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はい、こんにちは、おはなし屋なおとです。 今日は、人と比べても幸せになれないと確信した日の話、というテーマで話をしていこうと思っています。
いやー今日は久しぶりに晴れてね、気分がいいので、朝から奥さんと 昨日の残りの唐揚げカレー温めて
洗濯をね、保っていた洗濯を、ここ九州は北九州に住んでるんですけど、北九州はちょっと雨続きでね、洗濯物ができてなかったので2階に分けて洗濯をして
洗濯物を干して、今やっとひと段落してラジオの配信をしています。 で、今日その話す話なんですけど
僕ね、今ライフコーチというか、コーチングでフリーランスという個人事業主を始めてもう丸4年、もうすぐ5年目になるんですけど、その前までは一応その実業団でアスリートをしていたんですよね。
週に2回だけ勤務をして、あとはもう会社の名前をつけて 練習して試合に出ることが仕事みたいな感じの
セミプロになるのかな、一応半分というか、週の半分は会社員をさせていただいて、会社で働かせていただきながらっていう感じなので、
プロのアスリート、まあまあでも一応アスリートとして雇用されたから、プロのアスリートと言ってもいいんじゃないのかなと思うんですよね。
そういう生活をアスリート生活をしていて、そこからもう急にフリーランスのコーチになってるわけですよ。 よく言われるのが、お客さんはスポーツ関係の人なんですかって言われたら、僕の
クライアントさんは全くそんなことなくて、このラジオを聴いているクライアントさんもいると、僕のクライアントさんもラジオを聴いてくれてると思うので、
あなたたちはスポーツ関係の人じゃないですよね。
そうなんですよ。スポーツ関係の人にやってるわけじゃなく、だから僕のアスリートとしての経験を伝えているわけではなく、全く別の
人種というか、人たちには人種と言ってくくれるほど、一方向の人に特化したコーチじゃないので、僕はいろんな人に若い子もいれば、
年が10個の上の人もいるし、男の人もいれば女の人も。最近、女の人が多いんですけどね、クライアントさんはね。
何があり得たいかわかんないですけど。女性の方だったり、お子さんがいる方、いない方、
結婚されている方、されていない方、ほんと多種多様にわたるんですけど。まあ、強いて言うなら、アスリートのクライアントさんはほぼほぼいない。
2人かな。40人以上いて、4年間。もっといるか。もっといる中で2人ぐらいですかね。元アスリートで、僕と深く関わったクライアントさんで。
だからそのアスリート時代のものを使ったわけでもない、権威を使ったわけでもないし、なんならコーチやり始めて最初1年間ぐらいは、
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僕はハンマー投げをやってたんですけど、ハンマー投げの一応プロの実況とアスリートで、アスリートだったことを隠してましたからね。
なぜかというと、やっぱりアスリートやってた頃の自分に区切りをつけたかったというか、スポーツなしでも生きていけるんだって証明したかったみたいな。
アスリートの世界ではそこそこ名前が通っていたけど、結局でもその狭い世界で顔が売れてるだけだから。
タキーソーさんとかがテレビでよく話してると思うんですよね。アスリートの世界では1位だったけど、実際に社会に出てみたら、
あの人は10種競技ですけど、10種競技のチャンピオンの俺のこと知ってる奴なんか誰もいなかったみたいな、似たような感覚を僕持ってます。
だからハンマー投げ選手だっていうことはもう一切隠して、聞かれたら答えるけど、なんでその体大きいんですかって言われたら、
クラウドナウトに検索してもらおうみたいな感じで言ってましたけど、
スポーツで得た名声みたいなものは一切使わずにこの世界に飛び込んで、今ある程度の経験もあるし、
僕の話面白いって聞いてくださってる人も結構ありがたいことに増えてきて、
そこで今日話す人と比べても幸せになれないなって確信した日があったんですよ。
それが僕学生の頃に一応その日本一の称号を2回手にしてるんですけど、全日本学生個人っていう選手権を2回優勝したんですけど、
個人戦なんで、またそのチーム戦のインカレとはまたちょっと色が違ったりとか、
学生はインカレを目指すものみたいなそういうのがあるので、ちょっと力の入れ具合は違うんですけど、
一応全国大会なので全国大会を2回優勝してるっていう経験があるんですけど、
その時にちょっと俺もこの道じゃないかもしれないなって思った出来事があったので、今日はその話をしたいかなと思ってて。
僕は別にアスリートの人に向けて発信をしたいんじゃなくて、
今この話を聞いてる人の中には、ひとしたら僕みたいなコーチになりたいって憧れてくれてる人もいるかもしれないし、
あいつみたいになりたくないけど何か参考になるかもなって聞いてくれてるコーチさんもいるかもしれないし、
そういうの取っ払ってこの人好きだなとか言って僕のこと好きでいてくれて聞いてくれる人だったり、何か参考になることがないかなって人生哲学みたいなところを求めてくれてる人。
まあどういう人がいるのかね、スタンドFM始めたばっかりなのでまだあんまわかんない、つかまえてないんですけど。
まあそういう人たちがいる中で結局そのみんな抱えてると思うんですよ。自分は人に対して胸を張れるようなものがないとか、
何かを頑張り抜いた経験がないとか、そうですね僕のクライアントさんはそういう波を持っている方は多いかもしれないですね。
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自分にこれだって言えるものがないしとか、平凡な人生を歩んできたのでみたいな形で、何かこう
自信を持てるものが欲しいですみたいなのを言ってくれる人が多くて、それを僕に言うっていうのはなかなか面白いなと思うんですよね。
でもそれは結局、例えばですけど日本一のアスリートっていう商業をまあ21とか22で手に入れて、
まあみんなが思うような日本一のアスリートっていうのは俺は日本一だぜって言って、ここで日本一さらにさらにみたいな感じだけど、僕は違うわけですよね。
もうその商業をもう捨ててというか、その商業が通用しない世界に行っちゃっている状態で一からやってるっていうのは、僕の中ではまあ確信があったんですよね。
日本一になっても意味ねえなぁみたいなところが確信があって、その確信にこう惹かれてる人が多いんじゃないのかなって思うんですよ。
だからその結局僕は今日の話をどういう人に届けたいかっていうと、やっぱ自分に自信がなかったりとか、何かに一生懸命打ち込めない人っていうのはやっぱね、その確信がない人なのかなぁ。
いろんな人と話していく中でね、自分に自信がないっていうのは結局その自分で確信して何か一つのことを見つめたりできない。
常に誰かの目が気になる。だからでも何かを成すためにはやっぱある程度その誰にも評価されない時期っていうのを超えないと、何か物を成すことはできなくて。
だから常にいいねいいねとかいい感じだねと頑張ってるねって言われながら何かを成すことっていうのはやっぱできないんですよね。
だいたい最初は無風の状態。だいたい最初向かい風が吹いて、でギャギャ言われてうるせえってやってるとだんだん誰も何も言わなくなってきて無風の時期が続いて。
そこから目が出だすと人が集まり出すっていうこういうプロセスを通ると思うんですけど。
やっぱこう人と比べたり人の目を気にしている人っていうのはこの最初2つのプロセスが通れないんですよね。
向かい風が来ている時に負けちゃうとか、無風の時に行ける。無風の時が一番きついですね。
無風の時、誰も何も言わなくなった時に本当に自分はこれでいいのかなと思いながら進めるというか。
向かい風が来ている時っていうのは飛行機とかサーフィンみたいにそれに対して反対に行けばいいわけだけど、対抗して逆らって生きていけばその浮くわけだけど体は。
風がない状態っていうのは本当自分の足で歩かなきゃいけなくてみたいな感覚があって。
僕はそれを突破できるだけのその自力というか脚力というかをスポーツを通して身につけたので今こう慣れてるなと思うんですけど。
だからそういうものが欲しい人には今日はいい話になるかなというか、もう話の本題にはだいぶ入ってるんですけどね。もうすぐ10分経っちゃうんですけど。
で、本題入っていくんですけどそういう人たちに僕のちょっと経験というか、まあその人と比べても幸せにならないなって確信した日。
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あの日があったから僕は今こうやって誰の評価を受けるわけでもなく自分が信じたものを淡々とだからもうツイッターとか
youtube とかノートとかこの3年編も始めたばっかりですけど、発信するっていうことはもうこの4,5年ずーっとやってて、コーチングセッションもずーっとやってて、僕とか資格も持ってないんでね。
やっぱ褒められることは基本的にないですよ。バッシングを受けるか、お金払ってくれる人がいるかのほうが2択しかないんですけど、それでもやっぱずっと自分の足で歩いていけるっていうのは
やっぱこの日があったからだなっていう話をちょっとしていこうと思います。
で、これは僕が日本一になった日のことなんですよね。
いつだったかな。20歳やったかな。21の歳だったんですよ。大学3年生の時に
ハンマー投げの全国大会があって、それは神奈川県であったんですけど、神奈川県で全日本学生個人選手権陸上なんとかなんとかピーヒャラみたいな大会があって、そこで僕は大学3年生で
その時、大学2年生まで全国大会で入賞もしたことがなかった選手だったんですけど、
後々話そうと思うんですけど、僕日本一に2回なってるんですけど、ものすごく運動音痴で、大学スポーツ科に行ったんですけど、スポーツクラスの学生の中でもどんけつだったんですよ、いっつも。
どのぐらいどんけつかっていうと、機械体操の授業で、もうあまりにできないけど、持ち前のこういう落点、僕落点科なんですよ、僕。
全然できない前典を、ブッサイクな前典をかましてギャラハギャラ笑ってたら、その僕の友達が、体育できなくてもこんなに楽しそうにやるやついるんだっつって、それを見て体育の楽しさを知り、教員を目指して今中学校の先生をしているっていう友達がいるんですけど、
どのぐらい僕運動音痴なんですよ。だからハンマー投げは好きだったので、記録は順調に伸びてたんですけど、いかんせん試合で結果を出せなくて、ハンマー投げってものすごい繊細なスポーツなので、ちょっと緊張したらもうまっすぐ飛ばなくなっちゃうんですよ。
だから僕本当にもう試合で投げれなくなるパターン、タイプとして、実力はあるけどみたいな時期がずっと続いてて、高校3年生のインターハイもね、予選1位で決勝を乗り込んで、
もうその日の調子だったら1本前に飛んだら絶対優勝するみたいな飛距離飛んでたのに、結局1本前に飛ばなくて3回ファールで失格になって、泣きながら沖縄インターハイから地元に帰ったっていう逸話があるぐらいものすごく当日に弱い選手だったんですよ。
だったんですよというか、それはまあ実業団2年目で辞めるまで最後まで変わらなかったんですけど、僕ものすごくアスリートとしては能力の低い選手で、
で、その段階で、その年の春に記録を出して、夏、梅雨明けぐらいかな、梅雨か、6月だったから梅雨か、その時の試合に乗り込んだんですけど、試合のランキングを見て気づいたんですよ。あれ?みたいな。先月投げた俺の記録が一番飛んでるじゃん、みたいな。
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そこで初めて知ったんですよ。今日勝てるかもしれない、みたいな。その時はまだ大学生になって全国大会でも入賞したことがなかったから、高校生の時はもちろんありますけど、大学に入ったら全然通用してなかった時期なんで、あれ?いけるかもしれない、みたいな。
で、やっぱりその時って自分に期待というか、勝てる選手だって自分の認識がなかったので、初めてすごい通用するかもしれない、ワクワクドキドキみたいな。でもそれはもう試合会場に入って気づいたことで。
結局その日、2本目の投撃で、投げた瞬間、「あ、いった!」って確信した投げがあったんですけど、それの2本目の記録のまま優勝しちゃって。優力の選手がその時たまたま出てなかったっていうのもあるんですけど、優勝しちゃってそこで。
で、「あ、俺全国チャンピオンになったわ!」みたいな、初めてだったんですよね。で、その年はイケイケだったんで、その次の試合もその次の次の試合も、もうなんかこう、「あ、あ、あ、あ!」って言ってる間に優勝してるみたいな、1年半年間ぐらいがそこから続いたんですけど。
ここからですよ。大学4年生になって、めちゃくちゃスランプになったんですよ。それはなぜかというと、日本一に1回なってるわけだから、日本で一番になるってことは、次の試合も当然日本で一番になるだろうって周りから思われるわけですよ。
けど、冷静に考えてほしいんですけど、大学生が出れる全国大会って、年間4回とかあるんですよ、陸上の世界は。全日本学生個人、全日本インカレー、日本選手権もやっぱある程度のレベルの選手だと出るし、日本選手権。あと、ある年は国体とか、大学の1年生とかやったら全日本ジュニアとか、とにかく全国大会というものの、全国大会ってそこそこの数あるんですよ。
そのうち、大学生が本命として出れるシニアじゃない大会っていうのは半分ぐらい。大体2回あるんですけど、毎年2回来るわけですよ。だから、1回取ったところで、まだあるんですよ、次。来年もあるんですよ。それに勝つまでは気づかなくて、1回優勝してしまうと、もう次の大会怖くて仕方なくなるんですよ。ここで負けたらどうしようみたいな。
もう散々の日本一で散々日本一になったって騒いじゃってるから、どうしようみたいな感じになるんですよ。やっぱりそのプレッシャーでめちゃくちゃ練習をして、めちゃくちゃ練習をした後にめちゃくちゃ体を壊し、それで体の状態も心の状態もボロボロのままで4年生のシーズン始まって、ボロボロみたいな感じになっちゃって。
結局、2連覇がかかった試合は、なんか奇跡起きて勝ったんですよ。2回目日本一になった日の夜が、僕は変な感じがしてて、ほっとしてたんですよね。ああ、よかった。よかっただったんですよ。やったじゃないんですよ、日本一になって。
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その時に、これ何なんだろうなーみたいな。でもその時は楽しかったんで、よかったで終わってるから。でも段々段々、1日たち2日たち3日たち、あれ?みたいな。もう楽しさなくなってるし。次の試合も怖いし。やっと勢い戻ってきた。やっとスランプ抜けたから、もう頑張ろうみたいになってる。
これ、なんかおかしいなって、その辺でちょっとうっすら思い出したんですよね。やっぱその日、日本一に2回目の日本一になった日の夜に、ちょっと違和感を感じたんですよ。で、そこから結局、僕は選手として日の目を浴びることはなかったんですよね。勝てる試合は落とし。で、大学最後のインカレも負け。
で、社会人にはこんなんとか受け入れてくるやつが出される企業があったんですけど。そこでも結果を出すことができず、周りに来たら裏切りみたいなものすごく大変な。そこから3年間ぐらいぶっちゃけずっと地獄だったなって思うんですけど。
で、それから僕はコーチング受け始めたりとか、いろいろあってアスリート辞めることになるんですけど。そこで確信したんですよね。日本一っていうのは日本一って言葉通り一番ってことじゃないですか。だから一番強いっていう称号をもらえるわけですけど、日本一って少なくとも年間4,5人出てくるわけ。半端ない世界でも年間4,5人出てくるわけですよ。
でも、勝つ前はやっぱり日本一になりたいから。日本一になったら俺はなんと幸せになれる。幸せになれるって言ったら変だけどね。満足するんじゃねえかって思うけど、日本一になったら嬉しいのは3日間ぐらいで、次はどうやってもう一回日本一になろうかとか考えるんですよ。
でもそれがやっぱりアスリートの目指すべき姿だと思うんですよ。もう勝ったらすぐその勝ったことを忘れて次みたいな。僕は違ったんですよね。日本一になれればみんな認めてくれるだろうみたいな。人より優れてることが証明できるみたいな感覚で言ったんですけど、日本一になればどうなるかっていうと、次の日本一も期待される。
で、次の日本一を取ればどうなるかっていうと、じゃあ次は日本代表だねとか言われるし、大体日本一とかになるとオリンピック強化して選手名を選びましたみたいなのが来るんですよ、症状が。東京にある味の素ナショナルトレーニングセンター順に使っていいよみたいなお手紙が来たりとかするんですけど、それって結局次の高み向けて頑張れよみたいな。期待がどんどん集まっていくってことじゃないですか。
正直こういうこと思うってことは本当にアスリート向いてなかったんだなって思うんですけど、なんか違うなって思ったんですよね。次は次はみたいな。なんか違うみたいな。ただ俺は投げたかっただけだみたいな感覚になってきて、その辺からだんだんあれ、俺ここに行っちゃいけない人間なのかなって思うようになったんですよね。
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自分のパフォーマンスを追求できればそれでいいみたいな選手になるのかなと思ってたんですけど、やっぱこう日本一になれば2,3人一応ギャーギャー言ってもらえるんで、なんかだんだん疲れてきちゃって。
やっぱそのコーチングを受け始めて気づいたのが自分は周りの人の期待に応えることに必死になってたんだなっていう。だから自分の心がどんどん壊れていくことに気づかなかったし、体は動くんだけど心が動くくらいみたいな感じでもう投げるようになっちゃってやめたんです。ものすごい揉めましたけどそこでも。
やっぱそれがやっぱりなんていうのかな、僕の中の転機だったんですよね。やっぱその人を認めさせるために頑張ってた自分がいたので、それだともう幸せになれないというか、自分が欲しいものは手に入らないなって思ったっていうところなんですよ。
これが僕の人と比べても幸せにならないと確信した日のエピソードなんですけど。じゃあ実際にこれが今どう生きているかっていう話なんですよね。僕は今フリーランスのコーチとして活動してるんですけど、今のメインはこういう発信だったり、自分がやってきた経験点の人に伝えたりすることが僕の今のメインの活動にはなるんですけど。
今どう生きてるかっていうと、なんか僕は僕の道を追求しないとダメだなっていう感覚がすごく強くて。だからその、あのコーチより素晴らしい自分とか、この業界で目立つとか、だからこのコーチ業界で優れた評価を得るとか、認定資格とかもってのほかですよね。
誰かから認めてもらうっていう道に、僕が求めるものはないなっていうのを、もうアスリートで確信してるわけですよ。日本一2回なるって、で、日本一2回なった人ってどのくらいの人口いますかっていう話なんですよ。たぶん0.1%もいないでしょ、それは。何かしらで日本一になったことがある人って。1000人に1人くらいじゃないですか。知らないですけど、日本一になろうと思う人がまだ少ないと思うんで。
その中で僕2回やってて、ある程度まで頑張ってたわけですよ。自分に向いてないスポーツで。それでも全然苦しくなるばっかりで、人の目ばっかり気にしてたから僕は。だからもう人の目は気にしないと。
人の目を気にせずに頑張ろうとかそんなんじゃなくて、まじで人の目気にしたって幸せにならんみたいなことをもう心の底から感じてるんですよ。だからやっぱりコーチをやるってなったら認定資格とか取った方がいいのかなとかさ、自分の個人これでいいのかなとかさ、やっぱ考える人っていうのはさ、権力持った人の顔気になるんじゃない?自分の成長どうですかねみたいな。どう見えますかみたいな。
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できることなら認める人たちに太鼓板を押してもらえると嬉しいじゃないですか。でもそれは意味がないんですよ。
例えばじゃあ僕が認定コーチみたいなの育ってる人として、倉田直人を住みつきみたいな感じで、じゃああなたが認定コーチになったとして、お話ディレクター、お話コーチ、認定アンバサダーみたいなのをさ、得たとしてさ、結局でもさ、あなたがコーチとしてクライアントに関わるときにさ、クライアントはあなたを見てるわけですよ。
でもあなたはさ、自分で自分のことを認められないからさ、私は直人さんに認められてるからみたいな感じでさ、接触をしてさ、そのクライアントさんが本当にそれで満足すると思うっていうところで。だってコーチ自身がさ、自分の接触を自分で信じられてる。
で、誰かの比較とか誰かの認定でやってる。そんななんかもうさ、もう違うじゃん。感覚的な話になるけど。だから別にその免許がいるものはちゃんとね、筋通さないといけないと思うけど。いや、コーチになったら免許いらねえんだったら。別に自分でやってもいいじゃん。
思えたのもやっぱり人と比べるとか、人と比べてどのぐらいの力量があるとか、そんなことをやっぱり気にしないっていう感覚があったりとか。やっぱ考えるんですよね。コーチングをやるっていうので。僕がやりたいのはプロとしてお金をもらいながらコーチングっていうか、コーチングじゃないんですけど、厳密に言えば。
人と話すことでお金もらいながら、相手喜ばせながら、その人とキャッキャイチャイチャウフフして、で、お金いっぱいもらって、そのお金があるから毎日別に仕事に行かなくてもいいし、話すことか仕事、もうそれと同じお話し屋じゃねえみたいな生活がしたいって思ったときに、誰に認めてもらえばいいかっていうと、僕はお客さんに認めてもらえればそれでいい。しかもお金を払うお客さんに認めてもらえればそれでいいなって思ったんですよ。そういう勝負なんだなって思ったんですよ。
お客さんと僕の一対一の勝負なんだなって思ったんですよ。だから、そこに対して他のコーチがどうとか、他の権威を持っている人がどうとか、コーチングの歴史がどうとか、ぶっちゃけどうでもいいなって思って、俺とお前の一対一でマンツーマンの勝負だぞみたいな感覚、ここに投資をするべきだなと思ったんですよ。
だから、その関係性を育てるためだけに情報発信をしてるし、このラジオだってそうですよ。そこを育むためにこうやって発信してるんですよ。俺とお前しかここにはいねえんだよっていう感じです。だから、今このラジオを聞いてるあなたと僕は今一対一で話をしてるわけですよ。わかります?
そこにコーチング界のケインや、スクールを開催してるなんとかさんや、コーチングの素晴らしい仕組みを作ったなんか開発者のベンチャーのなんとかさんとかいないんですよ。俺とお前の勝負だからなっていう世界だなと思ったんですよ。
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だから、こうやって資格がなくても経験がなくても自分の頭で考えて、本気で目の前の相手の人生を変えるにはどうしたらいいか。それをお金もらわないよりもらった方が絶対に相手の人生変わるなって思ってるから値段も高いし。値段が高いから僕は本気で相手の人生を変えるにはどうしたらいいかなって時間を使えるし。
っていうループはやっぱりこの人と比べても幸せになれないよっていう日の革新、アスリート時代の革新から来てるよっていう話でした。日に日に収録時間が伸びてるんですけど、やっぱり僕は話すのが好きなんだなと思いますね。もともと学校の先生の免許持ってるしね。前も言ったですけど。
なので今日は人と比べても幸せになれないと。僕は革新したからこういう生き方をしてて、現にプロコーチとして全然楽勝で飯食えてるよって。だからあなたもどうするみたいな。俺とお前の勝負だぜみたいな。勝負じゃないんだけど。そういう感じで話を締めれたらいいかなと。
あなたが信じれるものをあなたが信じてあげてればいいと。人と比べて日本人になるまでボロボロになって結局ボロボロになってアスリートの世界を退場した僕が言うんで。僕のラジオをここまで聞いてるような人からしたら間違いない話だったのかなと思います。
はい、ということで今日のお話は終わりにしますので、フォローとコメント。やべぇこれ。竹原さんのビデオ気分見てたから同じこと言っちゃった。何かしらのフォローとかしていただければ嬉しいなと思います。概要欄になんかこういうブログ読んでおけよみたいなのを一個貼っとくので、面白いなって思った人はブログ読みに来てくれたら幸いです。それではまた次の配信でお会いしましょう。さよなら。