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2025-08-27 12:40

328_授業の土台は安心安全な場作りというけれど、ホント難しいのよね。

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「授業の土台は安心安全な場作り」その難しさを、長年の教員経験から語ります。国立大附属から定時制まで、多様な学校での生徒指導のリアルな苦労や工夫、生徒に寄り添うことの重要性を語っています。

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サマリー

教育現場における安心安全な場作りの重要性が、さまざまな学校の経験をもとに議論されています。特に国立大附属校や総合学科における生徒のポジティブな姿勢や人間関係の構築が、安心安全な環境を生む要素として語られています。

安心安全な場作りの重要性
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育について、ゆるっと配信しています。
今日は328回、授業の土台は安心安全な場作りというけれど、ホント難しいのよね。というタイトルでお届けしたいと思います。
授業の土台ね。この年になるとつくづく思うのは、授業って本当に安心安全な場作りがうまくいっていないと、上に何を乗せてもうまくいかないということです。
最近、自由振動学習とか、個別最適とか、それから自己調整とか、そんなこと言われていると思うんですけれども、ああいうふうに大変良い授業とかね、そういうことを謳っていても、やっぱりクラスの信頼関係、人間関係がきちんと安心安全でないと、
そういうものを投入したとしても、全然うまくいかずに空転するということはあるんじゃないかなと思うし、実際そうだと思うんですよ。
このことについて、私の長い教員歴の中で、多様な生徒実態の学校に勤めてきたので、その実態をお話ししてみたいと思います。
まずは国立大附属。生徒実態は非常に偏差値が高くて、レベルの高い大学に入学する生徒が通ってきているような、そういう生徒実態です。
この学校はやっぱりみんな知的好奇心が高くて、何をやってもだいたい食いついていくと。
授業に対する心構えも当たり前のように前向きに取り組みますし、一生懸命やりますし、逆に言うとつまらない授業だと側方を向いてしまうという、そういうふうな生徒実態です。
特にただ覚えればいいとか、ただ知識を詰め込むとか、そういった授業よりも思考する授業、しっかり表現する授業、しっかり批判する授業といった、そういった授業の方を好むと。
こういった生徒実態の学校だったと思います。
もうこれはすでに学ぶということに対して前向きであるという。
そして生徒も人間関係のキリン結び方が上手な生徒が多かったので、家庭教育の良さとか、それからコミュニケーション能力の高さとか、そういったことが背景にあるので、人間関係のキリン結び方も上手い生徒が多かったので、
安心安全な場作りというのが教員があまり手を入れなくてもできた、そういう生徒実態の学校だったので、大体何をやっても上手くいくという、そういう生徒実態だったかと思います。
裏を返せば教員がちょっといい加減にやっても生徒がそれなりに応えるので、自分の取り組みの甘さをうまく隠せるというか、
そういった危険な生徒実態って言ったらおかしいけど、教える方にしては甘えてしまう、そういった生徒実態でもありますので、やっぱりその辺は自分の力を過信しないようにしたいなというふうにいつも思っていました。
ということで国立大附属というのは、もうすでに安心安全な場作りというのがある程度できているので、やりやすいと思いました。
それから普通科の中堅校ですね、この時はやっぱりしつけが大事かなと、授業を受ける心構えの基本が大事かなと思いました。
なのである程度型に入れて鍛えるということが必要だったと思いますけれど、まあそこまで力は要らなかったかなと思いますね。
ちゃんと繰り返し基本的に守るべきことを言えば、生徒は素直にそのことを守りますし、家庭もやっぱり温かくて誠実な家庭で育った子どもが多かったので、その辺の基本的なことはきちんとしていたと思います。
総合学科での経験
その代わり、人間関係上いろいろなトラブルはその年相応にありましたね。いろんないさかいとか誤解とかいざこざとか、それなりに問題はあったけれども、それなりにちゃんと対応すれば解決にきちんと向かうといったような実感がありました。
いわゆるマニュアル通りであれば、それなりに安心安全なクラス経営はできたと思います。
時々手こずる生徒はいたけれども、常識の範囲内で対応すればちゃんとした安心安全な場は作れたと思いますので、これもさほど問題はなかったと思います。
次に総合学科での勤務では、この総合学科というところは勉強はそれほどキリキリではないけれども、部活動を頑張りたい。だから2日よりは総合学科、これを選んだ生徒が多いという、そういう学校の実態だったので、
スポーツを好む子が多くて、特に集団であるスポーツ、サッカーとかバレーとかバスケットとか野球とか、そういったチームでの部活動を大切にするという生徒が大量だったので、チームを大事にするというそういう心構えがきちんとできていたので、
もう一番やりやすかったと思いますね。クラス経営が一番やりやすかったのが私、総合学科です。素直で前向きな生徒が多かったので、教員の言うことをそのまま受け入れて、クラス経営もとても浸透しやすかったし、生徒もチームということを大事にするから仲間のために頑張るという、そういったことがとてもできていて、
ちょっと至らないことがあったりとしても、チームの一員としてこうしなくちゃいけないんだということを言うと非常に納得してくれたので、安心安全な場作りという点ではこの総合学科での経験は私にとって一番やりやすかった場で、
こういうふうにしたいと思ったら、生徒が素直に答えてくれるので、ポテンシャルを最大限伸ばせる、そういった経験ができた、やりがいのある学校実態だったと思います。
だから本当にやりやすかったなと思うんですよ。いろんな取り組みをしてもそれなりに答えてくれたし、結構先進的なことをやっても安心安全な場作りだったので、それなりに生徒の持っている力を伸ばせる、そういう学校実態だったと思います。
その反面、大規模普通科教育混乱校、それから大規模商業科教育混乱校、これは大変でしたね。
規律を作るのにひと苦労します。それから経験が必要だったし、ある程度圧をかけるということも必要だったと思います。
普通にやっていたのでは成り立たないし、マニュアル通りにやってもダメだったと思います。生徒との人間関係ができるまでが大変だったと思いますね。
特に生徒と長々発信のやり取りをしないといけないので、生徒がこう言ったらこういうふうに言って生徒を納得させるというような、そういった自分自身の教育を常に問われる、立ち位置を問われる、そういった状況だったと思うし、
特に資格試練の真面目な先生ではダメで、ある意味エンターテイメント性の高い、面白おかしい、そういうやり取りができる教員としてのスキルも必要だったと思います。
生徒指導が大変で、常にスクランブルがかかりっぱなしだったから、授業をやりながら生徒指導を両輪でやるという、授業をやりながらちょっと待っててねという感じで生徒指導もするというね、
バタバタと走りながらやるという、そういうふうな臨機応変な対応力も求められました。
だけど、不本意入学の生徒が落ち着いてくると、2年生3年生になると落ち着いてきて、だんだん授業もやりやすくなってくるので、人間関係がそこでできちゃうと、先生先生というふうに慕ってくれて、
だんだんとやりやすくはなってきましたけれども、レベルの高い授業というのはなかなか難しいし、かなり耕しが必要だったと思います。
その次に定時制ですね。定時制の生徒実態は、筆舌に尽くしがたい。この一言だと思います。
先生とは思ってもらえないし、私が定時制に勤めたときは、生徒急増期で一番大変だったときだと思います。
生徒の置かれた状況は、家庭は機能不全だったし、経済的にも非常に厳しい状況だったし、もう解決のできない状況がボーンとありまして、もう福祉のレベルだったですね。
なので、解決するという糸口が見つからないまま、生徒に寄り添うことしかできなかった。
生徒実態としては厳しかったし、安心安全な場作りというのにも、一体どうしたらなるんだろうと。
試行錯誤、トライアンドエラーしつつ失敗ばっかりしていたと。非常に厳しい生徒実態だったと思います。
そんな中で授業をするというのは、とてつもなく大変で、今でもどれほどのものができたんだろうというふうに思いますね。
自分の力の無力感を感じた、そういう時代だったと思うけれども、生徒と寄り添い時間を共にすることしかできなかったし、生徒と共に生きることしかできなかったと。
そういった時代で、私は本当に最も大切なものを得たように思います。
特に最近見た国宝という映画の中で、お師匠さんが弟子さんに教えを授けるというシーンがあったんだけれども、
そのシーンの最後の締めくくりで、お師匠さんと生徒が挨拶をする場面があるんです。
その時にお師匠さんが、ちゃんと扇をきちんと目の前に置いて、そして正座をして、それから指をついてお弟子さんにありがとうございましたというふうに頭をきちんと下げる場面があるんですけれど、
あれですよね、やっぱり教員自身がきちんと弟子に向かって、お師匠に向かって、生徒に向かって三つ指をついて、
今日もありがとうございましたとふかふか頭を下げる、そういった姿勢で持って望まないと定時制の生徒は通用しなかったし、
そういった姿勢で持って安心安全な場作りをやっていくということが先生にも求められたと思います。
ということで、安心安全な場作りというのは本当にできているかどうか、今も本当に怪しいわけなんですけれど、
そういった土台がないと、やっぱりいくら探求とか、いくら教科横断とか、いくら自由心の学習をやっても駄目なんじゃないかなというのは、
長い私の教員人生を歩いてきて思ったことです。
本当にできているかどうか怪しいけど、そういったところを目指してこれからもやっていかなくちゃいけないんじゃないかなと思っています。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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