話の質と重要性
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日は、337回担任としてホームルームで長い話をしない理由というタイトルでお届けしたいと思います。
私は今、中学校3年生の担任をしていますが、担任を何年も何年もやってますね。本当に担任、何年やったんだろう。ちょっとよくわからない。数えるのもちょっとめんどくさいので数えてないんですけど。
クラスの生徒を前にして何回も何回も話をしているので、相手を納得させるということ、納得させるような話ができるかできないかというのは、クラス担任として非常に大きな問題だと思っています。
クラス担任としてみんなの前でクラスの前で話をするときによく言われるのが話が長いか短いかということですね。時間が多いとか少ないとかそういったこと、例えば多ければ話が良いあるいはよく聞くというものでもないですし、短いから良いというものでもないと思うんですけれど、要するに質だと思うんです。
だけどその話の質というのもなかなか客観的に測ることができないので、何が良くて何が悪いかというのがはっきりわからないのが大きな問題だなと思うんだけれども、要するにその言葉の背後にどれほどのものを背負って言葉を発しているかという言葉の重みとか濃さとか、そういったものが非常に大きなポイントを持っているなと思っていて、別に難しい言葉でなくてもいいんです。
生徒の学齢に合わせてその年代の子どもたちにいかにずしっと響く言葉が出せるかどうかという言葉の力は大きいんじゃないかと思っています。
私も決して話していてうまいというわけでもないですし、言葉に重みがあるというわけでもないんだけれども、日頃のトレーニングや経験でそれは補うことができると思っているし、相手の反応を見ながらこの言葉は生徒にとってとても効き目があるなということを判断しながらしゃべるのはとても効果的だと思いますし、
何よりも効果的な言葉を何とかそこで紡ぎ出したいと思うのであれば、言葉をたくさん知るということを日頃から意識しておくということはとても必要なことだと思っています。
だいたい生徒に話しするときは別にレベルの高い言葉じゃなくていいので、こういうふうな時はこういうことをすべきだった。なぜかというとこうだと。そしてそれは皆さんの成長につながるプラスになるんだよというような大きな枠で話をするんだけども、その理由というのが誰もが納得できるような理由というのがとてもいいと思います。
そのことについて話し出すととてつもなく長くなるのでここでは省きますけれど、私がこの間からずっと話題にしていますクリティカルシンキング、この時の講義内容が誰もが納得できる理由というのをどうやって出していくかというトレーニングになっていまして、ここをやっぱり鍛えるということは説得力のある話、生徒にとって非常に響く話ができるポイントなんじゃないかなというふうに思いました。
じゃあ若手の先生がそういった経験を待たずしてある程度説得力のある話ができるためにはどうしたらいいか。これは誰でもできると思うんだけれども、学級新聞とか学級通信、あれを真面にたくさん若いうちに発行しておくというのはとても効果的だと思います。
書くことによって自分の考えがまとまりますし、何回も何回もやっていくことによっていろんなバリエーションもゲットできますし、こういうふうに地図立てて言うと言いたいことがはっきりするという自分自身のトレーニングにもなります。
短く印象的な話
なので若手の先生は学級新聞とか学級通信とかそういったものをご自身の言葉で積極的にできるだけ多く回数重ねられること、それをストックしておくこと、そういうことをやることによって説得力のある話を生徒に展開できる力になってくれると思うんですよね。
私もよく若かりし頃は学級通信とかいうものを書いてきまして、生徒にすっては私あるいは読んだり保護者の方に渡したりとかしてきましたけれども、だんだん年取ってくるとそういうストックからいろんなことが出てくるようになったので、今は通信を発行するというところまでは言っておりませんが、若い人はぜひ学級通信とか許されるのであればためておくと良いと思います。
ということで若手の方ができることについてお話ししてきましたけれども、まあやっぱり教員はホームルームで話をすると長くなります。
私はできるだけ短くしようと心がけているから私は決して話は長くありません。
理由としては、まず話が長くて自分に酔っちゃう人いません?
生徒がお利口にしてよく聞いてくれているような生徒実態だと、だんだん自分が話しているうちに気持ちよくなって自分の話に酔う人がいると思うんですよ。
私も結構そういう風になってきたら酔っちゃうこともあるので、これは自分自身への忌ましめとして、とにかく話を長くなって、生徒がよく聞いてそれに酔ってはいけないと自分自身に忌ましめておりますので、できるだけ話をしているときは自分に酔うということを自覚しながら上手にその辺はコントロールしていこうと思っています。
それから自分が受けてきた説教のあるべき姿やイメージを重ねてついつい長くなってしまっているのではないかということを考えてみていただきたいと思います。
特にわりに支配的な先生にいろいろと支配的な説教され続けてきた、そういう風な学生時代、高校時代を送った方はやっぱりその説教のあるべき姿っていうのが無意識のうちにインプットされていて、これが正しい説教のあり方であり、憧れの先生とか力量のある先生がこういうことを話してからこれがいいんだと思われている方もいるんじゃないかと思います。
そういった説教の長い先生っていうものに対する理想を重ね合わせすぎてついつい説教が長くなってしまっているという風な恐れもありますので、ここもまた自己点検していただければいいかなと思います。
それから中学生は話聞く限度がだいたい3分だなと私は思っているので、高校生でもそんな感じだと思うんだけども、高校生ぐらいになったら5分ぐらいは我慢できるかな。
中学生は集中してしっかり話が聞けるっていうのは本当の意味で3分ぐらいしか集中していないと私は思っていますので、特に男子はほとんど聞いていないと思った方がいいかもしれません。
コンパクトに短く印象的にっていうのは特に男子の場合繰り返していった方が効果的ではないかと思います。
刺さる言葉印象的な言葉ハッとさせる言葉これって本当だなと思うような納得できる言葉これをその場で適切な時に短く言ってそれをある程度しつこくない程度に繰り返していくっていうことは
特に長い話っていうのが耐えられない子にとっては効果的ではないかと思います。
信頼関係の構築
ちょっと例えて言うならばちょっとあまり良い方ではないけれども犬の調教に似ているようなところが私あると思うんですよね。
犬を飼った方とか育てた方はわかると思うんだけども、やっぱりきちんと指導しないと、調教しないと犬はちゃんとした人間と一緒の生活を送れません。
やっぱり共同生活を送るためにもある程度のしつけは必要だと思っています。
犬の調教という言い方はちょっと悪いんだけど、その子にあったその学齢にあった効果的な指導を繰り返すことによって次第に信頼関係が形成されていって
まあ今頃はね先生先生先生っていう感じでよくなっついてくれますよね。
本当にやっぱり日々の種まき長屋市が必要だなと思います。
それと同時にやっぱりあの先生の方にも
指名感とか倫理性とかそれから公共性とかそれから常識があるかどうかとか社会性があるかどうかとか適切な表現力があるかどうかっていう社会人として大人としての基本的なスキルを身につけているかどうかっていうのも生徒は言葉にはしてなくてもやっぱり判断していると思うんですよね。
大人として尊敬できる存在なのかどうか尊敬できるようなそういうふうなことを日々ご自身で努力されている人から発せられる言葉っていうのはすごく説得力がありますね。
ということで長々と持論を述べてきましたけれども。
まあね話が長い先生でも生徒はその先生に対して信頼があれば聞きますね。
私は長い話は好きじゃないので短くしますけれども生徒との信頼関係っていうものが根底にあれば長くても生徒は許してくれるわけですね。
それはやっぱりどうやって作るのかっていうと生徒が先生をリスペクトするっていうことも大切だけれども私たち教員も生徒をリスペクトしないといけないお互いが信じ合える存在にならないといけない。
だから生徒肯定的にいつも見ているかどうかは生徒はいつも感じていると思うので根底には相手へのリスペクトの気持ちっていうのがちゃんとないと信頼関係がないとどの話も聞いてくれないんじゃないかなって思います。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
