまでの生涯において、人に殺されたいと願望したことは幾度となくありましたが、
人を殺したいと思ったことは一度もありませんでした。それは、おするべき相手にかえって幸福を与えるだけのことだと考えていたからです。
自分は彼を手名付けるため、まず顔にニセクリスチャンのような優しい微笑をたたえ、
首を三十度ぐらい左に曲げて彼の小さい肩を軽くたたき、そして猫なで声に似た甘ったるい声で彼を自分の寄宿している家に遊びに来るようしばしば誘いましたが、
彼はいつもぼんやりした目つきをして黙っていました。 しかし自分はある日の放課後、確か初夏の頃のことでした。
夕立が白く降って、生徒たちは帰宅に困っていたようでしたが、自分は家がすぐ近くなので平気で外へ飛び出そうとして、ふと下駄箱の影に竹市がしょんぼり立っているのを見つけ、
「行こう。傘を貸してあげるといい。」
臆する竹市の手を引っ張って一緒に夕立の中を走り、家に着いて二人の上衣をおばさんに乾かしてもらうように頼み、竹市を二階の自分の部屋に誘い込むのに成功しました。
その家には五十過ぎのおばさんと三十ぐらいの眼鏡をかけて両親らしい背の高い姉娘。
この娘は一度よそへお嫁に行って、それからまた家へ帰っている人でした。
自分はこの人をここの家の人たちに習って姉さと呼んでいました。
それと最近女学校を卒業したばかりらしい節ちゃんという姉に似ず、背が低く丸顔の妹娘と三人だけの家族で、
下の店には文房具やら運動用具を少々並べていましたが、主な収入は亡くなった主人が盾で残していった五六棟の長屋の家賃のようでした。
「耳が痛い。」
竹市は立ったままでそう言いました。
「雨に濡れたら痛くなったよ。」
自分が見てみると両方の耳がひどい耳だれでした。
耳が今にも自覚の外に流れ出ようとしていました。
「ああ、これはいけない。痛いだろう。」
と自分は大げさに驚いて見せて、
「雨の中を引っ張り出したりしてごめんね。」
と女の言葉みたいな言葉を使って優しく謝り、それから下へ行って綿とアルコールをもらってきて、
竹市を自分の膝を枕にして寝かせ、念入りに耳の掃除をしてやりました。
竹市もさすがにこれが偽善の悪形であることには気づかなかったようで、
「お前はきっと女に惚れられるよ。」
と自分の膝枕で寝ながら無知なお世辞を言ったくらいでした。
しかしこれはおそらくあの竹市も意識しなかったほどの恐ろしい悪魔の予言のようなものだったということを自分は後年に至って思い知りました。
「惚れるといい、惚れられるといい。」
その言葉はひどく下品で、ふざけていかにも矢に下がったものの感じで、
どんなにいわゆる厳粛の場であっても、そこへこの言葉が一言でもひょいと顔を出すと、
みるみる憂鬱のがらんが崩壊し、ただのっぺら棒になってしまうような心地がするものですけれども、
惚れられる辛さ、などという俗語でなく、
愛せるある不安とでもいう文学語を用いると、
あながち憂鬱のがらんをぶち壊すことにはならないようですから、奇妙なものだと思います。
竹市が自分の身乱れの海の始末をしてもらって、「お前は惚れられる。」という馬鹿なお世辞を言い、
自分はその時、ただ顔をあからめて笑って何も答えませんでしたけれども、
しかし実はかすかに思い当たるところもあったのでした。
でも、惚れられるというようなやひな言葉によって生じる矢に下がった雰囲気に対して、
そう言われると思い当たるところもある。
なおと書くのは、ほとんど落語の我が旦那のセリフにさえならぬくらい、
愚かしい感慨を示すようなもので、
まさか自分はそんなふざけた矢に下がった気持ちで思い当たるところもあったわけではないのです。
自分には人間の女性の方が男性よりもさらに数倍何回でした。
自分の家族は女性の方が男性よりも数が多く、また親戚にも女の子がたくさんあり、
また例の犯罪の女中などもいまして、
自分は幼い時から女とばかり遊んで育ったと言っても過言ではないと思っていますが、
それはまたしかし実に白標を踏む思いで、その女の人たちと付き合ってきたのです。
ほとんどまるで見当がつかないのです。
ごり夢中でそうして時たま虎の王を踏む失敗をしてひどい板で覆い、
それがまた男性から受ける鞭と違って内出血みたいに極度に不快に内行して、なかなか治癒しがたい傷でした。
女は引き寄せて突っ放す。
あるいはまた女は人のいるところでは自分を避けすみ邪見にし、
誰もいなくなると皮脂と抱きしめる。
女は死んだように深く眠る。
女は眠るために生きているのではないかしら。
その他、女についての様々な観察を既に自分は幼年時代から得ていたのですが、
同じ人類のようでありながら、男とはまた全く異なった生き物のような感じで、
そしてまたこの不可解で油断のならぬ生き物は奇妙に自分を構うのでした。
惚れられるなんていう言葉も、また好かれるという言葉も、
自分の場合にはちっともふさわしくなく、
構われるとでも言った方がまだしも実情の説明に適しているかもしれません。
女は男よりもさらに動機にはくつろぐようでした。
自分がおどけを演じ、男はさすがにいつまでもゲラゲラ笑ってもいませんし、
それに自分も男の人に対し調子に乗ってあまりおどけを演じすぎると失敗するということを知っていましたので、
必ず適当なところで切り上げるように心がけていましたが、
女は適度ということを知らず、いつまでもいつまでも自分のおどけを要求し、
自分はその限りないアンコールに応えてヘトヘトになるのでした。
実によく笑うのです。
いったい女は男よりも快力を余計に頬張ることができるようです。
自分が中学時代に世話になったその家の姉娘も妹娘も、
暇さえあれば2階の自分の部屋にやってきて、
自分はその度ごとに飛び上がらんばかりにギョッとして、
そうしてひたすら怯え、
「お勉強?」
「いいえ。」と微笑して本を閉じ、
「今日ね、学校でね、こんぼうという地理の先生がね。」
とスルスル口から流れ出るものは心にもない滑稽話でした。
「ようちゃん、眼鏡をかけてごらん。」
ある晩、妹娘の節ちゃんが姉さと一緒に自分の部屋へ遊びに来て、
さんざん自分におどけを演じさせた挙句の果てにそんなことを言い出しました。
「なぜ?」
「いいからかけてごらん。姉さの眼鏡を借りなさい。」
いつまでもこんな乱暴な命令口調で言うのでした。
同家子は素直に姉さの眼鏡をかけました。
途端に2人の娘は笑いころげました。
「そっくり。ロイドにそっくり。」
当時、ハロルド・ロイドとかいう外国の映画の喜劇役者が日本で人気がありました。
自分は立って片手を挙げ、
「諸君。」と言い、
「神戸美日本のファンの皆様方に。」と一場の挨拶を試み、
さらに大笑いさせて、
それからロイドの映画がその街の劇場に来る度ごとに見に行って、
ひそかに彼の表情などを研究しました。
また、ある秋の夜、
自分が寝ながら本を読んでいると、
姉さが鳥のように素早く部屋へ入ってきて、
いきなり自分の掛け布団の上に倒れて泣き、
「洋ちゃんが私を助けてくれるのだわね。そうだわね。
こんな家、一緒に出てしまった方がいいのだわ。
助けてね。助けて。」
などと激しいことを口走ってはまた泣くのでした。
けれども自分には女からこんな態度を見せつけられるのは、
これが最初ではありませんでしたので、
姉さの過激な言葉にもさして驚かず、
かえってその陳腐、無内容に凶が冷めた心地でそっと布団から抜け出し、
机の上の柿を剥いてその一切れを姉さに手渡してやりました。
すると姉さはしゃくり上げながらその柿を食べ、
「何か面白い本がない?貸してよ。」と言いました。
自分は漱石の我輩は猫であるという本を本棚から選んであげました。
「ごちそうさま。」
姉さは恥ずかしそうに笑って部屋を出て行きましたが、
この姉さに限らず、一体女はどんな気持ちで生きているのかを考えることは、
自分にとって身水の思いを探るよりもややこしく、
煩わしく、薄気味の悪いものに感じられていました。
ただ自分は女があんなに急に泣き出したりした場合、
何か甘いものを手渡してやるとそれを食べて機嫌を直すということだけは、
幼い時から自分の経験によって知っていました。
また妹娘のせっちゃんはその友達まで自分の部屋に連れてきて、
自分が例によって公平にみんなを笑わせ、
友達が帰るとせっちゃんは必ずその友達の悪口を言うのでした。
あの人は不良少女だから気をつけるようにと決まって言うのでした。
そんならわざわざ連れてこなければよいのに。
おかげで自分の部屋の来客のほとんど全部が女ということになってしまいました。
しかしそれは竹内のお世辞の惚れられることの実現では未だ決してなかったのでした。
つまり自分は日本の東北のハロルドロイドに過ぎなかったのです。
竹内の無知なお世辞が忌まわしい予言として生々と生きてきて、
不吉な啓蒙を呈するようになったのはさらにそれから数年たった後のことでありました。
竹内はまた自分にもう一つ重大な贈り物をしていました。
お化けの絵だよ。
いつか竹内が自分の二階へ遊びに来たとき、
ごじさんの一枚の灰色版の口絵を得意そうに自分に見せて、そう説明しました。
おや?と思いました。
その瞬間自分の落ちゆく道が決定されたように後年に至ってそんな気がしてなりません。
自分は知っていました。
それはゴッホの霊の自画像に過ぎないのを知っていました。
自分たちの少年の頃には、日本ではフランスのいわゆる印象派の絵が大流行していて、
洋画鑑賞の第一報、大抵この辺りから始めたもので、
ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、ルナールなどという人の絵は、
田舎の中学生でも大抵その写真版を見て知っていたのでした。
自分などもゴッホの原色版をかなりたくさん見て、
タッチの面白さ、色彩の鮮やかさに教師を覚えてはいたのですが、
しかしお化けの絵だとは一度も考えたことがなかったのでした。
では、こんなのはどうかしら。やっぱりお化けかしら。
自分は本棚からもじり合いの画集を出し、
焼けた石銅のような肌の例のラフの像を竹市に見せました。
すげえなあ。竹市は目を丸くして感嘆しました。
地獄の馬みたい。
やっぱりお化けかね。
俺もこんなお化けの絵が描きたいよ。
あまりに人間を恐怖している人たちは、
もっともっと恐ろしい妖怪を確実にこの目で見たいと願望するに至る真理。
神経質なものに怯えやすい人ほど暴風のさらに強からんことを祈る真理。
ああ、この一群の画家たちは人間という化け物に痛めつけられ、
脅かされた挙句の果て、ついに幻影を信じ、
白昼の自然の中にありやりと妖怪を見たのだ。
しかも彼らはそれを道化などでごまかさず、見えたままの表現に努力したのだ。
竹市の言うように完全とお化けの絵を描いてしまったのだ。
ここに将来の自分の仲間がいると自分は涙が出たほどに興奮し、
僕も描くよ。お化けの絵を描くよ。地獄の馬を描くよ。
と、なぜか広く声を潜めて竹市に行ったのでした。
自分は小学校の頃から絵は描くのも見るのも好きでした。
けれども自分の描いた絵は自分の綴り方ほどには周囲の評判がよくありませんでした。
自分は土台人間の言葉を一向に信用していませんでしたので、
綴り方などは自分にとってただおどけなご挨拶みたいなもので、
小学校・中学校と続いて先生たちを凶器させてきましたが、
しかし自分ではさっぱり面白くなく、絵だけは、学校漫画などは別ですけれども、
その対象の表現に幼い我流ながら多少の苦心を払っていました。
学校の図画のお手本はつまらないし、先生の絵は下手くそだし。
自分は全くでたらめに様々な表現法を自分で工夫して試してみなければならないのでした。
中学校へ入って自分は油絵の道具も一揃い持っていましたが、
しかしそのタッチの手本を印象派の画風に求めても、
自分の描いたものはまるで塩紙細工のようにのっぺりして物になりそうもありませんでした。
けれども自分は竹市の言葉によって、
自分のそれまでの絵画に対する心構えがまるで間違っていたことに気がつきました。
美しいと感じたものをそのまま美しく表現しようと努力する甘さ、愚かしさ。
マイスターたちは何でもないものを主観によって美しく想像し、
あるいは醜いものに追うと思いをしながらもそれに対する興味を隠さず、
表現の喜びに浸っている、つまり人の思惑に少しも頼っていないらしいという
画法のプリミティブな虎の巻きを竹市から授けられて、
例の女の来客たちには隠して少しずつ自画像の制作に取り掛かってみました。
自分でもギョッとしたほど陰惨な絵が出来上がりました。
しかしこれこそ胸底にひた隠しに隠している自分の正体なのだ。
表は陽気に笑い、また人を笑わせているけれども、
実はこんな陰鬱な心を自分は持っているのだ。仕方がない。とひとかに肯定し、
けれどもその絵は竹市以外の人にはさすがに誰にも見せませんでした。
自分のおどけの底の陰惨を見破られ、急にケチくさく警戒すられるのも嫌でしたし、
またこれを自分の正体とも気づかず、やっぱり新宿校のおどけとみなされ、
大笑いの谷にせがれるかもしれぬという懸念もあり、
それは何よりもつらいことでしたので、その絵はすぐ押入れの奥深くしまい込みました。
また、学校の図画の時間にも自分はあのお化け式手法は秘めて、
今まで通りの美しいものを美しく描く式の凡庸なタッチで描いていました。
自分は竹市にだけは前から自分の痛みやすい神経を平気に見せていましたし、
今度の自画像も安心して竹市に見せ、大変褒められ、
さらに2枚3枚とお化けの絵を描き続け、竹市からもう一つの
お前は偉い絵描きになれ、という予言を得たのでした。
惚れられるという予言と偉い絵描きになるという予言と、
この二つの予言をバカの竹市によって額に刻みにせられて、やがて自分は東京へ出てきました。
自分は美術学校に入りたかったのですが、
父は前から自分を高等学校に入れて末は管理にするつもりで、
自分にもそれを言い渡してあったので、
口答え一つできない立ちの自分はぼんやりそれに従ったのでした。
4年から受けてみようと言われたので、自分も桜と海の中学はもういい加減飽きていましたし、
5年に進級せず、4年終了のままで東京の高等学校に受験して合格し、
すぐに寮生活に入りましたが、その腐血と粗暴に癖悪して同家どころではなく、
医師に肺心順の診断書を書いてもらい寮から出て、上野桜木町の父の別荘に移りました。
自分には団体生活というものがどうしてもできません。
それにまた青春の感激だとか、和行道の誇りだとかいう言葉は聞いて寒気がしてきて、
とてもあのハイスクールスピリットというものにはついていけなかったのです。
教室も寮も歪められた性欲の吐き溜めみたいな気さえして、
自分の完璧に近いお道家もそこでは何の役にも立ちませんでした。
父は議会のないときは月に1週間か2週間しかその家に滞在していませんでしたので、
父の留守のときはかなり広いその家に別荘版の老夫婦と自分と3人だけで、
自分はちょいちょい学校を休んでされとて東京見物などをする気も起こらず、
過去自分はとうとう明治神宮の楠木正重の銅像も、戦学時の四十七史の墓も見ずに終わりそうです。
家で一日中本を読んだり絵を書いたりしていました。
父が上京してくると自分は毎朝早速さと登校するのでしたが、
しかし本郷仙台城の洋画家安田慎太郎氏の家塾に行き、
3時間も4時間も絶賛の練習をしていることもあったのです。
高等学校の寮から抜けたら学校の授業に出ても自分はまるで超高生みたいな特別な位置にいるような、
それは自分の悲我みかもしれなかったのですが、
なんとも自分自身で白々しい気持ちがしてきて、一層学校へ行くのが億劫になったのでした。
自分には小学校、中学校、高等学校を通じて、ついに愛好心というものが理解できずに終わりました。
好感などというものも一度も覚えようとしたことがありません。
自分はやがて画塾で、ある画学生から酒と煙草とインバイフと七夜と左翼思想とお知らされました。
妙な取り合わせでしたがしかしそれは事実でした。
その画学生は堀木正男といって東京の下町に生まれ、
自分より6つ年長者で私立の美術学校を卒業して、
家にアトリエがないのでこの画塾に通い、描画の勉強を続けているのだそうです。
ご縁貸してくれないか?
お互いただ顔を見知っているだけでそれまで一言も話し合ったことがなかったのです。
自分はヘド戻してご縁差し出しました。
おー吉野も、俺がお前におごるんだ。
よかちごじゃの。
自分は拒否しきれずその画塾の近くの法来町のカフェに引っ張って行かれたのが彼との交友の始まりでした。
前からお前に目をつけていたんだ。
それぞれそのはにかむような微笑、それが見込みのある芸術家特有の表情なんだ。
お近づきの印に乾杯。
吉野さん、こいつは美男子だろ?
惚れちゃいけないぜ。
こいつが塾へ来たおかげで残念ながら俺は第二番の美男子ということになった。
法来は色が浅黒く丹精な顔をしていて、
具学生には珍しくちゃんとした背広を着てネクタイの好みも地味で、
そして頭髪もポマードをつけて真ん中からぺったりと分けていました。
自分は慣れぬ場所でもあり、ただもう恐ろしく腕を組んだり解いたりして、
それこそはにかむような微笑ばかりしていましたが、
ビールを二、三杯飲んでいるうちに妙に開放されたような軽さを感じてきたのです。
僕は美術学校に入ろうと思っていたんですけど、
いやーつまらん。あんなところはつまらん。学校はつまらん。
我らの教師は自然の中にあり。自然に対するパトス。
しかし自分は彼の言うことには一向に敬意を感じませんでした。
馬鹿な人だ。Mは下手に違いない。
しかし遊ぶのにはいい相手かもしれないと考えました。
つまり自分はその時生まれて初めて本物の都会の魚太郎を見たのでした。
それは自分と形は違っていても、やはりこの世の人間の営みから完全に有利してしまって、
戸迷いしている点においてだけは確かに同類なのでした。
そして彼はそのおどけを意識せずに行い、
しかもそのおどけの悲惨に全く気がついていないのが自分と本質的に異色のところでした。
ただ遊ぶだけだ。遊びの相手として付き合っているだけだと常に彼を軽蔑し、
時には彼との交友を恥ずかしくさえ思いながら彼と連れ立って歩いているうちに、
結局自分はこの男にさえ打ち破られました。
しかし初めはこの男を好人物、
稀に見る好人物とばかり思い込み、
さすが人間恐怖の自分も全く油断をして東京の良い案内者ができたくらいに思っていました。
自分は実は一人では電車に乗ると車掌が恐ろしく、
歌舞伎座へ入りたくてもあの正面玄関の火の絨毯が敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内状たちが恐ろしく、
レストランへ入ると自分の背後にひっそり立って皿の開くのを待っている9時の防衛が恐ろしく、
外にも感情を払うとき、ああぎこちない自分の手つき、
自分は買い物をしてお金を手渡すときには臨職故でなく、
あまりの緊張、あまりの恥ずかしさ、あまりの不安、恐怖にクラクラめまいして世界が真っ暗になり、
ほとんど反凶乱の気持ちになってしまって、
寝切るところかお釣りを受け取るのを忘れるばかりでなく、
買った品物を持ち帰るのを忘れたことさえしばしばあったほどなので、
とても一人で東京の街を歩けず、
それで仕方なく一日一杯家の中でゴロゴロしていたという内情もあったのでした。
もともと口の重い自分が五行千土と必死のおどけを言ってきたものですが、
今この堀木のバカが意識せずにそのおどけ役を自ら進んでやってくれているので、
自分は返事もろくにせずにただ聞き流し、
時折、まさか、などと言って笑っておればいいのでした。
酒、煙草、引売符、
それは皆人間恐怖をたとえ一時でも紛らすことのできるずいぶん良い手段であることが
やがて自分にもわかってきました。
それらの手段を求めるためには、
自分の持ち物全部を売却しても悔いない気持ちさえ抱くようになりました。
自分には引売符というものが人間でも女性でもない白痴か狂人のように見え、
その懐の中で自分はかえって全く安心してぐっすり眠ることができました。
皆悲しいくらい地図にみじんもよくというものがないのでした。
そして自分に同類の神話観とでもいったようなものを覚えるのか、
自分はいつもその引売符たちから窮屈でない程度の自然の行為を示されました。
何の打算もない行為、
押し売りではない行為、
二度と来ないかもしれぬ人への行為。
自分にはその白痴か狂人の引売符たちにマリアの遠行を現実に見た夜もあったのです。
しかし自分は人間への恐怖から逃れ、かすかな一夜の休養を求めるためにそこへ行き、
それこそ自分と同類の引売符たちと遊んでいるうちに、
いつの間にやら無意識のある忌まわしい雰囲気を身辺にいつも漂わせるようになった様子で、
これは自分にも全く思いも受けなかったいわゆるおまけの付録でしたが、
次第にその付録が鮮明に表面に浮き上がってきて法力にそれを指摘せられ、
愕然としてそうして嫌な気が致しました。
旗から見て俗な言い方をすれば、自分は引売符によって女の修行をして、
しかも最近めっきり腕を上げ、女の修行は引売符によるのが一番厳しく、
またそれだけに効果の上がるものだそうで、
常に自分にはあの女達者という匂いが付きまとい、
女性は、括弧引売符に限らず、本能によってそれをかぎ当て寄り添ってくる、
そのような卑猥で不名誉な雰囲気をおまけの付録としてもらって、
そうしてその方が自分の求用などよりも酷く目立ってしまっているらしいのでした。
法力はそれを半分お世辞で言ったのでしょうが、
しかし自分にも重苦しく思い当たることがあり、
例えば喫茶店の女から稚拙な手紙をもらった覚えもあるし、
桜木町の家の隣の将軍の二十歳くらいの娘が、
毎朝自分の登校の時刻には用もなさそうなのに、
ご自分の家の門を薄化粧して出たり入ったりしていたし、
牛肉を食いに行くと自分が黙っていてもそこの女中が、
またいつも買い付けのタバコ屋の娘から手渡されたタバコの箱の中に、
また歌舞伎を見に行って隣の席の人に、
また深夜の私伝で自分が酔って眠っていて、
また思いがけなく故郷の親戚の娘から思い詰めたような手紙が来て、
また誰かわからぬ娘が自分の留守中にお手製らしい人形を、
自分が極度に消極的なので、いずれもそれっきりの話でただ断片、
それ以上の進展は一つもありませんでしたが、
何か女に夢を見させる雰囲気が自分のどこかにつきまとっていることは、
それはのろけだのなんだのといういい加減な冗談でなく否定できないのでありました。
自分はそれを掘り木ごと着物にして着せられ、
屈辱に似た苦さを感じるとともに、インバヨフと遊ぶことにもにわかに興が覚めました。
掘り木はまたその見えぼうのモダニティから、
掘り木の場合それ以外の理由は自分には今もって考えられませんのですが、
ある日自分を共産主義の読書界とかいう、
RSとか言っていたか記憶がはっきりいたしません。
そんな秘密の研究会に連れて行きました。
掘り木などという人物にとっては共産主義の秘密会合も、
例の東京案内の一つくらいのものだったのかもしれません。
自分はいわゆる同志に紹介せられ、パンフレットを一部買わされ、
そうして神座のひどい醜い顔の青年からマルクス経済学の講義を受けました。
しかし自分にはそれはわかりきっていることのように思われました。
それはそうに違いないだろうけども、人間の心にはもっと訳のわからない恐ろしいものがある。
欲と言っても言い足りない。バニティと言っても言い足りない。
仏教と行くとこを二つ並べても言い足りない。
なんだか自分にもわからんが、人間の世の底に経済だけでない変に怪談じみたものがあるような気がして、
その怪談に怯えきっている自分には、いわゆる優位仏論を水の低きに流れるように自然に肯定しながらも、
しかしそれによって人間に対する恐怖から解放せられ、
青葉に向かって目を開き、希望の喜びを感じるなどということはできないのでした。
けれども自分は一度も欠席せずにそのRS…と言ったかと思いますが間違っているかもしれません。
なるものに出席し、同志たちが嫌に一大事のごとく怖ばった顔をして1プラス1は2というような、
ほとんど諸島の三十名いた理論の研究に受けているのが滑稽に見えてたまらず、
例の自分のおどけで会合をくつろがせることに努め、
そのためか次第に研究会の窮屈な気配もほぐれ、
自分はその会合になくてかなわぬ人気者という形にさえなってきたようでした。
この単純そうな人たちは、自分のことをやはりこの人たちと同じように単純で、
そして楽天的なおどけ者の同志くらいに考えていたかもしれませんが、
もしそうだったら自分はこの人たちを1から10まで欺いていたわけです。
自分は同志ではなかったんです。
けれどもその会合にいつもかかさず出席して、皆におどけのサービスをしてきました。
好きだったからなのです。
自分にはその人たちが気に入っていたからなのです。
しかしそれは必ずしもマルクスによって結ばれた信愛感ではなかったのです。
非合法。
自分にはそれがかすかに楽しかったのです。
むしろ居心地が良かったのです。
世の中の合法というもののほうがかえって恐ろしく、
それにはそこ知れず強いものが予感せられます。
そのからくりが不可解で、とてもその窓のないそこびえのする部屋には座っておられず、
外は非合法の海であっても、それに飛び込んで泳いで、
やがて死に至るほうが自分には一層気楽のようでした。
ひかげものという言葉があります。
人間の世においてみじめな敗者、悪徳者を指さして言う言葉のようですが、
自分は自分を生まれたときからのひかげもののような気がしていて、
世間からあれはひかげものだと指さされているほどの人と会うと、
自分は必ず優しい心になるのです。
そしてその自分の優しい心は、自身でうっとりするくらい優しい心でした。
また犯人意識という言葉もあります。
自分はこの人間の世の中において、一生その意識に苦しめられながらも、
しかしそれは自分の相交の妻のごとき好伴侶で、
そいつと二人きりでわびしく遊び戯れているというのも、
自分の生きている姿勢のひとつだったかもしれないし、
またそこに、すねに傷もつみという言葉もあるようですが、
その傷は自分の赤ん坊のときから自然に片方のすねに現れて、
頂頭に泳んで治癒するどころか、いよいよ深くなるばかりで骨にまで達し、
ゆなゆなの痛苦は千変万化の地獄とは言いながら、
しかし、これは大変奇妙な言い方ですけど、
その傷は次第に自分の血肉よりも親しくなり、
その傷の痛みはすなわち傷の生きている感情、
または愛情の囁きのようにさえ思われる。
そんな男にとって、例の地下運動のグループの雰囲気が変に安心で居心地が良く、
つまりその運動の本来の目的よりも、
その運動の肌が自分に合った感じなのでした。
堀木の場合はただもうアホの冷やかしで、一度自分を紹介しにその会合へ行ったきりで、
マルキシストは生産面の研究と同時に、
消費面の視察も必要だ、などと下手な洒落を言ってその会合には寄りつかず、
とかく自分をその消費面の視察の方にばかり誘いたがるのでした。
思えば当時は様々な方のマルキシストがいたものです。
堀木のように虚栄のモダニティからそれを受賞する者もあり、
ただ自分のようにただ非合法の匂いが気に入ってそこに座り込んでいる者もあり、
もしもこれらの実態がマルキシズムの真の信奉者に見破られたら、堀木も自分も劣化のごとく怒られ、
卑劣なる裏切り者として立ち所に追い払われたことでしょう。
しかし自分もまた堀木でさえも、なかなか序命の処分に合わず、
つとにも自分はその非合法の世界においては合法の紳士たちの世界におけるよりも、
かえってのびのびと、いわゆる健康に振る舞うことができましたので、
見込みある同志として吹き出したくなるほど過度に秘密メカした様々な用事を頼まれるほどになったのです。
また事実自分は、そんな用事を一度も断ったことはなく、平気で何でも引き受け、変にギクシャクして、
犬、同志はポリスをそう呼んでいました、
に怪しまれ、不審尋問などを受けてしくじるようなこともなかったし、笑いながらまた人を笑わせながら、その危ない、
その運動の連中は一大事のごとく緊張し、探偵小説の下手な真似みたいなことまでして、極度の警戒を持ち、
そして自分に頼む仕事は誠に厄介に取られるくらいつまらないものでしたが、
それでも彼らはその用事を盛んに危ながって力んでいるのでした。
と、彼らが称する仕事を、とにかく正確にやってのけていました。
自分のその当時の気持ちとしては、遠いになって捉えられ、たとえ終身刑務所で暮らすようになったとしても平気だったのです。
世の中の人間の実生活というものを恐怖しながら、毎夜の不眠の地獄でうめいているよりは、いっそ牢屋の方が楽しいかもしれないとさえ考えていました。
父は桜木町の別荘では、来客やら外出やら、同じ家にいても三日も四日も自分と顔を合わせることがないほどでしたが、
しかしどうにも父が煙ったく恐ろしく、この家を出てどこか家宿でも、と考えながらも、
それを言い出せずにいた矢先に、父がその家を売り払うつもりらしいということを別荘版の牢屋から聞きました。
父の議員の任期もそろそろ満期に近づき、いろいろ理由のあったことに違いありませんが、もうこれきり選挙に出る意思もない様子で、
それに、故郷にひとむね隠居どころなど建てたりして東京に未練もないらしく、
たかが高等学校の一生徒に過ぎない自分のために定宅と召使いを提供しておくのも無駄なことだとでも考えたのか、
父の心もまた世間の人たちの気持ちと同様に自分にはよくわかりません。
とにかくその家は間もなく人手に渡り、自分は本郷森川町の千友館という古い下宿の薄暗い部屋に引っ越して、そうしてたちまち金に困りました。
それまで父から月々決まった額の小遣いを手渡され、それはもう二、三日でなくなっても、しかしタバコも酒もチーズも果物も、
いつでも家にあったし、本や文房具やその他、服装に関するものなど一切、
いつでも近所の店からいわゆる付で求められたし、
堀木にお蕎麦か天丼などご馳走しても父の秘域の町内の店だったら、自分は黙ってその店を出ても構わなかったのでした。
それが急に下宿の一人住まいになり、何もかも月々の定額の送金で間に合わせなければならなくなって、自分はまごつきました。
送金はやはり二、三日で消えてしまい、自分は立然とし、心細さのために狂うようになり、
父、兄、姉などへ交互にお金を頼む伝報と異彩文の手紙、その手紙において訴えている事情はことごとくおどけの虚構でした。
人に物を頼むのにまずその人を笑わせるのが定作と考えていたのです。
を連発する一方、また堀木に教えられ、せっせと七夜通いを始め、それでもいつもお金に不自由をしていました。
所詮自分には何の縁起もない下宿に一人で生活していく能力がなかったのです。
自分は下宿のその部屋に一人でじっとしているのが恐ろしく、今にも誰かに襲われ一撃されるような気がしてきて、
町に飛び出しては例の運動の手伝いをしたり、あるいは堀木と一緒に安い酒を飲み回ったりして、ほとんど学業もまた絵の勉強も放棄し、
高等学校へ入学して二年目の十一月、自分より年上の裕夫の夫人と上司事件などを起こし、自分の身の上は一変しました。
学校は欠席するし、学科の勉強も少しもしなかったのに、それでも妙に試験の答案の要領の良いところがあるようで、どうやらそれまでは故郷の憎しんを欺き通してきたのですが、
しかしもうそろそろ出席日数の不足など、学校の方から内密に故郷の父へ報告が言っているらしく、
父の代理として長兄がゆかめしい文章の長い手紙を自分によこすようになっていたのでした。
けれどもそれよりも自分の直接の苦痛は、金のないことと、それから例の運動の用事がとても遊び半分の気持ちではできないくらい激しく忙しくなってきたことでした。
中央地区といったか、何地区といったか、とにかく本郷、小石川、下谷、神田、あの辺あたりの学校全部のマルクス学生の行動隊隊長というものに自分はなっていたのでした。
武装放棄と聞き、小さいナイフを買い、今思えばそれは鉛筆を削るものに足りない華奢なナイフでした。
それをレンコートのポケットに入れ、あちこち飛び回っていわゆる連絡をつけるのでした。
お酒を飲んでぐっすり眠りたい、しかしお金がありません。しかもP等のことをそういう陰語で呼んでいたと記憶していますが、あるいは違っているかもしれません。
Pの方からは次々と息をつく暇もないくらい用事の依頼が参ります。自分の病弱な体ではとても勤まりそうもなくなりました。
もともと非合法の興味だけからそのグループの手伝いをしていたのですし、こんなにそれこそ冗談からコマが出たように嫌に忙しくなってくると自分は密かにPの人たちに
それは丘と違いでしょう。あなたたちの直径の者たちにやらせたらどうですか、というような忌々しい感を抱くのを禁ずることができず逃げました。逃げてさすがにいい気持ちはせず死ぬことにしました。
その頃、自分に特別な行為を寄せている女が3人いました。一人は自分の下宿している専有館の娘でした。
この娘は自分が例の運動の手伝いでヘトヘトになって帰り、ご飯も食べずに寝てしまってから必ず用線と万年筆を持って自分の部屋にやってきて
ごめんなさい、下では妹や弟がうるさくてゆっくり手紙も書けないんです。
と言って何やら自分の机に向かって1時間以上も書いているのです。
自分もまたシナンプルをして寝ておくればいいのに、いかにもその娘が何か自分に言ってもらいたげな様子なので、
例の受け身の奉仕の精神を発揮して、実に一言も口を聞きたくない気持ちなのだけれども、
クタクタに疲れ切っている体にうむと気合をかけて腹ばいになり煙草を吸い、
女から来たラウレターで風呂を沸かして入った男があるそうですよ。
あらいやだ、あなたでしょう。
ミルクを沸かして飲んだことはあるんです。
光栄だわ、飲んでよ。
はやくこの人帰らないかな、手紙だなんて見え透いているのに。
へのへのもへじでも書いているのに違いないんです。
見せてよ。
年にでも見たくない思いでそう言えば、あらいやよ、あらいやよ、と言ってその嬉しがることをひどくみっともなく今日が覚めるばかりなのです。
そこで自分は用事でも言いつけてやれと思うんです。
すまないけどね、電車通りの薬屋へ行ってカルモチンを買ってきてくれない?
あんまり疲れすぎて顔がほてってかえって眠れないんだ。
すまないね、お金は。
いいわよ、お金なんか。
喜んで立ちます。
要を言いつけるというのは決して女を処刑させることではなく、
かえって女は男に用事を頼まれると喜ぶものだということも自分はちゃんと知っているのでした。
もう一人は女子高等司令官の文化生のいわゆる同志でした。
この人とは例の運動の用事で、いやでも毎日顔を合わせなければならなかったのです。
打ち合わせが済んでからもその女はいつまでも自分について歩いて、
そしてやたらに自分に物を買ってくれるのでした。
私を本当の姉だと思ってくれていいわ。
その膝に身震いしながら自分は
そのつもりでいるんです。
と憂いを含んだ微笑の表情を作って答えます。
とにかく怒らせては怖い。
なんとかしてごまかさなければならんという思い一つのために
自分はよいよその醜い嫌な女に奉仕をして
そうして物を買ってもらっては
その買い物は実に趣味の悪い品ばかりで
自分は大抵すぐにそれを焼き鳥屋の親父などにやってしまいました。
嬉しそうな顔をして冗談を言っては笑わせ
ある夏の夜、どうしても離れないので
街の暗いところでその人に帰ってもらいたいばかりにキスをしてやりましたら
朝ましく狂乱のごとく興奮し
自動車を呼んでその人たちの運動のために秘密に借りてあるらしいビルの
事務所みたいな狭い洋室に連れて行き
朝まで大騒ぎということになり
とんでもない姉だと自分は密かに苦笑しました。
下宿屋の娘といい、またこの同志といい
どうしたって毎日顔を合わせなければならぬ具合になっていますので
これまでの様々な女の人のように
うまく避けられずついずるずるに
例の不安の心からこの二人のご機嫌をただ懸命に取り結び
もはや自分は金縛り同様の形になっていました。
同じ頃また自分は銀座のある大カフェの女級から思いがけの恩を受け
たった一度会っただけなのにそれでもその恩にこだわり
やはり身動きできないほどの心配やら
そら恐ろしさを感じていたのでした。
その頃になると自分もあえて堀木の案内に頼らずとも
一人で電車にも乗れるし、また歌舞伎座にも行けるし
またはかすりの着物を着てカフェにだって入れるくらいの
多少のずるずるしさを装えるようになっていたのです。
心では相変わらず人間の自信と暴力と怪しみ恐れ
悩みながら上辺だけは少しずつ他人と真顔の挨拶。
いや違う、自分はやはり敗北のお道家の苦しい笑いを伴わずには
挨拶できない立ちなのですが、とにかく無我夢中の
ヘドモドの挨拶でどうやらできるくらいの技量を
例の運動で走り回ったおかげ、または女のまたは酒
けれども主に金銭の不自由のおかげで習得しかけていたのです。
どこにいても恐ろしく帰って大カフェでたくさんの
推客または女級ボーイ達に揉まれ紛れ込むことができたら
自分のこの態度を追われているような心も落ち着くのではなかろうかと
10円持って銀座のその大カフェに一人で入って
笑いながら相手の女級に10円しかないんだからね
そのつもりでと言いました。
心配ありません。
どこかに関西の名もりがありました。
そしてその一言が奇妙に自分の震えおののいている心を
鎮めてくれました。
いいえ、お金の心配が得らなくなったからではありません。
その人のそばにいることに心配が得らないような気がしたのです。
自分はお酒を飲みました。
その人に安心しているので、かえっておどけなど演じる気持ちも起こらず
自分の自我ねの無口で陰惨なところを隠さず見せて
黙ってお酒を飲みました。
こんなのお好きか?
女は様々な料理を自分の前に並べました。
自分は首を振りました。
お酒だけか?
うちも飲もう。
秋の寒い夜でした。
自分はツネコといったと覚えていますが
記憶が忘れ確かではありません。
上司の相手の名前をさえ忘れているような自分なのです。
に言いつけられた通りに、銀座裏のある屋台のお寿司屋で
少しもおいしくない寿司を食べながら
その人の名前を忘れても、その時の寿司の混ぜただけはどうしたことか
はっきり記憶に残っています。
そして、青大将の顔に似た顔つきの丸坊主の親父が首を振り振り
いかにも上手みたいにごまかしながら寿司を握っているサーバも
眼前にあるように鮮明に思い出され
後年、電車などで果て見た顔だといろいろ考え
なんだ、あの時の寿司屋の親父に似ているんだ
と気がつき苦笑したことも再三あったほどでした。
あの人の名前も、また顔形さえ記憶から遠ざかっている現在なお
あの寿司屋の親父の顔だけは絵にかけるほど正確に覚えているとは
よっぽどあの時の寿司がまずく
自分に寒さと苦痛を与えたものと思われます。
もともと自分はうまい寿司を食わせる店というところに
人に連れられて行って食っても
うまいと思ったことは一度もありませんでした。
大きすぎるのです。
親指くらいの大きさにきちっと握れないのかしらと
いつも考えていました。
その人を待っていました。
本所の大工さんの2階をその人が借りていました。
自分はその2階で日頃の自分の隠うつな心を少しも隠さず
ひどい排他に襲われてでもいるかのように
片手で頬を押さえながらお茶を飲みました。
そして自分のそんな姿態が
かえってその人には気に入ったようでした。
その人も身の回りに冷たい小枯らしが吹いて
落ち葉だけが舞い狂い
完全に孤立している感じの女でした。
一緒に休みながらその人は自分より2つ年上であること。
故郷は広島。
私には主人があるのよ。
広島で床屋さんをしていたの。
昨年の春、一緒に東京へ家出して逃げてきたのだけれども
主人は東京でまともな仕事をせず
そのうちに詐欺罪に問われ
刑務所にいるなよ。
私は毎日何やらかやら差し入れしに
刑務所へ通っていたのだけれども
明日から辞めます。
などと物語るのでしたが
自分はどういうものか
女の身の上話というものには
少しも興味を持てない立ちで
それは女の語り方の下手なせいか
つまり話の重点の置き方を間違っているせいなのか
とにかく自分には常に馬自動風なのでありました。
わびしい。
自分には女の千万言の身の上話よりも
その一言のつぶやきの方に
共感をそそられるに違いないと期待していても
この世の中の女から
ついに一度も自分はその言葉を聞いたことがないのを
機会とも不思議とも感じております。
けれどもその人は
言葉ではわびしいとは言いませんでしたが
無言のひどいわびしさを体の外角に
一寸ぐらいの幅の気流みたいに持っていて
その人に寄り添うと
こちらの体もその気流に包まれ
自分の持っている多少トケトケした
陰鬱の気流と程よく溶け合い
皆底の岩に落ち着く枯葉のように
我が身は恐怖からも不安からも離れることができるのでした。
あの白痴の陰売婦たちの懐の中で
安心してぐっすり眠る思いとはまた全く異なって
第一あのプロステチュートたちは陽気でした。
その詐欺罪の犯人の妻と過ごした一夜は
自分にとって幸福だ。
また父の名にもいくらか
いわゆるニュースバリューがあったのか
新聞にもかなり大きな問題として取り上げられたようでした
自分は海辺の病院に収容され
故郷から親戚の者が一人駆けつけ
様々な始末をしてくれて
そして国の父をはじめ
一家中が激怒しているから
これっきり消化とは義絶になるかもしれん
と自分に申し渡して帰りました
けれども自分はそんなことより
死んだツネコが恋しく
めぞめぞ泣いてばかりいました
本当に今までの人の中で
あの貧乏くさいツネコだけを好きだったのですから
下宿の娘から短歌を50文を書きつらねた
長い手紙が来ました
生きてくれよという変な言葉で始まる短歌ばかり50でした
また自分の病室に
看護婦たちが陽気に笑いながら遊びに来て
自分の手をキュッと握って帰る看護婦もいました
自分の左肺に故障のあるのを
その病院で発見せられ
これが大変自分に好都合なことになり
やがて自分が自殺補助罪という罪名で
病院から警察に連れて行かれましたが
警察では自分を病院扱いにしてくれて
特に保護室に収容しました
深夜保護室の隣の宿直室で
水の番をしていた年寄りの大回りが
間のドアをそっと開け
おいと自分に声をかけ
寒いだろこっちへ来てあたれ
と言いました
自分はわざとしおしおと宿直室に入って行き
椅子に腰掛けて火鉢に当たりました
やはり死んだ女が恋しいだろう
はい
ことさらに消えるような細い声で返事しました
そこがやはり忍状というもんだ
彼は次第に大きく構えてきました
はじめ女と関係を結んだのはどこだ
ほとんど裁判官のごとくもったいぶって尋ねるのでした
彼は自分を子供と侮り
秋の夜のつれづれにあたかも彼自身が取り調べの主人でもあるかのようによそい
自分からわいだんめいた十回を引き出そうという魂胆のようでした
自分は素早くそれを察し
吹き出したいのをこらえるのに骨を折りました
そんなおまわりの非公式な尋問には
一切答えを拒否しても構わないのだということは自分も知っていましたが
しかし秋の夜長に今日を添えるため
裁判官はあかまでも神妙にそのおまわりこそ取調べの主人であって
刑罰の刑長の決定もそのおまわりのおぼしめし一つにあるのだ
ということを堅く信じて疑わないようないわゆる誠意を表に表し
彼のすけべえな好奇心をやや満足させる程度のいいかげんな陳述をするのでした
うんそれでだいたいわかった
なんでも正直に答えるとわしらの方でもそこは手心を加える
ありがとうございますよろしくお願いいたします
ほとんど入心の演技でした
そして自分のためには何も一つも得にならない力演なのです
夜が明けて自分は署長に呼び出されました
今度は本式の取調べなのです
ドアを開けて署長室に入った途端に
おおいい男だこれはお前が悪いんじゃない
こんないい男に産んだお前のお袋が悪いんだ
色の浅黒い大学でみたいな感じのまだ若い署長でした
いきなりそう言われて自分は自分の顔の反面に
べったり赤痣でもあるような醜い副者のようなみじめな気がしました
この柔道家剣道の選手のような署長の取調べは実にあっさりしていて
あの深夜の老人さんの密かな執拗を極まる高職の取調べとは運命の差がありました
呪文が済んで署長は検事局に送る書類をしたためながら
体を丈夫にしなければいかんね血痰が出ているようじゃないかと言いました
その朝変に咳が出て自分は咳の出るたんびにハンケチで口を覆っていたのですが
そのハンケチに赤いあられが降ったみたいに血がついていたのです
けれどもそれは喉から出た血ではなく
昨夜耳の下にできた小さなおできをいじってそのおできから出た血なのでした
しかし自分はそれを言い明かさないほうが便宜なこともあるような気がふっとしたものですから
ただはいと副眼になり首相気に答えておきました
署長は書類を書き終えて
起訴になるかどうかそれは検事殿が決めることだが
お前の身元引受に電報か電話で
今日の横浜の検事局に来てもらうように頼んだほうがいいな
誰かあるだろお前の保護者とか保障人というものが
父の東京の別荘に出入りしていた諸賀骨董省の支部太という自分たちと同居人で
父の太鼓持ちみたいな役も務めていたずんぐりした独身の40男が
自分の学校の保障人になっているのを自分は思い出しました
その男の顔がことさらに目つきがひらめに似ているというので
父はいつもその男をひらめと呼び自分もそう呼び慣れていました
自分は警察の電話帳を借りてひらめの家の電話番号を探し
見つかったのでひらめに電話して横浜の検事局に来てくれるように頼みましたら
ひらめは人が変わったみたいな威張った口調でそれでもとにかく引き受けてくれました
おいその電話機すぐ消毒したほうがいいぜ何せ血痰が出てんだから
自分がまた保護室に引き上げてからお回りたちにそう言いつけている
署長の大きな声が保護室に座っている自分の耳にまで届きました
お昼過ぎ自分は細い麻縄で胴を縛られ
それはマントで隠すことを許されましたが
その麻縄の端を若いお回りがしっかり逃げていて
二人一緒に電車で横浜に向かいました
けれども自分には少しの不安もなく
あの警察の保護室もろうじゅんさんも懐かしく
ああ自分はどうしてこうなのでしょう
罪人として縛られるとかえってほっとして
そうしてゆったり落ち着いて
その時の追憶を今かくに当たっても
本当にのびのびした楽しい気持ちになるのです
しかしその時期の懐かしい思い出の中にもたった一つ
令官さんとの生涯忘れられる悲惨なしくじりがあったのです
自分は検事局の薄暗い室で
検事の簡単な取り調べを受けました
検事は40歳前後のものしずかな
もし自分が美貌だったとしても
それはいわば罪人の美貌だったに違いありませんが
その検事の顔は正しい美貌とでも言いたいような
聡明な性質の気配を持っていました
しない人柄のようでしたので
自分も全く警戒せずぼんやり陳述していたのですが
突然例の席が出てきて
自分はたもとから判決を出し
ふとその地を見て
この席もまた何かの役に立つかもしれぬと
浅ましい駆け引きの心を起こし
5本5本と2つばかり
おまけの偽の席を大げさに付け加えて
判決で口を覆ったまま