サマリー
進学校では、受動的な授業スタイルに対するニーズとその影響について考察しています。このエピソードでは、教育の目的や進路への影響、受験対応の授業のあり方について疑問が提起されており、教育現場における課題が浮き彫りになっています。
受動的な授業スタイルの現状
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は275回、進学校では受動的な一般授業のスタイルにニーズがある問題を考えるというタイトルでお届けしたいと思います。
私は先日、古文の自作自演模擬授業動画をアップロードし、そのリンクを希望の方にGoogleフォームでお渡しするという取り組みを行いまして、今現在215名の方にお申し込みいただいておりまして、いろいろと反応をいただいております。
先日はコメントにこのようなコメントが来ました。私が経験してきた古典の授業は、生徒が受け身的な授業でした。
具体的には、先生が教科書の作品の現代語訳、文法の解説をして、生徒が一方的に先生の話を聞いているという形式でした。
予習では自分で調べながら現代語訳をすることが重ねて、授業は確認作業というような感じでした。
このような児童的な古典の授業を受けてきたため、生徒主体の授業が新鮮でした。授業の導入、教材、発問などから、引き締まった雰囲気の授業を古典で行うための工夫を発見できました。
また、先生のご講義を拝聴できる機会がございましたら、大変嬉しく存じます。
ということで、ありがとうございます。
これが本当に私はありがたかったですね。
こういうふうな反応をいただいて、これをXで配信して、むしろありがたかったんだけど、まだまだ球体以前とした講義式授業が行われているということがちょっと疑問だなというふうに発信したところ、それに反応をくださった方がいらっしゃいまして、
その方の反応はですね、ご自身も受け身の授業を出したいと思ってるんだけど、進学校はこの手のスタイルのニーズがまだまだあるし、結局最後に受験で合格を手にするっていうのは、そのスタイルに順応して知識を獲得した人なんじゃないかというようなね、そういうふうなコメントがありまして、またこれも本当に考えさせられるなという、そういうきっかけをいただいたありがたいリツイートをいただきました。
受験対応の授業への疑問
私は長らく進学校というところにいたわけではありません。国立大附属にいたんで、偏差値がとても高い学校でいましたけど、あそこは受験校っていうよりは教育を研究する研究校だったんで、ちょっと色合いが違うんですよね。
ガチガチの進学校で長らく授業をしたっていう経験があまりないので、今勤めてるところがそうかもしれませんけど、だから私の中ではそういった一斉授業スタイルでの授業っていうね、それを長らく行うことがない、そういうところに浸ったことがないので偏った意見なのかもしれません。
なので私自身がもう1回この問題について考え直しをしてみました。
まず第1点目です。受験対応の授業のあり方についての疑問です。受験対応っていうことは要するに予備校みたいなものになるんじゃないですかね。
3年生の授業だったらありかなと思うけど、1、2年生の授業で受験対応、予備校的な授業っていうのを進学校さんではなさってるんでしょうかね。
進学校さんでは受験対応の授業をしたとしても、結局のところ生徒主体的になっているので学びが深まっていると言えると思うんですけれど、
だけど一斉講義式の知識伝達スタイルっていう授業をずっと3年間受け続けると、生徒の方にそういった講義式の伝達型の授業スタイル、表現形式がずっとイメージとして植え付けられるということになりますよね。
そうしたらいざ社会に出てファシリテーションをビジネス界でやっちゃうとか、対話をしながら問題解決をしていくっていう、そういう表現形式には慣れてないということになるし、イメージとしても残らないということになって、戸惑いを覚えるんじゃないかなと思います。
私自身は自分がそういった対話型の授業であったり、グループ活動であったりっていうのを高校生の時に何らかの形でやっていたおかげで、話し合い活動とかそういうのを結構慣れている方だと思うんだけど、受けてきた授業スタイルっていうものが、自分自身の生徒自身のアウトプットスタイルに影響を与えるということを考えたら、
果たしてこの一斉講義式の授業っていうのは、生きて働く力になるのかなっていう大きな疑問があります。
それから2番目に、この一斉講義式授業っていうのは、果たして教育っていう私たちの使命を果たしているのかっていう大きい問題があります。
私たちは市民っていうものを作る人材育成を担っているわけですね。今ちょっと大げさだけど、国家プロジェクトであるわけです。
国策に基づいて人材育成をするっていう使命があるわけなんですけれども、現在やっぱり世界は混迷としていて、解決のつかない問題がこれからどんどん沸き上がってきて、
こういう問題を見つけて、そして解決をしていくことによって社会をより良くしていく人材育成が求められています。
それは国策でもあるわけで、その国策に基づいて学習指導要領も改変されてきた。
そういう教育っていう制度の中で、いつまで経っても従来型と変わらない一斉講義式授業っていうものをやるっていうのが、果たして私たちの教育っていう使命に合ってるのかどうかっていうことは、やっぱり批判的に考えないといけないと思います。
それもやる必要はあるかもしれません。
生徒の進路保障のためにやる必要はあるかもしれないけれど、もっと根源的な問題として、学校が抱えている使命っていうものと、それから受験対応の授業と、一体ふさわしいやり方っていうのはどういうものなんだろうということは、教育者自ら問い続けていかないといけないというふうに思いました。
生徒の未来と成長
それから3番目としましては、受験が終わってからの後は、その生徒たちはどういうふうになっていくんだろうっていう、そういうふうな未来予想の視点を持たないといけないなって思います。
私何度も言いますけど、国立大附属で勤務した経験があるんですけど、その卒業生と会う機会がありまして、大学生活どうなのっていう話になったときに、ある子が言ってました。
大学生活ってちょっと微妙だよ先生。県立出身の子は、教えられることを与えられることを待っていると。受け身で面白くない。
父族は自分たちでいろんな新しいことをどんどんやって、いろんな面白いことやって楽しかったけど、県立の子は待ってるだけだっていう批判をしてましたね。
その子はやっぱりどんどんニッチなサークルを立ち上げて、友達と面白いことばっかりしてて、結局コンサルティング会社に就職しましたけれど、そういう大学生同士批判し合ってましたね。
だから受験が済んでから、その子の生き方にも影響を与えるんじゃないかなっていうふうに思いました。
それから4番目は、国立大附属の生徒の中にも受験対応が立てない授業に対するイライラ感を募らせる子がいたので、その子の存在、その子のお話についてちょっと語りたいと思います。
その子は大変賢くて、結局東大に受かった子なんですけれども、受験対応が大型でない授業にイライラしている賢い生徒でありました。
効率悪いグループワークとか、学力的に差のある生徒と一緒に学ぶということに対する意識の差について、ちょっとストレスが溜まってたように思います。
それから遠回りの授業にもイライラしてたと思うし、そういう授業をデザインする先生についても疑問を持っていたと思います。
そういうイライラが募って、担任である話しやすい私にそのイライラをぶつけてきたわけですよね。
先生一体こういう授業でいいのか、受験に間に合うのか、もっと効率よくやる方法はあると思うんですけど、先生どう思われますか?
というように賢い人なので冷静に、怒りは持ってたと思うしイライラも募ってたと思うけど、それを出さずに冷静に私に相談してきました。
私はどうしても教育的立場なので、私は先生という立場から言うんだけど、あなたは将来どう生きていきたいと思っているの?
学校は社会を学ぶ場でもあるし、効率を求めて、正論を求めて、人を切り分けて生きていくのか、多様な人と手を携えながら生きていくのか、それを学ぶ場でもあるんだけれど、あなたはどう生きていきたいの?
というふうに尋ねたんですね。そしたらその子はやっぱり賢かったですね。しばらく黙り込んで、目に涙を溜めて泣き始めました。
たぶん、自分の物の見方がとても未熟だったということについて、初めてそこでその未熟さを突きつけられて、賢くてプライドの高い彼女は自分自身をとても未熟で幼いものだと思ったんじゃないかと思うんですね。
涙し始めました。そこから彼女は変わりまして、どんどん大きく成長して、東京大学に入って外資系のコンサルティング会社に入りましたけれど、きっと私が言ったことをわかってくれたんじゃないかなと思います。
こんなふうにして学校っていう場は、学ぶっていう場は、自分を知り社会を知り自然を知って課題を発見してどう解決していくのか、どう仲間たちと共同していくのかということを学ぶ場だと思うんですよ。
決して受験を上位に置くことだけは避けたいし、受験で合格を勝ち取るということは、その子の進路指導にとってはとてもプラスであるし、もちろんサポートしていきたいと思うけれども、受験を上位に置くことは避けたい。
そして、そうなりがちであるのであれば、受験のあり方をこそ我々教員は問うべきであると思うし、常に受験上位の授業と、それから本来の教育のあり方に沿った授業というものについては、いつもいつも考えながら授業していきたいなと思っています。
それでは、今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
12:15
コメント
入試問題は解き方のテクニックや独特のルールがあるので、進学校であればどこかで触れてあげた方が親切だと思っています(対外的に「学校の授業を受ければ塾はありません!」と言っているならなおさら)。 ただ、生徒や教員が思うほど一切授業で教員が知識伝達していても問題は解けるようにはならないで、生徒自身が演習量なのですよね。 授業で演習量を確保していくとなったら、それこそ学校の意味は…。 首藤先生がどこかで言及されていたかと思いますが、入試問題を分析して解けるようになるためには?と考えること自体がプロジェクト学習になるというのは、まさにその通りなので、問題を解く、知識を伝えるということを授業の全てには、進学校だとしてもしたくはないですね。
コメントありがとうございます。 いろいろな取り組み例や情報を見ても、これをやったら偏差値が上がった!という現代文の指導方法の決定版というのがなくて、結局、その子がどれほど考えたか、が大事になりますよね。そんな中、「入試問題を分析して解けるようになるためには?」という課題解決学習は本当に面白そうですwww
実は「論理国語」の「論理ってなんだろう?」という文脈で、「国語の読解テクニックを言語化して一枚ポンチ絵にしてみよう!」という単元をやったことはあります(笑)
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