1. フリーランスコーチラジオ
  2. 「それでもまだ希望はある」と..
2025-09-15 37:43

「それでもまだ希望はある」と言い続けられるコーチでありたい。

10年前、僕は大きな挫折をしました。これが自分の生きる道だと、本気で信じた場所にいられなくなり、友人とも疎遠になり、逃げるように済む場所を変えました。それでも幸せになることだけは、あきらめられなかった。競争し続ける人生を降りても、幸せになる方法はある。僕はコーチとしてそこを伝え続けたいと改めて思いました。


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#世界陸上 #起業 #挫折 #独立 #コーチング #ライフコーチ #おはなし屋なおと

サマリー

今回のエピソードでは、過去の競技経験を通じて、陸上競技の世界選手権の現実と自身の限界に直面した思いを語ります。特に、日本人選手の活躍や異なる競技環境における挑戦についての認識が深まったことがテーマです。スポーツにおける国際的な競争の激しさや、選手としての経験から得た教訓について語り、その中でコーチとしての役割や目に見えない側面を指導する重要性を再認識します。また、自らのビジョンの大切さや競争を超えた新しい選択肢についても考えます。コーチとしての使命を探求し、成長を追い求める文化に疑問を呈します。自身の経験を元に、自分の限界を認識し、他者と共に幸せになる生き方を追求する大切さを語ります。コーチングにおける新しいアプローチを探求し、深い痛みを抱える人々への支援を通じて希望を見出すことの重要性についても触れます。

競技経験の振り返り
こんにちは、おとです。今日は、いつもと違う内容の話になりますが、個人的に思っている身の上話を皆さんに聞いていただきたいと思います。
東京の方で国立競技場ですね、世界選手権陸上の世界選手権陸上があってます。
テレビでご覧になった方も多いと思うんですが、あれを連日見ていて、僕は陸上競技のハンマー投げというスポーツを10年前ぐらいまでやっていて、本気で世界を目指していたということもあって、
日本から代表の選手が出場していて、それをテレビの向こう側で見ていたという状況になります。
僕が10年前に本気で目指していた世界で、日本人選手が頑張ってやっているのを見て思ったことなんですけど、自分の見えているビジョンがあまりに理想とかけ離れていたなということを感じたというお話。
当時僕は大学4年生の時に日本選手権という日本で一番大きい大会があるんですけれども、それで7位入賞をして、国体は3番とか、学生選手権だったら優勝したり優勝できなかったり、そのぐらいのレベルの選手で、
オリンピックの強化指定選手みたいなものも一時期もらっていた時期もあって、本気で世界を目指していたということに関しては嘘、偽りないという状況だったんですが、僕の想像する世界と実際の世界というものがあまりにかけ離れていたから、
リッチもサッチもうまくいかなくなっていたんだなということを今回感じたんですね。
僕が大学時代、社会人とお世話になっていた競技の監督がジャパンのユニフォームを着て、選手を実際の現場で指導している姿もテレビにちらほら映りまして、
僕が社会人になって、自分の監督と本当に話がかみ合わなくなってしまった時期があったんですね。
僕も世界を目指しているし、お世話になっているからこそ結果で恩返ししたいという気持ちは本当にあったので、そこで話がかみ合わなくなったことに対しても、なぜなんだという気持ちがずっとあったし、
それは競技を辞めた今でもというか、綺麗な別れ方ができなかった卒業の仕方ができなかったので、そこに関して僕の中でわらかまりというのはもう10年経ってもずっとあるんですよね。
本当にお世話になった人に最後、面倒に向かってありがとうございましたって伝えることもできずに、スポーツの世界からは離れてしまったので、
ということを考えながら見る世界選手権は、自分の限界があったんだなということを感じさせてくれるようなそんな時間でした。
理想と現実のギャップ
多分ですけど、当時から僕の監督というのは、この世界の舞台というものを誰よりも見据えて挑戦したいという、僕に対して必要な試練を与えてくれていたんだと思います。
そして僕は何から何まで足りなかったんだろうなということを思いました。
実際にですね、今回日本の選手がどうだったかと言われると、史上4人目かなの世界選手権出場という、もう出れることが階居っていうような。
そもそもそのハンマー投げって、北欧の選手、ヨーロッパの選手が強い、体の大きさがね、もう何なら普通に2メートル超えてる選手とかもゴロゴロいるような感じで。
僕187センチですけど、それでも小柄な方で身体能力も全然違うし、やっぱり人種が違えば剣の太さから関節の強さまで全部違うので、そういう意味で人種の壁というものが大きく存在するスポーツなんですね。
それで世界を目指すってなってくると、もう自分の日本人として生まれているこの体の限界と戦っていかなければいけないということを考えた時にですね、僕はどちらかというと、今の試行錯誤の延長戦場に楽しく没頭して競技をしていれば世界に届くとなんとなく思ってたんですね。
だけど、やっぱり実際の世界というのはもうそんな、僕がどうしたいこうしたいとかではなく、現実としてあって、やっぱり僕の当時の監督はそこに対して誰よりも向き合い続けてた方だったからこそ、何から何まで足りない僕を、そんなんじゃダメだと言い続け、当時僕がそれを理解できるような器もなかったし。
あんなのあれなんですよね。僕はなんか昔からそうなんですけど、自分よりレベルの高い選手と交流をするということがあんまりなくて、世界の選手と当然一緒に試合をしたこともないし。
一つあるのは、室志康二さんとは試合をしていたけど、どこかで別の次元の人というふうには思っていたし、そういうレベルで競技をしていた、日本のトップレベルに何とか手をかけたぐらいの選手が世界に行くということを宣言して会社に入ったわけですから、そりゃそうだよなと、何から何まで足らんよなということを今回思い知りましたね。
日本の時代を塗り替えるんじゃないかという記録を若いうちから出している選手で、たぶん僕は現役時代、もし同じフィールドでプレーしていたら、これ格違うなって早々に勝負を諦めてしまうようなぐらいの選手が、やっぱり世界の舞台に立って、その選手の自己ベストに近い記録を投げても予選通過ラインに全くかからないというような、
そんな状況なんですね。
その世界を見た時、たぶん彼はこれからまた世界選手権オリンピックと会を重ねるごとに成長していって、いずれ日本人では無理だと言われていた、かつてのレジェンドが達成して君臨していた世界に手をかけるんでしょうけど、何ならその次の世代の選手の可能性もありますよね。
っていう風に考えた時に、自分はあまりに大きな目標を掲げていた。
別に大きな目標を掲げることは悪いことじゃないと思うんだけど、ただそこの目標に対して自分が一番正確なイメージを持って突き進めていたかって言われると、正直そうじゃなかった。
もちろん当時に戻って自分が世界に行く方法があったのかと言われると微妙なんですが、自分が10年前に戻れるのであれば、一度や二度は自分の貯めたお金を使って世界の選手のプレーを見に行くべきだったなというのは、今回痛感しまして。
なんか知らなかったんだなって世界を知らずに世界という言葉を掲げて、もちろん大事だと思うんです。そうやってじゃあ僕みたいな人間が世界に行きたいって言って、世界にもう箸にも棒にもかからずに消えていった、終わっていった。
その先に次の世代がああいう感じでやっちゃダメなんだっていうことで、ひょっとしたら僕が意味でも悪い意味でもああいう風になったら潰れてしまうんだっていう、そういう慣例を作ったのかもしれない、何か礎になった可能性はあるんですが、
あまりに大きすぎる目標を掲げた時に、やっぱり誰よりもそれを真剣に見据えているがゆえに、掲げている本人とその目標を誰よりも達成させてやりたいと、少しでも近づけてやりたいと思う支援者との間でズレが起きるっていうことはめちゃくちゃあるなと。
未来への可能性
何か10年経って、過去の自分がいや何か続けてたら世界に生きてたんじゃねえかみたいな気持ちがですね、きれいに成仏しましたね。
俺は無理だったわっていう風に思いました。
何か人間には無限の可能性がありますよ。
それは可能性があるけど、でも何か無責任に人間には無限の可能性があるって言い続けられているのって、本当の本当の意味で可能性に挑んだことがないから言えるんじゃねえかって正直思います。
それほど世界の壁というのは分厚く、だからやめろとかだから挑戦するのじゃなく、その分厚さを真正面から見ることなく世界の壁に挑んでいるつもりになってた自分が正直いたなということを何か見たんですね。
痛感しました。テレビに映る昔お世話になっていた監督が見据えているその目とかを見たときに、ここを見てたんですねっていう。
僕は何か全く見えてなかったですっていう風に思いましたね。
それは何か自分がコーチをしていても本当に思うというか、僕の今やっていることがその世界レベルと同じ土俵に並べられることではないですが、少なくとも誰かの希望にああいう風になりたい、ああいう風に自分の事業を持ちたいと言われるような状態にはなっているわけですよ。
だから僕にクライアントさんがいらっしゃるわけなんですけど、そのクライアントさんと今自分たちがやっていること、僕ができていることなら僕ができていることで、そこに対しての客観的なビジョンですよね。
必要なレベル感というか、例えば会社員を長くやっているとですね、もちろんその仕事を遂行する能力はつくと思うんですが、やっぱり自分で旗を立てて何かしらに取り組んでいくというような姿勢というのは全く育たないわけなんですね。
たとえ収入は低くても、20代のたかんな時期に自分で何かできないかとやっては失敗して、やっては失敗して、金も無駄な体力だけはあるその中で走りも棒にも関わらずにもがいていた人間と、22歳大学卒業した時、18歳高校卒業した時から安定したお給料をもらって、会社の中で別に失敗したって今月の給料がないとかそんな状態じゃなく、守られた世界で生きてきた人間とでは、
やっぱり物事を考える時の物差しが違うし、目つきの鋭さがやっぱり違うと思うんですね。ってなった時に、もちろん僕がやってることは難しくないことだと思います。ただその人がその位置まで来る時にどれほどのイメージを持っておくべきかというのは擦り合わせておかなきゃいけないなと思うんですね。
もし自分が指導者で、当時の22、23歳の僕、世界に挑戦すると口では言いながらやってることは実際、本人は本気なんです。僕は当時、もう惑うことなき、全力でやってました。全力でやったが、まったく走りも棒にも関わらないような日本レベルで、もうなんか全く通用しないような動きをした時に、
そうだなぁ、どうしただろうなぁということを思いましたね。
胸ぐらつかんででも、一回来いということで、予動詞話す必要があったのかなぁとかね、それをしたとて伝わったのかなぁということを考えるとですね、後悔とかは一切ないんですが、自分が目指していたものの壁の高さ、
そして、どちらがね、僕と、じゃあ、当時お世話になった監督と、どちらがそこを見据えてやれていたのかということに関してはですね、なんか、僕の資座が圧倒的に低かったなということを感じましたね。
そのレベルでそんなこと言ってんのかっていう話をされた記憶が蘇りましたね。僕はなんか、世界という言葉を簡単に使いすぎていたなっていうふうに思います。なんか数字でしか世界を捉えられてなかったなっていうふうに、なんか今日一人でね、
ティーバーでライブ配信を見ながら、朝外散歩しながらですね、試合を見てたんですけど、思ったなぁ。なんか日本の市場の中では、もう本当に天才中の天才と言われるような選手が出てるわけです。身長も190くらいあるんじゃないかなぁ、ちょっと分かんないけど、体つきも大きくてね、やっぱフォームもまだまだ全然改善の余地があるような動きをしていてですね。
国際舞台の壁
僕はさっき大学4年生で日本選手権で7番に入賞してっていう話をしたけど、その子は大学2年生で日本選手権でメダル取ってますんで、3番かな。もう格が違うんですね。ただ、やっぱりその格が違う選手ですら、世界の舞台で堂々とした戦いをしてもまだ差があるっていう、そのレベル感を僕は全く理解してなかったですね。
ちょうど僕が競技をやってた時って、東京オリンピックが一つの節目だったんですね。2016年とかの話なので、東京オリンピックやることが決まっていて、そう、国立競技場が改修される前ですね、オリンピックが東京でやるって決まったその日、僕国立競技場で全日本の試合があって、試合してたんですよ。
で、次の日に日本中のニュースで、オリンピックが東京に決まりましたっていうことで、国立競技場の航空写真がものすごいヘリコプターから撮られてて、撮られてるのを下から見てたんですね。めっちゃヘリコプター来てるのは何でだって。
その日帰ってホテルでテレビ見たら、東京になったんだ、じゃあここかみたいな。ってことは競技場改修されるのかみたいな話をしたのが大学3年生の時かな。めちゃくちゃ覚えてるんですよ、あれを。
で、その時代に改修された国立競技場で、同じ僕が死ぬほど着けたかった日の丸のジャパンのユニフォームを着て競技をしている選手がいて、僕が現役時代にも自分の下の世代の選手に、いやこれは桁違うなって思うような子が現れても、その子が世界に行くことはないみたいなことを何人も何人も繰り返して、
ようやく日本人選手が世界に手をかけたみたいな、そういう歴史ある一戦を見てですね、いやーこんなに熱かったか世界の壁っていうことをね、もう10年経ちましたけどね、思ったんですね。
そう考えた時にやっぱり、僕は今誰かを指導というかコーチする立場に立った時に、同じもの見れてるかっていうのはね、すごいこれからもやっていかなきゃいけないなと思いました。
そのコーチである僕がその人に対してどういうビジョンを掲げてるかっていうことは、何か意図的にやっぱり伝えていかないと、プレーしてるというか、スポーツじゃないですけど企業は。
でも授業をやってるその本人にはですね、やっぱり見えない景色っていうのはあるわけですよ。やっぱ現場で世界の壁の厚さみたいなことは全く見れてなかったし、それが見れるようなサポートをしていかなければいけない。
コーチ授業に落とすんだったらなんだろうな、僕のやっていることを見せるとかそんなんじゃなくて、変わんないんだけど深く人間関係を築いていって、直接会ったり、共に何かを一緒にプロジェクトしたり、そんなことをしながら同じものを見てるんだよっていうこと。
自分が見えてる景色はこうで、あなたにはこういう可能性があるんだよっていうことを伝え続けていかないといけないんだなっていうことを思いましたね。
時代は変わって、自分のやってることも関わる人の種類も変わって、でもやってることって変わらないので、何かビジョンがあってそこを目指してやっていくってなると、技術的な指導だけしてもダメなんだなっていうことを感じたっすね。
俺はあそこを目指してたのかと、こんなに分厚い、こんなレベルのことを、それをやっぱり見えてなかったのは僕だけだったんだなっていうことを考えると、ものすごい考えさせられる世界選手権陸上ですね。
こんなレベル高いのか、こんなに自分が、いやもうこれヤバいなって日本の歴史転換点を迎えるだろうっていうような選手がまだまだ全然っていうね。しかも大剣としてますからね。
すげーなーって素直に思ったし、やっぱりすげーなって思った時点で、やっぱりもう自分はそこを目指せなかったんだろうなって思いますね。やっぱり心のどっかで、いやまだ現役続けてたらイケてたんじゃないかなとか思ってた部分が多情なりともあったんですけど、いや無理やったなって。
無理やったなーあれはっていうふうに思いましたね。それはなんか前半にも言ったけど、自分の言動とかそういう話ではなく、身体の構造とかね。やっぱり僕はあくまでここからたまたま入った陸上競技部で、たまたま上手くいった日本スケールの人間だったんだろうなって。
競争を超えて
日本のトップレベルに息切れしてなんとか立ってるくらいの選手は世界では戦えないんだなということを思ったし、だからこそですよね。
無理な挑戦をしているからこそ、自分の延長線上にない挑戦をしているからこそ、自分のビジョンというものはしっかり持っておかなければいけなかったなぁ。
そういうことを考えるとですね、せっかくこういうフリーランスコーチラジオなので、僕の話を聞いてくれた人がどれだけいるかわからないけど、もしあなたがコーチやりたいなって、コーチとして自分の事業を持って、もちろん僕は当時スポーツやってました。
スポーツみたいに世界が誰と比べてとかそういう話ではないけど、やっぱりその自分の生きていくために必要なお金を自分の事業で生むっていう、これは僕はすごい大事にしてるんですね。
僕がすごく大事にしている価値観で、やっぱり人と競って、勝った時だけ生きた心地がするような、そういう世界で戦うっていうのは、僕はその先に幸せってないなぁと、僕個人的には思ってます。
それはやっぱり自分の経験もそうだし、例えばじゃあプロ野球選手とかでプロ野球選手になれるってすごいことじゃないですか。
ただプロ野球選手になってからの方が野球選手の競争って激しいわけなんですよ。
それこそ松坂大輔とかレジェンド投手一郎とかもそうですけど、野球場で花束を渡してもらいながら、みんなにありがとうお疲れ様って言われながらグラウンドされるスポーツ選手なんて全体の一割もいないんですね。
どこかで自分の限界が来て戦力外通告されて音もなく消えていった選手。怪我をして悔し涙を流しながら家族と一緒に大事な人生やっていかなきゃいけないなって泣いてる選手。
それこそ競技はうまくいってたけど、人間関係でダメになって潰れて音もなく消えた歴史の闇に葬られた選手いっぱいいます。
だから綺麗な形で終わられるスポーツ選手って本当に少ないんですね。
ただそういう選手ってスポットレート当たんないし、今表で頑張っている選手のことを考えるとそういう選手は口をつぐむんですよ。
自分の行進のためにね。自分がこういう思いをした、こんなに大変だったって言うとさ、そこで今頑張っている人たちが困っちゃうから。
僕もやっぱりそういうタイプですね、最後に。
これあんまり表で話してなかったけど、辞めるってなった時に、王様になってた師匠から、
次の世代もいるからちゃんと筋を通してくださいって言われて分かりました。
もうそこからスッとフェードアウトするように。連絡先も全部切りましたし。
だって余計な説明をしてね、もし僕が自分の弁解をして、今の制度だったり、
どんどん歴史が積み重なっているものに水を差すわけにはいかないので。
本当に感謝していたので、僕にできる唯一のことは音もなく消えることだなと思ったので、
誰に弁解をすることもなく、僕はスポーツ現場を去りました。
それは今でも間違ってなかったなとは思うし、そこから僕は自分の当時付き合ってた人たちとの関係は未だに一切経ったままです。
完全にもう昔の業界には戻れないよねっていうことで、
僕は保健体育の中高の教員の免許持ってますけど、それももう使えないなって思って、
だから起業に踏み切れたっていうのはあるんですが、
そうやってね、僕も音もなく消えたスポーツ選手の一人。
こういう生き方、誰かに競争に勝つとか、決められたレールの上を走るとか、
そういうところに幸せを感じるのは限界あるなって。
僕は日本一になったら幸せになれると思って、本当に日本一になった人間なんですよ。
ありがたいことにね、本当に勝たせてもらったなと思うけど、
ただその先に自分が求める幸せとか豊かさとか満足とかないなって思った。
それに気づかせてくれたのは僕のライフコーチだったし、
実際に僕のクライアントさんたちも、競争社会ですから、資本主義社会なので、
競争の果てに僕のクライアントさんが自分のトレーナーになりました。
トレーナーからナンバーワントレーナーになりました。店長になりました。
この先どうするのってなった時に、自分がやりたかったことはこれじゃないって言って独立開業した人もいましたし、
クライアントさんにはいろんな業種で管理職になるまで昇進して人の上に立つ立場になりました。
でも別にこれ自分のやりたいことじゃないしということで、自分で事業を起こそうっていうふうにやった人もいました。
僕の周りだけかもしれないですけど、自分で事業を起こそうと思う人間って、
やっぱりどこかに挫折があったりだとか、決められたレールの上を走るということに疑問を感じたりだとか、
本当に会社で日々忙しい中で次々降ってくる課題を解決して、
そうやって偉くなっていくことが自分の人生なのかって、
その日本社会のこうするべきっていうものに疑問を感じた人としか僕は関わってないんですね、今。
そういう人たちに別に誰と競争しなくても、自分の事業を作って、
自分という人間を本当に求めてくれてる人の相手をするだけで、
一人一人、家族一つ食っていくことができるぜっていうことが、僕は言いたくてこの仕事をしてるんです。
だからやっぱりそういう人たちに新しい選択肢として、
このお話穴音の人生があったらいいなと思うし、
だからといって、昔僕が夢見てた世界に挑戦するんだっていう気持ちを否定したいわけでもない、
そっちはそっちの世界でやったらいいと思います。
僕は無理でした。できなかったな。
それができなかった理由が今回の世界陸上で分かりました。
あまりに世界の壁というものを軽く見ていた。
軽く見てたつもりはなかったんだけどな。
順当に行けばいけるもんだっていうふうに思ってましたね。
でもやっぱり僕のことを指導してくれていた、
当時の監督は今のこの世界の景色を当時から見てたんだろうなって。
だから厳しかったです。とっても厳しかったですけど、
やっぱり本当に人生で一番尊敬した方だったし、
僕が本当にあれだけ人を尊敬するのは多分もう最後じゃないかなと思ってますし、
本当きれいな別れ方はできなかったですけど、やっぱり今でも尊敬してますし。
ただやっぱり何の縁か、
こうやってそこのスポーツという競争社会からこぼれてしまった僕でもできること、
コーチとしての使命
やっていくしかないので、僕の人生はまだ続いていくから。
そういう意味で僕の使命っていうのは競争に勝つことじゃなくて、
この競争社会という構造そのものに疑問を感じた人であったり、
何か高みを目指していくという、今コーチングの業界もそうじゃないですか。
自分の限界を超えてみたいな、ゴール設定をしてみたいな、
自分の限界の外に行こうみたいな、成長しよう成長しようみたいなさ。
確かにそれは素敵だと思うし、本来のコーチングってそうだと思います。
だって僕も限界突破したくてコーチングを受けた人間の一人なので、それはすげえわかります。
ただ、その成長をし続ける、成長に取り憑かれたように、
常に自分の現状の外側に外側にゴールを張って、成長できたことを良しとして、
っていう生き方って、僕は幸せに繋がってないんじゃないかって思うんですね。
滅病になっちゃうなと、心身喪失になっちゃうなというのはあるし、
実際にそういうイケイケ系のコーチングをやっていた人で、
心の病気になってしまう方っていうのは結構見える範囲でもいっぱいいて。
それがやっぱり成長し続けるという限界。
だから突き詰めれば自分の器の限界にたどり着くので、
自分の器の限界を超えて成長しようとした時に、成長できた個体は残りますけど、
現状の外側に行こう、行こう、行こうというコーチングの流派は、
僕は生物トーターというか、一定の犠牲者を生みながら、
それこそ鬼滅の刃の世界観じゃないですけど、
俺がもしここで心なざし半ばで倒れようと、
いつか俺の意思を継いだ者がお前を殺す鬼仏寺無残みたいな、
そういう世界観になるんだろうな。
たった一人が最後業界の変革点にたどり着ければよしという考え方は、
僕はできないかな、道半ばで敗れた大使にも家族がいるし、
未来があるっていうふうに考えたら、
少なくとも僕は表の世界で脚光を浴びるわけじゃないけれど、
みんなに期待されるような人生じゃないけれど、
限界と共に生きる
それでも自分の人生を諦めたくないんだという人のコーチでありたいと思ったし、
それが僕にはできると信じているというところはあるんじゃないかなと思いましたね。
今日こういう話を最後まで付き合ってくれた方には本当に感謝しかないですけど、
僕はそう思いますね。
頑張れる人は頑張ったらいいさ。
これからも世界に向けて挑戦するという若者は、
僕のやってた競技問わず、
スポーツの世界でそういう人たちを応援して、
何か心にグッとくる熱いものを感じるところに良さがあると思います。
自分の限界に挑戦するって素晴らしいと思います。
ただ、そこにたどり着けた超人が一人いるのだとしたら、
その分、50人、100人とそこにたどり着かず道半ばで倒れて膝をついた人がいるわけですし、
それは多分僕も一緒ですよね。
僕が日本一になるために僕にバトンを渡してくれた先輩がいらっしゃったりとか、
僕のことを応援してくれた方、
自分は無理だったけど尚人お前は行けって言ってくれた方がいらっしゃって、
正直ね、そこにたどり着かせてもらった時に、
自分だけの勝利じゃないなってなってさ、
それを途中で降りるというのは本当に苦しいことでしたけれども、
降りれなくなってね、走り続けるしかないじゃんってなってやってる人も多いの事実で、
スポーツってそこがね、やっぱり上のレベルに行けば行くほど、
多くの人の血と汗と涙の下に自分の競技力があるんだって、
なんかこれ不思議な感覚なんですよね。
その選手からしたらその選手生命一本しかないんだけど、
そこの環境だったり、指導者からしたら何人も何人もじゃあ、
全国大会に出れない出れない出れないっていう中で、
一人全国大会に出れる選手が現れて、その選手に続いて全国大会に出れる選手が増えて、
その全国大会に出れる選手をサポートする人がいて、
全国大会に出れる選手の中でも出れずに泣いた子がいて、
そうやって全国大会に何度も何度も何度も出てたら、
その中で優勝する選手が現れて、僕が多分そこだったんですね。
その全国優勝を何度も何度もしていく選手が何度も現れた時に、
じゃあその次のレベル、次のレベルへっていう風になっていく、
その一つの大きな生き物みたいな、僕がやってたのは個人競技でしたけど、
個人競技なんだけど、一つの大きな生き物の一部だったんだなって。
これは会社も一緒なんじゃないかなと思うんですよね。
会社という組織が右肩上がりでも、その中でうつ病になって働けなくなった人がいる、
頑張って頑張ってやってやりすぎて法に触れてしまって、
あいつは終わった、あいつは犯罪者だって言われて闇打ちをした人がいる。
いろんな人がいる中で最後たった一人がその頂にたどり着く。
そして業界が変わる。でも業界が変わった後も、
僕らの人生って続くじゃないですか。
そうなった時に僕らはどっかのタイミングで、
自分個人の人生に向き合わなきゃいけない瞬間が必ず来ると僕は考えてます。
僕はたまたまそれが23とかで来たので早かった。
自分の人生って本当にみんなの期待を背負って、
世界を目指すことだけでいいのかなって。
世界を目指さなくなって強制的に向き合わされたわけですけども、
そんな形で自分の人生に向き合わなきゃいけないとなった時に、
小さくてもいいから自分の事業を持つことであったり、
自分の価値、自分の持っているものを思い、自分の能力そういうものを磨いて、
自分が幸せにできる人を自分から探しに行って、
自分のサービスを買ってもらうということで、
自分も相手も幸せになっていく。
経験からの洞察
そんな生き方があってもいいじゃないかと。
だから僕は最初から思ってます。
僕がコーチ業界のメインストリームに上がることはないでしょう。
僕にスポットライトが浴びることはないでしょう。
あくまでブラックジャック的な位置だろうね。
うん、なんか怪しい。
ただ圧倒的な信者がいるよね、みたいな。
本当そんな感じだと思います。
僕はそれでいいと思っていて、
僕は表に立つような人間じゃないんですね。
だし、いつまでもキラキラ自分の可能性に挑み続けられるほど、
自分の可能性に酔ってないというか、
本当に自分の可能性に挑み続けたからこそ、
自分の限界を知っていると自分では思っています。
もちろん限界はないという言葉も信じたいが、
ただ人間寿命がある以上限界は必ずあるんですね。
世界選手権見たら本当に悲しくなるよ。
みんな自分より年下なの。
10年経ったらそりゃそうかって。
だから人間の身体能力の限界って20代前半段だなって思いますよ。
大学生にちょっと毛が生えたぐらいよ。
そのぐらいの選手が身体としては限界なんでしょう。
そこからいろいろ技術で盛り返していくとかありますけど、
世界選手権何回も連続で金メダルを取った人が、
36歳、37歳になって、すごいけどさ。
それでも予選突破がギリギリみたいな。
今まではちょっと前に投げたら1位で通過みたいな選手が。
身体能力の衰えというのはどれだけ鍛えていても、
自分の限界というのはある。
その中で僕が提示したい未来っていうのは、
今のあなたにできることで、
今のあなたに満たせる人を、
今のあなたが見つけてきて、
その人たちとちゃんと仕事をしてくださいと。
それで生きていけるから俺たちは大丈夫。
スポーツ現場でずっと頑張ってて、
そこで辞めてしまって、
スポーツ現場に戻れないという縛りの中で、
僕だから言えることなんじゃないかなと。
競技企業歴10年ですから、
僕だから言えることはそこなんじゃないかなと思います。
できるからこういう生き方が。
実際に僕のクライアントさん、
そうやってやってる方たくさんいらっしゃいます。
もちろんこれからっていう人もいるし、
形見えてきたって人もいる。
地味なんで、すごいノウハウがあって、
それやったら1ヶ月で結果出たとか、
3ヶ月で何百万稼げたとか、
ごめん、俺がやってることはそういう世界じゃないんだ。
生き方の転換なんで、
会社インマインドの人に俺のノウハウを渡したって、
うまくいくわけないんだ。
だからどっかでやっぱり強い挫折があったりとか、
強い目指してたものが崩れ去ってとか、
自分の常識が変わってみたいな経験をした人じゃないと、
僕と手を取ることは難しいと思う。
やっぱりどっかにその人の深い挫折がないと、
僕は手を取れないなとやっぱり思うし、
正直こういう部分を最近見せてなかったから、
そういう人との繋がりが結構減ってきたなっていう部分はあって、
こういうの見せていかなきゃいけないなということをですね、
世界選手権を見て感じたことからお話しさせてもらいました。
今日の話、本当に何人がここまで聞いたかわからないですけど、
僕の核となる大事な感情だったので、
こうやって音源に残せたことはとても良かったのかなと思います。
10年経ってやっとちょっと消化したかな。
そのぐらいですね、この間クライアントさんに、
昔のことをどうやって許したんですか?みたいなことを言われて、
どうやって消化したんですか?って聞かれて、
いや別にまだ消化できてないですよって言って、
まだ夢に見ますよ、夜っていう話をしてたんですけど、
なんかちょっと消化できた気がするな。
やっぱりそのぐらいの痛みというか、
自分ができると思ってた世界が自分じゃ作れないみたいな、
そういう絶望、悲しみ、それでも諦めずに、
確かにその道で行くのは無理かもしれないけど、
お前がその会社で輝くのはもう無理かもしれないけど、
希望の探求
お前がそのやり方で幸せになることはもう無理かもしれないけど、
ただ幸せになることは諦めるなと。
新しい形はある。絶対にある。
そうなんか最後伝えて、
今日のお話は終わろうかなと思います。
話長くなりましたけど、
僕もいろいろ挫折してここまで来てますから、
多分コーチになりたいなっていう人、
もちろんなんとなくなりたいなとか面白そうだなみたいな人もいると思うけど、
やっぱり深い痛みを背負って、
私にはこれしかねえ、俺にはこれしかねえっていう風に、
この世界が飛び込んできて、
そのロールモデルを僕に見ている人もいるんじゃないかなと思います。
僕はそういう人たちのために事業をやってますし、
自分が第一人者というか、
一つのロールモデルでありたいという気持ちは常にありますので、
何かあったら相談してきてよ。
公式LINEとかいろいろあるので、
僕はその人と繋がってやっていきたいなと、
今でもというか心から思っておりますというお話でした。
これで夜も散歩しながら今日は話したんですけど、
今日伝えたいことは以上です。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
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