ファシリテーションの基本
皆さん、こんにちは。今日も明日も授業道、黒瀬直美です。
この番組では、中学校・高等学校の国語教育、働く女性の問題、デジタル教育についてゆるっと配信しています。
私は昨日、ある研究会に行ってきたんですけど、それはTPチャートといって、教員のポートフォリオを作成する研修会だったんです。
この模様については、また後ほど配信ネタにするとしまして、熱量の高い人の集まりだったので、とても自分が刺激されて楽しい時間を過ごしてきました。
今日は、その続き、前回の配信の続きになりますが、楽しい雰囲気ではあったんだけど、相当頭が疲れちゃって、
今日ちょっと頭の回転がイマイチだなと思う、体調が整ってない状態で配信するので、ぐだぐだになってしまうかもしれませんけど、よろしくお願いします。
前回はファシリテーションというものについてのあらまし概要、心構えみたいなものをお伝えしたと思います。
今日はファシリテーションの実際についていろいろと語りたいと思います。
まずファシリテーション、対話型授業の大前提として、皆さんもよくご存知の安心・安全な場作りですね。
教室がちゃんと聞くという姿勢、そして安心して話すという状態になっていないと、これはもう成立しません。
だから厳しい生徒実態のクラスだったらもうこれは不可能なので、私もこういう風な教室自体じゃない場合はファシリテーションとかそういうことはしません。
ひたすら聞くということの土台作り、そして静かに考えるということの土台作りを今は訓練するような形からスタートします。
なので、皆さんのお勤めの学校でそうやって安心・安全な場が作れないという教室実態だったら、ファシリテーションというのはちょっと難しくなっちゃうと思います。
なので、よくあるのがこういう対話型授業とかファシリテーションの授業とかについて説明したり発表したりし始めると、
自分の担当している教室自体がそういうところとはかけ離れているから、こんな授業なんかできるはずないじゃないとか、そういう否定的な気持ちになる人もたくさんいるんじゃないかと思います。
私もかつてはそうでしたし、今でも思うところはあります。
だから、ファシリテーションできるというのは理想ではあるんだけれど、それができないからダメな授業なんだというのは、こういう考え方はしたくないですね。
教室自体が難しければ難しいほど、そこで試される先生の力量とか、そこで成長できる先生の技というのはあるはずなんです。
なので、ファシリテーションというのが何も上位ではないということを皆さんにお伝えしたいと思いますけれど、目指すところはやっぱり安心安全な場作りをしていかないといけないと思うんですね。
そのために私たちは急いで作らなくてもいいと思うんですよ。
毎日毎日土壌を耕すように生徒にあるべき姿を求め続け、教え続け、悟し続け、少しずつ少しずつ土壌作りをしていけばいいんじゃないかなと思いますので、
まず安心安全な場作りができていない先生は決してひけ目に感じることなく、生徒と一緒に自分も成長するんだという気持ちでやっていただければいいんじゃないかなとすごく思います。
教員の役割と授業の進め方
やっぱりそういうところを目指して安心安全な場作りができたり、少しずつそういうふうに落ち着いて授業ができる瞬間が突然出てきたりしたときに、やっぱり安心安全な場作りが生きるのがファシリテーションですね。
その次に私が大事だなと思っているのは、教員自身が今日の授業はここに落とそうというイメージを具体的に持つということです。
私が国立大附属勤務時代に影響を受けた先生がいらっしゃるんですけれど、その先生はファシリテーションの授業でやっぱり何か求心力があると言いますか、立っているだけでその先生の姿形にずっと吸い込まれていくような感覚があって、
生徒たちも言ってました。この先生は僕たちに何かを授けてくれる、そういう雰囲気がするんだって言ってましたんで、やっぱり授業する先生が今日はこれを生徒に最終的に分からせたいし、いろんな意見が出るとしても一応ここに落としたいというイメージを持つという場合と持ってないという場合とでは、生徒も集中度が違ってくると思うんですよ。
おそしどころを持っていても着地点が変わることもあります。それはそれで対話による素晴らしい授業だと思うんですけれど、やっぱり授業者がどこに落としていくかというのはやっぱり持っておく必要があります。これがいわゆる企業とかで行われるファシリテーションとは違ったファシリードというところだと思うんですよね。教材という具体的なものがある以上、ある程度の着地点を先生が持っておくということは、
やっぱりリードしていく上でも、生徒集中力を保ち続ける上でも大事なことなんじゃないかなと思います。
ファシリテーションというものが大体おとしどころを持って授業が始まりました。その時の問いとか、受け答えというものは前回の配信でも言ったように、たくさんの対話型、ファシリテーション型の授業を見て、イメージを持っておくということが大切です。
よく私はスポーツに例えるんですけど、こういうファシリテーション型、対話型の授業というのは身体性というものが非常に影響します。
だからイメージを自分で思い浮かべながら、そのイメージ通りに自分の体を動かしたり、自分の言葉を自由に操ったりということが必要になるわけで、やっぱりイメージを持つと人間は動きやすいから、
そのイメージを持つためにファシリテーション型の授業とか、対話型の授業を数多く持っておいて、自分の脳内にイメージを作っておくことはすごい大事。
だから予定調和と批判されるけど、マイケル・サンデル先生の白熱教室とか見ておくといいと思います。
もっといいのは、対話型の授業をたくさん見ることが大事になってくるんだけど、差し当たり急ごうと思ったらビデオ、動画に頼るしかないので、サンデル先生見るといいと思います。
私の場合は、日本国語教育学会で小学校の授業を拝見したときに、すごいファシリテーション型の授業でこれだと思うのを見たので、
その時の強烈な印象が残っているから、そのイメージで授業を行うことが多いですね。
授業自体は自分の落とし所を持っていて、その落とし所の遠いところから生徒実態側の方から少しずつ、生徒に道しるべを置いていくというイメージで授業をして、
最終的には自分の落とし所に持っていくんだというイメージで授業をします。
具体例による授業の深まり
具体的にちょっと事例を出しますと、王を途中に引くという漢文の小さな話があるんですけど、老僧思想です。
私の落とし所というのは、老僧思想というものがどういうものなのかを概念を生徒にイメージさせるとともに、
この話の構造の巧みなところを生徒に気づかせたいなと思うんですよ。
それは問いをこちらが発して、相手に自分の言いたいことを言わせて、反論の余地を与えない説得力というものを持たせている。
これを生徒に気づかせたいなという落とし所を持って授業を始めます。
当然のことながら、読んで質問し始めるんですけど、この質問は色々あっていいんだけど、
私の場合は単純にいくとしたら、登場人物は誰が出てきたかなというふうに登場人物を聞いて、
それを出てきた人物を種類に分けるとしたらどう分けられるかという感じで聞いたりします。
そしたらその登場人物の関係を聞くわけですね。
誰が何をしてどうしたかというのを端的に説明できるかなという感じで。
そうした生徒は、双王というのが大夫2人に派遣されて、双子に依頼をしたというような構造を言うわけですね。
それで段々と細部を通っていきますね。
何を依頼しに行ったのか、それはどうしてかというふうにどんどんどんどん発問していきます。
それに対して双子はどう答えたのかというふうに言ってどんどんどんどん詰めていくというのが、
単純というかシンプルなやり方ですね。
もっと複雑なというか上級になろうと、上級テクニックを使おうとしたら、
どう思ったというふうに聞くところから入ると上級テクニックになると思います。
先ほど説明したのはどっちかというと対話というよりは一問一答方式になると思うんですよ。
なので本当にスタートから始めようと思うと一問一答方式からどんどん発展していくというのがいいと思うけれど、
上級になってくるとこの話を読んだ後どう思ったとか、
なんかしっくりこないところあったとか言いながらどんどん質問していきますね。
感想を聞いていくんです。
そしたら生徒は面白くて言うんですよね。
うーん、なんで亀の話になっているのかわからなかったって言うんですね。
これが取り掛かりなんですよ。
私はこのなんで亀の話かわからなかったっていうのを聞いたら、
次に何を言うかというと、なるほどって言います。
鋭いところに着目したね。
今回のこの話の肝はやっぱり亀が出てくるところだと、
突然亀を出したっていうところに違和感を覚えて、
そこがポイントだと思ったあなたの目の付けどころ。
いいねーっていう感じでスタートするんですね。
確かに生徒の素朴な疑問は、
突然例え話に亀が出て、なんで唐突に亀が出てくるんだろうって、
そういうところから入るわけです。
でもそれってとっても鋭い気づきなわけで、
そうやって褒めていくと生徒もだんだん乗ってくるし、
他の生徒ももやーっとしてきたことが、
そいやなんで亀が突然出てくるんだろう、
私もそう思ってたのよねっていう感じで、
自分の気持ちも共感しながら授業に入ることができます。
じゃあ亀が出てきたと。
じゃあなんでこの亀を突然総集は出したのか、
いうようなことを隣近所で相談してみましょうっていう感じで話すと、
例え話だと、亀を使って何かを言いたくなったとか、
そういうようなことが出てくるわけですね。
勉強できる学校の生徒だったらどんどん答えを言っていくんだけど、
そうじゃなかったら亀の話は何で出てきたかわからないっていう風に言うけど、
ここで助け舟を出して、亀の話が出てきたけど、亀に二種類あったよねっていう感じで、
少しずつ少しずつ答えに近づけるように石を投げていく。
道標を置いていくんです。
そうすると生徒はしっかりと本文を読んで、神の亀と王途中に引く亀が出てきた。
じゃあこの二つってどういうふうな違いがあるかなっていうふうなことを言うと、
だんだんわかってくるわけですよね。
死んで3000年経つけど、いまだに崇拝されて祀られている亀と、
自然の中で王を自由に引いている亀だっていう風に言うね。
亀の話をしたっていうことは、この人何が言いたかったんだろうっていうようなことを言い出すと、
だいたいピンときて亀の話は例え話で、
実はそれを用いて人間の話をしたいんだっていうことに生徒はだんだん気づいていくわけです。
じゃあ人間界だったらどういうことになるだろうねっていうふうなことを話しするわけですね。
じゃあこの亀の話をそもそも出したんだけど、
だいたいこれって何に対する答えだったんですかねっていうようなことも言うわけですよ。
対話型授業の実践
そしたら政治を任せたいっていう、そういうふうなお願いからこういうふうな答えになったと。
じゃあそもそも何で政治を任せたくなったんだろうとかいうふうに、
どんどん一問一答方式を入れつつ考えさせる発問をしていくということになりますね。
最終的には、総使はどっちが良いって言ってるかな、それはどうしてかなとね。
それからあなたはどう思うっていうようなことをどんどん言っていくわけですね。
その他にも総使の態度でちょっと気になる態度があると私は思うんだけどどうっていう感じで問うと、
振り返らずにこれを答えている。何で振り返らなかったのかなとか言いながらどんどんどんどん言っていくわけですよね。
結局最終的にはあなたはどう思うかっていうようなところを通ってみたり、
この話にどういうふうな上手いところがあるかっていうことを通ってみたりしながら、
どんどんどんどん一問一答方式に対話とかそれから協議を絡めながら進行していくっていうのが、
対話型授業、ファシリテーション型授業ということになると思います。
その時に使うテクニックとしてマジックフレーズっていうのがあって、
結構適当に使うだけで深まっていくのでこれはお勧めしたいと思います。
例えばシンプルな方法としてはなるほどって言っちゃう。
これなるほどって言うと結構生徒いい気持ちになるんですね。先生が同意してくれたっていうのでね。
あとは面白いねとかって言われると、たいして面白いことを言ったつもりではないのに先生が評価してくれたって思います。
それから一番よくあるのが、それはどうしてそう思ったのっていう理由を聞くことですね。
あとを付け足したいなとか多面的にいろいろ考えてほしいなっていう時には、それだけ?
他にはもっと何かあるでしょうとかそういうこととかね。
それって言い換えるとどういうことになるかなとか。
これをもうちょっと抽象度を高くしてまとめるとどういうふうになるかなとか。
それからちょっとね外れた答えが出てきてしまったり、ちょっと何か誤読してるなっていうようなことがあったら、
ここが一番ポイントだと思うんですけどよくあることで、これで止まる人も多いと思うんだけど、
それはユニークな考えだねとか、何々くんいい切れ味出してるね。
そこまで行くかみたいな感じで、ちょっと褒めるわけですよね。
今回はそれは後でつながるかもしれないから、少しお取り置きしておきましょうという感じで保留しておくわけですよね。
あとはね、なんか遠いんだけどちょっと近いみたいな言葉があると、
今のちょっとかすったかもしれないと言って、かするっていうのは本質に少し触れているという意味なんですけれど、
そんなふうな言葉を言って、できるだけ生徒が答えることを肯定的に評価していきます。
生徒はこういうやりとりを通じて、自分自身の中で友達の出してきた答えを様々に考えながら、
いらないところをどんどん落としていって、一見おっと思うようなちょっと変わった答えでも、
ちょっとこれ今とんがりすぎてるから違う感じがするっていう感じで、どんどん落としていくんですよ、上手に磨いていくわけですね。
そうすると少しずつ少しずつ本質的なことが明らかになってきて、だんだんだんだん教室中が本当に大事なことに気づいて、
だんだんだんだんみんなそこに合意形成という状態ができていく空間になっていきます。
こういうマジックフレーズを使うだけでもかなりいい感じの対話型になるので、このマジックフレーズを覚えておかればいいと思いますね。
ただこのマジックフレーズを上手に使うためには教材研究が必要で、教材研究をしっかりしていると、
ちょっと言葉が良かったからここをもう少し説明してくれるっていうように、
生徒が出してきた曖昧な答えでもうまくこの授業に位置づけることができて、生徒も反応が良くなりますので、
ぜひマジックフレーズと教材研究とうまく組み合わせた対話をしてみてください。
生徒を信じること
そして最終的に大事なのは生徒を信じることだと思います。
こういう授業をしていると思うように進まないし瞑想したり、だんだん時間がなくなって諦めて急激にまとめに入りたくなるわけですね。
でも私もそれを何度も経験し、失敗してきてうまくいかないということを通して次第次第に待つことになれたりとか、
時にはもうそこで授業を辞めて次の時間に持ち越したりというような余裕も生まれ始めまして、
請求にまとめに入るということがだんだん少なくなりました。
最終的には生徒を信じて待っていると、だんだんそこに行かせたいところに、着地したいところに近づいてくる現象が出てきて、
だんだんできるようになってくると思うんですよね。
うまくいくとは限らないんですけど、こうやって油汗を流しながらトライアンドエラーしながら、
泥稽古を続けながらやっていくと、どういう状況でも落ち着いて反応できるようになって、
それが結局うまいこと着地点につながっていくという感じがしますね。
そして、たとえ瞑想していても、なんだかいい授業だったなという感じになっていくことが多くなりました。
ということで、対話というのは本当に難しいし、熟練がとても必要で、なかなかすぐにはできるようにはなりませんけれど、
日々鍛錬していけば、だんだん近づいていくので、対話という筋力トレーニングを地道にしていくしかない。
そうすれば、対話という筋肉がムキムキになると私は思っています。
そして、筋力は年齢が経っても、歳をとっても、いつまででもつくので、
この対話による筋力トレーニングも、歳をとっても、いくらでもつくんじゃないかなと思います。
それでは今日ちょっと長くなりましたけれど、
本当だ、20分近くなってしまったような気が。
今日の配信はここまでです。
聞いてくださりありがとうございました。
またお会いいたしましょう。