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2025-05-09 09:28

218 大村はま先生は授業評価のことを 「聞いても仕方ありません」とぴしゃりw

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『優劣のかなたに』刈谷夏子著

上記の本は大村はま先生の教え子として育ち、大村はま先生の教育を伝える活動をしておられる刈谷先生のご著書です。

大村はま先生がお亡くなりになられた後、大村はま先生の言葉を集められたものです。

教育現場で困難にぶち当たったときや悩んだときなど、この本を開くと心が浄化されていくのを感じます。

 

#大村はま #優劣の彼方に #授業評価

Summary

大村はま先生は、「授業評価を生徒に聞いても意味がない」と強く指摘しています。生徒の実際の感情や学びの深さを評価するためには、指導者自身が鋭く自己評価を行う必要があると述べています。

授業評価への疑問
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
今日のタイトルは、218回大村はま先生は授業評価のことを聞いても仕方がありませんとぴしゃりというタイトルでお届けしたいと思います。
この本を紹介したいと思うんですけど、優劣の彼方に大村はま60の言葉、かりや夏子、ちくま書房から出ています。
これは大村はま先生が、平成16年にお亡くなりになってから、それから1年か2年かけて教え子だったかりや先生が
一つ一つ大村はま先生の著書とか、ご自身がいろんなおりに触れて大村はま先生からいただいた言葉とかをまとめたものです。
タイトル優劣の彼方にっていうのは、大村はま先生が晩年最後の最後までずっとずっと練り上げてきた詩のタイトルになります。
ちょっと読んでみます。
優劣の彼方に、大村はま。
ゆうかれつか。そんなことが話題になる。そんな隙間のない突き詰めた姿。
持てるものを、持たされたものを、出し切り、生かし切っている。そんな姿こそ。
ゆうかれつか。自分ではいわゆるできる子なのか、できない子なのか。
そんなことを教師も子供もしばし忘れて、学び浸り、教え浸っている。そんな世界を見つめてきた。
学び浸り、教え浸る。それは優劣の彼方。
本当に持っているもの、授かっているものを出し切って打ち込んで学ぶ。優劣を論じ合い気にし合う世界ではない。
優劣を忘れて、ひたすらな心でひたすらに励む。
今はできるできないを気にしすぎて、持っているものが出し切れていないのではないか。授かっているものが生かし切れていないのではないか。
成績をつけなければ、合格者を決めなければ、それはそうだとしてもそれだけの世界。教師も子供も優劣の中で喘いでいる。
学び浸り、教え浸ろう。優劣の彼方で。
というタイトルの詩なんですけど本当にね、現場で教えていていろんな壁にぶち当たったりするとき、
この詩を読むとちょっと癒されると言いますか、逆に身が引き締まると言いますか、
本当に優劣の彼方に遭う、学び浸り、教え浸るっていう状況が授業で作れているのかっていうことをね、いつも思っちゃうわけなんですけれども、
この詩を折に触れて、しんどい時とかつらい時とか、疑問に立った時とか、読むようにしています。
そんな中でも一つ、授業評価について大村浜先生がピシャッと言ってらっしゃるところがあるんで、それを今日は紹介したいと思います。
昨今、授業改善っていう言葉がよくよく聞かれるようになり、例えば授業中に生徒の振り返りを書かせるとか、
それから生徒に授業のアンケートを取って授業改善に活かそうとか、そういった動きが盛んになってて、
本校でも一学期かな、授業アンケートを取って二学期の改善に役立てるっていうそういう風な流れで授業改善を取り組んでいます。
生徒に授業評価を、アンケートを今までずっと書かせてきたんですけれども、やっぱりあんまり効果がないというか、
的を外しているというか、そういう風な感覚が否めません。
私自身の考えでは、授業を評価するっていう、そういう風な修練とか学びとか知識や技能を身につけてない人が授業を評価するっていうのは、
本当に本質的なところが見とれないまま評価されているということで、評価者の好き勝手な感覚とか好き嫌いとか、
そういったところに陥ってしまう評価なんじゃないかなとずっと疑問に思っていたわけなんですよね。
それは参考にはしますよ。参考にはするけれど、同じような授業をしても教室実態によってすごい差ができるんですよ。
だから学びにあまり向いていない子だったら授業評価は下がるし、学びにすごい向き合っている子だったらすごい授業評価は上がる。
生徒の実態と評価
同じような授業をしていても、これだけ評価に差ができるっていうのは、あんまり評価っていうのは宛にならないなっていうことだと思うんですよ。
そういう風に生徒に授業を評価させるっていうことにすごく疑問を抱いていた私なんですけれども、大村晩和先生はこんなことをおっしゃっていました。
ちょっと読みますね。授業評価について。
子どもはちょっとしたことで面白くなったりしますが、本当には満足していないことがいくらでもあります。
また、先生に面白かったかつまらなかったかと聞かれても、だいたい中学生ぐらいでは、先生にこの単元は大変つまらないと思いましたと言ってくる元気な子どもはあまりいません。
私の子どもの中には、そういう勇敢な率直にそういうことをついてくる子どもがありました。
でも、なかなかそういう子に育てられません。
普通は、子どもは自分が単元によって充実したかどうか、本当は自分ではわからないのです。
ですから、聞いても仕方がありません。成功不成功は、指導者自身が本気で鋭く見るほかありません。
こういうふうにおっしゃっていて、なるほどそうだと思うんですよ。
生徒も先生に忖度するということはありありだし、面白かったかどうかは、感想としては思っているかもしれないんですけれども、
これはこういうふうな仕掛けだったからよかったとか、こういうふうな教材配列だったから、こういうふうな授業計画だったから、
自分はここで主体的な場面に遭遇して学びが駆動されたとか、そういったことを中学生とかも全然思ってないと思うんですよね。
ましてや、先生自身の授業のあり方について、やっぱり説得力を持って勇敢に言えるかというと、そうじゃないと思うんですよね。
だからだいたい先生に忖度するかか、あるいは先生と生徒の間が安心安全な信頼関係で結ばれていたとしたら、
授業評価が良くなるし、実質的には授業が良かったかとか、授業がちょっと計画通りにいかなかったからこの点が良くなかったかという授業評価っていうのは、
やっぱり指導者自身が鋭く自分に突き詰めていくほかないんじゃないかなと思います。
それか私がよく参加している広島美穂の会、ああいったお互いに忖度なく、もう本当に自分たちの意見を鋭く言い合えるような場、
ああいう指導者自身のそういう学びの場で鋭く指摘し合うということはものすごく効果的だと思うんだけれども、
授業の評価を生徒に委ねて、それを真に受けて授業改善するというようなことは、あんまり効果がないんじゃないかなと思います。
これで、大村浜先生がこういうふうなことを言っていらっしゃったというところがあります。
生徒に直接、単元の感想をもっと言えば評価ですが、そういうことを聞くようなことはありませんでしたよねと、大村に聞いてみたことがあると、
神谷先生がおっしゃっていて、その時に浜先生は、そんなことは聞く必要がない。
何より子供が言える以上のことを教室の中で一刻一刻、私自身が本気で掴もうとしていたし、ちゃんと掴めていたと思います。
子供にとって今後の学習がどういうものであったか、子供に聞かなければわからないなんて、そんなわけはありませんよというふうにおっしゃっていまして、
授業改善の考察
やっぱりまさしく、指導者自身が本気になって、その授業に鋭く批判的なものをぶつけて、自分自身で評価していこうかないんだなというふうに思いました。
ということで、授業評価について大村浜先生は聞いても仕方がありませんとピシャリやっちゃっているというところで、
生徒に授業を評価させるというのはどういう意味があるんだろうかなと思いましたね。
これが大学生とかもっと大人になると違ってくるのかなというふうにも思います。
少なし大村浜先生中学生相手だったと思うんで、
それぐらいの学齢の生徒に授業評価させるということは大変に難しいというか、的を外しているというか、そういうふうな感想を持ちました。
それでは今日の配信はここまでです。聞いてくださりありがとうございました。またお会いいたしましょう。
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