2025-06-13 06:44

253 宿題は虐待なのか!?

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前回の配信をしていて思い出したネタです。

以前、一般市民の方が集まるフリートークイベントに参加した際に、海外勤務から帰国した男性に言われた言葉です。

結構、鮮烈な言葉でした。

#宿題は虐待 #学校教育 #ブラックな学校 #日本の教育 

サマリー

このエピソードでは、宿題が教育における虐待と見なされる可能性について考察しています。特に、宿題が個人の自由な時間を侵害することから生じる問題に焦点を当てています。

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皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組は、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
宿題の問題提起
今日は253回、宿題は虐待なのか!?というタイトルでお届けしたいと思います。
前回の配信をしていて、配信ペースで進めるために、やっぱり生徒に良しをさせてから、それから点検して取り組みましょう的な発言をしてしまったので、それつながりで思い出したので配信しています。
私の配信ペースはどんな感じかというと、ほぼ毎日配信しているんですけれども、実際、週に4から5回でいいと思っているわけですよね。
1日おきぐらいでいいかなと本人は思っているんですけれども、学校現場に勤めていたり、車でいろんなことを考えていたりすると、ネタがどんどん出てきちゃったりして、
特にやっぱり学校現場に勤務していると、生徒としょっちゅう触れ合うし、授業についてしょっちゅう考えているので、いろんなネタがポンポンポンポン思いついてしまって、
結局のところは毎日配信しているという、そういう格好になっています。
特にまとめ撮りするんですよね、私ね。土曜日とか日曜日とかの早朝にまとめて4、5本撮るとかやっちゃったりして、
残りの2、3本を、例えば学校から帰ってきて、ちょっとほっとした時間に撮る、思いついたことを撮るという風にしているので、
だいたい自分の思いとしては、週末に4、5本撮って、1日おきに配信したいなというペース。これが私の理想とするパターンなんですけど、
今のところ毎日配信ネタが途切れずに進んでいて大変ありがたいなと思っています。
何よりも何よりも、ノー原稿で配信するということがだいぶできるようになっちゃったんで、
このあたりが本当に授業に役立っているので、これからもできる限り精進を続けていこうと思っています。
ちょっと脱線してしまいました。本題に戻します。本題は宿題は虐待なのかというテーマですね。
これについては、私が5年くらい前に一般市民の方が集まるフリートークイベントに参加しました。
これは教育について語ることがテーマだったと思うんですけれども、いろんな方が集まって、
例えば、本当に企業にお勤めの方とか、子ども連れの方とか、保育園とか、
幼稚園に通っている子どもさんを連れた若いご夫婦とか、それからおじいちゃんおばあちゃんとか、
本当にいろんな人たちが20人くらい集まって教育について語る。
今の日本の教育の問題点について語るというようなイベントに私も意味分を隠してこっそり参加したわけですね。
いろんなことが語られまして、いつも教育現場にいる私としては、やっぱり問題の切り口が本当に煮ちゃっていて、
一般市民の方との温度差を感じました。その中で海外勤務から帰国して、小学校時代を海外で過ごされたお父さん。
お父さんが日本に帰ってきて、小学校に子どもを通わせている時にいろいろ感じたことをおっしゃっていた中に、
今日のタイトルの言葉があったわけです。
日本では宿題がたくさん出ると。宿題っていうのは本当に虐待ですよっておっしゃっていたのが私、もう心にズキッときましたね。
日本では宿題を出すのは当たり前じゃないですか。小学校から毎日のように本読みとか計算ドリルとかの宿題が出ますよね。
それを保護者がチェックするっていうのが日常的なことになっちゃってる。
そんな中で海外勤務から帰られたその方は海外では宿題が出ないんでしょうね。宿題は虐待だとはっきりとおっしゃっていました。
その理由についても話されてたんですけども、要するに学校が終わったら個人の自由な時間じゃないですかと。
個人の自由な時間を侵食するような宿題を課すということは人権を侵害していることに他ならない。
宿題は教育虐待だっていうことをおっしゃったわけですよ。
私はこの言葉になるほどなっていうふうに思いました。
でも日本ではそれが当たり前だし、それが教育のためだし、教員もそれから保護者も本当にこれが正しいと。
その子の成長を願って、その子の学力が積み上がることを願って行う宿題という取り組みですよね。
それが見方を変えれば個人の自由を侵害するものになるというこの指摘に私は本当に心をずきっと痛んだような思いがしました。
自己批判と考察
学校現場にいるとこんな批判的な意見はみじんも出ないんで、私このフリートークイベントに参加してよかったなと思います。
私自身の取り組んでいることを批判的に見ることができた。
もう一末これは虐待ではないかと思いながら宿題を出しているわけではありますが、見方を変えれば宿題は虐待になるということですよね。
そこから考えたことは、個人の自由な時間を侵食する課題を出すということが美徳とされる社会に住んでいる私たち。
これは時間外勤務は美徳だということにつながっているんじゃないかと思いますし、ブラックな働き方ということにもつながっているんじゃないかと思います。
そして休日の時間を仕事に費やすということにもつながっているんじゃないかと思います。
それが美しいことだと素晴らしいことだということが知らず知らずの間に植え付けられてしまっているんじゃないかなっていうようなことを思いました。
宿題は虐待だっていうのはある意味行き過ぎた意見なのかもしれません。
しかしながら本当に学力をつけさせる取り組みっていうのが宿題以外にないものか、そして宿題は正義なのか、あるいは宿題は虐待なのか、答えは出ないとは思いますけれども、
自己批判的にこの言葉を持ち続けて、折に触れていろいろと考えてみたいなって思っています。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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